セクシーポエマー信じろー ~わたしはふしぎでたまらない~

時事・政治・教育のネタを中心に、婚活のネタ も交え 書いていきます。 独自の視点で切り込めたら…いいな、と思っています。

2019年01月

維新の教育改革の効用

はじめに
 また維新が香ばしいようだ。大阪都構想なんてたいそうな大風呂敷を掲げて、「最初で最後」、「一回切り」などと言っていたそうだが、更なる住民投票を画策しているらしい。しかも、創価公明と選挙のタイミングをめぐって密約を交わしたが、解釈が互いに異なっており、密約を守るの守らないので信義にもとるなどと互いに非難しあう始末。いずれにしても、タイミングこそ違えど一回切りだったはずの選挙をまたやるという点で、市民との信義を破ることに変わりはなく、信義を問題にするのならば市民との約束の方がよほど重要だと感じるのだが、そこを棚に上げて自分の都合こそ最優先なのが創価公明維新流か。まさに五十歩百歩とはこのことを言うのだろう。次に住民投票が否決されても同様に3度目の正直とか、最後のとか言って、賛成されるまでやるのだろう。

他者に対する敬意
 その維新が教育をまたいろいろといじりたいそうだが、維新の改革は成功するだろうか。そのときに、学力の責任を学校や教師に必要以上に帰して、節度なく叩いてはいないだろうか。だいたいこんなことを見せられれば、「授業がわからないのは先生のせい」、「勉強が楽しくないのは学校のせい」、だから「子ども(自分)のせいじゃない」と安易に子どもや親が感じるようにならないだろうか。それが勉強をしたくない子どもの勉強にまじめに取り組まない言い訳をする誘惑にはならないだろうか。
 筆者の経験の中からで恐縮だが、筆者は勉強ができるほうで基本的に勉強は学校の授業よりも早く親に教えてもらったり通信添削で勉強したりして、先取りしてできるようになっていて、学校で新しく学ぶことや疑問点が解消されることなど実技教科以外にはなかった。
 また、勉強なんて教師がどうだというのとは別にして、難しくなればなるほど楽しいばかりではなかったし、わからない中、繰り返し自分に勉強を強いることも普通ではないだろうか。勉強というのは勉めて強いると書くのは偶然ではないだろう。わかったという手ごたえを感じられるばかりでもない。「手ごたえがないけど、なんとなくできるようになった」とか、「手ごたえをとても感じたけど実はわかってなかった。それがあとでわかった」なんて、自分でも結構あった。確立された勉強法があるわけでもなく、勉強しながら勉強の内容を知るとともに自分の特徴を知り、暗中模索して進めるものではないか。そういったことへの配慮は感じられるだろうか。家が荒れていて勉強をすることに懐疑的な親たちに、維新のいうような教員やら学校やらを評価することが、勉強ができないことの言い訳を作ってはいないだろうか。それがモンスタークレーマーを助長しないだろうか。

学校や先生をこき下ろす
 教師には一人の他人として敬意を払わなくてもいい・大人はなめてもいいというメッセージを送ってはいないだろうか。維新の行動や言動は、先生を挑発して暴力を引き出した町田総合高校のようなケースを助長しないだろうか。「俺がテストで書かなかったらセンセイの給料下がるよ」なんて先生をバカにしやしないだろうか。身の回りに起こることを、他人(先生や学校)の責任に転嫁してもいいものと維新の行動はそうした思いを助長してはいないだろうか。子どもには自分の人生に責任を持つ人になってほしいので、この影響が筆者は一番怖い。
 もちろん、教員や学校は、その取組の評価には難しい点があることに胡坐をかいてはいけないが、さりとて節度なく学校の評価を責めたてていい理由にはならないだろう。

塾代助成の欺瞞
 維新肝いりの政策に塾代助成があるが、そもそも塾代を助成するなどというのは、学校で勉強ができないことを自ら認めるような欺瞞ではないか。効果がないのに塾代を助成するならばそもそも不正なことだし、塾代を税金から出すほどに塾が学習に効果的ならば、抵抗が大きくても今までの学校のやり方を止め、塾のやり方を学校に導入して学力別のクラス編成にしたり、帰属集団的な学級を廃して機能集団に再編成するなど維新が取り組むべきだろう。そうしてはじめて、塾のように学習効果を期待できるようにしてから学校や教員を評価できるようになるのではないか。だいたい帰属集団である現在の学校を機能・能力ベースで評価するなど、家族の中で、稼ぎがちょっと悪い旦那を叱責しご飯の量を減らしたり、テストの点で兄弟間の食事内容を変えたりするのと同じようなモラハラだろう。

