2009年03月02日

待ち合わせ

 穴ぼこだらけの気分を抱えたとしても最初の一歩からの出直しを強いられたわけではなく、予定通り岡野から送られた追加のメールを参照しながら翻訳者である私は翻訳のトライアルを要求通り仕上げて提出して道を拓くことができたしそれ以外の方法はもう残っていなかった。「その年になるともうどこもないよ」就活!中にそんな声は何度なくどこからでも唐突なにわか雨として降りかかったが、言われるまでもなく無条件で落選する条件をすでに背負っているのは自覚していた。石垣の一方が崩れその向こうが霧の中に閉ざされたとなれば――それにしても同窓生のいるNスタッフと自分は腐れ縁でつながっているように夢想していたがぽっかり空いた空虚な感じはこの後もう何もない二度と復活しない完全に終わったと必死になって警告の叫びを上げていた――目の前の石垣をよじ登るしかない、どんな有利さも持ち合わせない人間という自覚は、頭と目と指先を使ってそれ以外の肉体の器官の不要とされてもいいようなそんな職種を目指すしかないと同じように叫び声を上げ始め、二つの叫びが小さなグラスの中でホワンホワンと反響し、2枚の紙切れとメールされたスタイルガイドをもってその中に飛び込めば、壊れた石垣の向こうと同じく目の前が薄白くなりすぐに日が沈んで暗闇に閉ざされあちこちから悲鳴がキーキー響いた。移り変わりの早い業界は実は老化も早く、集団に入った当初は幼年期で3カ月後には壮年期に入っていることもある、そんな情報テクノロジ的世界には江戸末期の怪談本に登場する魑魅魍魎がひしめいている。やるかやられるか刈るか刈られるか死ぬか生きるかを日常茶飯のこととして麦混じりのトロロ飯の種にして笑い転げ幸せそうなやつを見かけたときだけ泣きたくなる人間がトグロをまいており、品川の港南口に通じるあのナイル川にも匹敵する幅広の人の流れを掻き分け掻き分けていたときも、こうしている自分はいつの自分だったかとしきりに反問して見知った人と見知った自分がオーバーラップして交錯してとんでもない人波がさらにとんでもなく見えてきて、面接随行担当員までこっちと同じ心境でいたわけもなかろうに、目の前の候補者を見つけられずに行き過ぎて振り向いて声をかけようとするとまた通り過ぎて、三度も四度もすれ違ってようやく「今来たところですか」となどと問い掛けてきた。その声が心なしか沈んでいたのは、含みのある電話の合格通知を勘違いして自分の後ろに俄かに丸山応挙が描いたみたいな虹色の売り手市場の門が開かれたみたいに鷹揚に「合格ですか、ほぅ」と受け答えするなりだんまりを決め込み、相手の尻尾を思いきり踏んづけたつもりで腹の底で笑っていたが、岡野は「いちおうの合格なんですが」と補足して最低点での合格とさらに訂正し、「先方は採用に当たって条件をあれこれ提示するだろう」と言った。
 前途多難な就活!しかし実を言えば港に近い品川に来るのは懐かしくこの街の清々しい空気を吸えるのは誰かに感謝したいくらい天の配剤にさえ思えて私の惨めな気持ちはすっかり洗い流され、考えてみればフリーランスとして記念すべき第一歩を記したのもこの地であって待ち合わせは同じく港南口で例によって相手まかせでYeslocalize社の住所を押さえていなかったが、しばらく通ったインターシティでなければその近くの近代的なインテリジェントビルの上層階だろうと決めてかかり、巨人がてんとう虫の動きを観察する心境に浸れる総ガラス張りのトイレや休憩室から見晴るかす港の大型船の緩やかな午後の曳航の軌跡を思い描いて精神の贅沢三昧を弄んでいた。底面が楕円の円柱が二本、この二つの中心点からなる二つの屹立する建造物――上下合計8つの中心点、もしくは4つの中心点を埋めこんだ1つの円柱の実質と仮想――は何を物語っているのかという自問に答えを出すいとまを与えず、言葉数の少ない男は二つのビルをやすやすと通り越してソニーの入り口ももちろん通過して、何やら付近に一帯に影が差し始めると後ろ髪を引かれる思いの中でエスカレータの下に待ち構えたホールの慇懃無礼な暗がりにそのくすんだブレザーのベージュ色を溶け込ませた。追いついて呼吸を乱したままの私に向かって岡野はしきりに当社は実績がある、大丈夫だと肩を叩かんばかりにして煽りを入れ、微妙な立場と一筋縄ではないかない超近代的なハイテクの下の汗をかかない汗みずくの前近代的な馬車の車輪の下に頭を潜り込む鼠になることを余儀なくされるだろうと覚悟を決めた。  
Posted by yakibushi100g at 01:15就活!

