日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2009年07月

滋賀の文化財講座ー2009打出のコヅチ2

 前回は受講登録しておきながら、日にちを間違えて聞き逃す。

 今回は県指定絹本著色『薬師十二神将と保存修理』である。琵琶湖文化館に寄託されて

いる薬師如来像の修理の実際の話。

 [薬師十二神将像について]

       文化財保護課 古川史隆氏

   安土町新宮神社所有

     ※紀州から勧請された神社、それで新宮と。

   絹本著色(三副一舗)掛幅装

   本紙法量 190.1×93.2

   南北朝時代

    この像の特徴

      頭光身光を伴う薬師如来

      日光・月光菩薩を伴う

      十二支に比定される神将が従う

      上部に円相内に仏菩薩像八躰

      上部に色紙型ー聖武天皇薬師寺願文の写し

      数少ない薬師十二神将像の遺品で、例外的に大きい


 [保存修理に就いて]

       株式会社坂田墨殊堂 佐味義之氏

         ※文化財の表装を取扱えるのは全国でも10社ほどという。坂田墨珠堂

          さんは、そのうちの1社で滋賀で唯一の会社。

 表装・装黄については、何年か前、京博の夏期講習会で講義を受けたことがある。今回

も実際に作業された技術者の方からの話で、大変ためになった。

  調査…現状を詳しく調べる。

      絹の欠損、絵具の剥がれ、横折、ズレ、シミなど

      写真撮影、赤外線撮影

         →修理方針の検討・決定

  解体…総裏紙、中裏紙の除去。軸木の記録保存

     肌裏紙の除去方法…裏彩色があるので乾式法を用いる。 

              本紙の表を裏打ち(ふのりで)してのち、繊維をほぐして

              除去   
 
  補填…補絹(劣化させた絹を用いる)

  裏打…肌裏打など(10年以上寝かせた古糊を使う)

  補強…剥落止め、折れ入れ

       (兎のニカワが用いられる)

  補強…キズを目立たなくする

  組立そして乾燥(3ヶ月)

  保存…太巻軸、桐箱、塗箱

  報告書作成  ※総費用795万円  住友財団よりの補助あり

    *文化財修理・修理倫理について

       可逆性(また修理が出来るように)

       良い材料

       現状維持

       過剰の戒め

       保存と活用


尼崎市総合文化センターー白髪一雄展

 白髪一男といえばアクションペイント、とくにフットペイント画家として知られ、その

弾け飛ぶ強烈なエネルギーには驚嘆させられる。彼が生前構想していた展示法が、図らず

も昨年亡くなることで、回顧展として実現することになった。

 この展覧会は全国巡回(安曇野、尼崎、横須賀、碧南)の一環で、ここ尼崎は彼の生ま

れ育った町でもある。

   格闘から生まれた絵画

      Kazuo SHIRAGA

          平成21年度公立美術館巡回展支援事業

               『白髪一雄展』

 入館してすぐ目の前に真っ赤な舞台衣装が置かれる。「超現代三番叟」で使われた袖の

長い長い異様な形である(鼻の長い仮面つき)。

 VTRで彼のアクションペイントの制作風景が写される。彼は制作に先立って仏への祈り

から始め、般若心経を唱える。

 アトリエには大きな白いキャンパスが敷いてある。天井の中央から紐がぶら下がってい

る(1センチばかりの編紐2本ーこれも展示され手いる)。本人は黒い服、助手の女性

(奥さんか)は白い服。傍らには大きな絵具のチューブが山積。助手がチューブの尻を切

り取り、腹を裂き、彼に渡す。彼はスプーンで絵具を掻き出し、キャンパスの上にぶちま

ける。素足で絵具を踏み、紐をたよりに足でぬたくる。別の色が追加されて同様に進む。

まわりに絵具が飛び散り、歩くたびにそこらじゅう絵具だらけに。そして署名して出来上

がり。

 絵を描くのも体力勝負、絵具との戦い。汚れを気にしていては何も出来ない。


 [初期作品]

