この数年の夏休み(いわゆる学校が夏休みで授業がない日)は、やっとの思いでお盆休みを迎え、休養をとって休みの仕事に備えるような感じだった気がするが、今年は少し長めの休暇をとることができて、音楽と休息に満ちた素晴らしい夏だった。2024年の夏を総括して記してみようと思う。
その1 毎年恒例、吹奏楽コンクール
今年の曲は、ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」より。限られた時間と条件の中で良く頑張りました。じっくりリハーサルできたのは1週間くらいだろうか。しかし、じっくりと言っても今は半日しか部活動ができないので、合奏でのリハーサルは1日、1時間半程度。プロの演奏団体なら、十分過ぎる時間であろうが、中学生がこの曲をやるには自分の学校の演奏技術では足りない。でも、心に残る音楽を味わえる瞬間も何度かある充実した時間だった。
毎年、心をよぎることだが、もうコンクールはいいな、と思ってしまう。楽器を持って1〜2年の子どもたちが懸命に頑張っているが、本校の場合、技術の水準がコンクールで勝ち進めるレベルには到達していないことを痛感させられる。日々の練習、教師の指導と指導するための時間と能力、部活の風土とマネジメント、活動へのモチベーションが重要であるのは大前提だが、それ以外にも都市部の学校かそうではないか、各楽器の講師の状況、楽器や備品の状況、生徒たちのこれまでの音楽経験など、現在の部活の活動だけでその壁を超えるのはかなり難しい課題が多数ある。そして、楽曲の仕上がりもまだまだ厳しい状況の中で勝負をしなければいけない。それでも、結果を味わいたい生徒の気持ちと実際の演奏とのギャップを埋めるために、私も精一杯やったつもりだ。そして、一等賞はとれなくても、そこには確かに良い音楽があった。コンクールでは、良い音楽であることのほかに、技術の差が評価の大きな比重をしめる。それをごく普通の中学生に求めるのは酷だなと思う。音楽は競技になってはいけない。プロを目指す大人がコンテストを受けるのと音楽に出会ったばかりの子どもたちがコンクールで打ちひしがれることが同じであってはいけないと思う。この夏、自分たちが創り出した音楽は絶対に間違っていない。ずっと大切にしてほしいと願う。そして、こうして音楽ができることに感謝。
その2 夏のオーケストラ 9年ぶりの再会と共演
ここのところ数年、毎夏ご一緒させていただいている夏のオーケストラ。今回のお題は、今年生誕200年の記念の年であるブルックナー(Anton Bruckner 1824-1896オーストリア)の交響曲第4番「ロマンティック」。演奏が生業ではなくなった今はオーケストラの響きの中で過ごす時間は特になにか神聖な時間でもあり自分とラッパをみつめながら自分の根本に戻る時間である。演奏するのは楽ではない、それどころか心身ともに大変なエネルギーを必要とする。終わるまでは心配事は尽きないし、終わったらぐったり。それでもやるのは最も自分らしくいられるからなのだと思う。今回は、昔の同志と9年ぶりの再会と共演というドラマもあった。ある意味人生をかけて過ごした昔の時間にすぐに戻れた。交わした言葉は多くはなくても、ラッパでたくさん話した気がする。嬉しい時間だった。