日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2009年03月

滋賀県立陶芸の森ーやきもの動物パラダイス

 絵画の中では花鳥・動物は主要な主題になっている。陶磁の世界でも染付や五彩の技法

によって絵画のような絵付けがなされるようになった。さらに陶磁は絵画と違い立体でも

表現できる。その代表が信楽の狸である。その狸の里での動物を集めた陶磁展である。

  特別企画『やきもの動物パラダイス』

     世界中から大集合


 [バーナード・リーチ]

 「つばめ扁壷」「飛鳥大皿」「ガレナ釉獅子文皿」「鉄絵巣番図皿」の四点。


 [取り上げられた動物]

 馬、牛、鹿、水牛、犬、鳩……


 [日本の作家]

 沼田一雅「胡砂の旅」

 熊倉順吉デザイン「十二支」

 八木一夫「猫壷」

 河井寛次郎「魚鉢」

 加藤敏雄「縄文の鳥」

 鈴木浩「馬」

 藤平伸「鳥たちの歌」

 今井政之「アンデス讃歌大皿」

 辻勘之「鳥三態」

 落合美也子「猫」など


 [形象土器]

 インド、メキシコ、インドネシア、ペルー、沖縄などの動物を主題とした作品。

 「パプアニューギニアのサゴヤシでんぷん蓄蔵土器」…豚の頭を壷の首につけてある。

     何ともインパクト強し。

 なかなかに楽しい催し。昨年九月から中休みはアルモノの、七ヶ月に及ぶ展示期間はど

うしてか。


 [滋賀のやきもの展]

 滋賀といえば信楽焼なのだが、かって多様な窯が存在した。それらを集めて展示されて

いる。

 信楽は室町の「大壺」檜垣文壷」

 膳所焼、唐崎焼、杣山焼、比良焼、瀬田焼、石部焼

 湖南焼…19世紀、永楽保全を招請して焼かれたもの。金襴、祥瑞が出ている。

 梅林焼…色鮮やかな三彩釉ー茄子、サザエ皿など。

 湖東焼…彦根を中心に焼かれた名窯。金彩、染付、織部、仁清写しと多彩。

     茶道具が主。その他江戸の後半は煎茶が流行したため、その道具も一式出てい

     る。

MIHO MUSEUMーユーラシアの風 新羅へ

 桜には少し早いのだが、家人が自動車で行ってくれるというので、信楽に向かう。

   春季特別展

      『ユーラシアの風 新羅へ』

 文化はそれぞれの地域に根ざして生まれ作られていく、独自の特色を生む所以である。

 ところが文化ひいてはそれを生み出す人は、それぞれの地域だけで生活を完結させるこ

とは不可能である。以外と様々な交流のもとでしかそれは成り立たない。それは人々の暮

しが移動と定着の繰返しによって、その居住範囲を広げてきたことにもよっている。

 そのような文化の他地域との繋がりを再認識させられる試みが今回の展覧会である。東

アジア古代の新羅に焦点が当てられる。


 [初期の土器]

 濃い灰色で薄手に焼き締めた作りで、当然だが日本の須恵器とほとんど同じといってよ

い。弥生文化が朝鮮から伝わった証しであろう。高杯などの他に、鳥形・鴨形の特異な形

も見られる。


 [金冠飾]

 慶州の古墳出土の著名な金製品である。冠帽につけたらしい鳥の翼形の冠飾、金の板に

透かし彫りを施し、それに歩揺をたくさん付ける。まことにあでやか。一方山字形の冠も

ある。これにも歩揺がつけられる。大きな古墳からの金製のものから、地方の金銅製のも

のまで色々。これらは一体どこからの影響か。やはり西方からの金の文化が流れてきたた

めか。そしてそれは日本にも伝わる。


 [装飾宝剣]

 まばゆく金で飾られている。細かな巴文や波形文様で覆われ、瑪瑙やガラスもはめ込ま

れている。東アジアには異質の存在に映る。中央アジア・ペルシャ、ひいてはローマ・ゲ

ルマンに繋がる形態で、西方からもたらされたものであろう。


 [ガラス]

