滋賀の文化財講座

      打出のコヅチ『梵鐘を守れ!』
           ー地域文化財をめぐる戦時下の裏面史ー

                滋賀県教育委員会文化財保護課 井上優さん

 第二次世界大戦が始まるころ、戦争の資材としての金属の供出・回収が行われたことはよく知られている。しかし金属を素材とする歴史資料も多かった。それがどんな運命を辿ったのか、全国の梵鐘の約9割がこの状況のなかで失われていったといわれる。未曾有の国難のなかで、人々は地域は「お国のため」にと喜んで、あるいは耐え忍んで、この事業に応じたのであった。
 滋賀県の文化財保護課に一冊の簿册が残されていた。その経緯は知られていない。
  『昭和十七年至同十九年
     金属回収除外申請
       供出除外を認めた物件の関係書類』

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 回収が行われる過程では、除外規定があったのである。これまた偶然のことで近江八幡のお寺から栗東歴史民俗博物館に寄贈された「回収実施要綱」に載せられていた。
 これにもとずいて除外を申請した書類が先のもので、担当した滋賀県の建築技師の日名子元雄氏とその上司により決済されている。
 その中で、除外決済に横やりが入った例が知られている。新しく再鋳造したものだから回収の応ずべしというものだったが、再調査で再鋳造でなかったことが判明して決済どうり二なったもの、これは今も現存しているという。
 彼日名子元雄氏はさいわい文化財に詳しい人物であったことで、申請のほとんどが受け入れられ、滋賀の歴史的な梵鐘が残されることになったという。
 日名子しはその後応召されたが、無事帰還されのちに滋賀県・奈良県を経て、文化財保護課に転任、最後は文化庁文化財部建造物課長で退官された。我が国の文化財建造物保護の仕組みを作り上げられた人だったのである。
 このようの人が滋賀にいたおかげで助かった梵鐘が多かったのだが、こんな人のいなかった府県ではどうなっていたのだろうか。
 実際回収された金属は、武器その他に使えるようなものではなかったらしい。物ではなく精神の高揚をはかる目的であった。