品名異聞14−色分け花図鑑の部⑾

 この項で「花図鑑の部」はおしまいにしたい。出版から10年も経って今ごろと言われるかもしれないが、これを書くにはそれだけの時間が必要であった。いまやっと宿題が果たせたような気分である。
 しかし由来を探索する旅は楽しいものである、推理の面白さと言ってもいいかもしれない。大学で歴史を学んだことが、年を経てその経験が蘇ったのである。歴史を学ぶとは、人の説をなぞるのではなく、常に「なんで」と問いかけることにある。そして四方八方から眺め渡す。解はなくともその方法そのものが自分を活かす道となる。「六経皆史」の志が社会に生かされたいものである、特に政治の世界で。


[花孔雀]…「手中の玉」は田村景福氏が作出されたものである。それを「花容にあう花孔雀の名で認定する」とある。田村氏の命名した品種名を、彼の意向を忖度せず、後の人間がかってに改名することは許されるものだろうか。しかも特段の不都合もないので、すでに「手中の玉」として広く流通しているにおいておや。
 東京のさくらそう会には改名の権限などないのだが。

[誰ガ袖]…「緻密でゆったりした絹地のような感覚から、この名前がうまれたのではないか」と。
 「誰ガ袖」と言えば古今集の「色よりも香こそあはれとおもほゆれ誰が袖触れし宿の梅ぞも」で、香りが主題となっている。そのため「誰ガ袖」といえば袖の形を模した「匂袋」が思い起こされるようである。また小袖を衣桁に掛けた「誰が袖図屏風」もよく知られている。

[桃源境]…「弁質の厚い古典的な優秀花」と書かれる。
 私の目には、この品種は近代的な重厚な花容と見える。どこが「古典的」なのであろうか。理解不能。
 中村長次郎氏が最も自信をもって世に出されたもの。

[砧]…「名称は花容から砧の形を連想したもの」と。
 いったい砧の何を連想したのであろうか。これも理解不能。
 言葉のニュアンスを利用しただけとおもうのだが。

[芙蓉の峰]…「最も古い記録に名前があるが、現在から見ると目立たない」と。
 ふるい記録とは『桜草作伝法』のこと。ここに載る品種は育種の段階の低い古典的な花容のものが中心なので、これらに対して「目立たない」と言ってみても始まらない。さぞ「芙蓉の峰」もそんなことを言われて困惑していることだろう。