やこっちの☆キレイな花を咲かせましょう

新たなお花畑を耕しながらワクワク癒され中です。

そして、今年も引っ越します☆

これまで、6年間

ライブドアブログやこっちの☆キレイな花を咲かせましょう

ご愛読して下さってありがとうございます!

本日を持ちましてアメブロにお引越しいたします

http://ameblo.jp/yakocchi-29/

ブログの名前も同じで、ライブドアでの日記もそのままお引越ししました

社労士受験生ブログとして書き始めたブログですが、私にとってとても大切な軌跡となりました
今まで本当にどうもありがとうございます

これからも、引き続き「やこっちの花咲ブログ」をよろしくお願いします

私と3.11

去年のあの日から1年経ちました。

実は、去年の3月11日は金曜日で、その日は有給をとって引っ越しを始めた日でした。

私にとっての新生活の第1日目・・・

その日は、実家に帰り、両親が迎えに来てくれた車の中で大震災があったことを知りました。

自分自身にとっての新しい1歩を踏み出した日と

日本が変わるきっかけとなった日・・・

おこがましいようですが、そんな風に重ね合わせながら、呆然と実家のテレビを眺めていました。


当時は、自由で新しい生活を手に入れた喜びと、

日本の中が大変なことになっている状態で、実家からもう一つ余分な住居を構え(エネルギー的に)てしまったという罪悪感に揺れていました。

実家を出て一人暮らしをするという、
まだ整理しきれていない個人的な心の中の葛藤と

同じ日本人として何もできない無力さと

新しい生活を楽しむ中での何とも言えない罪悪感

ワクワクの中にも初めてのことも沢山ある不安感

そんな感情の渦の中で始まった新生活でした。

日本人として、また、私個人として

この日は決して忘れることはありません。


この1年、「よくやってきた」自分のことを誉めてあげたいと思います。
自分で、きちんと、誉めてあげたいと思います。

ありがとう。
ここに、生かしてくれてありがとう。

ビジョンに生きるのではなく、ミッションに生きる。

今日、人とお話ししていて貰ったメッセージ

「ビジョンに生きるのではなく、ミッションに生きる。」
ビジョンだと自分の力でなんとかしなければならないけど、ミッションだとあちらからの力が働く。

確かにな〜。
ゴールを設定するのにある程度目標(ビジョン)は必要だけど、
ビジョンばかり見ていると不安になってしまう。

目標があるということは、現状では自分は目標に達してないとうことだから。

ビジョンを達成しようとして、頑張るのではなくて、
今の自分が目の前の状況や人に対してできること、
今、今日の自分の使命・ミッションに忠実に行動していくこと。

それが大事になってくる。

ビジョンが決まってしまえば、ミッションに従ってそこまでのプロセスを経ていくだけのこと。

ビジョンだけを追いかけると、目の前のことがおろそかになり、
周りの人を大切にできなくなり自分自身も大切にできなくなってしまう。

今日、今の自分のミッションは何なのか、
他でもない今の自分ができる一つのことは何なのか。

ビジョンから見るとギャップに情けなくなり、それすらも手につかなくなってしまう。

ビジョンを俯瞰する自分は手放しでそこに置いておいて、
今の自分はミッションに委ねて、
心の中の感情を羅針盤に、
心地よい方に従って行くだけのこと。
何気ない日常のひとつひとつが立派なプロセスなんだ。

出来ない自分やダメな自分も認めつつも、今自分にしかできないことがあるはず。

特別に人のために何かやりなさいと言っているんじゃない。

自分の為だっていい。
自分の為じゃなくて、誰の為にやるのか?
自分を満たすことは、悪ではないよ。

本当の自分は何がしたいか、自分の中の真実に光を当てていこう。

どの私が私?

