やこっちの☆キレイな花を咲かせましょう

新たなお花畑を耕しながらワクワク癒され中です。

Awareness

私と3.11

去年のあの日から1年経ちました。

実は、去年の3月11日は金曜日で、その日は有給をとって引っ越しを始めた日でした。

私にとっての新生活の第1日目・・・

その日は、実家に帰り、両親が迎えに来てくれた車の中で大震災があったことを知りました。

自分自身にとっての新しい1歩を踏み出した日と

日本が変わるきっかけとなった日・・・

おこがましいようですが、そんな風に重ね合わせながら、呆然と実家のテレビを眺めていました。


当時は、自由で新しい生活を手に入れた喜びと、

日本の中が大変なことになっている状態で、実家からもう一つ余分な住居を構え(エネルギー的に)てしまったという罪悪感に揺れていました。

実家を出て一人暮らしをするという、
まだ整理しきれていない個人的な心の中の葛藤と

同じ日本人として何もできない無力さと

新しい生活を楽しむ中での何とも言えない罪悪感

ワクワクの中にも初めてのことも沢山ある不安感

そんな感情の渦の中で始まった新生活でした。

日本人として、また、私個人として

この日は決して忘れることはありません。


この1年、「よくやってきた」自分のことを誉めてあげたいと思います。
自分で、きちんと、誉めてあげたいと思います。

ありがとう。
ここに、生かしてくれてありがとう。

ビジョンに生きるのではなく、ミッションに生きる。

今日、人とお話ししていて貰ったメッセージ

「ビジョンに生きるのではなく、ミッションに生きる。」
ビジョンだと自分の力でなんとかしなければならないけど、ミッションだとあちらからの力が働く。

確かにな〜。
ゴールを設定するのにある程度目標(ビジョン)は必要だけど、
ビジョンばかり見ていると不安になってしまう。

目標があるということは、現状では自分は目標に達してないとうことだから。

ビジョンを達成しようとして、頑張るのではなくて、
今の自分が目の前の状況や人に対してできること、
今、今日の自分の使命・ミッションに忠実に行動していくこと。

それが大事になってくる。

ビジョンが決まってしまえば、ミッションに従ってそこまでのプロセスを経ていくだけのこと。

ビジョンだけを追いかけると、目の前のことがおろそかになり、
周りの人を大切にできなくなり自分自身も大切にできなくなってしまう。

今日、今の自分のミッションは何なのか、
他でもない今の自分ができる一つのことは何なのか。

ビジョンから見るとギャップに情けなくなり、それすらも手につかなくなってしまう。

ビジョンを俯瞰する自分は手放しでそこに置いておいて、
今の自分はミッションに委ねて、
心の中の感情を羅針盤に、
心地よい方に従って行くだけのこと。
何気ない日常のひとつひとつが立派なプロセスなんだ。

出来ない自分やダメな自分も認めつつも、今自分にしかできないことがあるはず。

特別に人のために何かやりなさいと言っているんじゃない。

自分の為だっていい。
自分の為じゃなくて、誰の為にやるのか?
自分を満たすことは、悪ではないよ。

本当の自分は何がしたいか、自分の中の真実に光を当てていこう。

どの私が私?

3年前くらいから、いろんなセミナーに行き始めて

知らない世界が沢山広がって、色んな分野の沢山の人たちに出会った。

自分の務めている会社という「社会」しか知らなかったら、出会えなかっただろう人達と繋がることができた。

時々そんな動きをする自分に戸惑いつつも、
自分と外界の間にある見えないギャップに心地の悪さを感じる時もありつつ、
楽しい方にやりたい方に、見えない力に背中を押されて、ここまで歩んできた。

そうしていく間に、頭の中で、ずっと囁かれる言葉・・・
「それで、わたし、一体、何がやりたいんだろう(何になりたいんだろう)?」
「普通のOLなのに、こんなことしちゃっていいの?」

一方で、
(普通のOLなのに、こんな人たちと関われて、こんなことしちゃってる優越感)
(会社のみんなとは違うのよっていう特別感)

