セクシーポエマー信じろー ~わたしはふしぎでたまらない~

時事・政治・教育のネタを中心に、婚活のネタ も交え 書いていきます。 独自の視点で切り込めたら…いいな、と思っています。

2019年08月

アンパンマンシンドローム~本当は辛いアンパンマン~

はじめに
 実家に帰ってよせばいいのにぼーっとテレビ見ていたら…

立川志らく、「アンパンチ」で幼児が暴力的になるという論争浮上に「親がおかしくなってる」

落語家の立川志らく(55)は「アンパンマンを暴力的だと思い込んでいる親の教育からやり直した方がいいくらいですよ」と心配する親をダメ出し。「そこでバーンってやったらダメだよって教えるのが教育なのに、子どもを無菌状態にしてろくな子どもにならないですよ。バイキンマンみたいに悪い事をすると、ひどい目にあうんだよって教えればいいだけのこと」と続けた。

「それを何でも感でもクレームをつけて。親がおかしくなってるって事ですよ、今の時代。何を見たってクレーマーになっちゃうでしょ、何を見たって批判する。そういう事を言う親はアンパンチですよ、それこそ」とオチをつけたが、スタジオの微妙な空気に「ちょっとスベった…」と苦笑していた。

 悪かったなコメンテーターおかしい親で(笑)。テレビコメンテーターに洞察や良識や他者への思いやりを求めるほど愚かではないが、だいたい子育てはしんどすぎる(笑)。お風呂に入るためにおもちゃ遊びを中断させて取り上げただけで、アンパンチを10分以上耐え続ける、追い詰められる親の気持ちなどわからないだろう。ほんと、アンパンマンコンツェルンにクレームの一つも入れたくなる。

 うちの子はアンパンマンで暴力的になった。自分では教えていないから、保育園でアンパンマンを覚えてきたのだろうけど、「アーン、パーンチ」って連打で殴ってきた。もちろんアンパンマンが存在しなかったとしても、きっと他の方法で暴れるだろうから、アンパンマンが暴力に訴えることを教えているのではなく、暴力のなかで、どういう形で暴力を表現するかという方法を教えているのだろうが…。と、考えると、少なくともアンパンマンが暴力の一つの形を教え敷居を低くし助長しているのは紛れもない事実。

アンパンマンレーダー
 しかも、スーパーに行ったら、アンパンマンレーダーが作動して、どんな売り場でもいきなりアラートで困る。「この前は、こちらの通路にアンパンがあったからと、別の通路を通ろうと避けても…。」「アンパン、アンパン」叫んでる。「ハァー…アンパンある。」。
 アンパンマンの載っている商品を欲しがって、ほんと迷惑。アンパンマンのせいでホント迷惑してる。しかもどこに潜んでいるかわからない。
 アンパンマンの載ったもの以外、着ない食べない飲まない、乗らない使わないっていうアンパンマン生活ってなんとか暮らせそう出来そうなくらいいろんなものがある。飲み物、食べ物、おもちゃ、文房具はもちろん、着るもの、おまる(トイレ)、椅子や机、自転車や車(バス)もあるし、アンパンマン印品だけでも暮らせそう。それくらいアンパンマンに侵されている。
 そんなことはさておき。閑話休題

アンパンマンの暴力
 さて、アンパンマンはどうしてバイキンマンを一時的に目の前から追い払う程度の暴力をふるうのか。アンパンチでバイキンマンを追いやったら、一時はしのげても、またバイキンマンはやってくるので、みんなの困りごと、悩み事の種になり続ける。それならばどうしてアンパンマンはバイキンマンをその場で完全にやっつけて後顧の憂いがないようにしないのだろうか。わたしはふしぎでもなんでもない。

アンパンマンは策士
 アンパンマンは悪人ではないが善人ではない。アンパンマンは知能犯、バイキンマンは粗暴犯であろうか。アンパンマンが正義とか、正しいことは正しいと単純に信じるとか、能力が高いほうが通用すると考える輩ならば、下流確定だろう。世の中は、道徳的に優れたもの、強いものがより通用するのではなく、都合のいいもの適者が生存するのである。頭の中はあんこでも、3Kな正論が好きな諸君のようには甘くないリアリスト。何を言っているのかわからない人は、『紅の豚』のポルコを考えるべし…。

