セクシーポエマー信じろー ~わたしはふしぎでたまらない~

時事・政治・教育のネタを中心に、婚活のネタ も交え 書いていきます。 独自の視点で切り込めたら…いいな、と思っています。

水害対策のセクシーポエマー信じろー

はじめに
 10月15日放送の『モーニングショー』で、テレビ朝日コメンテーター玉川徹氏の…
モーニングショー玉川氏「高い堤防を作る事が正しいか」水害対策の持論に批判の声“被害者の前で言えるのか”
「堤防を決壊させない、そのためにどんどん高い堤防を作っていくということが正しいのかをもう一回考えないといけない」「『ここは浸水の被害がありえる』って言ったら、『命を守りましょう』っていう方向に向いていく(べき)」とし、東日本大震災後、宮城や岩手の海岸で海が見えないほど高い堤防を作っていることを引き合いに出し、「だけど、住民は結局は高台に避難する、と。新しく住む場所は高台だっていう形になってるんですね」と、高い堤防があるにも関わらず、立て直された家の多くは高台にあることを指摘。また、「日本の人口はどんどん減少していくんですよ」と言い、「人口が半減してもそこにそのまま人が住むのか? ということも考えて、簡単に堤防を許可しましょうと、税金を投入しましょうというのはいいのか、というのは冷静に考えないと私はいけない」
と発言したことに…
 しかし、この発言に視聴者からは、「豪雨の被害者の前でそれを言えるのか?」「堤防が無ければ、もっと広範囲で水位の低い洪水が頻繁に起こるようになるの分かってるの?」「これから大雨増えるって指摘した上で『堤防必要か?』って疑問投げかけるのちょっとおかしい…」といった批判の声が殺到。炎上状態になっている。
との声が集まったそうだ。
 だが、こんなごく当たり前の玉川徹氏の正論に対して反論する姿にセクシーを感じる(笑)。「そんなこと被災者に言えるか。」などと正義ブルが、不愉快な現実を指摘する正論を言わなかったからこそこんな被害が拡大するのだろう。こんな手合いが、きっと小泉進次郎を熱烈に支えているのだろう。(※詩人はふつうpoetだが、ネットスラング ポエマーと書く。)筆者はセクシーポエマー信じろーではないから、筆者は言うね。

技術的制約
 治水強化のために堤防を高くするならば、より堤敷幅を大きくとる必要がある。近くに大きな空き地があればよいが、なければ立ち退いてもらう必要がある。そのために都市部では大規模な土地収用をすることになるが、果たして都市部でそんな合意がとれるだろうか。自分の家を守るために堤防を大型化し治水を強化せよという人が立ち退いたり、一部でも土地収用に応じたりするだろうか。しかも、この方法では1か所を補強しても次々と別の弱い場所弱い場所を順々に補強していかなくてはならないから、極めて非効率であるし、非現実的である。

一般常識の話
 川沿いの低地、崖下・崖上、送電線脇などの住宅地は周囲に比べて地価が安い。なぜ安いかと言えば当然自然災害のリスク分が引かれているからだろう。もし、セクシーポエマーが宣うように政府が完全な治水や治山工事を試み、そういう場所に住む人を過剰に保護することになれば、そういった危険な土地でも平気で家を建てて政府に対策工事を求めることが経済的合理性をもつ。そのため、そんな一部の危険愛好家やそういった土地の値上がりを期待できる地主たちのために他人の税金を異常に高くしなければならなくなるだろう。
 
家を買うことの意味
 自身の暮らしの中で、(局地的に)谷になっているところで、マンホールから激しく水が噴き出し水浸しになっているシーンに出会わずとも、学校で水の働きや地形の成り立ちを習わなかっただろうか。そういうことを忘れていなければ、そういう土地を買うことは高いリスクのあることが常識的にわかるだろう。
 また、家を買うという経済行為は、自分で不動産投資をしその物件を自分に貸すことだ。投資には「卵は一つの籠に盛るな」という言葉があるが、ただ一か所の土地建物に一生をかけたローンをつぎ込むことは、”卵を一つの籠に盛る”リスクの高い純然たる投資行動である。ただでさえ地震や風水害に弱さをもつ不動産投資において、いっそうリスクの高い一つの土地に自分の財産をつぎ込むことは投機とさえ言っていい。わざわざ危険な場所を選ぶ人を安全にするために、その請求書を他人につけまわすということはどういうことだろうか。確かに家が浸水した人は気の毒だろうが、そんな天災の危険も踏まえ高いお金をかけて安全なところに家を買った人やそもそも買えない人に、その請求書をつけ回すことはもっと気の毒なことではないだろうか。
 家を買うことも株を買うことも投資には変わりがない。例えば、東電株は安全な資産株とは思われていたが、東日本大震災の原発事故によって暴落した。その株主が暴落分を補償せよといったら、かわいそうだから補償しようとはならないだろう。「買いは家まで売りは命まで」という言葉もあるが、命がかかっていてかわいそうだからといちいち助けていては社会が持たないだろう。投資家保護にしても過剰だろう。
 
解決策のヒント
 ではどうしたらいいだろうか。現行でも、浸水域に住む人々には、保険や共済があるから加入して金銭的な損失を抑えるのはもちろん、思い出の品などは家と離れた海抜の高いところにあるトランクルームに預け入れるなどすることができるだろう。
 他には、例えば、ハザードマップに基づいて浸水を免れる地域に浸水域・低地税を課して、浸水遊水地契約をする地主に払ってはどうだろうかと思う。河川付近の駐車場や田畑は生業のためにやっているのだから、金銭で交換可能である可能性が高い。川沿いの地主や農家と契約し、契約農地などの河川側の堤防を低くして、さらに外側を堤防で囲っておき、いざというときの遊水地にしたらいい。そのときは農地がめちゃめちゃになるが、被害を免れた低地に住む人々に課した浸水域低地税で補償したらいい。

おわりに
 できそうなことは、やはり現実的なことでしかない。ただ気の毒だからといって、落ち目の日本がいつまでも一流国家を気取って、有り余る金をただ治水のみのためにつぎ込めるかのごときセクシーポエムはやめるべきだ。ごく当たり前の現実と制約から話をした、玉川徹を批判して自分がいい人間立派な人間であることを気取るのは、言うべきことを言わず、いいかっこうをしてその場を取り繕うセクシーポエマー信じろーでしかない。情緒しかないバカは信じるかもしれないが、水は信じてくれない。愛の言葉を堤防にかけておけば、水は堤防を崩さない堤防を越えないと水伝ではそうなるのだろうが、その期待は当然裏切られる。それとも、進次郎の甘言のごとくに酔いしれて済まそうとするのだろうか。堤防は立派だがそのほかのことに金が回らないでいいのだろうか。セクシーポエマー信じろーに、わたしはふしぎでたまらない。

ブラック”企業”を飛び越え”社員”にコンプライアンスを求めるセクシー

はじめに
 神戸で同僚による教員いじめが発覚した。明らかにされることをみれば、いじめという範疇ではないことは明らかだろう。ただ、世間は、ブラック企業にコンプライアンスを求めるよりも、ブラック企業の”社員”にコンプライアンスを求めているように感じる。わたしはふしぎでたまらない。

職業病
 教師や警官というのは、職務として本音と建て前を使い分ける仕事で、他人には高い道徳を課しながら自分はそこまで守れていないだろう。だからこそ、よほど気を付けなければ、正義が自己都合を優先しがちで自分本位になるだろう。つまり正義の基準が自分のご都合で大きくぶれやすい危険がある。そして、なぜか教師や警官は一族郎党でやっているイメージがある。教師の親は教師、教師の兄弟は教師のような…。他者感覚や一般常識がいつも働きにくいのではないか。

ブラック企業
 そして、ホワイト企業なら、非熟練者や能力が低い人をサポートすれば指導力を評価してもらえるし、仕事の時間がのびても残業代が得られるから、能力の低い人が致命的なミスをする他は、被害意識を持ちづらい。もちろん、自分もまた先輩にはサポートされてきているから、むしろ若い人を助けるのは当たり前と感じるだろう。
 他方で、ブラック企業では、課される仕事量や責任が待遇に不釣り合いなうえ残業代が存在しない。だから、従業員は責任感をおかしくしたり、勤務時間の観念を薄くしたりしないとうまくやっていけないはずだ。企業は残業代を払う苦痛がないから業務の合理化をしないし、従業員のほうも、うまくやってもノルマが引き上げられたり、効率的にやって早く帰ろうとしたら冷たい視線を同僚に浴びたりするだけだから、だらだらと仕事をすることになる。
 また、新人や非熟練者、能力が低い人、育児や介護などで休みがちな人の仕事を補わざるを得ない同僚にとっては、彼らは仕事という損ばかりを押し付けてくる存在でしかない。つまり、いじめ加害者の側が被害者意識をもつのも不思議ではない。加害教師が、被害教師のことを、ポンコツと称していたようだから、被害教師はバリバリ仕事ができハキハキしているタイプではなかったのではないだろうか。そうであれば、むしろ”いじめ”は加害教師から見れば、自分らの気分の正当な補償であり、正義の懲罰であったのかもしれない。

