Yajirobeのつぶや記

 Yajirobe(ヤジロベー)とは、不安定そうに見えながら結構安定している、そんなイメージで命名しました。 身体について、仕事について、私にはいろんな場面でヤジロベーのイメージが浮かんできます。ヤジロベーが気がついたこと、思っていること、仕事についてのあれこれ等、日常を綴ったブログです。以後、お見知りおきを!

この時期、やはり花でしょう。

3月下旬には、孫たちを連れて箱根湯本に。途中大磯で途中下車し、湘南平に上りました。
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一週間後、鶴ヶ峰にある里山ガーデンに。ここはきれいだった。
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そして今日。近くの和泉川の親水公園で。
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毎週のように山に行き、孫と遊び、花を愛でる。いやぁ、春ですねぇ。

久しぶりに自転車での散歩(散輪)。
近くの桜の開花状況を確認です。
境川沿いは二分程度かな?
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サイクリングロードを走っていて、ギヤチェンジした直後チェーン外れ。治したら手袋が油まみれ。
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和泉側はほぼ満開。種類が違うのかな?
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その近くの河津桜はは桜になっておりました。

ついでのこれは花桃?きれいです。
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最近自転車に乗っていないので、調整も怠りがち。
今度の休みは自転車いじりでもしますか。

18日、赤城山に行きました。
二日前に降った雪のおかげで、雪たっぷりの赤城山(黒檜山)に上りました。

さらに全面結氷した大沼上でのワカサギ釣りも見ることができました。

山頂では地元からのご夫婦と話が弾み、こちらが横浜からと聞くと、「実は私たちも3年前まで東京在住だったんです」
「ええ?ということは移住ですか?」

62歳で退職し、こちらに居を構えたそうで、まき割や畑仕事等、忙しくしているとのこと。近所付き合いも難しいことはなく受け入れてくれたらしいことも、楽しそうに話してくれました。

最高の天気の下、素晴らしい樹氷、初めて見るワカサギ釣り、移住の魅力等々、ワクワクした山歩きになりました。

上る途中からの大沼と、はるか向こうには浅間山
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黒檜山山頂
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素晴らしい樹氷
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360度の展望
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そして黒檜山
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当日は風もほとんどなく、湖畔でマイナス6度でも寒く感じないくらいでした。
雪山もこのくらいの好条件ならば、不安もかなり少なくなります。幸運が味方しましたね。

雨の翌日の朝、気温も高く6時ころには、辺りは雨上がりの水蒸気のせいか、真っ白に霧がかかっていました。いつも散歩している公園から朝日が木々の向こうから上ってきました。
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これから気温はぐんぐん上がって20度くらいまでになりそうです。

数日前、TVの「マツコの知らない世界」という番組で、花のつぼみに魅せられた方が登場して、様々な花のつぼみについて、蘊蓄を語っておりました。それを思い出して、今朝は梅や水仙の花を見つけては、つぼみをよく観察しました。確かに興味深い。
そういえば先日のミツマタも良かったなぁ、と改めて思うのでした。202503025

14年前の3月11日、東北地方を襲った地震で死者・行方不明者が出た災害は記憶に新しいところで、昨日も各地で追悼イベントが催されたようです。また80年前の3月10日、東京を中心とした関東地方が米軍のB29の空襲を受け、10万人近い死者を出す大事件が起き、その追悼イベントも催されていました。

お亡くなりになった方々には謹んでお悔やみ申し上げます。

私の父親は空襲当時、下町の城東区(今の江東区)に住んでおりました。3月10日の空襲でよく聞く深川・本所地区というのは、その北側と西側に位置する場所で、深川区は城東区と一緒になって、今では江東区になっています。

