セクシーポエマー信じろー ~わたしはふしぎでたまらない~

時事・政治・教育のネタを中心に、婚活のネタ も交え 書いていきます。 独自の視点で切り込めたら…いいな、と思っています。

運転免許証の返納は誰のためか?

はじめに
 運転免許の返納をめぐり事件が起きた。
 免許返納めぐり家族とトラブルか 自宅兼工場への放火容疑で83歳男逮捕

 最近、運転免許の返納が勧奨されているらしい。一見、運転免許を返納すれば、運転をしなくなるから事故を起こさずに、また他人が事故に巻き込まれずに済む可能性が高くなると感じるのだろう。だが、当人が自分の能力の衰えを的確に認識し意志の力で運転するかしないのかを判断しコントロールしうるときは、免許証の返納をせずともただ運転をしなければいいのではないか。それなのになぜ免許を返納を勧めるのか?運転免許の返納に何のメリットがあるのだろうか?わたしはふしぎでたまらない。

ボケたらどうする?
 同居家族が引き続き車を所有しているとき、免許を返納して困ることが起きるのは、まだらボケになって運転するかしないかを意志の力でコントロールできないときではないだろうか。まだらボケになって能力的に乗ってはいけないのに乗って事故を起こすと、免許を返納しているために無免許運転となるから、(家族が)自動車保険に入っていたとしても自動車保険金が支払われない。そのため、加害者側に支払い能力がなければ被害者救済もなされないし、加害者の側に支払い能力があっても相当な経済的損失となるだろう。それでは、被害者・加害者とも困ることになる。
 ここで考えなくてはならない問題は、免許の有無は運転の有無そのものではないという事実と、運転免許を返納するしないにかかわらず理性が有効に機能しないところで運転をしてしまい事故は起きうるという話である。
 であるはずなのになぜ免許返納が勧められるのだろうかと考えると、保険金の支払いを免れる保険会社のメリットがまず浮かぶ。そう考えるとスポンサーとして付き合っているテレビや新聞や、再就職先としている警察にも、免許返納を勧めるインセンティブが働くのだろう。
 さて、それはうがった見方と片づけられるだろうか。

海の王子とマコサマ ~好対照の二人~

はじめに
 マコサマ結婚が破談になりかかっているという。というのも、婚約者であるいわゆる海の王子こと小室圭サン側の母子が成り上がるためにいろいろと際どい資金調達をして学費に充てていた旨の告発者が現れたからだ。それに対して、つり合いが取れないというものが多いのだが、どうだろうか。
 確かに、その告発が事実であれば、海の王子母子が自らの手を汚してやっとこさ工面した4百万円に比べて、法律によって自分の手を汚さずに遥かに貧しい国民の税金から、その38倍近い1億5千万円を献上されるマコサマとは、確かにつり合いが取れないだろう(笑)。生まれの違い!!38倍、しかも善と悪というべきものだろうか。

一般人の退職金
 一般人の退職金ならば、40年近く大企業で精勤してたかだか3~5千万円、中小なら1~3百万円あるいは無しという日本で、マコサマは、なんの苦労もなく自分の手を汚すまでもなく、法律で定められているという理由で乞われてポンと1億5千万円を受け取り遊ばされるのだ。一般人の退職金には軽減されるとはいえ、さらに税金が控除される。
 自分で手を汚してまでも4百万円 対 生まれによる濡れ手で粟の合法1億5千万円(しかも無税)

汚れ仕事をすることと道徳
 自ら汚れ仕事をしないのは、する必要がないほど恵まれていたり、都合よくルールが作られていたりするからであって、かりにその立場になったらどうだろうか。本当に、マコサマは海の王子に比べてキレイだと言えるのだろうか。 
 「火垂るの墓」というアニメ映画があって、最近、監督が死去して再放送されたそうだ。筆者はその前に見る機会があったが、改めて見ると自分が親になって実に身につまされる気持ちというものだった。その中で印象的なのは、悲劇の連続の中で、栄養失調で衰弱する4歳の妹の節子のために、その兄14歳の清太が近々の畑から農産物を盗むところだ。農作物を盗まれた農家にも同情するが、その清太の心は本当に汚れていると言えるのだろうか。筆者は確かに泥棒などしないが、それは単に泥棒をする必要がないからに過ぎない。さて、筆者と清太のどちらが道徳的だろうか。そして、読者と清太と比べてどうだろうか。

天皇美談(クールじゃパン)停電之仁
 東日本大震災後の計画停電の際には、天皇も自主的に計画停電に参加したそうだ。世の中の多くはこれを美談と感じているらしいのだが、どの程度美しいのだろうか。より困ったのは誰だろうか。
 当時、店からは電池や懐中電灯が消えていた。筆者の実家には震災前に、充電電池も懐中電灯も十分な数があったから、明かりには大して困らなかった。家族の中で、より困ったのは、停電前に風呂の湯を張ったり、停電を避けて炊事洗濯掃除などの家事を済ませたりした母だったと思う。同様に考えれば、この美談で困ったのは、上げ膳据え膳家事無用の皇族よりも、その召使ではないだろうか。そして、筆者の家の周りでは街灯も信号機も消えていたが、皇居など警備も十全だろうし、電気を切っても交通事故が起こるわけでもないことを考えれば、どういうことなのだろうか。
 (計画停電のときに天皇が電気を使っていることを初めて知った筆者は、電気を使わない伝統はいつお捨て遊ばされたのだろうかと不思議に思ったが…それはさておき。)
 他方で、一般人は、有無を言わせず強制的に電気を切られるので、お気持ちで意思として自主停電に参加するチャンスがない。だから、有無を言わせずに強制的に電気を切断される一般人に比べて天皇がモラルが高いなどとは全く言えないはずなのだが、テレビや3kな正論を吐く諸君などは美しいと感じる立派な高性能思考回路を持っているらしい。そして、そもそも不思議なのは、天皇の家が、計画停電から予め外されているからこそ、電気を使うなと召使に命令できるという事実の重みだ。それは、”善意を発揮”するための御膳立てがそろっているといってもいい。この停電に参加するのは本当に美談と言える代物だろうか。
 こんなことも考えると、実際的な利害である、マコサマ1億5千万円、上げ膳据え膳家事無用の暮らしという伝統はガッチリと守る一方で、大して苦労することのない電気を消すだけで国民の気持ちに寄り添い遊ばされる?という判断は、最小の努力で最大の成果を出すという奇跡であって本当に優れた方法だと驚嘆してしまう。天皇は国民の気持ちに寄り添っているなどと感心するものが多いそうだから、この事実は本当にすごいと思う。同情するなら金をくれなんて話もあったが…寄り添うのは気持ちだけ。本当にホンノ気持ちだけなのに…これがうれしいという人をわたしはふしぎでたまらない。吮疽之仁なんて言葉もあるくらいだが、それ以上の停電之仁(笑)…正にクールじゃパンの精髄を見た気がする。

おわりに

 事実であれば、マコサマ比38分の1の資金を際どい方法で調達して懸命に這い上がろうとする「海の王子」側と、海の王子と同じような境遇にあるものも含む遥かに貧しい国民の税金で”上げ膳据え膳、家事無用”の伝統を保障されているマコサマ側をどう考えたらいいだろうか。こういう話をすると、3Kな正論を吐く諸君など、マコサマ擁護側は合法だという話をする者がいる。確かに悪法でも法だが、これを貴族利権、皇族利権といわずになんというべきだろうか。首長の退職金が高いなどと言っているものが多いが、そういう連中はどう考えるのだろうか。
 4百万円を自らの手を汚してやっとこさ工面する海の王子母子と、その38倍近い1億5千万円を法律によって自分の手を汚さずに、遥かに貧しい国民の税金から献上されるマコサマの何においてつり合いがとれないのか、今一度考えてみるべきだろう。それは、果たして多くが指摘するように、道義的なものなのだろうか。何をもってつり合いが取れないというのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

相撲界 批判 わたしはふしぎでたまらない。

はじめに
 舞鶴市巡業で多々見市長が土俵上で倒れた。その際、救命処置中の女性に土俵から下りるよう場内アナウンスされたり、その後、女性が降りた後の土俵に大量の塩がまかれたりするなど物議を醸した。筆者など、人が倒れたら気が動転して何とかして助けなきゃと思って焦るが、土俵は女人禁制だと冷静にアナウンスをする勇気と決断力はとても興味深い。