 まことに美しいガラス器がある。朝鮮では新羅の古墳でのみ見出されるものという。

 「環状口縁貼付編目文盃」 

 「貼付紐状装飾鳳首形台付瓶」…いわゆる水指の類いで、銀製・陶製等各種の素材で作

    られたが、このガラス製はその中でも頭抜けて美しいものの一つである。

 「型吹亀甲文紺色杯」…美しい紺色そのままに。同工のものがイランから出土してい

     る。

 「ガラス珠付首飾」…この展覧会で最も美しいもの。青いガラス珠・瑪瑙珠・水晶珠が

     組会わさり、さらに青い大きな珠には人面・白い鳥の文様が入っている。
 

 [角杯]

 大阪市立東洋陶磁美術館で高麗の角杯を見たが、ここではその前身と考えられる新羅の

角杯である。なお台付きのものもある。角杯は伝わったが、リュトンはない。


 [新羅の西域人]

 「文官像」…人物俑のセットの中の一人で、髭を蓄えた胡人の風貌をもつ。唐製品を模

     したものであろうか。


 その他、見所一杯で時間が足りない。もう一度来たいものである。

京都高島屋ー田渕俊夫展

 田渕俊夫という日本画家を私は知らなかった。東京芸大大学院教授であるという。関西

には馴染みがないのかもしれない。今回は京都のお寺の襖絵を描かれた縁で、こちらでの

展示となったのであろう。

  智積院講堂襖絵完成記念

     『田渕俊夫展』

 智積院は、京博から東山の美術館に行くとき、その前を通るのだが、足を踏み入れる機

会がない。遥か以前、子供時分に母親に連れられて、そのご成人してからと2度ほど、あ

の長谷川等伯の金碧障壁画を見た記憶がある。

 講堂の60面の襖に描かれた墨絵。近年の寺院の襖絵には原色が使われて派手なものが

多くなっているが、今回は修業道場ということもあったのであろうか、白と黒のみの静か

な世界でとなっている。

 [不二の間]

  「朝陽 六面」…朝日に映える林、左右は靄にかすむ。点描。

  「夕陽 六面」…暮れなずむ林、三日月が昇る。点描。

 [胎蔵の間] 胎蔵はやさしいぬくもりの春がふさわしい

  「柳 八面」…幹は滲み出し。

  「枝垂桜 六面」…淡い墨の花が色がついているやに見える。絢爛。黒々とした幹。

 [大悲の間] 大悲は冬がふさわしい

  「雪山 二面・八面」…雪中にたたずむ木々の姿。やはり点描で。

 [金剛の間] 金剛という世の中の厳しさは酷暑の夏では

  「めだけ 八面」…竹を線描きで。

  「けやき 六面」…切り取られた幹そのままに、そこから力強く枝が出る。緑の色が

           想像できる。

 [智慧の間] 智慧は秋の収穫の頃にふさわしい

  「秋・柿 二面」…没骨滲み出しで、実だけの柿の木。

  「秋・ススキ八面」…没骨で。制作途上のVTRが上映されていた。ススキの写生、そ

            れをコピーして重ねあわせて構図を作る。それを透明板に焼き

            付けして、実際の襖に写し出して、墨を置いていく。伸び上が

            る穂、枯れた穂、太陽の反射する穂。多様な姿を捉える。


 襖だけの展示で、しかも白黒のモノトーンなので、会場も簡素でガランとしている。

京都国立博物館ー妙心寺展

 花冷えの京都だが、春の行楽季節に入り、京都駅のバス乗り場は人で一杯。

 京都国立博物館は新館が工事中で、行く機会が減って今日は久しぶりである。西門近く

の枝垂桜は満開であった。

  特別展覧会

    『妙心寺』

      開山無相大師650年遠諱記念


 [第一章 臨濟禅ー応燈関の法脈]