 彼は京都市立絵画専門学校の日本画科を卒業している。その後油絵に転向。ごく初期の

水彩による写生画が出ている。さすである。

 「鳥檻」…鳥籠と鳥をさっぱりあっさりと。デュフィーのような。

 「流脈1」…入り組んだ断層の姿、波打つ層序がリズムをかもす。

 「文B」…パレットナイフで波状を繰返す。


 [血のイメージ]

 アンフォルメルのミシェル・ダビエが来日し、彼を高く評価。ねんに12枚の絵をヨー

ロッパに送ることに。彼の作品には名前がなく区別し難いということで、当時読んでいた

水滸伝の人名を使って作品名にしたという。水滸伝の英雄のほとばしるエネルギー、血塗

られた突出というイメージに合うようである。

 「天雄星豹子頭」…兄嫁を殺さざるをえなかった林冲。凛々しい男ぶり。

 「天敗星活閻羅」…水のなかでは自由自在の阮小七。飛び散る赤。

 「天魁星呼保義」…風采の上がらない小役人宋江。青白く。

 「天富星撲天雕」…後方を任された李応。混じり合う色と色

 「猪狩壱」…猪の毛皮がキャンバスに貼付けてある。そこに赤い絵具が飛び散ってい

     る。


 [密教シリーズ]

 自ら密教を学び、ついには比叡山で得度するまでに。血のシリーズに較べややあっさり

しているか。

 「大黒天」…灰色地に黒。白が少し入る。

 「大威徳尊」…巨大なエネルギーを跳ね飛ばす爆発力。

 「密呪」…板を平にこすって円を。円は力の源。


 [歴史への憧憬]

 「関雲長」…黒一色。三国志の英雄。

 「平治元年十二月二十六日」…平治の乱で清盛が政権掌握。巨大な画面273×363

 「巴蜀」「屋島の戦い」など。

 その他、リトグラフ作品。「永徳」「遠州」「国芳」「江漢」「近松」など。


 [アプローチの多様性ー題材・技法・画材]

 「陽華公主」…紺地に橙の華やぎ。

 「扶桑」…白一色の世界。

 「丹赤」…スキー板でこする。

 「今様乱舞」…様々な色が混ざる。

 「歌人蓮月」…“蓮月はいく夜も照らす冨国を よわに輝き暁にきゆ”を画面に刻み込ん

     である。

 「群青」…透明な青色一色。

奈良国立博物館ー清涼寺釈迦如来像について

 寧波展を見終わって平常展に向かうと、なんと雨が土砂降りである。今日は傘がない。

仕方なくというと失礼に当るが、仏さまを眺め、中国青銅器館に入っていると、アナウン

スの声で公開講座が間もなく開かれるとのこと。これ幸いと講堂に向かう。

   清涼寺釈迦如来像と東アジアの釈迦信仰

        奈良国立博物館学芸企画室長  稲本泰生氏

 私は仏教や仏像に不案内なものなので、ざっとした概要を記しておくのみ。

 [制作と将来の経緯]

 東大寺の僧チョウ然が入宋、(983.8.16)に台州上陸、各地を巡礼し首都の卞京に至

り皇帝の太宗に三度謁見。この時にこの地で祀られていた評判の瑞像である釈迦如来像を

見たのかもしれない。

 彼は台州に戻るや、釈迦如来像の制作に着手(985.7.21)、一月弱後(8.18)に完

成。彼の帰国とともに日本に帰着(986.7)。そして入洛(987.2)パレード。

 釈迦如来像は中国の桜材による寄木造、独特のふくよかな顔立ちと切れ長の目。衣紋は

細かく波打つ。頭髪は練物製。瑞像の絵を見て制作されたらしく、表側は丁寧に出来てい

るが、像の厚みに乏しく、裏側はほとんど衣紋もなく装飾が省かれている。

 [像の霊験性]