知的廉直さと謙虚さ
 勉強は知的廉直さや謙虚さも育むのだと筆者は思いたいが、維新メンバーには通用しないらしい。維新の改革思考法の背景には、歴史的経緯や社会の制約を無視して「うまくいかないのは手抜きをしている奴や悪者がいてそいつらがズルをしているから、それを撃破したら一気に解決する」とか、「全てを解決する負担を伴わない魔法のような案が存在する」というような安易な思い込みはないだろうか。また、そうした魔法の杖を期待する大衆を扇動してはいないだろうか。そして、勉強で陶冶された立派な見識や態度を大人を見せることによって勉強の魅力を子どもに伝えることもできるとは思うが維新はそんなことは微塵も考えないのだろう。

おわりに
 確かに、力のあるものやお調子者は、言ったことを守らなくても通用しているし、立場の弱いものを責め立てても大して問題がないし、不利益に扱われないから何をやってもいいという覇道の生き方を実践することで、世の中のありのままの姿を見せたいのかもしれない。それが、ありのままの乱世で生きる知恵や真の生きる力になるから、それを身をもって子どもに見せているのかもしれない。そう考えれば維新の行動や言動には納得がいくし、維新の生き方上手やその突破力もなかなか興味深い。だが、そんなものの語る教育がまっとうな教育に値するのだろうか。子どもが、明確にした言葉よりも言外のことから感じとることが多いのならば、あまりにも他人に課す道徳と自らが守る道徳の乖離が大きすぎたり、安易で粗野な発想で他人を責め立てたりする創価公明や維新の行動が社会に広める影響が一人の親としてとても心配だ。
 大阪人は「おも(し)ろければいい」らしいが、いささか度が過ぎてやしないだろうか。面白がってばかりいても、このつけをいったい誰が払うのだろうか。自分には関係がないことと他人ごとにいつまでできるのだろうか。そうした維新を選び続けているのは有権者である子どもの保護者である。関東も偉そうなことは言えないが、いい加減、少しは大阪人も良識を発揮するために重い腰を上げてもいい頃なのではないだろうか。もし子供を持つ親であるならば、このような悲劇と喜劇を見続けることに耐えられる大阪人に、わたしはふしぎでたまらない。

やっぱり維新は聡明~校長を生徒のテストで評価~

 維新の大阪市長が生徒のテスト結果で校長を評価するそうだ。それに対して、尾木ママが短絡的と論評したそうだが、短絡的なのは、むしろ尾木ママのほうかもしれない。
 テスト結果で校長を人事評価、尾木直樹さん「短絡的だ」
 だいたい、成績の良し悪しは親の出来・親の所得と相関があるのは有名な話。それを聡明な維新の大阪市長が知らぬはずはない。すなわち、大阪市民の所得や家庭状況を考えれば、校長や教員の努力と関係のないところで、テストの成績が全国の下の方を這うのはこれまた自明なこと。
 時あたかも大阪が万博やIRのために、大阪府・市ともにさらなる財源を必要としている。維新の成り立ちから増税が難しいことを考えれば、生徒の成績が上がらないことを口実に、打ち出の小槌の公務員(教員)給与カットを財源にするのが望ましいだろう。教員=公務員。公務員給与カットとともに公務員叩きで市民の溜飲を下げ、さらにIRや万博の原資の足しにする。こんな政治的思惑はないと言いきれるだろうか。それくらい維新は聡明で優秀だと思うのだが、どうだろう。
 そう考えれば尾木ママの方こそ、教育しか考えられない視野狭窄で短絡ではないか?維新は政治をやっている。