 禅宗では法脈が重んぜられる。この間の相国寺の承天閣でも三十人の列祖像が並んでい

た。

 妙心寺の法脈は次の三人が基礎を作ったとされる。

    大応国師・南浦紹明

    大燈国師・宗峰妙超

    無相国師・関山慧玄

 この三人に関する法語や尺牘、印可状など宗教的には大変意味のあるものだろうが、こ

ちらは読めず意味も判らないので如何ともなし難し。

 「羅漢図」…仏牙を奉ずる図。遺骨はともかく、仏牙などあろうはずもないのだが、宗

     教には聖遺物崇拝がつきものなのであろう。

 重文「十六羅漢図」…鎌倉時代に元のものを写したものという。細い線描きで、柔らか

     く優美。

 「硯と墨」…開山の関山慧玄が用いたものという。よほど大切にされてきたものらし

     い。硯は歙州硯である。


 [第二章 妙心寺開創ー花園法皇の帰依]

 花園天皇が離宮を禅寺にしたものが始まりという。伏見天皇・後伏見天皇・花園天皇の

宸翰消息があるが、内容が判らず眺めるのみ。


 [第三章 妙心寺の中興ー歴代と外護者]

 応仁・文明の乱で多くの建物が灰燼に帰す。雪江宗深等による復興がはじまる。

 「利貞尼寄進状」…美濃斎藤利国の室であった利貞尼が、仁和寺の土地を購入して寄進

     した文書。綸旨を貰うことまで申し述べてある。

 「後柏原天皇綸旨」…上記の寄進状を確実にするためのもの。これで今日の妙心寺の寺

     域が確定する。

 多くの頂相がある。

 狩野元信「登林宗棟像」…元信の裏書があるという。他にも元信筆と考えられるものが

     出ている。

 重文「福富草紙」…喜怒哀楽が闊達な筆で描かれる。


 [第四章 禅の空間1ー唐絵と中世水墨画]

 狩野正信「四季花鳥図」…67才の作という。日本風な花鳥画を生み出したか。

 狩野元信「瀟湘八景」…行体山水画と説明される。濃淡の墨の使い分けが妙。山の皴法

     の美しい。

 李確「達磨・豊干・布袋図」…李確は梁楷の弟子という。減筆体で、本質を掴む。


 [第五章 遠諱の風景ー荘厳と儀礼]

 重文蔡山「十六羅漢図」…中国元代。胡貌梵相といい、胡人の姿形をとる。

 国宝「関山道号」…宗峰妙超が書き与えた道号。

 「山水楼閣人物図螺鈿引戸」…明代作。精緻な螺鈿細工で、こんな大きなものものまで

     作っている。
 康知「花園法皇坐像」…江戸時代作。想像上の法皇像ながら、非常に写実的、やはりサ

     イズチ頭に作る。

 「瑠璃天蓋」…明代作。東大寺や法隆寺のものを思わせる。


 [第六章 妙心寺と大壇越ー繁栄の礎]

 秀吉の長男棄丸の遺品が並ぶ。「玩具船」「武具」それに坐像二躯。

 曾我蕭白「福島正則像」…‘鬼伸齋曽我輝一拝画’とある。

 「春日局消息」があるが、本当に本人の筆であろうか。

 狩野探幽「春日局像」 

 国宝「梵鐘」…日本最古のものという。謹直ん感を持つ。

 「梵鐘」…全体が蓮の葉を伏せた形に作る。そこに四観音ー聖・十一面・如意輪・馬頭


 [第七章 近世の禅風ー白隠登場]

 白隠の作が並ぶ。

 「半身達磨像」…二色の墨の使い分けがうまい。‘直指人心 見性成仏’とある。

 「すたすた坊主像」…ユーモアあふれるもの。

 「関山慧玄偈」…‘柏樹子話有賊機’と書かれている。


 [第八章 禅の空間2ー近世障屏画のかがやき]

