セクシーポエマー信じろー ~わたしはふしぎでたまらない~

時事・政治・教育のネタを中心に、婚活のネタ も交え 書いていきます。 独自の視点で切り込めたら…いいな、と思っています。

2017年04月

中国は本当に追い詰められているのか?

 北朝鮮情勢が緊迫している。また、シリアへのミサイル攻撃などもあって、「北朝鮮の後見役である中国は追い詰められている。」「中国は、習近平は面子丸つぶれ」などと、中国困ったの記事が多いのだが、本当にそうだろうか。わたしはふしぎでたまらない。北朝鮮が喫緊の課題になって、南シナ海、東シナ海情勢はどうなったのだろうか?中国にとって好都合な展開しかないではないか。

 もし仮に、アメリカが北朝鮮を攻撃したらどうだろうか。アメリカが瞬時に北朝鮮全土を制圧しない限り、中国はいつのタイミングでも戦局の推移次第で北朝鮮に侵攻できるから、様子見をすることができる立場にある。決して、初めからアメリカに同調しなくてもいい。そうすれば、北朝鮮による中国攻撃はない。しかも、交戦状態にあり、戦後処理まで考えなくてはならないアメリカは中国に厳しい制裁を与えられる余裕はないだろう。そして、究極的にはリスクがあっても北朝鮮の味方の振りをして平壌に援軍を送る形にして、その”援軍”で北朝鮮を制圧することもできる。そして北朝鮮を実質的に保護国にするのはどうだろうか。どんな形であっても、戦後処理には多額の資源がいるからアメリカとて中国抜きにはできないだろう。

 また、この危機は今後大きくなることはあっても、小さくなることはない。北朝鮮が現状維持以上で、今後危機が続く限り、世界中でアメリカに譲歩を促し続けることができる中国には、より戦略の幅が広がっているのではないか、都合がいい展開以外ないではないか。外交的に孤立しているロシアに傾斜する選択肢もあれば、EUと距離を探るブレグジットで揺れているイギリス、はたまた経済再建が急務のフランスなどに色目を使うなど様々な選択肢があるだろう。

 専門家と称する人々は、読者なり視聴者なりの期待する講釈をつけてお金をもらう商売なので、分かっていて言わないのだと思うが、結局のところ、アメリカや日本、周辺国と中国の国力の相対的なバランスで落ち着くところに収斂する以外にないのが国際政治なのだから、中国の国力が相対的に縮小しない限り、中国が追い詰められることなどあり得ないということは覚えておいて損はないと思う。実際にこの北朝鮮危機は、踊っているのは北朝鮮、躍らせているのは中国であったとしても私は驚かない。

クロネコヤマトはホワイト企業か?

 クロネコヤマトが宅急便の値上げを発表し、従業員の待遇改善をすることに対して、評価がいいようだが、どういったことだろうか、わたしはふしぎでたまらない。
 これまでクロネコヤマトは、従業員に残業代を払わないことを前提として、Amazonに代表される通販会社と価格付けして取引したのではないだろうか。そうやって仕事を増やしてきたヤマト自体は、果たして不当に強い荷主に対してモノが言えない被害者で本当にイイモンなのだろうか。しかも、その解消のために、小口宅配に主として価格転嫁するならば便乗値上げではないかと思うのだが、そう思わせないのがマーケティング戦略の妙なのか。
 だが、いずれにしても、明らかになったことは、当局の徹底的な取り締まりこそが企業に適正な取引をさせるインセンティブを与えるということではないか。

道徳教育・教育勅語の 致命的な”脆弱性”

はじめに
 いよいよ道徳教育が始まるらしい。やはり予想通り相当胡散臭いようだ。さて、教育勅語、道徳教育、靖国神社は、全くいいものだ、あるいは完全に悪いものだと語られて議論にかみ合うところがないが、その双方を持ち合わせているものだと考えたらどうだろうか。また、そのもの自体が仮に極めて良いものであったとしても、悪用されやすいものならば、実際に扱う上では慎重になる必要もあるだろう。
 そこで、筆者は、ソフトウェアでよく使われる”脆弱性”をキーワードに考えてみたい。

