今朝、会社での年初の朝礼中に浮かんできた言葉です。
朝礼で話を聞いている間に、
「あ、この書類つくらなきゃいけない」
「この日までにこれがあるな、どうすればいいんだろ」
「だったら、自分もちゃんとやらなきゃな・・・」
っていう様な考えが浮かんできました。
その時に、ウッという感じで心がザワザワして焦るような感覚があったんだけど、その感覚と同時に、その感覚と相反して
心の中にそれに動じてないピンと筋の入った箱のような…空間のようなものを感じました。
その時に『自分で自分を潰さない』って言葉が浮かんできました。
この時、自分で自分を潰すに至らなかった瞬間だったんです。きっと。
昨年末とか、頭が整理されていなかったときは、心の中で、この
自分で自分を潰すことを結構やっていたような気がします。
例えば仕事上でいうと、ある提案書を出せていなかったとしたら
だからといって、私の真の価値が揺らぐことはないのだけれど、
やばい!って焦ります。
その、「こんなんじゃやばい!」って思いが先走ると
目の前のことが手につかなくなるし、なにかと判断も鈍くなってしまう。
例え社会的にこなさなければならないことがあったとしても
それができていないからといって、そのことで自分で自分を潰さなくてもいいんです。
他人や社会の価値判断から離れたところに、守られている自分自身は確かにあるのにわざわざ自分で自分を潰すことはない。
守らなきゃいけない自分の価値なんてない、だってここに存在を許されてるので、そこから見出せること以上の価値なんてないから。
あれやらなきゃ、これやらなきゃ。
<だから何?>
それはそれ(社会的に周りから期待されている自分、答えようとする自分)、
これはこれ(自分が誰にも価値の付けようのない存在であること)
これがグチャグチャになると、身動きがとれなくなってくるんだよね・・・
できていないという状況がそこにあるだけ。
そういう状況がただ、そこにあるだけ。
やらなきゃいけないんだったら、ただやればいいんです。
言い訳もいらない。
言い訳は結局、自分を納得させるためだったり、
相手に分かってもらう為だったり、全部自分の価値を守る為のものになるから。
『自分で自分を潰さない』・・・この言葉を見つめていると、他にも色々出てきました。
私は、家族、友達はもちろん大好きだし
会社で横に座っている次長のことも
向かいに座っているM君のことも
ななめ向こうのNちゃんのことも
となりのTさんのことも、本当は大好きっ!好き好きって感じ(笑)
でも、もちろん好き好き言ってるわけでもなく(笑)
身近な人には好きを表現していい場面で素直になれなかったり、
会社では自分のトーンがダウンして心に省エネスイッチが入っていたり、
でも実は、なにより、心のままに素の行動に出た時に相手に受け入れられなかったときの恐怖を持ってる。
例えば、本当は、こう声を掛けたい…!(今年もよろしくね、とか些細なことでも)というときに言えない自分がとても心地悪かったりする。
同じ状況で同じ相手に自然に言える人もいるし、はなからそうする気のない人もいるだろうけど、私ってコミュニケーション上で不快な時は大抵このパターン。
それは、多分、受け入れられなかった時が怖いんだな、と思った。
ただ、そこに恐れがあるって時は明らかで、そんな時は「自分で自分を潰してる」のかもしれないなと。
たとえ、結果的に受け入れられなかった状況があったとしても、
<だから何?>自分自身の価値が左右されるわけではないはず。
けれど、やっぱり受け入れられないことで自分の価値を失うことを恐れている。
『自分で自分を潰さない』としたら
無理に周りに愛そうよく振る舞う必要はないけれど、
もっと自分のそんな思いに素直になって愛を表現してもいいのかもしれないと思う。
本当に愛〜から行動していれば素直になれるんだろうけど、そこに恐れがあると愛は顔を引っ込めてしまって、行動も本意ではないものになってしまう。
そもそも「愛」といってもそれ自体が本当に湧き出たものなのか、いい恰好したい、よく思われたい、見返りへの期待が根底にあるのか境目がわからないところでもあるのだけれど…
そして、もちろん
好きだと思える人ばかりでもないし、
好きな人でもすべての行動が受け入れられるかといったらそうではない。
なんでそういう態度なの?とか
なんでそんなことをするの?とか
エライくせになんでそういうところにこだわりを持つわけ?
ちゃっちゃとやって…とか思っちゃう。フツウに。。。
だけど、そんな風に感じてる時の自分ってどうだろう?
相手より何より自分の中が一番トーンダウンして下がっている。
ネガティブに自分が反応した時にも『自分を潰してる』状態なんだと思った。
その瞬間って、心の中を見てみると
ネガティブに自分が反応する(納得いかない)この世界を呪っていたり
ネガティブに感じている自分自身に対して葛藤が生じたりしている。
ネガティブに反応すること、それ自体が悪いことではない。
そう反応すること自体はしょうがないとしても、
ただ、自分にそう反応をおこさせるこの状況を
「ただ受け止めるだけ」でいい。
あの人がこう言った、この人がこんなことをする
・・・<だから何?> <だから何?>
ただ、その状況を受け止めるだけ。
自分の世界を呪う必要もなく、自分自身をジャッジする必要もなく、
自分の中を自分でグシャッと潰すことはない。
そして、始めに書いたように、私がここに存在を許されてる以上の価値なんてないとしたら
そういう反応を引き起こさせる相手も
自分と同様にそこにあるだけで価値があって愛の存在であるわけで
そんな相手を愛せないにしても
ただそのこと・その状況を、そうなんだと受け止める…ことができれば、
自分自身のこともただの存在として受け止めることができて、そのままを愛することができるんだと思う。
見つめたものが自分の世界だから。
人生思った通りにならないことがあったり
信じられない許しがたいことに直面した時
そんなとき
すごく自分の中が揺らぐ 揺らぐ 揺らぐ
でも、でも <だから何?> <だから何?>
そんな世界にいる自分を呪わなくてもいいし
ここに自分が存在する以上の価値を外に求めなくていい。
自分で自分を潰さないように
ただ、そのままを受け止めればいい。
うまく言えないけど
自分の心の中にある光(無条件の愛とか価値?)は、常に完璧なカタチであるのだけれど
それを感じられなくなっているとしたら、それは『自分で自分を潰している』時なのかもしれない。
自分で自分を潰さなければ、その光に導いて行ってもらえるのかもしれない。
それを信じて、恐れじゃなくて100%の愛を選択していく人生を歩んでいきたい。
今、これを思うってことは
今年はそんな私を生きる始まりの1年になるのかな〜☆


