【日 程】2019年02月23日(土)
【山 域】弁慶山地
【山 名】小桝田山(666m)
【天 候】晴
【メンバ】2人
【コース】
(概 略)
駐車場(7:35)---(11:10)小桝田山(11:45)---(14:20)駐車場
ある郷土史家の著書に次の一節がある。
平田郷、田川郷の北部、海辺荘より仰ぎ見る時、胎蔵山と小桝田山の間から昇る朝日の荘厳なる姿は、真に神の山に相応しい山容である。
庄内北部の名も無き山群の中で、胎蔵山は夏道もあり地元では知られた山であるが、楯山川を挟んだ南側にも一際目立つ双耳峰がある。この山について知る人は地元でも稀であり、2.5万分の1地形図にもその名は載っていない。但し、楯山川の支流に小桝田川の記載はある。その源頭が小桝田山なのだ。
左が胎蔵山、右が小桝田山
旧平田町田沢地区の楯山集落の呼称については、以前は「桝田」と呼ばれていた。それも山名由来の一つなのだろうが、このお山について、実は以前からかなり気になり調べていたのだが、登山ルートも含めて情報は皆無であった。恥ずかしい話であるが正直に申し上げれば、冬山素人がこの山頂に辿り着くまでに4年を要したのだ。
夏道は当然茨の道、従って積雪期に歩くのがもっとも効率的なのだが、原始の姿を今も残す弁慶山地は、目だって高い山が存在しない。故に地形が複雑で見通しも利かずルーファイがとても難しい。地形図にもその複雑な地形すべてを現している訳ではないので、なおさらで、筆者のような素人が気安く足を踏み込むには相当無理がある。
けれどもその魔性を切り捨てるのは容易ではなく、様々な角度から暇を見つけては猫のようにしつこく探っていたのであるが、今回ようやくその夢が叶ったところである。
小桝田山の頂は南と北に二つあり、三等三角点のある南峰は666.78m、北峰はそれより僅かに高く670mコンターが地形図上に載っている。下の写真は旧平田町の山谷付近からの撮影であるが、手前に見える頂が北峰、その奥が南峰となる。今回我々は南峰まで何とか辿り着くことが出来た。

小桝田山
山中はブナと雑木の混生林から始まり、徐々にブナの植生が多くなる。しかし樹木は細く密度も濃い。故に見通しは利かずコンパス頼りの歩行となる。
2月の厳冬とは言え暖冬なのか、いつもより雪解けが早く前年よりは確実に積雪量が少ないのが判る。
前日の好天による放射冷却で、この朝には相当気温が下がり残雪の表面は凍って硬い。体重の軽い相方はツボ足でも全くぬからなかったが、老年性体重過多の自分は早々にワッパを着用した。それでも時折ズボ抜けを繰り返し失笑を買う。

密度の濃い混生林
高度を稼ぐごとに段々視界も開け、周囲の山々が見えてくる頃には気温も上昇し、雪もかなり柔らかくなる。人の手が全く入らない原始の景観は、我々を決して退屈させないのだ。そして雪原には無数の野生動物の足跡が続いており、それが自然の豊かさを証明している。しかしそれは一つの谷を越えると突然見えなくなった。雪質も高度が上がったせいか硬く締まり、表面にはうっすらと新雪が降り積もっていた。

この辺から雰囲気が変わった
山頂直下の緩やかな斜面には、純白の雪面に適度な密度で並ぶブナが気持ちよく、歩を進めるだけでワクワクする。日頃のストレスを忘れるには雪山遊びは最高なのだ。
高度が増してゴールが近づくと冷たい風が少し強くなり、ぴりりと雰囲気が一変する。所々の稜線には雪庇が崩落したような跡が残っており、いくら里山とは言え厳冬の山の厳しさが想像できた。
山頂付近まで来るとやっと北峰が姿を現した。ここは日本海からの季節風を遮る物が無いのだろう、松の枝が奇妙な形をしているのが印象に残った。
松の混生は珍しかった。
そして出発から3時間35分、やっと山頂である。
思ったより山頂部は広かったが北東側は見事に切れ落ちている。東西非対称の山容は弁慶山地では何処も同じなのがよく判る。
尾根続きの北峰には手が届きそうだが、シャリバテの身体は言うことを聞いてくれないのだった。(大汗)

万歳なのだ!!

