日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2009年01月

 芦屋市立美術博物館ー近世大坂文人画の世界

 ここは私にとって注目度の高い美術博物館である。私の好きな菅楯彦を取り上げてくれ

たこともあり、また具体美術協会の作品中心のコレクション展もよかった。

 今美術館経営に逆風の吹く中でも、美術館がやらねばならない仕事をしっかり踏まえた

企画を続けられていることに頭が下がる。しかしこのような地味な展覧会をいつまで続け

られるだろうか。

    『近世大坂文人画の世界』 

       〜関西大学コレクションを中心に〜

 文人画と言えば池大雅や与謝蕪村が大きな星として輝いているが、それ以外にも町人文

化の広がりと厚みの中で、彼らに続く多くの文人(画家)がいたのである。滋賀ではこの

ところ紀楳亭や横井金谷が取り上げられ、また頴川美術館でも中林竹洞や山本梅逸展が

あったところ。

 今回は浪速の町人学者でもあった木村蒹葭堂の人脈をたどった文人の系譜である。たく

さん登場する文人の多くを私は知らない。近世大坂に展開した文人の世界がどんなもので

あったのか分らないからである。

 ここに展示される作品の質は、突出したものはないが、かなりなものであろうとおも

う。しかし文人が描いたものであって、専門の画家のものではない。と言ってお遊びのも

のでもない。それは文人の世界観を体現するもので、その世界を共有する人々の間での高

度な楽しみであったのであろう。

 今そのような文人はいない。これらの絵を支える土台がなくなってしまっている。その

上でなおこれらの作品は歴史を超えた存在であり続けることが出来るであろうか。

 取り敢えずその存在自体を再確認する試みを高く評価しよう。

 展示室に入る正面のケースに煎茶の道具がある。近世後期の文人の間では、茶の湯より

煎茶が重んぜられていたらしい。

 「白泥二重崑爐」…初代清水六兵衛作で、木村蒹葭堂が〈潤松清吹 青空白雲〉と自刻

 「爐扇」…田能村竹田所用〈松風梧月〉と書かれてある。

 「急須」…上田秋成作、池大雅が〈無名〉と自刻。

 扇面たくさん掲げられてある。頼山陽、池玉瀾、祇園南海、浦上春琴の他は知らない人

の作ばかり。

 今宮大室「盃流之図」…パンフレットに使われている鮮やかな彩色画。

 木村蒹葭堂の作がいくつも出ている。

     「花蝶之図」…沈南蘋派を学んだものという。鮮やかで上品。

 その他、岡田米山人、岡田半江、少林、小倉東渓、葛蛇玉、僧鶴亭、福原五岳、増山接

雪斎、十時梅崖……

 「貼交屏風」がある。文人の交流の証しとしてたくさん作られたらしい。

    上田秋成の〈かぐ山のをのへに立って見渡せは 大和国はら早苗とるなり〉

    浦上玉堂の 吾有玉堂清韻琴 祇園祠前奉獻音

          士弦静鼓夜将半 三社燈光和月瀟


 まことに高い意義はあるものの、地味な展示であるが故に観覧者も少ない。展示替えが

あるので、出来ればもう一度行けたらとおもう。
 

品種による栽培の難易

 「草花好きのひとりごと」というブログの‘桜草の品種による育て易さの違い’という記

事に触発されて、私も同じ主題で考えてみた。

 桜草は現在どのぐらいの品種数が栽培されているのか分らない。東京の認定品種の倍は

軽く越えるであろう。

 そのなかで野生の選抜種はさすがに強健でよく増える。それは厳しい自然条件の中で生

き抜いて来た逞しさによるものであろう。

 その野生種から出たいわゆる品種物は、主に花の良さや変化性に選抜の規準が置かれて

改良されて来た。かっては、元気に育つ実生苗には凡花しか咲かない、弱々しいものにこ

そよい花が咲くと言い伝えられてきた。そのためもあって、野生種ほどに強い品種は無い

と言ってよい。

 ただ品種物と言っても千差万別で、多様な性質を持っている、作りよいものもあれば、

難しいものもある。「大和神風」は後者の最たるもので、私の長い栽培歴の中でも、4本

揃えで咲かせることが出来たのはたった2回、何年作っていてもうまく出来ない。本来な

らこんな品種はダメなのだが、咲いた時の見事さに魅かれて挑戦し続けている。ひょっと

して今年はうまくいくかもしれないと。

 また桜草を栽培する人にとって、それぞれの栽培場の条件や栽培方法も違う。ある人の

ところでうまくいかない品種が、他の人のところではよく出来るとということがよくあ

る。

 桜草は実生改良の手が入ってからたかだか200年ほどしか経っていない。人工的に生み

出したものを、人工的な鉢という限られた空間で、人間の管理下で育てるのだが、なお制

御しきれていないところが多いのであろう。栽培法が十分に確立されていないのである。

取扱の微妙な違いによって結果が大きく違ってくる。

 私の実生選抜では、丈夫で作り易いことを第一にしている。たとえ花がよくても、作り

にくい品種はその花がなかなか見られないので、作っていても面白くない。誰が作っても

うまくいくものが望まれる。そのために芽生えや植替えの段階で、弱々しい苗は捨てる。

強健な上に個性的な花が咲く、これが目標である。

 そして何とか誰もがうまくいく栽培法を見つけ出したいものである。

西宮市大谷記念美術館ー日本画の精華

 西宮市大谷記念美術館館蔵の近代日本画の名品を見せる試み。

 [日本画の精華]

 橋本関雪「僊女」…天平美人に白鹿二尾。かなり若い頃の作品であろう。額装。

     「後赤壁図」六曲一双…漢詩に題をとったもの。松伯美術館で「橋本関雪展」

          があるが、そこに出展されている「琵琶行」と一連のもの。水平を

          基調にした波が面白い。

 福田眉山「興隆灘図」六曲一双…眉山との出会いはあまりない。

       左隻 濁流に翻弄される小舟

       右隻 大勢が曳舟している

 富岡鉄齋「竹石蘭芝図」「迦哩迦尊者」衝立…金地に水墨と彩色。艶やか。

     「山水図」2曲一双…これも金地に水墨。力強くしかもしなやか。72歳の

               作。

 [日本画の形]

 山元春挙「溪山密雪図」…杉の大木に吹雪。

 竹内栖鳳「江南雨来」…晩年の破墨山水。筆使いの妙。

 鈴木松年「春溪閑棹」

 川合玉堂の軸が8点。明るく爽やかな風景画。「秋晴」「乗鞍」「奔湍」

          「蓬莱銀色」等……

 菱田春草「秋林遊鹿」…「落葉」「黒き猫」と一連の色調。

 横山大観「春秋山水」…線が無い分平面的で総花的。

     「若葉」…緑の変奏。同じようなものをたくさん描いているようである。

 橋本雅邦「夏流牧童図」


 [額装]

