ライブドアブログ


ご愛読して下さってありがとうございます!

本日を持ちましてアメブロにお引越しいたします


http://ameblo.jp/yakocchi-29/
ブログの名前も同じで、ライブドアでの日記もそのままお引越ししました

社労士受験生ブログとして書き始めたブログですが、私にとってとても大切な軌跡となりました

今まで本当にどうもありがとうございます

これからも、引き続き「やこっちの花咲ブログ」をよろしくお願いします


新たなお花畑を耕しながらワクワク癒され中です。
今日、人とお話ししていて貰ったメッセージ
「ビジョンに生きるのではなく、ミッションに生きる。」
ビジョンだと自分の力でなんとかしなければならないけど、ミッションだとあちらからの力が働く。
確かにな〜。
ゴールを設定するのにある程度目標(ビジョン)は必要だけど、
ビジョンばかり見ていると不安になってしまう。
目標があるということは、現状では自分は目標に達してないとうことだから。
ビジョンを達成しようとして、頑張るのではなくて、
今の自分が目の前の状況や人に対してできること、
今、今日の自分の使命・ミッションに忠実に行動していくこと。
それが大事になってくる。
ビジョンが決まってしまえば、ミッションに従ってそこまでのプロセスを経ていくだけのこと。
ビジョンだけを追いかけると、目の前のことがおろそかになり、
周りの人を大切にできなくなり自分自身も大切にできなくなってしまう。
今日、今の自分のミッションは何なのか、
他でもない今の自分ができる一つのことは何なのか。
ビジョンから見るとギャップに情けなくなり、それすらも手につかなくなってしまう。
ビジョンを俯瞰する自分は手放しでそこに置いておいて、
今の自分はミッションに委ねて、
心の中の感情を羅針盤に、
心地よい方に従って行くだけのこと。
何気ない日常のひとつひとつが立派なプロセスなんだ。
出来ない自分やダメな自分も認めつつも、今自分にしかできないことがあるはず。
特別に人のために何かやりなさいと言っているんじゃない。
自分の為だっていい。
自分の為じゃなくて、誰の為にやるのか?
自分を満たすことは、悪ではないよ。
本当の自分は何がしたいか、自分の中の真実に光を当てていこう。
月曜日に、彼女に誘われてスキマスイッチのライブに行ってきました
スキマスイッチのCDは全然聞いたことはなかったけど、ボーカルの大橋さんが徳永英明の大ファンで徳様の曲をカバーしたりコラボでステージをしていたのを見てたので、なじみがありました
長年、徳永英明のコンサートだけには欠かすことなく通っていて(中学生の頃から・・・) でも、大好きなだけに、子供の頃は本当に緊張して聴いていたし、ノリたいと思っても周りの人と動きが外れるのが恥ずかしくて、周りを気にしすぎて不完全燃焼したりしていました
そのうち、1人で行くようになって、「徳さんコール」もできるようになって楽しみ方が分かってきたのだけれど、その間に徳さんは脳の血管の病気もしたし、いい歳を重ねられてきました
だから、実は、ちょっとここ数年、大人しすぎてちょっと物足りなかった
・・・ということに、昨日のコンサートで気付きました(爆)
全然知らない曲ばっかりだったけど、ずっと体が動いていてノリノリで「イェーイ!」って叫んじゃったし楽しかったぁ〜・・・
でも、これって、普通のことかもしれないけど、やこっち的にはスゴイことなんです
それを語るには、インドの話から振り返ります
インドでの研修で、セッションの中で瞑想状態で音楽に乗って好きに体を動かす時間がありました。
その時に、初めて体を自然に音楽に乗せて、自分が動きたいように動き踊りたいように踊れる。。。という、とっても心地よい体験をしました
自分でもビックリするくらい、どこで覚えたのって感じの不思議な色んなものが融合したダンスを自分でしてました(笑)
それから、年が明けて満月瞑想のワークショップに久々に参加した時に、瞑想への誘導のために、音楽をかけてそれに身を任せる時間がありました。
以前にそれをやった時は、体がピクリとも動かず「胡坐で座ってるし、こんな状態で音楽に合わせてカラダが乗れるわけないじゃん」って思ってたけど、ここでも自然に体が動く自分を発見してました
ほいでもって、前日の日曜日に【音魂アーティスト】の奈良裕之さんの瞑想セッションを受けて、音の海に身も心も委ねながら、体が自然に反応する体験を、またもやしていました
そこからの、コンサートです
以前の自分とは、違うことに気づきました
とてもナチュラルな自分がそこにいました
音楽も楽しいし、周りを必要以上に気にしていない自分がいることも、プラスで楽しかった
