日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2008年06月

桜草栽培史17 江戸での桜草栽培の状況について

 江戸の地での桜草の栽培が、享保時代より大きく展開し実生も始まっているとする説が流

布している。しかし資料を厳密に点検してみると少し違う姿が見えてくる。

 まず桜草の基本文献である『桜草作伝法』は天保時代に記されたもので、その歴史記述は

伝聞に基ずく二次資料である事を押さえておかねばならない。

 まず“人々桜草を翫ぶ事は享保の頃より見出し翫ひ候事にして”とある。これは享保頃から

桜草が楽しまれるようになったといっているのであるが、ここで作伝法の著者は荒川流域に

桜草群落があるということを知っているので、“追々江戸へ取出し詠めし事と思はれ候”と、

だんだん群生地から江戸に持ってきて楽しんだらしいと推量している。

 この内容だけから直ちに享保時代にすでに群生地が形成されていたとするのは早計にすぎ

る。それはこれを裏付ける一次資料が今のところ見つかっていないからである。もし群生地

が出来ていれば、それは目立つ、日記その他の文献に記載されていてしかあるべきであろ

う。しかも群生地というのは自然にできるものではなく、火入れなどの人為的攪乱によって

出来たと考えられるので、人の目につき易いはずなのだが。

 いま知りうる最も早い記録は、

    柳沢信鴻の『宴遊日記』 安永10年3月7日条(1781)である。

     土堤の下は野新田に続きたる広野、桜草所々に開き、ノウルシやつぼくさがあ 

    たり一面にあった

          (日本庶民文化史料集成13巻ーHP野新田の桜草より引用)

 この前後から一気に記録が出てくる。鈴木春信の浮世絵の桜草、二代目富本豊前太夫の七

本桜草の紋所、喜遊笑覧の「安永七・八年(1778・9)さくら草 形のめづらしきがはやり

 権家贈りものとす。数百種に及ぶ」の記事などなど。

 このように江戸の桜草は18世紀後半から大きく展開するとするのが妥当な線であろう、新

しい資料が見つかれば話は別であるが。

 ところで。享保時代に楽しまれた桜草については、幸いに『地錦抄附録』(1733刊)に名

と絵が載せられてある。この書には普通にある花木というより珍しい種類を集めたもののよ

うである。桜草では自生種の桜草はなく、濃紫桜草、紅軸桜草、藤伊羅桜草、源氏桜草など

が記載される。これらの桜草はどんな桜草なのか。◯◯桜草という表記になっている。これ

を『地錦抄附録』の他の項で見てみると、百合には、はまゆり、扇子ゆり、あやめには、さ

きわけあやめ、鷹羽あやめ、とあるが、一方で松本せんのうけでは、稲妻、鷺宿、初絞、ま

た楓では、漣波、初花、道しるべなどとなっている。『地錦抄附録』では二通りの命名法が

使われている事がわかる。一つは種類の名前、もう一方は品種の名前である。桜草では、種

類名となっている。自然実生で出来ていた変り花に名を付けただけで、育種の結果の品種で

はなさそうなのである。

 結局、実蒔による新品種は『桜草作伝法』にある「南京小桜」が最初ということになる。

 このあと連が結成されて、新花の作出が競われる事になるのである。




 

