November 16, 2016

福岡の姉貴分との思い出

af8a8791.png初めて彼女にお会いした時のことは今でも覚えている。

山田信雄"アニィ"が"スマイル・ブレイカーズ"というバンドを始めたということで、長崎からまだ博多駅筑紫口にあったころのDRUM Be-1に観に行った。
そこで紹介されたバンドのヴォーカリスト中嶋仁郎と意気投合して、打ち上げ後そのまま部屋に泊めてもらうことになり、朝方まで音楽談義した翌日。
まだ実家に住んでいた、仁郎さんの恋人だった彼女が顔を出したのが最初だった。
当時から愛らしく気さくで面倒見の良い、姉貴のような人柄で、その後もしばらくは、博多に行く度に2人のお世話になりっぱなしだった。

極めつけは、一緒にライヴを観に行って(確かニューエスト・モデルだったかな)、そのまま泊めてもらった翌日。2人は仁郎さんの実家に行く予定になっていた。
勿論、自分は早々にお暇するつもりだったが。

仁郎「予定ないなら一緒に来ん?」
美都「いいっちゃない?行こう!」

結果、図々しくも2人と一緒に熊本人吉の仁郎さんの実家にまで遊びに行き、仁郎さんの母君にご馳走を頂き、何故か実家のカラオケ機器で熱唱し、翌日は人吉観光を満喫したのだから、我ながら図々しいにも程がある(笑)。
今更ながらお2人と中嶋家の豪気かつ懐の広さに改めて感謝(裏では相当呆れてたと思うが)。

一時期彼女も実妹と一緒に"ニードル・ペイン"というバンドを演っていて西新JAJAに観に行ったこともあった。
ドラムが無礼者達の北田さん(美都ちゃんと旧知の仲で、その流れで一時期スマイル・ブレイカーズのサポートを氏が勤めた時期もあり)で、キンクスのカバーで北田さんがドラムの入りを2回続けて誤り、ステージ上で突っ込まれてたこととか、細かい情景を妙に覚えている。

あと、彼女が人間椅子経由でブラック・サバスに嵌った時に、手持ちのレコードをまとめて進呈したこともあったっけ。

2人の披露宴でも一緒に演奏させてもらい、長男が生まれたときも当時住んでいた鳥飼のアパートに遊びにいったりと、その後も交流は続いたが、自分が一時期仕事で九州を離れたこともあり、こうして改めて思い出すのはよく一緒に遊んでいた90年代前半の出来事が多くなってしまう。

2000年福岡に引越してコーガンズを始動した後は、育児や本人の嗜好の変化もあり、バンドのライヴ会場に顔を見せることは殆ど無くなっていたが、当時彼女が働いてた天神のレコード屋を覗いては、挨拶がてら情報交換したり。
それでも、ライヴイベントで人が足りないときに「じゃあ私が」と手伝いに来てくれることもあって、史さんと2人で裏方をテキパキと仕切る姿は、中々に壮観だった。

ただ、自分が東京に移る前後くらいから断続的に体調を崩しだし、結果、それ以降は逢える機会の無いまま、こんな日を迎えることになってしまったのは、本当に寂しい。

「できることはこれくらい」や「ライオンの船」「冒険」を脳内リピートしながら、異国の空で、福岡の姉貴分のことを想いつつ、今宵、献杯。

沢山の素晴らしい時間と笑顔を有難うございました。
どうぞ、安らかに。



yamadacake at 22:22│Comments(0)TrackBack(0)ONE DAY 

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