3年前くらいから、いろんなセミナーに行き始めて

知らない世界が沢山広がって、色んな分野の沢山の人たちに出会った。

自分の務めている会社という「社会」しか知らなかったら、出会えなかっただろう人達と繋がることができた。

時々そんな動きをする自分に戸惑いつつも、
自分と外界の間にある見えないギャップに心地の悪さを感じる時もありつつ、
楽しい方にやりたい方に、見えない力に背中を押されて、ここまで歩んできた。

そうしていく間に、頭の中で、ずっと囁かれる言葉・・・
「それで、わたし、一体、何がやりたいんだろう(何になりたいんだろう)?」
「普通のOLなのに、こんなことしちゃっていいの?」

一方で、
(普通のOLなのに、こんな人たちと関われて、こんなことしちゃってる優越感)
(会社のみんなとは違うのよっていう特別感)

「遠慮」「言い訳」「優越感」「劣等感」
マインドによって自分の目の中に映るクルクルと変わる景色の中で、
色んな世界を行ったり来たりのダンス。。。

そのダンスに、終止符うちます。

私は私。
どこの、どんな私も私なんです。

認めたくない、嫌な私、があっても私は私です。

何をしていても、何にも遠慮することもないし、
何をしていても、私は特別なことはなにもない。

外の世界からみたら
OLの私、
娘の私、
同級生の私、
コミュニティの中の私、
生徒の私、
ファシリテーターの私、
沢山いるかもしれない。
それはそれで当然のこと。

ただ、私は人との繋がりの中で生かされているだけ。

例えば、
小学校に行って、インプロをするにしたって
その時の私のお役目がそれであって
特にエライわけでもなく、職業がOLだからって遠慮してやることでもない。

それに意味づけをしたい自分や、
自分の外の世界の価値観の中で自分を成り立たせたかったり、
本来の自分でないように感じて遠慮して、そこから逃げたい自分がいるだけのこと。

それは、どちらも本当の自分でない。

本当に自分は、ただ人との繋がりの中で生かされているだけのこと。
必要とされることをやり、自分がやりたいことをする。

会社の中の自分が、自分でないように感じることもあるけれど、
そこに私が生かされているといこうとは、そこにはきちんと自分のお役目(役割でなく)があり、それを感じにくいということは職場を通じて「感謝の気持ち」の大切さを自分に訴えているのではないかと思う。

だから、これからは

自分の作り出した自分の枠に遠慮することもないし、
何かをしたからって自分が特別エライわけでもないので
失敗したり、できないことを恐れる必要ない。

自信がないから動けないっていうのもナンセンス。

今の自分はこうだ・・・って、こんな自分だけど、何ができるかわからないし、どう人の役に立てるかも分からない自分だけど
だけど、自分が好きなことは何か知ってる、どんな自分でありたいかもなんとなくわかってる
等身大以上の自分を見上げるつま先を休めて、
今のこれだけの自分を大切にして、
こんな自分だけど、伝えたいことがある、上手くなりたいことがある、やってみたいことがある、少しでもいいものができれば、誰かのために・・・
そういう気持ちを大事にして、
恐れずに魂の喜ぶ方向に正直に、自分を成長させていきたい。