経験不問・即戦力
 ホワイト企業であれば、経験者の転職組を除けば、よほどのすごい新人以外は即戦力として期待されていない。職場や自分の仕事のレベルが高いと自認しているならば、新人はできなくても当たり前だと感じるはずだ。ブラック企業ほど経験不問・即戦力など求人に掲げるが、だいたい経験不問・即戦力を掲げる職場など、大した仕事をしていないことを恥ずかしげもなく自白しているのである。学校というところは伝え聞くところによると、いきなりベテランと同じ仕事をさせたり、同じように担任をさせたりするという。いったい、どんな戦力か…。

ブラック企業のスタッフ
 仕事に見合わない待遇なうえ、「教師は聖職なのだから」と都合よく過重な責任を求められ、実質的に便利屋のように使われている教師のような魅力のない職に、能力的にも道徳的にも高い能力を持つものが集まると考えることは非現実的だろう。そもそも待遇の悪いブラック企業であることが周知されている教師の質云々を求めるのは、安い賃金で質の高い従業員を求めることになんの疑問も持たず、うちには碌なスタッフがいないと被害者意識を募らせるブラック企業経営者のマインドそのものだろう。そういう手合いは、百均に百貨店の品質やサービスを求めて当たり前と思うのだろうが、そんなことは、もちろん裏切られる。

見て見ぬふりはいじめ
 「見て見ぬふりをするのは、いじめるのと同じ」ということを聞いたことがあるが、果たしてそんな正義の脅しで人は動けるだろうか。実際には、いじめられているのが親友ならばいっしょに戦うリスクを負えるが、多くの人にとって赤の他人のためにそこまでできないのが普通ではないだろうか。教師自身が子供たちに日ごろ課しているならば、その基準を自分らに押し付けられても自業自得だろうか。
 こんな正義の精神論でお気軽簡単に美しく済ませようというスマートさこそ、ただのセクシーポエマー信じろーではないか。セクシーポエムを信じるだけでは、弱いものに責任を転嫁するだけで、被害は放置されますます見て見ぬふりをされ潜るだけだろう。(※詩人はふつうpoetだが、ネットスラング ポエマーと書く。)

おわりに
 見て見ぬふりをする同僚教師にも批判が加えられているが、見て見ぬふりを決め込む社会はどうだろうか。お気軽簡単便利に自分が守れもしない正義で他人のみを処断して済ますこと、安全なところから明らかにおかしい人たちを批判すること、過去のことを批判することは簡単だし、おぼれた犬を叩くのはなお簡単だろう。しかも、自分が何のリスクも冒さないのに正義のいい人・立派な人になった気分さえ得られる。それならばそこらへんの教師やセクシーポエマー信じろーと同じだろう。
 加担した連中を批判し処分することで、咲いた花を刈り取るのは簡単だが、幹や根っこを何とかしなければ、同じような悲劇は続き、そこから広く教訓を汲むこともできないのではないだろうか。

筆算の線を定規で引く”大切さ”から学ぶ”生きる力”

はじめに
 福岡県内の小学校に通う小学校5年の男児が、夏休みの宿題の手書きで書いた160問のひっ算の横線を定規で引き直すよう担任に命じられた。その男児の親族女性が「なぜ筆算の横線を、全て定規で引く必要があるのでしょう。」と疑問を呈したことが話題となっている。

筆算の線、手書きなぜダメ? 小5が160問「書き直し」命じられる 指導の背景は(リンク)

 たしかに、筆算において定規で線を引くことには本質的な価値も意味もないだろう。ただセンセイの側のご都合か誤った信念に過ぎないだろう。もし、こんなセンセイに当たったらどうしたらいいだろうか。

学校やセンセイの”大切さ”
 結論から言うと、学校やセンセイに正論をぶつけ、むきになってはいけない。パレートの法則など知らないセンセイにクレームを入れる・食って掛かるなど、「何事も全力で!」というバカげた学校価値感・センセイ価値観に則った能力と労力の浪費そのものである。
 一生涯学校で暮らすわけでもないし、別に命や自身の美学や、根幹にかかわる問題ではないのだから、せいぜいセンセイの言う通りにしてかるーく済ませておいたらいい。同じ土俵に”降りて”戦ってはいけない。もちろん、この定規で線を引くことにあくまでも納得がいかず、それが自身のアイデンティティであり美学であるならば、そのことの方が人生の大問題であると反省したほうがいい。学校やセンセイがいかにつまらないとしても、自分をつまらないもの、粗末なものとして自分で自分を再定義してはならない。

百戦百勝は善の善なる者に非ず
 これこそ、まさに「百戦百勝は善の善なる者に非ず」である。戦術が、うまく戦う術ならば、戦略は戦う時と場・戦う相手を選ぶ術である。こんなセンセイは適度な距離感を保って敬遠する対象であるから、真剣に向き合って戦って勝ち誇る対象ではないのだ。定規で筆算の線を引くことは、つまらないことは取るに足らないこととして処理するという大切な処世術の一つである。
 子どもの時間がもったないなら、親が定規で線を引いてやってもセンセイにはばれないだろうし、ノートなら後でまとめて横一線の分を引いたらいい。定規で線を引く手間も時間ももったいないが、それ以上にこんなセンセイの相手をすることがもったいない。能ある鷹は爪を隠し、感情を処理する練習の課題だと思ってやり過ごしたらいい。

親子で社会勉強
 当然、子どもの前でセンセイの方針を批判してはならないのは、子どもがセンセイに無用な敵意を持つなら大きな葛藤や摩擦を起こしかねないからだ。第一義的にはセンセイとは敵でも味方でもない人生にはあんまり関係のない赤の他人である。「センセイにも何か事情があるのかな。面白いね。」くらいで軽んじたらいい。そして、世の中の作りを学ぶいい機会にしたらいい。センセイに面従腹背しながら、どうしてセンセイはこんなことを命じるのかと子どもと考え勉強したら、わりといい勉強になる。と思い当たる線TOSSかなっと思って、「TOSS 筆算 定規」でググると…。やっぱり即ヒット(笑)

大人の事情?またTOSSか!!
 水伝(「水に「ありがとう」などの「よい言葉」を見せると、きれいな結晶ができて、「ばかやろう」などの「わるい言葉」を見せると、きたない結晶ができる」)、2000度でも死なないEM菌、歴史修正主義など数々の”偉大な”授業で名を馳せてきた、あの安倍センセイもマンセーするという、TOSSというセンセイの団体が…クリティカルヒット。(筆者は水伝でTOSSを知り、以降断続的にではありますが、ときどきに大いに楽しませていただいております。)

向山型算数 ひっ算の授業TOSSランド(リンク)

TOSSミニ定規 100 円(税込)物販サイト(リンク)

 こんなものをみると、大人の事情があるのかもしれません。マジで筆算専用の定規?売ってんの!!…。男児の親族女性が聞いたらどう思うのだろう。親子でセンセイの難しー事情を思い浮かべながら、センセイみたいな人へのふさわしい接し方や社会の仕組みを教えていけたら、この向山型算数なるものも”生きる力”とやらの育成にそれなりに役に立つとは思います。

おわりに
 こんなことに限らず、学校でなにか理解できない不思議なことをやっていると思ったら、西日本新聞の記者のように「いつ、どう広がったのかは不明」などと小難しく書いて、それ以上の追究を諦めるのではなく、筆者がやったように本当に少しだけ粘って、もっと安易にもっと安直に「TOSS 筆算 定規」などとググるべきだったろう。今回は即ヒットでした(笑)。ご参考まで。”TOSS”はけっこう興味深いですよ。ヒントがそこに転がっているかもしれません。