紅の豚
 冒頭シーンで、空賊のマンマユート団が船を襲撃する。ポルコは、そのマンマユートを撃破しながら、なぜか、盗んだ金貨の半分をくれてやる。
 その後、塗装代まではでなかったがローンで飛行艇を修理できたマンマユートは、また空賊稼業に精を出す。ローンで修理するということはローンを払い終えるまで、空賊稼業はやめられないということだから、ポルコの用心棒としての仕事は存在し続ける。このように、ポルコが空賊を一時追い払うだけなのはポルコに働くインセンティブを考えれば当然である。空賊の構成員を次々に撃ち殺したり、飛行艇を完全破壊したり、活動資金を枯渇させたりして、完全に空賊の息の根を止めてしまったら、そのあとは、ポルコの仕事がなくなり金欠そして「飛べない豚」ただの豚、確定となる。
 ポルコは自分の存在意義を確保しながら、まさに空賊とも「持ちつ持たれつ」いく。アンパンマンにとってのバイキンマンとは、つまりマンマユートのような側面を持つ。だから、アンパンマンは、バイキンマンを一時追い払いはしても、バイキンマンのアジトを襲撃して破壊したり、再起不能になるまで撃破したり、バイキンマンを抹殺したりしない。バイキンマンがやって来ないことは、アンパンマンにとっては用心棒稼業ができない悪夢である。

愛と勇気だけが友達
 さらに悲しいのが、アンパンマンの心根である。ジャムおじさんやバタコさん、チーズ、そのほか…。たくさん友達がいるはずなのに、「愛と勇気だけが友達さ♪」という、信じられないほどの刹那的な世界観をもつアンパンマン。きっと、自分と他人を役割や機能のつながりでしか感じられないあんパンなのだろう。自分の有用感に対する自信がなく、みんなが同じで仲良しで、ただそこにいるだけでいいという帰属意識や安心感覚がもてないのだろう。
 「飛べないアンパンはタダのアンパン」などと揶揄される悪夢にいつもうなされ続けているに違いない。そして「バイキンマンが改心してしまったら、どうしよう」と気に病んでいるはずである。だから、わざとらしく「やめるんだバイキンマン」などと言って戦い負けるフリをし、最後は圧倒的な力で遠くへ追いやる。絶えず、みんなのために自分が役立つ、自分はすごいを見せびらかして、自分の役立つ価値をアピールをするしかない。

改心型バイキンマン
 また、バイキンマンがやって来ない以上に、バイキンマンがみんなの中に友だちとして受け入れられることはさらなる悩ましい悪夢である。なぜなら、バイキンマンとアンパンマンの能力を比べたら、どうみても、改心したバイキンマンのほうがアンパンマンよりも絶対に皆の役に立つからだ。「バイキンマン、こんなロボット作ってよ。」なんて頼まれ「ハヒフヘホ(^^♪」のバイキンマン。高いロボット製造能力や器用さで皆の暮らしをよくすることができる改心型バイキンマンに比べ、飛べるだけのアンパンマンは「アンパンの宅急便」でもするしかない。
 だが、飛んだって所詮アンパン。頭は鳥につつかれて…ボロボロで力が出ないよ…、豪雨の中を飛べば…フニャフニャで力が出ないよ…と、飛行場所も天気も選ぶ。宅急便の癖に、「虫や鳥が多いところはたかられるから通れません。行けません。」とか「雨で元気が出ないから、運べませんでした。」「湿気が多いので休みます。」とか言えば、「ぬるいこと言ってんじゃねー仕事だろ。」とか、荷主に怒られ、さらには失注。ニートに。そして、ひきこもりになるのも時間の問題か。
 「落ち込むことばかりだけど、わたし元気です。」なんてことになりかねない。

毒アンパン
 だからこそ、アンパンマンは、バイキンマンを再起不能になるまでやっつけるでもなく、バイキンマンがみんなに受け入れられて、みんなの中で暮らせるようにしてやるわけでもなく、殴って一時的に追い払い、バイキンマンの出現をコントロールするという均衡を生むことにしてしまった。本当は恐ろしいアンパンなのである。バイキンマンはアンパンマンの掌の上の存在である。周囲から見れば、獅子身中の虫、独饅頭ならぬ毒アンパンと言ってもいい。

汝自身を知れ
 このように、アンパンマンは、所詮脳みそはアンコだが、バイキンマンと比較して明らかに怜悧なリアリストである。それを支えるのは優れたメタ認知力だ。バイキンマンと自分を比較して、自分を最大限高く売ることができる才能を持っている。自分の長所短所をしっかりと見て、バイキンマンと比較している。自分の持ちうる能力と制約をよく理解している。

