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〔シリーズ3〕 右翼(12)

児玉と岸

CIAと自称「国士」たち
 〜 児玉誉士夫・笹川良一・岸信介など 〜

 戦前の右翼の最大の黒幕が頭山満であるとすれば、戦後最大の黒幕は、少なくとも表向きは児玉誉士夫(こだま・よしお)(注1)である。
 彼が政界の「黒幕」として名を馳せるのは戦後のことで、その出発点となったものは「自由党」(注2)結成に際する資金提供であった。
彼は上海の「児玉機関」に蓄積していた莫大な財産(注3)を日本に持ち帰って隠匿していた。それを自由党の結党資金として鳩山一郎らに提供したというのである。
毎日新聞政治部編『黒幕・児玉誉士夫』の書くところによれば、児玉自身の主張する経緯は、おおよそ次のようなものだったらしい。


 児玉は持ち帰った財産の目録を作り、当時の海軍大臣・米内光政(よない・みつまさ)に会って、全てを海軍に引き渡すと申し出た。しかし米内海相は、
  「受け取るべき海軍はもうなくなったから、
   これは全て君の裁量で国家のために使え」
と言った。そこで児玉は、鳩山の新党結成のために
  「全てを投げ打ってこれに協力すること」
を決意した、というのである。
 提供された分量は、同書によれば
  「当時のカネで7千万。それにカマス一つ半くらいあ
   ったダイヤとダンボール箱二十箱ぐらいのプラチ
   ナをそれぞれ半分ずつ」
ということである(注4)。

 以上は、日本側関係者の語る歴史であるが、終戦時に関わるアメリカ公文書が2005年に秘密指定を解除されて一般公開されたことに伴い、これまで単なる噂に過ぎなかった多くの事実が裏付けられることになった。
 「ドイツ国営放送」はこの膨大な文書に基づき、日本の敗戦処理に関わるCIAの役割を検証し、
  「児玉機関と笹川良一 〜CIAの傀儡統治〜」
と題する番組を製作して以下のように述べている(注5)。

 日本軍が上海を占領するや、
 「帝国海軍は、残虐行為にも怯(ひる)まない人物を探した。中国で金・ダイヤモンドを略奪し日本に持ち帰ることがその任務だった。この極秘任務に就いた男が児玉誉士夫だ。」

笹川良一

 そして、この児玉機関の実質上の支配者は↑笹川良一(注6)であったという。
 笹川の親族がCIAに対して行った証言によれば、
 「児玉機関の指揮権は笹川が握り、児玉機関は笹川の命令で動いていた。」
 笹川こそが「児玉の直系のボス」だったのである。
 「ドイツ国営放送」は言う。
 「米諜報部は、略奪物資について総額3兆円に上るものと見込んでいた。」
 「CIA文書児玉ファイルには3億円相当の金塊を日本へ輸送した」との記述がある。」
 海軍航空部隊による空輸活動を記した文書によれば、
 「上海・日本間の航空機による運搬が少なくとも10回以上にわたるものであった」。
 この膨大な隠匿物資を児玉と笹川が使用できるように許可を与えたのはアメリカの中央政府であって、アメリカは共産中国に対抗する手段として
 「略奪物資で日本経済を活性化させれば、日中間の対立を温存し、半永久的に固定化させることが出来ると考えた」
のである。
 アメリカ政府は、こうした政策遂行のエージェントとして児玉や笹川を釈放し、
 「武闘的な右翼団体にはCIAからの資金を注入した」。
 そして
 「笹川は略奪資金による政治家の買収工作を通じて賭博利権を手に入れた」
のであった。
 以上の事実を、ドイツ国営放送はアメリカの公文書によって裏付けるとともに、「児玉はCIAの諜報員」であって、その活動は「暗殺を含む」と明言している。

 こうして、CIAに身を売った児玉・笹川の両名は「児玉機関」の莫大な財産を手にし、その一部が自由党(現・自民党)の結党資金に使われることになるのだが、しかし、この財産は本来、海軍すなわち日本国家のものである。したがって、児玉本人を含めた数多くの関係者が証言するこのエピソードは、児玉らが国家財産を横領し、その分け前を自由党(現・自民党)の政治家が受け取ったことを意味している。すなわち、関係者全員が横領罪の共犯者で、自民党はこの犯罪行為の上に成立した政党なわけだが、これを正面から問題にする者がいないというのが、我が国の恐るべき実態なのである。