「年金リサイクル(没収)”サラリーマンはゴミ!?”」と野党統一会派所属議員

はじめに
 野党の衆議院議員の階猛氏(無所属)、同・井出庸生氏(無所属)、前衆議院議員の井坂信彦氏らは「年金抜本改革チーム」を起ち上げ、「年金抜本改革のイメージ」を公表した。源泉徴収制度の下、手取りしか意識したことがなく、自分の社会保障負担など気にしない人が多いサラリーマンをピンポイントで狙う彼らには、なかなかうまいものだと感心するしかない。(下記リンク)

消費増税なしでベーシックインカム年金は実現する

相続税率≒100%~フェイク年金”消える4000万円問題”~
 寿命が続く限りもらえたはずの基礎年金を75歳までと年限を区切って廃止し、それ以降は”ベーシックインカム”と彼らが称する実質的な仮払い生活保護支給にかえる。自分のものになる基礎年金6万5千円ほどを、自分のものにならず、いずれ没収されるかもしれない生活保護仮払い8万円に”変える”というトンデモ改革である。
 例えば、95歳まで夫婦であと20年間生きるとすると、それは8万円×12か月×20年×2人で3840万円支給されるが、その95歳時点で亡くなれば、およそ3840万円以下の資産は没収されるのだ。つまり、4000万円近いお金を遺していても、(相続)税率ほぼ100%全額が没収される。なぜなら、彼らの論理では、生活保護の仮払金だから、遺産が残れば、それはいらなかったものだとみなせるからだ。
 他方で、政治家は政治団体を迂回して子供に遺産を承継することで相続税と”没収”消える年金を回避でき、その負担を免れることができる。そして、もちろん、自営業者にも抜け道が用意されていて…
 返納対象となる相続財産からは、相続人が住む家や事業承継する会社株式などを除外し、預貯金や保険金などの金融資産についても故人の葬儀費用等を考慮して一定額を除外する。
とされ、やはり会社に資産を移すことで遺産を調節し負担を軽減できる。
 だから、これはお金に疎いサラリーマンのみを狙い撃ちにする消える魔球ならぬ”フェイク年金消える4000万円”問題とも言えるだろう。

相続税対策と政治献金
 現在の相続税でさえ、少しお金に余裕がある人々がその対策のために、ひどい情報の非対称の下、サブリース契約をして大きな損害を出していることが問題になっている。このベーシックインカム年金は、現在の相続税よりもはるかに過酷な”リサイクル”と称する年金遺産没収とセットだから、その対策として、もっと過激なスキームが流行ることは推して知るべしだ。高齢になって、このリサイクルスキームをどうやって逃れようかと、資産についてずっと考えなくてはならない老後が来るのだ。ベーシックインカム年金が施行されれば、リテラシーのない高齢素人相手に法を駆使する際どいスキームを提供してぼろもうけを狙う企業は天国のような機会をつかむことになるだろう。それゆえに、そういった抜け目ない企業は、三氏にしっかりと政治献金をして、このベーシックインカム年金を推進してもらうといい。しかも弁護士の活躍の場もきっと広がることになるだろう。

”国畜”サラリーマンはゴミ!?
 金に敏い政治家や自営業者はしっかりとした抜け穴を備えるが、”サラリーマンだけ”を標的にして基礎年金をはく奪し、その遺産を没収することを「リサイクル」と呼ぶのが、衆議院議員の階猛氏(無所属)、同・井出庸生氏(無所属)、前衆議院議員の井坂信彦氏らである。こんな”没収”に等しいことを”リサイクル”と呼ぶほどサラリーマンの扱いはぞんざいで軽い。
 現行制度でも、折半の会社負担分の厚生年金がほぼ召し上げられ、しかも負担額が次々と引き上げられるため、その分に取られ賃金がほとんど上がらないサラリーマンは、政治団体を利用できる政治家や所得を操作できる自営業者に比べはるかに冷遇されている。にも関わらず、さらに搾れるだけ搾って何が悪いと言いたげな制度だ。社畜なる言葉がサラリーマン界隈にはあるが、まさに三氏にとってサラリーマンなどまさに奴隷”国畜”なのだろうか。サラリーマンは働いている間も奴隷であるし、死んでもなお金をむしり取ってよい奴隷なのだろうか。犠牲にして喰い物にして当然という存在なのだろうか。
 サラリーマンは、今まで打ち出の小づちの扱いで、とにかく制度の辻褄を合わせるための金作の道具だったが、ついに三氏に至っては、モノではなく、ゴミにまで落ちたようだ。だいたいリサイクルなどとはしゃぐことか。リサイクルなどゴミ相手に使う言葉だろう。いったいどういう神経をしているのだろうか。サラリーマンがどんな気持ちで保険料を支払い、どんな気持ちで貯蓄していると思っているのか。

おわりに
 確かに、年をとって経済的な苦境に立つものもいるだろう。だが、若いときから無計画にそのときそのときに、あるだけの金を使って貯金もせず、しかも年金が少ないのは誰の責任だろうか。いま40歳の人が、10年たてば50歳、20年たてば60歳、30年たてば70歳、40年たてば80歳になるのは、小学1年生でも分かることである。80歳で働いて賃金を得られるのだろうか、病気になりやすくなるのではないかと、考えれば誰でもわかることである。こんな自明すぎることもわからない人は本当に気の毒な人だろう。だが、生活を抑え計画的にお金を使い貯金をして、年金をちゃんと払ってきたものが、こんな放蕩者の尻拭いをさせられるのは、もっともっと不合理で気の毒なことだろう。若いときに抑えめにお金を使って貯蓄をし老後の憂いを少なく生きようとするのも、若いときに強めにお金を使って楽しみ、貧しい老後を送るのも個人の選択であり、個人の責任である。自由や権利には責任が伴うものだ。
 その場だけ、その瞬間だけ、その人だけをみて、ただ気の毒だからと情緒に訴え、サラリーマンを当てにし、喰い物にすることを”抜本的改革”と呼ぶ。これが公平公正というのなら、三氏はなかなか大した正義感をお持ちだ。サラリーマンだけ実質的に年金を廃止し、負担を重課することを”リサイクル”などというのならば、隗より始めよで、三氏が自分自身の賃金財産をいますぐにリサイクルに出してはどうだろうか。筆者は不本意ながら、その資金をリサイクルしてやってもいい。
 たった1万5千円増えたように感じさせるだけで、元の6万5千円も含めすべてが見せ金となる、驚異の消える魔年金4000万円問題!!安倍内閣の自助老後2000万円問題どころじゃないぞ。
 野党新統一会派こそ「サラリーマン、年金はく奪じゃないか。”サラリーマン・ゴミ”」ってことか。

道徳を疑え 適者生存のルール

道徳には損得がある、立場がある、利害がある。
世界は道徳が高いものが生き残るのではなく、適者が生き残る。
どちらが上位のルールであるか見失ってはならない。
だからしつけには気をつけたい。
道徳を教えたいなら、自らが実践した傷だらけの、道徳に裏付けられた算段を教えよ。

アンパンマンシンドローム~本当は辛いアンパンマン~

はじめに
 実家に帰ってよせばいいのにぼーっとテレビ見ていたら…

立川志らく、「アンパンチ」で幼児が暴力的になるという論争浮上に「親がおかしくなってる」

落語家の立川志らく(55)は「アンパンマンを暴力的だと思い込んでいる親の教育からやり直した方がいいくらいですよ」と心配する親をダメ出し。「そこでバーンってやったらダメだよって教えるのが教育なのに、子どもを無菌状態にしてろくな子どもにならないですよ。バイキンマンみたいに悪い事をすると、ひどい目にあうんだよって教えればいいだけのこと」と続けた。

「それを何でも感でもクレームをつけて。親がおかしくなってるって事ですよ、今の時代。何を見たってクレーマーになっちゃうでしょ、何を見たって批判する。そういう事を言う親はアンパンチですよ、それこそ」とオチをつけたが、スタジオの微妙な空気に「ちょっとスベった…」と苦笑していた。

 悪かったなコメンテーターおかしい親で(笑)。テレビコメンテーターに洞察や良識や他者への思いやりを求めるほど愚かではないが、だいたい子育てはしんどすぎる(笑)。お風呂に入るためにおもちゃ遊びを中断させて取り上げただけで、アンパンチを10分以上耐え続ける、追い詰められる親の気持ちなどわからないだろう。ほんと、アンパンマンコンツェルンにクレームの一つも入れたくなる。