「遠慮」「言い訳」「優越感」「劣等感」
マインドによって自分の目の中に映るクルクルと変わる景色の中で、
色んな世界を行ったり来たりのダンス。。。

そのダンスに、終止符うちます。

私は私。
どこの、どんな私も私なんです。

認めたくない、嫌な私、があっても私は私です。

何をしていても、何にも遠慮することもないし、
何をしていても、私は特別なことはなにもない。

外の世界からみたら
OLの私、
娘の私、
同級生の私、
コミュニティの中の私、
生徒の私、
ファシリテーターの私、
沢山いるかもしれない。
それはそれで当然のこと。

ただ、私は人との繋がりの中で生かされているだけ。

例えば、
小学校に行って、インプロをするにしたって
その時の私のお役目がそれであって
特にエライわけでもなく、職業がOLだからって遠慮してやることでもない。

それに意味づけをしたい自分や、
自分の外の世界の価値観の中で自分を成り立たせたかったり、
本来の自分でないように感じて遠慮して、そこから逃げたい自分がいるだけのこと。

それは、どちらも本当の自分でない。

本当に自分は、ただ人との繋がりの中で生かされているだけのこと。
必要とされることをやり、自分がやりたいことをする。

会社の中の自分が、自分でないように感じることもあるけれど、
そこに私が生かされているといこうとは、そこにはきちんと自分のお役目(役割でなく)があり、それを感じにくいということは職場を通じて「感謝の気持ち」の大切さを自分に訴えているのではないかと思う。

だから、これからは

自分の作り出した自分の枠に遠慮することもないし、
何かをしたからって自分が特別エライわけでもないので
失敗したり、できないことを恐れる必要ない。

自信がないから動けないっていうのもナンセンス。

今の自分はこうだ・・・って、こんな自分だけど、何ができるかわからないし、どう人の役に立てるかも分からない自分だけど
だけど、自分が好きなことは何か知ってる、どんな自分でありたいかもなんとなくわかってる
等身大以上の自分を見上げるつま先を休めて、
今のこれだけの自分を大切にして、
こんな自分だけど、伝えたいことがある、上手くなりたいことがある、やってみたいことがある、少しでもいいものができれば、誰かのために・・・
そういう気持ちを大事にして、
恐れずに魂の喜ぶ方向に正直に、自分を成長させていきたい。

そんな私が、また人と繋がれることによって、お互いが生かされて、生きることの幸せに繋がればとても素敵なことだと思うのです。

私 (愛) ∞  【poemotion】

自分には何が出来るか探すこと

自分にはこれが出来るかも!? と

思っていることさえも 手放して

自分のタイミングで

ただ選ぶだけのこと


それができたら どんなに楽だろうか。


私に何が出来るかではなくて

ただ、私が何を選ぶかなのだ。


しょせん、私ひとりが出来ることは限られている。

ひとりでは何も出来ないのだ。


だからこそ、私はひとりではなく

みんなと繋がっていることを

思い出せたら 信じられたら

どんなにか 無限の可能性が広がっていることだろう。



自分の中の 分離感や孤独さや無力感や悲しみ

それを 自分で見ないように

見せないように

人は 抱えて生きていて、

それに 捉われて 動けなくなることがある。


けれど、

その さみしさや孤独感や悲しみ感じ尽くしたその先に

自分の中に残る ただ一つの真実 

「愛」 に 触れられる。


だって、それでも私は生かされて

今 あなたとこうして繋がっていられるのだから

それは 「愛」 以外のなにものでもない。


その 目を向けたくないような感情が在ること

それは 弱さではないし 恥ずかしいこと でもない。

それがあるからこそ

人は 繋がりを求め 

愛を求めていく 生き物なんだと思う。


みんな ひとりでは生きていけないことを知っている

だから 愛が欲しい。


それを認め

自分で作り出した レッテル をとっぱらって

求める 「愛」 から

すでにある 自分の内なる 「愛」 に気づき

すべてのものが 繋がっていることを思い出せたら

きっと 私は無限に広がっていくことだろう。

音を楽しむ♪

月曜日に、彼女に誘われてスキマスイッチのライブに行ってきました

スキマスイッチのCDは全然聞いたことはなかったけど、ボーカルの大橋さんが徳永英明の大ファンで徳様の曲をカバーしたりコラボでステージをしていたのを見てたので、なじみがありました