産経が潜ませる天皇軽侮の眼差し

 産経がまた、下記の通りの天皇すごいの話を書いている。その真意はどこにあるのだろうか。 
 陛下、国会開会式でお言葉 健康診断日程ずらし最後のご臨席
 普通の感覚なら、緊急の手術ならともかく健康診断なら普通に仕事が空いている日にする。よもや定例の健康診断のため出張を延期しますという人はいまい。
 産経新聞が、この件や天皇計画停電参加のような、大したことでもないことを大仰に書けるのは、天皇が当たり前のことを当たり前にできる並の人でさえないと考えているからだろう。例えば、乳児なら「立てる」だけで「自分でおしっこに行ける」だけでとてもほめられるだろう。なぜなら、そこには「乳児がそういうごく当たり前のことが未だできない存在だ」という認識があるからだ。もし、健康体の立派な大人がトイレから戻ってきたときに「おしっこに一人で行けてすごいね。」なんて言ったとしたら、褒めているのではなくバカにしていると怒られるだろう。
 これと同様に一般的な常識を持つ並の人として少しでも天皇をみなしているならば、天皇に少しでも敬意があるならば、こんな記事はとても書けないのは当たり前だ。もちろん、その普通の社会人の生活習慣を持たない人や想像力がない読者たちは歓喜して「日本人でよかった」などと言いだすのだから、そういう人たちへの受けを狙って大人の事情を優先して書いたのだろう。
 読者のレベルが見えている産経新聞は確かに賢いが(笑)、少しは天皇に敬意を払ったらどうだろうか(笑)、そこまでして天皇をバカにする必要はないだろう。読んで感激した者はWGIPとか日教組云々とかコミンテルン…、「日本は韓国に支配されている」とか現実離れした妄想を広げるのではなく、少しは現実的な生活習慣や想像力を持ったらどうだろうか。担がれているだけでなく、天皇軽侮の共犯になっているよ(笑)。

小室圭サン・マコサマ婚約騒動からわかる皇室の巧みさ

はじめに
 秋篠宮サマのメッセージに答えるためなのか、マコサマの婚約者で海の王子こと小室圭サンがメッセージを発表した。だが「無私・無欲の皇室に似合わない」、「意地汚い」などと炎上している。この件が長引くほど、皇族と金が並べて考えられ、皇族は清貧とか無欲などといった数々の演出の努力がぶち壊されるかもしれない。ここでは、そのカラクリの巧みさを考えてみたい。

実際の金を考える

 お嬢サマは、法律によってより貧しい「品位のない」国民から集めた血税から所得税も贈与税もかからない「皇室であったものの品位を保つため」に皇室離脱金と称する1億超の金を当然のごとく献上される超特権・超既得権のヤンゴトナキ御身分。
 方や、報道が事実なら、”パパ活”同然に、たいして好きでもない相手に対して身体を張って、やっとこさ400万ほどの学費を工面して必死に這い上がろうとする母子?しかも、一緒に楽しんだのだろうが、そんな男前の相手にいまさら金返せと言われ難渋する始末。今では、女子大生が学費や生活費を稼ぐために風俗店で働く例もあるそうだが、そんな人たちと比べるとどうだろうか。
 貧乏人からも集めた血税でポンと献上金1億円の世界と身体張ったパパ活400万円の世界、その25倍差。方やポンと勝手にもらえる、方や人生・体も賭けてインチキしてる?この現代日本格差社会の絶望?逆タマ希望?の象徴っぷりは半端ないことは事実だが、これが生まれの違い?
 いずれにしてもなかなか理不尽な日本の象徴であることには疑いがなさそうだ。筆者など、ポンと一億のお嬢サマの金満ぶりに対して、体を張ってまであざとい方法で小金を調達しせざるを得なかったコムロ親子が叩かれることが何とも不憫でならない。

皇室であったものの品位
 確かに「皇室であったものの品位」を保つ毎日というのは、ネギ一つ買うのも紀ノ国屋に行かなくてはならないのだろう。また、緑のタヌキを買うのでもイオン山積み108円ではなく成城石井158円を買わなくてはならないんだろうし、タヌキはタヌキでも天皇家の品位分のプレミアムが乗っているから「宅のとは別格よ。」と、いつも周りを意識しながらタヌキをすすらなければならないのだろうから、お金もかかれば気苦労も本当に多いのだと思う。本当にいろいろと窮屈だ。

飽くほどの贅沢
 「悪くはしないから…」と言われて、悪くされなかったことは一度もないのが一般人とするならば、マコサマの皇室離脱一時金に見られるように”勝手に進められる”という周囲の忖度と献上によって、欲望が自ずと満たされ飽くほどの生活水準が維持され、改めて殊更に自分の欲を露わにして要求する必要がないご身分が当たり前のなかなか手前勝手なルール。
 一方で、一般人が貪欲に見えざるを得ないのは、そうやって求めて働きかけない限りそれに見合う生活の糧が得られないからではなかろうか。さらに、生活保護者が欲深にしか見えないのも同様のことだ。別に皇族でなくとも、じゃぶじゃぶの生活資金が身分によって当たり前に保障されるならば、ほとんどの人が余裕をもって暮らしているのではないか。取り立てて皇族が立派だと言えるのだろうか。
 皇族は無欲なのではなく、欲から自由になれるほど恵まれた御身分なのではないか。その欲から自由になれるほどの金の出どころは、欲深にならざるを得ない生活を送る国民の税金だということをどう理解したらいいのだろうか。これで無私・無欲というならいったい無私・無欲とはいったい何なのだろうか。それのどこが一体貴いのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。もちろん「被褐懐玉」などという美徳とはかけ離れた世界は本当に貴いのだろうか。