父の住まいのすぐ近くには私が生まれた時には、電電公社の広いグラウンドがあり、当時も広場があったそうです。空襲時、今に天井を突き破って焼夷弾のかけらが落ちてきて、一瞬のうちに炎が上がり、家族はその広場に逃げて一命をとりとめたそうで、父からはその後の生活に一部を折に触れ聞きかじっておりました。そのほとんどは忘れてしまいましたが、当時本所工業という工業高校に通っていた父は、空襲後まもなく学校まで歩いて行ったそうです。その道は地獄絵図で、黒焦げになった死体が山のように積まれていました。そのなかで立ったまま黒焦げになった死体があったそうです。周りに人が多く倒れることもできずに亡くなったんだろうな、と父は話します。また学校に着くと、プールの中に死体が沢山浮いていて、それを棒でプール際まで移動させ引き上げたこともよく話してくれました。

そんな父は、その後、海軍に志願、広島の近くの赤穂で終戦を迎えました。あと半年戦争が続いていたら特攻だったかもな、とよく言っておりました。
詳しくはこちらをどうぞ


いま世界中で、きな臭い出来事があちらこちらで起こっています。ウクライナやガザではきな臭いどころではないことが起きています。私たちに何かできることはあるのだろうか?と凡人は悩んでいます。毎日散歩のときに同じ散歩の方や犬連れの方には「おはようございます」と声掛けをしています。返事をする方、無視する方、いろいろですが、これが平和へのささやかな一歩であるとは思っているのです。



さて、2月末から3月にかけても毎週山に出かけております。最近上りのスピードは遅いですが、あまり休まずにずっと歩き続けられるようになった気がしています。



2月下旬も大岳山、3月には大山付近のバリエーションルート探訪をしました。


大岳山
大滝
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稜線に出た202502257

大岳山からの富士2025022511


大山
日向薬師のミツマタ、少し咲いている202503025

三峰山へ続くヤセ尾根2025030219

変な看板2025030217

三峰山頂2025030222
三峰山は鎖場天国2025030221

今にも崩れそう2025030225

再び寒波が列島を包んでいます。

そんな中でも毎日の散歩は続けていて、ビーニーをかぶり手袋をして出かけるのですが、指先がジンジンとして痛くなるほどになってしまいます。特に親指と人差し指。この症状はすでに10年近く前から感じていたのですが、当時は自転車での散輪がほとんどだったので、本当につらかったものでした。

そのせいで冬場の自転車での朝の散輪を止め、散歩オンリーにしているんですが、それでもジンジンさは変わらず。手袋を二枚重ねにしてもやはりだめ。レイノー症状というのがあるのですが、それかな?とも思ったんですが、なんとこの症状、山歩きをしたときはないんです。歩き始めは少し感じるんですが、すぐに感じなくなります。散歩は一時間以内で終わるんで、もう少し歩けば感じなくなるのかもしれません。でも不思議です。

今日も外気温零度の中、指をグーパーしながら散歩してました。

いろんな病気を持っている方は、この寒さは結構堪えるのではないでしょうか。早く春が来て欲しいと思う一方、雪が降らないかなぁ、とも思ってしまう自分がいます。

世界中で様々な出来事が起きて、何となく心ざわざわする今日この頃、何とか静かに過ごしたいと思うのですが、コメの値段が5キロ4000円近くしているのを見ると、「なんだ!!」となってしまいます。小さい男だなぁ。



そんな小さい男は、2月に入って近場を巡っております。
奥高尾山稜
陣馬山から高尾山まで22キロを歩きました。久しぶりに45,000歩超えです。

陣馬山山頂
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雪の少し残った道250102048

景信山2501020412

景信山から相模湖の向こうに、丹沢山塊の大室山・蛭が岳が見えます。2501020413


政次郎尾根から塔ノ岳
いつもの大倉から戸沢を経て政次郎尾根、塔ノ岳に上りました。雪少なく山頂からの富士が絶景でした。
戸沢にある作治小屋
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政次郎尾根入口250102113

政次郎の頭、表尾根に尾久流250102115

崩れた山道のう回路2501021111

塔ノ岳山頂2501021113

人が多かった2501021114


南房総、伊予が岳
房総のマッターホルンと言われている伊予が岳と、南総里見八犬伝のふるさと富山(とみさん)に上りました。
伊予が岳の偉容
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山頂から登山口を望む250102188