2009年02月09日

1着、2着、3着

 車掌の呟きにしてはごたいそうな乗客という名の電車のお客様への執拗な愛の鞭を聞きながら(ドアの近くに立つな、前の客に続いて出ろ、押し合うな、左右を見て空いた扉から乗れ、乗ったら立ち止まらずに奥の座席のほうへ移動しろ、降りるとき前の人に一声かけて降りろ、空き缶や新聞やごみは自分で始末しろ、足を出すな、足を組むな、立ち止まらずに奥に行け、荷物は前に抱えろ、新聞は小さくたため、吊革につかまれ、駆け込むな、優先席に座るな、ケータイの電源を切れ、ほぼ以上のエンドレス)、扉の開閉時のズーコズーコいうせせらぎに耳を傾ける。両手両足の先端が丸くなって指のはえていない謎の怪人の歩みを連想させるこの単調な音を訊きながらあの時のあの人がもしかして聞いていたのはそしてひょっとして見たのは、こういう音、こういう人、そうかそうかこういうものなのかそうに違いない、と揺らぎの多い心境に不意に珍しく訪れた平穏を抱きつつ、しかし腑に落ちるといった心持ちどころか謎の怪人と真正面からまともに見つめ合う蜜月の予感にふと視線を遠くに向けると、なんということもない、雨降りの平日のまばらな各駅停車の車両の、遠近法のサンプルのような、13号車からつま先の1号車への四角の窓のおのおのの角がだんだんに小さくなる、四つの点から中心へと線を引っ張った構図の中にはめ込まれた私は、今度は謎の怪人ではないなんでもない平凡な光景が突如ぞっとするほどの恐ろしさで胸に迫ってくるのを感じ、この違和感に気付いているのは自分一人でほかの誰も気づいていないという自覚が――怪人の輪郭を思い描くのは自分だけだが、これはほっとする要素なのである――この認知の格付けを一気に高めて自分自身が冷静に人を刈る鋭い刃のように初めて思えた。
 瞼の下を、ひとみの上を、層になってゆっくりと降りる涙にはならない健康な粘液質のものの流れは窓ガラスの上を流れる幾重もの雨と重なり、窓外の向こうの絶壁の上に聳えるように立ち並ぶ杉並区特有の高級住宅街の基礎を洗って嫌が上にも際立たせ、はてと空虚な胸の内をさぐり肝心の面接会場の地図をもたなかった失策に気づいた。
 田渕が、あいつの仕切りだからサブリミナルな効果が働いて無残なこんな目に会うのだと愚痴り内ポケットや鞄をあちこちすると、表の胸のポケットから火にくべ忘れた擦り切れた紙のような田渕女史の名刺が顔を出し、課長代理というハレをケに突き落とす係長に劣らず万年を連想する塗装の剥げ落ちた灰色の事務用椅子を約束するこの肩書き付きで、ご丁寧にも女性である本人の携帯電話の番号とメールの番号までも痛々しく述べ立てた。安心が、いや連絡を取らなければならない名刺が出てきた重荷が、窓の外の予報と違って一向に薄い光りが差してこない芒洋としたグレイの広がりにぐいぐいすいこまれて己自身がどんどん虚になってゆく感覚を帯びて、ぶるぶる震えた己の携帯を狂って暴れる金魚を撫でて抑えつけるようなつもりでうめきながら握りしめて、ずっと遠くの方からの声に身を固くすると当の田渕でなんだか今度は嬉しいようながっかりしたようなとりあえず現実感が復活して足を組み直し座り直しなどして一息つくと、それにしも増して大儀な気がしてきたのを感じた。
 田渕はそこには行けないと言った。私はそうですかと答え、わけもわからず嬉しさがこみ上げて、いつのまにか雨の気配がなりを潜めて薄い灯りが空の縁から漏れてくるのを吉兆に感じ取って何もかもうまく行きそうな予感がして、田渕がダブルブッキングでとくどいほど詫び申し訳ないが一人で会ってもらえまいか、こういうことになった事態についての連絡は入れておく、いずれまた詳しくと言って柄にもなく殊勝に塩らしく許しを乞うような調子を台詞棒読みのぶっきらぼうな抑揚の語尾にいちいちつけるとき、高揚するような気持ちと相反して携帯を握る手の感触は実際醜い死んだ金魚の尾を握っているのに似ていた。しかしそれを他所に我が脳髄を出所にして――脳髄のわけはないがプロレスで延髄切りがあるのだから許されよう――楽天的な嫌に明るい声が弾き出されて何が何だかわからずにとりあえずそれでよしとして何が悪いのだろうと勘繰り、どこも悪くないと答え、場所を問い質さずにいいですよと電話を切ったときも、黒猫黒犬黒鷲の影がかすめることはなかった。なにも感じなかったのだ。ただ無感のままに言い聞かせたのは、書店があるのだ、書店にはその出版社の本があり、その書店は日曜日でもないのに店を閉める理由はないのだ、平日休みでも酒屋であろうと電気屋であろうと鰻屋であろうと百貨店であろうと靴屋であろうと書店であろうと月火水のいずれかで木曜という選択肢はありえない、であるならそこ本屋に辿りつきその本を取りその裏に出ているはずの住所を頼りにすれば土地勘がなくったって大丈夫のはずだ、おまけにたしかにさびれた、イカフライ定食500円からはじまる引っかき傷だらけのアクリル版の向こうの、馬蹄形のカウンターのみの洋食屋はしみじみした田渕の言った通りの情緒を醸し出していたし、足早ににじりよって煮返したであろう味噌汁の器の縁にひっかかったワカメを犬みたいに箸を使わずに舌の唇だけで奥へ押しこんだ工員風情の早過ぎる昼飯にも一瞥と微笑を与える余裕もありで、隣の書店はわりとシックな構えでなにもかも期待通りの精神医学の蔵書の重厚さにしばし見惚れ、幸い覚えた住所は裏口から外に出て最初に見付けた電柱の標識と同じで後は番地を同じに合わせるだけで目的地に辿りつけることがわかった。
 予想とずれていたのは裏口にたむろしていた男三名女一名でこの者らは明らかに田所書店の正規雇用者の様子であって、スカートの女も含めて皆がに股気味で車座になりしかもタバコをふかしシャツもブラウスにもクリーニングの跡が先週末には消えていたであろうと思わせる、笑わば一層よれて薄汚れた容姿が露になる体たらくだったことくらいだった。いやもう一つ予想とずれていたのは高級住宅街の一画にあっても雨上がりの薄ら寒い風がわけもなく付近に巡らされた障壁を越えて縦横に吹きぬけて暴れ、そのせいで余所見をしたからでもないだろうが、番地がだんだん下って目的の番地が近づいたと思えばまただんだん上がり、次いでとびとびになり、それに合わせて時計の分針が速くなりだし、それに合わせて心臓も速くなり、高架下のあたりをまさぐるように歩めば昭和の残響が聞こえる取り残された木造家屋の破れた窓ガラスから中を覗き込んで向こうからこっちを見つめる目と出会って呆然とする始末で――手足の先は闇に溶けて見えなかったが相当に大柄なやつだったことは間違いない――、堂々巡りからもう抜けられそうもないとあきらめ始めとき、誘われるようになだらかな斜面に立ち並ぶ豪壮な邸宅の列に近づけば、ついに思い続けていた所番地2-○○と電柱の標識の番地とが重なった。しかしそれは極上の民家ではあっても事務所とは言い難く警戒怠りなく時計をちらちら見やり、玉砂利に足を取られながら近寄って表札の細かな文字に目を凝らせば株式会社松栄と併記されており、田所書店とは書いていなかった。勇気を出してインターホンを押して田所書店が近所にあるはずだがと教えを請うと、ええ、ウチですよと中の者が返答した。
 えーいいですよ、そう答えたことが悔やまれてならないのは、なにも田渕に対する怒りが湧き上がったからではなく己のいつものお人良しが少しも直っていないからで、考えてみればいや考えなくてもわかりそうなものだが、これから従業員になろうとする派遣社員の一候補生に過ぎない男が派遣会社の付き添いなしで面接にのぞむというのは、それが新聞の求人広告を見て応募に至る就活!の場合個人対会社なのだから当然であっても、派遣の採用うんぬんは会社対会社であってみれば、先方がゴルフ焼けで雪を被った富士額の社長、実直だけが取り柄のようでいて腹の黒さでは隣の焼けた色の額をも上回るであろう生気のない七三分けの部長の二人ががん首をそろえ、会社の体裁をいちおうはしっかり整えて見せるのに、尚一人っきりのこちらは原則を無視してにこやかに胸を張って二人を代わる代わる見比べやはり珍しいから必要以上に交互にまた見比べ、もっとも重要なそこに同席すべき派遣会社Nスタッフの担当者がいないことをなんとも思っていない風がありありなのはいかにも具合が悪く、外の風が窓をたびたび叩き耳障りに感じたのか、セーターの男は風の方角に首を振って舌打ちしつつ、こんな人が欲しい、あんな人が欲しい、こう振る舞うような人が来て欲しい、と訥々と語り紺の縦縞のスーツがごもっともとばかりにいちいちうなずき――舌打ちにもうなずき――何を書いているのか本人もわかならいはずのメモをさかんに取り、汚いものに目を向けるように時折上目遣いになり、コホンと言って間を取り、社から送られたファックスの経歴書を持って遠ざけるようにして目を細め、精神病院のご経験があると独りごちて隣のセーターとひそひそ話を初め、今度は一転して柔らかな物腰で縦縞スーツが出し抜けにコレ訳してくれませんか、ウチで出しているジャーナルですと英文の雑誌を開いて逆さまにして押し出し、つかんだこっちがしどろもどろになると、セーターが何言っているかわからないと声を張らせて遮り、実は最初からあんたを雇うつもりはなかったと吐き捨て目を血走らせてきて前屈みになり、喧嘩になるより席を立ったほうがいいだろうと賢明な判断を下した自分に驚きながら無言のまま面接室のドアに突進した。しかしこっちの目論見に以外に素早く対応したしのはもっと入口に近い縦縞スーツで、椅子を蹴り倒して一瞬早くドアノブを手榴弾を投げるときの初動みたいにきつく握って体で覆うようにし、セーターが後ろにすぐに追いつき、こっちが立往生していると、ハーハー息をする二人は私を挟んで顔を見合ってうなずき、二着をセーターに譲ると三人の序列がそれで定まり沈黙を通したまま彼らは二階に、私は民家を後にすることとなった。怒りの矛先は田渕には向かわず気まぐれなドタキャンに、いいですよなどとと返答した自分であってそれ以後二度と田渕から電話もメールもなく、おかしなことに後見人であるはずの次長からも一切連絡が入らなくなり、築いたはずの就活!の一方の石垣はがらがら崩れ落ちた。  
Posted by yakibushi100g at 00:59就活!