長年、徳永英明のコンサートだけには欠かすことなく通っていて(中学生の頃から・・・) でも、大好きなだけに、子供の頃は本当に緊張して聴いていたし、ノリたいと思っても周りの人と動きが外れるのが恥ずかしくて、周りを気にしすぎて不完全燃焼したりしていました

そのうち、1人で行くようになって、「徳さんコール」もできるようになって楽しみ方が分かってきたのだけれど、その間に徳さんは脳の血管の病気もしたし、いい歳を重ねられてきました

だから、実は、ちょっとここ数年、大人しすぎてちょっと物足りなかった
・・・ということに、昨日のコンサートで気付きました(爆)


全然知らない曲ばっかりだったけど、ずっと体が動いていてノリノリで「イェーイ!」って叫んじゃったし楽しかったぁ〜・・・


でも、これって、普通のことかもしれないけど、やこっち的にはスゴイことなんです

それを語るには、インドの話から振り返ります

インドでの研修で、セッションの中で瞑想状態で音楽に乗って好きに体を動かす時間がありました。

その時に、初めて体を自然に音楽に乗せて、自分が動きたいように動き踊りたいように踊れる。。。という、とっても心地よい体験をしました
自分でもビックリするくらい、どこで覚えたのって感じの不思議な色んなものが融合したダンスを自分でしてました(笑)

それから、年が明けて満月瞑想のワークショップに久々に参加した時に、瞑想への誘導のために、音楽をかけてそれに身を任せる時間がありました。

以前にそれをやった時は、体がピクリとも動かず「胡坐で座ってるし、こんな状態で音楽に合わせてカラダが乗れるわけないじゃん」って思ってたけど、ここでも自然に体が動く自分を発見してました

ほいでもって、前日の日曜日に【音魂アーティスト】の奈良裕之さんの瞑想セッションを受けて、音の海に身も心も委ねながら、体が自然に反応する体験を、またもやしていました

そこからの、コンサートです

以前の自分とは、違うことに気づきました
とてもナチュラルな自分がそこにいました
音楽も楽しいし、周りを必要以上に気にしていない自分がいることも、プラスで楽しかった
今ここにいない自分を発見して、このコンサートの音楽の中にいる自分を本当に体験できたような感覚もありました

自分をナチュラルに導いてくれる音楽って、いいなスゴイなって改めて実感しました

それと同時に、いかに自分がこれまで、カチコチでマインドに捉われて委ねることができていなかったのかってことも実感しました

だから、それを紐解くコツも、ちょろっと見えた感じです

本当に、私ってリラックス下手で、実は音楽とかゆっくり家で聴いたりできないんだよ〜
自分を緩めるの本当に苦手

でも、日常で緩まる自分を知ることができたから、嬉しい
瞑想だけしていても日常と繋がらなかったら、分からなかったと思う。

このタイミングで誘ってくれるなんて、さすがのハニーに感謝

Breath and …

とても息が浅くなっていますよ

実は気付いてるでしょ? 自分のカラダのこと
分かってあげて
気付いてあげて
感じてあげて下さい

あなたは ひとつの事を達成しました

それは、当然の流れの中にあるようにも思えます

当然だろうが 必然だろうが

あなたは あるひとつのことを 乗り越えたのは事実です

その事実に留まる必要はありませんが

しっかりと 達成したことを味わって下さい

次の段階へと自分に課題を課す前に
勇んで歩みを早める前に

充実感と 満ち足りている自分をしっかり堪能して下さい
リラックスして休息を許しましょう

頑張った自分を称えましょう
恐れを乗り越えた自分を誉めましょう
傷ついた自分を癒しましょう
自分の望む幸せは すでに手の中にあることを思い出しましょう

それは成長を止めることにはなりません
次に進むには それからでも何も遅いことはないのです

リラックスすることで 初めて身を委ねることができます
リラックスするには 深く呼吸することが必要です

自分自身の成長を切望するとともに
他者との関わり合いの中で見いだせる 成長への援助を
喜んで受け取りましょう

あなたは何も考えて行動することはないのです
関わりを恐れず 喜びと感謝をもって受け取るだけです
恐れは幻想にすぎません 「自分をもっと愛してください」

行動できないときは ただ静かに呼吸を感じていましょう
リラックスしてください ただそれだけです

自ら流れを起こすこともなく
流れに逆らうこともなく
悲しみや疲れも 流れるままに感じましょう
それは 流れていくものです
もがけば 流れは滞ります

流れを感じるために必要なのは 息をこらすことではありません
必要なのは 呼吸です
呼吸によって カラダのすみずみまで
充実感や 愛や 安らぎで 満たせるのです
そこに恐れはありません