 重文長谷川等伯「枯木猿猴図」…著名な等伯の猿。

 海北友雪「雲龍図襖」

 海北夕松「花卉図屏風」…桃山時代のものながら色がよく残る。

     「寒山拾得・三酸図屏風」 

 狩野山雪「老梅図襖」…メトロポリタンからの里帰り品。奇怪ともいえる水平と垂直の

     意匠。しかしインパクトが強い。

 狩野山楽「松図」…永楽を継ぐ雄大さ。

 とにかく名物が目白押しで、見るのに疲れる。

 珍しいものー京都ではこのところ和服姿が目につくのだが、白人男性の和服姿は初め

て。さらに白人男性でカイゼル髭の姿も初めて見た。

桜草栽培史36 染植重と柴山政富

 染植重・二代目伊藤重兵衛が『桜草名寄控(前半)』をものしたとき(1860年)、柴

山政富は38才で、もう桜草栽培を始めていたかもしれない。その18年後の明治11年

(1878)に柴山政富は『桜草比競』を版行している。これはおそらく彼の皇居での桜草

展示に会わせたものと考えられる。

 それでは『桜草名寄控(前半)』にあり、さらに『桜草比競』にも載っている品種を見

ると、「秋風楽」「青海原」「一天四海」「横笛」「江天明鶴」「緋の袴」「漢泉殿」

「薄化粧」「花車」などがある。これらは時間的にいっても、染植重から柴山政富に分譲

されたものと思われる。逆はあり得ない。

 また『桜草名寄控(後半)』にあり、さらに『桜草比競』にも載っているものに、「小

夜衣」「立田川」「竹取翁」「思の侭」「百夜車」「花月」「残月」「銀覆輪」「艶」

「松の雪」「帛捌」がある。これらは柴山政富から染植重に分けられた可能性は絶無では

ないが、柴山政富は二番連の連中としての立場でその厳しい掟を守ったとされているの

で、これもやはり染植重から柴山政富にいったものであろう。

 柴山政富については本人の言は伝わっておらず、婿養子の柴山政愛による追憶談がのこ

されている。『園芸界 第2年2巻 (明治38年)』(浪華さくらそう会誌15号に復

刻)の「桜草の話」に連の掟が記されてある。門人にしか苗を分けない、栽培を止めると

きには全てを師匠に返すというのである。そのため柴山政富によって実生されたであろう

品種の名が『桜草比競』等に記されてあるが、それらは全て今日に伝わらない、外に出さ

なかったのである。彼は花菖蒲に於ける「満月会」のような立場をとったのだろう。

 柴山政富は皇居での展示によって世間の眉目を集めて、桜草復興のきっかけをつくった

ものの、苗の提供は専ら染植重などの植木職がになったようである。

 このブログを読んでくれた人の中で、この推論を批判してくれる人がいてくれればいい

のだが、ちょっと細かすぎるかな?(山原茂)