 うちの子はアンパンマンで暴力的になった。自分では教えていないから、保育園でアンパンマンを覚えてきたのだろうけど、「アーン、パーンチ」って連打で殴ってきた。もちろんアンパンマンが存在しなかったとしても、きっと他の方法で暴れるだろうから、アンパンマンが暴力に訴えることを教えているのではなく、暴力のなかで、どういう形で暴力を表現するかという方法を教えているのだろうが…。と、考えると、少なくともアンパンマンが暴力の一つの形を教え敷居を低くし助長しているのは紛れもない事実。

アンパンマンレーダー
 しかも、スーパーに行ったら、アンパンマンレーダーが作動して、どんな売り場でもいきなりアラートで困る。「この前は、こちらの通路にアンパンがあったからと、別の通路を通ろうと避けても…。」「アンパン、アンパン」叫んでる。「ハァー…アンパンある。」。
 アンパンマンの載っている商品を欲しがって、ほんと迷惑。アンパンマンのせいでホント迷惑してる。しかもどこに潜んでいるかわからない。
 アンパンマンの載ったもの以外、着ない食べない飲まない、乗らない使わないっていうアンパンマン生活ってなんとか暮らせそう出来そうなくらいいろんなものがある。飲み物、食べ物、おもちゃ、文房具はもちろん、着るもの、おまる(トイレ)、椅子や机、自転車や車(バス)もあるし、アンパンマン印品だけでも暮らせそう。それくらいアンパンマンに侵されている。
 そんなことはさておき。閑話休題

アンパンマンの暴力
 さて、アンパンマンはどうしてバイキンマンを一時的に目の前から追い払う程度の暴力をふるうのか。アンパンチでバイキンマンを追いやったら、一時はしのげても、またバイキンマンはやってくるので、みんなの困りごと、悩み事の種になり続ける。それならばどうしてアンパンマンはバイキンマンをその場で完全にやっつけて後顧の憂いがないようにしないのだろうか。わたしはふしぎでもなんでもない。

アンパンマンは策士
 アンパンマンは悪人ではないが善人ではない。アンパンマンは知能犯、バイキンマンは粗暴犯であろうか。アンパンマンが正義とか、正しいことは正しいと単純に信じるとか、能力が高いほうが通用すると考える輩ならば、下流確定だろう。世の中は、道徳的に優れたもの、強いものがより通用するのではなく、都合のいいもの適者が生存するのである。頭の中はあんこでも、3Kな正論が好きな諸君のようには甘くないリアリスト。何を言っているのかわからない人は、『紅の豚』のポルコを考えるべし…。

紅の豚
 冒頭シーンで、空賊のマンマユート団が船を襲撃する。ポルコは、そのマンマユートを撃破しながら、なぜか、盗んだ金貨の半分をくれてやる。
 その後、塗装代まではでなかったがローンで飛行艇を修理できたマンマユートは、また空賊稼業に精を出す。ローンで修理するということはローンを払い終えるまで、空賊稼業はやめられないということだから、ポルコの用心棒としての仕事は存在し続ける。このように、ポルコが空賊を一時追い払うだけなのはポルコに働くインセンティブを考えれば当然である。空賊の構成員を次々に撃ち殺したり、飛行艇を完全破壊したり、活動資金を枯渇させたりして、完全に空賊の息の根を止めてしまったら、そのあとは、ポルコの仕事がなくなり金欠そして「飛べない豚」ただの豚、確定となる。
 ポルコは自分の存在意義を確保しながら、まさに空賊とも「持ちつ持たれつ」いく。アンパンマンにとってのバイキンマンとは、つまりマンマユートのような側面を持つ。だから、アンパンマンは、バイキンマンを一時追い払いはしても、バイキンマンのアジトを襲撃して破壊したり、再起不能になるまで撃破したり、バイキンマンを抹殺したりしない。バイキンマンがやって来ないことは、アンパンマンにとっては用心棒稼業ができない悪夢である。

愛と勇気だけが友達
 さらに悲しいのが、アンパンマンの心根である。ジャムおじさんやバタコさん、チーズ、そのほか…。たくさん友達がいるはずなのに、「愛と勇気だけが友達さ♪」という、信じられないほどの刹那的な世界観をもつアンパンマン。きっと、自分と他人を役割や機能のつながりでしか感じられないあんパンなのだろう。自分の有用感に対する自信がなく、みんなが同じで仲良しで、ただそこにいるだけでいいという帰属意識や安心感覚がもてないのだろう。
 「飛べないアンパンはタダのアンパン」などと揶揄される悪夢にいつもうなされ続けているに違いない。そして「バイキンマンが改心してしまったら、どうしよう」と気に病んでいるはずである。だから、わざとらしく「やめるんだバイキンマン」などと言って戦い負けるフリをし、最後は圧倒的な力で遠くへ追いやる。絶えず、みんなのために自分が役立つ、自分はすごいを見せびらかして、自分の役立つ価値をアピールをするしかない。

改心型バイキンマン
 また、バイキンマンがやって来ない以上に、バイキンマンがみんなの中に友だちとして受け入れられることはさらなる悩ましい悪夢である。なぜなら、バイキンマンとアンパンマンの能力を比べたら、どうみても、改心したバイキンマンのほうがアンパンマンよりも絶対に皆の役に立つからだ。「バイキンマン、こんなロボット作ってよ。」なんて頼まれ「ハヒフヘホ(^^♪」のバイキンマン。高いロボット製造能力や器用さで皆の暮らしをよくすることができる改心型バイキンマンに比べ、飛べるだけのアンパンマンは「アンパンの宅急便」でもするしかない。
 だが、飛んだって所詮アンパン。頭は鳥につつかれて…ボロボロで力が出ないよ…、豪雨の中を飛べば…フニャフニャで力が出ないよ…と、飛行場所も天気も選ぶ。宅急便の癖に、「虫や鳥が多いところはたかられるから通れません。行けません。」とか「雨で元気が出ないから、運べませんでした。」「湿気が多いので休みます。」とか言えば、「ぬるいこと言ってんじゃねー仕事だろ。」とか、荷主に怒られ、さらには失注。ニートに。そして、ひきこもりになるのも時間の問題か。
 「落ち込むことばかりだけど、わたし元気です。」なんてことになりかねない。

毒アンパン
 だからこそ、アンパンマンは、バイキンマンを再起不能になるまでやっつけるでもなく、バイキンマンがみんなに受け入れられて、みんなの中で暮らせるようにしてやるわけでもなく、殴って一時的に追い払い、バイキンマンの出現をコントロールするという均衡を生むことにしてしまった。本当は恐ろしいアンパンなのである。バイキンマンはアンパンマンの掌の上の存在である。周囲から見れば、獅子身中の虫、独饅頭ならぬ毒アンパンと言ってもいい。

汝自身を知れ
 このように、アンパンマンは、所詮脳みそはアンコだが、バイキンマンと比較して明らかに怜悧なリアリストである。それを支えるのは優れたメタ認知力だ。バイキンマンと自分を比較して、自分を最大限高く売ることができる才能を持っている。自分の長所短所をしっかりと見て、バイキンマンと比較している。自分の持ちうる能力と制約をよく理解している。

アンパンマンシンドローム
 相手にしてもらう方法がちょっかいをかけることしかできないバイキンマンと、それを見抜き、用心棒としての役立ち感を高め、そうすればするほど孤独を深めるしかないアダルトチルドレンアンパンマン。そしてそれを取り巻くその他の人々。この相関関係を、アンパンマンシンドロームというのだろうか。
 このアンパンマンシンドロームの枠組みを癒すために、バイキンマンにソーシャルスキルトレーニングを、アンパンマンにカウンセリングを…周りにはアンパンマンのマッチョぶりを褒めるのではなくアンパンマンの苦しさを察して孤独を癒して…と願ってやみません。

おわりに
 アンパンマンはインセンティブの勉強になる。どうやって自分を高く売るか、どうやって生きていくか、適者生存、プリンシパルエージェント問題、「歯医者さんが考えた歯ブラシ」とはどんなものか、テレビのコメンテーターの程度など、こんなことを子どもには教えてあげたい。
 親は、おかしくなっているといっても、それは追い詰められているからなのではないだろうか?
 こんなテレビやそんなコメンテーターに煩わされることなく…、子育てをしている人、ともに悩み、ともに何とか日々を切り抜けていこう。きっとアンパンチに耐え続けた日々はいずれ懐かしくなるはず…。

平和ボケの共演(右ボケ)