 清涼寺の釈迦如来像のもとになった栴檀瑞像は、釈尊生前の姿を写した唯一の像とされ

た。そして釈尊から、衆生を救う霊力を付与されたという。

 つまり瑞像は「生ける仏」として考えられていた。それを写すことによってその霊験を

継承しようとする、そこで清涼寺像でも「生ける」が如く胎内に五臓・仏牙が納められた

のである。

 ※宗教的想像力は我々の常識を超える、そしてそれが宗教的真理となっていく。これを

追体験するのは不可能に近い。

奈良国立博物館ー聖地寧波

 我々の浅薄な常識からすると、中国といえばその広大な領域ー多様な民族・文化・方言

の存在ーにかかわらず、全体を一つのものと見てしまいがちである。

 ところで遣唐使以来、日本の中世・近世では、江南の寧波が日本との窓口となることが

多く、ここを通して中国文化が日本に齎されたと言ってもいい。

 そこで今回の展覧会は、この寧波に焦点を合わせて日本との関係を探ろうという企てで

ある。 

   特別展 『聖地寧波ニンポー』

         ー日本仏教1300年の源流ー

            すべてはここからやって来た


 [第一章 聖地を行き交う人・もの]

 鑑真和上が二度目の渡航に遭難した時、救助されてのち、明州(寧波)の阿育王寺にし

ばらく逗留する。これが日本との係わりの始まり。

 東大寺「鑑真和上像」…国宝の彫塑像を忠実に写したもの。

 「唐大和上東征伝」…何度も拝見したことがある。

 国宝「最澄像」…最澄が入唐した折りまず明州の地を踏み、そこから天台山へと巡礼し

     ている。


 国宝「伝教大師入唐牒」…当時の通行証明書。明州→天台山、台州→明州の二通。


 [第二章 阿育王寺 仏舎利への崇敬]

 国宝「釈迦如来立像」…名にし負う嵯峨野清涼寺の御像である。何度か拝見したことが

     あるが、異相である。頬が膨らみ、髪も螺髪でない。東大寺の僧チョウ然が栴

     檀瑞像を写し作らせて持ち帰ったものである。台州で短期間で出来上がる。胎

     内に五臓を納入してあり、生身の仏像として絶大な信仰対象となった。その霊

     験あらたかによりたくさんの写しが現存している。

 「銀阿育王塔」杭州市雷峰塔出土…銀製の見事な宝塔だが、中国・日本のものと違い四

     囲に方立があり、舍利容器といわれる。釈尊の死後からその神格化が始まり、

     荼毘に付された遺骨が分けられてストゥーパに祀られる。それが中国・日本に

     まで及ぶ。本物と言われれば、否定できないことを利用したやり方であろう。

 「銭弘俶八万四千塔」…呉越王銭弘俶が造塔したもの(955年頃)。日本にも流伝し経

     塚からの出土している。

 国王「藤原道長経筒」…道長展でも出展されていた名品。最古でしかも刻字されてい

     る。

 「重源上人坐像」…三度も入宋し、阿育王寺の修理に際し日本から材木を送ったとい

     う。


 [第三章 延慶寺ー天台浄土の隆盛]

 「恵心僧都像」…弟子を延慶寺の知礼に派遣し、天台の疑問を問うたという。それが

     「往生要集」に結実した。

 中国伝来の阿弥陀像、仏涅槃図、十王図(死後十王による審判を受けるという)がたく

さん並ぶ。


 [第四章 普陀山 観音の住む島]

 ‘普陀山の観音信仰は、平安時代の僧恵萼が五台山で手に入れた観音像を梅岑山(普陀

山)に奉安したことを嚆矢とする’と解説されている。観音は航海の守護の仏として信奉

されるようになる。

 泉涌寺「観音菩薩坐像」…世に名高い「楊貴妃観音」である。一見して日本仏様ではな

     い雰囲気、顔大きく、目尻が上がり、鼻筋長くしかも何とも艶かしい。女性に

     比された所以か。

 以下、いかにも中国宋代の仏が並ぶ。


 [第五章 天台山の五百羅漢]