 北野恒富「春餘」…美しい舞妓さん。同じ美人画でもこれは少し個性が入ってよし。

 山下摩起「椿」「婦女図」「釈迦如来図」…油絵のような日本画で個性的。

 下村良之介「闘鶏ー点」…この一点だけでは彼の良さは分らない。「下村良之介展」は

     よかった。

 石川晴彦「母の像」…日本画による細密画。

 富田渓仙「波に千鳥」、横山大観「大和心」、前田青邨「薔薇」、山口蓬春「瓶花」

 小倉遊亀「赤絵鉢」、伊東深水、杉山寧「鴨」


 木島桜谷「新鵑」、河野秋邨「霊峰霧島」、堂本印象「山雨乍晴」、

 児玉希望「泉声鳥語」、山元春挙「黄初平図」、上村松園「秋の装」、伊東深水、

 西村五雲「冬暖」、川端龍子「梨花」、前田青邨「牡丹」、榊原紫峰「桃小禽図」、

 奥村土牛「初夏」、福田平八郎「紅葉」「竹」、浜田観「白木蓮」、

 杉山寧「雉山百合図」



 名品揃いで楽しめた。このようにアラカルトで各画家の良い作を見るのもよいものであ 
る。


培養土の調合続く

 久しぶりに天候が安定していたので、培養土作りに精を出す。

微塵を抜いた古土に、バーク堆肥・黒曜石パーライト・燻炭、それに少しの骨粉入り油かすを

混ぜる。混ぜるだけなのではかどる。

 都合、土嚢袋を26ヶ分作ることが出来た。これで40数袋、あと10は作りたいのだが、もう

古土は品切れ。これからは全部新しい素材での調合となる。

 培養土が出来ると植えたくなるのだが、ここは我慢。植たての柔らかい土だと、雨や雪で湿

って朝の寒さに会うと、霜柱が立つ。それが時に3センチにもなると、せっかく植えた苗が浮き

上がってしまい、それが寒風にさらされると枯れてしまう。また粒状の赤玉土が凍って砕けて

しまう。

腐葉土の質について

 腐葉土は葉の形がなくなり土のようになったものが良いとする記事に出会った。ときに園

芸の本にもそう書いてある。

 畑や庭にはそのような腐葉土を鋤入れることによって、柔らかく根に優しい土壌に改良す

ることが出来る。しかし細かい土は一面で水はけを悪くする。だから庭には高低が付けら

れ、畑では畝が立てられる。

 これと同じことを鉢で行ったらどうなるか。せっかく粒状の赤玉土を使いながら、細かい

腐葉土がその隙間を埋めてしまいかねない。鉢では後から水はけをよくしようと、畝など作

ることは出来ない。

 葉の形が残るものはなお分解が途中で、醗酵に伴う作用が根に悪影響を及ぼしかねないと

説かれる。しかし森や林では腐葉の上に種が落ちて、芽生え、成長する。醗酵に熱が出ると

いうのだが、それは醗酵を促す油かすや米ぬかの仕業で、腐葉だけだとゆっくり腐ってい

き、熱などでない。

 私は腐葉土を使いたいのだが、しっかり形の残った商品に出会うことは少なく、あっても

高価である。そこでバーク堆肥をつかっているのだが、鉋屑や木っ端を醗酵させたものが大

半であるが、土状になったものは無い。

 園芸業者は苗作りや花鉢にピートモスをよく使っている。これはまとまった量を入手し易

く、軽くて取り扱い易いからであろう。ただその粒子は細かく、水持ちはよいけれど、一旦

乾かすと水を吸わない。業者はそれなりの管理が出来るのでこれでもよい。しかし素人が使

いこなすのは容易でないし、何ヶ月も経つと風化して目図まりを引き起こす。

 私は鉢植え用土の第一条件は水はけのよいことであると考えている。鉢底石も使わない簡

便な栽培を心がけているのでなおさらである。土のようになった腐葉土など鉢作りにはどう

考えてもふさわしくない。                        (山原茂)

京都文化博物館ーノリタケデザイン

 ノリタケは日本を代表する陶磁器会社で、現在も盛行している。その製品の来し方を見る

試みである。オールドノリタケについてはその展示を見たことがあるのだが、それを含めて

ノリタケの全容を見せてくれる。

 今回は、いままでの陶磁器展示と違って、一品ものの工芸品.芸術品ではなく、日常の量

産手工業品や工業製品なのである。生活に必要な道具としての陶磁器の歴史である。

    『ノリタケデザイン 100年の歴史』

        〜オールドノリタケからディナーウェアまで〜


 [1、モリムラブラザーズの創業]

 森村市左衛門が銀座で日本製品の海外輸出を目的とする森村組の旗揚げをし、弟である豊

がニューヨークで日の出商会を設立、アメリカでの販売を手掛ける。これがモリムラブラザ

ーズである。

 そのなかで需要の高い陶磁器に注目し、それに特化していく。特にそれまでの輸出品の日

本風のものから、アメリカの嗜好に会わせた絵付けを取り入れた。

 「色絵金盛り花蝶文皿」…花蝶はいいとして、周りを金で囲実、さらに金の粒を貼付けた

     ような装飾を多用してある。成金趣味の最たるものであろうか。

 しかし日本風の落着いた品も見られる。‘玉子茶ぼかし’という渋い色合いは初めて見るも

のである。「色絵すみれ皿」のようにあっさりしたものもある。

 「色絵白盛鴎文花瓶」…波は吹き付け、鴎は銀漿と白点で、なかなかによい。


 [2、オールドノリタケの世界]

 1895年以降、アメリカ流行のデザインが中心となる。アール・ヌーヴォー、ジャポニスム

が後押しをする。アメリカ人の思う異国情緒‘エジプト風’も取り入れられる。

 様々な絵柄の見本帖が展示されている。輸出するためには相手側の好みをとことん研究し

たようである。

 これまでは、ファンシーウェアと呼ばれる花瓶、茶器セットなどがおもな製品であった。


 [3、ディナーウェアの誕生]