正力松太郎 ところで、児玉や笹川が巣鴨に拘留されていた時、そこには同じA級戦犯容疑者として岸信介、正力松太郎がいた。
 岸は、後に鳩山一郎が新たに「民主党」を結成した時の幹事長であり、戦前は満州で辣腕をふるっていた人物である(児玉も笹川も大陸を主要な活躍の舞台としていた)。正力は元・警察官僚にして読売新聞の社主であると同時に貴族院議員でもあったため、戦争鼓吹者としての罪を問われていたのである。これら「巣鴨同窓生」が結託することは余りにも当然であった。
 戦後ただちに正力がCIAの協力者となったことや、CIAが岸に選挙資金を提供していたことは先にも触れたが、最近、岸もまた歴然たるCIAの手先であったことが暴露された。
 長年、CIAに関する記事を書いてきたニューヨーク・タイムズの記者ティム・ウィナーは、その著書『灰の遺産〜CIAの歴史』(07年7月)の中で、岸信介がCIAのエージェント(=スパイ)であったことを指摘している。
その内容を「オフイス・マツナガ」のブログの記事から引用しておこう(注7)。

 「米国がリクルートした中で最も有力な二人のエージェントは、日本政府をコントロールするというCIAの任務遂行に協力した。」
 「(そのうちの一人)岸信介はCIAの助けを借りて日本の首相となり、与党の総裁となった」。
 「岸は新任の駐日米国大使のマッカーサー二世にこう語った。もし自分の権力基盤を固めることに米国が協力すれば、新安全保障条約は可決されるだろうし、高まる左翼の潮流を食い止めることができる、と。岸がCIAに求めたのは、断続的に支払われる裏金ではなく、永続的な支援財源だった。」

 また、同書の紹介として「池田信夫ブログ」は次にように述べている(注8)。
 「CIAは情報源として使えるとみて、マッカーサーを説得して彼〔=岸〕をA級戦犯リストから外させ、エージェントとして雇った。岸は児玉ともつながっており、彼の資金やCIAの資金を使って自民党の政治家を買収し、党内でのし上がった。1955年8月、ダレス国務長官は岸と会い、東アジアの共産化から日本を守るための協力を要請した。そのためには日本の保守勢力が団結することが重要で、それに必要な資金協力は惜しまないと語った。岸は、その資金を使って11月に保守合同を実現し、1957年には首相になった。その後も、日米安保条約の改定や沖縄返還にあたってもCIAの資金援助が大きな役割を果たした。」
 岸へ渡されたCIA資金は『週刊文春』によれば、一回に7200万円から1億800万円で、今の金にして10億円ぐらいとされる(注9)。

 こうした中で60年安保を迎えることになるのである。
 児玉は、既にその前年、右翼各団体を糾合する「全愛会議」(前出)の結成に努め、その顧問におさまっていた。そして60年には岸内閣の要請を受けて暴力団の結集・動員に動くのである(既述)。
 動員計画は頓挫したものの、児玉はこれを機に全国の暴力団をとりまとめ、その上に君臨することを目論んだ。それが「東亜同友会構想」と言われるものだが、山口組をはじめとする関西系の有力団体が参加を見合わせたことが祟(たた)って流産する。
 そこで児玉は差し当たり関東だけでも糾合すべく、新たに「関東会」を組織し、これが現在の「関東二十日会」となる。ここには、指定暴力団の「住吉会」「稲川会」「松葉会」「双愛会」、他に「日本国粋会」「東声会(とうせいかい)」「二率会(にびきかい)」など計9団体が参加していたから、関東系博徒の主要団体のほとんど全てを網羅していると言ってよい(各団体の名称は時代によって変化し、後に脱退、解散した団体もある)。
 こうして児玉は、政府・自民党と全国の右翼及び関東系暴力団をカバーする顔役として君臨し、政財界と裏社会に巨大な影響力を持ち続けたのであった。
 とりわけ彼の人脈は、自民党内では岸信介、河野一郎―中曽根康弘に繋がる「日本民主党」系のタカ派グループ、「暴力団」としては稲川角二を総裁とする「稲川会」系、および町井久之(本名:鄭建永)を会長とする韓国系暴力団「東声会」との関係が深かった。
 ディビット・カプラン他著の『ヤクザ』には、児玉・河野・稲川、および稲川の側近の計4名が仲良く並んでいる写真と、児玉が岸と談笑している写真が掲載されている(既述。後になって写真は全て削除された。そのうち、前者の写真は、前掲「ドイツ国営放送」の画像で見ることができる。)
また、同書によれば、中曽根は若い頃に「一人の秘書を児玉と共同で使っていた」し、浜田幸一(稲川会系の元・無頼漢)も児玉邸に住み込んでいたと言われる(注10)。
 財界関係では、児玉は岸信介の盟友・北炭(北海道炭鉱汽船)社長の萩原芳太郎と親しく、岸内閣成立前後には、岸、河野、児玉、萩原らが度々会合を持ち、児玉も萩原も、次期総理大臣を決定する密約にまで立ち合っていた(注11)。また、児玉は萩原のために「北炭夕張炭鉱の労組弾圧、切りくずしのために、明楽組(あきらぐみ)を組織して送りこんだ」と指摘されているのである(注12)。
 このように児玉は、裏舞台で政財界に深く食い込み、「右翼・暴力団」との関係を縦横に利用しながら、表向きは事あるごとに「愛国」を口にし、私心なき「国士」であることを強調していた。しかしその実、裏では終戦直後からアメリカ情報部の雇員となり、ロッキード社の秘密代理人をも務めていたのである。いわゆる「ロッキード事件」(1976年)では、同社と丸紅側に立って政治家に対する買収工作を行って謝礼を受け取っていたことも暴露されている(注13)。
 こうした事実が「ロッキード事件」によって明らかにされて以降、児玉の権威は急速に失墜し、程なく彼は世を去ることになるが、岸、正力、笹川とアメリカの癒着構造は、2005年になるまで明らかにされることはなかった。
 上記4名の他にも、アメリカ公文書の解禁以後に対米協力者として名前を挙げられている人物には、辻正信(つじ・まさのぶ。「ノモンハン」その他で有名な参謀。戦後の自民党国会議員。)、賀屋興宣(かや・おきのり。A級戦犯、自民党代議士、法務大臣、日本遺族会会長。)、石井四郎(731部隊長)などがいる(注14)。