 寧波の南、天台山は中国仏教の聖地。ここに巡礼し、瀧を渡り、羅漢(聖僧)に茶を供

えるのが目的という。

 大徳寺「五百羅漢図」…寧波の恵安院に奉納されたもので、日本に請来された経緯は知

     られない。今回全八十二幅が3回に分けて出展される。さらにボストン美術館

     のものも里帰りしている。まことに多様多彩、美しい色がよく残る。これを見

     るだけでも来た甲斐があるというもの。あと2回足を運ぼう。


 [第六章 東銭湖 神仏が降臨する聖地]

 東銭湖の畔にある月波寺における「水陸会」が日本にも伝わる。水陸会は、先祖供養に

あらゆる鬼神を含めて施餓鬼する法会で、今でも盛んに行われるという。


 [第七章 海を渡る禅律文化]

 この地の天童山に栄西や道元が学び、日本に禅を伝える。また俊ジョウが律を学んで泉

涌寺に結実させる。

 「朱衣達磨像」…極めて早い時代の達磨像。

 「栄西禅師坐像」…特異な頭の像。彼は禅を伝えるも、重源に続いて東大寺再建の大勧

     進に就いている。

 「唐墨筆献上状」…栄西の自筆書状。

 国宝「普勧座禅儀」…道元の自筆文書。

 「新安海底遺物」…慶元(寧波)から日本に向けて出航し、韓国沖で沈没した舟の引き

     揚げ品。竜泉青磁が中心で、寺院の什器となり、また寺院経済を潤す商品でも

     あった。 


 [第八章 遣明使が訪れた町]

 明代に入って寧波という名前になり、日本からの交易の唯一の港となる。

 「明永楽帝勅書」…足利義満によって外交関係が成立し、日本からの使節に対して与え

     られたもの。さすがに謹直な文字。

 国宝「破墨山水」…雪舟の作。絵が良いのか、賛を書いた人々が尊いのか。

 

 さてさてあまりにも多種多様な出展で息継ぐ閑もなし。これも「美麗展」に続き、記録に残る展覧会になりそうである。

若狭・丹後行

 家人が奥丹後の伊根に行きたいというので付き合うことに。近江大橋から朽木、熊川

宿、小浜とくる。途中、福井県立若狭歴史民俗資料館で展覧会があるというので立ち寄

り。県立美術館の移動美術館である。

   『新収蔵品と屏風絵の美』

 [新収蔵品]…全て寄贈された作品である。

 「酒伝童子図屏風」江戸時代…巻物形式で描かれたものを、切って順にべた貼したも

     の。先行作を写したもののよう。

 岡倉秋水「非母観音図」…秋水は狩野芳崖の弟子という。さもあらん、芳崖の同名作品

     の写しである。

 その他、三上誠、新道繁など。

 [屏風絵]

 曽我直庵「松柏に鷹図屏風」…犬を押さえ込んだ白鷹と松に止まる鷹。勇壮で迫力十

     分。

 横山大観「湖上の月」…空間を大きくとった作で、いやにあっさりしている。大観と

     言っても見所なし。

 横山華山「猛嘉落帽 臥龍三顧図」…中国の故事を取り上げたもの。粉本を写したもの

     であろうか。

 川端龍子「花下行人」…全面桜花の下に、小さく花見の8人。

 その他、渡辺莱渚「松鶴図屏風」、渡瀬凌雲「宿収雨」

 [みほとけ]