伝統とは都合のいいものか
 これに対して非難囂々なのだが、伝統とはこのように不合理な面・合理的な面、都合のいい面、悪い面、不利益な面、非情な面など、両面ある不器用なものが本来の姿だと筆者は思うのだがどうだろう。それは、皇族の、伝統なぞ命には代えられないとばかりに、輸血や先進的手術をお受けあそばされ不都合な伝統など潔くお捨て遊ばされる一方で、上げ膳据え膳のいい暮らしという都合のいい伝統は死守、という態度とは大きな違いかもしれない。相撲界のように寿命を縮めても不健康なほど食べ、様々なしがらみの中でこんなアナクロニズムをとことん命がけでやり、伝統で死ぬなら本望という気概があれば、それはそれである意味尊敬に値しないだろうか。この件では、相撲協会だけが厳しい批判を受けている。その批判は正鵠を射ているのだろうか。批判をするならば、ひょっとして道徳的に正しく現代的な相撲というもので代替した、エコで健康な近未来の相撲を見たいのだろうか。暴飲暴食はせず、食べてすぐ寝るのは牛になるとばかり腹八分目まで食べ、健康的に過ごし、すっかり痩せひきしまった力士が安全に十分留意してほどほどに相撲を取ったり、半裸の女性が男女平等とばかりに相撲を取ったりしたら人は何というだろうか。
 そもそも相撲道は、とにかく食べて体重を増やすような明らかに寿命を縮める不健康なことを大前提にしているし、かわいがりなどという暴力や、女性差別、八百長など毎度毎度繰り返し言われ食傷気味になっているほどの非社会的存在である。これらは、昨日今日に始まったことではなく、もし仮に正すべきならば是正するのに十分な時間があったはずだ。であるにもかかわらず、こんなものが当たり前の非社会的なアナクロニズムを伝統と称して大事にする一興行団体の催しに、暴力や女性差別に対峙すべき公共団体が公然と関与し、あまつさえその首長が繰り返し出席することに疑問を感じないことこそ、そもそもの問題ではないのか。市長が倒れたから云々ではないだろう。
 さて、普通に考えれば、現代の社会の規範に照らしてあり得ないのは確かに相撲界だろうが、それ以上に、その存在を平然と容認し続ける公的セクターの方が問題ではないだろうか。それは政治の世界で言えば、あたかも自創大作の創価が繰り返し自民の不正に口だけの批判はするものの、結局カラダは連立に留まり容認を繰り返しているのと同じことだ。そう考えれば、そんな非社会的なアナクロニズムの相撲に女性は行かなければいいし、公的セクターは援助も後援もせず首長も行かなければいいだろう。そして、女性に助けてもらうくらいならば死んでもいいという伝統であっても、皇族などと違ってそれが伝統だと潔く不利益な面も含めて不器用に死守する酔狂ならば、それはそれであっぱれではないだろうか。そして、そんな連中は相手にしないという決断が社会には必要だろうがどうだろうか。はたして批判すべきは、相撲界だけだろうか。今回も口先だけ批判してお付き合いは続けるというならば、それは創価と変わらない。
 どうだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

「結婚できない日本死ね」コメントありがとうございます。

結婚できない 日本しね!さん。
結婚できない日本死ねの記事への、投稿ありがとうございます。返信が長々となってしまったので、記事欄で返信させていただきます。

 本当に難しいですね。日本の場合、いいか悪いかは別として、女性が条件を選んでいる面も確かにありますが、子供を育てる費用や生活などの環境の中でそうせざるを得ない面もある気がします。
 就職超氷河期世代では、高偏差値大卒でさえ運悪く就職できなかった人たちは、塾講師やアルバイトで食いつなぐかポスドクなどで結婚など考えられないことも少なくないです。特に女性などは数次の面接を経ても当て馬だっただけで「女性は取らない」などと平然といわれるような時代でした。優秀とされる女性でも就職が絶望的で、高収入の男性と結婚できなければ生活は大変だろうと思います。
 その一方で、自分より若い世代では、妻も大手であれば夫婦共働き30代半ばで世帯年収が2千万円近くあって育休も取れるのも珍しくないです。一昔前は、ごく一部の専門職を除けば、男性の方が女性よりも平均所得が高かったので、相対的にではありますが高所得男性と低所得無所得女性の結婚によって、男女間でも社会の中でも自然に世帯単位では所得再分配がなされていました。しかしながら、男女平等が進み、結婚出産後も女性が活躍できるようになった結果、いままで男性というだけで担っていたポストを女性が代わってしまい、皮肉なことに社会の世帯単位の貧富の格差が広がりました。男女平等が悪いというわけではなく、そうした変化に政府の政策や社会の調整が間に合っていません。日本型福祉は、企業に福祉を丸投げなのでこうなってしまいました。さらに新興国の追い上げなど海外との競争の激化にに対しては、非効率な企業の淘汰や再編による企業の規模拡大や効率化ではなく、低賃金・非正規雇用で対応しました。そのため、日本型福祉社会での雇用を守って国民の福祉を守るため企業を守るという建前が、政官財の癒着を深め社会のひずみをいっそう拡大させたように感じます。だいたいそういう低賃金雇用を推し進めるような中小企業の社長などが与野党を問わず政治家の後援者であることやそうした企業の社長を親族に持つという例が多いです。福祉は国家が担い雇用は守るが企業は守らず市場での競争をさせず非効率な企業は退場させるというようなことにはならないのですから、日本全体としては貧しくなっていくのは自明でしょうか。私自身も日本の人口はどんどん減ると思います。今の政府は移民を表立って入れることには反対なのに実習生や留学生という形で労働者を入れて非効率で低賃金の企業や産業を温存するので、日本の未来は確実に暗いでしょう。
 他方で、今から子どもを増やしても、彼らが社会の支え手になるのは30年以上先ですから、団塊世代が後期高齢者になるときには間に合いません。また赤字国債を大量発行して当面凌ぐような国力もそうないでしょう。だから、私は移民を入れるしかないと考えています。まだ日本に国力があって魅力的に映るうちならば、大卒以上、所得が400万円以上の職に就ける、健康である、日本語検定2級以上、日本の風俗習慣理解テスト資格合格、など条件を付けても移民が来てくれるかな?と思っています。こういう移民ならば日本の中流以上に相当するので国の混乱も最小かなと思います。赤子から育てる子供には養育費も教育費も莫大にかかりますし、しばらくは負担にしかなりませんし、30年単位の時間もかかって間に合いません。ですが教育された移民の導入は追加教育費は遥かに安く養育費は他国持ちで、そこまで時間はかかりません。
 こうでもしないと日本は持たないと感じています。混乱か驚がく的な没落衰退かと考えたらそれが究極の選択かなと思います。長々とすみません。結婚できない 日本しね!さんメッセージありがとうございます。

森友”官僚忖度””首相夫人被害者”という落としどころ。

はじめに
 朝日新聞がスクープをして森友事件がまた再燃している。自創維大作や3kな正論を吐く諸君は、やはり水際作戦とばかりに怪文書の類と切って捨てた従前の作戦に出て「証拠だせ朝日」の大合唱だった。だが、残念ながら今回はその作戦が成り立たないことを悟ると、一転、官僚が勝手に忖度して安倍首相のあずかり知らないところで物事が進んだということにどうしてもしたかったようだ。しかしながら、そもそも官僚が忖度だけして危険を冒しながら、安倍首相やその周辺にその事実が告げられないまま…ということの説得力のなさにようやく気づいたのか、安倍首相夫人被害者論さえ出てくる始末である。

さあ、この問題の論点を分けよう。
 1、維新が森友学園の意を受けて、規制緩和をしたのかどうか、誰が働きかけ何をしたのか。動機は何か。
 2、用地にゴミはあるのか、安く売られたことはそもそも妥当か、その意思決定は誰がしたのか、その際、安倍首相夫人やその意を受けたもの、あるいはほかのものの何らかの働きかけはあったのか。
 3、公文書の改ざんの意思決定と作業は誰がやったのか。
 4、これらの事実のうちのいくつかかすべてを知ったうえで、事後的な隠ぺい工作を安倍首相かその周辺がしたのかどうか。

 1、は維新が大阪で100条委員会なり開いて、経緯をしっかり調べればいいのだが、それは維新が許さなかったらしい。そもそも学校に土地などの固定資本を持つことを前提に開学の審査をするのは、規制云々、既得権云々の問題以前の自明なる大前提だろう。なぜなら、子どもをいったん入学させておいて「3年生になったら、金欠のため終了」とか「2学期の途中から学校がなくなる」という事態を防ぐには、安定した資産、土地などの固定資本を持っていることは当たり前の大前提だからだ。なぜあえて維新は不合理でも理不尽でもない当たり前の大前提の規定を外す奇怪な規制緩和という英断をしたのだろうか。だいたい新規参入側が当たり前の大前提さえ満たせない今にも潰れそうな弱小なのに、(彼らがいつも言う)既得権勢力や現状維持の既存勢力がそれに脅かされ危機感を感じたり緊張感を持ったりするだろうか。それにより競争が促進され現状が良く変わることなどありえるだろうか。維新は常日頃、新規参入による競争促進などとまことしやかに言うがそんなことはありえないと自明にわかるだろう。それともよもや、そのハンディを一気に克服する籠池夫妻らの”土地”スキームを予め知っていたのではあるまいな。
 2は、ゴミは掘り返したらいいだろう。そこに真実はある。国に金がないというのならば、テレビ局や新聞社に許可を出して掘らせてもいいだろう。ボランティアを募ったら、結構集まるのではないか、筆者も近所に住んでいたら馳せ参じたかった。無料生特番をやったらいい。もちろん、実際にゴミがないのならば、どんな理由をつけても土地を掘り返させることはしないだろう。
 3、公文書の改ざんの意思決定は、必ず官僚が資料を持っている。彼らは基本的に信じがたいメモ魔だ。しかも、やばい橋ならばなおさらICレコーダーなどをポケットに忍ばせてすべて記録して身を守っているはずだ。
 4、当たり前の話だが、安倍首相がはじめから許認可に介入したか首相夫人や周辺から伝え聞いて知っていたのでもなければ、当然、忖度をする側はその功を安倍首相やその周辺に伝えなければ見返りとしての好意を得られない。”官僚勝手忖度論”が実は安倍首相やその周辺に都合が悪いのはソコである。安倍首相の私兵や徒党の類なら一心同体の利益を守るために、安倍首相のあずかり知らないところで忠誠心を発揮して動くこともあるかもしれないが、官僚は安倍首相の私兵でない以上、必ず報告してその功に報いてもらおうとするはずである。だから”官僚勝手忖度論”ならば、安倍首相やその周辺は必ず、誰がやったのかを知っていてあえて言わなかったはずである。