はじめに
 8月は平和ボケの豪華共演で結構食傷気味である。右向きのボケと左向きのボケの双方が、これでもかこれでもかとボケ対決に花を咲かせる。双方がボケのはずなのに、鋭く互いに突っ込む姿は、いったい何なのだろうか。いずれ、左ボケは論じることとして、ここでは、右ボケを論じてみたい。右ボケらは、岩田温センセイものや百田尚樹センセイものなどを読んで喜んでいるものが多いかもしれない(下記)。

天皇陛下のお言葉を拝聴し、文字通り涙が流れた。

平成天皇はなかなかの役者
 平成天皇は戦地を巡っていたが、なかなかの役者だと思う。それは、青山学院付属高校の入試問題炎上の際に、沖縄の新聞社と政治家に担がれ”平和の大切さ”は自分のメンツ以下だと曝してしまったひめゆりの語り部(左ボケで論じたい)と比べれば明らかだろう。
 戦争において払わせた凄惨な犠牲を、平和になってから崖の上に立ち首を垂れることや花を手向けることで購うことなど本来できない。だが、真に悲惨な体験をしたものは死に、その様子を観察できるものは生き残ったものかその時代を体験していないものだ。だから、年をとって肩の丸くなった天皇老夫婦が崖の上に立てば、誰が見ても死者を悼む痛々しい感じが、先代の天皇がどうその事態に臨んだかを圧倒し上書きしてしまう。つまり、戦争の被害を助長促進した天皇から、平和を進める天皇へと記憶を書き換えることができるのだ。そこで人々がどういう経緯で何に追い詰められて死んだのか、天皇がどういう作用をしたのかを理性で考えれば、それを割り引いて考えられるはずだが、そうしたことに思いが及ぶ筆者であっても天皇の行動には心打たれるかのような錯覚を覚えてしまう。人間の感覚とは不思議なものだ。
 そこで死んだ者は確かに本来壮健な若者が多かっただろうが、相当に追い詰められていた。天皇は高齢で歩くのも大変だろうが、敵弾が飛んでくる困難さや、水に欠くほどの飢える悲惨さとは比較にならない。「天皇万歳」と言って多くの人が死に「天皇のため」と言って事態が進んでいるにも関わらず、高貴な身分に釣り合う責任を放棄し、決して火中の栗を拾うことなく、戦闘を止めようとするリスクを冒すでもなく、平和な場面で祈ることで、戦場の犠牲にかえられるならばとても賢いやり方だろう。

平成天皇の幸運
 平成天皇が昭和天皇に比較してツイていたのは、単に平成の時代の日本が戦争の惨禍に蹂躙される試練がなかったことだ。仮に、平成天皇も昭和天皇と同じ立場に立てば、昭和天皇同様に、臣民が「天皇万歳」と叫んで崖の上から飛び降りてくれると都合がいいことにかわりがないだろう。そして、それが男よりも、若い女性であればなおよく、さらに赤子も道連れにしてくれれば一層好都合であることもかわりがないだろう。なぜなら、「天皇万歳」と叫んで少なくない人が死ぬ事実が敵の最前線から上層部に報告されることで、いざ日本が占領されるときに、天皇制を廃止することや天皇を殺傷することが政治的に高くつくように映り、占領に協力する天皇の価値を否が応にも高めるからである。昭和天皇がフツ―にできる計算を平成天皇ができないと考えるのは、平成天皇に対して大変失礼だろう。なかなかの役者である平成天皇は、3Kな正論が好きな諸君のような平和ボケではないだろう。

リアリスト
 臣民の自己犠牲を期待するのは、もちろん天皇が悪人だからでも非人道的だからでもなく、天皇自身の保身と天皇制の存続のためであって、これこそが天皇のリアリズムであり帝王学のキモである。普通の人間は「かわいそうだから、しない。」とか、「酷いから、やらない。やめとく。」と単純になるが、「かわいそうだからこそ、むしろやってほしい。」とか、「酷いからこそ、ありがたい。」とか普通にやりぬける。
 この感覚は筆者の勝手な憶測でもなんでもなく、ほかでもない天皇制の安堵(国体の護持)のために絶望的な抗戦をさせている間の、ヒロシマについて昭和天皇が記者会見で
 「この原子爆弾が投下されたことについて遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒ですが、やむを得ないことと私は思っております。」
 と発言したことや、特攻の報に接して及川軍令部総長に
 「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」
と言ったことに表れている。
 いずれの言葉においても、前者では悲惨さを悼んだり慮ったりする仁者ぶりを見せるが、後者では、他人が払う犠牲と、自分らが得る利益を比較し、自らの利益を優先するというリアリストぶりが見られる。そして、実際に戦争を止めるような危険を冒すことはしないばかりか、悲惨な後者を誉めそやして拡大継続させる。一般人ならば、この悲劇をなんとか止められのは自分だけかもしれないという局面ならば、使命感からか蛮勇を発揮しようとしてしまうだろう。
 だが、悲劇を負担するのはあくまでも身分卑しき他人であること、それによって自分に降りかかるのはちょっとした気苦しさであること、そして、自分達の受ける利益とは比べものにならないと冷静に分析し一時の情に流されず怜悧に損得を計算できるのが帝王である。



平和ボケ(右ボケ)
 こういう感覚は、もちろん『日本国紀』なんかを読んで、「民のかまど」などというお話で白昼堂々抜いてしまう、3Kな正論を吐く諸君には到底わかりえない。だが、決してこんな若気の至り?をするのは、彼らだけではない。開戦時に「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」を引いて、勝っても負けても責任が及びにくいように布石を打った”昭和天皇の仁”に淡い期待をよせ、自分が特攻に踏み切れば、天皇が横からタオルを投げてくれると夢精し、当然のごとく裏切られた大西滝次郎のような輩もいる。そして、戦争継続の手段を与えたことが、さらにたくさんの若者を死なせ、敵の蹂躙を許す時間を与え、惨劇を広げた。
 だいたい、特攻を”誰かほかの人”が始めてくれること、それが”志願者で”ということになっていること、それが”他人の責任で”進められることは、天皇にとっては願ったりかなったりでしかない。特攻で戦果が上がればそれをネタに天皇制の安堵(国体の護持)を敵に求めてもよいし、戦果など上がらずとも、そういったやばい連中を抑えられるのは自分だけ、と敵に売り込んでもよい。簡単な話だが、天皇の仁などを信じる平和ボケの大西に、天皇のリアリズムは読めなかった。
 天皇の仁とは、余裕があるときか、自分らが危うくならない場面に限って、あくまでも”魅せるための仁”であって決して自己犠牲の仁ではない、天皇制のリアリズムとは、決定的な局面では事態がどっちに転んでも自分たちの都合のいいように、自分達が消耗しづらいように、常に打算と損得で布石を打っていくものなのである。だいたい歴史のうえで常に天皇が人々のために身を張って仁を追求している存在であるならば、とうの昔に伝説とともに滅んでいるか、日本の歴史上の実力者が世界史から特異に徹底した仁政を継続したうえで天皇の存在を許容してきたかのどちらかだろう。

民のかまど
 「民のかまど」などを引いて天皇の仁ぶりを宣う連中も、仮に”あった”としても、それ以降の長い間にそういった話がないからこそ、未だに語り草にしているのだろうことなどつゆほども考えがいたらないのだ。今日、老後二千万円問題で困っている?国民と「皇室であったものの品位」とやらを保つために皇室離脱一時金、ポンと1億超の皇族娘たちの金満ぶりの絶望的な断絶が転がっているにもかかわらず、何にも見えない連中が本当にいるのだ。皇族は清貧などと感じられるのは酔狂の世界だろうか。民のかまどや、国民のために”毎日鯛”を食べる天皇の話(下記)など、理屈はどうとでも付くのだろう。こんな簡単なことに疑問を持てない驚異的に完璧ハッピーな思考様式やパーフェクトポジティブ思考には、憧れていいのか、同情していいのかと筆者なりに悩んでしまう。

天皇の昼ご飯はなぜ毎日「鯛」なのか

おわりに
 安全保障とは、仁だの徳だのといった相手の好意に期待するユルさではなく、損得に基づくインセンティブに期待しなくてはならないという、冷厳なリアリズムが天皇の中にこそ生きているのである。同じ国の人間だから同じ国の人々の利益になることしかいないと考えるものには、日本にある刑務所に日本人が収監されている事実など見えないのだろう。
 仁を持ちつつリアリズムに徹することの峻厳さもわからない右向きのボケ諸君とはなんとおめでたいのだろうか。そして、右向きのボケと左向きのボケがボケ合う日本はいったいなんなのだろうか。岩田温センセイや百田尚樹センセイは、そういった右向きの平和ボケにうまい商売をしているすごい人だとホント感心してしまう。