2009年01月03日

ねんねこ半纏

 一礼をして面接部屋の外に出てドアに向かうと、思いがけず寄り添ってきた岡野を引き離すべく立ち止まってまた礼をして、エレベータに向かうとそこにまた岡野がいて、じりじりする間の後ようやく降りてきたエレベータに乗りこみ、1Fのボタンを押して岡野と顔を見合わせて駄目押しのようにお辞儀し、扉が閉まる瞬間頭を下げていた岡野は何のつもりか急に顔を上げ、呆然とした男同士が互いに見合うかたちとなり言葉を探す間もなく扉はすでに閉まっていたから嫌な余韻が残った。日本に生まれた純粋な日本人なのに慣れない日本的慣習のあれこれによって翻弄されるこれからの日々の前触れのように感じて、やれやれと下りはじめた私はため息をついた。なりかけのホストのような、顔の中央の潰れた尖った髪だけが目立つ中途半端な化粧の男たち――メンズブラを着用しているのは何人だろう――と、属性というものの一切を消失したメイク尽くしのやわ色の衣装を纏った曇った朝またぎの目をしたお多福たちとで構成された二列の群れの真中を掻き分けて歩きながら、きっとジャンクボンドに投資して巨額の欠損金を出した――ここに来る途中隣の男の新聞を盗み見た――向こうのキャンパスに向かうと想像され、少なくともその流れを分断していることに快感を見出していたとき、携帯が鳴り、それはNスタッフのTBからで、今どんな様子ですかとまたしても返答に苦慮する意図のはっきりしない問いかけをしてきた。QMC社で取ったノートが役にたった、あなたは精神病院で研修した経験があると勢いづき、翻訳者でもいらっしゃる、田所書店はそういう人を探している、編集アシスタント募集ではあるが、実はその程度では物足りないのだという、あなたがそういう分野の単位を取得しているなら、名前くらいは聞いたことのある出版社だろう、この分野の老舗で駅構内に精神病に関する自社の書籍を集めた書店も開いている、先方に名前を伏せた経歴を送ったところ好感触だったと言った。要は新規に紹介したい会社があり個人情報以外の経歴・職歴をすでに人事担当者にFAXしていて、大筋で内諾を得ているから役員諸氏と顔合わせしたいという派遣会社のいつもの手順その1であって、就活!はこういう浮き沈みの波にどう乗るかが肝心だ。こっちが動き出すとなぜだかわからないが凪ぎから順風や逆風が突如吹きまくりにわかに波頭が目立つ青緑の大海原の様相に変わる。白い泡がぶくぶくあちこちに浮かんでは消えて活気づき、どれに乗ってもいい結果ばかりが待っているような錯覚に陥りやすいが、詳細が見えてくると一転して何もかにもがこんなはずじゃなかったという風にも見えてくるも、これもまた誤りであって、仕事は「するかさせるか」の二元論でする方である限りは「ついに見つけたワタシの仕事!」などあるはずがなく、悲劇と喜劇の間に横たわる溝の中に銀貨ではない銅貨を拾うのが仕事というものであると定義して、高揚も落胆もなく何が起きてもやり過ごしの気分を保つのが最もいい方法なのだと人には説教できてもいざ自分のこととなるとやはりそわそわもするし妙な期待が膨らんだりするし、うまく行き過ぎて恐くなると翌日崖下に転がり落ちるのもやむを得ず、ぶるぶる震える携帯を握る手は空に向かって吸い込まれでもするような手応えを感じ不吉とも吉兆とも言える昂ぶりをこの身に宿し、陰気なTB――あれだけのことをされたのだからもう田渕幸子と実名を出しても構わないだろう――の声を聞きつづけていたら踵が浮いて、このままだと危ないとふんばった。自宅に戻ってTBのメールを読むと、あなたは精神病院の経験がある、そういうあなたには精神科の医家向け専門書籍を扱う田所書店などどうかと思ったと紹介の経緯に触れ、木曜の午前十時に八幡山駅の改札前で待ち合わせしたい、左手に馬蹄形のカウンターのみの食堂、その隣が田所書店の出店で小規模ながら自社の取り扱い書籍のすべてを揃えている、編集という職種である以上早めに行っていくつかにざっと目を通し、採用は大丈夫と思うが面接の準備をとしたらどうかと助言していた。
 朝からの小雨が本降りになる頃、自宅から交通至便という魅力は徐々に薄れ重苦しい気分に包まれ、昨夜就寝前に田所書店が大きくクローズアップされ反対に間の悪さゆえにどの登録者ともぎくしゃくした関係を築いてるのであろう岡野が鬱陶しく思われてならなかったことが遠い昔か近くの夢のように思われた。そうするうちに片田舎の廃校を思わせる建物に近づいたときの緊張感を思い出した。開放病棟の廊下はどこまでも遠く、机と椅子を退けた低学年の教室を思わせる病室が連なっていて、廊下に面した窓にガラスがはまっていず、何もかも古びていて畳は赤茶けていたし、木枠や柱が古くて白蟻の住み処のように見え、室内はくんずほぐれつとでも言うのか薄汚い下着類が洗濯漕の中でからまっているみたいだった。実際にそこにいたのはおとなしい、低く姿勢を構えた、精気のない、しかし人一倍執着心の強そうな夥しい数の老人たちでその眼の光がわれわれを迎えた。男女の別はなくほとんどの老人が和装で前をはだけ外界にいっさいの興味をなくし内界にのみ向けられた目は、やはり注意深くこっちをうかがってさも面倒臭く時折眼球を動かし、立って歩いている者はいちおう挨拶らしいことをしてきた。寝転がったまま眠ったり気を失ったりしているのでもない何人かは、解剖直前の蛙のような格好をして苦しみなのか痛みなのかよくわからない感覚・知覚的要素と闘っていて、彼らは電気をかけられ処置室から一休みして男の看護師に連れてこられた者たちで――その頃電気ショックはいわゆる「生」でかけられ脳が直接火で焼かれ水膨れの炎症をおこしたように感じられるはずだ――、私にはかっと見開いたまま瞬きをしない眼が世の中を今どういう色に見ているのかがはっきりわかったし、無限の電力で回りつづける換気扇の音を時間の流れのように感じているのもよく知っていて(つまり彼らの中で時間は死んでいる)、当初は珍しがられながら毛布をかけてやったりして介抱し、その反動からか最後の時期には聞き分けのない者たち/粗相をしでかす者たちを率先して電気ショックの血祭りに上げる張本人になったりもし恐れられもした。別段私に固有の変化だったわけではなく誰でも似たり寄ったりで、開放病棟の唯一の施錠である廊下の扉に錨を下ろすとき、やがては遠ざかり行く船を永遠に港に繋ぎとめたように思ったものだが、粗相をしでかす者が続出してその処置に追われるようになるとわざと聞こえるように刺し錠と回し錠を同時に乱暴に掛けてやったりして気を紛らわすようになり、多くのメディカル・オージナリがそうであるように次第に手段が目的化しそれが唯一のなすべきことのように信じ込んで、暴れ出す患者を抑える段になると血圧がさっさと上がったし、暴れた上尚逃げて手を焼かせる輩――このような段階を緊急的行動事態と呼ぶ――を行き止まりに追い詰めると誰よりも手際よくマジックテープでひとくくりにして新米の看護師を安心させてやりながら、いいか、まず手だ、次に口、だが口の方がずっと危険だ、そっちに絶えず注意しろ、いいか人間と思っちゃいけない、と研修の分際でひとくさりの忠告を述べる一幕もありで、数人でよってたかって拘束椅子に座らせる頃には縛り上げられた患者の周囲に安堵の笑いが満ちたもので、彼らは頼りになる研修のことを心のどこかで拒絶していたが同時に利用価値を認めていたし、私主導の懲罰同然の「生」の電気ショックの刑を見て見ぬ振りを決め込み、幸い機械を操る医師は私以上にそっちの気が強くて獲物を得た嬉しさにウヒウヒ笑いをおしとどめようともせずに「いいんですよ」と言ってくれ、出てきたキリキリマイの患者をおんぶして処置室に寝かしつけ、看護師が脈拍を測るのを目を細めて見守りながら――脈が上がるのかと思いきや下がるのが普通だった――、大丈夫ですか、頑張りましたね、と優しい声掛けをおこたらなかった。正義感の人一倍強い二三人の看護師が山中院長に直訴したのは聞いていた。しかし午後3時40分青い病棟(開放病棟)から白い病棟(隔離病棟)に移動するとき、共用のねんねこ半纏を羽織った数人の女の看護師にすれ違いざま飴玉をしゃぶらせることを忘れなかったし、ジャンポール・エヴァン・パリ本店のチョコ詰め合わせが特に喜ばれ、一人が後ほど宿舎を訪れて玄関で箱をくださいと言ってきて、定時の移動の際あらためて目を合わせた女はどうもその気があるらしいと判断して夜中に自室にひき入れ、若いだけの美的な価値を見出すことのなかった田舎出の小娘の丸い尻を撫でながら一夜を明かし――娘は19歳と自己申告したが嘘だろう――、一つの情報源の獲得から対応は療養所内の正義派より一歩先んじていて決定的なボロを出すことはなかったのだが、ある日隔離病棟への入室を拒む者の背中を、「なあに住めば都だって!」とどんと突き、背中に寒気を感じて振り返ると山中医師で「あなたそういう態度で本当にいいんでしょうか」と厳しく問い詰められた(慶応出身で穏やかな物言いだったがかえって迫力があった)。とは言え口八丁で法律にも詳しく(患者の人権に関する正統的な内容の論文を山中医師に提出したこともあった)、筆を持たせれば輪をかけて饒舌になって手をつけられないのを知っていて、携帯の電波の範囲外にそびえる巨大精神病棟の表も裏も熟知していて、週刊誌などに垂れ込まれる恐れありと判断されていたのか結局悪行の数々は不問に伏され、私もその一件の二ヵ月後形だけの慰留を固辞して研修に終止符を打ち二度と戻ることはなかった。  
Posted by yakibushi100g at 23:31就活!