 おまけ…安倍首相夫人被害者論などを弄するものもいるが、仮に安倍首相夫人が被害者であったとしても、それは籠池夫妻に対してであって、国民に対しては加害者だろうに。国民を差し置いて何を言うのだろうか。安倍首相夫人は気の毒かもしれないが、日本国民はもっと気の毒ではないだろうか。彼らに日本国民を慮る気持ちはないのだろうか。

おわりに
 筆者が知りたいのは事実だ。事実さえ明らかにすれば、今回の件は実はそう難しい問題でもなさそうだ。だが、安倍首相夫人は”おバカ””天然””被害者”論や内政、外交の緊迫といった扇情での逃げ切りを図る自創維大作は、(民共合作?)野党という信じがたいほどの引き立て役を得て、見事、逃げ切りとなりそうな気もする。どちらが善、どちらが悪ではなく、どちらも悪ということ、そして法の不備によってどちらも悪でないということもある。そして、どちらも悪だと言えないのだとしたら、実際に起こった事実をかんがみれば、制度や法律を変えなくてはならないだろう。政局ではなく事実を丹念に追うべきだろう。
 ただ、事実に迫れば迫るほど、まるで小説のように”自殺”や交通”事故”、”心臓まひ”による死などが出るのだろうか。安倍首相夫人付の女性官吏などはどうだろうか。小説ならば恐ロシア、展開次第でいつ”事故”死しても不思議はないと考えるのは筆者だけだろうか。いったいどうなるのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

”アルマーニ”小学校は興味深い試み。

はじめに
 アルマーニの制服の導入を目指す銀座の泰明小学校が物議を醸している。それに対して、公立だからお金がかかるのはどうか、公立小学校はみんなのための学校なのだからどうか、こういった学校は格差を助長するなどと反対する主張が大半のようだ。そしてそれに納得して喜ぶ向きが多いようだが、そのような理由に説得力があるのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。
 そもそもみんなのためのはずの日本の公立小学校が、少しはましな家庭の子どものために存在したことが、かつて一度でもあっただろうか。公教育は、どんな子でも受け入れると言えば聞こえがいいが、実際には、大人であれば逮捕されるような問題児さえ所属が許されるため、教師はちょっとマシな家の子どもを使嗾したり犠牲の祭壇に捧げたり、放置したりしているのではないか。また、誰でも通える低質な公立学校と子供たちを選抜して学習させ授業料が高い私学との格差が放置されているのが現状ではないか。これこそが格差を助長しているのではないか。格差とはどの階層とどの階層を比較対象にしているのだろうか。筆者は同校の試みはなかなか興味深いと考えるのだ。

学校を選ぶ
 政治業者や教育評論家と称する人々は、学校選択制で教育の質が向上するなどと宣う。だが彼らは何を選択させてくれるのだろうか。今のままでは、小学校の通いやすさや校歌の旋律を選べるとか、校舎の色がホワイトかクリームかアイボリーかを選べるというくらいが関の山だろう。残念ながら、実際の世界では、「みんな違ってみんないい」などというポエムで語られるように皆が善人でも平等でも能力が等しいわけでもない。そして、どんな子でも同じように教育できるということは実際にはない。もし学校や教師の能力次第で誰でも教育できるというならば、開成や灘ならばどんな子供でもなかなか優秀な子供に教育できるのだろうか。
 あいさつ代わりに平気で「死ね」と口走る子や、発作的に他の子に危害を加えるきれっぱやい子や、夜更けまでゲームをしご飯も満足に食べてこず落ち着きのないような子さえいるそうだが、どうやったら彼らを教育できるのだろうか。そんな懸念をあげると、必ずそんな子の変化を辛抱強く待つのが教育などと言うのだが、確かにそれが教育なのだとしても付き合うべきは行政や学校や教師であるはずで、周囲の無実の家庭や子供ではないだろう。であるのに、いつまでそうした子供の更生に付き合うためにちょっとマシな家庭の子は辛抱しなくてはならないのだろうか。いつまでマシな子供は困った子の人生の更生装置としての役回りを強いられ、殴られたりいやなことを言われたり持ち物を壊されたり、勉強を足踏みして待たなくてはならないのだろうか。その子の可能性のためだけにいつまで耐え続けなくてはならないのだろうか。果たしてこんな子の成長のためのダシでしかない子どものために公教育が存在するとでも言うのだろうか。もちろん、筆者もそのような不幸な家庭で育つかわいそうな子供の境遇には同情を禁じ得ないが、だからと言ってその子やその家庭の不届きや不幸を八つ当たり的に転嫁される、ちょっとましな家庭や子どもはより不幸でもっとかわいそうではないだろうか。

親の所得と子供の学力や生活態度には正の相関
 現実的に、保護者の所得と親や子供の学力、子供の生活上の落ち着きが一定程度正の相関を持つならば、落ち着いて学習でき、より学力の高いよりマシな家庭の子供を集めるためにはこういったことをするほかはないのではないか。公立小学校は学費が無償である以上、私立小学校のように学費を高めることによって入学者とその保護者を選別できない。だからこそ、泰明小学校の校長が意図するにせよ意図しないにせよ、制服の費用負担という形で、負担能力に耐える家庭を選別するという試みは興味深いと筆者は考える。”アルマーニ”に目を奪われて批判して喜んでいるものばかりだが、このような試みは何も制服に限らず一日千円の給食費負担という形でもいいし、極論すれば、保護者それぞれが毎年10万円を燃やすような儀式でもいい。日本では質がどうにもしようがない公教育と、高負担で上流家庭のものしか行けない私立小学校との間がすっぽりと抜けているのではないか。中流以上の家庭の負担で通える良質な小学校がないのではないか。このことが、上流と中流以上の家庭との格差を拡大させてはいないだろうか。

日本教の刷り込み施設

 さて、どこかで公立小学校は”みんな同じ”という日本教という宗教を学ぶための施設だと喝破するものを聞いたことがあるが、同校の試みは、これに風穴を開けようとするものではないか。家庭が小学校を選ぶとはいうが、それと対に、学校の側も子供や家庭を選ぶことがあって初めて公立学校はよくなるのではないだろうか。学校を選ぶ、先生を選ぶということと同様に学校も先生も子どもを選ぶことがあってもいいのではないか。一見すると服に8万円を費やすように見えるが、実際には、よりマシな子供たちが集まりやすい、よりマシな同級生を選別するための負担と考えるほうが妥当ではないだろうか。もし毎年制服を買い替えるとしたとして年間8万円は高いのだろうか安いのだろうか。筆者ならちょっとこましな同級生が集まりやすくなり、学習環境がちょっとましになるならば、自分の子供のために年間8万円は十分に安いと考えるがどうだろうか。これに反対する人々は”アルマーニ”という表層的なことに囚われているようだがどう考えているのだろうか。芸能人など多数も批判的な声をあげているようだが、よもや子弟を私立小学校にはやっていまいな。

おわりに

 このままのバッシング続きでは”アル小”実現の見込みはなさそうだ。だが、公教育と質を考えるときどうだろうか。子弟を私立学校に通わせながらもアル小”に批判的な声をあげる欺瞞的な政治業者や官僚、有識者の発言にうれしくなっている人々はいったい何を感じているのだろうか。子弟を私立学校に通わせる欺瞞的な有識者こそ”アル小”を邪魔することで、家庭の負担能力の差によってその学力にふさわしい学校に通う機会の芽を摘まれる中より上の家庭に差を付けられる現状を守ろうとしているのではないか。そこに筆者は日本の”本音と建て前”そして格差の存在を感じるのだが、建前を言ってくれるのがうれしいのだろうか。格差がうれしいのだろうか。アル小に批判的なものにうれしくなるような連中も少しは、そういった現実の重みを考えてみてはどうだろうか。

NHK廃絶を

はじめに
 ネガティブオプションという悪徳商法がある。
 ネガティブオプション(送付け商法)によると…
 頼んでもいない商品が一方的に送られてくる。ネガティブオプション(送り付け商法)とは、商品の購入の申込みをしていないのに一方的に商品を送り付け、送りつけられた人がその商品を購入しない旨の通知や返品をしないと、購入の意思があると決めつけて代金の請求をする販売方法です。
 寄付と勘違いさせて商品を買わせる手口もあります。
NHKと比べてどうだろうか。