 日常の食器として使われるセットとしてのディナーウェアへの挑戦が始まる。当初25セン

チの皿を歪み無く焼成することは大変難しかったと言われる。それを乗り越えて1914にセッ

トが完成して〈セダン〉として販売される。さらにアメリカのラーキン社の景品として採用

され、セットが万単位で受注された。その〈アゼリア〉文は艶やかでいまでも十分通用する

 一方、より高級品の生産を目指して大倉陶園が創業し、輝く白磁が生まれていく。韓国さ

んのカオリンが使われるという。我家にも大倉のカップ&ソーサーがある。


 [4、ノリタケ・アールデコ]

 1920年代から欧州の流行を受け、イギリス人シリル・レイデザインによるアールデコの食

器が出てくる。ラスター彩〈金属の輝きを持つ〉が主流に。

 たくさんのディナー皿が壁面を飾る。


 [5、テーブルウェアの変遷]

 ノリタケは戦後すぐにアメリカへの輸出を再開する。そのときMADE IN JAPANは使え

ず、MADE IN OCCUPIED JAPANが使われた。ここで思い出す。大阪のUSJが開業して間も

なく、ここに行ったことがある。そこにMADE IN OCCUPIED JAPANと書かれたかカップ

&ソーサーが売られていた。ちょっと食指が動いたが、結構な値段だったので諦めた。いま

から思うと買っておけば……

 ノリタケは輸出中心であったが、国内販売も始める。ちょうど戦後の復興が始まった頃

で、頒布会という形式が当ったのであった。〈若杉〉というデザインのものが出ているが、

どうもかって我家にもあったようである。


 マイセンやロイヤルコペンハーゲンのように最高級品を作っているわけではないけれど、

日常欠くべからざる食器の分野で確固たる地位を持っているノリタケの姿をみることができ

た。現在の有り様も見せてもらいたかった。

清水三年坂美術館ー海野勝民と正阿弥勝義

 三年坂美術館は小物の美術館である。大きな物は無い。日本人の手技を示す細工物に特化

した美術館である。今回は金工の技。色金の美しさ、自在な造形、華やぎの一方でサビ(錆

)の良さ。溜息が出る。

  アール・ヌーヴォーを生んだ日本の装飾美

    『海野勝民と正阿弥勝義』

 日本の金属工芸は仏教とともに入って来た。仏像しかり。毎年の正倉院でも砂張の碗がよ

く出てくる。梵鐘もそうである。

 一方で刀剣が実用から離れて一種の飾りと化すと、様々な細工が鍔・目貫などに施され

る。また煙草の煙管などにも意匠が凝らされる。

 ところが明治の廃刀令で多くの刀工や金属細工師が職を失うことになる。彼らは輸出に活

路を見出し、欧米の要望に応える工芸品を作ることになる。そのなかで、日本の意匠・形に

こだわった金工もいた。彼らの日本的な技巧を凝らした作品は万国博に出品され、大きな注

目をあび、それが彼地でのジャポニズム、アール・ヌーヴォーを生んでいったという。その

代表的な金工が海野勝民と正阿弥勝義である。今回はこの二人に焦点を合わせた特別展であ

る。


 [海野勝民]

 「川蝉図煙草箱」…朧地に金・銀・赤銅・朧銀・素銅などが象嵌され、それをさらに肉

     彫、片身彫がなされている華やかな物。

 「蜻蛉目貫」「蛸と烏賊目貫」「蟹帯留」などまことに小粋。

 花瓶が4対。

 「花鳥図花瓶」…菊の紋章入り。外国人か誰かに下賜された物か。光り輝く。

 「足柄山の金太郎図花瓶」…地味な真鍮地に絵が施されている。


 [正阿弥勝義]