若槻千夏が教えてくれたモンスターペアレント対策

はじめに
 ママタレントの若槻千夏が、モンスターペアレント相当の発言をしたとして物議を醸した。ここで注目すべき大切な事実は、お門違いの無茶苦茶な論理を主張した若槻千夏が気の毒なゲスト出演教師や他の出演者をその場では圧倒したが、批判が殺到するとすぐに撤回に追い込まれたことだ。



モンスターペアレント
 モンスターペアレントの傾向とはこんなところだろうか…
 ・お門違い、非現実的な無茶苦茶な注文をする。
 ・自分の感情の責任を他人に負わす。
 ・自分が完全な真善美などに照らして完全な存在でもないのに、他人には完全であることを強要する。
 こうした観点からみれば、若槻千夏のモンスターペアレント力は十分に高いと言えるだろうか。

モンスターペアレントへの抑止力

 さて、若槻千夏へのバッシングが集まり、さすがに今後に障ると思ったようで、一転して謝った。モンスターペアレントは、その性質を考えれば、他人がどうなろうと困らないが自分の損得にかかわるとなれば計算が出来るから、すぐさま身をひるがえすのは自然だろう。だから、若槻千夏の身の処し方もむべなるかなと言ったところで、モンスターペアレント対策は、若槻千夏対策が参考になるといえるだろう。
 つまり、若槻千夏のように人気商売という立場があれば”干されることが困る”というように、他人への不利益を、当人の不利益になることとセットにして返してやる、つまり、費用を内部化してやるといい。

価格表をつくる
 そこで一般人対策をするならば、相応の負担を用意すればいい。つまり、価格表を示しておくのだ。よく公務員相手には、「民間では…」と言うものだが、同じように民間では…で考える(笑)。
 若槻千夏のケースであれば、若槻千夏はお金があって払うかもしれないが、十中八九の親はお金を出し惜しむから抑止力になる。
 例えば、「放課後の子供の捜索…教員を10人使って探す…1時間ごと4万円」という具合にして、それを学校ではなく、教育委員会のようなところで電話受付する。ほかにもいろいろなモンペ要求メニューに抑止力となる価格、本気なら払う価格をつけて明示しておく。そして、犯罪などの場合には返金したらいい。こうすれば、たいていの親は損得勘定から、自分で子供を探すか、子供に遊びに勝手に行くなとしっかりと言い聞かせるか予めしておくことになる。つまり、モンスターペアレントの、自分に降りかかるコストには人一倍反応するが、相手にかかるコストは無視するというインセンティブに働きかけ、事前にモンスターペアレントの中で問題解決できるようにしてやったらいい。現実に学校で教員がやり取りをすると、若槻千夏にゲスト出演の教師や周囲が圧倒されたように、断るとしても、そのやり取りをするだけで疲弊するために、そのやり取りが表面化する前に未然に防ぐことができることが大切なのだ。

おわりに
 一般にモンスターペアレントが困るのは、教員の提供できるサービス量が一定のとき、クラスにそういったものが一人二人いるだけで、教員のリソースがモンスターペアレント親子に食われ、他の子へのリソースを圧迫されてしまうことだ。つまり、教員のためというよりは、まともな親子を守るためと言ったほうがいい。若槻千夏のような立場のある人間はともかく、失うもののない立場のない人間がモンスターペアレントだった場合には、こうした方法しかないだろう。どうだろうか。

NHKから国民を守る党は”自由の息子達”か?

はじめに
 NHKから国民を守る党(N国)の議席獲得がポピュリズムだと、テレビ出演者や学者連中はネガキャンに躍起になっているようだ。もちろん、テレビ出演者や出演できる可能性のある学者連中は、NHKの肩を持ったほうが得だから当然だ。NHKのネット進出が本格化したら民放の地方局が危うくなり、民営化したら民放に競合するといわれるから、そのときには民放にも火の粉が降りかかってくる。そうなれば、NHKは必要だと言っているテレビ既得権者が事実上のオーナーである維新にも注目だ(笑)。

政見放送
 N国は、政見放送(下)を見る限りでは、冒頭の不倫路上カーセ○〇〇連呼を除けば、意外にまともだ(笑)。彼らは、NHKをスクランブル放送化し、受信料を払った人だけが見られるようにしろと、今どきの日本では珍しい主張をした。今日の日本なら、共産風に言えば受信料は大企業と富裕層が払え、維新流に言えば公務員の給料カットで払え、自民風に言えば受信料は国債で…ってところだろうが、なんと、受益者負担を徹底しようと言っているのだ。

ポピュリズムの宴
 だいたい先の参議院選の公約は、揃いもそろって、子どもの保育園代をまけろ、給食費をただにシロ、高校大学無料、減税と福祉の拡充、などなど…とにかく、自分の子供のための金を出し惜しみたい親のためなど、自分以外の誰かに金を払わせ、自分はただ乗りするのは正義、それで胸を張ろうというものばかりだった…。「働いたら負け」を地でいき、他人に払わせろと言わんばかりのこんなものたちはポピュリズムに違いないと思うが、どうだろうか。先の参議院選挙を見る限り、日本にポピュリズム政党以外あるのだろうか。あるならばぜひ教えていただきたい。なぜN国の議席獲得を指して、ポピュリズムなのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。


NHKは自由と民主主義の脅威
 さて、下記の「NHKの受信料制度は強制徴収だけが問題なのではない」は参考になる。
 金のために人や組織が動く性質があるから民放は…といいながら、国会の多数党が作る内閣(権力)をNHKがチェックできないし、与党に多額の献金をする企業もNHKがチェックできないことをNHKの主張する論理の根拠に基づいて論理的にまとめている。NHKも民放同様に、弱いものを情緒で操作する一方で、金のために強いものに媚びるか、強いものがやっていることを放置するかしかないのが現実だ。むしろ、強いものに取り入る危険性さえはらむNHKである。

 NHKの受信料制度は強制徴収だけが問題なのではない

 災害報道はNHKが売りにするところだが、災害にしても地震にしても、ゲリラ豪雨にしても、アラートがプッシュ通知でスマホ入る時代であり、速報性でも局地的正確性でもNHKの報道は陳腐化している。こんな陳腐なものがNHKの売りでしかない事実を権力者は見逃さない。科学技術の進歩により以前にも増してNHKの存在の正当性を主張することは社会的により困難になっているから、NHKを維持する政治的コストは相当に高くつくとみて間違いがない。権力者にしては、陳腐化したNHKが勝手に忖度をし続けるように仕向けるだろう。だから、NHKは、まさに金(自分らの高い給料)を守るために、自由と民主主義を売り渡すことになるのだ。
 そうなるまえに、自由と民主主義の脅威であるNHKの廃絶しかないが、どうだろうか。続きを読む

自民議員「1番の功績は出産」と女性に発言

 自民党の三ツ矢憲生議員(68)が「1番の功績は出産」と女性に発言したそうで、女性に失礼と物議を醸しているらしい。
 だが、どうだろうか。その応援演説の対象、吉川有美氏(45)がどんな人かは知らないが、少なくともヒトラーと戦ったイギリス首相でノーベル文学賞受賞者でもあるウィストン=チャーチルと比較すれば業績が小さいと評価されるに違いない。
My most brilliant achievement was my ability to be able to persuade my wife to marry me.                    Winston Churchill
この言葉を下記のようなツィートをする人々はどのようにかみしめるのだろうか。
Twitterでは「失礼だ」「男性にも言えるのか?」と非難の声が上がっている。
《男性に置き換ると、一番の功績は子供作ったことっていわれて、今までの俺の仕事なんだったんだ…ってなりません?》
《「この人の最大の功績は父親になったことです!」って応援演説みたいなので言われたら、その人の政治家としての意欲や能力を評価していないみたいで、私は男性も不快だろうと思うんですけど》
《ビジネスの場でも女性として母親としての評価しかされないって地獄よ》
もう、くだらん中傷合戦はやめてはどうだろうか。
少しは聞いていて恥ずかしくない話を聞きたい。