今ここにいない自分を発見して、このコンサートの音楽の中にいる自分を本当に体験できたような感覚もありました
自分をナチュラルに導いてくれる音楽って、いいなスゴイな
って改めて実感しました
それと同時に、いかに自分がこれまで、カチコチでマインドに捉われて委ねることができていなかったのかってことも実感しました
だから、それを紐解くコツも、ちょろっと見えた感じです
本当に、私ってリラックス下手で、実は音楽とかゆっくり家で聴いたりできないんだよ〜
自分を緩めるの本当に苦手
でも、日常で緩まる自分を知ることができたから、嬉しい
瞑想だけしていても日常と繋がらなかったら、分からなかったと思う。
このタイミングで誘ってくれるなんて、さすがのハニーに感謝
とても息が浅くなっていますよ
実は気付いてるでしょ? 自分のカラダのこと
分かってあげて
気付いてあげて
感じてあげて下さい
あなたは ひとつの事を達成しました
それは、当然の流れの中にあるようにも思えます
当然だろうが 必然だろうが
あなたは あるひとつのことを 乗り越えたのは事実です
その事実に留まる必要はありませんが
しっかりと 達成したことを味わって下さい
次の段階へと自分に課題を課す前に
勇んで歩みを早める前に
充実感と 満ち足りている自分をしっかり堪能して下さい
リラックスして休息を許しましょう
頑張った自分を称えましょう
恐れを乗り越えた自分を誉めましょう
傷ついた自分を癒しましょう
自分の望む幸せは すでに手の中にあることを思い出しましょう
それは成長を止めることにはなりません
次に進むには それからでも何も遅いことはないのです
リラックスすることで 初めて身を委ねることができます
リラックスするには 深く呼吸することが必要です
自分自身の成長を切望するとともに
他者との関わり合いの中で見いだせる 成長への援助を
喜んで受け取りましょう
あなたは何も考えて行動することはないのです
関わりを恐れず 喜びと感謝をもって受け取るだけです
恐れは幻想にすぎません 「自分をもっと愛してください」
行動できないときは ただ静かに呼吸を感じていましょう
リラックスしてください ただそれだけです
自ら流れを起こすこともなく
流れに逆らうこともなく
悲しみや疲れも 流れるままに感じましょう
それは 流れていくものです
もがけば 流れは滞ります
流れを感じるために必要なのは 息をこらすことではありません
必要なのは 呼吸です
呼吸によって カラダのすみずみまで
充実感や 愛や 安らぎで 満たせるのです
そこに恐れはありません
もう一度言います 「自分をもっと愛して下さい」
あなたにある愛の源泉は
あなたが思う以上に エネルギーに溢れているのです
今朝、会社での年初の朝礼中に浮かんできた言葉です。
朝礼で話を聞いている間に、
「あ、この書類つくらなきゃいけない」
「この日までにこれがあるな、どうすればいいんだろ」
「だったら、自分もちゃんとやらなきゃな・・・」
っていう様な考えが浮かんできました。
その時に、ウッという感じで心がザワザワして焦るような感覚があったんだけど、その感覚と同時に、その感覚と相反して
心の中にそれに動じてないピンと筋の入った箱のような…空間のようなものを感じました。
その時に『自分で自分を潰さない』って言葉が浮かんできました。
この時、自分で自分を潰すに至らなかった瞬間だったんです。きっと。
昨年末とか、頭が整理されていなかったときは、心の中で、この
自分で自分を潰すことを結構やっていたような気がします。
例えば仕事上でいうと、ある提案書を出せていなかったとしたら
だからといって、私の真の価値が揺らぐことはないのだけれど、
やばい!って焦ります。
その、「こんなんじゃやばい!」って思いが先走ると
目の前のことが手につかなくなるし、なにかと判断も鈍くなってしまう。
例え社会的にこなさなければならないことがあったとしても
それができていないからといって、そのことで自分で自分を潰さなくてもいいんです。
他人や社会の価値判断から離れたところに、守られている自分自身は確かにあるのにわざわざ自分で自分を潰すことはない。
守らなきゃいけない自分の価値なんてない、だってここに存在を許されてるので、そこから見出せること以上の価値なんてないから。
あれやらなきゃ、これやらなきゃ。
<だから何?>
それはそれ(社会的に周りから期待されている自分、答えようとする自分)、
これはこれ(自分が誰にも価値の付けようのない存在であること)
これがグチャグチャになると、身動きがとれなくなってくるんだよね・・・
できていないという状況がそこにあるだけ。
そういう状況がただ、そこにあるだけ。
やらなきゃいけないんだったら、ただやればいいんです。