 「柘榴に蝉蓋付飾器」…パンフレットを飾る逸品。柘榴は渋い柿色。そこに大きな蝉・髪

     切虫が乗る。

   ガレ「蝉紋瓶」…半透明のガラスに瑪瑙色のものを挟み、その上に蝉を彫り出してあ

       る。

 「蝶図花瓶」…緋銅に近い素銅の赤色地に黒揚羽、紋白蝶が飛ぶ。

   ガレ「蝶之花瓶」

    →勝義の作品が欧米に渡って、アール・ヌーヴォーに大きな影響を与えたらしいと

     の強い主張。

 「蜻蛉図香合」…表は高彫りの蜻蛉(展示では見れない)、蓋裏は霞象嵌の雲の空、器の

     底は水流に浮かぶ蜻蛉の影。

   ガレ「蜻蛉紋鉢」 

    ※ガレが日本の美術に触れた時の印象「自然の中に潜む命の輝きに魅せられた」と

 「瓢に天道虫花瓶」

 「鯉・鮟鱇対花瓶」…鯉には蓮、鮟鱇には太刀魚、蛤が。渋い銅の色と形が秀抜。

    ※解説の評…〜時に生々しいほどの写実表現、色数の多さ、鉄錆化の美しさ、出群

          と言って良い〜


 [ジム・ケルソー]

 USA在住の金工家で、日本の金工技術を学ぶ。7点が出ている。

 「優しき伝達者」…切株の上に病葉一枚。その葉から羊歯の葉が伸び始めている姿。

 硯屏が3点もある。外国人ながら日本の金工技術の継承者のようである。


 [1階展示室]

 金工、七宝、薩摩などが並ぶ。 

琵琶湖文化館友の会講演会ー正倉院展の舞台裏

 正倉院展はこのところ毎年のように拝観させてもらっている。その実際の話が聞けるとい

う。 私は友の会には入っていないが、誰でも聴講できるということなので、「打出のコヅ

チ」の続きと思って出かける。

   平成21年 琵琶湖文化館友の会

     新年の集い記念講演会

       『正倉院展の舞台裏』

          奈良国立博物館  内藤栄氏(学芸部長補佐・工芸考古室長)