そんな私が、また人と繋がれることによって、お互いが生かされて、生きることの幸せに繋がればとても素敵なことだと思うのです。

私 (愛) ∞  【poemotion】

自分には何が出来るか探すこと

自分にはこれが出来るかも!? と

思っていることさえも 手放して

自分のタイミングで

ただ選ぶだけのこと


それができたら どんなに楽だろうか。


私に何が出来るかではなくて

ただ、私が何を選ぶかなのだ。


しょせん、私ひとりが出来ることは限られている。

ひとりでは何も出来ないのだ。


だからこそ、私はひとりではなく

みんなと繋がっていることを

思い出せたら 信じられたら

どんなにか 無限の可能性が広がっていることだろう。



自分の中の 分離感や孤独さや無力感や悲しみ

それを 自分で見ないように

見せないように

人は 抱えて生きていて、

それに 捉われて 動けなくなることがある。


けれど、

その さみしさや孤独感や悲しみ感じ尽くしたその先に

自分の中に残る ただ一つの真実 

「愛」 に 触れられる。


だって、それでも私は生かされて

今 あなたとこうして繋がっていられるのだから

それは 「愛」 以外のなにものでもない。


その 目を向けたくないような感情が在ること

それは 弱さではないし 恥ずかしいこと でもない。

それがあるからこそ

人は 繋がりを求め 

愛を求めていく 生き物なんだと思う。


みんな ひとりでは生きていけないことを知っている

だから 愛が欲しい。


それを認め

自分で作り出した レッテル をとっぱらって

求める 「愛」 から

すでにある 自分の内なる 「愛」 に気づき

すべてのものが 繋がっていることを思い出せたら

きっと 私は無限に広がっていくことだろう。

音を楽しむ♪

月曜日に、彼女に誘われてスキマスイッチのライブに行ってきました

スキマスイッチのCDは全然聞いたことはなかったけど、ボーカルの大橋さんが徳永英明の大ファンで徳様の曲をカバーしたりコラボでステージをしていたのを見てたので、なじみがありました

長年、徳永英明のコンサートだけには欠かすことなく通っていて(中学生の頃から・・・) でも、大好きなだけに、子供の頃は本当に緊張して聴いていたし、ノリたいと思っても周りの人と動きが外れるのが恥ずかしくて、周りを気にしすぎて不完全燃焼したりしていました

そのうち、1人で行くようになって、「徳さんコール」もできるようになって楽しみ方が分かってきたのだけれど、その間に徳さんは脳の血管の病気もしたし、いい歳を重ねられてきました

だから、実は、ちょっとここ数年、大人しすぎてちょっと物足りなかった
・・・ということに、昨日のコンサートで気付きました(爆)


全然知らない曲ばっかりだったけど、ずっと体が動いていてノリノリで「イェーイ!」って叫んじゃったし楽しかったぁ〜・・・


でも、これって、普通のことかもしれないけど、やこっち的にはスゴイことなんです

それを語るには、インドの話から振り返ります

インドでの研修で、セッションの中で瞑想状態で音楽に乗って好きに体を動かす時間がありました。

その時に、初めて体を自然に音楽に乗せて、自分が動きたいように動き踊りたいように踊れる。。。という、とっても心地よい体験をしました
自分でもビックリするくらい、どこで覚えたのって感じの不思議な色んなものが融合したダンスを自分でしてました(笑)

それから、年が明けて満月瞑想のワークショップに久々に参加した時に、瞑想への誘導のために、音楽をかけてそれに身を任せる時間がありました。

以前にそれをやった時は、体がピクリとも動かず「胡坐で座ってるし、こんな状態で音楽に合わせてカラダが乗れるわけないじゃん」って思ってたけど、ここでも自然に体が動く自分を発見してました

ほいでもって、前日の日曜日に【音魂アーティスト】の奈良裕之さんの瞑想セッションを受けて、音の海に身も心も委ねながら、体が自然に反応する体験を、またもやしていました

そこからの、コンサートです

以前の自分とは、違うことに気づきました
とてもナチュラルな自分がそこにいました
音楽も楽しいし、周りを必要以上に気にしていない自分がいることも、プラスで楽しかった
今ここにいない自分を発見して、このコンサートの音楽の中にいる自分を本当に体験できたような感覚もありました