アンパンマンシンドローム
 相手にしてもらう方法がちょっかいをかけることしかできないバイキンマンと、それを見抜き、用心棒としての役立ち感を高め、そうすればするほど孤独を深めるしかないアダルトチルドレンアンパンマン。そしてそれを取り巻くその他の人々。この相関関係を、アンパンマンシンドロームというのだろうか。
 このアンパンマンシンドロームの枠組みを癒すために、バイキンマンにソーシャルスキルトレーニングを、アンパンマンにカウンセリングを…周りにはアンパンマンのマッチョぶりを褒めるのではなくアンパンマンの苦しさを察して孤独を癒して…と願ってやみません。

おわりに
 アンパンマンはインセンティブの勉強になる。どうやって自分を高く売るか、どうやって生きていくか、適者生存、プリンシパルエージェント問題、「歯医者さんが考えた歯ブラシ」とはどんなものか、テレビのコメンテーターの程度など、こんなことを子どもには教えてあげたい。
 親は、おかしくなっているといっても、それは追い詰められているからなのではないだろうか?
 こんなテレビやそんなコメンテーターに煩わされることなく…、子育てをしている人、ともに悩み、ともに何とか日々を切り抜けていこう。きっとアンパンチに耐え続けた日々はいずれ懐かしくなるはず…。

平和ボケの共演(右ボケ)

はじめに
 8月は平和ボケの豪華共演で結構食傷気味である。右向きのボケと左向きのボケの双方が、これでもかこれでもかとボケ対決に花を咲かせる。双方がボケのはずなのに、鋭く互いに突っ込む姿は、いったい何なのだろうか。いずれ、左ボケは論じることとして、ここでは、右ボケを論じてみたい。右ボケらは、岩田温センセイものや百田尚樹センセイものなどを読んで喜んでいるものが多いかもしれない(下記)。

天皇陛下のお言葉を拝聴し、文字通り涙が流れた。

平成天皇はなかなかの役者
 平成天皇は戦地を巡っていたが、なかなかの役者だと思う。それは、青山学院付属高校の入試問題炎上の際に、沖縄の新聞社と政治家に担がれ”平和の大切さ”は自分のメンツ以下だと曝してしまったひめゆりの語り部(左ボケで論じたい)と比べれば明らかだろう。
 戦争において払わせた凄惨な犠牲を、平和になってから崖の上に立ち首を垂れることや花を手向けることで購うことなど本来できない。だが、真に悲惨な体験をしたものは死に、その様子を観察できるものは生き残ったものかその時代を体験していないものだ。だから、年をとって肩の丸くなった天皇老夫婦が崖の上に立てば、誰が見ても死者を悼む痛々しい感じが、先代の天皇がどうその事態に臨んだかを圧倒し上書きしてしまう。つまり、戦争の被害を助長促進した天皇から、平和を進める天皇へと記憶を書き換えることができるのだ。そこで人々がどういう経緯で何に追い詰められて死んだのか、天皇がどういう作用をしたのかを理性で考えれば、それを割り引いて考えられるはずだが、そうしたことに思いが及ぶ筆者であっても天皇の行動には心打たれるかのような錯覚を覚えてしまう。人間の感覚とは不思議なものだ。
 そこで死んだ者は確かに本来壮健な若者が多かっただろうが、相当に追い詰められていた。天皇は高齢で歩くのも大変だろうが、敵弾が飛んでくる困難さや、水に欠くほどの飢える悲惨さとは比較にならない。「天皇万歳」と言って多くの人が死に「天皇のため」と言って事態が進んでいるにも関わらず、高貴な身分に釣り合う責任を放棄し、決して火中の栗を拾うことなく、戦闘を止めようとするリスクを冒すでもなく、平和な場面で祈ることで、戦場の犠牲にかえられるならばとても賢いやり方だろう。

平成天皇の幸運
 平成天皇が昭和天皇に比較してツイていたのは、単に平成の時代の日本が戦争の惨禍に蹂躙される試練がなかったことだ。仮に、平成天皇も昭和天皇と同じ立場に立てば、昭和天皇同様に、臣民が「天皇万歳」と叫んで崖の上から飛び降りてくれると都合がいいことにかわりがないだろう。そして、それが男よりも、若い女性であればなおよく、さらに赤子も道連れにしてくれれば一層好都合であることもかわりがないだろう。なぜなら、「天皇万歳」と叫んで少なくない人が死ぬ事実が敵の最前線から上層部に報告されることで、いざ日本が占領されるときに、天皇制を廃止することや天皇を殺傷することが政治的に高くつくように映り、占領に協力する天皇の価値を否が応にも高めるからである。昭和天皇がフツ―にできる計算を平成天皇ができないと考えるのは、平成天皇に対して大変失礼だろう。なかなかの役者である平成天皇は、3Kな正論が好きな諸君のような平和ボケではないだろう。