かっこいんてぐら
 こんな話をすると、天皇の自家用車は「インテグラ」だという話を引き、天皇は清貧だと反論されるが、どうだろうか。
 天皇の(自家用)車は、スーパーに買いだしに行ったり、保育園への送迎に利用したり、病院に行ったり、東京から宮崎まで家族四人分の帰省の飛行機代を抑えるために1400kmを我慢して走らせたりするような一般人の保有する、生活のための車とは性質が違う。天皇の車は純然たる運転だけを楽しむ趣味のための車である。こんな趣味のために百万単位のお金を支出できる人はそれほど多くはないだろうが、この事実を意識できている人は少ないようだ。多くは、漫然と自分の乗っている車と比較してそれほど高い車ではないという程度の理解でしかないだろう。そんな理解をしてしまうレベルの頭脳だから、天皇の愛車は「インテグラ」が語り草となるのだ。ひょっとして、自分はこの宣伝の標的となっているB層なのではないかと点検してもいいのではないだろうか。
 筆者などは駅に歩いて行ける距離に住んでいるために、不便もあるが高くつく車は持っていない。確かに、世の中には羽振りのいい病院開業医や不動産屋のように、乗るためのフェラーリの他に、見るだけのランボルギーニを持っている人がいるかもしれない。だが、純然たる趣味のための車を持てる人がこの国にどれだけいるだろうか。このトリックは、多くの人が誤解している天皇が計画停電に参加したという「停電之仁」などと同じような、受け手(B層)の潜入観を利用した優れものだ。

おわりに
 世界の発展から取り残され貧しく落ちぶれていく日本で、1億超の金を生まれによって周囲がポンっと勝手にくれるお嬢様の金満ぶりは、公務員特権とかNHK優遇とかの比ではないと感じるがどうであろうか。皇族の方は法律で定められているからいいのだといわれるが、それでは法律や規則で定められている公務員特権やNHK職員優遇も同様に擁護するのだろうか?
 確かに、人はかけ離れた境遇にいる人に対して妬みや嫉みを感じたり具体的に考えたりしづらいようにできているから、マコサマを初めとする皇族ではなく、コムロサンに「ムキーっと」となったり、公務員やNHK職員に怨嗟の念が集まるのは自然な感情的反応だろう。だが、少しは理性や知性も踏まえて考え、徒然草の第142段「心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり。」を今一度かみしめてみれば、豊かとは言えなくなった日本国民の負担で自らの既得権はガッチリと確保した上で「国民の皆さんの幸せ?」をお祈りになっている皇族の姿がまた違って見えるのではないだろうか。そんなことを考えると、改めて皇族の巧みさ聡明さがわかるだろう。やはり天皇制は賢明であられる。

町田総合高校の対教師暴力への一つの考え方

はじめに
 町田総合高校の高校生が教師の暴力を映した動画をネット上に挙げたものの、逆にそれが高校生らによって仕組まれたものであることが露見した。そして、高校生の実名までネットで曝され、かえって自爆炎上した。「考えろよ。脳みそねぇのかよ。」や「小さい脳みそでよく考えろよ。」などと教師を執拗に挑発する者と「炎上させようぜ」などと動画を撮っているものが仲間同士で仕組んだようだ。

教師の処分
 さて、違法性が阻却されないときは暴力を行使することは認められないのだから、都教委は教師に何らかの処分をすべきだろう。だが、他方でキレるまで挑発されるような明確なモラルハラスメントや偽計が日常的に起きる労働環境としてみたときには、この教師に筆者は深く同情する。このような件に接すると、「教師のストレスレベルは戦場並」と読んだことがあるが、誇張ではあっても虚構ではないのではないかと感じざるを得ない。自殺したり気を病んで療養する教師が増えたという報道もうなづける。

