2010年01月15日

2012

しばらく前になるが、2012を観た。
これは予告編を何度か観て、どうしても看たかった映画。

ウーン、うまい。
外さない。

あの、キャンプで出てくるちょっといってるお兄さん。ラジオで大変だと騒いで・・・。出てくるべき登場人物。紋切という批判をすることなかれ、こういうキャらは出てこないとみる人間は物足りない。

そして、黒人の科学者が、船に乗ってる父親に電話する。危機が迫ってくるので、父親を助けたい。機密なので息子は事情を話せないがそれとなくほのめかしてながら救出に向かうと告げるが、

父親は事態を察して、

良いんだ、私はこれまでしあわせだった、云々と死への覚悟を述べる。

ここできっちり観客を泣かせる。

これ、日本映画の日本沈没と比較するとわかりやすい。剛君のお母さんは中途半端で、死を覚悟したのかどうかはっきりしなかったし、最後まで死なない。ドラマとして何の意味があったんだろうか。

この映画では大統領がやはり、合衆国とともに滅びることを選ぶ。

日本沈没では石坂浩二のやってる日本の首相は飛行機にのってて火山の噴火に巻き込まれて死んでしまう。わざわざ、マヌケな死に方させて何の意味があったんだろうか。

この超娯楽パニック大作は、見ていて何コレ、というシーンが無くて、最後まで観たいシーン、観たいストーリーがつづいていく。長くて、観てると疲れるし、最後の方舟のドアを閉めにいくシーンだけはダルかったが、他は本当に不満がない。

これでもか、とハラハラシーンがちょっとわざとらしいが、それはご愛嬌。

つぼを押さえた映画、盛りだくさんで、満腹、満腹。


yama440607 at 00:49コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

2009年12月15日

飯島愛

nekoさん、コメントどうも

愛さんて本当に聡明な方ですよね。
だからこそのAV出身者にして唯一無ニなあのサクセスを
実現させられた。
そして、強い。
でも、やっぱり非常に脆い部分もあったのかなぁと
なんとなく思います。

死んじゃって、この世から大きな光りが消えたような、
そんな非常に惜しい気持ちを起こさせるほどの、
とても稀有な方でした。



そうでしたね。

バラエティタレントとしてすごかったし、
なんて言うんでしょうね、直感的にものをとらえる力でしょうか。天性のものか、あるいは実家の厳しい教育の成果ですかね(だからいやになって家出したみたいなことがプラトニックセックスには書かれてましたが・・・)。

彼女のハナシをまた聞いてみたいな、と今でも時々思うんですね。

それにしても、これは4年前の記事ですね。よくぞお読みいただきましてありがとうございました。



yama440607 at 00:31コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

2009年07月16日

MW その5


とても参考になりました。ありがとうございます^^

kzkさん。コメントどうも。お役にたてましたかね。あのシリーズはお勧めですねえ。良い本は何ものにもかえがたいですね。

それと、MWファンさん、

たびたび済みません。
こんな↓記事が出ていますね。。。


週間シネママガジン (2009-07-14)
玉木宏の同性愛描写、事務所はOKしていた
http://cinema-magazine.com/program/blog/?blogid=1865
そんなことを今さら言っても。。。という気が。。。


ですねえ。

リンクの記事を拝見したんですが、何で製作サイドはMWにこだわったんでしょうな。神父はコスプレだけで、特に神聖さについて関係なし。それに、同性愛についてもストーリーの構成要素としては使っていないわけで。

スポンサーからバツが出ない程度の、ゲリラ的に俳優の演出でホモ色を出すことにどんな意味があるんですかね。

MWじゃなくてよかったと思うんですな。

日本でもすばらしいアクションが撮れることを証明したい。賛成です。冒頭のカーチェース悪くないと思いますね。おっさんが一生懸命かばんをもって走る。刑事が必死に群集の中を追いかける。アクションの原点って感じがしますね。

そこに徹するハナシを探して、そっちを追求すればよかったですな。タランティーノのパルプフィクションみたいな軽いノリのバイオレンス映画でもいいですな。

ほう、何をしてた、ハンバーガーを食べてたのか、カフナバーガー、ウーンおいしい
。このジュースはお前のか。これを飲んでのどを洗い流していいかな、チュルチュル、、と相手のハンバーガーを食って、ジュースを飲みながら、他愛無い会話を交わした後、いきなり撃ち殺してしまうシーン、みたいなヤツ。

人間関係をテーマにする気が無いのに、ホモにこだわる理屈がわかりませんな。

だいたい、日本でシリアスなホモ映画が成立するか、ちょっと疑問も感じますね。あちらでホモ映画が成立するのはなんとなくわかるんですな。厳しいタブーがあって、やっちゃったら社会から抹殺されるんじゃないか、くらいのですな。リベラルなノリがあるにせよ、深層では罪を背負うことになって、恐怖と隣り合わせでドラマが生じるという仕組みになっているんじゃないですかね。

日本では、気色悪がられたりはしますが、最後は変な人たちとして受け入れられておしまいって感じで。仲間はずれやいじめはありえますが、それを描くためにホモ設定を使う必要は無いですな。

昔、元気が出るテレビで、ホモキャンプというヤツがあって、ホモの合ハイ(合同ハイキング)企画だったわけですが、これが結構笑えまして。そうかホモもこんなんか、という受け方だったと思います。気持ち悪い、という反応はあったでしょうが、彼らの存在そのものが許せない、みたいなリアクションは日本ではそんなに無いような気がしますがね。

タブーを冒すエクスタシー、みたいなものが、ホモ設定で生まれるか、ということなんですがね。

と、ここまで書いてしまった後で何なんですが、彼らが狙っているのは、そっちじゃなくてヤオイかもしれませんね。女性的なものを廃した究極の理念としての恋愛、ってとこですが、だとしたら、前回の繰り返しになりますが、取り組みがちょっとおざなりですな。片手間だったりゲリラ的に、やるのは無理なんで。この映画で、観客が仮に彼らがホモを演じていると気づいたところで、何かを付け加えたことになるかってことですな。

男の友情、という女性にとっては異質の関係があって、相互のリスペクトが高じて肉体関係にというあたりが、やおいのミソのような気がしますが、この映画はそういうテイストはありません。