 こうして明らかにされた検証記事に基づくならば、「自由民主党」という名前の日本の政党は、実はその成立の起源からしてアメリカの傀儡政党であったと言わざるを得ないであろう。
 戦前の支配勢力は、アメリカにその身を売ることによって命脈を保ち、その援助によって戦後の支配勢力としての地位を勝ち得るとともに、今日に至るまで60年以上の長きにわたり、ほぼ一貫して政権を独占し続けてきたのであった。
 彼らは表看板としてはことある毎に「愛国」を口にしながら、その裏ではかつて「鬼畜米英」とまでに罵っていた当のアメリカの手先となり、時に「暴力団壊滅」やら「テロ撲滅」やらを叫びつつ、自らは反対派に対するテロ部隊として闇の勢力を組織し操ってきたのである。

 こうした事実を前にして、自らその歴史を総括し真摯な反省を経ることなくしては、自民党という名前の政党が真にその道徳性を回復する道はないはずである。
 そして同様に、わが国の報道機関がこれらの歴史的事実に口を閉ざし続けるならば、そこに働く者たちが真のジャーナリストとしての栄誉を勝ち得ることは困難であろう。

(U)(この項終わり)

(注1) 児玉誉士夫: 
1911−1984。福島県生まれで士族の末裔とされる。若い頃は貧困に喘ぎ、朝鮮などで働く。赤尾敏の「建国会」、津久井龍雄の「急進愛国党」などに所属。「天行会」と共に暗殺未遂事件を起こして入獄。
出獄後中国に渡り、すぐに陸軍参謀本部と外務省の嘱託となって(1939年)情報収集活動に従事する。41年、海軍航空本部の依頼で上海に渡り、物資調達機関として通称「児玉機関」を設立。ここでは約1600人を使用していたといわれる。
戦後、1945年の東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣で参与となる(当時34歳)。
同年、A級戦犯として巣鴨刑務所に収容されるが、起訴されることなく釈放された(1948年)。(前掲・『最新・右翼辞典』、右翼問題研究会『右翼の潮流〔補訂〕』、立花書房、2006年、156頁以下。)

(注2) 自由党:
 1945年、鳩山一郎、河野一郎、芦田均、三木武吉らが中心となって結成した政党。正式名称は「日本自由党」。後の自民党の母体。初代総裁は鳩山一郎だが、彼が公職追放になったため、吉田茂に交代し(第2代総裁)、第一次吉田内閣が組閣される。
 一方、自由党内部の反吉田グループは、1954年に鳩山一郎を初代総裁とする「民主党」(日本民主党)を結成し、鳩山内閣を実現した。
 翌1955年、左右の社会党が合同したのに対応し、同年に再び自由党と民主党が合同して「自由民主党」を結成する(保守合同)。これによって、自民党対社会党という左右の二大勢力による対決の構図が生まれ、これが「55年体制」と呼ばれるものである。