2009年01月02日

イエロー

 あの一件のあとの「優秀な社内翻訳者」の態度は見事の一言に尽き、その少しの冷たい態度と最低限の格式ばった仕草で私はまったく骨抜きになり近づくことさえかなわず、沖に流された沖合いの小船の船主の犬同然で、犬掻きで近づき水から抜けて前足を砂にこすらせただけで、顕在化することのなかった学歴コンプレックスを見抜いたような嫌な横目で私をその場に釘付けにし、京大にノーベル賞の数では後塵を排する結果に甘んじてはいても汚職官僚の数では世界一を永遠に独走する天下の天下りの温床T大の印籠をちらつかせずとも自然にT大の名が話題になる一時も偶然のように重なった。謙遜の美徳のはずの、お百度のように頭を下げていた過去の自分がいかにも馬鹿に見えだし、AMでは知らぬふりを通した隣の、会社では向かいの男の求心力が一段高まったように思えて近くに居て遠くから見守ることを強いられた。やつの吐き出す息は、いなくなるまでの間奥歯でドライアイスの破片を噛んででもいるようにいつも白かった。
 あの男はトイレの惨劇を目の当たりにした新米のウェイトレスのギャ―!という悲鳴を聞いたかもしれないし、そそくさと退散した後入れ替わりに現場に向かい、理知的な彼特有の抑制をきかせて叫び――いつもそれほど沈着冷静だった――の後自分が汚名を帰せられてはならじとばかりに――T大出の保身工作は実に素早い――T大の血が騒いでさも要領よく事の次第を類推して見せて言葉巧みに新米ウェイトレスに現場検証に立ち合わせ、一刻も早い善後策を講じるべきと付言して店側に貢献する姿勢を示し、同時に自分に対する濡れ衣の可能性のすべてを剥ぎ取り、必要とあらば店に躾の悪い農耕場の後始末を強いるに至った事件の真犯人の手掛かりを告げる準備さえしていたに違いない。
 しかしこの秀才も郷田の前にはなすすべなく三回戦ボーイのように弾き飛ばされたのだ。というのも郷田の強引な性格に加えて、「仕事をしないのが仕事」と公言する営業部長とある日二人でランチミーティングに行って、犬猿の仲のはずの二人が2時間ほどして戻るとそろって頬を桃色に上気させてゆるめており――部長は当然だが女の郷田もその色は似合わなかった――、それは今から思わなくともゴールを共有した悪巧みの計画が練りあがったことの証だったが、二人で組んでお人好しで通っていたコーディネータ金子を第一の犠牲者として切って捨てることに成功し――部長にとっては仕事のできるやつはみんな敵だった――、その流れでもって人件費のもっとも高い「優秀な社内翻訳者」を火急の経費節減問題の悪玉菌に仕立てることは造作もなく、一段二段と高みに立てばそれだけ標的にもなりやすく(翻訳会社の実情に即して言えば1円2円と、と言うべき。基本的に10円で、彼は12円だった)、二人で無理を言って仕事を押しつけ無理を押して仕上げた彼の仕事の細部にくどくど文句を付け、郷田がどんだけ優秀なのかしら、へんね、などとしきりにつぶやくようになり、灰色の空気が社内全体に充満したのを見計らい、「会社存亡の危機を救うために――いったいどうすればいいんですか、わたしに教えてください」と直筆で大書した横長の紙をホワイトボード上の壁に貼り終えた社長が墨の乾き具合を確かめつつ脚立から降りようとしたところを営業部長がつかまえ、社長、人件費の抜本的な見直しを早期に進めない限り我が社は潰れますと直訴して社長は最後の一段を踏み間違えた。ああああと叫んでブラジリアンじゅうじゅつの必殺技をかけられたみたいにひっくり返って後頭部をしたたかに打った社長は、盆栽を何本も植えられそうな自分の大きな鉢を抱えて、うんうんうんと何度も首を上下に動かし、よろしんですね、社長、仔細を任せていただけるんですね、高い順から切ります、と目を輝かせた部長はかまわずに大の字の初老の男に迫った。
 「優秀な」彼自身毛並みの良さからか雑草のしぶとさとは程遠く進退問題に決着をつけたが、今から考えればどうとでもなる未来を楽観視しどうにもならない会社を悲観視して――事実あっさりと外資に買収された――検算済みの計算の答えを辞表に書き換えてあっさりと姿を消した。偶然のAMの夜以来鬱屈した思いを抱え続けていた私は顔をディスプレイからようやく上げることができたし、うっぷんを晴らすべく後姿にざまあみろとでも言ってやりたい心境に傾いたが、その原因を作った張本人は他でもない私であるのも事実で本当は複雑な心境であった。金子に言われてIBM社のマニュアル"DOMINO"を共訳したとき、ほとんど「優秀な」彼の手柄によるあまりの出来の良さにNLS(IBMの子会社)が高得点のフィードバックをよこした後、翻訳と校閲コミの料金を彼に提示して優遇したらどうかと私がもちかけ、彼の翻訳を私がほぼ独占的にスポットでレビューする形が固定するよう仕向けそれが功を奏して社内の立場が強くなると、トライアルの採点の一部をまかされるようになり、見込みのありそうな翻訳者を見出しては低目に点をつけ、合格に要観察を付記することを忘れず、自分が全面的にバックアップするからといってひどいときは7000/日ワードをこなし、月50万を越える手取りをまんまとせしめていた。やつの特別待遇がアダになったのだとすれば、その才能をいち早く発掘し一方で部長と郷田のデュエットに間接的に手を貸すことにもなった皮肉の味は甘く苦かったが、会社はしばしば経理が甘く、金子はと言えば伝票の整理が不得手でしょっちゅう発注書をよこさず、作業者が請求を立てられずプロジェクトが一段落するとフリーランス全員から集中砲火を浴びたが、表立って文句をつけないただ一人への優遇策か、率先して自宅送り届けられた発注書の記載に誤りがあってそれに気づいて尚訂正せず、翌日送られたその内容を一覧表にした請求書にはサインしてそのままFAXで送り返した。記憶の中のそり返った感熱紙の手触りをよく覚えているが、そこには紅天狗茸のけばけばしい水玉模様など透けて見えることはなく、二ヵ月後の――会社は締め日の翌々月末払いという違法行為を長く続けていた。朝9時入金は稀で、12時、時には夕方の5時になり、再三家主に割増をつけて家賃を支払うことを強いられた屈辱の日々も忘れ難い――冷たい吹き降りの水曜か木曜の朝、かじかんだ手で取り出した亡くなった三和銀行の文字の掠れたキャッシュカードで残高照会を行って意外にも弾き出された金額に、その場で二度ほど飛び上がった。
 故意に見過ごしたのであれば横領と受け取られても仕方がないような過剰請求は、入金の翌月末が期末決算で伝票を総ざらえして経理の知るところとなったが、しかし恐らく郷田はその前に気づいていた。金に手を付けた後の方が社内問題を犯罪という社会問題に転売できる絶好の機会で、金子のチェックで発覚するはずがない、だが経理のチェックで発覚すると知っていたのだし――発注のフォルダは社内ネットワークに置かれていた――、一介の非正規呼応社と雇用者とはいえ消しやすい邪魔者を消し、とりあえずそれ以上には消しにくい金子に冷や水を浴びせて下地を作り、セクハラと並んで恐れながらの直訴の格好の材料まがいの不正請求問題をワタクシし、自分では何もアイデアを出せない脚立から転げ落ちて以来ますます物忘れの激しくなった社長を神輿に担ぎ上げ、見せかけの二人三脚の物欲のはけ口を地位に求めた。人を切れば切るだけ社内の求心力は増し、経営陣の受けはますますもってよくなり、証人として仕事上手の発注下手の出る幕のはずだがすでにその椅子を金子から奪っていた郷田は容疑者を個室に呼び寄せ、あぶく銭で高級ワインを三本揃えていた引け目もありこっちがつい動揺して、その反動で出るところに出てもかまわないと妙な強気に出たものだから、証拠不十分で無罪放免されたものの結局のところ仕事を与えずに干すということだけで出来高払いのフリーランスは根を上げるしかなく、しかも干されたように受け取るのは干された当の人物だけで他者の知るところではなく、それは制裁とは表立って呼ばない種類の誰も注意を払わない自然の成り行きの制裁措置だった。しかし役員一歩手前の営業部長の名も課長待遇をつかんだ郷田の名も吸収合併後のC3B4の役員の名簿(同社HPで閲覧可能)にあるはずもなく、外資の人切りに比べれば二人はママゴトに過ぎず、時の流れで俯瞰すればあれが今に至る転落の始まりとも幾分か私服を肥やしその残り火で飢え死にまぬがれているから我が人生唯一の幸運とも言えた。記憶力がますます悪化の一途を辿り病院で長期入院の後アルツハイマーに認定された社長の転落は気の毒だったけれど、郷田らの悪巧みも善悪の判断が付けられないほど彼らの存在感は些細で瑣末で、何をやろうと会社員であることの宿命からは一歩も外に脱していやしなかったことの証明であり悲劇の名の元にひとくくりにできる人間的事象の堆積の一つであり、やがて腐葉土に化すであろう屍の時限的措置としてのはかない生命なるものの燃焼の一断片に過ぎなかったが、それはもうとっくに化石になっていた。ねえちょっと聞いています、あの、もしもし、大丈夫ですか、としきりに遠くから呼びかける男ははさすがに憤慨を露にして、目を見て話をしましょうなどと注文をつけた。我に返って岡野にはYesLocalise Japan悪くないですね、これならなんとかなりそうだと答えて、3枚つづりのトライアルの用紙を何度かめくったり裏返したりし、空想の中の世界に触らせないことに成功した。保険年金手帳の件、いいですね、なんですって、やっぱり聞いていなかったんだ、当社は…と法令遵守を徹底する零細企業ぶりを自慢げに話す岡野だった。就活!にふたたび血が通いはじめたとき、YesLocalise Japan(通称YeLo、イエロー)のトライアルはなかなかどうして難易度は高いとようやくわかったが、後に引くわけにもいかずそれよりも保険のことでまたロクでもない期待が膨らんでその後何を岡野が喋ったのかも覚えていない。  
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2008年11月24日

出鱈目なコメディ

 楽しみにしていたコメディ映画(「鏡の向こうのドンファン」)はなにもかも丸山嬢のせいで可笑しい場面が時に物悲しく感じられ、狭い館内に響き渡る笑いは古池を囲む草叢の鳴き交わす蛙の合唱か夕暮れの時の田圃のカラスの群れだった。慰める手立てはないものかと探して探しあぐね、このイタリア人監督のどうしようもない映画の画面を見つめるしかない、とスクリーンの方に顔だけをねじるように向けてやると、かがむようしてそれから元の姿勢に戻るときの髪のかかり具合が丸山嬢そっくりの女性を、主人公がアパートの中に無理矢理引き入れると、いきなりブラインドを下ろして部屋を真っ暗にした。光が一箇所から溢れ、映画の中の液晶画面が単調な環境映像を流し始めたのだとわかり、何がはじまるのかとこっちが前がかりになると、この整った風貌の中年男はちょっとした奇態な趣味の持ち主で、事実、女性は「この変態!やめて」と叫んだ。防音装置付きの部屋は同じジャンルの(と言ったら語弊があるが似たようなものだろう)大先輩三島由紀夫とおんなじようにありふれたインテリアの代わりのあふれんばかりの偶像で取り囲まれていて、これら置物の窪みに後ろ手に縛られて尚抵抗を止めない女の叫びはあたかも吸い込まれて行くように思えた。ミニスカワンピースの女をソファに横たえると、ないも同然のスカート部分を捲り上げ、なぜか沈着冷静なままの美男子にそう言われると女というものは掌を返したように気を許すものなのか、それともドラマツルギーの不徹底のゆえなのか、X脚気味の二本は恐る恐るではあっても確実に言われた通りに広がってゆき、アルファベットの通りにせよ、まだだ、まだ、まだまだ、まあだと狂ったように繰り返す男の言いつけのままに、V字を形成し、さあどうなるものかさらに一層暗いバウスシアター内の私が目を光らせれば、折りたたみの椅子を二つ置いて、そこに川の水草で撫でられて千年の時を刻んで磨かれた小石のような女の踵を一つずつ乗せ、くるっと後ろを向いて冷蔵庫からボトルを取り出し、音を立ててシャンパンの栓を抜き、グラスを一つだけ持った男は――その間目線を絶えず女に釘付けにし、カメラが女をとらえると、その目はもう男を期待含みで見返しさえした。だが、これも映画手法的には安易で脚本の質の低さをまたも露呈した格好となり映画館を出るか出まいかで思案する私を他所に画面は次のカットに進み、なぜパイプ椅子に女の踵を乗っけて一仕事終えたように悠然としているかだけはわからなかったので画面を注視していたが――V字の女の谷の中にイタリア人のくせにサムライに似た髭の中年野郎は素直に入っていったが、おおかたの観客の予想とは逆、私の幽かな期待と正対するように、すなわち女の方に背中を向けて、後頭部を女のこんもりした股座を枕代わりに押しつけるようにし、耳から前方に伸びた両足を肴にシャンパンを口に含み、渡り鳥の画像に見入り、無言で発泡酒を含んだまま時に太腿を噛んでは口を緩めた。この場面をのぞけばまるでいいところのないドンファンだったが(教え子の女は、アンプロテクテド・エンカウンタだったが妊娠をまぬがれ別の彼氏を見つけ、中年は未成年誘拐のかどで逮捕起訴されることなく大学に復職でき、結末はハッピーエンド)、彼氏を連れた丸山嬢のことも忘れて酔いしれた一場面と遭遇できたことは僥倖以外の何物でもなく、白々とした夕暮れ前の間延びした陽射しに放り出されて自然食品店ナチュラルハウスの前で丸裸になった私の眼前に、丸山嬢の前足の頬のえくぼのような窪みや後足に横に走る二本の皺をもう一度思い出させ、2年間見守りつづけた四本足は筋肉労働の悪弊かそれとも「あの季節」からの卒業を告げる予兆でもあったのか、次第に筋肉が付いて幾分か不恰好になり、素早い体重移動を強いられる職業ゆえに少々がに股気味になり、パンストが弛み、一言で言えばすっかり所帯じみた気がして一瞬「時には勝てない」という名句の悲しみが全身を貫き、私が愛したのはそれよりも揺れるひだひだのスカートと太腿との間に形成される不定の空間の際限のない変化のありようではなかったか、それは宇宙のミニチュアであり生命をもって立ち現れる無限の神秘の美的展開に魅せられのであり、やはり追い続け追い続けられていた肉よりも霊の存在の気づきに救済されつつ一層悲しみをかき立てられ、それは就活!のたびに持つ淡い期待を裏切られたという記憶の累積、女の抜け殻のような女どもと一人で一手にそれを引き受ける受胎前に母乳を出し始めるような過度に濃い女の間で繰り広げられた悪夢のような(あるいは悪魔のような)光景の数々と重なり、その悲しみはさらに膨らんだ悲しみによって残らず喜んで引き受けられた形となった。  
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2008年11月04日