もう一度言います 「自分をもっと愛して下さい」

あなたにある愛の源泉は

あなたが思う以上に エネルギーに溢れているのです

『自分で自分を潰さない』 (長文です)

今朝、会社での年初の朝礼中に浮かんできた言葉です。

朝礼で話を聞いている間に、
「あ、この書類つくらなきゃいけない」
「この日までにこれがあるな、どうすればいいんだろ」
「だったら、自分もちゃんとやらなきゃな・・・」
っていう様な考えが浮かんできました。

その時に、ウッという感じで心がザワザワして焦るような感覚があったんだけど、その感覚と同時に、その感覚と相反して
心の中にそれに動じてないピンと筋の入った箱のような…空間のようなものを感じました。

その時に『自分で自分を潰さない』って言葉が浮かんできました。

この時、自分で自分を潰すに至らなかった瞬間だったんです。きっと。
昨年末とか、頭が整理されていなかったときは、心の中で、この
自分で自分を潰すことを結構やっていたような気がします。

例えば仕事上でいうと、ある提案書を出せていなかったとしたら
だからといって、私の真の価値が揺らぐことはないのだけれど、
やばい!って焦ります。

その、「こんなんじゃやばい!」って思いが先走ると
目の前のことが手につかなくなるし、なにかと判断も鈍くなってしまう。

例え社会的にこなさなければならないことがあったとしても
それができていないからといって、そのことで自分で自分を潰さなくてもいいんです。

他人や社会の価値判断から離れたところに、守られている自分自身は確かにあるのにわざわざ自分で自分を潰すことはない。

守らなきゃいけない自分の価値なんてない、だってここに存在を許されてるので、そこから見出せること以上の価値なんてないから。

あれやらなきゃ、これやらなきゃ。
<だから何?>
それはそれ(社会的に周りから期待されている自分、答えようとする自分)、
これはこれ(自分が誰にも価値の付けようのない存在であること)
これがグチャグチャになると、身動きがとれなくなってくるんだよね・・・

できていないという状況がそこにあるだけ。
そういう状況がただ、そこにあるだけ
やらなきゃいけないんだったら、ただやればいいんです。
言い訳もいらない。
言い訳は結局、自分を納得させるためだったり、
相手に分かってもらう為だったり、全部自分の価値を守る為のものになるから。

『自分で自分を潰さない』・・・この言葉を見つめていると、他にも色々出てきました。

私は、家族、友達はもちろん大好きだし
会社で横に座っている次長のことも
向かいに座っているM君のことも
ななめ向こうのNちゃんのことも
となりのTさんのことも、本当は大好きっ!好き好きって感じ(笑)

でも、もちろん好き好き言ってるわけでもなく(笑)
身近な人には好きを表現していい場面で素直になれなかったり、
会社では自分のトーンがダウンして心に省エネスイッチが入っていたり、
でも実は、なにより、心のままに素の行動に出た時に相手に受け入れられなかったときの恐怖を持ってる。

例えば、本当は、こう声を掛けたい…!(今年もよろしくね、とか些細なことでも)というときに言えない自分がとても心地悪かったりする。
同じ状況で同じ相手に自然に言える人もいるし、はなからそうする気のない人もいるだろうけど、私ってコミュニケーション上で不快な時は大抵このパターン。

それは、多分、受け入れられなかった時が怖いんだな、と思った。

ただ、そこに恐れがあるって時は明らかで、そんな時は「自分で自分を潰してる」のかもしれないなと。

たとえ、結果的に受け入れられなかった状況があったとしても、
<だから何?>自分自身の価値が左右されるわけではないはず。
けれど、やっぱり受け入れられないことで自分の価値を失うことを恐れている。

『自分で自分を潰さない』としたら
無理に周りに愛そうよく振る舞う必要はないけれど、
もっと自分のそんな思いに素直になって愛を表現してもいいのかもしれないと思う。

本当に愛〜から行動していれば素直になれるんだろうけど、そこに恐れがあると愛は顔を引っ込めてしまって、行動も本意ではないものになってしまう。

そもそも「愛」といってもそれ自体が本当に湧き出たものなのか、いい恰好したい、よく思われたい、見返りへの期待が根底にあるのか境目がわからないところでもあるのだけれど…