長命寺紫陽花コンサート

 毎年この季節に、西国三十一番の札所である近江八幡の長命寺で、観光協会と長命寺主催

のコンサートが開かれる。

    『第15回長命寺紫陽花コンサート』

 すでに15回にもなるのだが、八幡在住でありながら一度もいったことがなかった。なか

なかに長命寺は遠い。

 今回は胡弓の木場大輔さんが来るというので、思い腰があがった。

 木場さんの演奏を聴くのはこれで2度目である。昨年の晩秋、「原一男・木場大輔門弟の

会」が大阪城東区であり、幸いにもそこにお邪魔することが出来て、胡弓の音色にどっぷり

浸ったことであった。 

 雨がポツポツ来ているなか、室内での演奏を予想して早めに出かける。JRの駅からバスで

長命寺へ。そこからはシャトルバスも用意されていたが、歩いて階段を昇る。808段あると

いうが、会場までは700段と少しであった(しんどい急な石段なので数えて登る)。

40分前につくと、リハーサル中だったが、すでにかなりの人がつめかけていた。幸い一番前

に陣取ることが出来た。

  出演者   木場大輔……胡弓

        麻植美弥子…箏、十七弦、三弦

        中川登志子…フルート、語り

        岩坂富美子…キーボード、作曲

  プログラム

     戀を奏でる (源氏物語千年を記念したもの)

        黒髪

        儚き花の夢〜夕顔〜  木場大輔作曲

        桜の精〜若紫〜    岩坂富美子作曲

        明石の月       岩坂富美子作曲

        源氏幻想       岩坂富美子作曲

     あの雲のむこうに      木場大輔作曲

     風の夢〜越中おわら幻想〜  木場大輔編曲

     ジュ・トゥ・ヴ       サティ作曲

     愛のメロディ        岩坂富美子編曲

    そして最後に琵琶湖周航の歌を全員で合唱

 胡弓の音が伸びやかながらちょっと悲しい。「儚き花の夢」は独奏でおもしろかった。合

奏になると、胡弓もヴァイオリン的に使われるのであろうか。

 十七弦は重厚な音。

 5時半に終わる予定が20分も伸びた。特急で階段を下りたことであった。 
             

桜草の実生記録1

 今年も何点か実生新花をいただいた。それぞれに今までにないと思しき花容で、特に宮崎

三千男氏の4倍体品種には心動かされた。これらに刺激されて、今年こそ失敗しないように

と気を引き締めて実生に取りかかる。

 そして28日やっと遅ればせながら種蒔きを終える。

 [実生の手順]