自分をナチュラルに導いてくれる音楽って、いいなスゴイなって改めて実感しました

それと同時に、いかに自分がこれまで、カチコチでマインドに捉われて委ねることができていなかったのかってことも実感しました

だから、それを紐解くコツも、ちょろっと見えた感じです

本当に、私ってリラックス下手で、実は音楽とかゆっくり家で聴いたりできないんだよ〜
自分を緩めるの本当に苦手

でも、日常で緩まる自分を知ることができたから、嬉しい
瞑想だけしていても日常と繋がらなかったら、分からなかったと思う。

このタイミングで誘ってくれるなんて、さすがのハニーに感謝

Breath and …

とても息が浅くなっていますよ

実は気付いてるでしょ? 自分のカラダのこと
分かってあげて
気付いてあげて
感じてあげて下さい

あなたは ひとつの事を達成しました

それは、当然の流れの中にあるようにも思えます

当然だろうが 必然だろうが

あなたは あるひとつのことを 乗り越えたのは事実です

その事実に留まる必要はありませんが

しっかりと 達成したことを味わって下さい

次の段階へと自分に課題を課す前に
勇んで歩みを早める前に

充実感と 満ち足りている自分をしっかり堪能して下さい
リラックスして休息を許しましょう

頑張った自分を称えましょう
恐れを乗り越えた自分を誉めましょう
傷ついた自分を癒しましょう
自分の望む幸せは すでに手の中にあることを思い出しましょう

それは成長を止めることにはなりません
次に進むには それからでも何も遅いことはないのです

リラックスすることで 初めて身を委ねることができます
リラックスするには 深く呼吸することが必要です

自分自身の成長を切望するとともに
他者との関わり合いの中で見いだせる 成長への援助を
喜んで受け取りましょう

あなたは何も考えて行動することはないのです
関わりを恐れず 喜びと感謝をもって受け取るだけです
恐れは幻想にすぎません 「自分をもっと愛してください」

行動できないときは ただ静かに呼吸を感じていましょう
リラックスしてください ただそれだけです

自ら流れを起こすこともなく
流れに逆らうこともなく
悲しみや疲れも 流れるままに感じましょう
それは 流れていくものです
もがけば 流れは滞ります

流れを感じるために必要なのは 息をこらすことではありません
必要なのは 呼吸です
呼吸によって カラダのすみずみまで
充実感や 愛や 安らぎで 満たせるのです
そこに恐れはありません

もう一度言います 「自分をもっと愛して下さい」

あなたにある愛の源泉は

あなたが思う以上に エネルギーに溢れているのです

1.11 ピーポー事件

ゾロ目な始まりの日 日 そんな日の朝に

会社で卒倒して頭を打って救急車で運ばれました



その日の朝、通常通り会社に出勤

前日に届け出が出ていた社員への「お見舞金」とか「出産祝い」を準備して、銭を金庫に納めようとしていました。
その時に、左手の親指に鈍痛が (しまった〜!!)
金庫の扉を閉める時に、左手を金庫の上に置いて、不注意で左手の親指を閉まるところの内側に残したままにしていて親指の爪の付け根のとこを挟んでしまいました

瞬間の痛みは鈍かったものの、が出てきたので(やばい〜)と思いながら水で流してから、ティッシュで押さえようとティッシュの箱を常備している人のデスクに数枚貰いに行きました。それから、すれ違いざまの同僚に「指挟んじゃった〜」と言いながら、絆創膏を貼る為に金庫の上に置いてある救急ボックスの前まで移動しました。

そこで、とても冷たくなった左手を感じながら、絆創膏の箱を出して、親指を眺めて(血が止まらないし結構これヒドイかも・・・)



(・・・・・・・・・)

「○×□♯$&■」 

(・・・・・・・・・?) 

(あれ?ここどこ?)
(ワタシまだ今朝起きてない??)
(遅刻する?夢?)


「○×□♯$&■」

「○○さ〜ん」「○○さ〜ん」 「聞こえるか〜?」

(・・・あ”! やばい、ワタシ倒れてる!)
聞こえますぅ・・・


「お〜!よかったよかった」  「頭が痛いか?」
「救急車来るけんね」  「もう大丈夫よ」
「なに?指怪我しとるじゃん!消毒消毒・・・」
「うえ、何か掛けるもん」
「すごい、ゴンって音がしたと思ったら・・・」
「振り向いたらもう倒れとったよ」

意識を失ったのは、倒れる瞬間の数十秒で、後はもう意識はずっとあって、目は開けれなかったけど、倒れたままで状況を会社の人にも説明できました

とにかく、打った頭が痛い

そして、救急車が到着して、無駄のない見事な采配で車に運ばれました
ず〜っと意識はあって、質問にも答えていて、救急隊員の方が病院に名前を伝えるときにも「○○ こっちさん」と言われていたのでこっちです」と訂正もしました。たぶん、隊員の方もここまで意識があればと安心していたはず(笑)

なんだか、ずっと寝たままで、されるがまま隊員の方の対応を肌身に感じながら「人って一人で(自分で)できることは限られてな〜」なんてしみじみ思っていました。あと、ひたすらお祈りしてたかな。