丸山嬢

 「足のヴィーナス」を探し求めるその意味では永遠の狩人である私が、あの時ああした場でつまり今はなきAM吉祥寺店であの男と鉢合わせになったのは偶然のなせる技では決してなかったのだろう。あの男は私と同じタチだったのかどうか今もって判然としないが、しかし決してマニュアル(翻訳)に凝り固まっているわけではなく、どんな種類の仕事ににも対応できてしまうT大の折り紙付きのその優秀な頭脳は、私同様美的生活にも向いていたのだとしたら、あれはやはり男の失策以外のなにものでもない。なぜならあの会社で私が中央線住まいであることは席の関係からもそれとなく耳に入っているはずで、隠そうとして隠し切れるものではない美的生活者の匂いを同胞ならば感じて当然だったし、AMは平和の使者を鳩と呼ぶならその巣箱の役割を果たしていたのだ。店が自分で席を選べるのなら無論顔を伏せていたあの男が大気の揺れから人の出入を察知し、顔をおもむろに上げるその刹那、端正な横顔に余所見をしてくっ付けたみたいなアンバランスな頭の奇妙な傾斜角からこっちは相手を識別できていて、広い店内の張り出したテラスの方向にひらりと身をかわし、たとえ男からの識別が可能だったとしても、目を合わさない限りは他人のそら似で通すこともできた。しかしファミレスというのはお茶だけの客でも決して席を自分勝手に決められずそれがわずらわしくて旧三越沿いの「ようこそ」でおなじみのDまでもが店をたたんでいるというのに、その自由の剥奪のせいでAMが閉店に追い込まれたわけではないにしろ、世間一般のニーズをもう少し汲み取っても良かったはずだ。
 ああ、あなたなの、という顔をした丸山嬢、ああ、わたしだよ、という顔をして後ろに従った私との間に男の目がきらっと光った。その結果を招いた丸山嬢は私に店内では最後の最後まで一度も迷惑そうな顔を見せたことはなく、ああ、あなたなの、にはやれやれという思いの表出だけで、そうして当然なのに、招かれざる客の待遇はその時までは受けたためしがなく、抑揚の隅々に迷惑や嫌悪、警戒そのほかのネガティブな感情の吐露は決して聞こえず、待ち伏せをするようになった武蔵野の秋の匂いが立ちこめる九月以降はそれもすっかり様変わりしたとはいえ、かすかな受容、慈愛の念、いくぶんかの懐かしさがこめられていたことも珍しくなく、その理由をつまびらかにすれば平和の使者はともかくも一般客とは違う美的生活者の膝に当たる視線が快くもあったはずだ。嫌うだけ嫌ってもいいはずの理由をそれからしばらくして抱えるようになったとはいえ、それまでだってそうしたって良かったが、「焦げるほど見つめないで」の一言をウェイトレスという身分をかなぐりすてて素の自分で私の耳にささやきかけたのは冗談のつもりとしか思えないほど言葉をほとんど交わさずに良好な関係を保っていた。良きにつけ悪しきにつけ、丸山嬢は生来の楽天家でものに頓着する方ではなく、しかも根っからのホスピタリティをあまるほど持っていて、入口に近い四人掛けのテーブルがうるさい女の子四人で、気をきかせてその隣席となるのを避けて寡黙な男の一人客、すなわち職場で顔を突き合せていた男の左隣に神の配剤が下ったわけだ。
 「優秀なベテラン社内翻訳者」はたしかに私と目を合わせ、あっ!と叫んだとしか思えないほどの動揺が頬に走るかに見えたその前に、目の光をすっと落として、そうなって電池が切れたばかりの豆電球のように感情の表出をまんまと手早く見事に回避し死んだ目になり自分を殺し、取り残された突っ立ったままの私は相変わらず生きていて男の変化(へんげ)と隣を宛がわれたことの不運とやっぱり似てはいるけれどほんとは別人ではないかというかすかな期待のはぐらかしとで、前後を小学校の机で挟み撃ちされたように感じて、丸山嬢が対峙する二人の間に割って入ってメニュを置いてくれなかったら、今考えてもぞっとするような魔の刻がずっと先まで伸びていた。その後私は何を注文し、何を読み耽るフリをして視線を下に向けていたかはまったく記憶にないし、密かな愛の対象であった丸山嬢の膝に生じるえくぼ、それを私はやわらかな膝関節を包む骨の袋の運動の加減だと気づいていたし、膝などというものは存在せず、足先の方から伸びた骨と、骨盤や腿の付け根の方から伸びた骨の出会う接合部分だと見抜いていて、道路に例えればY字路や三叉路に近いのだと確信に近づいていて、そうすると随分空虚なものに惹かれたものだナという思いのある反面、だからこそそうした解剖学的分析を撥ね退けて余りある宝石を埋めこんだようなあの脂肪質の膝の窪みの怪しい光にのめり込んで行ったが、それすら忘れ、丸山嬢が近づいたことさえ気づかぬといったありさま、一方男は職場で差し向かいの時とはまったく別の一種異様なとでも言いたくなる無味無臭感をじわじわ浴びせて私はたじたじとなった。その源泉はうしろめたさであり、双方とも感じていたはずの、と付けたしたいが、頭の切れるこの男の完璧な所作で疑心暗鬼の黒雲に飲み込まれ、席を立てばいいのに凝り固まり、ただ呆然としてうな垂れて、小一時間たっても形成に変化の兆しはなかった。
 私は人の生活の影の部分と付き合っている後ろめたさについてよく考えることがある。つまり影の部分と関わりあいを持っているということを、自分自身の影ならそれを恥じ入るも良し開き直るも良しだが、第三者の影を知ってしまったという極めて仮想的な事実を、その当人によって認識されることを潔しとするかしないかについての迷いに似たある種の戸惑いのことを問題にしていた。今それを痛いほど認識している自分がいて、隣にいて国境線よりももっと遠くに感じる男の胸のうちを知る手段がまるでなく、もし影が、もしもし、あんたも好きですねーっの一言で笑ってすませられるような種類のものなら二人のわだかまりはあれほど深刻にはならなかった。「鳩は鳩によって鳩を知る」。一瞬のうちに互いに互いの現在過去未来のすべてを見てしまったのだろう。偶然AM吉祥寺店に立ち寄ったと考えにくいのは、店の作りがガラス張りで、初めての客なら外から中の様子を見聞してから入るはずで、同類であるかはともかく何らかの一握りの理由が彼なりにあったことは確実だった。
 悲しいことに今振り返っても、足のヴィーナスの狩人、美的生活者などと軽々しくいったところで、立派な背徳主義者で、場合によっては群れることを良しとしない無政府主義者のかけらをどこかに隠し、だからこそ同類を同類と断定できても同盟関係を結ぶわけにはいかず、感づいたのならそれは敵対という以外の関係を結ぶことできず、こうして影を膨らませつづける者たちは社会の裏へ裏へと追い詰められ故郷のない者の故郷と信じながら目前の土の中にかえって行くしかないのだが、あの時の1時間半を思い返せばそう結論付けるしかない。とはいえ、ずっと下を向きっぱなしではなく、店を出る少し前、私は生理現象に突き動かされてしぶしぶながら席を立った。トイレに入るや否や何度も深呼吸したことを覚えている。それくらい男の隣の私は息を殺していた。そして膀胱をさんざんに膨らませた農耕馬一頭を引き入れたかのような事態が起きた。すーっと体から力が抜け、半ば恍惚として天井を睨んでいて生理現象の真っ最中であることにさえ気を遣っていなかった。見事にまったくで、どういうことかというと己の糞尿を――正確に言えば尿だけだが――便器以外のあらゆる場所、漆喰の壁や床、籐製の屑かご、吸引棒、予備のトイレットペーパー、ティッシュ類に撒き散らしていたのだった。丸山嬢の手で注ぎ足されたおかわり無料のコーヒーを3杯飲んでいたし、暦の上ではもう冬だったし、あるいは馬さえのけぞるくらいの勢いだったかもしれない。幸い丸山嬢はトイレを出て席に戻りそそくさと帰り支度を始めると、反対側の社員用通路の奥から姿を見せ、レジでひとしきり話し込み、新人らしい女の子にクローズの仕方を復唱させていたから、被害者はこの愛くるしい大学一年生とおぼしき無垢の女の子に間違いなかった。犯人は誰か丸山嬢はわからなかったし、無垢のこの子もレジというファミレスの仕事の中では比較的神経の使う仕事をあてがわれて客席の細かな動向まで目を配る余裕はなかっただろうと推察され、名刑事になれるとすれば店側の誰でもなく、私の隣の「優秀なベテラン社内翻訳者」一人だった。あの後店には近づかないようにしながら、それとなく店の中を窺っていたが、偶然か丸山嬢を見かけたことはなかった。だだっ広い店内が爆薬で吹き飛ばされたように瓦礫の山になったときは、自分の犯した過ちの大きさを再認識して愕然とした。漆喰とか籐とかいうものは、材質からいっても水分を含みやすく、とくに尿素は水分が蒸発するほどに芯のほうに移動して濃縮されるわけだから、いったんああなってしまえば異臭はいくら拭いても磨いても落とせるわけがなく、運営母体である株価が低迷気味の上場企業はトイレだけでなく店内の全面改装を強いられることとなった(総費用二千万円は下らなかっただろう)。
 その後いつしか私はAM横のカワイエレクトーン教室に通じる階段で丸山嬢を待ち伏せる習慣がついた。リニューアルオープン直後から丸山嬢が復活し、かといってもう店に入る気になれず、ガラス越しに立ち働くきらきらした姿にうっとりしながら、姿を消すと所定の位置で今か今かと待ち焦がれ、私服の丸山嬢を求めて開いた少年ジャンプを上げたり下ろしたりしていた。3階には著名なマンガ家EHの事務所が入っていて、夢のような毎日を送る男のおっかけのような丸眼鏡の男女がサインをねだったり、アシスタントに取ってくれなどと就活!に勤しんでいて、その仲間であるかのように私は取り繕っていた。寒風吹きすさぶある日の夜遅くジーンズに着替えた丸山嬢は、愛を打ち明けるべくすっ飛ぶように追いついた私の待ち伏せを半ば予期していたかのようだった。しかし大真面目な愛のささやきに目を吊り上げるようにして馬鹿にすんなとかなんとか言って長い紺色の後ろ足はすぐさま闇に溶けていった。丸山嬢は毎年11月の下旬からパンストの上に大ぶりのルーズソックスを合わせるが、それをひどく気に入っていた私は片方が欲しいと願い出たのだ。今考えれば両方欲しいといえば記念品かなにかのためと思ってくれたのだろうけれど、いともストレートに片方だけと告げ、彼女にも片方に固執する理由を推察する権利はあり、その用途に手応えをともなったなんらかの確信を抱いたのだ。こうしてチノクロスパンツの尻を汚し続けた愛の告白のための二ヶ月間は無駄に終わってしまい、会社では「優秀なベテラン社内翻訳者」に極意を尋ねる回数がまわりの誰かが喧嘩でもしたのと訝るくらいめっきり減り、ためにあれほど好評だった自身の訳文にも翳りが見え始めた。丸山嬢とは彼女が地元の私立大学Sを卒業した後に一度だけ通りで見かけ、同じ年頃の男の子と一緒で、彼氏ができたことを耳にしていたから驚きも落胆もなかった。丸山嬢がすれ違いざまたしかに私と目を合わせたその目は湿ったガラス玉で、彼氏を見上げたとき―彼女は172cmだったから、彼氏は184cmくらいあった―――同じガラスに炎の色が燃え立ち、それが空を映す濃いブルーに染まり、今度は神秘的な暗黒の中に小さな無数の星屑が瞬いた。エノテカ吉祥寺店前の信号が変わって、ちょうど二人がアーケード街にさしかかるところ、私はバウスシアターで楽しみにしていた映画を見るところだった。  
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2008年10月20日