 ◯種子採…自然に実ったもののなかから、思いをかなえてくれそうな親木を選んで種を採

      る。そして実際の種蒔きの段階でさらに取捨をする。

  今年蒔いたのは都合20数品種
 
   ・三保の古事、紫鑼、国の光、錦鶏鳥、糸の綾、楊貴妃、花の司、秋茜、

   ・私の実生花…豊旗雲、桃園蜃気楼、流れ星、雪野山、白鈴など

   ・実生親として残してあったものから数種類

 ◯種子の整理…種子を採る時に混じる異物ー胎座や子房外皮ーを取り除く。

 ◯ジベレリン溶液浸漬…300ppmの濃度というのだが目分量で溶液を作る。容器にはアル

     ミケース(弁当のおかず入れに使うもの)を使うのが便利。底に品種名を書い

     ておく。1昼夜おいておくが、別に2日にわたってもかまわない。

 ◯用土と箱

  種蒔き用土はサカタのスーパーミックスAを使っている。種子が小さいので細かな土の

     ほうがいい。少ししか蒔かない場合はジフィーセブンでもいい。

  箱には、種子の多いものには育苗箱を、普通はお弁当に使う透明のフードパックが便

     利。底に錐で穴をあけて用土を詰めて水をかけておく。

 ◯種蒔き…濡れている種子は蒔きづらいので、トイレットペーパーで水気を取る。それを

     U字に曲げた滑りのよい葉書の上にとり、用土に振り落とす。厚蒔きにならない

     よう、種子の量とはこの大きさを考慮する。

 ◯置き場…水をかけてのち、直射日光の当らない明るい場所に置く。

滋賀県立琵琶湖文化館ー打出のコヅチ

 県立の文化館が休館して3ヶ月になろうとしている。学校を休校になどすればえらいいこ

とになるのに、博物館を休館にしても何も起こらない。それぐらいのものなのであろうか。

このまま行けば、これが何年先、何十年先の滋賀県民の文化程度にじわっと影響するであろ

うと確信する。

 財政問題というよりも、建物の耐震性を盾に取って休館に追い込んでしまったが、どっこ

い文化館は生きている。4月以降どうなっているのかと、HPを覗いてみると、文化財の保存

管理、研究、教育広報活動は行われているのである。そして新しい活動もはじまった。

 滋賀の文化財講座『打ち出のコヅチ』が振り出された。 

 早速に申し込む。たださきの特別鑑賞講座は土曜日であったのが、水曜の平日になってし

まった。私のような閑なじいさんしか行けないのが惜しい。

 第一回 『滋賀県の博物館史と琵琶湖文化館』 6月25日

              学芸員 井上ひろ美

 休館に当って纏められた『琵琶湖文化館のあゆみ』ー滋賀県博物館史事始めーをもとに話

される。

 [1、滋賀の博物館事情]

  インターネットの検索が著しく増加しているとのこと。

    「滋賀・博物館」で3000万件も

  滋賀博物館協議会加盟官は現在87館

 [2、ホンモノ!?「博物館」]

 博物館の定義…美術館も、資料館も、個人展示館(美空ひばり館)も博物館。

 登録博物館…県教委の審査を受けた館…滋賀では16館(全国では800余)

 [3、近代以降の滋賀の博物館ー琵琶湖文化館建設以前]

 滋賀県立産業文化館

 布施美術館(木之本町)…現存

 [4、滋賀県立文化館]

 勧告承認出品館(全国でたった16館)※国立は別

 公開承認施設

 登録博物館

   3つもの肩書きを持つ博物館はそうざらにはなく、誇りに思うべきなのに……

 [5、博物館の現状]

 指定管理者制度が広まっているなか、その功罪も明らかになりつつあるという。博物館の

運営していく上で、短期的・直接的効果を期待しても無理なのである。文化財というのは、

長い長い年月を経て人類の財産となった。これからもそれを維持していこうとすれば、それ

なりの長期戦略が必要となる。そのときの組織の有り様は………


 出席者はじいさんばあさんばかりであった。自分もその一員なのだが、こんな私に何が出

来るのか、もどかしい気持ちが募る。                   (6.25)

奈良県立美術館ー仏教・神道版画

 仏教といえば、お寺・仏像・仏画・経典とくるが、これらは外国から齎された最高級の文

化で、目も眩むような高価なものであったろう。

 そのような仏教も庶民にまで普及するにつれ、仏さんも版画によって容易く手に入って家

で拝めるようになる。それが大きく進むのは江戸時代である。

 今回の展示はその仏教版画の特集である。

     特別展示 庶民の祈り 志水文庫

         『江戸時代の仏教・神道版画』

 地味な展示にしては、そこそこ入場料を取るなあと思っていたら、立派な出品目録を頂け

た。学術的な展示であるだけにこれは有難い。

 仏像の版画はすでに唐代には出現していたようである。また京都の清涼寺の釈迦如来立像

の胎内にも宋代の版画が納められていた。版画・印刷は仏教とともに発達したといっても言

い過ぎではない。


 [印仏・摺仏]

 極初期の版画は小さな仏が主で、それを拝むというよりも、呪苻として使われていたよう

である。また判子のように捺して使ったもの(印仏)が多い。


 [大型の仏教版画]

 鎌倉期に入ると大きな版画が作られるようになる。ここで崇拝の対象としの仏像版画とな

るのであろう。


 [曼荼羅・変相]

 「両界曼荼羅 双幅」(1661)…こんなものまで版画になっている。細かい図柄をよく彫

     ったものである(約70×60センチ)。

 [阿弥陀浄土信仰 六道図・十界図]

 「当麻曼荼羅」…中央に阿弥陀の極楽浄土を、下辺に九品来迎図など、これも細かい図様

     となっている。全く同じといって内容で、大きさの違うものが展示されている。

     需要が大きかったのであろう。

 仏教書がたくさん展示されている。江戸時代の出版の大きな部分を仏教書が占めている。

 「二河白道図」…阿弥陀信仰とともに広まった二河白道を絵にしたもの。

 「五趣生死輪図」…五趣(地獄・畜生・餓鬼・人・天)、その外に十に因縁などを描いた

     もの。長くこの図様は描かれることはなかったが、天保三年にこれで復活したと

     いう。

 『往生要集』の幾つもの版本が出ている。


 [仏伝図 誕生図・涅槃図]