NHKほど利益追求に熱心なものは見たことがない。
 筆者がまだ学生で、ぼろアパート住まいだったとき、NHKの拡販員はテレビを持っていない筆者に対し、ドアホンを押しまくったりドアを叩きまくったり、男の拡販員は(2階端の部屋でドアからは離れ階段とは逆側の廊下で通り道にはないところに置いてある)洗濯機を蹴ったり、女の拡販員は嫌味を言いまくったり、と散々してくれた。怪しげな訪問販売や宗教もきていたし、アサヒの拡販員だってしつこく泣き落としはしてもそこまではしなかった。また、ドアホンを連打する佐川急便でさえそこまでしなかった。テレビを持っていないものに対しても恐怖や不安を与え執拗に契約を迫る”押し売り”同然の行為を営利追及と言わずに何と呼ぶべきか。NHK的には筆者はとんでもない公敵で何をやっても良いということなのだろう。容易かつ安価にスクランブル放送できるから簡単に簡単に受益者負担にできるが、そうすれば、受信料収入が今のように得られないという不都合な真実への確信は誰よりも強いだろう。この押し売りが怖くて不安だからこそ、契約をしている人は多いのではないだろうか。
 
NHK問題の根本
 放送法の矛盾は法律的な問題以上に、技術進歩こそがNHKが公共的な存在だという理由を失わせ陳腐化させるのだ。もはや天気予報もニュースも、ネットで必要なときに必要な場所の、知りたい細かい情報が手に入れられるし、災害報道も民放もネットも必要にして十分ある。国会中継だってネットのストリーミングでやればいい。紅白歌合戦を見て民主主義の何たるかを知るとか、大河ドラマや連ドラを見て人権意識を深めたとか、そういうことがない以上、技術的に正当性がなく、法律一本で強引に不合理を支えているような相手であればあるほど、政治業者にしてみれば、手なずけやすいし利用しやすい。NHKが政権に忖度をしてオルタナティブファクトやフェイクニュースの類を垂れ流すのは、NHK職員が悪者だからでも安倍の犬だからでもでなく、有働アナの脇汗やら土下座やらを見て喜ぶ視聴者のような平均給与413万円(*14年度速報値)の”相対的貧困”者※と同じようにはなりたくないからだろう。
 ※NHK職員(1143万円*14年度速報値)と比べると、過半の国民は平均給与413万円で対NHK比”相対的”貧困者…
 *受信料収入でNHK職員の「好待遇」全調査

 NHKホームページ「受信料制度 受信料について」によると、
公共放送NHKは、“いつでも、 どこでも、誰にでも、確かな情報や豊かな文化を分け隔てなく伝える”ことを基本的な 役割として担っています。そして、その運営財源が受信料です。 税金でも広告収入でも なく、みなさまに公平に負担していただく受信料だからこそ、特定の利益や意向に左右 されることなく、公共放送の役割を果たしていけると考えています。
だそうだ。NHK職員が、国民一般に比べた”相対的富裕”者であるのは特定の利益や意向ではなく公益なのだとさぞ言いたげだ。NHK職員の平均給与が1143万円でも特定の利益や意向ではなく公益らしい。相対的貧困者として、NHKに取り上げられた”うららさん”一家をNHK比相対的貧困な国民に救えと報道したNHKの平均給与が1143万円なのだから、”うららさん”一家はNHKの平均給与の4分の1以下で暮らしていることになる。NHKは”相対的”に貧困な大多数の日本人から受信料を取り立てるが、当然、”うららさん”一家からも受信料をとっているのだろうか。NHK比で半分の給与しかない”相対的”貧困な大多数の日本国民に、相対的貧困なうららさん一家を救えと宣うNHKに、わたしはふしぎでたまらないし、それにもまして有働アナの脇汗やら土下座やらを見て親近感を感じて喜ぶノー天気な視聴者とやらにもふしぎでたまらない。
 みなさまのNHKは、みなさまのためにいい暮らしをするのであって、決して私的な利益のためではないと自負を持っているだろう。国民皆様の公平な負担でNHK職員の国民との不公平な暮らしをしているわけではないと断言するだろう。このような論理はどこかで聞いたような気がする。そう天皇が毎日鯛を食べるというアレだ。(「天皇 毎日 鯛」 で検索)不公平な待遇を公平に支えさせていただく”視聴者””相対的”貧困な国民はさぞ光栄なことだろう。

放送法は矛盾した法律
 さて、民主主義の基が知る権利で、その知る権利を担保するのが放送法だという話もNHKが好きな理屈だがどうだろうか。報道に干渉しない政府と干渉する政府があるとき二つの例を考えたい。NHKに干渉しない政府のとき、NHKは自由に放送するかもしれないが、そもそも干渉しない政府は干渉する必要さえないように、より公正で誠実な権力の行使に努めるだろうから、国民の知る権利を保障するためにNHKがあえて存在する必要性は小さいだろう。
 他方で、NHKに干渉する政府のときは、NHKはその政府に忖度をして都合のいい報道をするか、あえてその政府に都合の悪い報道を控えるだろう。政府がよいときには必要性が薄く、悪いときにはそれを増幅する存在がNHKであるならば、NHKはかえって危険な存在ではないか。

語るに落ちる嘘・NHK
 NHKのいう、受信料によって視聴者のための公平公正な報道を行えるという原理の大本にある「お金を受け取る人が、お金を払う人のためになるように働く」のが成り立つならば、強盗強姦殺人という犯罪では、被害者の方こそが強盗され強姦され、そして殺されることを望んでいることになるし、振り込め詐欺などでも、被害に遭う老人は望んで被害にあっていることになる。
 そして、北朝鮮のように国民を飢えさせてもミサイル核開発をする国の国民は、国が軍事にお金を優先することで自らが餓死することを望んでいるし、江戸幕府に代表されるような武家政権は、農民のために善政を敷いていたとでもいうのだろう。もちろん、貧窮問答歌などは、NHK的にはSMプレイの古典的名著なのだろう。
 もちろん、これらこそはNHKとその受益者がこぞって強弁するような理屈の正体だ。実際には、これらは成り立たないのだから、NHKは大ウソつきであって、これこそNHKが真実公正な報道などしないという裏付けなのだ。
 実際には、NHKに限らず、お金を受け取る側には、お金欲しさに、お金を払うか払わないかを左右する力を持っている人のために働くインセンティブを持つのである。カーディーラーに行ったとき、家具売り場に行ったときのことを考えればわかりやすい。妻に金を出さされるだけの夫なら店員からはあまり相手にされない。どれを買うか、あるいは買わないかの判断を妻がするならば、店員は、購入の決定権をもつ妻にターゲットを絞ってその意向に沿うようにする。
 つまり、受信料制度では、金を出さされる夫に相当する国民だが、国民に金を出させることを決める妻に相当する権力者の言うことを聞くことになる。つまり、受信料制度こそNHKが真実公正の報道をしづらいことの証明であるし、NHKが嘘つきであることの証拠でもある。

スポンサーの意向に左右される?
 また、放送法の背景にある精神構造ならば、民放では、コンビニがスポンサーの天気予報は「今日は予想より暖かい予報です。」などと嘘を言って、薄着で外出させることで寒がらせ、おでんの売上アップを図るなどという妄想をするのだろう。こんなことはその日は通用しても、しばらくすれば、その天気予報があてにならないことは多くの人に感じられ、今日は、他の情報ソースはたくさんあるから他に代わられるだけだろう。そして、遅かれ早かれネットなどでそのことを告発する元従業員の声などが駆け巡るだろう。
 そもそも、スポンサーの圧力によって、なぜ情報が捻じ曲げられるかといえば、それはスポンサーが降板をちらつかせたり降板したりしてしまうために放送局が不利益を被り、ひいては従業員である自分の不利益が予想されるから、予め職員には、スポンサーに遠慮したり自主規制したりするインセンティブが働くからである。これが危険だと考えるならば、同様にNHKが「受信料制度をどうするか」「NHK職員の待遇をどうするか」を左右できる政府や政治家に対して脆弱であることは同じ理由から自明に説明される。NHK支持者は”民放は…”と言うが”NHK”も立派に職員の待遇を左右できる存在に影響される存在である。
 こう考えると、放送が左右されるのは、放送局の職員にとって不利益があるか利益になるのかといった問題であって、権力に阿ねざるを得ないのは、スポンサーがある民営放送だからとかNHKだからという放送の運営財源が何かという問題ではないことがわかる。NHK職員にも民放の職員にも共通して利益を求め不利益を避けるというインセンティブが自明に働く以上、放送の運営財源がスポンサーによる宣伝によるのか受信料によるのかは放送姿勢とは関係がない。
 放送法の精神では、災害報道にしても災害報道はほとんどせず、芸能人のくだらないバラエティ番組を垂れ流すと想像するのだろうが、実際はどうだっただろうか。民放は、ぽぽぽぽーんの宣伝を挿入して大々的に常時災害報道を続けたではないか。天気予報にしても、台風の予測進路のネットに出るし、日本気象協会のサイトもある。このような技術進歩は進むことはあっても後退することはない。だから、NHKが法人や組織として公的な存在だということは事実として維持しようがなく、NHKの職員一人一人に働くインセンティブの問題として、好むと好まざるとをかかわらず、既得権を守るために、政権に阿るのは当たり前であり、流行りの”忖度”をするのは自明である。だからこそ、NHKはその存在自体が民主主義の脅威であると言っていいのではないだろうか。