上記ツィート記事はこちらより…自民議員「1番の功績は出産」と女性に発言 男性にも言えるか
 

天皇制が滅びるのは…。

はじめに
 以前、ホリエモン的な思考の人々が天皇制存続の脅威になる(下記リンク)という話があったが、そんなことはないだろう。

天皇家にとってはホリエモン的な思考の人たちが脅威

 天皇家の存続の最大の脅威は技術革新であろう。そもそも天皇制は、掘っ立て小屋に住んで家畜のえさ同然の食事をしている下々から隔絶したいい暮らしを、末代まで楽しむためのほう便として生まれた。だから、技術革新によって下々と天皇の生活格差が縮まっていけば、自ずと天皇制を続けるインセンティブが皇族自身から消えていくのは自然なことである。天皇制にとって大切なのは、いま生きている皇族と末代までの皇族のいい暮らしであって、先祖の伝統ではない。祖先や伝統は手段であって、目的は自分と子孫のいい暮らしである。決して国民の生活のためではないのは、ヒロシマは気の毒ではあるが、やむを得ないなどと言うことからもわかるだろうか。

陳腐化する伝統
 例えば、酷暑の中で涼をとることを考えてみよう。天皇の、伝統的な涼み方がいかに優雅で高額であっても、エアコンの快適さにはもはや勝てない。外気温が30度を超えれば、舶来の超貴重で高価なうちわのようなもので人が扇いでくれるような贅沢であっても、それは熱風を送るだけに終わり不快な酔狂の類だろう。大昔の技術では最高であるものでさえも、5万円も出せば据え付けられる現代の激安エアコンにさえ全くかなわないというのが技術革新の力である。
 また、病気になったときはどうだろうか。昔は加持祈祷で快癒を祈って悪霊退散などをしていたそうだが、いかに高名で霊験灼かとされる連中に大金を投じ集めて盛大にしても、効果においては研修医にさえ劣るだろう。もちろん、回復の加持祈祷など用済みにし、自称2700年ほどの歴史(笑)に比べれば、にわか仕立ての近代医学の標準治療に皇族もお世話になっている。天皇の執刀医(笑)などというものが存在し、昭和天皇輸血などというものさえ公然となされた。子どもの頃、エホバの商人が輸血を拒否することにも驚いたが、それ以上に、高貴な血を売りにしているにもかかわらず、昭和天皇の平然と輸血をする柔軟さ?(節操のなさ?)にぶったまげた。
 「朕はナマポに劣るのか!!」と嘆息しつつも、陳腐化した伝統を死ぬ気で墨守するような気概や根性を見せるわけでもなく、都合の悪い伝統など潔くお捨て遊ばされ、快適であり都合が良ければ、エアコンだろうと近代医学だろうと、貪欲に取り入れるのは真に伝統が大事ならとてもできることではない。
 そして、MaaSの時代が到来したらどうだろうか。自家用車など必要もなくスマホで迎車でき、低廉な価格で、運転の必要もなく簡単に利用でき、移動の自由も広がっていったら、なんと快適だろうか。高級な専用車とお抱え運転手を常時備えておく必要もなく快適に移動できるようになれば、皇族の移動の優位性も消えるだろう。
 このように、昔の贅沢や快適さが、技術革新によって次々と超克され陳腐化されるにつれ、どんどん天皇や皇族であることのお得さが消えていく。スマホもあればインスタもあり、皇族でなくとも十分に楽しい豊かな暮らしを送れるようになれば、こんなことやあんなことをやってみたいというような誘惑が増えていくだろう。そうやって皇族があれこれ理由をつけていた伝統的贅沢の優位性が根本から掘り崩されていく。

女性宮家の創設は諸刃の剣
 また、女性宮家の創設など話題になるが、そのように周辺部が増えれば直接的に血筋が絶えにくいというメリットがあるが、同じ皇族とはいえ中核と辺縁では、皇族の維持に対する温度差の違いがある。辺縁では、若い女性皇族がダンスに興じたり、つかまえてきた男が残念だったり…というような物議を醸す事態はなお一層増えて、天皇制の権威を辺縁から徐々に削っていくことになるだろう。
 皇族は下々に対する偉さを作りだすために隔たりを作り、行動の荘重さを演じて、神秘性を伴って権威を保たなければならないが、それらはたいてい窮屈であったり不便が伴ったりする。建前を守ることの利益が、建前を破ることの利益に勝るならば、建前を守る伝統大事だが、逆ならば伝統など放棄していくのだから、女性宮家の創設は、その伝統放棄を進め、権威を削る一助になるだろう。

おわりに

 天皇制を性急に廃止しようという人々がいるが、筆者はその論に組しない。というのは、まずそうした行動に必要性を感じないばかりか危険性を感じるからである。天皇制の廃止(民営化=信者相手に限って好きにやって)には賛成だが、それはあくまでも安全な形でなくてはならない。天皇という人はいるけどそれは信者のものでしかなくて、ほかの人にとってはあってもなくてもいいというほど無害になってからでなくてはならない。
 もし、天皇制を廃止して憲法の枠外においたら、きっと天皇親政の素晴らしい政治とやらで夢精したいアホ連中が悲劇を招来するのは目に見えているだろうし、廃止したり処刑したりして処分するというような過激な共和政治体制ができたら、それに止まらず政治的反対者を次々と弾圧する破滅的な結末になるだろう。
 そう考えると、技術革新によってだんだんと伝統と称する既得権である独占的贅沢がストリップしていき、最後に存在の意義がなくなって枯れ死するというのが一番安全ではないだろうか。そのときには、皇族が身近な人になって、公務員などと同様にルサンチマンの対象となり、天皇制はただの終身生まれつき贅沢公務員という身分だけになって、自ら降りるのか、それとも安全に辞めさせられ、民営化する(いち宗教法人のようになる)かになるのが自然な形ではないだろうか。さあ、どうなるのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

年金不足問題 NHK(つもり)年金

はじめに
 金融庁の金融審議会の報告書「高齢社会における資産形成・管理」によると、想定される家計では、毎月5万5千円の赤字で、一生涯で2000万円不足するとされて炎上した。
 だが、本当に貯められないものなのだろうか。年金の存在とは別に、自分の人生は自分で守るのが基本だと筆者は考えるから、NHK(つもり)積立を提唱したい。

NHK(つもり)積立
 いますぐテレビを捨ててNHKを解約するか、NHKを廃止もしくは民営化、スクランブル化を目指してはどうだろうか。もちろん、NHK民放を問わず、テレビ局や政治家やテレビ出演者は大反対するだろうが、多くの人はNHKよりも自分の生活が大切だ。

月々の受信料を70年、年利1%で、積み立てたと仮定すると…

〇衛星契約 月額2280円 積立のとき
NHK衛星70年キャプチャ - コピー



〇地上波のみ契約 月額1310円 積立のとき
NHK70年地上波のみキャプチャ - コピー - コピー

 いずれも、月々1000円~2000円程度でも積もり積もれば、車を買ったり、大学生の初年度納付金を賄えたりするほどの驚くべき大きな金額でバカにならない。2000万円貯蓄を目指すなら、まず、隗より始めよで、日々の固定費の無駄遣いから見直すことがいいだろう。特に今の若い人は、テレビを大して見ない人が多いのだし、長い時間を味方にできるから真剣に考えたほうがいい。さらには、コンビニでついつい習慣的に買ってしまうコーヒーにスイーツ、ペットボトル飲料や、タバコなどを節約して、それらを合わせたら全人生ではとても大きな金額を節約し積み立てることができる。

 もちろん、民放NHKを問わず、教養と称して雑学を垂れ流し、情緒操作してくるテレビに煩わされないメリットは大きいし、不思議なことにテレビがないと時間がゆっくり流れる気がすることも見逃せない。もし、テレビ断ちをしたければ、まず見たいテレビをすべて録画して、あとから見ることにしたらいい。実際にやってみると、「見逃したらどうしよう、何か不利益があるのではないか」という漠然とした不安な気持ちがあっただけで、たいていの番組は、わざわざ見るほどのものでもなく、録画しただけで見る必要がなかったことに気が付くのではないか。そうするとテレビを見る時間がもったいなく感じ、必要なくなってくる。

 老後不安におびえるくらいなら、生活の質を高めて、お金も貯められるNHK(つもり)積立いかがだろうか。わざわざNHK貴族に情報も気持ちも弄ばれて受信料奴隷として一生を送る必要はない。
お金は足りないとどうにもならないが、余る分にはどうにでもなる。
 