(注3) 
 敗戦時に児玉機関が保有していた資金は、現金、ダイヤ、プラチナなど、総額1億7500万ドルに上るという(前掲・ディビット・カプラン他『ヤクザ』、90頁)。
このドル換算が何年の基準なのかは明示されていないが、戦前の百万円が1971年段階の20億円に相当するとすれば、「兆」を単位とする天文学的金額となる。
(注4) 毎日新聞政治部編『黒幕・児玉誉士夫』(エール出版社、1976年)、21−2頁)。

(注5)
 ドイツ国営放送「戦後の日本・欧州の視点 No.3-1 児玉機関と笹川良一 〜CIAの傀儡統治〜」(2008年) 

同「戦後の日本・欧州の視点 No.3-2 児玉機関と笹川良一 〜CIAの傀儡統治〜


(注6) 笹川良一: 
 1899−1973。大阪箕面市生。小学校卒ながら航空関係に従事して力を付け、戦前、市会議員から衆議院議員をも勤めた。「国粋大衆党」顧問。
「国防義勇航空隊」を組織して1万5千人の隊員を擁し隊長となる。自らローマに飛び、ムッソリーニと会談するほどファシズムに傾倒し「日本のムッソリーニ」を自称した。暴力団との関係も深く、複数の検挙暦を持つ。
戦後、A級戦犯容疑者となるが釈放され(48年)、1951には競艇事業に乗り出して「全国モーターボート競走連合会」会長。後に「日本船舶振興会」会長。「全愛会議」顧問、「世界基督教統一心霊協会」(「統一原理」)顧問、「国際勝共連合」会長。
「国粋大衆党」当時の部下に児玉誉士夫がいたといわれ、同党の党員で戦後も笹川の下で働いた藤吉男(ふじ・よしお。「全日本空手道連盟」会長。)も児玉機関に属していた。(前掲『最新・右翼事典』)

(注7) 「岸信介とCIA」
 A級戦犯容疑者・岸信介が釈放された理由は当時から謎とされ、様々な憶測が飛び交っていた。例えば、塩田は次のように書いていた。
「岸は釈放後、アメリカに協力することを約束して巣鴨を出た。」「岸はその密約を隠したまま政界復帰した疑いがある。」「『アメリカへの忠誠』の約束があったからではないかという噂は根強く囁かれた。」(塩田潮『岸信介』講談社、1996年、197、278頁。)
 こうした「噂」が、アメリカの公文書によって裏付けられたのである。

(注8)「CIAと岸信介」 (池田信夫blog)

(注9)「岸信介とCIA」
また、ティム・ウィナーはニューヨーク・タイムズの記事で、引退した情報関係者の証言に基づき、CIAは1950年代から60年代にかけて日本の閣僚や自民党などの右派勢力に対して数億ドルの資金を提供し70年代以降も資金援助を継続していたと指摘し、後藤田正晴は自分がCIAと強いコンタクトを持っていたことを認めている。
( TIM WEINER, “C.I.A. Spent Millions to Support Japanese Right in 50's and 60's “, October 9, 1994.)
 これらの工作と日本側の手先たちを用いて、アメリカは、日本をいわば「間接統治」してきたのである。CIAの元・東京支局長フェルドマンは、「占領体制のもとでは、われわれは日本を直接統治した。その後は、ちょっと違う方法で統治してきたのだ」と語っている(前掲・「池田信夫blog」)

(注10) 
 前掲・ディビット・カプラン他『ヤクザ』、113頁、153頁。
  また、浜田幸一は、自著『日本をダメにした九人の政治家』(講談社、1993年)の中で稲川会との関係を一部告白している。それによれば、彼は若い頃「木更津のダニ」と呼ばれるほどの無頼漢で、稲川会の系列下にあり、二代目総長・石井進(別名:隆匡、唯博)の弟分である(215−6頁)。

(注11) 塩田・前掲書、314頁以下。

(注12) ディビット・カプラン他・前掲書、93頁。

(注13) ロッキード事件: 
 1972年頃からロッキード社が日本に航空機を売り込むために行った買収事件。1976年にアメリカ側から暴露されて刑事事件となった。
児玉は既に1958年頃からロッキード社のために働いていたという。この間の事情は、ディビット・カプラン他・前掲書、143頁以下に詳しい。
 また、この事件に関わって数人の死者が出ており、「口封じ」ではないかとの疑惑が生まれていた。関係者は自民党議員も含め、「しゃべれば命が危ない」と感じていたという(前掲・『黒幕・児玉誉士夫』、118頁以下。)
「ドイツ国営放送」が、児玉の任務の一つとして「暗殺」を明記していることからしても、この恐怖は現実的根拠を持つものだったことが分かるのである。

(注14)
U.S. intelligence involvement with World War II Japanese war criminals. ”