NHKを有識者や政治家がイシューにしない理由
 社会にはかっこいいことを言っている自称改革派の有識者という人々がいるが、それらの人々は、NHKの解体や民営化をそもそも本気でイシューにしないだろう。なぜなら、NHKはキャスティングすることで批判そのものを買い取ることができ、NHKや民放からのギャラ>受信料支払い総額であれば、NHK批判はしないほうが経済合理性があるからだし、反NHKでNHKにキャスティングしてもらえなければNHKからギャラをもらえないし、民放に出してもらっているならば、民放にも呼んでもらえなくなるからである。また、民放に出演する人々も同様である。NHKが民営化されると、NHKもCMを行うようになりCM供給枠が増えて企業の限られた広告宣伝費を奪い合うことになる分、民放の収入が減り民放の社員の給料や出演者のギャラが下がることは自明だからである。であれば、当然、民放の社員にしてもそのようなことを主張する人間を出演させることには慎重になるだろうからである。ただでさえネットに広告宣伝費を奪われ困っている放送各社の実情を考えれば、よくわかる。そして、ネットにNHKが広く進出することになれば、NHKよりもひどい番組が多い民放の、しかも地方局には淘汰の圧力さえかかる。このように考えれば、NHKを民営化したり分割したりすることに対していかに大きな既得権があるかわかるだろう。

おわりに
 ここまでは、理念型の話をしてきた。さて、実際に、これまでのNHKは受信料で特定の利益や意向に左右されないと建前論を展開してきたが、実際に民放とは異なって、権力を厳格にチェックする番組を実際に作ってきたのだろうか?民放では放送できないとされる企業の不正などを潜入取材をして、企業名を公表してしっかりとチェックしてきただろうか。NHKが公的な存在だということは、他人には執拗に適用するが、NHK職員には適用しないのだろうか。中立や不偏不党などと言えば聞こえがいいが、中立といって傍観しているだけならば、強い主体と弱い主体があるときは、結局弱いものが常に負ける世界を放置することに他ならないのではないか。

 さて、筆者は民主主義とは、自己決定権のことであると考える。必要ものや不要なものは自分で決めることである。一人一人の草の根に基盤があって、分散的な意思決定と情報発信にあると考えている。どうだろうか。NHKの実態を見てどう思うだろうか。有働アナの脇汗や土下座で喜んでいる輩は何を考えているのであろうか。親近感という操作された印象と、実際の親近との違いをどう考えるのだろうか。
 感覚を理性でチェックできる人々は、NHKの廃絶と、一人一人がNHKに一生涯で払い続ける何十万円という直接的損失とともに民主主義の未来について考えてみてはどうだろうか。

”合憲”最高裁判所判決 NHK”自爆報道”

はじめに
 最高裁判所は、放送法や受信料契約・徴収は合憲としたが、
 [主文] 本件各上告を棄却する。各上告費用は各上告人の負担とする。

と、NHKを含む双方に敗訴を言い渡した。この件でとても興味深いのは、
「受信料の仕組みは、憲法の保障する表現の自由のもとで国民の知る権利を充たすために採用された制度で、その目的にかなう合理的なものと解釈され、立法の裁量の範囲内にある」

 との最高裁の合憲判断の根拠を、NHKがよりにもよって判決当日早々と覆した事実の重みだ。
 なぜなら、NHKは、件の最高裁判決をありのままに伝えず、放送法や受信料契約・徴収は合憲と声高に叫ぶ一方で、NHKが上告して敗訴した主張(受信契約はNHKが契約書を一方的に送り付けた後自動的に成立するというNHKの主張が退けられ、裁判によって1軒ずつ確定させなくてはならない)についてはあえて報道しなかったそうだからだ。あくまでも、NHKが上告してまでも欲しがったのは、未契約者に対する”契約強要”に使う材料”である”送り付け自動契約”であって、”合憲判断”ではなかったはずだからだ。そして、裁判によって1軒ずつ契約を確定しなくてはならないという判決の重みを知らせないために、あえて隠して報道しなかったことはNHKに働くインセンティブから容易に想像がつくからだ。
 よもや、NHKに都合のよいことは放送するが、都合の悪いことは放送しないということが、民主主義国家における、国民の知る権利を担保するものだろうか。知る権利とはNHKにとって都合のいい事実を知る権利で、NHKにとって不利な事実は知らなくていいという権利ではないはずだが、NHKにとってはそういうことらしい。この事実をもって、最高裁判所のいう民主主義のための知る権利を担保するという放送法の精神がNHKには全く存在しないことが、NHKによって判決当日に裏書きされたといっていい。
 さて、その日のうちに破られるような公共放送の意義などと大仰な合憲判断をした最高裁判所は本当のバカなのか、それとも、こんなNHKのようなものをもってして民主主義や知る権利と言えるほど日本国や日本国民とはその程度のものだと裁判所は嘲弄したかったのだろうか。ちょうど、朝鮮民主主義人民共和国を名乗る”民主主義”国家の国民が、朝鮮中央テレビの太った年配女性キャスターに、その”民主主義”や首領様の偉大さを教わらざるを得ないように。

おわりに
 NHKの作為的な報道の意義は、かえってNHKの公共性に重大な疑義をNHKが自ら証明したことと、それを是正させる機会をネットに与えたことだ。このことは、公共とは何か、民主主義とは何か、知る権利とは何か、ということを大いに考えさせる問題提起になったはずだ。公共や民主主義がなんたるかは、法律で決めたり、とある主体が我こそは民主主義だと自称したりしてどうなるものではないという事実を厳然と示した。放送法で決めさえすれば自明にして民主主義に資する団体になると判断する連中は、朝鮮民主主義人民共和国のように自称すれば、自ずと民主主義的な国だと映るのだろう。「「である」ことと「する」こと」を読んだことがあるが、ちょうどそんなことを思いだした。
 今後、NHK関連裁判に対して、裁判所がこの”NHK式知る権利”が日本の民主主義のためになるというなら、厚顔とはこのことを言うのだろう。
 これからのNHKの動きに注目であるが、敗訴した以上、政治家や官僚に働きかけて、高給放送たるその既得権を守るしかないと開き直ってなりふり構わなくなるだろう。(そのときには、きっと橋下・維新がNHKを守る盾となるだろうと筆者は予想するがどうだろうか。(笑)
 ミナサマの公平な負担とはNHKの既得権者のいい暮らしを公平に負担できる光栄(喜び組日本)を指す言葉なのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

将帥と軍(暴力装置)の在り方とは何か。

 予備士官学校で差別的な落書きが見つかったそうだ。そして、いわゆるアメリカの分裂というような事態として扱われる様々な事象に対して、アメリカ空軍士官学校校長のジェイ・シルベリア中将の「他人を尊重できないなら出ていけ」と強く主張する演説にグーの音も出ない。
 
 これがただの演技だったら、すごい役者。これが本心なら本当にすごいことだ。
 昔、It is the heart which renders men eloquent. 「心こそが人を雄弁にする」という言葉を見かけたが、言葉に心を感じてしまった。アメリカの底力というものを感じてしまった。我が国の、田母神俊雄元航空幕僚長と比べてしまった。演説を生業の一つにするはずの橋下維新はこういう人たちに、売春を利用するように勧めたわけで別の意味で、恐ろしい。そして、彼らの言葉の重みも、そして心も…。

 さらに、考えさせられるのは、将帥とは何かというもので、その将帥に率いられる実力組織が薬にも毒にもなるという暴力装置だという事実の重みだ。
 民衆の盾として大規模災害に立ち向かったり民主主義の脅威を排除したり、それらの危機を未然に防いだりするのも軍隊の仕事の一つだが、強権者の手先となって民衆を弾圧するのも軍隊の仕事だった。アメリカだから日本だから、中国だから北朝鮮だからと常に一定しているものではなく、いずれのものの中にもその両義性を持ちうる存在としてあるのだということ、それを指揮する将帥の重みを考えさせられた。
 北朝鮮の脅威や中国の強大化を前に、日本をどうするか、憲法をどうするか、自衛隊をどうするか、権力者の統治の在り方などが問題となっている今こそ、自衛隊(法律上は軍隊ではないが)の在り方、自衛隊員・幹部の在り方も含めて民衆の盾だろうか、そうであれば、そうあり続けられるかどうかということにどうしたらいいのか、ということもしばし考えさせられた。自衛隊の将帥はどうだろうか。源田実氏(帝国海軍航空参謀、初代航空総隊司令・第3代航空幕僚長)の延長線にある田母神俊雄氏だったら、その後継者は自衛隊にいるのかどうだろうかと。