 仏教にとって釈迦の死・涅槃は大きな出来事であって、たくさん版行されている。


 [釈迦涅槃図の図様の摂取]

 釈迦のかわりに、高僧や有名人を描いたものがつくられた。法然・日蓮など。

 「恵齋略画芭蕉翁臨滅度之図」…鍬形恵斎の描いたものをもとに版行されたもの。

 「璃寛像黄泉発足」…上方で活躍した嵐璃寛の追善絵。

 「四代中村歌右衛門追善絵」 

 その他西郷隆盛のものまである。


 [様々な尊像]

 [各地の仏像・仏画]

 [祖師像・高僧絵伝]

 「法然上人絵伝」がある。縦軸形式で、九段に区切って、絵と詞を交互に入れる。これに

ついては、大津市立博物館で行われた『楳亭・金谷展』で、金谷作として同様の版画濃彩色

の四幅が出ていた。同じものであるらしい。


 [神仏習合 修験道の画像 神道の画像]

 [講の行事の本尊]

 [江戸時代の版木の新摺]


 美術とまでは言い難いが、歴史的に価値の高いものを拝見できた。盛りだくさんの内容で

学術研究発表といったところ。                    (6.24)


奈良国立博物館ー平常展示

 [特集展示ー繍仏と染織の美]

 繍仏とは刺繍で仏を描いたもの。かなり早い頃より作られたらしいが、繊維製品の保存は

難しく、鎌倉時代ぐらいから優品が多く残る。先日京都の細見美術館でも重文「刺繍大日如

来像」が展示されていた。

 「刺繍阿弥陀如来来迎図」2点

 「刺繍種子阿弥陀三尊像」4点

   ※種子とは梵字のこと、像を文字で表す。

 「善導大師像」…字や着衣に毛髪が用いられているとのこと(髪繍)。

 国宝「天寿国繍帳」…何度も拝見しているが、飛鳥時代の断片は形も色もよく残っていて

     美しい。

 「錦幡」

 「刺繍三昧耶幡」…上の錦幡とともに、滋賀の野洲の兵主神社旧蔵のもの。三昧耶幡の繍

     仏はまことに可愛い。これらは明治初の神仏分離で、仏教関係のものが不用とし

     て外に出されたものか。惜しいことをしたものである。

 「錦幡」…滋賀の西明寺蔵。保存状態が極めて良く、少し色褪せしているぐらい。


 [浄土絵]

 国宝「六道絵ー衆合地獄巻」聖衆来迎寺…琵琶湖文化館でもこの国宝が展示されたことが

     ある。


 国宝「一遍聖絵ー第五巻」…ここでは下野小野で俄雨に遭う“ふればねれ ぬるればかわく

     袖のうえを あめとていとふ 人ぞはかなき”の場面。何人かの弟子が傘をさして

     いる。この時代に傘などかなりな高級品であったであろう。一遍さんの遊行には

     たくさんのお布施があったのであろうか。第三段では、奥州江差で祖父河野道信

     の墳墓を訪ねるの図。小さな円墳を拝んでいる。これは現存するという。

  ※文庫の『一遍聖絵』を繰返し読んでいるが、鎌倉時代に書かれたものとしてはまこと

   に読み易い。

 国宝「十二天ー地天」…西大寺の宝物だが、京都国立博物館・奈良国立博物館に寄託され

     ているのでよくお目にかかる。この地天も剥落が激しいが、よくよく見ると優し

     く素直な顔立ちが浮かんでくる。

 その他経巻など多数展示されているが、よく判らないので省略。

 本館の仏様をいつものように駆け足で拝見。ここでも大阪のお寺の仏像が寄託されている

のがある。大阪府には府内の文化財を展示する本格的な博物館がないから、他県に流れてい

っている。昔から大阪府は文化行政の貧しいところであったが、新しい知事となってもさら

に貧窮状態になろうとしているのは悲しいことである。           (6.24)