桜草栽培史35 桜草名寄控から見えるもの

 江戸末期からの桜草文献を時代順にすると次のようになる。

    桜草作伝法     63品種    1830頃

    桜草名寄控(前半) 210品種   1860

    桜草見立相撲    430品種   1861

    桜草比競      122品種   1878・1888

    桜草名寄控(後半)  76品種   1888頃

    桜草銘鑑       211品種   1888

    桜草銘鑑補遺     68品種   1899

    桜草銘鑑       311品種   1907   

    ※聚芳図説、渋江長伯押花集は品種がほとんど伝わっていないので取り上

        げず。

 『桜草作伝法』にはそれまでに生まれた代表的な品種が載せられていると考えられるの

だが、「蛇目傘」「楊柳笛」「銀世界」「臥竜梅」「駅路の鈴(3倍体)」のように平

咲、梅咲が中心で、花形・色合とも変化に乏しい。いくら連を結んで実生を競い合って

も、これくらいの花しか出来なかったのである。他の園芸植物ー朝顔や菊の発展に較べ見

劣りしたものだから、しだいに桜草への興味が失われ、天保の頃には連も廃れ、作る人も

ごくわずかになったらしい。

 ところが『桜草名寄控(前半)』には今日でも銘花と称される品種がたくさん載せられ

ている。「紫がゞり」「一天四海」「唐縮緬」「伊達男」「秋風楽」「玉光梅」「糸の

綾」「東鑑」「錦鶏鳥」「楊貴妃」「江天明鶴」「白鷲(3倍体)」などである。

 『桜草作伝法』から『桜草名寄控』まで約30年、この間に何が起こったのか。『桜草

名寄控』を書いたのは染井の植木職・二代目伊藤重兵衛(染植重)である。彼は桜草栽培

を止めようという連中の苗を引き受け、その品種を維持管理しただけでなく、実生も行っ

たのである。それはちょうど時期がよかったのであろう。長い間の実生育種で、表面上は

あまり変化はなくとも、遺伝変異が蓄積していて、それが閾値に達した結果、この染植重

で大変化を来したと考えられる。

 多くの優秀花が誕生したことで、染植重は普及に努めることになる。尾張の『桜草見立

相撲』には『桜草名寄控』と共通する品種がいくつも見られることから、江戸からこの地

に苗が分譲されたものであろう。そしてそれらの品種をもとに尾張や上方でも実生育種が

行われ、彼の地独特の品種も生まれている。残念ながらその大半は失われている。ただ

『桜草見立相撲』にあり、『桜草名寄控(後半)』にも出てくる品種がある。「漁火」

「思ノ侭」なのだが、ひょっとすると、尾張か上方で作られたものが江戸の染植重に逆輸

入されたものかもしれない。

 また江戸でも連の組織が復活し、一番組・二番組・三番組と称された。これらにも染植

重は苗を提供したに違いない。この二番組に属したのが一橋藩の藩士であった柴山正富で

ある。

 幕府の瓦解による社会の大変動で、桜草栽培は地を払うことになる。尾張・上方では全

く姿を消してしまう。独り江戸・東京で染井の染植重等の植木職に品種が保存され、さら

に上手に変化を乗り切った柴山正富が栽培を継続したようである。(山原茂)
 