さくら・梅・水仙が至る所に2501021815
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富山山頂は里見八犬士の終焉の地だったんだ。2501021821




いつも間にか立春も過ぎて、暦の上では春なんですが、最強寒波が張り出して、日本海側では大雪の被害が各地で起こっています。帯広では一日で1メートル以上の雪が積もったとか・・・。まだまだ春と感じる時期とは程遠いですね。
これは大陸から張り出してきているいわゆる寒気が影響しているといわれています。というかその寒気が日本海を渡るときに海からの水蒸気などをたっぷり吸収し、最初はそれほど湿度が大きくなかった寒気がたちまち湿度満点の空気に変わって、その空気が山の斜面にぶつかり、日本海側に多量の雪を降らせることになるのです。
今朝玉川さんが、日本海の平均水温がいつもよりもだいぶ高くなっている、とコメントしていましたが、水温が高くなれば多量の水蒸気が供給されるのは当然なのでしょう。かくして豪雪地帯では観測史上初の事態が多発しています。
これも温暖化の現象なのでしょうね、たぶん。


さて、1月27日から友人のHさんの小屋にご厄介になって、軽い山歩きをしてきました。1日目は守屋山。守屋山は諏訪湖を見下ろす好立地にある標高1650メートルの里山です。ちょうど日本の大断層であるフォッサマグマと中央構造線の合流地点に位置し、諏訪湖はもちろん四方の山々の眺望がすばらしいらしいのですが、われわれが上った時には少し雲が多く、それほどの見晴らしにはなっていませんでしたが。数時間ほどの軽いトレッキングを楽しんだのでした。
守屋山東峰。近くに守屋神社奥宮があります。
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諏訪湖が一望。平べったい処は美ヶ原か。
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Hさんと私。
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諏訪湖が見えるところは守屋山西峰。こっちが西峰の標識。
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百畳岩に上がってみる。
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そして翌日は霧ヶ峰を散策したのでした。

かつてない勢いで、インフルエンザの流行が続いています。
今朝の羽鳥慎一モーニングショーでも、取り上げられていました。薬が不足して医療機関等は大変だと・・・。なぜこんなに増えるんでしょう。いろいろな要素があって、これだ!というものは分からないのでしょうが、一つには体そのものが以前よりも弱くなっている、とは言えるのではないかと個人的には思っています。寒いから暖房、暑いから冷房、胃腸が弱いから消化の良いもの、眠りが悪いから入眠剤、等々。さらに今は薬剤の効果が非常に良くて、例えばタミフルやリレンザなどを使うと、急速に症状が改善していくようです。小さい子供さんや親にとっては非常に便利で安心できるものです。

それって自分自身が病に対して戦っているときに、援軍を出すようなものだと思うんです。もちろん負けそうなときの援軍は必要でしょう。でも自分だけで十分に戦って勝てる、と見込んだ時には、その援軍は無駄使い(そこまで言っていいのかは難しい処ですが)になってしまいます。

自分の力で克服できた時には、病に対する抵抗力や免疫機能が高まるような気がします。

私がこの世界に飛び込んで、最初に松濤を受けたのは、整体法の野口晴哉先生の著書でした。
「風邪の効用」「健康生活の原理」、この二冊は私のバイブルでもあります。

そこで身に付けたものは、まず体の状態を把握すること、つまりこの人は今の病状を一人で乗り越えられる人かどうか、ということを見極めることでした。

たとえば子供だったら、脈と呼吸のバランスはどうか、皮膚の弾力や色つやはどうか、目の輝きはどうか、爪や舌の状態はどうか、お腹の張りはどうか、そんなところを丁寧に探っていくと、それなりに体の状態を理解することができてきます。そしてそれらを総合して、お医者さんにかかったり、薬をいただいたりすることに対するアドバイスをしてきました。