リアリスト
 臣民の自己犠牲を期待するのは、もちろん天皇が悪人だからでも非人道的だからでもなく、天皇自身の保身と天皇制の存続のためであって、これこそが天皇のリアリズムであり帝王学のキモである。普通の人間は「かわいそうだから、しない。」とか、「酷いから、やらない。やめとく。」と単純になるが、「かわいそうだからこそ、むしろやってほしい。」とか、「酷いからこそ、ありがたい。」とか普通にやりぬける。
 この感覚は筆者の勝手な憶測でもなんでもなく、ほかでもない天皇制の安堵(国体の護持)のために絶望的な抗戦をさせている間の、ヒロシマについて昭和天皇が記者会見で
 「この原子爆弾が投下されたことについて遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒ですが、やむを得ないことと私は思っております。」
 と発言したことや、特攻の報に接して及川軍令部総長に
 「そのようにまでせねばならなかったか。しかしよくやった」
と言ったことに表れている。
 いずれの言葉においても、前者では悲惨さを悼んだり慮ったりする仁者ぶりを見せるが、後者では、他人が払う犠牲と、自分らが得る利益を比較し、自らの利益を優先するというリアリストぶりが見られる。そして、実際に戦争を止めるような危険を冒すことはしないばかりか、悲惨な後者を誉めそやして拡大継続させる。一般人ならば、この悲劇をなんとか止められのは自分だけかもしれないという局面ならば、使命感からか蛮勇を発揮しようとしてしまうだろう。
 だが、悲劇を負担するのはあくまでも身分卑しき他人であること、それによって自分に降りかかるのはちょっとした気苦しさであること、そして、自分達の受ける利益とは比べものにならないと冷静に分析し一時の情に流されず怜悧に損得を計算できるのが帝王である。



平和ボケ(右ボケ)
 こういう感覚は、もちろん『日本国紀』なんかを読んで、「民のかまど」などというお話で白昼堂々抜いてしまう、3Kな正論を吐く諸君には到底わかりえない。だが、決してこんな若気の至り?をするのは、彼らだけではない。開戦時に「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」を引いて、勝っても負けても責任が及びにくいように布石を打った”昭和天皇の仁”に淡い期待をよせ、自分が特攻に踏み切れば、天皇が横からタオルを投げてくれると夢精し、当然のごとく裏切られた大西滝次郎のような輩もいる。そして、戦争継続の手段を与えたことが、さらにたくさんの若者を死なせ、敵の蹂躙を許す時間を与え、惨劇を広げた。
 だいたい、特攻を”誰かほかの人”が始めてくれること、それが”志願者で”ということになっていること、それが”他人の責任で”進められることは、天皇にとっては願ったりかなったりでしかない。特攻で戦果が上がればそれをネタに天皇制の安堵(国体の護持)を敵に求めてもよいし、戦果など上がらずとも、そういったやばい連中を抑えられるのは自分だけ、と敵に売り込んでもよい。簡単な話だが、天皇の仁などを信じる平和ボケの大西に、天皇のリアリズムは読めなかった。
 天皇の仁とは、余裕があるときか、自分らが危うくならない場面に限って、あくまでも”魅せるための仁”であって決して自己犠牲の仁ではない、天皇制のリアリズムとは、決定的な局面では事態がどっちに転んでも自分たちの都合のいいように、自分達が消耗しづらいように、常に打算と損得で布石を打っていくものなのである。だいたい歴史のうえで常に天皇が人々のために身を張って仁を追求している存在であるならば、とうの昔に伝説とともに滅んでいるか、日本の歴史上の実力者が世界史から特異に徹底した仁政を継続したうえで天皇の存在を許容してきたかのどちらかだろう。

民のかまど
 「民のかまど」などを引いて天皇の仁ぶりを宣う連中も、仮に”あった”としても、それ以降の長い間にそういった話がないからこそ、未だに語り草にしているのだろうことなどつゆほども考えがいたらないのだ。今日、老後二千万円問題で困っている?国民と「皇室であったものの品位」とやらを保つために皇室離脱一時金、ポンと1億超の皇族娘たちの金満ぶりの絶望的な断絶が転がっているにもかかわらず、何にも見えない連中が本当にいるのだ。皇族は清貧などと感じられるのは酔狂の世界だろうか。民のかまどや、国民のために”毎日鯛”を食べる天皇の話(下記)など、理屈はどうとでも付くのだろう。こんな簡単なことに疑問を持てない驚異的に完璧ハッピーな思考様式やパーフェクトポジティブ思考には、憧れていいのか、同情していいのかと筆者なりに悩んでしまう。