手塚治虫が、ホモ設定をどういう意図で使ったのか、すごく気になるところでして、本屋に行くと売り切れで、アマゾンで頼みましたが、ちょっと時間がかかりそうです。



yama440607 at 01:01コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

2009年07月12日

MWその4

なるほど。

> 神父が命を捨てるには、それ以上の理由がなければ観るほうとしては違和感が残ります。

これについてはパンフレットで監督が「この映画は、結城と賀来と MW の三角関係を描いた物語」と説明しています。つまり賀来は結城を愛している。結城は MW のことしか頭にない。だから賀来は愛する男の心を独り占めしている MW (=別の女) との心中を選んだ、ということだそうです。


そういうことですか。それですっきりしました。ならわかりますが、これ、監督がパンフで説明することじゃないですな。セリフでも間に合わなくて、監督が外から補足説明しているみたいな感じですね。

恋愛関係にあって、MWが間に割り込んできて、死んでもいいくらい嫉妬する、これだけで、つまりアクションシーンを全部やめてもってことですが、十分一本分の映画の主題になるわけで、もうムリムリですな。冬のソナタはフツーの、異性間の三角関係で最後まで走り続けているわけで。

ストーリー展開の動因を、恋愛関係に置いていながら、そのドラマを、つまり、嫉妬をぶつけたり、逃げたり追いかけたり、というヤツですがまったく描かないというのは、やはり映画の作り手としてどうか、と思いますな。ドラマ作りに興味の無い人がドラマをやっている、ということになりませんかね。

この映画、ドラマ抜きのドラマだったってことですな。

神父が玉木を愛していたとして玉木は神父をどう思っていたのか。冷たく拒絶、あるいは愛しているがMWで頭がいっぱい。ボートで神父を殺して、おもちゃを壊した、と玉木に言わせているので、玉木が神父におもちゃ以上の執着が無かったことは確かですね。

嫉妬で死ぬんであれば、神父であることの意味はまったくありませんね。ただのコスプレだったのか。

神・罪の要素なし、同性愛もドラマ抜き、であれば、神父じゃなくて,玉木との結婚を夢見るフツーのOLにしとけば良かったと思いますがね。玉木に献身的に尽くすが、まったく振り向いてくれない。これならドラマ抜きで観客には一瞬で理解できるし、ドラマに興味のないこの映画の製作者にもマッチしますね。

もっとも、ドラマの天才が作ったとしても、同性愛で、MWが間に割り込んできて、それに嫉妬して、というのはかなり難しいテーマになるでしょうね。単にかまってくれないのが悔しい、ということもになりかねないわけで、格調が低すぎてしまう。

うーん。ドラマは苦手だし、テーマも手に余るんで、こういう映画にした、ってことかもしれませんが、設定も前提もそのまま持ってきてしまったんで、手抜き映画に見えてしまう、ってとこですな。







yama440607 at 10:54コメント(3)トラックバック(0)テレビ・映画 

MW その3


MWファンさん再びコメントどうも。


実は映画でも裏設定として「同性愛」は残っていて、「裏で肉体関係がある前提で」演じるように指示があったそうです。特に山田くんに対しては「結城への愛を全開で表現して」という指示があったようです。確かに、神父は結城の前ではもはや神父ではなくなっていて、単なる「悪い男に惚れた弱みで利用されまくりの愚かな女」
モードになっていましたし。神父が結城を介抱するシーンでの結城の腕を掴みながら
親指で結城の腕をなで回す仕草。どんなに結城に殴る蹴るの暴行を受けても
すがりついて「一緒に死のう」と訴える表情。などはかなり生々しく表現されていたと思います。でもそれらが「よく観ていなければ分からない」レベルだったのが残念です…。


製作側は、裏設定として、同性愛関係を意識していた、ということなんですね、なるほど、よく観れば感じ取れる部分もあったかもしれませんね。でも、私にはまったく意識に上りませんでした(単に鈍いだけかもですね)。恋愛関係というよりは、支配、被支配の、ないしは相互依存の人格関係、たとえば、暴力的な夫に、暴力を許容してしまう性向のある妻の組み合わせ、みたいなやつですね。子供時代に親の暴力を受けて育ったら、やはり暴力的な男についていってしまい勝ち、とかいうハナシがあったはずですね。不幸なことではありますが、性格的な偏向が、偏向した人間関係を生み出してしまう状況を、映画の二人は前提しているように見えるんですな。

そもそも映画のつくりが同性愛関係を否定していて、玉木にセリフで、『命の恩人である僕に逆らえないはずだ』と言わせてますね。観客はこのセリフにしたがってハナシを追っていくので、そこに同性愛関係を嗅ぎ取れというのは難しい。

この映画は、ストーリーの骨格を映像で説明することは半ば放棄しているようで、玉木がなぜ復讐に燃えるのか(実は燃えていなかったりして)、玉木が神父をどう助けたのか、について、説得力のあるシーンをほとんど用意してません。全部、セリフで、そうだったのか、と観客はわかるだけです。

本来であれば、平和な島の生活を描写して、『お前も俺の後をついで漁師になるか』、『うん』みたいなシーンがあって、母親が、『野球選手になるんじゃないのかい』とご飯をよそいながら言うシーンを写しておいて、突然夜中にガスが出て苦しくなって、父親が必死になって玉木を助けて・・・、というヤツを丹念に見せないといけないはずですな。死にかけた父親を玉木の目の前で米軍が殺す、という段取りがあって、初めて米軍と隠蔽した国家への怒りを観客は感情として理解できるんですね。

石田ゆり子の謎解き映画でもあるので、冒頭で見せるわけには行かないかもしれませんが、フツーなら回想シーンを挟んでいくとこですね。石田の謎解きも、うるさいはずのボートでセリフで語られていて、とにかく、観るほうは、ストーリーについては、セリフを追いかける映画なんだ、と理解するしかないように作られていますな。