奈良国立博物館ー法隆寺金堂展

 法隆寺金堂内の須弥壇の改修を機に、金堂にある宝物が展観される。

     『国宝 法隆寺金堂展』

 本尊の釈迦三尊と薬師如来はお越しにならない。それ以外の九体がこられる(うち二体は

入れ替わり)。

 今回の話題は何といっても四天王像が揃ってお出ましになることである(ただし七月一日

よりなので、もう一度こなければならない)。金堂の諸像については、はるかな昔、遠足で

法隆寺に来た時に出会っているのだが、もう記憶の外である。

 「多聞天像」…しばらく前に、本館の平常展示で拝見している。右手に宝塔、左手に戟を

     持つ。左右対称の均整のとれた造形。衣服の彫は鋭敏・明確。目のつり上がった

     厳しい顔つきは、「救世観音」に通ずるか。本体は千数百年を経てもしっかりし

     ているが、細工をした宝冠は半分欠けている。光背の裏に文字が記されてある、“

     薬師徳◯上◯ 鉄而◯古二人作也”と。邪鬼は跪き、臂をつけて手を挙げ、何かを

     ささげる形。多聞天では牙2本が上向きに出る。

 「広目天像」…手に経巻と筆を持つ。姿形は多聞天とほとんど同じ。邪鬼は、上の歯を見

     せ、牙は下向き。

 「毘沙門天像」「吉祥天像」…ともに国宝で、優れた彫像で保存状態も極めていいが、四

     天王と比べると、見劣りしてしまう(六月いっぱい展示)。

 復元された金堂壁画が並ぶ。名だたる日本画家が参加して、コロタイプ印刷の上に彩色さ

れたもの。画面が大きいので見応え十分。描かれた当初の荘厳さはいかばかりかと想像され

る。私が気に入ったのは、「十一面観音菩薩像」「半跏菩薩像」「勢至菩薩像」「薬師浄土

図」そして「阿弥陀浄土図」。阿弥陀の脇侍の観音菩薩は最も優美な顔立ちで、かって切手

の絵柄にも取り上げられたものである。

 その他「天蓋」「釈迦三尊台座」などなど。

 法隆寺金堂展といっても、出展数は意外と少ないので、展示は東新館のみ。


   特別陳列『建築を表現する』

      ー弥生時代から平安時代までー

 「線刻土器」…家屋が線刻されている。

 「家形環頭」…太刀の柄頭に、竪穴式住居が装飾されている。

 「家形文鏡」 

 「家形埴輪」

 「家形陶棺」

 国宝「銅板法華説相図」…三重塔が押し出し作りに。奈良長谷寺の宝物で、牡丹の頃お寺

     で拝見した。

 「宝塔形経筒」 

 「瓦塔」…2メートル近い焼物製。組み立て式。よく壊れずに伝わったものである。

 国宝「信貴山縁起絵巻」…飛倉の巻が展示される。当時の校倉作りの建物が忠実に描写さ

     れている。人々の表情も生き生きしている。

 「法華経宝塔曼荼羅」…紺地に金字で、五重塔の形に書かれる。

 なかなかに面白い企画であった。

姫路市書写の里ー棟方志功と民藝

 せっかく姫路まで来たので、他に寄るところはと思案していると、書写の里で志功展をや

っていた。これ幸いとバスに乗る。

     特別展示 『棟方志功と民藝』

 [第一会場]

 「御七媛図屏風六曲一双」…こだわりのない線描きの淡彩。こんな大きなものは板画では

     難しかろうが、やはり志功とくれば板画にしくはない。

 今回の展覧では地元を中心とした収集家・愛好家の出展によっている。そのためか小品や

書物の類が多い。「心経」柵巻」「大原寿恵子歌集抄」などが並ぶ。


 [第二会場]