それから、脳の検査のために脳神経外科に運ばれました

処置室に連れて行かれるまでは、本当にテレビさながらスピーディーで、救急担任の方・救急病院の方、すごくプロフェッショナルな様に感心していました。

処置室に入って、先生が来るまで「先生、遅いね〜」と看護婦同士で話もされつつ、それまでのスピーディな展開が収まって少し落ち着きました

(やばいな〜、こんなことで倒れてしまって、恥ずかしいな)なんて気持ちもあったけど、倒れてからここに来るまでのことを思い返すと、会社の方たちのこととか、救急隊員の方たちや看護婦さん達のプロフェッショナルな対応に感激してジワジワと涙が流れてきました。

すると、それに気づいた看護婦さんが「びっくりしたね〜」と言いながらティッシュで涙を拭き拭きしてくれて、優しさに感動&安心してまた涙が流れてきてしまいました

それから、MRIを受けて、幸いにも脳内には異常は何もありませんでした

当日、自分で行った整形外科でも指の骨には異常なし

そこのクリニックの先生が名物名医っぽくて面白い先生でスポーツドクターで昔、王監督も見たことあるらしく、そんな話や
、私の年齢を見て結婚事情の話となり、自分のことろ違って最近は男性が弱いとか(笑)
こないだイチローの親父さんと飲んだ話とか、イチローは姉さん女房を選んで正解だ!という話や(笑)
怪我とは全然関係ない楽しい話を、独特の節まわしでお話ししてくれました

それで「女で強いはずなのに、指の怪我を見たくらいで血の気が引いて倒れたみたいなんですけど・・・」
と話すと
「人間は思ったより弱いんでぇ・・・」と言われました。

今回の1件、
親にも頼れるときには甘えさせてもらって、
そして、ひとりで立つのも大事だけど
また、いざという時・倒れそうになった時に、倒れる前に支えてくれる力強い腕をちゃんと見つけるのも大事だよ〜っていうメッセージも含まれているのかもしれません

今回の出来事は、出来事として捉えればいいのでそれ以上でもそれ以下でもないのだかけれど、色んなことを感じました。

「ひとりで出来ることは限られている」とか「自分の体・パターンのこと」とか「動きを制限された時の生活のこと」とか「体がなまってきたら、その時が来たら運動してすっきりさせればいいと思ってる」こととか「周りの人たちのこと」とか「感謝」とか、とか。。。

まあ、でも色んなことを感じられる心も持てるってことはいいことですわ

今回のことも自分が体験したかった現実と考えるとまた面白いね

今更ながらやっと振り返れる

やこっちの花咲ブログではあまり話題にしていませんでしたが、実は11月後半からインドへ2週間合宿に行っていました。
放浪ではなくて、ガンジス川にも行ってなくて(笑)ひとところに居て研修所に滞在していました。

このインド行きの話を伺ったのが6月、
行けないと思ってたけど自分の中で行くことに決めたのが7月、
会社に伝えたのが9月末、
両親に伝えたのが10月末、

なんか、こう振り返ってみると去年の半分は頭の中がインドだ。

夏の間は調子が良かったけど、10月に入ってから自分の内側のあることに気づき、その好転反応で調子がダダ崩れ(笑)でも、なんとか自分の中の恐れと向かい合って、今年の節目と決めていた10月末の誕生日にはクリアになりました。

けれど、クリアになった分、クリアになった自分が生きている世界に慣れず(不思議な表現でごめんなさい)見晴らしがいい分、フワフワと足元がおぼつかない11月・・・
そうこうする中でも現実的に迎えるチャレンジに取り組みつつ、10年ぶりの海外・・・旅行の準備・・・仕事引き継ぎ・・・と頭の整理がつかないまま、でもワクワクしながらインドへGO!

そして、インドでの2週間・・・
この期間のこと、書こうと思いつつ、自分のしてきた体験を表現する言葉がなかなか見つかりません!(笑)
でも、これからもブログにエッセンスは交えていくと思います♪

そして、12月6日の夜に広島に帰ってきて7日から早速お仕事。

仕事に、忘年会に、宮島に2回参拝、一人暮らしをして初めて迎える年末・・・

この年末年始正月は、例年よりすることが沢山あったのだけど、自分がいつ何をしたか記憶が曖昧です(こんなに記憶が曖昧なのは初めてかも、っていうかとどまらなくなったのか?(笑))

そして、6日から仕事始め。
1月7日の帰国から1か月後に、インドに行ったメンバーとの帰国後初のシェア会がありました。

そして、今日!