これだけ、あれこれ説明、説明で仕切られた映画で、説明されていない重要な同性愛関係が背景にある、ときくとギョエーッ、あんたねえ、と思ってしまいますがね。

神父の正義感、これは説明すらされていなくて、左系の大文字『戦争反対』みたいな次元で殺人反対のために動いている、ように見えますな。他と同じように『神に仕える身としてこんな犯罪を許容できない、おお神よ』とセリフで言わせれていれば平仄は合うんですが、大変なことを玉木がしでかしてえらいこっちゃ、という次元と、殺人はとんでもない、という理念次元しか見て取れない。神父が命を捨てるには、それ以上の理由がなければ観るほうとしては違和感が残ります。同性愛が明示されていたとしてもどうかな。

もうちょっとハナシの詰め方に工夫がいるんじゃないか、という感じがぬぐえないんですね。結構みてて楽しい映画で、中身をもう少し踏ん張れば傑作として評判をとることもできたんじゃないかと思うですけどね。まあ、冒頭のきれいすぎる炎やら、子供の棒読み演技やら、タイの玉木に目立つ真っ白なスーツを着せるだとか、あまりのリアリティ無視をやめて、薄いハナシにそれなりの重さをのせられれば・・・、ですな。

うーん、残念!!









yama440607 at 00:11コメント(1)トラックバック(0)テレビ・映画 

2009年07月08日

MWその2

MWファン さん、コメントどうもありがとうございます。


結局、主人公 2人の間にある「同性愛設定」を曖昧にしてしまったのが問題のようですね。神父でありながら結城とのセックスに溺れているという設定があるからこそ「禁断」の香りが出てくるのに…。

一応、プロモーション上は↓こんな写真も公開されていますけど。
シネマトゥデイ (2009-07-03)
禁断のエロチシズム!妖艶な玉木宏と山田孝之が絡む衝撃の1枚
http://www.cinematoday.jp/page/N0018693


原作では二人は恋愛(性愛?)関係にあるんですね。

それならば二人の濃いつながりも納得できますね。
映画でも、その設定をきちんと出していれば、かなりなものになったでしょうし、話題になって商業的にも成功したに違いないですな。

別にハードな描写でなくても二人が手を握る、だとか、神父役が寝ている玉木にそっとキスする、だとか、そんなのでも十分なんで。いやこれはいかん、というわけで神父がMWと一緒に飛び降りて自殺する、という流れでもよかったと思うんですね。演じ方によっては、かなり感情を揺さぶる形にできたはずです。

玉木と神父が熱愛だと気持ち悪いんで、神父役が片思いで、玉木は気づいていながら放置、あるいはそれを利用している、というあたりで、最後にちょっとだけ冷酷なはずの玉木の気持ちも動いて・・・、くらいの余韻を残せば、まあ、ありがちではありますが、違和感はなくなりますな。蜘蛛女のキス、みたいな。

だいたい、神父設定なのに、祈りのシーンやら、神に自分の(なり玉木の)罪の許しを請うシーンなり、セリフ一切なしで、かなり変な感じになってしまってますね。あれだったらフリーターのお兄ちゃん設定であっても、かまわなかったですな。何回かマリア像をクローズアップしてますが、ほとんど意味なかったし。

原作も読まずにいうのもなんですが(だったら言うなって感じですけど)、手塚が神父設定と、同性愛を持ってきたのは、大人の男二人が、一体で善と悪を体現する、というテーマを(と勝手にこれまた想像しているだけですが)展開するにあたって、どうしても作話上の必要性があったと思われます。

相互に排外関係にある男と男。善と悪、神と悪魔の関係。

男二人に、神父という誰にもわかりやすい神の代理役とモンスターキャラを付与し、それに同性愛といういかにも人間臭い、他者への執着を介入させることで、反発しあうものが離れられない。善悪という理念上の対立関係 vs 人間の執着という構成にもなっていて、天才手塚の頭の中でドバーンとハナシが拡がって・・・。

すごい漫画になったんでしょうな。

と書いているうちに、読んでみたくなったりして。

yama440607 at 23:35コメント(1)トラックバック(0)テレビ・映画 

2009年07月05日

MW

ぷらっと、映画館に。

時間があっているのはこれしかない。
手塚治虫原作か。原作は知らないが・・・。

日本映画のアクションもの。ウーム。任侠ものならまだしも、この手の映画で満足したことが無い。不安がいっぱい。でも、このまま観ないで帰るのもなんだし・・・。

ってなわけでMW。

冒頭、後悔。

子供が死んだ母親の前で、『お母さん、お母さん、お母さん、お母さん』とひたすら繰り返す。せりふ棒読み。この変でもうありえない感じ。この演出センスでずっと2時間見せられるのかと思うと、帰りたくなる。

すでに死に絶えた村。米軍が残兵ってか残った市民の掃討中で銃で窓を破る。やたら動きが早い。相手は市民で、ほぼ死に絶えている中で生き残りが無いか確認しているのに、今にも突入せんとばかりのばたばたした動き。ありえない。映像として動きがほしいのか、ムリを感じる。米軍の非道を描くところだが、全然怖くない。違うよなあ。

火炎放射期の炎もやたら派手で、ちょっと違う感じ。あえて幻影感を出しているのか。イメージビデオなら良いのだが、ある程度リアルな線も狙うべき映画なのではないか。

とまあ、冒頭でくじけて、いやな感じだったが、映画全体としては意外によかった。最後まで退屈しない。タイでのアクションシーン。東京の銀行本店や警視庁のシーン。ちょっとありえない派手なオフィスだが、まあ良い。ストーリー展開も骨格がきちんとしていてご都合主義な感じも無い。

キーになるキャラが途中で殺されるという、意外な展開もあえて主人公の冷血キャラをくっきりさせていて、グー。

ただ、細かな演出のありえない感じが、最後までつきまとって、どうしてもノレない。あの神父は何者なのだ。神父でなくてもいいじゃないか。なんで玉木をかまうのかもよくわからない。深刻ぶった性格設定だからあんな感じになっているが、必然性は無い。ナイフをもって寝ている玉木の前に立つ。多分殺そうとしてためらったのだろうが、まったくシーンに緊迫感が無い。ここは手の動きや呼吸で表現するところだろうが、がっかり。米軍の掃討の余計な動きがあるくせにここでは動きがない。