 床の間に「大生」の軸が掛る。

 「豊旗山部落図 十四年冬好日志向」…豊旗山の名前に目がいった。私の所から出た日本

     桜草の品種に「豊旗雲」がある。豊旗山の豊旗はどこからとられたのか、気にな

     るところ。ちなみに「豊旗雲」は万葉集からとる。

 「不動尊図」「赤不動」があるが、感心しない。


 [第三会場]

 「釈迦十大弟子、文殊・普賢菩薩像」…棟方志功の代表作をここで見ることが出来る。

 「夢應鯉魚板画柵」…上田秋成『雨月物語』の一編「夢應の鯉魚」を板画にしたもの。

 「薔薇妃の柵」…この会場で最も美しく華やかな女人像。裏彩色されている。

 極初期の雑誌『版芸術』が出ている。棟方志功といえど初期のものは普通である。


 [第四会場]

 民藝運動を荷なった人々の作品が集められてある。

 芹沢圭介の作品が半ばをしめる。全て型絵染

  「十三妹挿絵集」…武田泰淳の『中国忍者伝十三妹』の挿絵。なかなかに異国情緒たっ

     ぷり。橋本関雪の「木蘭詩」を思い起こす。

  「燐票集」…“八雲”という店のものが大半で、一部“割烹御代川赤坂”のもの。

  「裸婦十二選」…8×8センチの小さなもの。

  「絵本どんきほうて」…戦国時代に翻案されたものか。

  「染暦」…華やぎがあって楽しい。しかし型絵染では高くつくだろう。

  『工芸』誌の表紙、書物の装幀が並んでいる。柳宗悦の『美と工芸』『蒐集物語』寿岳

     文章の『日本の紙』その他たくさん。額絵も多い。

 その他、河井寛次郎、富本憲吉、濱田庄司、島岡達三がある。


 この地域で収集されている美術品をこの地の人が鑑賞するにふさわしい場所・物でちょっ

と楽しめる。しかしわざわざ遠くから見に来るのはしんどい。       (6.21)

姫路市立美術館ーモディリアーニ展

 モディリアーニとなれば行かざるを得ない。私の住まいするところから姫路まではJRの新

快速でも2時間はかかる。ぐるっとパスを利用して出かける。

 モディリアーニ展といえば昨年、大丸ミュージアム梅田で「モディリアー二とジャンヌの

物語展」があったところ(『日本桜草』9月1日参照)。


      『アメデオ・モディリアーニ展』


 [初期の作品]

 「ユダヤの女」…顔に白色が点ぜられるが、全体は青暗い雰囲気が漂う。

 「若い女の胸像」…横に広がる帽子?の下のひねくれたような目つき。

 「青いブラウスの婦人像」

 これら三点は、ピカソの青の時代と共通するものがあるようである。2人は交流があり、

時代を共有したのだ。

 水彩の2点、彼もピカソと同様デッサン力が高い。

 「ポール・アレクサンドル博士の肖像」…彼の最初のパトロンであった人物。全体が暗い

     なか、顔だけにスポットが当たっている。

 「ベアトリス・ヘスティングス」…彼としばらく同棲していた才女。意思の強そうな顔立

     ちに。

   ※素材をキャンバスと書いてあるが、描き残しのところには緑に白い模様のある紙が

    見られる。これはどうしたことなのか。

 「可愛いルイーズ」…表題通り明るい絵に変化していくところ。


 [カリアティードの時代]

   ※カリアティードとは、バルコニーなどを支える女性柱

 デッサンが14点ばかり。彫刻家ブランクーシの影響を受けてか、一時彫刻にはまる。女性

の卵形の顔が多い。今回は写真のみ。


 [モディリアーニの描く裸婦]

 初期からの変化を写真で示してある。次第に豊満・官能的に。写真では「坐る裸婦(コー

トルードインスティテュート1916)」が、目を閉じて安らかな表情・肉体で、よい。


 [モディリアーニのヌード]