そして、もちろん
好きだと思える人ばかりでもないし、
好きな人でもすべての行動が受け入れられるかといったらそうではない。

なんでそういう態度なの?とか
なんでそんなことをするの?とか
エライくせになんでそういうところにこだわりを持つわけ?
ちゃっちゃとやって…とか思っちゃう。フツウに。。。

だけど、そんな風に感じてる時の自分ってどうだろう?
相手より何より自分の中が一番トーンダウンして下がっている。
ネガティブに自分が反応した時にも『自分を潰してる』状態なんだと思った。

その瞬間って、心の中を見てみると
ネガティブに自分が反応する(納得いかない)この世界を呪っていたり
ネガティブに感じている自分自身に対して葛藤が生じたりしている。

ネガティブに反応すること、それ自体が悪いことではない。
そう反応すること自体はしょうがないとしても、
ただ、自分にそう反応をおこさせるこの状況を
「ただ受け止めるだけ」でいい。

あの人がこう言った、この人がこんなことをする
・・・<だから何?> <だから何?>
ただ、その状況を受け止めるだけ。

自分の世界を呪う必要もなく、自分自身をジャッジする必要もなく、
自分の中を自分でグシャッと潰すことはない。

そして、始めに書いたように、私がここに存在を許されてる以上の価値なんてないとしたら
そういう反応を引き起こさせる相手も
自分と同様にそこにあるだけで価値があって愛の存在であるわけで
そんな相手を愛せないにしても
ただそのこと・その状況を、そうなんだと受け止める…ことができれば、
自分自身のこともただの存在として受け止めることができて、そのままを愛することができるんだと思う。
見つめたものが自分の世界だから。


人生思った通りにならないことがあったり
信じられない許しがたいことに直面した時
そんなとき

すごく自分の中が揺らぐ 揺らぐ 揺らぐ

でも、でも <だから何?> <だから何?>

そんな世界にいる自分を呪わなくてもいいし
ここに自分が存在する以上の価値を外に求めなくていい。

自分で自分を潰さないように
ただ、そのままを受け止めればいい。

うまく言えないけど
自分の心の中にある光(無条件の愛とか価値?)は、常に完璧なカタチであるのだけれど
それを感じられなくなっているとしたら、それは『自分で自分を潰している』時なのかもしれない。

自分で自分を潰さなければ、その光に導いて行ってもらえるのかもしれない。

それを信じて、恐れじゃなくて100%の愛を選択していく人生を歩んでいきたい。

今、これを思うってことは
今年はそんな私を生きる始まりの1年になるのかな〜☆

キャッチな晴れの日

今日は、新卒で同期入社した会社の同僚の女の子の結婚式でした
彼女はずっと、その会社に勤めていて、会社の後輩君との職場結婚で、私にとっては同窓会のような披露宴でした

同期入社の女子は
そのうち一人は入社1年くらいで寿退社、もう一人は数年前に会社を辞め(こちらも先に辞めた後輩男子と後に結婚)1年前に子供を生みました。
そして、今回の彼女

そんな事情もあって?順当に(笑)ブーケトスでキャッチしましたよ

ブーケ

なんだか、今回の結婚式はとても色々と考えさせられました

中でも、やはり色々と思いが胸をよぎるのは、「新婦の両親への手紙」ですね・・・

両親としても、育ててきた娘が嫁に行くというのは感慨もひとしおなんだと思う。オリジナル家族以外の人と、これから人生を一緒に歩いていくのだから・・・
そして、娘としても今回のスピーチでもあったように「ここまで育ててきてくれてありがとう・・・」という心境になるのだろう。

その様子を見守りながら、私もオリジナル家族以外の誰かと手を取り合って人生を歩んでいくことを両親に応援してもらいたいし、ある意味で安心してほしいし、元気なうちに孫の顔も見せてあげたい・・・と感じていました。