優秀なベテラン社内翻訳者

 しかしいざこざがあって職を辞し、古巣に戻るのをためらうというのは、事情として刺激的で特に面接官を相手にすると楽でなく、あたりさわりなくお茶を濁しながらやんわりと婉曲に断るつもりが、削減箇所を間違えた大型ドリルみたいにデリケートな地盤にやたら鼻をつっこんで削って掻き回し、ために足元はふらつき、岡野は瞬きを多くし、遠くに目をやるような調子で私の額のあたりに視線を配りつつ、ドリルの持ち手を自分のものにしようと目論んでいた。ほうっと言って間を置いて隙間を埋めるように促すつもりになったとき、こいつのは人事担当者の目つきじゃない、商人の目つきだ、いや女衒のそれだ、こいつは面接官のくせして面接に来た翻訳者を男の娼婦くらいにしか思っていない、だが落ち着いて考えると、そもそもヒューマンリレーションというのはそういうもののはずで、つまり買うか買われるか、女の最古の職業が娼婦であってみれば、男の最古の職業は殺し屋でなければ娼婦だ、と気づいて、ほとほと呆れ腹も立ったが、相手の言い分のこのままじゃないけない、こんな片肺飛行をいつまでもつづけられない、当社と契約していただければ健康保険証に入ることができる、年金のほうもなんとかしよう、の一言に思わず身を乗り出した。女衒が天上の天使に見えたのだが、今考えてみれば食い詰めた者の心理の綾をよく読んでいたというに過ぎず、岡野は人情肌でもなければEI社は優良な企業でもなかったのだ。
 関東ITソフトウェア健康保険組合といって、IT関係の職能技能者のための組合がある、EI社に登録していただければ契約の形態にかかわらずに適用を受けられる、たぶん国民健康保険に加入しておられるのだろうが、EI社は業界の人材使い捨て体質に異を唱える安定雇用追求型の人材派遣業者業者だ、会社側が半分負担することになるから保険料は今までの半分、それに加えて社会的な信用もつく、斡旋が軌道に乗ればあなたは書類の上では正社員とまったく同じということになる、これからのことも考えて、いっそのこと奨める会社に正社員で応募してみてはどうか、駄目でもともとではないか。
 斡旋先の第一候補は代々木にあるベルギー系企業で、親会社はソフト開発を手がけるユーロ圏の中堅企業、冗談みたいな名の「ジョーカーズ・ジャパンJokers Japan」で、冗談の嫌いな私には最初から向いていなかった。岡野はいくぶん興奮ぎみに頬を赤く染めながら――斡旋が成功すればよほど高額な紹介料が手に入るのだろう――、Jokersは異種混在のストレージ環境を階層化して単一のプラットフォームにたばねるcombineユーロ圏の標準ソフトの一つだ、そういう冗談みたいに素敵な次世代の技術を標準化した、階層化することではじめて仮想化が可能になる、そのメリットはおわかりになりますね、と疑い深い狐目になった。さっぱりわからない私はニコニコ笑いながら、もちろんわかりますよと答えた。
 Jokersは正社員以外を募集していなかった。IT業界はレイオフできるそのとき限りの人材handy manより、魅力的な条件に相応しい優れた技術者real engineerの囲い込みに乗り出している、そうした労働者本意の風潮を先頭に立って引っ張っているのが、皮肉にも業界に鬼火を放った外資系企業群であり、Jokersもその中に含まれる、と岡野は言いながらファイルをめくってトライアルの見本を私の方へ滑らせた。一見しても二見しても、どういう種類のトライアルなのかの検討さえつかない内容のA4が十数枚で、とにかく多種類のツールを使って訳質の向上と能率の向上を図る企業であることは間違いなかった。文系の一次試験にやって来て、難問ぞろいの物理の試験問題を見せられた受験生の気分に浸りきったとき、そこに追い討ちをかけるように、プロジェクトの主要なファイルはフリーランスに任せるからその間はPMの仕事だ、Jokersの場合むしろプロダクトマネージャーというより、プレイングマネージャーと解釈したほうがいいだろう、と岡野は言い添えた。私は微笑を繰り返し、根が翻訳者だから、言葉を一個ずつ追う職種がいいと喋ろういとしたところで、短い千ワード以内のものはin-houseになる、あなたの力を存分に発揮できる会社といことになります、と口を挟んできだ。嵩にかかった岡野をなだめる方法は、むしろ不安気な様子を積極的に表に出すことではないかと気づき、ちょっとハードルが高そうな感じがするのですがと実直を装い、申し訳なさそうに言うと、相手の反応から推しては的を得た感想のようだった。分業ではなく、本社からの依頼プロジェクトを一つのユニットとして社員が一名ずつが請け負い、独立採算性のようにして、手配から検査までを自分で全部して最終形にもってゆくが、その間スケジュール、予算管理も同時進行になろう、ただし年収は500万は下らない、ここを紹介して人たちはみんな私に感謝してくれている、第一定着率が高い、と岡野は大黒様が痩せていれば似たであろう笑みを返してきた。
 思い出したのはあの愚かしいとしかいえない夏の日の、西新宿の野村だか新宿センターだかのビルの上層階の、シカゴの大学教授が創始者というISO審査機関の面接場面で、2次面接に臨んで、立派な本革張りの背もたれに座らされた6名は、希望する年収を赤毛の人事部長に問われて、左から順に答えたが、牛丼屋風情の肩を縮めた小男から、女子大生パブの元ホステスで外人客を味方につけて成り上がったとしか思えない、上唇の薄い化粧のどドキツイ女――話す英語は見事だったが、媚びる調子を帯びていた――に至るまで、800万、1,000万と矢継早に告げ、450万と喉元まで出かかっていたのを引っ込め、1,200万に切り換えて言い募ると、赤毛の目の輝きが一段と増したのだった。最終面接をそのころはまだ普及していなかったテレビ電話のシステムを通して行うことになり、当然のことながらアメリカの社長の時間に合わせることとなり、社長はランチの時間がいいと駄々をこね、当然のことながら日米は昼夜が反対だから、それは日本時間では深夜の2時過ぎだった。
 話がねじれてはまずいと判断したのは、外資の責任あるポジションで年収500万は安すぎるのと――通常外資は1年契約、しかも退職金などつかない――、岡野の本命を外せば次の紹介はないだろうと読めたからだが、それよりも今思い出したがその時すでに自分は翻訳者をやめていたし、その能力をあらかた失っていて、1年以上も前に吹っ切れない心を吹っ切るために、プロパンのボンベに引火すれば大惨事になったはずの火事を出した隣の民家(板東さん宅)に無理を言って、そのもとになった錆びた焼却炉を貸してもらい(私も含めて近隣者が消火活動を手伝って延焼を免れた)、突然舞い上がった炎の中に用意していたネクタイを全部放りこみ、からみあった五色のニシキヘビが黒く灰と化す場面の一部始終を胸に刻み込みながら、オーム社の科学技術用語辞典やその他もろもろの技術系英和辞典しめて15冊の葬式とサラリーマンの自分のを同時に出した。
 そもそもここに来たのが間違いではなかったか。きな臭いにおいを嗅ぎながら、そんな物思いに沈み始めると、岡野は正社員になれるのです、なんでですと譲らず、本音を曝け出すのがもはや億劫で、どう話がこじれようとどうでもよくなり、別の理由を述べた。しかしそれもまた事実で、私は会社の課す健康診断に耐えられなかった。病院に行くことができなくなって25年の歳月が過ぎ、国民保険の滞納分25万円に関してもやましさはもっておらず、医者にかかるかかからないかで言えば保険は不用で、関係機関とのやり取りは、私との間の「社会なるもの」をめぐる一つの攻防なのであった。社会は存在しないとする自説に固執するためには、無条件で認める人々、役人、警察官が大切な存在であり、決して悪意の未納者というわけではなく、いつかは全納したという純粋な希望に日夜突き動かされていたのも、彼らに対して親近感さえ覚えていたからだ。だが、正社員という道具をきちんとメンテナンスして突然死のリスクを抑え、人件費がかさんだりしないようにするという意向が、外資/非外資を問わず正社員採用の発端の戦略としてあるはずで、いかなる意味においても、Jokers Japanは無理だ、と重ねて言い、滲み出た唾液で舌の回転が活発になりそうなのを感じながらも、理屈っぽい理屈に飽き、三分の一に減った粉砂糖の袋を見て明日死ぬ自分にとって残りの三分の二は一体どういうことなのかを考える日常だ、と言うにとどめ、何を訳のわからないことをとやや怒った様子の岡野には透明度の低い微笑をやんわり返すしかなかった。
 「もう帰ります」「ちょっと待って」式の押し問答を繰り返した後、Jokersの代わりに岡野が口走ったのは、これからも決して忘れないであろうYesLocalise Japanで、最初耳にしたときはJokers Japanに勝るとも劣らないほどふざけた名だ(ハイ、ローカライズします=ハイ翻訳します日本社)、と拒否反応を起こしかけた。トライアルのサンプルを見せてもらうと、A4が2枚で、ちんぷんかんぷんというほどではなく、ふつふつとC3B4時代のスキルと思い出したくもない記憶が甦り、ようやく希望の突破口のようなものがずっと遠くにたった一つの就活!のいさり火のようにちらつき、いつも右肩が下がって歩くとキリキリマイする印象を与える女、郷田(仮称)に辞めさせられた、互いに意識したりされたりする関係が長く続いた「優秀なベテラン社内翻訳者」の薫陶の影響が強かったのだと今更ながら思い知らされた。  
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2008年10月14日