定番の昼食(笑)
冷たい風を避けようと東側斜面を少し下ったところで昼食の準備をするが、山頂を乗越して吹く風はそんなに強くないがものすごく冷たく、すぐに身体が冷えてしまってゆっくり寛ぐことができなかった。冷え性の相方は我慢できずに飛ぶように下っていった。

どんどん下る相方…
独り寂しく取り残された(笑)ので、あちこち写真を撮りながらゆっくり後を追う。

山頂の風景、三角点が雪の下にある筈なのだが…
庄内平野は霞んであまり展望は利かなかったが、北方及び東方はそこそこ見えた。
地味だが胎蔵山の南壁はなかなか見ることの出来ない景色だろう。
特に印象深かったのが弁慶山の南壁とその周辺の山だ。さすがに弁慶山地の最高峰だけあって白く輝くその姿は貫禄十分である。

こりは庄内平野、霞んでよく見えない

最上川の流れにズームイン

胎蔵山南壁の様子

こりは光り輝く弁慶山南壁なのだ
素晴らしい…

こちらは大森山の雄姿なのだ
帰りは高度が下がるごとに雪も柔らかくなり難儀した。
怠惰な生活を誇る身に辛い現実が待ち受けていたのはもちろんであった(大汗)

雪面の記録(笑)
【追記】
この山は一般の登山者にとっては登山の対象外で誰も見向きもしないのだろうが、山頂の三角点は三等に区分されている。と言う事は国土地理院で管理されている中でも、結構重要度が高いのではないかと思い調べてみたら、1974年以降調査観測はされていないようである。つまり最近は誰も登ったことがないのだと想像する。
地元の山菜採りがここまで入ることは今では考えられないし、送電線が近くを通っている訳でもない。もし誰か興味があれば高性能のドローンを麓から飛ばせば事は済む。
地形図をよく見ると、与蔵峠から田沢川ダムに至る破線が見えるが、恐らく現在は廃道であろう。(たぶん旧街道を復元したものかも知れない)
以前に与蔵沼から胎蔵山までの古道を、地元の有志が復活させた話を聞いたこともあるが、今はどうなっているのか不明である。
古くは最上と庄内を結ぶ羽根沢道が存在したのは周知だが、現在も県道平田鮭川線として整備されてはいるが、山岳道故に冬期はもちろん通行止め、落盤落石も多く夏期も通行出来ない年も多い。
戦国時の軍道としての歴史もあり、史家には興味の尽きない山域なのだろうが、それらの文献の存在さえ不確かだ。
話を冒頭に戻せば、麓では古来より神の山と称されてきたものであるが、これは日の出御来光神信仰と呼ばれるものだそうで、胎蔵山、鷹尾山信仰に強く結びついていると言われている。そう言う観点からも個人的には興味の尽きない山域でもある。
今回小桝田山山頂から北方の未開の山域を眺める機会を得たが、改めてその深い神秘性に驚嘆し、また当時の人々の感性を想像し、その信仰の深さを思わずにはいられなかったのが正直な気持ちである。











クリーンな山行き、手元の古い地図見ながら読ませてもらいました。
4年かけての悲願成就とのこと、よかったですね。
楯山、楯山川、小桝田川の表示はありましたが、小桝田山の
位置は見当つけられました。未踏のコース挑戦、ボケ防止にも
いいと思う。(笑)
こちらは行く山もマンネリ化しているこの頃ですが、冬の母狩山は
平成16.1.31以来15年ぶりで懐かしく新鮮でした。