自民でも反自民でもなく”半”自民という第三の選択

はじめに
 安倍首相が臨時国会冒頭、衆議院を解散した。
 3kな正論を吐く諸君ならば「来年、さらに北朝鮮情勢が緊迫化するだろうから、衆議院の選挙どころではなく、解散は今のタイミングしかないのだ。」と、したり顔で説明してくれる。だが、彼らの説明ではせいぜい”数か月単位”の解散のタイミングは合理化できるが、臨時国会終了後ではなくあえて”冒頭”に解散したのかが説明できないのだ。しかもアホには際限がないという名言のごとく、この手の話に担がれているちょっと意識高い系は、そのことにさえ気づかない。もし、冒頭ではなく、臨時国会を終えて解散したならば、賛否両論があるにしても北朝鮮情勢の緊迫化に備えた解散と主張することもできただろう。だが、あえて”冒頭”タイミングを選んで解散したのなら加計隠し・森友隠し以外に何があるのだろうか。北朝鮮情勢が緊迫化する中で、トランプのはしごを外すような、韓国の北朝鮮人道支援や日本の解散・総選挙をどう考えたらいいだろうか。

与党対野党なのか
 「票目当ての解散」勢力と「票目当ての野合」勢力の戦いという救いのない日本の状況が、日本の劣化を象徴する選挙であることは疑いようがないが、そんな中でどういう対立軸を考え、どういう投票をしたらいいのだろうか。
 ”希望”は寄せ集めで、築地移転に代表されるように都政は混乱し、民進は崩壊?。維新は大阪でもメッキがはがれ、既得権打破と称する利権横取り・スポイルズシステム導入や様々な腐敗が散見され、先の堺市長選では敗退した。このように野党はひどいものばかり、一貫しているとはいっても共産党は、国政を担うには現実的ではない。
 では、与党はどうだろうか。党勢拡大のためなら何でもありにしかみえない創価公明や安倍・菅の明らかな公私混同や国家の私物化と虚偽説明の政権運営。本来は私人であるはずの首相夫人の小間使いに官吏を使い、森友学園の土地取得に関係し露見したら、その官吏の高飛び同然の情実人事をする。森友問題の虚偽答弁でならし安倍・菅を守った財務省の佐川宣寿理財局長のあからさまな国税庁長官就任という論功行賞人事。こんなことで国の未来は明るいだろうか。いかに自民党支持者でも眉をひそめたのではないか。
 もちろん、企業でも国家でも、情実人事や論功行賞人事が横行すれば、組織が内部から腐敗衰退してゆくということがわからず、北朝鮮問題という大問題の前では、森友加計は小問題だと清濁併せ呑むなどと気取るむきで国家は安倍の私物、自衛隊は私兵・国民はその光栄ある徒党であるという3kな正論が好きな諸君は、小選挙区・比例区とも自民党に投票し、安倍支持で行くべきだろう。他方で、北朝鮮問題は外交防衛上の重大問題だが、森友加計のようなことも赦せば内部から国家が内部から枯れ死するという意味で内政上の重要問題だとわかる人間だからといって、選挙目当ての野合をする野党に投票するのは心配だろう。かと言って、誰にも投票しなければ、安倍・菅・創価ウハウハとなって、外敵への備えはできても内部から日本が腐敗して衰退するだけだろう。

半自民・自民再生という第三の選択

 そこで、与党自民党の中で自浄作用を持たせてはどうだろうか。つまり、自民に緊張感を持たせ増長させないためには何をすべきかを考えるのが、一番、現実的な選択かもしれない。つまり、反自民ならぬ”半”自民という第三の選択である。自民が一定程度、議席を減らせば、自民党内で代わりとなる人材が出るか、少なくとも安倍首相は自ら襟を正さざるを得なくなることを期待した投票行動である。
 例えば、与党と野党が僅差で拮抗しているという情勢分析ならば、小選挙区と比例区の投票先を与党自民党と野党に振り分けるというもので、片方は自民党にもう片方は野党にと入れるのである。同様に与党が優勢ならば、小選挙区も比例区も野党に入れて他人の投票行動とカウンターバランスをとるというものである。
 「票目当て解散」と「票目当て野合」とお互いをののしりあい、しかもそれが事実で、どちらにも投票したくないという救いがたい日本の情勢の中では、これが一番マシな選択かもしれない。

他人に自分の生活費を払わせるのは高貴であり日本のため

はじめに
 
最近、自民公明、維新や民進などが教育無償化を主張している。また独身税やらなんやら…とにかく自分や家族にかかるお金を赤の他人に払わせよう払うべきだ、それが当然で正しい、しかもそれが世の中のため日本のためだという主張が目立つように感じるのだが、果たして気のせいだろうか。

かほく市ママ課の独身税
かほく市ママ課「独身税」提案 財務省主計官と懇談
「結婚し子を育てると生活水準が下がる。独身者に負担をお願いできないか。」
と、独身者に子供のいる世帯の負担をさせたい旨、発言したものがいたそうだが、その主張は正当だろうか?むしろ結婚生活には規模の経済が働き、家賃・光熱水費、通信費の重複分が節約されるので生活は楽になるはずだ。月々9万の家賃と7万の家賃を払う独身男女が結婚して14万の賃貸に一緒に住めば家賃が月に2万浮くし、二人が同じ部屋で過ごせばエアコン代も半分近くになるし、風呂の湯船にはる湯も別居の2人分よりは少なくなるし、インターネット回線分も同様に重複分が節約されるだろうから、独身二人分の生活費よりも結婚した世帯の生活費は安くなるだろう。だから、結婚したら生活水準が下がるのかといえば必ずしもそうではないことは明らかだろう。さらに、子どもがいたらどうだろうか。所得が多いと恩恵がないのはひどいが児童手当は支給されるし、医療費は無料か低減されている。お金がかかるといったら日々買う衣食(住)のものとおむつ代くらいだろうか。
 そもそも、生活水準が下がるのは、独身時代に後先を考えずに無計画にお金を使ってきたからではないか?ライフサイクル仮説を考えれば、今月の給料は健康な若いときだけではなく、子供を持ったとき、老病死のときと、すべてのイベントも含めた一生で考えるべき給料だとわかるはずだ。例えば、結婚を将来考えている独身ならば、将来結婚したときに備えて必要な分の貯金を予めするだろう。もし、晩婚化が進む中で、独身貴族を自称し使い切ってから晩婚で子どもを得たところからお金を貯めようとしたら、定年と子どもの大学の学費を同時に工面しなくてはならないから家計が厳しくなるのは自明だろう。幸いお金は腐ることもなく貯金したり株や債券で運用したりして蓄えておけるのだから独身の間に備えておけばいい。子供を産めば子供が成人して自立するまでのおよそ20年間に育てるためのお金がいること、いくらくらいいることは予めわかり切っている。もし親が死んだとしても預貯金や保険で十分に対応できる世の中の仕組みがある。親が死んだから大学に行けないのではなく、親が死んだのに親は保険金をかけていなかったから大学に行けないのである。
 例えば、具体的には、子供が二人ほしい独身であれば、結婚相手が今いなくても、30歳で第一子を設けたつもりでその分の積み立て貯金を始め、32歳で第二子を設けたつもりで積み立て貯金をしたらいい。例えば、アラフォーで結婚して子供を設けても、既にのべ約18年分の子供の養育資金が貯金済みだから、自分の老後と大学の学費負担が同時に発生するからと言っても特段に困ることはない。独身のまま終わったとしても自分の老後資金になるだけだ。
 こういう理屈がわからない人は、人間が爬虫類のように卵を産み捨てにしたら親の責任は終わりとでも思っていたのだろう。こんなアオウミガメ系の人間ならば、子供が生まれて初めて子育てにはお金がいると驚く!のだろうか。人間はよく未来が見通せるところがほかの動物とは違うと言われる。燕や雀でさえも子どもが巣立つまでの一連の流れを計画の中で図ったかのように当たり前に養育しているものだが、こういった人間は燕や雀以下なのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

子ども保険は加計支援
 小泉進次郎代議士などは、子ども保険なるものを主張するが、これなど子どものため、社会のためと言っているがどうだろうか。子ども保険がない現在でさえも、行くに値するまともな大学に行く限りでは、個人が借金をして学費を払っても十分にペイするし、行くに値しない大学に行っても大学卒にふさわしい就職先はないのだから、実際には、NHKで有名になったうららさんの行きたい専門学校や加計学園のようなFラン大学にあえて行く人のために子ども保険は使われることになるだろう。だから実際には、まともな賃金の得られる就職先のない専門学校やFラン大学の補助金になって加計学園にお金が回るのが関の山だろう。世の中にフリーランチはないのだから、子ども保険は、多くの人からお金を取り立てて、その手数料として官僚に天下り先を作ってやったり、政治業者に献金としてキックバックしてやったりするだけではなく、大学に行く必要のない人々にもモラトリアムの期間を作ってやるという、結局、効率のより悪いところへの再分配になり当然社会の厚生は下がるだろう。

元シールズメンバーの教育無償化
 元SEALDs 諏訪原健「奨学金残酷物語 家庭崩壊した25歳の女性の苦悩」
 元シールズ氏の主張も小泉ジュニア議員と同様、失敗家庭の親の浪費の尻拭いを他人にかぶせるのは当然だというようなもので、ふざけ切っているとしか言えないだろう。また、うららさんへの奨学金の充実を図れなども、同様の主張だろう。彼らに共通するのは、我こそは不幸であるとか、我こそもらえるべきだというものだ。
 この手の主張を見ていると、自分で稼いだものでつましくても身の丈にあった暮らしをする、子供の将来のためや自分の不慮の事故に遭ったときのため、十全に備えて、保険をかけたり貯金をしたりするということは実にばかばかしく、せこせことして品がないけがらわしいことなのかもしれないのかと、感じもするのだ。こういうことを堂々と主張することは、一昔前は恥ずかしいことではなかったか。せめて、堂々と主張できることではなかったのではなかったか。こういった赤の他人にたかるのがスマートな生き方。赤の他人に食わせてもらうのがスマートで品がある?といのはどういうことなのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。
 …とも思ったが、そうでもないかもしれないとふと感じたのだ。実際に品がないのは、むしろ筆者かもしれないとも思うことが最近あった。