高校生の処分
 教師云々というのとは別の次元で、教師を挑発するものはもちろん授業中に撮影に及ぶこれらの高校生は勉強のために来ているわけではないようだし、教師の労働環境を悪くし、もちろん周囲の子どもへの悪影響も著しい要因なのだから、これらの高校生に対しても相応の処分を課すべきだろう。もしそれがなされないのならば、関係当局は従業員への健康(メンタルヘルス)配慮義務違反として都教委や町田総合高校を厳しく査察し是正すべきだろう。

おわりに
 評論家はことあるごとに教師の責任感や指導力などと口にするが、キレるまで執拗に挑発する子どもに対して、無限に我慢できる指導力を問題にし当たり前に期待するなど狂気の沙汰である。こんな論理が平然と通用するならば、犯罪被害者は犯罪加害者より弱いから被害にあうのだ、被害者側が弱かったから悪かったのだと言うのと何が違うのだろうか。レイプされる女性は犯人より弱かったから隙があったからダメだというのと何ら変わらない論理が、教育の世界となると平気で問題にしても許される。確かに被害者の方が加害者よりも無限の耐久性があったり、著しく強かったり知的に勝っていたり、油断も隙もなければ犯罪など起こりえないのだろうが、なぜ教育の世界では、そのような異常なことが問題にされるのだろうか。シンプルに悪は悪ではないのだろうか。やはり教育界は治外法権なのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。年も改まったばかりだが、少なくとも、筆者は教育界をブラック企業大賞に、評論家をモラハラ大賞に強く推薦したい。

追伸
 この件の根本問題は、当該の高校生が悪い、先生が悪いと何か悪者捜しをしたり、体罰反対?肯定どっち派?となっているのが専らだが、そうではない。
 問題なのは、学校という場が治外法権で、ルールによって支配される場ではないこと、何を目的とする場なのかが明確になっていないこと、である。先生も高校生もともに共通の法秩序の下にあるという仕組みがないことである。先生か高校生のどちらが正しいかではなく、ルールに従うのが正しいのである。
 この件では、世間一般でピアスを付けることは法律に違反しないのだから、学校は校則やルールで規制することを止める。そういった規則があるならすべて廃止する。そもそもピアスなど勉強の支障にならないのに禁止すると守らせるための労力がバカにならない。もし守らせられなければ教員の権威が低下するか、それでも守らせようとすれば無理強いをして今回のようなことになる。
 そして、暴言や暴力などは教員が対処するのではなく、一律、学校警備員を新設してそれに突きだすのみにする。停学など一定のペナルティーを受けさせるゼロトレランスとすべきだろう。先生が、子どものお母さんと他人の間のようなあいまいな存在ではなく、勉強を教えるのみの存在として、もっと学校を他者どうしの空間、機能集団として一般社会化する。実効的にするために、構内に死角なく監視カメラを置いて、ルール違反があれば事後的に客観的に確認し、機械的に取り締まれるようにしたらいいのではないだろうか。

日韓関係改善の好機を逃すな

はじめに
 韓国海軍駆逐艦クァンゲト・デワンが海上自衛隊哨戒機に対して射撃レーダー照射を行ったとされる事件で、日本政府は韓国を非難、韓国政府は照射自体を否定し事実無根とし日本機の低空飛行こそ謝罪せよと主張している。韓国政府の主張は二転三転している以上、信ぴょう性は怪しそうに感じるがどうだろうか。日本政府の説明は一貫しているが、世論調査では、日本人の9割方は韓国政府が不正な説明をしているとみなし、韓国人の9割方は日本政府が不正な説明をしているとみなしているそうだ。
 さて、いわゆる右翼界隈では、射撃レーダー照準を受けただけで、米軍ならば有無を言わせず即撃沈などとのたまっているが、そんなことはないだろう。1996年、環太平洋合同演習に参加中の護衛艦ゆうぎりが標的を曳航していたアメリカ海軍所属のA-6攻撃機をCIWSで撃墜する誤射事件があったが、ゆうぎりはアメリカの攻撃を受けなかった。