 内藤氏は奈良国博につとめて13年という。正倉院展に係わって驚いたことがあると。その

出展作業は古くからの仕来りによっておこなわれており、器物などを取り扱う際に使う「綿

布団」や「紙こより」を正倉院事務所の衛士の人が作り、また彼らが運搬や展示台作りにま

で関与していたという。今日では「梱包」「運搬」は業者に任すのが普通というのだが。

 ここから博物館の歴史が概観される。明治の当初、文部省が係であったが、すぐに内務省

の管轄に変わる。これは博物の取扱が産業の振興のためと考えられ、内外の博覧会出展を意

図したものであった。正倉院の宝物も奈良博覧会として東大寺大仏殿・回廊を舞台に明治八

年から4回おこなわれている。しかもこれを機に模造品が作られ、それが奈良の工芸産業の

もとになったという(奈良漆器など)。

 明治17年になると正倉院そして博物館が宮内省の管轄に移る。帝国博物館が帝室博物館

に、国の博物館から天皇の博物館になったのである。そのため正倉院の宝物も公開すること

は予定されない。ただ2回特別公開されている。大正14年の「古裂特別展示」と昭和15年

の紀元2600年記念「正倉院御物特別展観」である。後者は日本が戦争にひた走るとき、その

国威発揚をねらってのもであった。展示品140点、24日間、41万人の参加。このとき初めて

正倉院の全貌が明らかにされたという。

 敗戦後、奈良の観光協会が正倉院宝物の展観を要請し、いまに続く奈良博での正倉院展が

始まるのである。このときは占領軍の許可が必要で、進駐軍のために開館前日に特別日がも

うけられた。

 次の年にも行われたが、このとき正倉院は宮内庁の、奈良博は文部省の管轄にわかれるこ

とになり、秋の宮内庁による正倉院の曝涼にあわせ、第一回目を踏襲して運営されるように

なる。正倉院側が選定した宝物を院の担当者が点検し、それを奈良博の学芸員が点検し、両

者によって梱包・運搬・展示がなされる。一度出展したものはその後10年は出さないという

のが不文律となっている。展示台には伝統的に白い布が使われすのが原則である。ただ昨年

の「白瑠璃の碗」は透明なアクリル板の上に置かれ、全方位から見れるように工夫された。

 さてこのように正倉院展の展示業務については古い形が守られ、梱包・運搬なども学芸員

の仕事となっているのだが、これこそが学芸員にとって実物を取り扱え、ときに手に取るこ

とも出来る貴重な機会となっているという。

 正倉院展の開催は、この五月に奈良博に内示があり、それを受ける形で、最終7月ころ天

皇の裁可によって決定するという。

 正倉院の宝物は、国の国民の宝物ではあるが、宮内庁が管理するという建前の中で天皇と

関わり合いを持つ「宝物」として位置づけられている。国が直接関与しないという点で、ど

の宝物も重要文化財・国宝にはなっていない(指定を申請しないため)。


 まことに充実した講演で2時間弱があっと言う間に過ぎてしまった。関心のあることで知

らないことを教えてもらうということは、まことに楽しいことである。またこれだけの内容

を無料で聴講できるのもうれしいことである。

 ※正倉院展60回を記念して『正倉院展60回のあゆみ』と『正倉院宝物に学ぶ』の2冊が発

  行されている。これを土台に話されたのであろう。

会誌43号原稿出稿へ

 次号の会誌原稿の編集整理がついたので、大東印刷社に原稿その他を持って行く。

 内容を紹介しょう。

