「熟年ばんざい」掲載記事

2008年10月22日

我流・旨いもの基準「11月号掲載分」

私は、食べ物に関して言えば、好き嫌いがない。
何でも「うまい、うまい」と食べてしまう。

妻に言わせると、「食事を作る立場から言えば、手はかからないが…作り甲斐はない」
と言われます。

確かに、何でも「うまい」の一言では、張り合いはないかもしれない。
だからと言って「まずい」なんて言ったら最後…
部屋の中まで局地的大雨と険悪な稲光が走り、
しばらくは我が家の食卓から料理が消える危険性だってあります。

しかし、幸か不幸か、今のところ本当に「うまい」と
思って食べている私。
それが証拠に、お腹はかなりのメタボ状態です。

私の「うまい」の優先順位は、まず雰囲気から始まります。
だから美味しい雰囲気を一番大切にします。

せっかくの夕飯なのに、
妻と喧嘩していたら味なんて分かりません。
味が分からないということは、旨いも不味いもないわけです。

ですから、旨い料理は、夫婦仲から出来上がると私は確信してます。
旨い料理を食べたければ、作ってもらった料理を感謝して食べることです。

いつの間にか、家で料理が出てくるのが当たり前だと
錯覚している旦那さんが実に多くありませんか?

妻に作ってもらった料理に「ありがとう」
の気持ちを込めてみて下さい。

その気持ちこそが、次に、より「旨い」料理が
出来上がるスパイスになっているはずです。

仕事柄よく、「テレビで色々なところに行って美味しいものが食べられていいね」
と言われます。
確かに、芸人をしているおかげで、
旅番組などで美味しい料理を口にする機会があります。

しかし、残念なのは、どんな旨い料理でも、
カメラが回り、人にジロジロ見られながら食べていると
正直、味は分かりません。

ましてや、食べた後に、感想のコメントを言わなければならないために
上手いコメントを考えて、味の旨さなんて感じている余裕はありません。

本当に旨いだけに、出来れば何の制約もない中で
食べたいといつも思います。

それぐらい食べる雰囲気って大切なものなんですね。

だから食事に出かけても、ただ意味もなく余計な神経を使う
気取った店は苦手だし、
マナーばかりが先にたって堅苦しさだけが漂う店は、
大の苦手です。

どんなに旨い料理を出されても店員の対応や他のお客次第で、
味なんて簡単に変わってしまいます。

そんなデリケートなところにあるのが、旨いものなんですね。

高級レストランに入っても、
嫌な奴と一緒では、せっかくの旨さも半減でしょう。

だからこそ、口に入れるものだけが料理ではない。
目にするもの、耳にするもの全てがその店の味と考えます。

うまい人間関係とうまい環境が生み出す料理こそ
最高級の「うまさ」が出ると思いませんか?



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2008年04月24日

スローライフこそ人間そのもの(5月号掲載)

 私、自慢じゃありませんが…よく、地下鉄で失敗を
する。各駅停車しか止まらない駅に行くのに、急行に
乗車してしまい…車中で止まらない駅を唖然と眺めな
がら乗り越していく。

 そんな時、昔ならカリカリしていたが、最近では、
どうせ乗りこしたなら、次に止まる駅で降りてみよう
かなんて考えるようになりました。間違えたのではな
い…そこに行かせる何かの力が働いたのだと…そして、
意図した、しないに関係なく、この遠回りを楽しめる
ようになった。

 若い頃は、手間暇掛ける事より、早く結果ばかりを
追い求めてきた。しかし、熟年世代になった今、スロー
ライフこそ人間そのものではないかと考えるように
なった。だいたい自分自身に50年以上の時間をかけ、
色々な失敗や成功を繰り返しながら成長し、これから
も生きていくのだから、これをスローライフと言わず
何と言う? 読者の中で「私は10代なんて面倒臭い世
代を飛び越えて、いきなり1歳から20歳になりました」
なんていう人はいないはず…もし、いるとしたら…そ
の方は宇宙人かも知れません。

 地球人なら間違いなく、確実に一つずつ歳を取って
きているはず。だから、私は自信を持って地球人であ
ることに胸を張れる。

 地球人なら生きていくスピードは変えられない。し
かし、今までの私は、効率化ばかりを優先させてきて、
失敗から生まれる無駄を省く事に精を出していた。し
かし、元々が手間暇掛かる人間がやっている事だから、
どんな効率化が図れても、失敗からくる無駄は生まれ
るものなんだ。

 それに気付かなかった私は、効率化の象徴のように、
手間暇掛けずに多くのゴミを出し、手間暇掛けてゴミ
処理に悩むという失敗を繰り返していた。

 また、私が手間暇掛けずに手にした多くの情報は、
手間暇掛けずに簡単に消えていったのを嫌というほど
味わった。結局実になる情報は、手間暇掛けたものし
か残らない…ことを最近知りました。

 今思えば、広範囲の移動を可能にするために、ロー
ンで車を買い、その車を走らせるために、ガソリンス
タンドにより、定期点検をし、免許の更新はあるし、
事故を起こせば…修理に出す…そんなトラブルが原因
で夫婦喧嘩になり…結局、便利な事の裏側には不便な
事がついて来た。

 時間を掛けて生まれてくる顔のシワなんて、スロー
ライフの人間だからこそ出てくる象徴的なものだろう。
その象徴を必死になって消そうとして、手入れに手間暇
掛ける…女房の姿。シワを人間らしさの象徴と捉えるか、
老いの証と捉えるか…その違いだけで、手間暇の掛け方
から悩みまで…すべてが変わる。

 結局は、生きて行く事って…手間暇が掛る…というより、
手間暇をかけるものではないか?それを効率化というスピ
ードによって、便利になったと錯覚していただけじゃない
かと…最近、強く思う私です?


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