日韓関係の改善のため
 1月21日に、防衛省は最終見解の一つとして、電波照準を継続したことを示す音声を公表したが、状況証拠の一つにはなっても決定的な証拠にはならず、韓国政府の言い逃れを許すことになるだろう。韓国が事実に反する説明をしているという以上、日本政府は決定的な証拠を出すべきだろう。それは日本政府の正当性を韓国政府ではなく韓国人に対して認めさせるためだ。韓国政府が認めなくても、確実な証拠であれば、説得力があるだろう。
 北朝鮮問題や今後の極東秩序において日本と韓国が協力関係を保つために、これ以上政権を追い詰めるのは、事を大事にするのは間違いという考え方こそ、間違いである。既に、中途半端な証拠によって韓国政府にいいように言い訳をさせ、この件で韓国人の反日感情を育てている。これは事実として存在しているために、今後の日韓の協力関係を作ることが困難な土壌を既に醸成している。いくら手打ちにしたり打ち止めにしたりしても、それはムンジェイン政権との間に起こることで、韓国人との間の反日感情は増幅され不信感は残されたままだ。この不信感こそが、反日政権を次々と産む土壌の一つとなっているのではないか。韓国の現政権と手打ちができたとしてもそれはほんの一時のことで、国民の間に育てられた十分な反日感情があるにも関わらず、表面的に政府中枢と仲良くしようとしても、将来にわたって国民感情のわだかまりとなって、うまくやっていけるはずはない。だからこそ、日韓関係の長期的な改善のために、徹底的に動かぬ証拠を出し、韓国国民も納得せざるを得ない状況を作るべきだ。

おわりに
 日本は、照射したとされる射撃指揮レーダーSTIR-180を装備していない。だから、この装置の電子的な情報が暴露されることによる短期的な不利益は小さい。しかも、ごく標準的なレーダーであることや自衛隊機が目標付近を飛行中に照射されている以上、Pー1哨戒機の探知能力がつまびらかにされるリスクもそれほど大きいわけではないだろう。そして、韓国政府は照射していないと公式に断言している以上、あくまでも「受信した電波情報」として公表しても問題は少ないだろう。つまり日本政府は正体不明のレーダー照準を受けたもので韓国艦のものではないと表面上追認する振りをして、その情報を詳らかに公表すればいい。韓国政府の主張通り、韓国艦が照射していないのであれば、それはあくまでも韓国艦以外のものだろうから、仮に自衛隊が韓国の電波情報を詳らかにしても、日本が韓国の機密を暴露し韓国に対し不利益を働いたことにはならないと主張できる。もし仮に、韓国政府が虚偽の主張をしているならば、同型の射撃指揮レーダーSTIR-180を装備している戦闘艦を持つ韓国を含む国々は、仕様を変更するなりの不利益を被るかもしれないが、それはあくまでも韓国政府の責任であってそれくらいの覚悟と責任を負うべきだろう。
 ムンジェイン政権が反日姿勢なのは政権浮揚のためなのだから、韓国ムンジェイン政権を打倒する気迫で追い詰めるべきだ。もし、安倍政権が軍機と称して不動の証拠を出さずに、最後までムンジェイン政権を追い詰めないならば、韓国内での反日機運を醸成するとともに、日本国内での反韓国・嫌韓感情を育てたいネトウヨ育成や日本のネトウヨ政権浮揚のためにはよくとも、それは日本の将来にとってはマイナスでしかない。
 さらに、今回の件で韓国人の間にある韓国政府の正当性を突き崩し、日本政府の言うことが正しいこともあると韓国人に少しでも感じさせることができれば、今後の別の韓国政権の反日宣伝への懐疑を少しでも持たせ、日本人にとって有利な展開が拓けることもあるのではないだろうか。その機会を逸するならば、それは今回の射撃レーダーの件に留まらないより大きな損失であり危機であると言えるのではないだろうか。

竹田恒和会長は…逃げの一手がいい?

 東京五輪招致の際の贈賄容疑でフランス当局から捜査されている日本オリンピック委員会の竹田恒和会長が行った記者会見が、わずか7分、質疑応答一切なしと物議を醸している。
 その容疑は、IOC委員で国際陸上競技連盟(IAAF)前会長であるラミン・ディアク氏の息子が作ったパパマッサタ・ディアク氏の「ブラック・タイディングズ」社(シンガポールのコンサルタント企業だが実態のないペーパーカンパニー)に約2億3千万円を送金した贈賄だ。このことに対して竹田氏は説明をしていない。なぜだろうか。
 もし、このような怪しげな企業に、”根拠なく”多額のコンサルタント料を支払う意思決定をしたのならば、日本のオリンピック招致委員会に対する背任が成り立ち、”根拠があって”のことならば、フランス当局の容疑の通り贈賄のいずれかが成り立つと考えられるのではないだろうか。そう考えれば、説明のしようがないのもうなづける。どうだろうか。
 いずれにしても、日本国内では皇族タブーで不問・うやむやになるだろうし当人もそれを期待して逃げの一手だろうが、フランス当局には、この人がこの地位に就いた経緯や人脈、金の流れも含めて、徹底解明と公表を期待したい。
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