言い訳もいらない。
言い訳は結局、自分を納得させるためだったり、
相手に分かってもらう為だったり、全部自分の価値を守る為のものになるから。
『自分で自分を潰さない』・・・この言葉を見つめていると、他にも色々出てきました。
私は、家族、友達はもちろん大好きだし
会社で横に座っている次長のことも
向かいに座っているM君のことも
ななめ向こうのNちゃんのことも
となりのTさんのことも、本当は大好きっ!好き好きって感じ(笑)
でも、もちろん好き好き言ってるわけでもなく(笑)
身近な人には好きを表現していい場面で素直になれなかったり、
会社では自分のトーンがダウンして心に省エネスイッチが入っていたり、
でも実は、なにより、心のままに素の行動に出た時に相手に受け入れられなかったときの恐怖を持ってる。
例えば、本当は、こう声を掛けたい…!(今年もよろしくね、とか些細なことでも)というときに言えない自分がとても心地悪かったりする。
同じ状況で同じ相手に自然に言える人もいるし、はなからそうする気のない人もいるだろうけど、私ってコミュニケーション上で不快な時は大抵このパターン。
それは、多分、受け入れられなかった時が怖いんだな、と思った。
ただ、そこに恐れがあるって時は明らかで、そんな時は「自分で自分を潰してる」のかもしれないなと。
たとえ、結果的に受け入れられなかった状況があったとしても、
<だから何?>自分自身の価値が左右されるわけではないはず。
けれど、やっぱり受け入れられないことで自分の価値を失うことを恐れている。
『自分で自分を潰さない』としたら
無理に周りに愛そうよく振る舞う必要はないけれど、
もっと自分のそんな思いに素直になって愛を表現してもいいのかもしれないと思う。
本当に愛〜から行動していれば素直になれるんだろうけど、そこに恐れがあると愛は顔を引っ込めてしまって、行動も本意ではないものになってしまう。
そもそも「愛」といってもそれ自体が本当に湧き出たものなのか、いい恰好したい、よく思われたい、見返りへの期待が根底にあるのか境目がわからないところでもあるのだけれど…
そして、もちろん
好きだと思える人ばかりでもないし、
好きな人でもすべての行動が受け入れられるかといったらそうではない。
なんでそういう態度なの?とか
なんでそんなことをするの?とか
エライくせになんでそういうところにこだわりを持つわけ?
ちゃっちゃとやって…とか思っちゃう。フツウに。。。
だけど、そんな風に感じてる時の自分ってどうだろう?
相手より何より自分の中が一番トーンダウンして下がっている。
ネガティブに自分が反応した時にも『自分を潰してる』状態なんだと思った。
その瞬間って、心の中を見てみると
ネガティブに自分が反応する(納得いかない)この世界を呪っていたり
ネガティブに感じている自分自身に対して葛藤が生じたりしている。
ネガティブに反応すること、それ自体が悪いことではない。
そう反応すること自体はしょうがないとしても、
ただ、自分にそう反応をおこさせるこの状況を
「ただ受け止めるだけ」でいい。
あの人がこう言った、この人がこんなことをする
・・・<だから何?> <だから何?>
ただ、その状況を受け止めるだけ。
自分の世界を呪う必要もなく、自分自身をジャッジする必要もなく、
自分の中を自分でグシャッと潰すことはない。
そして、始めに書いたように、私がここに存在を許されてる以上の価値なんてないとしたら
そういう反応を引き起こさせる相手も
自分と同様にそこにあるだけで価値があって愛の存在であるわけで
そんな相手を愛せないにしても
ただそのこと・その状況を、そうなんだと受け止める…ことができれば、
自分自身のこともただの存在として受け止めることができて、そのままを愛することができるんだと思う。
見つめたものが自分の世界だから。
人生思った通りにならないことがあったり
信じられない許しがたいことに直面した時
そんなとき
すごく自分の中が揺らぐ 揺らぐ 揺らぐ
でも、でも <だから何?> <だから何?>
そんな世界にいる自分を呪わなくてもいいし
ここに自分が存在する以上の価値を外に求めなくていい。
自分で自分を潰さないように
ただ、そのままを受け止めればいい。
うまく言えないけど
自分の心の中にある光(無条件の愛とか価値?)は、常に完璧なカタチであるのだけれど
それを感じられなくなっているとしたら、それは『自分で自分を潰している』時なのかもしれない。
自分で自分を潰さなければ、その光に導いて行ってもらえるのかもしれない。
それを信じて、恐れじゃなくて100%の愛を選択していく人生を歩んでいきたい。
今、これを思うってことは
今年はそんな私を生きる始まりの1年になるのかな〜☆