玉木の冷血漢ブリも、まったく必然性なし。ってかなぜ冷血になったか、説明もなにもない。多分、家族を殺されたんだろうと想像はつくが。あるいはMWのせいで共感する力が無くなったのかも知れないが、もうちょっと丁寧にその辺を描かないと観ていて怖くない。エクソシストで、医学チームがリーガンを懸命に調べるが奇行の原因がわからない。どうも悪魔の仕業らしい・・・、ああいうぞっとさせる工夫がほとんど感じられない。深刻ぶっている映画の割りに、つくりのノリが香港のアクション映画なのだ。そういうキャラなんだからそれを面白がれ、ってか。キャラの説得力というのは作家がかなり力を注ぐところだと思う。一番おいしくて面白いとこなのに、なんでスキップしてしまうのかな。

観るものに薄っぺらな印象を与えるのはそのせいだ。これ、一応、復讐物語なのだが、復讐映画なのか、冷血漢の映画なのか・・・、そうセリフで説明されているだけで、実際はどっちでも無いような、ひたすら薄い感想。おしゃれでクールで無感動な玉木を描きたかっただけなのか。

玉木と神父の2キャラがテキトーにとってつけしている以外は問題ないのだ。山下本部長役のおっさんの演技が、あまりにグーで、ぞくっとさせられる。脇はがんばっているのだ。なぜ、映画のコアになるメインの二人の設定をもっと掘り下げなかったのだろうか。

ここまでやってるのにって感じ。なんで、もうちょっと面白くしてくれないのかねえ。サービス精神が足りない感じ。駄作とは呼ばれないかもしれないが、即座に忘れ去られてしまう。

こういうの北野武が作ると、ピタっとくるんだろうな。うそっぽいせりふ回しは一切なくて、ぼそぼそっとしゃべるだけで、シーンが回転してゆく。いろんなエピソードの積み重ねの中でキャラの重さも十分伝わってくる。そんな感じで、MWもやればもっと・・・。

だいたいしゃべり過ぎやろ!!








yama440607 at 22:33コメント(1)トラックバック(0)テレビ・映画 

2009年02月02日

ダークナイト

去年封切りの時に、結構評判が良かったので観たかったのだが結局観れずじまい。あきらめていたら、なんとリバイバル上映をやっているではないか。これは観ねばと、チェを観るのをやめてダークナイトへ。

うーん、これはスターウォーズのダークサイドに落っこちてもた、というのと同じで、善と悪、それだけでなく、人智の限界というか、神の領域というか、結構深いテーマを、この娯楽アクション大作に盛り込んでいる。

ダークナイト、ホワイトナイト、悪魔ジョーカー、この3者の絡みでストーリーは展開。ジョーカーはバットマンのネガであり、バットマンが存在するからジョーカーが存在するという、まあ、悪魔は神のセールスマン、的な。バットマンも俺も同じ仲間だと、というジョーカーの言葉がバットマンに、そして観客に突き刺さるシーンがあって、この映画が一段高いものを目指していることがわかる。

ジョーカーは悪魔で先を見通すことができ、一般市民のモラルや、人智によるコントロールをあざ笑う。実際に邪魔をして一般人を窮地に陥れて楽しんでいる。

ホワイトナイトは一般人を代表。一般人のモラル、人智によるコントロールを象徴。

ダークナイト、つまりバットマンは、神で、やはり先を見通すことができ、モラルを体現している(一般人のモラルではなく完璧なモラル)。


そして、神と悪魔の間をホワイトナイトがうろうろする、二つの顔を持つホワイトナイト、というのがストーリーの骨格になるが、ホワイトナイトは人なので、必然としてジョーカーの手に落ちる。そこで人としての、一般人としてのモラルの真価が問われるが、やっぱり負けてしまって・・・。

こういう寓話的な要素を盛り込むことで、ストーリーをおくの深いもの、印象深いものにしていて、受ける感銘も奥行きを持つが、まあ、娯楽作の範囲であって、エンディングに近づくにつれ小さくまとまってゆく感じは否めない。エンディングにもう一ひねりあれば、と若干残念な気もする。また、演技やシーンに印象的な、名場面といえる部分もあんまし無くて、映画好きとしてはちょっと物足りない感じもして。ただ、これは良い映画だからこそ感じるファンとしての欲。フツーのアクション映画にはもともと無いことの方が多いし、それで不満をわざわざ感じることもないのだが。

日本人としては神だ悪魔だといってもなじみがなくて、寓話としてのリアリティも今ひとつ実感がわかない。あちらの人が見て感じるインパクトとちょっと違うんだろうな。

とはいえ、寓話要素抜きでも、アクション、ストーリー、ともにその辺のアクション映画とはレベルが違ってて、断トツ面白い。長いが飽きず。観られて良かった。




yama440607 at 01:24コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

2009年01月05日

地球が静止する日

ああ、何でこうなるの。

前半は良い。とっても良い。
映像も良い。とっても良い。

が、ハナシが・・・。

宇宙人がやってきて、人類を裁く。

あって良い。これくらい大きなテーマなら、何度も使われて使い古しでもかまわない。インディペンデンスデイも単純なテーマで、宇宙人が攻めてくるってやつだったが、かなり成功した映画だった。

で、この映画だが、細部は良いし、ひとつひとつのシーンも最後まで飽きずに見せてくれる。だが、テーマの掘り下げがあまりに浅く、ご都合主義のまさかの展開。

これだけは無いよな、と思っていた結末が、あっという間にやってくる。

うそだろ。もったいない。これが終わった瞬間の感想。

本当はもっと練られた脚本があって、後でカットされたのかも知れないが、なんせ、ハナシにクライマックスが無い。最後まで盛り上がらない。伏線とおもっていたシーンも後で展開されない。日本映画のひどいのにあたるとそんなコトがあるが、これはそれほどひどくない。物足りなさは残る。

最後はハッピーエンドだが、差後の最後までどっちに転んでも良いし、見終わってもどっちでも良かった感じ。つまりノレない。

最悪映画とはいえない、それなりに面白い。満足感は得られないかもしれないが、ヒマつぶしには良い。そんな映画。


yama440607 at 00:46コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

2008年11月03日

ウォール街流 米国景気予測の方法 5


ウォール街流 米国景気予測の方法 - 元ゴールドマン・サックス人気アナリストが明かす実践的手法 (単行本)