 「肌着を持って坐る裸婦」…右隅に塗り残し。

 「髪をほどいて横たわる裸婦」…大阪市立近代美術館設立準備室の至宝。怪しく強い目で

     こちらを射すくめる。ただ他と比べると、平面的な描き方になっている。

 「横たわる裸婦」…ニューヨーク近代美術館。まことに肌色の美しさが際立つ。まわりは

     大雑把だけに、裸体を浮かび上がらせる。

 「手を組んで坐る裸婦」…明るい肌色で、やはり背景は雑。


 [様式の完成]

 「青い瞳」…ジャンヌの肖像のなかでも最上のもの。背景の青灰色と相俟って、しっとり

     と落着いた姿。

 「ジャンヌの肖像」…2人目を身籠っている姿か。ジャンヌを描く時、あまり写生にはこ

     だわっていないようである。どれも卵形の顔にしてしまっている。


 [最晩年]

 「「レオポルド・ジュルヴァージン」…しっとりと落着き、きちんと仕上げてある。

 「おさげ髪の少女」…代表作として良く知られている作品。

 「召使いの少女」…最大の作品。これも丁寧に仕上げてある。

 「ズボロフスキー夫人」…未完成のようだが、気になる一品。

 その他、「小さな農夫」「ある男」「赤毛の少年」「母と子」など。
 

 今までに見たもの、初めて見るもの取り混ぜて楽しめた。ただ出展数が少なかったのが残

念である。その他の作品。

 それにしてもこんな世界中から作品を集めるなど、誰がお膳立てするのであろうか。専門

の業者でもあるのだろうか。
 しばらくすると、国立国際美術館でも「モディリアーニ展」がある。こちらはどうであろうか。

泉屋博古館ー能の彩

 泉屋博古館には何度も足を運んでいるが、世界に誇る青銅器コレクションはいつもと変

わりないので通り過ぎる。

 ここには青銅器以外のコレクションにどんなものがあるのかわたしには不明であるが、通

い出してから、展示室5で同じものが展示されていたことはない。よほど豊富なのであろ

う、東京分館を作るくらいだから。これに比べ細見美術館など、別に悪いわけではないが、

同じものを何度も見ている。

 今回の展示は

   『能の彩』 ー面と装束ー

である。

 [能面]

 十七面が出ている。表だけでなく、裏も写真でだがまとめて展示されている。

 女面が揃っている。

   小面…若い女の面、下膨れの愛らしさ。

   節木増…これも若い女面だが、小面より歳は上。

   班女…細面で、目もとはっきり、頬が引き締まる。

   萬媚…目もとはっきり、豊満な感じ。

   曲見…中年女性。

   泥眼…眼に金が入る。尋常ならざる人物に。

 これらの面は実用的な江戸期のものが中心である。「般若」「童子」は桃山期のもの。

     ※「野干」の字が「野于」として表記されていたのは惜しまれる。

 装束は十二領…狩衣、法被、厚板、唐織、縫箔など豪華絢爛。

 大概の装束は模様が全体に散らばっていたり、段変りであったりするのだが、

 「紅地時鳥薬玉模様縫箔」は両袖に一羽づつの時鳥と裾に薬玉を配している。小袖の絵柄

のようである。

 その他、中啓、腰帯、葛帯、胴着、付け襟、能官、小鼓、大鼓、面袋と実際に能を演ずる

一式が揃えて展示されている。彦根城博物館は彦根藩の式楽として実際に行われたものが保

存されている。ここ住友家でも、当主が能を学び、舞台を主催したのであろうか。三井家に

も能関係の資料が残されているところからすると、明治に入って莫大な資産を形成したお家

では、能が流行したのかもしれない。 

 一つ気になるのは、能とくれば狂言がつきものなのだが、それの展示を見たことがない、

何故か。                               (6.18)

 いつものように美しく展示されていた。


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