でも、それと同時に今までの結婚式ではなかった想いが湧き上がりました。

結婚じゃなくても、両親に今を応援してほしい(モチロン応援してくれてるんだけど、それをきちんと受け取るという感じかな)、
パートナーが見つかった時、結婚する時じゃなくても、ここまで、今まで、今この時を幸せに過ごせていることを、両親に伝えたい、
結婚したから子供が生れたからじゃなくて、条件付じゃなくて、今すでにココにある幸せをオリジナル家族と分かち合いたい、
と思いました。


娘だからできることは、親元から離れて結婚して見送られて旦那さんの姓になって子供を生むこと・・・それもモチロン醍醐味でそうしたい。

そんなふうに、通過儀礼がきっかけとなって親への感謝の気持ちを再認識したり伝えたりとかあるかもしれないけど、そうでなくてもやっぱり、今ここに私があることが両親のお陰なんだなと思いました。

自分は、そうだと気付いてなくても、実は私はいつも色んなチャンスを手にしているんだと思います。
悩むことがあっても、嫌なことがあっても、自分がどうしたいか分らなくなっても、自分が思っている以上に、親は親でいてくれるんだと思います。ご先祖様は見守っていてくれるんだと思います。

と、書いていてガチで泣いてますけどね(笑)
今月は誕生月だし、色々伝えたいこともあるし、両親への手紙でも書いてみようかな〜


そして、結婚式が終ってから、4年ぶりくらいに会社に潜入しました
本日も会社は稼動しておりました

私は不参加でしたが、二次会のまで時間を給湯室で元同僚や途中、現社長と(笑)一緒に過ごしました。

知らない女子社員もなぜか私の名前をフルネームで知っててくれたり(笑)、部外者なのに同僚のように接してくれるのが嬉しかったです

給湯室で繰り広げられる、女子社員と営業社員との遣り取りとか、変わらない物品や風景の中で、昔にタイムスリップしたような感覚になりました
このなんとも言えない感覚むちゃくちゃ居心地が良かったです

その当時からずっと頑張っている、現課長さんとザックバランに仕事のこととか今の状況とかを聞かせてもらったり、お話しすることが出来ました

大学を卒業してから3年と少しの社会人としての生活の基盤がそこにありました
今の会社に転職してもう5年になりますが、当時の3年間はとても濃かったように思います

当時の私、今の私、当時の場所にいる今の私、本当は私はもういないこの場所、新しい場所がある今の私
この場所で今ここにいるヒトたち、この場所で二度と交錯することのないヒトたち・・・

パラレルワールドでっす

何が いい とか 何が 悪い とかじゃありません。

ただ、ただ、私の「今」を迷うことなく、疑うことなく見つめること

見つめたものが私の世界だから、、私の「今」を創り出しているのは間違いなく「私」

それを時には信じたくなくなるときもあって、目を背けて感じたくなくなることもあるけど、

間違いなくそうなんだから、自分の選択に自信を持って、いっぽいっぽ歩んで行く事が大事だ

と、そんなことを感じました。

初心に戻りました
忘れていた大切なものに触れられたような気がしました。
あ り が と う 

嗚呼、10月 嗚呼、10月 2011 

Harvest moon

昨夜は中秋の名月でした。

寝る前にしばらく月光浴をして、いつもは朝やっている日課の呼吸・瞑想に入りました。

瞑想が終って、そのまま小1時間ほど眠ってしまったらしく、目を覚ましました。

丁度、お月様が上まで上がっているかなと思って、ワクワクしてベランダに出ると、雲に見え隠れしながらまん丸な顔を覗かせてくれています。

嬉しくなって、またずっと空を眺めていました。


しばらくして、ふと、眼鏡を外して満月を仰ぎ見ました。

すると、まん丸満月が八つくらいに重なって、大きく大きく見えました。

眼下に見える周りの街灯や信号機のあらゆる光も、何個も重なって、まるで万華鏡を見ているかのように、キラキラキラキラして見えました。

焦点の合っていない目で、その光景を眺めていると、ふいに心に温かいものが流れ込んできたのです。

なんとかして、生活を正して、自分を正して、正しい方向正しい方向へと、完璧であることを目指して、自力で模索しながら進もうとしている自分が日常にいます。

けれど、こんなふうに 眼鏡を外す。たったそれだけのことで、今まで見えてきた世界とは違ってきます。

眼鏡のお陰で、私は満月を満月として見れていたのです。

いくら自分が頑張ろうとしても、眼鏡を掛ける・・・たったそれだけのことで、そのお陰で、今の世界が見えていたのです。

眼鏡を外して見たって、月夜に照らされた世界は、それはそれは綺麗なものでした。

眼鏡を付けて見ている世界

眼鏡を外して見ている世界

一体どっちが本物?