この本は正直なところ、紹介するのがもったいない位だ。

経済指標を紹介する本は数々あれど、そう、私も結構読まされた口だが、これくらい明快に、体系だって、かつシンプルに」説明している本はない。

指標ひとつひとつを細かに説明している本はいくらでもある。どうやって調べた指標か、誰が発表しているのか、いつ発表されるのか。

それを読んでも一向に重要性がわからない。経済の中の位置づけはわかる。設備投資は重要だろうし、消費も重要、政府支出も景気に大きく影響します。それを言われても一向にわかった気がしない。

本書は著者がゴールドマンサックスで、小売部門のアナリストを務めていたときに発見した法則、景気の観方についてまとめた本だ。ウォール街の顧客に対するレポートを書いていたわけで、景気予測も最終的には、株の売り時、買い時を探るため、という明確な目標を持って分析している。

そこがフツーの景気予測本と違うところで、著者の関心は大きな下げを避ける、という点と、遅れずに買い出動する、という点に絞られる。

分析目標が明確なので、これだけ明晰な結論を得ることができたんだろう。

と、前置きが長いが、著者の結論は極めてシンプルで、この分厚い本で主張していることはあまり多くない。

〃糞い寮莵垰愽犬箸靴討蓮⊂暖饂拿个鰺僂い襪海

景気を先導するのは、設備投資でも政府支出でもなく、消費支出である。著者はいくつものチャートを持ってきてこれを説明する。ほとんど例外なく消費支出が先行してしかる後にGDPの動きがついてくる。

∋愽犬倭闇同期比を使用すること

直前期との比較をしても季節調整が必要であったり日数調整が必要で次第に実数から乖離してよくわからなくなる。生の数字が大事だし、その点では前年同期の比率で比較するのがベスト。

著者の結論は過去の経験、過去の数字から導いているので説得力がある。

消費支出の先行指標としては実質ベースの時間あたり賃金の伸び率を使う

失業率でも消費者信頼感指数でもなく、インフレ調整後の実質賃金の前年同期比伸びる率が有効だ。

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失業率は消費支出の伸びが劣化した後もしばらくは好調を維持する傾向がある。経験的には遅行するので、低失業率にだまされていはいけない。逆に、失業率が急激に高くなってしまっても、すでにそれは景気悪化の最終局面である可能性がある。消費支出が回復をすでに始めている場合は、失業率の悪化にだまされず買いに入らねばならない。

とまあ、こんな具合。

著者によれば、景気を引っ張るのはあくまで消費支出であることが、理解されていないとかで、通常の景気サイクルは、消費が伸びることがまず第一段階の動因になる。売れ行きが伸びれば生産があがり、設備投資を決断し、追加雇用がなされるのであって、その逆ではない。雇用が伸びれば消費もあがる、というルートも存在するが、あくまで二次的であって、本来の流れは消費がスタート。

これは普通に仕事をしていればなんとなくわかる。従業員の採用やカットを決めるのは景気が良くなったり悪くなったりしてしばらくたってからだ。遅行指標だという説明は良くわかるし、著者の比較チャートをみると確かにそうなっている。

懇切丁寧な説明が繰り返しなされる。極めてわかりよい。

こんな本を待っていた、って感じ。






yama440607 at 22:24コメント(0)トラックバック(0) 

レッドクリフ


これは面白い。

娯楽作として見せ場ごっそりで、アクションと政治、義理人情、悪と正義、まあ、材料からハナシの組み立てから撮り方から文句なし。音楽は日本人が担当しているようで、谷村真治っぽい変な主題歌が流れてこないかと心配だったがそれもない。

こういうの観たい、というシーン満載だ。

劉備の3人の部下が戦場で思う存分、個人の力で戦う。百人力。

諸葛孔明の神秘的なキャラを金城武がやっていて、実にかっこいい。ソース顔がここでは浮かない。

騎馬での一騎打ち。これも見せる。

古代ローマの戦い方じゃないの、あんな戦い方を古代中国でもやっていたんだろうか、馬の扱いがうまかったのは中国じゃなくてモンゴルじゃないの、と気になるところではあるのだが。そう、どうも、これまでみた西洋歴史モノとかぶる。

ハナシのつくりも、妙に違和感がなく、日本の戦国モノのようであり、孫権の妹がおてんばで活躍するとこなんかは、日本のマンガやら30分の子供向け番組でのキャラの使い方で、ハリウッドともちょっと違うような。

いろんな点がちょっと気になって微妙だ、というか、あまりに観てて素直に自分の中に入ってきてしまうところが、逆に変な感じがする。日本人的な感性にあまりに近い感じ、と言っても良い。

これまでも、ジョンウーの映画はほかにも数本観ているが、こんな感じは受けなかった。女性観、忠誠心、そうしたものの捉え方が日本人的に作られているのだ。ハリウッドや中国人の感性はもっと違うように思えるのだが・・・。兵隊が水牛を盗んでばれそうになるが、将軍が助けてやるシーン。ここでホロっとさせるのだが、こうした感性は日本的だと思う。もちろん感情の世界は万国共通だが、こういうシーンで、観客に訴えかける仕掛けはハリウッド映画では観たことがない(私だけか?)

こういう仕掛け、ちょっとしたイキな感じ、は北野武映画的なのだ。

これは日本人のために作られた映画なのか?

まあ、とにかく、すごい映画であることは間違いがない。一流監督が国際俳優で海外の題材をネタに撮った、日本映画、ってトコですか。

水準は世界一流で必見。

一流の日本映画として観ると良い。日本映画が一流になるとこうなる、という観方をしても良い。

いずれにせよ、理想的な娯楽映画で文句無し。




yama440607 at 18:03コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

ブラックマネー―「20兆円闇経済」が日本を蝕む

ライブドア事件以来、ネットにあがっているブラック情報を意識して読むようになったが、そういうのは断片的だったり、はしょっていたりでわかりにくい。

個別事象を扱っているので全体の流れも見えにくい。

本書は、最近ネットで話題になり、よくわからなかった事件の概要がわかりやすく、あるいは、なんとなくほのめかす形で整理されて説明されている。

驚くのはブラックの、その規模と、食い込み方だ。

これは90年代のバブル時代にすでに指摘されていて、また、最近ではベンジャミンフルフォードのペーパーバックがベストセラーになったりもしたが、依然として大きな、というか巨額のマネーが動いている、ということ。