天皇の昼ご飯はなぜ毎日「鯛」なのか

おわりに
 安全保障とは、仁だの徳だのといった相手の好意に期待するユルさではなく、損得に基づくインセンティブに期待しなくてはならないという、冷厳なリアリズムが天皇の中にこそ生きているのである。同じ国の人間だから同じ国の人々の利益になることしかいないと考えるものには、日本にある刑務所に日本人が収監されている事実など見えないのだろう。
 仁を持ちつつリアリズムに徹することの峻厳さもわからない右向きのボケ諸君とはなんとおめでたいのだろうか。そして、右向きのボケと左向きのボケがボケ合う日本はいったいなんなのだろうか。岩田温センセイや百田尚樹センセイは、そういった右向きの平和ボケにうまい商売をしているすごい人だとホント感心してしまう。

若槻千夏が教えてくれたモンスターペアレント対策

はじめに
 ママタレントの若槻千夏が、モンスターペアレント相当の発言をしたとして物議を醸した。ここで注目すべき大切な事実は、お門違いの無茶苦茶な論理を主張した若槻千夏が気の毒なゲスト出演教師や他の出演者をその場では圧倒したが、批判が殺到するとすぐに撤回に追い込まれたことだ。



モンスターペアレント
 モンスターペアレントの傾向とはこんなところだろうか…
 ・お門違い、非現実的な無茶苦茶な注文をする。
 ・自分の感情の責任を他人に負わす。
 ・自分が完全な真善美などに照らして完全な存在でもないのに、他人には完全であることを強要する。
 こうした観点からみれば、若槻千夏のモンスターペアレント力は十分に高いと言えるだろうか。

モンスターペアレントへの抑止力

 さて、若槻千夏へのバッシングが集まり、さすがに今後に障ると思ったようで、一転して謝った。モンスターペアレントは、その性質を考えれば、他人がどうなろうと困らないが自分の損得にかかわるとなれば計算が出来るから、すぐさま身をひるがえすのは自然だろう。だから、若槻千夏の身の処し方もむべなるかなと言ったところで、モンスターペアレント対策は、若槻千夏対策が参考になるといえるだろう。
 つまり、若槻千夏のように人気商売という立場があれば”干されることが困る”というように、他人への不利益を、当人の不利益になることとセットにして返してやる、つまり、費用を内部化してやるといい。

価格表をつくる
 そこで一般人対策をするならば、相応の負担を用意すればいい。つまり、価格表を示しておくのだ。よく公務員相手には、「民間では…」と言うものだが、同じように民間では…で考える(笑)。
 若槻千夏のケースであれば、若槻千夏はお金があって払うかもしれないが、十中八九の親はお金を出し惜しむから抑止力になる。
 例えば、「放課後の子供の捜索…教員を10人使って探す…1時間ごと4万円」という具合にして、それを学校ではなく、教育委員会のようなところで電話受付する。ほかにもいろいろなモンペ要求メニューに抑止力となる価格、本気なら払う価格をつけて明示しておく。そして、犯罪などの場合には返金したらいい。こうすれば、たいていの親は損得勘定から、自分で子供を探すか、子供に遊びに勝手に行くなとしっかりと言い聞かせるか予めしておくことになる。つまり、モンスターペアレントの、自分に降りかかるコストには人一倍反応するが、相手にかかるコストは無視するというインセンティブに働きかけ、事前にモンスターペアレントの中で問題解決できるようにしてやったらいい。現実に学校で教員がやり取りをすると、若槻千夏にゲスト出演の教師や周囲が圧倒されたように、断るとしても、そのやり取りをするだけで疲弊するために、そのやり取りが表面化する前に未然に防ぐことができることが大切なのだ。

おわりに
 一般にモンスターペアレントが困るのは、教員の提供できるサービス量が一定のとき、クラスにそういったものが一人二人いるだけで、教員のリソースがモンスターペアレント親子に食われ、他の子へのリソースを圧迫されてしまうことだ。つまり、教員のためというよりは、まともな親子を守るためと言ったほうがいい。若槻千夏のような立場のある人間はともかく、失うもののない立場のない人間がモンスターペアレントだった場合には、こうした方法しかないだろう。どうだろうか。

NHKから国民を守る党は”自由の息子達”か?