ナントカジャパン

 岡野は私の胸のうちを読み取ったように訳を話した。われわれの棲む業界にも外資の波が着実に押し寄せ、結果はもうわかりきっている、津波に一飲みにされたも同然で老舗が暖簾を次々におろし、少しは見込みがあると見た中小を束ねて新しい看板を掲げるようになった、つまり、一言で言えばなんとか世間並みになった当業界はナントカジャパンという名の会社がここ2年のうちにあふれかえって、その流れはもう変えられない止まらない、だってあれでしょ、話を逆にして、日本の会社がアメリカの会社に乗り込んで行って営業をかけられますか、そんな営業力があるわけがない、ところがアメリカはそれを平気でやる、インドにも中国にも行く、日本はそういうことができない、英語を母国語としているから、戦略的な構想がちゃんんと練れているから、日本から見れば極端な成果主義が徹底しているから、何より潤沢資金があってドルで決済できるから、これから紹介する会社の中にもジャパン付きはあります、その会社はあなたがこの経歴書に書いた会社をすでに取り込んでいる、とにかくそれが当たり前の時代になった。
 喋り続ける岡野が一息入れたのを見計らい、ようやく就活!に水を向けさせることができたが、そうでなければこの男は面接のことを忘れて夕暮れまでずっと外資のことで愚痴っていただろう。ようやく岡野の口から、EI社は事実上翻訳会社としての活動を停止し、外資を中心に人的リソースを供給して糊口をしのいでいることを聞きつけた。そういうことです、お呼びだてしたのは当社で働いてほしいということではなくて、働き口を紹介できるという意味だ、これこれここに書いてある中野の会社、いま高輪のC3B4ITジャパンですよ、こんな社名何度聞いたって覚えられない、これはアメリカ人のセンスだ、こんな無機的な名は日本人には向かない、ところが大連でもムンバイでもシンガポールでもドバイでもダブリンでもってことになると、こういう社名が中立的でとても喜ばれる、高橋市次郎商店では海外展開は不可能です、C3B4いかがです。
 古巣に復帰というのはどういうニュアンスのことを指すのか知らないが、百パーセント薔薇色という意味ではないだろう。プロスポーツの世界では頻繁に用いられようが、かつての力を出せずに別のチームで構想外になった選手が、元のチームに戻るときに以前よりも安い契約で手を打つ一種の下取りセールに近い感覚をこの言葉は荷車のように引きずっている(引くのは驢馬)ように思われるし、それでも双方に気心が知れているというメリットがあって、古巣なるものの気配は試合よりもその前後のロッカールームの中とか、見栄で買ったおのおののドイツ製高級常用車に乗り込む別れ際の情景に濃く立ち現れたりするもので、それがやはり悲しい。C3B4の直の最後の担当者は新参者だったが大威張りの壊れたロボットみたいな自称おばさんのバイリンで、スチュワーデス顔の新人の背中を朝一番にどんと付いて脅かすところからも美醜に並々ならない関心を持っていたのは一目瞭然で、世話になった排気量が多いのが取り柄のどうしてもいい人に見られて膨らむ一方のワークロードに耐えかねてあるときプツンと切れた、芋煮会が三度の飯よりも好きだったコーディネータの後に付けられて、最初はそこそこにやっていたが―この手の女のあしらいは上手なほう――、最後の最後は東京都の定める最低賃金730円を下回る給料でもめて(もめるのが当たり前だ)、こうなったからには部長の返答をお聞きしたい、こっちは出るところに出てもかまわない、とこの負け組の頭越しに言って会社と決裂してしまった。優秀なベテラン社内翻訳者も私同様、左右の体のバランスが悪く、歩きながらキリキリマイしているような印象を与える一度もスカートをはかなかった女の餌食になったのは後で知った事実で、私のは事情が事情にしろ、あの女がいなければある程度すんなり溶け込めそうな気の方向に、執拗な岡野の粘りに相対して少しずつ傾いて行ったのだが、頭の上にアンテナを立てて尖らせ電波をキャッチしようとすれば、高輪の方角から女の波長がかすかに感じ取れた。  
Posted by yakibushi100g at 21:07Comments(0)TrackBack(0)就活!