*上記のシミュレーションは 下記 楽天証券サイトを利用して計算した
積立かんたんシミュレーション

ああそうか すがる年金 あべこべか やとう群がる 二千万円

 金融庁金融審議会が公表した報告書「高齢社会における資産形成・管理」(最下段リンク)によると、「老後の生活費のために年金の足しに月額5万5千ほどが必要で、亡くなるまでには合わせて2000万円不足する。」とされた。それが、百年安心が嘘で公的年金が頼りにならないことだとして炎上した。だが、わたしはふしぎでたまらない。
 なぜなら、この報告書の前提の上での試算額はごくありきたりのものであるし、もともと年金は自助共助公助の一部であって全生活費を保障する性質のものではないからだ。あくまでも、百年安心というのは、個人への支払額を抑制することで制度としての年金が破綻せず持続するという程度のものであったはずだ。
 もちろん個人としては、たかだか2000万円で済むまいと筆者も考えている一人であるから、それなりの備えをしている。例えば、賃貸住まいなら…、病気になったら…、予想以上に長生きしたら…、配偶者が先立ったら…、子どもが自立しなかったら…。などなど危険性やリスクは尽きない。
 さて、「年金保険料を支払っているのに、それで十分な老後の生活を送れないのはおかしい。」などというむきもあるが、そういう連中は、きっと百均でもディスカウントストアでも高級百貨店並みの接遇を要求して、何の疑問も感じないのだろう。また「貯金から危うい投資に誘導するためのインチキ」などと金融庁を悪くいう向きもあるが、積立NISAやidecoなどをみると、今のところ、フィデューシャリー・デューティーを進めて、むしろマシな金融商品を国民に提供しようとし、時間を味方にして無理なく人々が資産形成できるように注意喚起をしようという話だろう。公的セクターを悪く言うだけ言うのに、自助努力はせず公的セクターに頼りっきり任せっきりになろうとするという人はいったい何を考えているのだろうか。だいたい「不安にさせるな」などと自分の無知の感情の責任を他者に負わせるというのはどういう感覚だろうか。現実が過酷なものであったら、それを知覚させようとすれば不安になるのは当然だろう。筆者から見れば、たいして給料もないのに将来不安も覚えず、その日暮らしのように、無思慮に車を買い家を買いしている人がいることがふしぎでたまらない。

 財務大臣、官房長官、首相、与野党マスコミ、一部国民の一連の騒動を見ていると、揃ってやはりこの国の命数は既に尽きているようだ。支持者はアホ揃いだと見なしているからこそ、何とか一時隠しおおせば済むと考えているとしか見えない創価公明や自民の連中、報告書を大して読んでいない麻生に、中身の方はさっぱり読めていないが「5分もあれば読める」と豪語しドヤ顔のエスパー蓮舫。こんな麻生や安倍が生きながらえているのは、エスパーのような引き立て役がいてこそだということに気付かないエスパーに清々しさえ感じてしまうのは一人筆者だけだろうか。だからこそ、エスパーは野党のエース、与党のホープ(笑)。
 こんなのが国のかじ取りのメインストリームにいるのだから、オワコン日本というのは疑いのない事実だろう。だからこそ、自分と大切な人の人生は終わらないように十分に備えよう。自助共助もしっかりしていこう。そこで一句 詠んでみた。 
ああそうか すがる年金 あべこべか やとう群がる 二千万円 
よめぬれんほう よまぬあそうをあせらす            いくま

「高齢社会における資産形成・管理」金融庁

産婦人科医の暴言

はじめに
 宋美玄という産婦人科医が、「とくダネ!」という番組で、南海キャンディーズ・山里亮太さんと蒼井優さんの結婚について
 「なんか私は女性目線でいくと、結婚って子供産んだりするじゃないですか。さんざん山里さんの顔のことが話題になってましたけど、私はちょっとなんか子供の顔が心配な人は無理」
 などと論評したそうだ。そのことで、他人様の生まれてくる子供の見た目を赤の他人が評価するなと批判されて炎上した。果たしてこれは、山里亮太さんと蒼井優さんへの問題発言であって、当人らが許せば済む話なのだろうか。

生まれてくること
 産婦人科医ならば、例えば、顔面裂の子供の出産に立ち会ったことはないのだろうか。その子供が生まれてきたことに、複雑な思いを抱きながら、責任を感じながら人生を過ごしている親御さんもご本人もいることだろう。
 もちろん、子供の顔を美醜について言及するのは、自明として、結婚したら子供ができるのは当然という大前提に立つが、本当に結婚→子供は自明だろうか。確かに、健康と機会に恵まれれば、結婚してしばらくして子供が生まれるということは、今の日本では多いことだろうか。だからこそ、理由はともあれ、子供を持てないことに複雑な気持ちを持つ人がいる。
 子供を産むには、その能力が備わっていないといけないが、後天的に、何らかの病気や治療で不妊にならざるを得ない人もいれば、先天的に不妊の人もいる。それでもなんとか子供がほしいとつらい不妊治療に取り組む人もいる。子供をつくる能力があるとしても、子供を持たないという選択をする人もいる。山里さんと蒼井優さんがそういった人ではないといえる根拠がどこにあるのだろうか。そういう人たちの存在や思いについて、どう考えるのだろうか。
 医者がしかも産婦人科医が、言えることだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

おわりに
 テレビのようなものが常識を発揮するなどということはほとんどないから、きっと山里亮太さんらが許したから、その程度の話でよいと済まされるのだろう。

フランチャイズ(本部)は本当に儲けすぎか?

はじめに
 セブンイレブンをはじめとして、フランチャイズビジネスの問題が大きな話題とされるようになった。こうしたコンビニ会計やチェーンストアパラドクスなどの問題点は、少なくとも20年ほど前、筆者が学生であった自分でもすでに知っていたことで、何をいまさらという感がある。しかも、フランチャイザー(以下:本部)は儲けすぎ、フランチャイジー(以下:オーナー)を酷使しすぎという規範的な分析までついて批判一色だが果たしてその通りだろうか。

フランチャイズシステム
 そもそも、フランチャイズシステムのメリットは、ノウハウは持つが資本は小さいというスタートアップ期の新興企業が、他人の資本を巻き込んで、早くにスケールメリットを享受できるというものではなかったか。そうであれば、既に、大きなビジネスになっているコンビニにそのメリットはないはずだ。もし、本当にリスクや投資に見合う儲けが期待されるならば、本部が自己の信用力で資本を調達し直営店としてビジネス展開するほうがはるかに儲けが大きく合理的だろう。しかしながら、なぜ本部は多大な資源を投じてオーナーを募集しているのだろうかと、オーナーになろうという人は自明な疑問を持たないのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

”アウトパフォーム”ビジネス
 オーナーは、自分を含む家族の人生に大きな影響をもたらす、大変な契約をする前に、脱サラする前に、自分で週末にアルバイトするなどして、既存店を体験してみる等いろいろ情報収集できたはずなのに、そうしたことをやったうえで契約しただろうか。もし、やっていたらおそらく始めなかったのではないか。
 また、机上の思考だけでも「相手が熱心に宣伝したり勧誘してきたりする儲け話には裏がある」というごく自明の真理を考えたり、契約書を読んだりなどしたら、そもそもそんなうまみが、コンビニビジネスにはないことは自明にわかるだろう。
 もし、こういう常識レベルの人が、自分で考え自分で運営するという、完全実力主義世界の自営業を自力でやったとしたらどうだろうか。もし、本部の力がなければ、業をきっと超速で倒産させ、多額の借金を背負い人目から消えることにはならないだろうか。ただ、本部があればこそ、なんとか潰れないギリギリの範囲で暮らせるように持ちこたえているのであって、その姿が悲惨に見えるだけなのだとしたらどうだろうか。
 
おわりに
 確かにコンビニビジネスは、本部が、法律をうまいこと利活用し、POSなどの小道具を利用して、オーナーになろうという人に甘い期待を抱かせ、その錯誤によって契約させるビジネスで、リスクに見合う儲けがないだろうが、少なくともそんなオーナーの能力をアウトパフォームする環境を提供しているといえるのではないだろうか。仮にそうであるなら、本部は儲けすぎという批判は当たらないのではないか。どうであろうか。このコンビニビジネスに対して、政府が干渉しているがどうだろうか。
 一連の韓国の日本に対する戦後賠償に対して、その社会体質を嘲弄していわゆる「国民情緒法」なるものを語り、日本は法治で韓国とは違うと悦にいるものもいるが、果たしてどうだろうか。そういう論者も本部批判をしているものも、筆者からみれば大差ないと感じるがどうであろうか。わたしはふしぎでたまらない。
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