この土日を迎えて、やっと、だんだん目が覚めてきているような感じです。
なんか、去年の特に10月あたりからインドを経てそのプロセスがずっと繋がっていて、やっと、今、少しずつ心の中で整理し始まろうとしているのかな・・・?って感覚です。

インドでの出来事がなんだったのか、日常にようやく、意識的に見えてき始まっているのかなぁ。
やっぱり日常での体験がないと、その体験を通してでないと、特定の体験は花を咲かせないのかなぁ。
まぁ、でもそう考えるとそうなんだけど、何も考えずに流れてるだけだからどっちでもいい(笑)

それと同時に、この約3か月間に自分の中で色んな変化や体験が起こって、そんなんだから少々混乱したりしてもしょうがないじゃん!まだこれだけしか経ってないんだから、なのにこんなに沢山のことが起こってるんだから、大丈夫だよ!って思ってます。

う〜ん、やっと、やっと、これからです。

メッセージ

『自分で自分を潰さない』 (長文です)

今朝、会社での年初の朝礼中に浮かんできた言葉です。

朝礼で話を聞いている間に、
「あ、この書類つくらなきゃいけない」
「この日までにこれがあるな、どうすればいいんだろ」
「だったら、自分もちゃんとやらなきゃな・・・」
っていう様な考えが浮かんできました。

その時に、ウッという感じで心がザワザワして焦るような感覚があったんだけど、その感覚と同時に、その感覚と相反して
心の中にそれに動じてないピンと筋の入った箱のような…空間のようなものを感じました。

その時に『自分で自分を潰さない』って言葉が浮かんできました。

この時、自分で自分を潰すに至らなかった瞬間だったんです。きっと。
昨年末とか、頭が整理されていなかったときは、心の中で、この
自分で自分を潰すことを結構やっていたような気がします。

例えば仕事上でいうと、ある提案書を出せていなかったとしたら
だからといって、私の真の価値が揺らぐことはないのだけれど、
やばい!って焦ります。

その、「こんなんじゃやばい!」って思いが先走ると
目の前のことが手につかなくなるし、なにかと判断も鈍くなってしまう。

例え社会的にこなさなければならないことがあったとしても
それができていないからといって、そのことで自分で自分を潰さなくてもいいんです。

他人や社会の価値判断から離れたところに、守られている自分自身は確かにあるのにわざわざ自分で自分を潰すことはない。

守らなきゃいけない自分の価値なんてない、だってここに存在を許されてるので、そこから見出せること以上の価値なんてないから。

あれやらなきゃ、これやらなきゃ。
<だから何?>
それはそれ(社会的に周りから期待されている自分、答えようとする自分)、
これはこれ(自分が誰にも価値の付けようのない存在であること)
これがグチャグチャになると、身動きがとれなくなってくるんだよね・・・

できていないという状況がそこにあるだけ。
そういう状況がただ、そこにあるだけ
やらなきゃいけないんだったら、ただやればいいんです。
言い訳もいらない。
言い訳は結局、自分を納得させるためだったり、
相手に分かってもらう為だったり、全部自分の価値を守る為のものになるから。

『自分で自分を潰さない』・・・この言葉を見つめていると、他にも色々出てきました。

私は、家族、友達はもちろん大好きだし
会社で横に座っている次長のことも
向かいに座っているM君のことも
ななめ向こうのNちゃんのことも
となりのTさんのことも、本当は大好きっ!好き好きって感じ(笑)

でも、もちろん好き好き言ってるわけでもなく(笑)
身近な人には好きを表現していい場面で素直になれなかったり、
会社では自分のトーンがダウンして心に省エネスイッチが入っていたり、
でも実は、なにより、心のままに素の行動に出た時に相手に受け入れられなかったときの恐怖を持ってる。

例えば、本当は、こう声を掛けたい…!(今年もよろしくね、とか些細なことでも)というときに言えない自分がとても心地悪かったりする。
同じ状況で同じ相手に自然に言える人もいるし、はなからそうする気のない人もいるだろうけど、私ってコミュニケーション上で不快な時は大抵このパターン。