私のところに通ってくる方は、どちらかというとお医者さんが嫌いな方が多く、なるべくならお医者さんに行きたくない、と思っている方です。

だから親御さんには、「子供さんの状態を観察して、自分なりに判断して通院するかどうかを決めてください。そしてもし不安に思うようなら、すぐにお医者さんに行ってください」と言うことにしていました。


私も最近医療機関に通うようになりましたので、少しわかってきましたが、まずお医者さんはこっちの顔を見ないで画面を見て話します。もちろん聴診器をあてたり、舌を出させるようなこともしません。ただ検査結果を見て、「はい、インフルエンザですね」といって薬の処方箋を入力します。患者が多いので、仕方のないことですが、やはりこれでいいの?とは思います。


私たちが今やるべきことは、自分の力をつけること、そして自分の(検査結果ではない)今の状態を知ること、そう思います。



さてさて、昨日は赤富士が見られました。
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朝日が昇ってきて、山の端に日が当たって赤く見えていました。横浜に住んでいると毎日富士が拝めるのが大きなアドバンテージだと思うひと時でした。


本日8日は、当治療所の仕事始め。年末年始の10日間の休みの後なので、少し勘が鈍っているかも・・・。
夜の7時に終わったのですが、やはり少し疲れました。

ところでこの休み中、いろんなことがありました。
・孫たちの襲来・・・24日から30日まで襲われました。
・箱根駅伝のTV観戦・・・婿さんが東洋、娘が青学、甥っ子が帝京、そして私が早稲田(通学していませんが)。やっぱり青学を応援してしまいます。
・蓼科山への雪山登山・・・弟と一緒に上りました。
・車の免許の更新・・・初めて高齢者講習を受けたのが昨年9月。6日に警察に行くと、(ゴールド免許のせいか)講習もなくすぐに終了。写真を見てがっかり!!


そして今日、施術料を1000円上げたので、お釣りをどうするか結構悩む。皆さんどういった支払いをしてくれるのか、見当がつきません。千円札を両替しようと銀行に行ったら、無料で交換できるのは10枚までとか。
結果は10,000円の方、11,000円の方、6,000円の方、いろいろでした。ウーン。



5日は北八ヶ岳の蓼科山に行きました。5時に八王子で弟と合流、弟の車で一路蓼科を目指しました。雪が積もっていない!!蓼科の別荘地の周辺は少なくとも、ある程度の雪が積もっているものでしたが、今年は全く積もっていませんでした。豪雪地帯が大変なことになっているのと、対照的な風景でした。それでも登山口に来るとそこそこの雪。
アイゼンを付けて2530メートルまで上ります。
快晴の空の下、楽しい半日を過ごしたのでした。
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皆様、明けましておめでとうございます。

今年は昭和100年の区切りの年。

毎日散歩している通信隊跡地の広場に今朝はたくさんの人が集まっていました。初日の出を見るための人たちです。
いつも体操している場所には、若者がたむろしていて、体操する気にはなれません。場所を変えていちにいちに、と動かすと、富士が赤くなってきました。

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日の出はもうすぐです。そして・・・
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帰宅して、お雑煮を食べ終わったころに、ポストには年賀状が・・・。

今年は、年末に賀状を出すのを止めました。その代わり、いただいた賀状の返信には、その方に対してのメッセージを記しました。

ある方へは、「規則正しい食事とは、毎日三食食べることではありません。腹が減ったら食べる、腹が空かなかったら食べない。これが生き物の基本的な生活ではないでしょうか」と書きました。

今年も何があっても、それをプラスにするような生きた方をしたいものですね。



昨年の最後に飯能アルプスに行きました。
西部秩父線の正丸で降りたのはたった一人。
今日はここから伊豆ヶ岳を目指し、そこから稜線上を天目指峠、子の権現と歩いて行きます。

伊豆ヶ岳直下の通行止めの長い鎖場「男坂」。
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岩の間を上ります。
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伊豆ヶ岳山頂
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ナローノ高畑山。ナローノって何?
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子の権現の有名な金のわらじ
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本殿
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鬼???
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今日もたっぷり上って下って、充実した一日でした。

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