 仏像の複製が並ぶなか、変わったものが一躰。平成二年赤い布に包まれた像が海岸に漂

着した。それが「烏将軍立像」で、外国で作られたものらしい。どうして流れ着いたのか

謎である。その顔はいわゆる嘴のある天狗の形をしてる珍品。

 この資料館、なんと入館料は100円。これは有難い。本来公的美術館や博物館は無料に

すべきなのだが。

 さて小浜から海岸に沿って大飯、高浜、舞鶴へ。ちょうど昼時になったので、過日テレ

ビで放映されていた宮津の養殖鳥貝を食べることに。宮津駅観光案内所の紹介で清輝楼に

行く。私は小さい時から鳥貝が好きであった。ワケギとの酢みそ和えはよく食卓に出てき

た。近年時に口にするのだが、ゴムのように堅いのが多く残念に思っていた。さあ念願の

鳥貝である、さすが土地の名産にしようというだけあった、大きく肉厚で味わい深かっ

た。ただ大振りの貝2個で三千数百円もした。滅多に食べられないと奮発したが、庶民の

食べ物というにはほど遠い。養殖での量産を望むのみ。

 宮津から天橋立を横に見て伊根につく。遊覧船があって海から眺められるようになって

いるが、時間の都合で道路から覗くのみ。

 有料道路も少し使って特急でかえる。若狭の山越えでは気温22度、それが下界に下り

てくると27度で山のなかはさすがに涼しい。しかしその山は惨憺たる有様、杉を植林

しっぱなしでマッチ棒のような細い樹が連なる、間引きの手入れが全くなされていない。

手入れをしても労賃も出ないので、放置されたままになる。するとさらにその樹木は経済

的価値を下げてしまうことになる。悪循環である。

 半日自動車に乗る旅であった。

堂本印象美術館ー躍動する生命

 堂本印象ほど画風が変わった人も珍しい。しかもそれぞれで成功を収めている。

 今回は動物特集である。

     『躍動する生命』

 印象が1930年代の頃に描いた動物画である。

 [展示室]

 「兎三思図」…まことに正確な写生。落葉のモザイクがアクセント。

 「猫」…シャムの母子。少しディフォルメあり。

 「乳の願い」…インドで神の使いとされる牛を巨大に、白い毛が全面に細かく描かれて

     いる。

 「蒐猟」…馬に乗る二人の女性、理想主義的。

 「雪」…雪をかぶる芦と白鷺、若冲ばりの装飾性。

 「兎春野に遊ぶ」…上村松篁によく似たものがありそう。

 麻田辨自「樹下」…白黒斑のボクサー犬。

 山口華楊「山羊」…ムクゲの向うに3匹。さすがに正確に尻尾を挙げている。

 吉岡堅二「鹿」…平凡

 西村五雲「海驢」…見事なデッサン力に、滲み出し。


 [スロープ]

 「ラクダ」…‘オランダ人持渡牝5才オス4才’江戸期の写しで、フタコブラクダ。

 狗、鹿、牛、鷭、松に鹿、百舌など

 「清秋譜」…柿にをなが。本当にさわやか。

 その他、薔薇、百合、牡丹、紫陽花


 [ミニ企画 障壁画小下絵]