完璧を目指していても 自分自身で自分の完璧を目指していても

たった眼鏡1個でこんなにも世界が違うということ

眼鏡のお陰で今の世界が見えているんです 今の世界に住んでいるんです。

自分で完璧でないと感じていたって今の世界にこうしていることが、眼鏡によって許されている

すなわち、今ココで、この世界を見ている自分自身が、すでにもう完璧な私として存在することが許されている。ということ・・・

だから、もう正しく完璧であることを模索しなくてもいい

そこに力を注いでしまわなくても、私の世界は今ココに完璧に存在してる

そして、そこにある私はすでに完璧なんだなって

そんなことを感じました

とても素敵なお月見になりました

癒しとは、気分ではなく実践である!

一人暮らしを始めてから、自分がリラックス下手だということがイライラするくらい(笑)身に染みてわかるようになってきました。
ずっと胸の奥がざわついてて、なんだか気ばっかり焦ってて、のほほ〜んと出来ないタイプなんです。こう見えて・・・

それとは、別の話で、自分は自律神経系が余り強くないな〜という自覚がありました。
でも、体が丈夫なだけに、今日は寝不足なだけ〜家に帰ったら治る〜とか思って、全然平気でやってきました。
(調子が良くないと、倒れたことこそないけど立ったり座ったりだけで立ちくらんだり、歩いててフワフワしたりする)

けれど、先々週末に岡山であった2泊3日の座禅断食に参加したことがきっかけで、この「リラックス下手」と「自律神経系が強くない」という2つの側面が自分の中でピッタリ重なって、自分の体のことが分ってきました。

合宿では断食することに関しては、ヨガ呼吸法を毎日実践しているお陰か、もう食べるの?ってくらい平気でした。
この断食のお陰で体はすっきりデトックス、予後の7日間の生活もほぼ100点に近いカタチで過ごしました。

そのはずなのに、色々思わしくないこともありまして・・・その結果

私はリラックス下手であるがゆえ、副交感神経がしっかり機能していないが為に、自分の体を100%気持ちよく活かしきっていな〜いという答えに行き着きました

体の調子は心の調子にも影響します。
いくら外からいい事を取り入れても、自分の中の自分を調節してくれる自律神経系を無視しては、本当のいい心と体はつくれないということが、腑に落ちたのです

しかも、その副交感神経をもっと機能させる方法はいたって簡単で、加えてそれは私が前々からそうしたいと思っていたことでした

それは、まず、自分を労わり自分を癒すことです

精神的な話でなくても、自分が何かアクションする時には、自分の体が万全でないと100%のパワーで周りに影響を与えることができないですよね。
スピリチュアルな話でも、自分が本当に幸せで満たされていないと、自分以外の誰をも本当の意味で幸せに満たすことは出来ません。

人を癒したい欲求はあるのに、なんだか自分に関しては何もかもが億劫な私・・・

でもでも、やっとそこのところから抜け出しそう

この夏は、自分を大切にしなさい、自分だけのことをまず考えなさい、ってメッセージを色んな方から色んなカタチで頂くことがありました
そして、これからその具体的な行動を起こしていけそうな予感がしています

  感謝

2011年、今年の夏もありがとう

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H21.1月にドキュメンタリー映画「宇宙の約束」を見て心が大きく揺さぶられました。かっこちゃんは、命あることの尊とさや慶びを人々に穏かに優しく思い出させてくれる・・・そんな存在だと思っています。

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やこっちの花咲blog は、2005年の暮れに元々「社労士受験生」ブログとして書き始めました。その頃から沢山の方々に見守って頂いて感謝しています 時には目標を掲げつつ、日常の出来事や気付きを気ままに綴っています。  ワクワクすることは、フラダンス・歌を歌うこと・インプロ(即興演劇)ワーク・筆を持つこと...etc. すべてのことはきっと、いつかのいい日のためにある と信じて毎日100%で生きていけたら素的ですね

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