道徳教育自体が反道徳的ではないか
 さて、人々が道徳を必要と感じるのはどういうときだろう。それは、道徳に力がなく、道徳が社会で通用しないと考えられるからこそ欲されるときではなかろうか。仮に、もし道徳を守ることが得ならば、勧めずとも道徳は自律的に補強され維持されるだろうから、あえて教育の必要性はないだろう。だから、道徳に力がないという状態は、道徳を守ることで実際に損をする人が多いからだろうし、道徳を守ることが少なくとも損だと多くの人に感じられるからだろう。もしそんな世の中の状況下で、道徳を勧めるとすれば、あくまでも非力で通用しない、多くの人が使いたくない選択を、恐らく自分が尊重していない人が、弱い他人に勧めたり、より善い人間に唆すことにはならないか。言い換えれば使嗾して課すことに他ならないから、教えること勧めること自体が反道徳的になりかねないと言えるのではないか。

道徳を他人に、より強く勧められる人はどんな人たちか?
 自身の行動と行動についての反省と、思考や言葉が結びつけて日々行動している道徳的な人ほど、他人に道徳を勧めることに慎重になるだろうし、逆に、自分の行動を棚に上げ、行動についての反省しない人ほど、他人には道徳を勧めることに抵抗感がないだろう。このことは、日常接している人々からも常に感じることだろうし、籠池氏の思想と国有地払い下げ事件での行動や安倍首相、安倍内閣の閣僚の言動と行動からも明らかだろう。今回の件でも、また籠池氏自体の保育園や幼稚園を見ても、自らは追求しない道徳を、園児には課し追求させていたのは偶然だろうか。そして、安倍首相は、自身や妻が関与していたら議員も総理も辞めるとさえ言っていたが、妻の実質的な秘書である公務員が照会をしていたという文書が出て、嘘がばれても辞めないのは偶然だろうか。しかも、安倍首相は、籠池事件での国の手続きは法令に則って適切と言いつつ、国の財産の保全に責任のある公の立場でありながら、妻を守る私人の立場ばかりを優先して真相究明を自ら進めることはない。首相夫人にしても、本当に泣きたい国民はさておき、自分のためならさぞ涙も出るだろうが、こういう人々の道徳性をどう考えたらいいのだろうか。
 さらに、高市早苗総務大臣が、自身と自身の政治団体間で資金を往復させることで税の還付を受けたが、この件でも総務大臣も安倍首相も法律的に問題がないと胸を張った。法律自体に明らかに欠陥があるからといって、それをあえて使う必要がないことも確かだろう。ただ、とても、国を愛し、道徳を自らに課す人間がすることとも思えないし、決して胸を張れることではない。
 高市総務相、資金往復で還付金を得る
 安倍首相やその支持者は、北朝鮮情勢や南シナ・東シナ海での緊迫もあって、こんなことにかかわっている暇はないというのだが、本当にそうだろうか、さっさと財務省に記録を出させれば、すぐに終わることだろう。しかも、それだけで、野党の不毛な追及をかわすだけではなく、中国の民衆にも波紋を起こせるだろう。公明正大に公共の財産が処分されていることの証明が首相でさえチェックされるならば日本という国はどう映るのだろうか。それが、中国共産党への国民からの圧力にならないだろうか。

道義国家とは何か
 欠陥のある現行法の下でも、また国民に道徳をあえて課すことのない憲法の下でも、法律より高い自己規律を道徳として自らに課し行動すことに制限はない。少なくともこの件では、自分がなすためには、道義国家にならない限り守れないというわけではないのだから、彼らが広めたい、課したい道徳とは、少なくとも自分が守るべき道徳でないことだけは明らかだろう。また、彼らが大好きな、天皇のために生きることも、天皇のために死ぬことも現行憲法下でも大いに自由だが、好き好んで天皇のために死ぬ奴はほぼいない。(しばらく前に、朝日新聞で自裁した右翼がたった一人たのだが極例外的なものだった。)
 道義国家というのは、法治国家からの離脱、すなわち実質的に人治国家だろう。早い話、身分と力関係で守るべき規範が異なるというただそれだけの国のことだろう。つまり中国や北朝鮮のような国を目指しているということもよくわかる。立場の強いものは、法は最低限度の道徳とばかりにザル法を守ればいいのだと胸を張り自分の好きな規範だけを選んで守ればよく、立場の弱いものは法律以上の自己犠牲を立場の強いもののために守らねばならない。