桜草栽培史34 桜草名寄控翻刻

 『桜草名寄控』を再読してその重要性を再認識させられたところ、若い知人にこのリプ

リントを送るに際して翻刻をしたので、せっかくなので大方の利用に供しようと思う。

 この『名寄控』は前後に手が変わっている。前半は1860頃に、後半は20数年後の明治

に入ってしばらくしてから纏められたようである。残念ながら一ヶ所読めなかった。

 これをどう読み解くかは後日述べたいと思う。


 萬延元申年(1860)閏三月吉日

 桜草名寄控    染植重

 ・雲龍 泉川 代々の誉 野路の曙 玉川類 御幸 玉撰集 世界の図 光輝殿

 ・墨流し 雲の上 花大将 伽陵頻 墨繪の龍 滄命海 鼓ヶ瀧 沖の波 青海原 

  沖の篝り 眉間尺 三国紅 龍田姫 木枯 江戸自慢 和歌の浦 犬張子 萬里の船

 ・万里の響 吉の山 糸毛の錦 冨士の雪 名取川 夜光の玉 琉朱紅 爪折傘 

  蛇の目傘 東紅 花の上 紅葉の橋 源氏鏡 天人松嶋 一天四海 紫がゞり 

  大内姫 蜀の錦

 ・二月の雪 降積雪 雪月花 真那鶴 藤乙女 初雁 唐縮緬 藤桔梗 機嫌獅子 

  獅子ヶ谷 龍虎の勇 伊達男 狂獅子 羅生門 秋風楽 駅路の鈴 天女の舞 

  浮線陵

 ・駿河舞 最上川 古金襴  真如の月 緋の袴 手拍子 嵐山 白髪獅子 月宮殿

  楊柳笛 青葉の笛 須磨 大須磨 玉光梅 猩々舞 汐衣 江戸紫 千鳥貝

 ・寝覚の床 天晴 花月楼 ◯よ鳥 酔美人 百千鳥 旭の錦 六玉川 蝶の舞 玉川

  普天の下 糸の綾 月の都 唐綾綴 入野の都 鷲尾山 東鑑 寶川

 ・金剛力 蜀紅 渡月橋 大明錦 明石潟 鳳凰舞 宝尽し 隠し蓑 壇の浦 御所車

  錦鶏鳥 樊會 唐獅子 横笛 玉冠 衣笠山 三千年 虎の勇

 ・瑠璃殿 狩衣 源氏車 朝日山 篝り火 朱の玉垣 薄雲 住の江 小桜威 楊貴妃

  哥枕 桐ヶ谷津 御所染 朝日ヶ嶽 紅雀 諸手綱 天ヶ原 児牡丹

 ・初花染 春の臺 鈴鹿山 美名の川 有馬山 釣錦 志賀の都 舞扇子 緋扇子 

  文字洗 白鷲 瑠璃源氏 湊川 清見潟 紅牡丹 泰平楽 丹頂 雲の筧

 ・梅ヶ枝 都紅 勇獅子 不禮講 墨染桜 百夜草 亀鶴契 三笠山 横雲 金孔雀 

  神楽岡 東遊 御代の春 宿り木 花の宴 隅田川 玉宝山 雪牡丹

 ・岩戸鏡 春日野 薄化粧 真紅の綱 淀川 唐琴 槙立山 漢泉殿 金陵臺 

  堅田の浦 うかれ仙人→明治21年改東雲 飛龍 槙柱 紅繻子 初日野 

  雪世界→明治21年改満月 羽衣 糸桜

 ・紅唐子 千代の浦 朝日鶴 龍門 宇治の里 登龍 旭の袂 初瀬山 若紫 花車 

  花薄 春霞 酔月 釣篝り 京撫子 金秀花 二重鶴 日暮し

 ・光源氏 鹿児嶋 紅天明鶴  


  [後半]

  紫雲 漁火 玉敷宮 藤小山 鏡巾 十手ノ所指 十目ノ所視 唐衣 壽衣 芙蓉 重紫煙

  立田川 薫花風 浅妻船 二見ヶ浦 龍宮海

 ・宇宙 十六夜 竹取翁 水鏡 思ノ侭 東錦 都櫻 百夜車 三顧庵 山間月   

  一ト拳 司召 神代月 花月 岩戸神楽 神通力 小夜衣 残月 関ノ戸 福包

 ・翁遊 露ノ玉 弥生ノ霞 泥中ノ玉 竹取姫 吹繪形 泰山府君 三保ノ古事   

  玉芙蓉 朝霧 酒中花 駒止 夕栄 九十九獅子 還城楽 銀覆輪 艶 昇雲   

  枝珊瑚 緋ノ司 銀世界 松ノ雪

 ・翁友 大力無双 柏翁 三光 舞子ノ旭 紅麒麟 豊ノ春 松風 芙蓉ノ峯 秋ノ装

  柳の雪 室咲 薫ル雪 櫻狩 嵩山 帛捌 初霞 春ノ雪
 

                                 (山原茂)