2008年09月29日

面接すれ違い

 ネクタイをしめて髪をきちんと分けて目立たない色の鞄をもって、なんていうリクルートっぽさは当業界ではナンセンス、普段着でないのは禁物。もしこちこちに緊張した就活!中の大学3年生みたいな顔をしていったら、一発でこいつは怪しいと睨まれる。リーマンブラザーズ(=サラリーマンの兄弟)がぶっ潰れて荷物を引き取りに来たダンボール箱一つ抱えた男女を思い出してみればいい。ああいう多少ふざけた普段着の中にきらっと知性を光らせられるのが本物の証ということになるが、それでも限度は確実にあり、たとえばIBMは極秘に服装調査委員会を設置して覆面の社員が常時それとなく服装の乱れをチェックし、取締役会で定期的に実名付きで報告がなされているのは有名な話だ。ジーンズは避けたほうがいいし、靴はスニーカーまで。ビーチサンダルをどうしても履きたいならそうすればいいが、それなりの理由をはっきり言えるよう準備する必要があり、賭けだがそのときの受け答え次第では功を奏することがないわけでもないだろう。この業界は基本的にはいびつな頭の、精神の栄養に関しては極端に偏食に傾いた、一般社会人になりそこねた、世間的には奇人変人の類の寄せ集めだし、そういう人間で成り立つ世界にこそ適応力があるのを見せつけるのは別段悪くないということだ。
 辞書的定義というのは、話し言葉先にありきであって、自然発生的な配列規則の成立とあいまって、貴人お抱えの暇な学者たちが法則性に目覚め、部品である言葉を網羅的にまとめようとしたのきっかけだろうが、裏には隣国を侵略したいとう野心が後押ししていたので、そういう策謀家の心的エネルギーなしには成立するわけにはゆかない。支配の構造には法が不可欠で、法を操って民や領土やモノを自己に有利に扱い、それに合理性を付加し支配体制をものにしきた歴史の背景には、文法という懐刀を得た言葉の魔術が存在する。
 そういう言語のエキスパートであることを示すためには、時にはビーチサンダルを持ち出すのも悪くはないといいたかったのだ。したがってスニーカー、チノクロスパンツ、洗いざらしのふざけた柄のシャツを身に纏って現れた私にあった懸念は、シャツの裾を外に出したほうが、それらしいかどうかということだけだった(実際にどうしたのかは覚えていない)。約束の時間に、びっくりするほどの店舗面積のツタヤのあるビルの横に回って、びっくりするほど小さなエレベータに乗って3階に行き、まずいつでも最重要事項であるトイレの下見に出かけてまずまずの感触を得て、比較的元気に挨拶の第一声を上げたとき、オフィス内に人気がなかったのには少々唖然とした。
 時間は合っている。しかし待合室も何もない、奥に広い構造を持ったオフィスで、右手に空席の机が四つ、視界に入る奥の間は電源が落とされ、左手は高いパーティションで完全に塞がれていた。出直すしかないと判断し、中断した思考の糸をたぐりよせ、いい例の現在進行形がアメリカという国だ、あんな野蛮な卑劣な海賊がなんで大手を振って国際社会でのさばりかえって、民主国家としての自らの利益を享受し執着しているかといえば、とりあえずどういう種類にしろ、裁判をやって決着をつけて許すべからざるべき諸々の判断に正しさ/真実味を注入しようと試み、英語という言語が、第一のならず者イギリスが有色人種を殺し殺してその歩みと二人三脚で築いた下敷きの上で、精緻な利益の分与にたまたまというわけでは決してない熟達した体系をすでに保っていたからであり、何から何までゼロから裁判を友にインディアンの棲む荒地に杭を打ち込んでぶん取り、笑顔と絞首刑の保安官とともに血を血で洗い聖書で清め、と糸を紡ぎ直したところで、自分は世田谷区の住宅街の真っ只中にいることを、塀の向こうからの親爺の冷たい視線から嗅ぎ取り、地理的には7.8km先であることを確かめていたものの、角を右に曲がれば目に焼きついた赤い花をもう一度見てしまうような気がして逃げた。さっきの場所まで戻ってエレベータに乗り、何階かをもう忘れてしまったので、三つばかりのボタンを出鱈目に押し、最初に扉が開いた階で飛び出して、突き当たりのドアまで走ってゆき、中に飛び込んで惰性で走りつづけて立ち止まれば、小柄な男とばったりでくわし、目を見開いて、どうもと言い、こっちもどうもと応えても相手が約束の当人かどうかは定かではなく、間違えましたと訂正すべきか、と間合いを取っていると、企業人というより学者というより科学研究所の助手といった風情の男は、名刺を取り出して、主導主事の岡野ですと名乗ったから、胸を撫で下ろして自分の姓をぼそぼそ声で明らかにした。しかし随分せっかちらしい相手はずっと先で電気をつけ、抱えていた分厚いファイルを叩きつけるようにして置き、こちらへと殺風景な会議室へ誘った。素晴らしいご経歴の持ち主と褒め上げた男を眺めた岡野は自分の台詞に見合った男かどうかをめぐる人物評価で頭がいっぱいのようだった。しばらく黙っていて、おもむろに話し始めたがさっぱりついていけず、はあ、とかうーん、とか言って取り繕うも、岡野は次第に痺れを切らした様子を示し、こっちも弛んでいた神経をぴんと張って身を乗り出すようにすると、言葉が耳に入り出したのはいいが、全然別の名を持ち出しているようであった。うろたえて書類に目線を落とし、ようやく誤りに気づいて失礼を連発するので、私は両手で制して、私が階を間違っているのかもしれない、岡野という名はそう珍しくないと言いかけたが、いやいやと書類を一つめくって、今度は私の姓を口にし、間違いありませんねと念を押した。
 ローリングをつづけた手漕ぎ舟はようやく渓流を下り始めたはいいが、どうやら岡野は雇い入れる気はさらさらないらしいと窺い知れた。しかししきりに熱心に他社の名を口に出すので、おかしいおかしいと思いながらも笑みを絶やさずに聞き入れる様子を繕うと、最初から私を出向対象者として扱い、相手の岡野はすなわちEI社は翻訳会社ではなく人材派遣業を営む会社として振る舞っているのに気づいた。それもいいだろうと、だがしかし、と宙を舞うような心持ちの中、それでも笑みを絶やさなかったが、少し落ち着いて考えてみれば、流行っている会社がほぼ(岡野を除いて)無人というころはありえず、してみればEI社は翻訳会社をとっくの昔にやめてしまっていて、あの唯一の命綱のSource Book が2002年「通訳・翻訳ジャーナル」の付録であってみれば、月日は百代の過客にして行き交う年もの通りで、6年間は長い旅だったようなものだ。  
Posted by yakibushi100g at 00:11Comments(0)TrackBack(0)就活!

2008年09月23日

駒沢大学前へ

 就活!の基本は新聞の求人情報だという。日経か朝日がいいのだそうだ。英語を生かせる仕事を探す向きにはJapan Times。当然のことながら、蛙だった私は幾度となくくいつき、コンビニで買った十枚入りの履歴書がたちまちそこをつくということが何度もあった。まさかそんなことはないはずだが、履歴書を木曜の夕方に出し、金曜の午前中(11時ごろ)早くも断りの封書が投函されていたのには唖然とした。そのうち投函するよりも早く書類審査落ちが通達されるような気がしてきて、やる気をめっきりなくしてしまった。英字新聞は、Daily Yomiuriもけっこう充実してきたから(ネイティブにはなんとJapan Timesよりも受けがいい。英文の質が高いんだそうな)、人に言われてこっちにも触手を伸ばしてみたが、外資は履歴書を送り返す習慣がないから、まさに梨のつぶてで、憂鬱がこの秋のように深まるばかりだったのを思い出す。
 寝っころがってばかりいた私がとっかかりとしてつかんだのは、やはりSource Bookで、そこには黒の油性ボールペンの書き込み、赤の水性ボールペンのメモ、ピンクのマーカーの丸印、茶のマーカーのアンダーラインと、この8年間の苦闘が刻まれていて、今更幕の内弁当野郎を雇ってくれる会社などあるのかと途端に弱腰になった。ところがだいぶ後ろのページで、聞き覚えのある会社の名前をひとつ見つけた。そうそうある名前とは思えないT社は、QMC社に出入していた会社で、担当者の男は十分おきに電話入れてくるまさに電話魔で、一度会社に訪れた際トイレにゆきながら顔を見てやったら実直そうな白髪の坊主頭で、恐らくは同族経営の有限会社の社長なのだろうと思った。しかしホームページにアクセスしてみると、名だたるクライアントの中にもちろんQMCの親会社の名もあり、DTP関連かとおもいきや、もともとローカリゼーションが専門の会社なのであった。なぜあの白髪の男が電話魔に徹していたかといえば、すなわちQMC社は重要クライアントだからで、なにかといえばしきりにしきたりを重んじ、社員以下アルバイトを含めて社長席の後ろの壁に設えた檜の神棚に毎朝柏手(kasiwade)と一礼を強要するような社風にはうんざりを通り越して嘲りが常態となるにつけても、思い返せばやはりたいした会社であり、その一員だった。であれば河岸を変えてそっちの一員になるのも悪くない、これで第一の標的は決まった、もしも面接までこぎ付ければあの白髪坊主の名を出し、多言語関連の経験もすでにあると声を大きくすることもできると、シミュレーションの場面が膨らみ始めかけたが、そういえば自分のポリシーとして、まずAからではなかったか、リストにしろメニューにしろ、まず迷ったら先頭にかけてみるという原則を思いだし、突如目標を変更、AからDまでは印が打たれていたりアポの時間の書き込みがあったりでパスし、EI社のホームページにアクセスした。トライアルをダウンロードできる形式ではなく、職務経歴書をメールするパターンで、これで落ちてしまえば最愛の語学力を実証する機会は与えられないではないかと憤ってみても、そういう会社は人物評価を優先するわけだから、今すぐの斡旋は見込めなくともほかで動いていて忘れたころに打診があったりするかも知れず、頼みの綱としての活用もできそうに思えてきて、雛型に色をつけてさっそくでっちあげの職務経歴を送ってみれば、もうその日の夕刻には責任者らしい男から留守番電話が入っていて、真面目そうな声で、一度お会いしたい、素晴らしいバックグラウンドをお持ちの方とお見受けした、と録音されていたし、パソコンを立ち上げれば、メールで同じ意味のことを述べており、携帯にも同じメッセージが残っていて、必要とあらば、都合のいい場所で待ち合わせて膝を突き合せて話をするというのはどうかとの提案までしていた。それには及ばない、御社に出向きたいとメールで応え、砂埃の舞う新玉川線駒澤大学前に降り立ったのは、その五日後のことだった。  
Posted by yakibushi100g at 02:47Comments(0)TrackBack(0)就活!