伝統や道徳の内容自体がアドホックでいかがわしい
 
 また、彼らが大好きな「伝統を守れ」というフレーズだが、実際何を伝統として、何を守るべきなのかについては明確な定義がない。
 まず、天皇は神の子孫などと主張しているが、そんなものが真実でないことは明らかだ。嘘をついて、また俺の爺さんはお前の爺さんより偉かったから、俺も偉い、そして偉いから上げ膳据え膳のいい暮らしが末代まで続くのは当然だ、ということが、そもそも道徳の名に値し、しかも守るべき権利に類するものだろうか。
 そして、伝統を守れと他人には課しながら、自身に課すことがあるだろうか。昔は病気になったら坊さんでも呼んで加持祈祷でもするか、煎じた薬草でも飲んでいたのだろうが、天皇の執刀医などという人さえ現るように、伝統療法はあっさりと捨てられ、なぜか皇族も最新技術の医療の恩恵を受けている。先代天皇は下々の血を輸血さえした。食事にしても伝統的な和食などを食べ続けずに、フォアグラでもキャビアでもうまいものがあれば伝統料理などさっさと投げ捨てるのだろう。
 また、生活保護でよくやり玉にあげられる、i-phoneなどのスマートフォンやパソコンはどうだろうか。皇族はよもや使っていまいな。使っているとしたら日本書紀や古事記にはリンゴ印の携帯情報端末を使っていた記してあるとでもいうのだろうか。彼らの伝統とは結局のところ、自分たちの都合に応じて不便なところや命や健康にかかわるようなことはさっさとその伝統を捨て、ただの自分たちの利益のための既得権のことを伝統と言っているにすぎないのではないか。伝統とはこのようにいい暮らしができるという単に都合が良くて調子がいいものだろうか。

道徳教育の目指すもの
 教育勅語は、より自分勝手な人間が悪用しやすいのに、善く扱いづらいという致命的な脆弱性を持つものである。以前、日本の巡視艇と交戦した北朝鮮不審船の乗組員が最期は自決した。彼らが、親孝行でなかったら、家族思いでなかったら、友人を見捨てるような人間だったら、さっさと北朝鮮に残したそれらの人々を捨てて、あっさり降伏したことは想像に難くない。北朝鮮に残したそうした人々との絆があればこそ、そうした北朝鮮に残した肉親は人質となるし、工作員はその道徳の、絆の重みの前に、あえて”美しい潔さ”とやらに進んで殉じる他はない。かつての日本人が、潔く進んで自決したのもまた、そういったことではなかったか。戦後、アメリカがやってきた後に、いわゆる押しつけ憲法下で、それをしなくてよくなって、多くの日本人が好き好んで死んだだろうか。それで得をしたのは誰だろうか、それで損をしたのは誰だろうか。

 

日本版喜び組の創設
 愛国心とやらが大好きな連中が錬金術で国庫から掠めた金のごく一部を玉串料とやらで靖国神社に奉納してくれさえすれば、犠牲者となった自分の御霊が癒され、そのために喜んで死ねるという世界観が本当にいいものだろうか。伊達眼・網タイツとそんなSMプレイを楽しみたいM連中は、教育勅語を支持をして、喜んで死んだらいい。別に憲法を変える必要も、国民に広く教育勅語を勧める必要もない。

 そういった絆にからめとられて死んだ連中も、定義上喜んで死んだことになるのだとしたら、それは、北朝鮮喜び組の日本版だろう。喜び組に喜んでなりたい人は、現行憲法下でも進んで喜び組になれるが、あえて進んでなろうという人間は聞いたことがない。ということは、他人に、その”喜び”を教え諭し、あてがってくれるというものでしかない。支配者のいう喜びを知らない愚か者にいろいろと喜びをあてがってくれるのが教育勅語ではないか。

おわりに
 確かに、今日の平均的日本人は、喜び組の喜びを知らない。だが、本当にそんな喜びを知りたいだろうか、伊達眼網タイツとSM史観の世界を楽しみたいのだろうか。 教育勅語のよさとは果たしてなんであろうか。よさとは、一部の人間にとっての都合の”よさ”なのか、多くの人間にとっての善さなのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。
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