    表紙………紅葉川……竹岡泰通作出新花

    増土は必要か………………………山原 茂

    享保時代の桜草栽培の実態は……山原 茂

    桜草の歴史・こぼれ話……………竹岡泰通

      参考資料・聚芳図説

      参考資料・草木奇品雅家見附録

    中村長次郎氏の思い出……………山口 聰

    鳥取県へ「サクラソウ」の自生地を訪ねて

                   岡島一允

    裏表紙……浮世絵に見る桜草

         自生地今昔

 山原の記事は、このブログに載せたものを纏めたもので、桜草栽培の通説を見直したもの

 竹岡氏の「桜草の歴史」は資料の掘り起こしで、それこそ資料集のような利用価値の高い

ものである。

 「聚芳図説」は18世紀後半に纏められた園芸書草稿で、230種もの品種が解説付きで挙げ

られてある。影印を付す。

 この会誌は2月15日の総会に間に合うよう印刷発行される予定である。

    ※ 浪華さくらそう会入会へのお誘い

   この会誌は会員にのみ配布されるもので、桜草に思い入れのある方はぜひ会員になっ

   ていただきたい。

美術館「えき」KYOTOー四大浮世絵師展

 浮世絵展にもいろいろある。外国の美術館単位でそのコレクションが日本に里帰りするも

の、特定の絵師にしぼったもの、組物にしぼったものなど多様である。それほどたくさんの

浮世絵が作られて,今私たちが楽しむことが出来るのは幸せである。

 今回は4人の代表的な絵師それぞれの全貌を示すものである。この企画どこかで聞いたこ

とがあると思ったら、平成18年に全国巡回した展覧会が、そのままでまたやって来たのであ

る。私は東大阪市民美術センターで見ているのである。しかし中右コレクションの名物がま

た見ることが出来るのはうれしいことである。

 [写楽]

 写楽の作品を一度にこれほど多数見ることが出来る機会はあまりない。大判の役者絵が11

枚もずらり、そして第二期の全身像もの、第三期の相撲絵まで揃っている。写楽の絵は動き

の一瞬を捉えた表情の面白さとともに、その伸びやかな線(彫師の力量もあるが)も抜きん

出ている。さらに写楽のそっくりさんがある。

 [歌麿]

 「松葉楼装ひ 実を通す風情」…歌麿の美人画は数々あれど、これは最上等のものであろ

う。襦袢の赤い襟が何とも艶かしい。上着の浅葱色とよく調和する。背景に黒雲母が使われ

ている。

 「山姥」の官能美も捨て難い。

 ここには「虫撰」などの自然ものはない。

 [北斎

 春朗時代のものがたくさん集められている。浮絵、銅版画風のものも。おなじみ富嶽三十

六景がある。「凱風快晴」には珍しい青刷り版もある。百物語は5枚揃え。そのなかの「こ

はだ小平二」
では蚊帳縁の赤が美しい。多色摺の良さが際立つ一品。

 [広重]

 初期の役者絵、美人画もたくさん並ぶ。

 「外と内姿八景」が面白い。近江八景に見立てて、郭の生活の諸相を描く。

 東海道五十三次がある。そして花鳥画、江戸名所と続く。

 「木曽路之山川 三枚続き」…雪景色を見事に三枚にまとめてある傑作。

 [肉筆画]

 北斎と広重の肉筆画が数点ずつ。

よく揃った見事なコレクションであることに感心する。何度見て飽きない。休日で足の便も

いいので、混雑している。

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