それは、多分、受け入れられなかった時が怖いんだな、と思った。

ただ、そこに恐れがあるって時は明らかで、そんな時は「自分で自分を潰してる」のかもしれないなと。

たとえ、結果的に受け入れられなかった状況があったとしても、
<だから何?>自分自身の価値が左右されるわけではないはず。
けれど、やっぱり受け入れられないことで自分の価値を失うことを恐れている。

『自分で自分を潰さない』としたら
無理に周りに愛そうよく振る舞う必要はないけれど、
もっと自分のそんな思いに素直になって愛を表現してもいいのかもしれないと思う。

本当に愛〜から行動していれば素直になれるんだろうけど、そこに恐れがあると愛は顔を引っ込めてしまって、行動も本意ではないものになってしまう。

そもそも「愛」といってもそれ自体が本当に湧き出たものなのか、いい恰好したい、よく思われたい、見返りへの期待が根底にあるのか境目がわからないところでもあるのだけれど…

そして、もちろん
好きだと思える人ばかりでもないし、
好きな人でもすべての行動が受け入れられるかといったらそうではない。

なんでそういう態度なの?とか
なんでそんなことをするの?とか
エライくせになんでそういうところにこだわりを持つわけ?
ちゃっちゃとやって…とか思っちゃう。フツウに。。。

だけど、そんな風に感じてる時の自分ってどうだろう?
相手より何より自分の中が一番トーンダウンして下がっている。
ネガティブに自分が反応した時にも『自分を潰してる』状態なんだと思った。

その瞬間って、心の中を見てみると
ネガティブに自分が反応する(納得いかない)この世界を呪っていたり
ネガティブに感じている自分自身に対して葛藤が生じたりしている。

ネガティブに反応すること、それ自体が悪いことではない。
そう反応すること自体はしょうがないとしても、
ただ、自分にそう反応をおこさせるこの状況を
「ただ受け止めるだけ」でいい。

あの人がこう言った、この人がこんなことをする
・・・<だから何?> <だから何?>
ただ、その状況を受け止めるだけ。

自分の世界を呪う必要もなく、自分自身をジャッジする必要もなく、
自分の中を自分でグシャッと潰すことはない。

そして、始めに書いたように、私がここに存在を許されてる以上の価値なんてないとしたら
そういう反応を引き起こさせる相手も
自分と同様にそこにあるだけで価値があって愛の存在であるわけで
そんな相手を愛せないにしても
ただそのこと・その状況を、そうなんだと受け止める…ことができれば、
自分自身のこともただの存在として受け止めることができて、そのままを愛することができるんだと思う。
見つめたものが自分の世界だから。


人生思った通りにならないことがあったり
信じられない許しがたいことに直面した時
そんなとき

すごく自分の中が揺らぐ 揺らぐ 揺らぐ

でも、でも <だから何?> <だから何?>

そんな世界にいる自分を呪わなくてもいいし
ここに自分が存在する以上の価値を外に求めなくていい。

自分で自分を潰さないように
ただ、そのままを受け止めればいい。

うまく言えないけど
自分の心の中にある光(無条件の愛とか価値?)は、常に完璧なカタチであるのだけれど
それを感じられなくなっているとしたら、それは『自分で自分を潰している』時なのかもしれない。

自分で自分を潰さなければ、その光に導いて行ってもらえるのかもしれない。

それを信じて、恐れじゃなくて100%の愛を選択していく人生を歩んでいきたい。

今、これを思うってことは
今年はそんな私を生きる始まりの1年になるのかな〜☆

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やこっちの花咲blog は、2005年の暮れに元々「社労士受験生」ブログとして書き始めました。その頃から沢山の方々に見守って頂いて感謝しています 時には目標を掲げつつ、日常の出来事や気付きを気ままに綴っています。  ワクワクすることは、フラダンス・歌を歌うこと・インプロ(即興演劇)ワーク・筆を持つこと...etc. すべてのことはきっと、いつかのいい日のためにある と信じて毎日100%で生きていけたら素的ですね

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