 普段見ることの出来ない寺院の襖絵などを下絵で鑑賞。

 智積院「婦女喫茶」「松・桜」…明るく爽やか。

 竹林院「太平洋」「風神・雷神」

 西芳寺「遍界芳彩」…モザイク様。

 法然院…風を意識した主題で、爽やかな抽象。


     ※公的機関にしては珍しく、65歳以上は無料という。

京都国立博物館ーシルクロードの文字を辿って

 京都国立博物館では平常展示館が立て替え中なので、ここに来る機会は少なくなった。

この特別展でやっと開館したので、久し振りの訪問。

  特別展覧会  『シルクロードの文字を辿って』

              ロシア探検隊収集の文物

 前世紀の当初、ヨーロッパ人にとっては最後の探険の時であった。残された未知の世界

は西域である。イギリス・ロシア・フランスなどがそれぞれの思惑から探検隊を繰り出し

た。それによって彼の地の様子が知られるようになったが、それとともに多くの文物も各

国に持ち帰られた。消滅を防ぎ、価値の再発見の為には致し方なかったとはいえ、その土

地のものがそこにないというのは寂しい。ただこれによって各国で調査研究が進み明らか

になったことも多い。その先鞭を切ったのは日本の京都で、所謂京都学派によって“敦厚

学”なるものが生み出された。

 私が西域について知ったのは、スェン・ヘディンの探検記による。

 今回の展示物はロシアの探検隊が収集したもので、今ロシア科学アカデミー東洋写本研

究所にあるものである。高い歴史的価値があり、初お目見えが大半である。

 ただこのような研究の為の資料を、一般的な博物館で公開展示することの意味は問われ

るかもしれない。


 [コータン]

 「ダルマパダ(法句経)」…1〜2世紀、ガンダーラ語(カローシュティー文字)。白

     樺の樹皮に経文が書かれてある。コータン出土の最古の仏典という。左右にミ

     シン目のように糸で編んで一枚の紙のようにしてある。


 [クテャ]

 「アビダルマ」…3枚、1〜3世紀、サンスクリット語。本物の貝葉に書かれている。

 仏典だけでなく、経済文書も出ている。

 ウィグル語の手紙がある。今話題のウィグル人が主役である。


 [トルファン]

 「丁口配田簿」…唐では均田制が行われたといわれているが、本土よりもこの辺境での

     記録が残っている。

 「大慈恩寺三蔵法師伝」…ウィグル語訳のもの。

 「金光明最勝王経」…これもウィグル語訳のもの。


 [敦煌]

 「敦煌千仏洞全景図」…ドゥーディン筆。約15メートルもの巨大な見取り図。

 莫高窟出土の仏典その他珍しいものが集められている。

 「正法華経断簡」その他。

 「経帙及写経施入記」…咸平五年七月十五日(1002)という日付けのある、最も新し

     い文献。

 仏典以外にも法律書などとともに

 「文選注」…極早い頃の写本など。

 この地はチベットに支配された時期があり、

 チベット語訳「大乗無量寿宗要経」も出ている。


 [カラホト]

 カラホトは西夏の都市。篤く仏教が信仰された。

 「金剛般若経」…“大夏乾祐二十年(1190)歳次 巳酉(1189)三月十五日 正宮 

     皇后羅氏謹施”と後書されている。

 北宋版の書物が来ている、呂観文進「荘子義」、「広韻」など。

 西夏の文献がたくさん並ぶ。

 「番漢合時掌中珠」…西夏語解読の為の必読辞書。

 「文海」「論語」「孝経」「貞観政要」など。

 「弦楽器図」という楽器の設計図があった。


 [関連特集展示]

 ロシアの文物に対応する日本にある伝世の文献も展示される。さすが京都である。

陶芸の森・陶芸館ー陶のうつわとかたち

 信楽の中心で行われる焼物展。


  特別企画展  『陶のうつわとかたち』

 五ヶ月に渡る長い展覧会で、前後期に分かれる。前半は行きそびれて見ることが出来な

かった。後半はぜひともとの思いで、MIHOに行った足で寄ることに。


 [絵付けの世界]

 主に滋賀で焼かれた作品を取り上げてある。

 湖東焼「染付山水図水注」…大振りな水注で、把手と注ぎ口は四角形、一点の隙もない

     形のよさに、美しい発色の藍が乗る。湖東焼の染付のなかでも大変レベルの高

     いさくひんである。パンフレットの表に出ている。

 湖南焼…永楽保全が滋賀で焼いたもの。赤絵金彩や染付など手の内に入った優れた作品

     群。


 [焼締め陶の美]

 室町期や桃山期の古信楽の壷が並ぶ。そして現代の名工の作も並ぶ。信楽といえば海鼠

釉の火鉢や植木鉢が代表したのだが、近代に入って古信楽の味わいの復活が図られたので

ある。


 [これって使える]