眞子サマ1億2500万円
眞子さま 結婚時に支払われる一時金は1億2500万円か
 そういえば、こういう思想の根っこはマコサマ結婚持参金1億2500万円と同じではないか。また、伊勢物語の筒井筒で、自分でご飯をよそう女の姿を見て幻滅した、自分でご飯をよそうなんてなんと汚らわしいと感じた天皇家にゆかりのある貴族男の感覚と似ているのではないか。上げ膳据え膳いい暮らしの請求書を、単に生まれた血縁により国民に請求できるという天皇家の品というのは、こういう世界観なのだが、こう考えれば、自分で稼いだり親が自分の子を養ったりという、自分の身の丈にあった暮らしをするということを拒絶し、他人に自分や家族の生活費を払えという感覚の、かほく市ママ課の連中や、うららさんやシールズ氏は、実は、品がないのではなく、むしろ品のあることであって、これらは、日本人の一般人の品が天皇家の品に近づいた喜ばしいことではないのだろうか。むしろ日本人全体が気品を高めつつあるのではないかとも感じるのだ。

おわりに
 かつて「働いたら負けかな」と喝破した青年が話題になったが、彼こそ天皇家の品に誰よりも近い日本人の鑑なのかもしれない。公務員連中を破産会社の従業員と喝破し威勢のいい話をしていた橋下維新も教育費無償と称するこの手の品のある主張をしているが、きっと天皇家の品とやらと同じ品性を備えているのだろう。また、小泉進次郎氏などは、高額な掛金を払いそれに見合わない大きく減額された年金しか受け取っていない高所得者に、持てる者の誇りをもって辞退するように促したが、若い眞子サマ夫妻にはそれを求めないのはなぜだろうか。わたしはふしぎでたまらない。
 さて、日本ではいったい誰が働いて税金や保険料を負担するべきなのだろうか。自分で働いて自分で暮していくということが汚らわしいということが高貴な社会とはなんなのだろうか。みんなが働かないことを志向するような日本はきっと品性が高いのだろうか、わたしはふしぎでたまらない。

バリバラ「笑いは地球を救う」NHK底なしの差別意識2

 昨年(2016年)、NHKのバリバラが「笑いは地球を救う」と題して日テレ系列の24時間テレビ「愛は地球を救う」を揶揄する放送を行いました。そのことに関してコメントを寄せてくださった、ゲオさんコメントありがとうございます。また考えさせられました。長くなってしまったので、本編に書かせていただきます。

バリバラ「笑いは地球を救う」NHK底なしの差別意識1はこちら

はじめに
 バリバラへの違和感は、バリアフリーと言いながら障害者は健常者と対等な存在でありうるとみなしていないNHKの作り手の無意識の差別意識、障害者を下に見る意識にこそあるのだと思います。

 24時間テレビの視聴者は、一時、感動するために見ている人、またどんな作り物かと冷やかしで見ている人が少なくないのは事実かもしれません。作り手である24時間テレビの脚本家はおそらく健常者であって、そうした視聴者の期待に応え視聴率をとるべく脚本を練り、それに沿って健常者であるアイドルや障害者・病人が出て毎年同じようにより期待に沿うように演じようとしているでしょう。テレビである以上、当然作りものでお話でしかないでしょう。それを、NHKはポルノだ、障害者への侮辱だと誘導したいようなのですが、健常者の脚本家が書いた脚本にのっとって、困難を持ちうるあるいはなにがしか努力する健常者が演じるものであっても、それは”健常者ポルノだ”、”健常者への侮辱だと”なるのでしょうか。健常者をポルノのオカズに使ってはいけないとなるのでしょうか。
 例えば、スポーツ選手ものにしろ英雄伝記ものにしろ、立志伝などにしろ皆同じ感動狙いの演出ありきでしょう。そのときに、出演しているスポーツ選手なり英雄なり有名人なりはポルノのオカズとして侮辱されているのでしょうか。健常者のスポーツ選手では、高校球児でさえもインタビューで「プレイで感動を与える」などとシラフで言います。そのときに、なにか感動を与える側、感動を生産する側は程度の低い侮辱されたり卑下したりしているのでしょうか。
 障害者であろうと、健常者であろうと、テレビというものの中では、与えられた役回りを、社会の一部として一部でしかないコマとして、社会の期待に沿って演じているだけです。”障害ポルノで侮辱”だと断じる障害者女性の引用が出てきましたが、障害者モノであろうとなかろうと、テレビ番組では単に、健常者であっても障害者であっても、それは変わりません。それでもとりたてて障害者を侮辱していると言えるでしょうか。
 少なくとも24時間テレビについていえば、障害者は強制連行されて出演しているわけではないし、陳腐化しきった予め予想できそうな脚本に沿った編集による感動話が毎年繰り返されるのです。健常者の感動狙いの演出ありきの話題の扱われ方一般と比較して考えれば、自ずと”障害者云々”が問題ではないように思います。障害者も健常者と同じように出演者であり作り手の一部でしかないのです。
 もちろん、だからと言って障害者差別の番組がないわけではありません。私もNHKの人が持っている問題意識と同様に、仮に、本人の意思とは全く関係なく出演させ、事実とはいいがたい演出を図るというような番組があるのならば、それは糾弾されるべきだし視聴者は気をつけるべきだと思います。そうした点で下記のNHKの番組は大変興味深いです。
 

おわりに
 では、なぜNHKは24時間テレビのただの演出を、障害者への侮辱としてしまったのでしょうか…。それは、実際にはNHKの作り手の中にこそ、健常者に比べて障害者を低く見ている先入観が奥深く根強くあるからこそ、健常者でもごく当たり前に行われているはずの同様の演出でさえも、”何か操作されたり””乗せられたり”するしかないように見える障害者”=被害者と映ってしまったのが実際のところだと思います。つまり、障害者を低く見ているからこそ、障害者の差別だとか侮辱だとかという話に短絡してしまったのではないでしょうか。

 もちろん、根本的にテレビの演出体質自体を揶揄したり批判したりすることは可能です。ですが、その批判をしたいのならば、当然、事件や事故の被害者を聖人かのように演出してお涙頂戴を狙う殺人ポルノや事故ポルノ、病気や故障からの復活を誇張するスポーツポルノなどの多数のポルノ番組を擁するNHKは当然断罪されるべきです。つまりバリバラ的定義によると、NHKはまさにポルノ放送局なのだから18禁であって、それこそ会員制にしてスクランブルすべきではないでしょうか。

 公共放送ならぬ高給放送NHKのように視聴せずともカネ払えという押し売りビジネスではないのですから、24時間テレビなど見なければ、別に日テレに時間やお金を取られるわけではありません。(電波オークションではないので国民の機会損失はありますがそれは日テレもNHKも同じこと)24時間テレビはもっと気楽に放置でいいと思います。

 余談ですが、アダルトビデオに出演している女性はもちろん本意でない人もいるでしょうが、本当に搾取されている女性だけなのでしょうか?もし誇り高くポルノに従事する女性がいるのであれば、それこそポルノに従事する女性への侮辱です。

眞子サマ結婚・皇室離脱一時金・品位とは

はじめに
 眞子サマが小室圭サンと結婚する運びとなり皇籍離脱する。「皇族であつた者としての品位保持の質に充てるため」に、皇室経済会議で決められた額の皇室離脱一時金が支払われるそうだ。
 その額は1億2500万円くらいになるらしい。まだ20代半ばの女性に、持参金として1億円超が税金から支出されるという。単に自分の爺さんはお前の爺さんよりも偉かったから、それが続いているから私も偉い、ただそれだけの理由で、生まれが貴いというただそれだけで「ポンと1億2500万円。」
 品位保持とは、どういうことだろうか。皇室のいうところの品位とはなんだろうか。わたしはふしぎでたまらない。

1億2500万円とは…
 1億2500万円とはどういうものだろうか。普通の人の感覚だと、人生最高の買い物と言われる家で考えれば、少しは実感もわくだろうか。あなたが買った家やマンションはいくらだろうか。人生最高と言われるくらいだから、もちろん1億円だろうか、それとも1億円のたった半分の5000万円だろうか、あるいはわずか3分の1にも満たない3000万円だろうか。もちろん即金で買ったのだろうか。まさか、ローンだろうか?ローンなら何年間払い続けるのだろうか。よもや35年なんて言わないだろう。それとも一生払い続けるのだろうか。ローンが払えず売ってしまった人はよもやいないだろうか。そして、買えない人はいないだろうか。たった、わずか…とは言うものの、あくまでも筆者の主観というよりも、眞子サマ1億円との比較でのことだ。