20兆円、とか30兆円、とか書かれているが、これはひとつの主要産業とも呼べる規模であって、もし本当ならトンデモなハナシ。

経済のスピードが上がっていて、さっさと処理をしたいががんじがらめで物事がうごかない。なんとかしたい、というときに暴力装置が動き出す。大手は自分が直接かかわらないように、別の会社をかませる。その別の会社は実は・・・で、だがそれを知っているのは幹部数名で、社員の大半は堅気で業務も大半は堅気。ただ・・・。

最近の規制強化の動きは、ブラックに対する当局の危機感の現れである、との見方も本書では示されている。『官製不況』はいただけないが・・・。

少し敷衍して考えると、

もし数十兆円が正しいとして、

数十兆円。アウトロービジネスはモノを作るわけじゃない。あえて分類するならサービス業で、大半が人件費と利益で、つまり付加価値の高い業種だ。この数十兆円、かなりの割合がブラック業界に回収される、ということ。

それがマネーロンダリングされて海外に出てゆけば・・・。

日本の経済はどうなるの。

日本国民はロシアを笑うことはできない。



●本書の目次
第1章 ヤクザマネーの奔流
第2章 不動産ミニバブルの陰で跋扈した闇勢力
第3章 闇勢力に食い潰された新興市場
第4章 巨大銀行を狙う闇勢力
第5章 「黒い目の外資」とヤクザの奇妙な共生関係






yama440607 at 08:46コメント(0)トラックバック(0)読書 

2008年10月27日

9月百貨店売り上げ

やはり悪い。4%の落ち。
婦人服が弱い。宝飾も。

東京、大阪など、大都市が連続して落ち続けている。
一部食料品以外はだめ。ほぼ全滅と言っていいほど落ち続けている。

ただし、9月に入り、極端に落ちたという感じでもない。
10月のこの株安がまた激しく影響しないかどうか。


強烈な株安は9月後半から。本格的な株安影響は10月からだと思われる。



1.売上高総額   5,240億円余

2.前年同月比   -4.7%(店舗数調整後/7か月連続マイナス)

3.調査対象百貨店   92社 279店 (平成20年8月対比-1社1店)

4.総店舗面積     6,792,407m2 (前年同月比:-0.2%)

5.総従業員数     101,027人 (前年同月比:0.7%)

6.3か月移動平均値  2-4月 -1.4%、3-5月 -2.4%、4-6月 -4.6%、

                5-7月 -4.2%、6-8月 -4.4%、7-9月 -3.3%

yama440607 at 23:48コメント(0)トラックバック(0)ファンダ分析 

会社再建 高杉良

経営者には3種類、オーナー経営者、サラリーマン経営者、新興経営者、があるとして、来島ドックの坪内さんはオーナーにして創業経営者。

最近は経営者といえば、新興の、ホリエモン的な、成り上がり、成金、胡散臭いイメージがあるが、もともとの経営者イメージは、この坪内さん。それと、大手の、そう、本書で出てくる経団連の会長のような、社内の官僚組織を勝ち抜いてきた人。まあ、今でもそうか。

本書は佐世保重工が経営危機に陥ったときに、来島ドックが救済合併で救ったときのハナシ。経団連の会長やら、役人上がりやらが坪内のところに、あんたしかいない、といって救済を頼みにくる。来島ドック社内は反対の声が強かったが、あえて火中の栗を拾う。

本書を読めば、以下に当時の組合が強かったかがよくわかる。組合理事長は天皇と呼ばれ経営にも口を出し、言うことを聞かず約束も守らない。根も葉もないうわさを市中に流し反坪内キャンペーンをはる。


こうした目に余る行いがあった末に新自由主義が生まれ、急激に思潮の中心に出てきたのだ、ということが、本書のひとつの読み方になるだろう。

坪内さんを美化しすぎ、との批判もあるようだが、あるひとつの経営者の類型の理想形を作家がかたどって見せた、という風に考えればよいだろう。誠意のない相手にも誠意で接し、いつかわかってもらえるから、と弁解しない。かつて戦った組合理事長が選挙資金の無心に来たら、ただで返せないといくらか渡してやる。

佐世保は再生したが、結局造船不況で来島ドック自身が後に破綻する。その際には坪内は私財をなげうつ。経営者のあるべき姿として今日に通じる。

こうした姿勢。また、佐世保を救ってくれと経団連会長や役人が登場するあたり。今でもそうした面はあるだろうが、市場原理だけでなく、業界の秩序や、振る舞いの約束、常識、といったものがかつてはしっかりとあった、というところをしっかりと読むべし。





yama440607 at 01:30コメント(0)トラックバック(0)読書 

2008年10月26日

サブカル・ニッポンの新自由主義

右か左か、そんなのカンケーネー。

とはいえ、では、何に反対し、何に賛成するのか。
著者の着眼はポイントをついていて、『既得権益への反発』だ。


要するに、大した努力もせずたまたま大企業にいるから、官僚であるから、いい家に生まれたから、ぬくぬくしていられる。だからそこをどけ。自分にもその場所を渡せ。

若い世代が小泉構造改革を支持したのは、そんな、既得権への反発があって、それを小泉政権が一掃してくれるとの期待感にノッタから。しかし、結局、既得権を壊した後も、自分がその分け前に預かれるわけじゃなく、ますます苦しくなってしまった。

それで、本書のテーマはこの小泉政権の構造改革の思想背景たるネオリべが、そもそもどういうもので、既得権への反発とどんな関係にあって、本来どう整理されるべきか、ということに取り組んでいる、ようなのだが・・・。

正直なところ本書には何もない。

いつまでたっても本題に入らず、あれやこれやつまみ食いして、それはそれなりに面白いが、周辺をうろうろして、最後の章で何とかまとめようとしているが、

結局、横文字思想家の誰々の主張がどうで、誰々ならこうで、これはこれにあたるが、こういう場合はこうかもしれない、みたいなことを延々と説明されて、よくわからないうちに終わる。