 ティーポットを主題に、内外の陶芸家に制作を依頼したものであろうか、まあたくさん

のポットが並ぶ。ただ形はポットだが、その大半はオブジェとして作られたものである。

奇想天外なものも多く、見て楽しい。

  ※用の美を否定した陶磁にはつらいものがある。立体であるだけに場所をとるので始

   末に困る。その点絵画は平面であるだけに(本当は絵も保管に場所をとるのだ

   が)、厚みのないのが幸いのようだ。

   焼物は形そのものも抽象的である。それをさらに意味を持たない形・色とするとも

   うついていけない。焼物という素材ににこだわる必要もなくなるのだが。

MIHO MUSEUMー仏たちの物語

 信楽の山中のMIHOで夏期特別展が行われている。連休の中日にでかけたが、高速道路

料金が割安なので、遠く八王子や愛媛ナンバーその他がたくさん並んでいる。このMIHO

は展示物が豊富なので、わざわざ遠くから出かけてきてもそれなりの満足が得られるから

であろう。そして少し足を伸ばせば信楽の焼物にも出会える。


   夏期特別展  『仏たちの物語』

 日本人の生活にとって仏教は切り離せないものであった。ところが今日の日常生活の中

に占める位置は極めて低くなってきている。そこでもう一度仏教の教えの元をたどろうと

いう企てである。子供たちにも判り易く説明されている。


 [1、お釈迦様の物語]

 「仏伝レリーフ」2〜4世紀、パキスタン・スクート地方…仏像が生まれる前のお釈迦

     さんの一生を浮彫りにしたもの。シッダールタ王子とやショーダラがすれ違う

     場面。

 「絵因果経断簡」…絵因果経は奈良時代の制作にもかかわらず、鮮やかな色彩が残って

     いるが、どうしてなのか。

 「燃燈仏授記図浮彫」…絵解き風に説明がなされる。肩から炎が吹き出るなど、どうし

     て想像できるのだろうか。


 [2、菩薩と居士の誕生]

 大乗の始まりと、六つの修業の説明あり。

 「仏三尊像」…背面に細かく密な浮彫りがあり、それが絵解きされる。子供を乗せた

     象、釈尊の誕生シーン、九龍潅水、蛇をくわえた鳥、月の蛙、太陽の烏、修行

     中の菩薩、説法する弥勒菩薩、維摩と文殊菩薩の問答など。


 [3、日本におけるお釈迦様の弟子]

 聖武天皇と光明皇后の篤い帰依、その結果としての国分寺建設。

 「東大寺大仏蓮弁拓本」…創建当初の姿が残る。


 [4、お経を書き写すこと]

 「猿投焼円面硯」「猿投焼風字硯」

 「二月堂焼経」…辻が花裂とプラチナ箔で軸装してある。

 重文「金光明最勝王経」…国分寺に分たれたお経。

 「橘夫人念時物 後屏天人拓本」…淡い墨が映える見事な拓本。

 「五月一日経」…光明皇后が写させたもの。


 [5、お経を飾る]

 「大聖武」…香末を紙に梳入れてある。

 「雲紙装飾経」

 「戸隠切断簡」…藤原定信の筆。一人で5000巻も書写したので、流れるような書体

     で。

 「目無経」…絵巻を描かれ始めて、依頼者の死に伴い、供養のお経に転用したもの。

 「一字連台経断簡」…蓮台は赤色で、上下の空間には銀箔の切紙や野毛で抽象模様が描

     かれる。


 [6、阿弥陀の救い]

 「紺紙金字法華経」…百斉寺蔵のもの、無量義経(開経)そして法華経数点が並ぶ。巻

     頭にはそれぞれ金彩の絵が付く。

 「如意輪観音像」「千手観音像」「弥勒如来坐像」などなど。


 [7、お経の翻訳ー玄奘三蔵法師の偉業]