順調な成長

 桜草の生長は順調なようである。昨年は肥料の関係か、葉が黄変してあわてさせられた

が、今年の葉は少し黄色っぽいけれどしっかり伸び上がっている。

 このところ四月並の暖かい日が続いたので、もう花茎が上がり始めているものが見られ

る。やはり花は早そうである。本当は低めの温度でゆっくり成長する方が花には良いのだ

が、こればかりは致し方ない。

 鉢中で気づいたことに、培養土が異常に沈下している。植付けるとき、少し土を入れすぎ

るくらいにしたつもりなのだが、口縁から4センチも下がっているものがある。配合にムラ

が出来たのか、植え方が悪かったのか、どちらかだろう。それこそ増土をしておかねばなら

なくなった。

 それにしても、これからは気をつけて水やりをしなければならない季節になってきた。

泉屋博古館ー中国絵画

 泉屋博古館から展示案内と割引券の送付を受けたので、春の展覧が始まって早々に岡崎

から足を伸ばす。

    春季展1

      『住友コレクションの中国絵画』

 中国絵画というと、その美術館や博物館の所蔵品だけで展覧会を開くのはなかなかに難

しい。国立の博物館以外に、関西では大阪市立美術館、大和文華館などに限られる。そこ

にこの泉屋博古館も加わる。

 明治時代というのは、それまでの憧れの対象であった中国の文物が堰を切ったように日

本に入ってくる。当時新興の富豪達はそれらを競って買い集めコレクションを形成した。

その代表が住友の泉屋博古館である。先に挙げた大阪市立美術館も住友家の援助によって

出来たものである。

 この中国画コレクションは系統立ててというわけではないが、当主のお眼鏡にかなった

名品が集められてある。

 重文 八大山人「安晩帖」…伸びやかな線描きの妙というべきか。ピカソの素描と比べ

     て如何。しかし重文にするほどのものか。

 国宝 閻次平「秋野牧牛図」…ガラス越しに、しかも少し離れているので、その良さが

     判り難い。牛と言って水牛である。

 重文 徐九方「楊柳観音像」…高麗の仏画で、日本とも中国とも違う雰囲気を持ち、繊

     細。画家名、記年のある作として重要と。

 沈銓「雪中遊兎図」…来日して日本の花鳥画に大きな影響を与えた沈南蘋で、帰国して

     のちに描いたもの。丁寧な写生が生きる。中国では無名というが。

 袁耀「秋景設色山水図」…岩の凹凸を点々で見事に表現。

 伝銭選「宮女図」…宋の濃密繊細な宮廷画を元代に写したものという。品格たかし。

 牛石慧「鶏図」…没骨で羽を描くが、若冲を思う。

 趙之謙「花卉図四幅」…梅に笹、牡丹、蓮に葦、秋海棠。荒い線でありながら本質をず

     ばり突く。

 この展覧会で最も惹き付けられるのは石濤である。四点出ている。住友家も石濤に執心

したのであろうか。

 重文「廬山観瀑図」…何度か拝見しているが、淡い色合いがさわやか。

 重文「黄山八勝画冊」

 重文「黄山図巻」

   「山水精品図」
 

象彦本店ー竹蒔絵道具揃

 京都の象彦といえば漆器を取り扱う老舗中の老舗である。そこで蒔絵の名品が展示され

ているとのパンフレットを見て、岡崎に来たついでに寄ることにする。ちょうど最終日に

間に合った。

  象彦漆ギャラリー◇弥生展

     『竹蒔絵 御婚礼御手許道具揃』

 ー此の御手許道具揃は徳川中期の作品であり、当時の浪花随一の富豪が婚礼用として作

らせたもので、竹を研出蒔絵、平蒔絵、高蒔絵を巧みに応用致し、実に巧妙に描いてあり

ます。ーと説明されている。

 女の子が生まれ、少し大きくなったところで将来の婚礼を見越して注文されたものらし

い。制作に数年はかかったであろうとされている。ただほとんど使われた形跡がない、作

られた当時そのままの姿を止めて大切に保管されてきた。想像を逞しゅうすれば、その女

の子が不幸にして嫁に行けなかったのかもしれない。

 どんな道具か。

 貝桶(貝も全て揃)、手箱、煙草盆、鬢台、大文呂(梨地)、耳盥、渡しかね箱、お湯

椀、大呂、火取香炉箱(香炉は染付)、盃、杯台、茶台、銚子、みだれ箱、高杯、銘々菓

子盆、菓子箪笥、朱食籠、入子硯箱、歌カルタ呂、沈わり箱(呂色)、十種香箱、四種香

盤 
            ※香箱には桜草の絵札があり

 このほとんどすべてに黒地に群竹が描かれている。葉も一枚一枚丁寧に、金と銀の色変

わりで変化をつけて。ただ非常にあっさりとした意匠なので平蒔絵がよく似あう。ゴテゴ

テと技巧を凝らしていない(螺鈿などを使っていないのは武家への遠慮か)。

 とにかく凄いのは一式揃って欠けていないことである。大名道具にしたところで、岡山

の林原美術館で綾杉紋のものを見たことがあるが、揃っての展示はなかったと思う。

 とにかく大変良いものを見せてもらった。ただこれらは企業の私有物なので、もういつ

見られるかわからない。しっかり目に焼き付けておきたい。
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