本を書くなら書きたいことを整理してから書き始めるべきだろう。書きながら考えるというならば、形になってから出版すべきだろう。

読者を馬鹿にした一冊、という感じだが、着眼、問題点の把握は正しい。きちんと書き直してくれれば読みたい。





yama440607 at 22:17コメント(0)トラックバック(0)読書 

貧困と愛国


書名はどうあれ、雨宮対談本の一冊。

この本の値打ちは世代の違いがどの辺に出てくるのかわかること。

佐高も雨宮もあえて言えばヒダリ系になるだろうが、佐高が何の迷いもなく『戦争反対』と主張できるのに対し、戦争反対と叫ぶことに違和感を感じる雨宮。

なぜならば、

日本は戦場であり廃墟だから。イラクで死ぬ一般人より日本の自殺者の方が多い。日本の自殺は年間3万数千人。イラクの一般人は何人亡くなっているのかな。日本が戦場だというのはわかる。若い人間が自殺しているし(確か若い世代の死亡原因の一位だったはず)。

佐高が、日本には問題はあっても飢えはなく生活はできる豊かな国になったと言えば、雨宮は若者の絶望的な貧困をあげる。

雨宮からすれば右も左も無い。もともと右翼団体に所属していたが、演説するのに団体の方針から外れたことを言いにくくなって辞めたとある。

私自身も雨宮に実感は近い。そもそも貧困問題に右も左もあるか、というのが正しい。





yama440607 at 21:56コメント(0)トラックバック(0)読書 

2008年10月05日

アイアンマン 映画

9月は仕事に忙殺されて,映画は観ていたがブログ更新は休んでいた。疲れると休日も何もやる気がしなくなる。それと、あえてご紹介するほどの映画が無い、ということもある。

インディージョーンズ。ウーン。水準は保っているが、あえてこれを作る意味は何だ、というところ。恐ろしげな土人が出てきたり、ドイツ兵の変わりにロシアテロリストが出てきたり、追いかけっこして宝探し。うーん。

スターウォーズアニメ版。これは結構○。アニメだからといって全く実写と遜色ない。素晴らしい。

ウォンテッド。これはちょっと落ちる。が、駄作とまでは言えず。こういう作品もあって良い。

順番をつけるとすれば、スターウォーズ、インディー、ウォンテッドかな。ただ、小粒で、観て無くても後悔しない。

これが、アイアンマン。これは出色だ。こういう映画はこう作ってほしい。こういう映画を観たい、そんな映画だ。見所が多すぎて、見逃してしまうほど。そう、間の取り方が早すぎて十分楽しめないくらいてんこ盛りなのだ。勿体無い。

テロリストに捕まって殺されそうになる。その間に主人公がロボットを作ってそれに乗って戦う。できあいの部品なのででこぼこだが、このでこぼこ感も良い。戦車にミサイルをぶッぱなして、カンッ! と命中するが何も起こらない。アイアンマンは振り向かずに歩き始めると数秒後にミサイルが爆発して戦車は大破。

これ、明らかに日本のチャンバラ映画の影響を受けていて、一対一の果し合いで斬り合ったところで、ドッチかがばたっと倒れる、あれ。この間。クール、しびれる。が、あえて文句を言うと、もうちょっと間を取らないと,それに音声も映像も一瞬の止めを入れないと,今ひとつノれない。肩透かしを食った感じが勿体無い。もう一回観にいってあの見せ場を味わいたいと思うくらいだ。間の取りかたはマッハGOGOの実写版の作り手の方がうまい。ああ、そうそうマッハGOGOのスピードレーサーも観たンだった。スターウォーズよりも上。

機関砲で撃たれて火花を散らしながら耐える、このシーンも素晴らしい。

テロリストから逃れた後、新型を作る。これがまた、かっこいい。ちゃんと伏線もしっかりしていてストーリーにも無駄がない。そうハナシもうまい。ストーリーにはムリがかなりあって、漫画チックなのは仕方無いが、それでもよくできている。くだらないアイディアと小道具で1時間半持たせる小細工アクション映画は続けて見せられるとうんざりするが、この映画はその辺とは一線を画している。バンホーヘンのロボコップを思い出した。作り手が映画のツボ、観客を沸かせるツボをよく心得ているのだ。

冒頭、アフガニスタンの砂漠を米軍のハンビーで走ってて、金持ちのプレーボーイが正装をして酒を飲んでいる。同乗する若い米兵をからかいながら、じゃあ記念写真をと、車内でポーズを決めていると、突然テロリストに襲われてドッカーン。

まあ、こう来るだろうという展開だが、やっぱりとがっかりさせるのではなく、そう、こう来なくては、ときっちり見せてくれる。そう、盛り上げ方、間の取り方、どこまでもよくできている。これ、撮り方の問題だが、こういうの日本映画のアクションもマネすると良いと思うんだが・・・。襲われるときも主人公を中心に撮って、敵は写さない。弾丸がハンビーにアタる音をカンカンカンカン、と入れて、米兵が撃たれて、ひたすら主人公を中心に撮る。音の効果で盛り上げる。

あくまで映画は子供の目線を意識している。マーケットは10代を狙っているだろう。シリアス映画なら大佐に『クール』なんて言わせない。しかし、これは大人の鑑賞に耐えうるし、映画好きならしびれるだろう。

これは漫画だし、テーマも浅いというかどうでもいいようなハナシだが、トコトン映画の楽しさを見せてくれるし、ハナシの作りから撮り方から、ウーンとうならせる逸品だ。

久々に観ていて身体を熱くした映画であった。









yama440607 at 23:37コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

2008年07月22日

スターシップトゥルーパーズ3

予告変で、あのバグが・・・。
おお、3が出るのか、あのスターシップトゥルーバーズに。
でも、ちょっとバグがしょぼくね??