 玄奘が漢訳した「大般若経」「般若心経(隅寺心経)」がある。

 「大唐西域記」「大慈恩寺三蔵法師伝」そして奈良薬師寺から「坐像」「取経図」が来

ている。

 「大般若経ー折本装」…今日でも行われている転読用の折本仕立てのもの。消耗品なの

     で今でも需要に応じて作られている。桐箱入(50巻×12箱)。

 [8、禅の世界]

 白隠「横向達磨図」

 虎関師錬「瑞巌道号并号頌」

      (非雲非霧鎖晴嵐 〜散花無處不優曇)

 「牧童図」…宋末から元初。淡い墨を塗重ね得た上品な絵。ただアクサントが欲しい。


 [曜変天目]

 曜変天目には国宝の3碗があるが、この他に知られるのがMIHOの重文の天目である。

 ここのは、国宝のように大きな斑点のまわりに青色が輝くというのとは違って、青や桃

色が散り斑のようになている。黒地に青貝を散らした螺鈿とそっくりの色をしている。
 


  『オクサスのほとりより東西文明の架け橋ー古代中央アジア』

 MIHOにはペルシャから中央アジア・中国に渡る文物が豊富に集められている。それら

を互いに関連させた企画展示が続けられている。先に「ユーラシアの風 新羅へ」があ

り、今回はそれに続くものである。これはこの秋から冬にかけてまで展示されるので、見

出しだけ紹介しておく。

   1、古代文明をつなぐもの

   2、アレクサンドロスの軌跡

   3、遊牧民の台頭

   4、ペルシャ文化の復活と東漸 

桜草栽培史39 幕末から明治にかけてー3

 桜草界は明治維新により栽培者の多くを失い、風前のともしびとなった。そんな中、桜

草は染植重などの植木屋でしっかり維持保存されていたのである。桜草を100種も200種

も育て続けるのは大変である。樹木や花木などは何年でも持ち込んで、樹形を維持するこ

とはそんなに難しくない。しかし草花は毎年更新しなければならない。いつ売れるか判ら

ないのにである。桜草は商売としては割に会わない対象であったと考えられる。

 と言うことは、染植重などの植木屋にとって桜草は、植木屋としての仕事から少し離れ

て、自らの楽しみとしても培養・実生していたのではなかろうか。そして染植重.常春園

では「櫻草銘鑑」も出している。これは販売目的の品種目録とは違っている。やはり伊藤

家は「花壇地錦抄」を編んだ伊藤伊兵衛の流れをくむ家柄である。商売を越えた植物への

係わりを持っていたように思われる。

 ところが明治時代の桜草界では、常春園・伊藤重兵衛をどう見ていたのであろうか。

明治34年2月に発行された「日本園芸会雑誌105号」に次のような記事が載っている。

      〈重ナル培養家〉

   本郷弓町 子爵 榊原家      牛込南町 子爵 安部家

   東大久保    柴山政愛氏    牛込辨天町   明石正春氏

   本郷駒込富士前 田村景福氏    関口臺町    相澤金治郎氏

   内藤新宿裏町  内田 某氏

      〈花戸ニテハ〉

   駒込染井町   伊藤重兵衛氏    下谷入谷    横山五郎氏

    同      荒井與左衛門氏   駒込殿中    伊藤太郎吉氏

 このように培養家と植木屋とを区別して書き上げている。資産家で趣味として培養する

人々を上位に位置付けしているのである。花戸も屋号ではなく個人名で取り上げられてい

るが、培養家としてよりも商売人として見ている風である。重ナル培養家といえど、最初

は染植重から苗を入手したはずであるのに。

 私は染植重・常春園を代表とする植木屋は造園や庭園管理だけでなく、総合的な園芸家

としての立場を持っていたように思うのである。再評価しなければならない。

                                  (山原茂) 
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