はじめに
 NHKから国民を守る党(N国)の議席獲得がポピュリズムだと、テレビ出演者や学者連中はネガキャンに躍起になっているようだ。もちろん、テレビ出演者や出演できる可能性のある学者連中は、NHKの肩を持ったほうが得だから当然だ。NHKのネット進出が本格化したら民放の地方局が危うくなり、民営化したら民放に競合するといわれるから、そのときには民放にも火の粉が降りかかってくる。そうなれば、NHKは必要だと言っているテレビ既得権者が事実上のオーナーである維新にも注目だ(笑)。

政見放送
 N国は、政見放送(下)を見る限りでは、冒頭の不倫路上カーセ○〇〇連呼を除けば、意外にまともだ(笑)。彼らは、NHKをスクランブル放送化し、受信料を払った人だけが見られるようにしろと、今どきの日本では珍しい主張をした。今日の日本なら、共産風に言えば受信料は大企業と富裕層が払え、維新流に言えば公務員の給料カットで払え、自民風に言えば受信料は国債で…ってところだろうが、なんと、受益者負担を徹底しようと言っているのだ。

ポピュリズムの宴
 だいたい先の参議院選の公約は、揃いもそろって、子どもの保育園代をまけろ、給食費をただにシロ、高校大学無料、減税と福祉の拡充、などなど…とにかく、自分の子供のための金を出し惜しみたい親のためなど、自分以外の誰かに金を払わせ、自分はただ乗りするのは正義、それで胸を張ろうというものばかりだった…。「働いたら負け」を地でいき、他人に払わせろと言わんばかりのこんなものたちはポピュリズムに違いないと思うが、どうだろうか。先の参議院選挙を見る限り、日本にポピュリズム政党以外あるのだろうか。あるならばぜひ教えていただきたい。なぜN国の議席獲得を指して、ポピュリズムなのだろうか。わたしはふしぎでたまらない。


NHKは自由と民主主義の脅威
 さて、下記の「NHKの受信料制度は強制徴収だけが問題なのではない」は参考になる。
 金のために人や組織が動く性質があるから民放は…といいながら、国会の多数党が作る内閣(権力)をNHKがチェックできないし、与党に多額の献金をする企業もNHKがチェックできないことをNHKの主張する論理の根拠に基づいて論理的にまとめている。NHKも民放同様に、弱いものを情緒で操作する一方で、金のために強いものに媚びるか、強いものがやっていることを放置するかしかないのが現実だ。むしろ、強いものに取り入る危険性さえはらむNHKである。

 NHKの受信料制度は強制徴収だけが問題なのではない

 災害報道はNHKが売りにするところだが、災害にしても地震にしても、ゲリラ豪雨にしても、アラートがプッシュ通知でスマホ入る時代であり、速報性でも局地的正確性でもNHKの報道は陳腐化している。こんな陳腐なものがNHKの売りでしかない事実を権力者は見逃さない。科学技術の進歩により以前にも増してNHKの存在の正当性を主張することは社会的により困難になっているから、NHKを維持する政治的コストは相当に高くつくとみて間違いがない。権力者にしては、陳腐化したNHKが勝手に忖度をし続けるように仕向けるだろう。だから、NHKは、まさに金(自分らの高い給料)を守るために、自由と民主主義を売り渡すことになるのだ。
 そうなるまえに、自由と民主主義の脅威であるNHKの廃絶しかないが、どうだろうか。続きを読む
最新コメント
ギャラリー
  • 平和ボケの共演(右ボケ)
  • 若槻千夏が教えてくれたモンスターペアレント対策
  • NHKから国民を守る党は”自由の息子達”か?
  • 年金不足問題 NHK(つもり)年金
  • 年金不足問題 NHK(つもり)年金
  • 将帥と軍(暴力装置)の在り方とは何か。
  • バリバラ「笑いは地球を救う」NHK底なしの差別意識2
  • 道徳教育・教育勅語の 致命的な”脆弱性”
  • 稲田朋美防衛大臣の愛国心
記事検索
メッセージ

名前
メール
本文
「J-CASTニュース」は提供を終了しました。
ランキング
人気ブログランキング 人気ブログランキング 人気ブログランキング 人気ブログランキング 人気ブログランキング
livedoor 天気
NAVERまとめ
「NAVERまとめ」ブログパーツは、サービスを終了しました。
  • ライブドアブログ