と期待半分不安半分で初日に観に行ったけだが・・・。

そう、これまでに観たB級最高傑作といえばスターシップトゥルーパーズをあげるくらいに一作目が大好きで、なんせ高校時代から兵学校時代の描写から、バグとの戦闘シーンから宇宙船戦闘シーンから、どれもワクワクドキドキの超一流B級映画、スゴ映画なわけで、

当然、3が出たら期待が高まる。

2はものすごくスケールダウンした、小品という感じだったが、今回は本格戦闘モノのはずだが・・・。

どうもやってる映画館がかなりマイナーだし・・・。

どうもおかしい、と期待に反して不安も膨れ上がりながら観に行ったところ、

とってもビミョー。

ストーリー。まあこんなもん。一作目の意欲的なネリネリ盛りだくさんのストーリーには及ばないが、シリーズ3作目だし、贅沢言わない。

それがよ、アクションシーン。そう本作クライマックスたるバグ対新兵器のシーン。

ありゃなんじゃ。

一作目のバグの足が飛び散ってみどりの血が吹き出て、次から次からバシバシ追っかけてくるあのバトルを期待してたら、

新兵器がバシバシ撃ったり火を噴いて終わり。ディテールなし。しかも暗くてよくわからない。大昔のアニメみたいで、詳細略、みたいな。

ここを観に来てんだぞ、と突っ込みたくなる。

あちゃーっ。

普通のB級映画。一作目のファンだし、4作目がこのレベルだとわかってたとしても,やっぱり観にいくだろうけど,映画としては超B級。まあリコも将軍になってシリーズ化を考えてるのかも知れないが・・・。

低予算で目一杯がんばりました感はあって、B級映画としての水準は維持されていて、ひどい映画ということではない。

なんかビミョーで、満足でも不満足でもない、肩透かしを食らったような、とても変な感触の映画であった。

yama440607 at 01:37コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

2008年06月30日

マーキュリーマン

まあ、少し、というかかなり期待して観にいったのだが・・・。

タイの映画だということで、マッハを当然念頭に置いて、ああいう映画のパワーアップ版を期待して。

ウーンそれが、かなりもっさい。

なかなかマーキュリーマンにならないし、そのなってゆく過程もめんどくさい。なった後もめんどくさい。

ドラマもアクションもタラタラしてて、こういう映画に必要なテンポやスカッと感、ワクワク感に欠ける。キャラの面白さも今ひとつ。ナンジャこら,と思いながら眠気に勝てなかった。

ハナシ運びのセンスが古くて、まじめで。日本映画のダメなヤツほどではないにせよ、そんな香りがちょっとした映画。

yama440607 at 01:50コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 

2008年06月09日

映画的面白さについて

昨日、映画的面白さに欠けていると書いたが、この映画的面白さについて。
これ、書いては見たものの、一体これは何なのだろう。

改めて聞かれると答えられない。
別に聞かれたわけじゃ無いが、少し考えるに、

映画は映像表現である

小説的面白さ、評論の面白さ、語りの面白さ、とそれぞれあるが、映画の面白さは映像表現にかかわる面白さだ。

言葉ではなく、画面でぱっとみせる。こいつは悪そうだ,きっと悪者側だ、見るからに不愉快・・・。そう見せておいて話を進める。言葉は関与せず瞬間に見せる。

ハンティングパーティに面白さがかけるのは、こうした、当然観客が期待する楽しさを全く与えてくれないからだ。貧しくて腹が減っている。だから出されたドーナッツにかぶりつき、一つはポケットに入れる。それは良い。しかし、リチャードギアが腹を空かしているシーンはここだけ。

このシーンの前に空腹であることを観客に印象づけておかねばこのシーンは生きない。香港や韓流ならば、必ずこのシーンの前に、どっか別のシーンで食い物を見つめてゴクンと唾を飲み込むカットを入れるはずだ。そうして、リチャードギアが飢えていることを印象付ける。香港映画みたいに露骨でなくても、それなりに入れられるはずだ。下品すぎる? ならばドーナツのシーンもカットするべきだろう。

で、ドーナッツが出てきた,ほれ、出たぞ、我慢できない、さっと手が出てきてポケットに入れて・・・。やっぱりやっちゃった。こういうウキウキ感は映像表現ならではのものだ。小説でも出てくるが、映像でこそ楽しく表現できる。

ラストで,イスラム教徒を虐殺した悪人を生け捕りにして、その被害にあったイスラム教徒の町に連れて行って、縛ったまま群衆の真ん中に自動車から降ろす。そして群集はその悪人に気づいて・・・。

これ、ハナシとしては実に面白い。しかし、映画としての面白さには欠けている。何故か。

ドーナツシーンと同じで、前フリが全く無いのだ。観客は出来事を見せられだけ。

この悪人には懸賞金がついていて、当局に突き出せば5百万ドルもらえる。捕まえた後,リチャードギアはどうするのか。悪人をクルマに乗せる。そして運ぶ。この運んでいるシーンを観客にはかなりの緊張感を与えねばならない。どうするのか。懸賞金をもらいにいくはずだ、と思わせねばならない。

そう思っていたら、イスラム教徒の町にいって、群集にくれてやる。

あーあもったいない、と思いつつ,あっぱれっ、と観客喝采、という具合にしなければならないのだが、この映画では、淡々と自動車で運ぶシーンを写し、淡々と悪人をトランクからおろして、群集に襲われるシーンが続く。

観客は映像の流れを見終わってから、何が起こったかを知る。そういや500万ドルはどうなったっけ? という具合。イスラム教徒の悪人への憎悪も、事前に観客にインプットしておかねば面白さ半減だ。本当はもっともっと面白くなるはずの映画なのに。

まあ、あえてそういう手法を取ったのだ、という主張もあるかも知れないが、面白くない。単に出来事を追うのであれば映画である必要は無いし、それはエンターテイメントとはいえない。観る意味が無い。

掃除人に化けた悪人ずらがホテルのシーンで何度か出てくる。観客は当然悪者側だと思うが、最後にCIA側だとわかる。そう、さっき書いたような映像上の伏線→本シーンという手法も製作者は意図して使っている。

しかし、レベルとしては紙芝居や絵本並だ。

絵本で鉤鼻の悪人づらが影で立ち聞きしている挿絵があって、イーヒッヒッと笑っている。そいつが後半に出てきて本性をあらわにする。そのレベル。

この映画、ハナシそのもの、題材は面白い。役者も良い。一応、危機があり、どんでん返しがあり、教科書的には必要な物が全部そろっている。

それなのに映画としては退屈だ。

最近は設定と映像表現の面白さだけで観せる映画が多い。くだらないにしても、それはそれで面白かったりするが、この映画は物足りない。作り物のドキュメンタリー映画的、とはいいすぎだが。

今どきの映画で,この作りはどうよ,という感じ。

改めて、映画の面白さとは何なのか,を考えさせられた。



yama440607 at 22:27コメント(0)トラックバック(0)テレビ・映画 
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