あなたに品位があるか?
 そう考えると、マンションブランドのブランズとかプラウドなどを5000~6000万円の物件をああでもないこうでもないとか悩んで、やっとこさ40歳前になって買うのは恐らく”品位がない部類”認定なのだろう。白金、麻布、代官山あたりで1億超のパークマンションなどを買うと、辛うじて品位があると認定してもらえるレベルだろうか。もちろん、マンションを買うときに、駅徒歩5分で少し手狭な物件で我慢するのか、駅徒歩12分で少し広い物件にしようかと悩むような国民など、皇室的には”品性御下劣破廉恥極まりない”認定なのだろう。
 自明にして「家賃10万の賃貸住宅に住んでいます。」というのは品位がないのはもちろん、「公営住宅に住んでいます。」「災害復興住宅に住んでいます。」などというのは、もはや「おまえはホントに人か?」と疑われるレベルだろう。都心では、駐車場でさえひと月5~6万円はざらで10万近いのもあるくらいなのだから倉庫のネズミ?犬小屋のイヌ?とか言われるレベルだろうか…。
 さて、年金はどうだろう。40年間払い続けて、いくらもらえるのだろうか。生涯安心だろうか。しかももらえる金額は右肩下がりではないだろうか。財政が火の車で税金は右肩上がり…日本。1億2500万円とは…
 早い話、皇室的な定義によると、20代半ばで1億円の預金残高がない国民には人としての品位がないといっていいのだろう。品位というのは、きっと1円安いからとスーパーのはしごをするような品位の欠けた国民から召し上げた消費税から、ただ単に生まれの尊さによってポンとお金を受け取るような人々だからこそ生まれるのだろう。
 もちろん、森友疑惑の籠池サンなんて8億円も国から値引きしてもらったから、品位があるのかもしれないし、加計疑惑の加計サンなんかも同じような補助金不正受給が疑われているから、これも事実ならば品位があるのだろうか。
 いずれにしても、日本人全体の平均年収の414万円前後の人には即品位がない認定だろうし、女性の平均年収272万円から考えた手取り250万円弱じゃ、もはや人なの?と疑われるレベルなのだろうか。

1億円とは…
 東京の最低時給(2017年度)958円換算で、104,384時間分
 1日8時間働くと13,048日、毎日休みなく365日働いて、35.75年分
 老齢基礎年金満額2017年度)は月額およそ64,942円で1539か月128年分
 …こういうお金をあてに生きていこうというのは、品位以前の問題とされるんだろうな。

1億円で何が買えるのだろうか。
 きっと「全国はお祝いムード一色です。」などと報道されるのだろうが、それは大本営発表なのか報道管制なのかはたまたフェイクニュースなのだろうか?それとも、税金・保険料負担は右肩上がり、年金は右肩下がりの日本で、夫婦の老後や自分の子どもの進学の経済的負担を案じつつ、ごく当たり前に疑問を覚える人が多いのだろうか。

おわりに
 こんな皇室や持参金を是とする人々は、前々から常々言われている公務員の既得権や加計学園疑惑で有名になった獣医師の既得権などにはひどく腹が立つが、この1億の持参金にはなんの疑問も感じないのだろうか。それでいて皇族に握手をしてもらって、温かい言葉やらをかけてもらって嬉しいのだろうか。その握手は、その言葉は、いったいいくらだったのだろうか。本当に好意の言葉、好意の握手なのだろうか。それとも握手券を買って握手するようなアイドルの握手会のように、高くつくものだろうか。
 果たして、あなたは品位のない人間だろうか?自分のお金で生活を整え、身の丈にあった暮らしを自分の力でしていくことは品のないことだろうか。筆者も皇室的な定義の品位の欠けたごくありふれた国民の一人だが、あなたはどうだろうか、いまいちど自分と家族を顧みて考えてみたらどうだろう。
 こんな1億円がわたしはふしぎでたまらないし、こんなことがふしぎと思わない人がいることにわたしはふしぎでたまらない。

色ボケ平和ボケを笑う

 いろいろと取りざたされてきた稲田朋美防衛大臣が”ようやく”窮地に立たされている。(表現がおかしいが…こういうこと)
 さて、稲田朋美防衛大臣に股間を熱くする3Kな正論を持つ諸君ならば、愛すべき稲田朋美防衛大臣だろう。彼らは、パヨク・平和ボケとことあるごとに反対する者や懐疑的な意見を述べる者をののしるが、要職であるはずの防衛大臣に、執拗にド素人推ししてきたのは彼らなりの理由により決して平和ボケではないのだ。口では中国や北朝鮮の脅威をしきりに宣うが稲田大臣推し、ということは有事は来ないという確信(平和ボケ)があるのだろうか、それとも、ひょっとすると「稲田朋美防衛大臣は軍事外交のスペシャリストだ」「生まれながらの名将だ」と安倍政権お得意の閣議決定でもあるのだろうか。はたまた、上半身は中国朝鮮の脅威に打ち震えているが、勃ち上がれ俺・起き上がれニッポンとばかりに下半身は稲田大臣推しでビンビンという色ボケなのだろうか。そして、その相違に自身でさえも気付かないのだろうか。もっと軍事外交に明るい実務的な防衛大臣を推さないのはなぜだろうか(笑)とわたしはふしぎでたまらないのだが…。
 さて、筆者はナントカ改革や維新の類にはもともと懐疑的なのだ。なぜなら、悪い部分を斬り捨てるばかりで斬って切って斬り捨てて行ったら縮小均衡になるのが関の山だし、悪い部分が頭だったら斬り捨てたら最初で最期、いきなり死んでしまうからだ。とりわけ、女傑櫻井某とか長谷川某なんかを読み、”a good-looking milf” なんかで股間を熱くしている3kな正論を語る諸君に対しては他人事ながら心配している。
 稲田朋美防衛大臣は、国家は私物、自衛隊は私兵と信じているかのようなわかりやすい発言の数々、女安倍そのものではないだろうか。蓮舫という絶好の引き立て役も健在で、国民は愚かと来ている。きっと内閣改造で支持率もアップすることだろう。
 「愛国無罪(笑)」「寛容と忍耐(笑)」まだまだ、能力的にも道徳的にも傑出していて安倍政権を体現する存在として最期まで奮闘し、3kな正論諸君の股間を温め続けてほしい。
 がんばれ!!稲田朋美防衛大臣

金子恵美の議員の不適格性 と 眞鍋かをり

はじめに
 イク休詐欺の旦那議員のゲス不倫事件で、一躍、議員の不適格性を示した、自民党の金子恵美総務政務官が、子供の保育所への送迎や母親の送迎にも公用車を使っていることが明らかにされた。
 また不適格か…と筆者は感じただけだが…そのことに対し、タレントの真鍋かをり氏が、金子恵美政務官が保育園の送迎に公用車を使うことを擁護したそうだ。この擁護によって、時間を割いて、けなげに保育園に送迎して母業を頑張る金子議員像を演出できたことは確からしい。さらに、今後こうした利用をしない凛とした立派な議員像を演出するおぜん立てをした。
 だが、このような真鍋氏の擁護が明らかなフェイクニュースまがいであることは普通に考えれば明らかである。なぜなら、金子議員はタクシーで行くことのできる母親の送迎にも、公用車を使っていたからである。仮に、忙しさのあまり、公務に精励するあまり、やむに已まれずに保育園送迎に使っているならば、金子政務官は母親にタクシーを使わせていただろう。だがそうではなかった。金子政務官が保育園の送迎に公用車を使ったのは、単にタクシー代を身銭から切りたくないという理由の一環からで、税金で支払われる公用車を使ったという程度でしかないことは、高学歴タレントの真鍋氏にわからないはずはない。
 ただ、少なくとも、この眞鍋かをりの擁護は、論点をはぐらかし、ただの公私混同を、保育園に送迎することに賛成か反対かというようなフェイクニュースとして上書きすることに成功し、自民党と金子議員を利する結果となったことだけは確かだろう。その点では、高い知性の持ち主なのだと判断できる。さて、真鍋氏には、自民党に何か貸しを作っておきたいのか、それとも何か借りでもあるのだろうか。かつて自民党から出馬に前向きだったと言われた真鍋氏であるから、今後の彼女にも注目である。それにしてもイクメンの旦那はどうしたのだろうか。そのことも、わたしはふしぎでたまらない。
最新コメント
ギャラリー
  • 平和ボケの共演(右ボケ)
  • 若槻千夏が教えてくれたモンスターペアレント対策
  • NHKから国民を守る党は”自由の息子達”か?
  • 年金不足問題 NHK(つもり)年金
  • 年金不足問題 NHK(つもり)年金
  • 将帥と軍(暴力装置)の在り方とは何か。
  • バリバラ「笑いは地球を救う」NHK底なしの差別意識2
  • 道徳教育・教育勅語の 致命的な”脆弱性”
  • 稲田朋美防衛大臣の愛国心
記事検索
メッセージ

名前
メール
本文
「J-CASTニュース」は提供を終了しました。
ランキング
人気ブログランキング 人気ブログランキング 人気ブログランキング 人気ブログランキング 人気ブログランキング
livedoor 天気
NAVERまとめ
「NAVERまとめ」ブログパーツは、サービスを終了しました。
  • ライブドアブログ