日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2011年05月

安土城考古博物館ー大岩山銅鐸・講演

 銅鐸の展示が始まっている。地味な考古遺産で、しかも辺鄙な安土で人が集まるのかと思っていたら、講演会があるのだという。台風2号の影響で雨模様の悪い条件の中、賑やかしの一人として、自動車で送ってもらって出かける。
 会場についてみると、私の予想に反して人が詰めかけている。100名を軽く超え、年配者が多いなか若い男女もちらほら見える。

   特別講演会

      『大岩山銅鐸発見・ひろがる思ひ』

              奈良大学名誉教授 水野正好氏

 私は不明にして水野正好先生を存じ上げなかった。
 早くに考古学に親しまれ、京大の梅原末治先生と知り合われた。しかし京大入学かなわず、大阪学芸大学に進まれ独学で考古学を学ばれたという。
 卒業後しばらくして、昭和37年滋賀県で我が国で始めての文化財技師として採用される。安土城の整備、大中之湖調査そして風土記の丘の策定(土地は100円/坪で安く買えたという)などに携わられてた。石寺の古墳発掘では、これも始めて現地説明会を行われたという。
 さて滋賀に来られてすぐ、野洲の小篠原大岩山で銅鐸が見つかったというのですぐ現地に派遣される。するとそこにはすでに京大の梅原末治先生が来られていたという。梅原先生は発掘された銅鐸をすぐ洗えといわれる(拓本をとるため)。水野さんは現状保存という事で口論となり、先生は帰るなり知事に電話して「水野をクビにせよ」と言われたという。しかし水野さんの説明を聞いて、知事は彼の措置を了とされ、首は繋がったという。
 この大岩山では明治14年(1881)にも銅鐸14点が出土していたところである。そのうち2点が買い上げ(東京国立博物館蔵に)、他は地元に返されたため散逸し、いま各地の博物館、さらには海外にも流出、なお2点は不明となっている。
 この大岩山で再び銅鐸が出土したのである。ここは土砂採取場(真土)となっていたためである。最初に見つけた人は自宅に持ち帰り金属商に、6点・48キログラムを4730円で売ったという。その次の日にも銅鐸が見つかり警察への届けで、全10点がそろうことになる。なお機械による土砂採掘で破損した事もあり、水野さんは自衛隊から電磁探知機を借りて破片を捜したという。
 この10点の銅鐸は結局無償で提供されることになり、一括地元保存が実現し(東博などに入ると貸してくれないという)、野洲の「銅鐸博物館」「安土城考古博物館」に納まっている。
 水野さんはその後文化庁に移られ(大阪学芸大学出の職員は始めてとの事)、重要な発掘品の文化庁の買い上げ、そして現地貸し出しの道筋をつけたといわれる。
 そのあとの発掘として
      「神戸市桜ヶ丘銅鐸群(14鐸7戈)」…絵画・流水文
      「島根県荒神谷銅剣群(358本)」…学者による始めての出土
      「島根県荒神谷銅鉾群(16本)」
      「島根県加茂岩倉銅鐸群(34鐸)」
の説明があり、兄弟銅鐸が各地に分散している事から、大きな権力による賜与が考えられ、また埋納形式(銅鐸の鰭を縦に、入れ子状にして)が一定している事からも一定の指示のものに行われた可能性を説かれる。
 とにかく予定を超えた2時間に及ぶ水野さんの考古漫談は誠に博覧強記、迫力満点の講演であった。


 このあと銅鐸展示を拝見する。

   平成23年度春期特別展

      『大岩山銅鐸から見えてくるもの』

 会場にはほとんど銅鐸ばかりが並ぶ。明治14年発見の9点、ただし東博のものは水野さん曰く「貸してくれない」の言の如く歴民博の複製品。昭和37年のものはさすがに全品揃。その他桜ヶ丘のものは国宝も来ていたが、絵画文のものは複製であった。加茂岩倉の銅鐸(国宝)も複製品である。
 とにかく全国で400点しかない銅鐸のうち、複製も含めて80点あまりがここに集結している、豪勢というべきか。はるばるでも来てみる価値はあるだろう。

 *館内で珍しい催しを見た。若い女性を被写体にした写真撮影会が回廊部で行われていた。

大阪市立近代美術館ー海と水のものがたり

 近代美術館の建設計画が縮小しながらも前進しているのは喜ばしい。しかし旧サントリー美術館「天保山」を借りるなどして恒常的な展示をおこなってもいいのだが、出光ビルでの小展示でお茶を濁しているのは学芸員が不足しているせいなのではないだろうかと思ってしまう。美術館は箱物を造るだけでは終わらない、保管・修理・研究などがついて回る。人件費をケチる風潮の中、そのような体制作りも進捗しているのだろうか。

    ーシニャック、福田平八郎から杉本博司までー

     大阪市立近代美術館展覧会

        波のきらめき・光のゆらめき

          『海と水のものがたり』

 出品リストが準備されているのはうれしい事である。

 シニャック・ドラン・デュフィと著名な外国人画家の作品があるが、代表作とい 

     うわけではなさそうである。

 岡精一「川辺の小舟」…明治中期、旧派とされた彼の作品ながら、光が溢れ 

     ている。

 赤松麟作「住之江の火薬庫」…黒田清輝の系譜で、明るい光あり。

 岡田三郎助「甲州山中湖風景」…外光派の表現そのもの。モネの紫が入るか。

 山口愚僊「海景」…大阪の洋画の先達で、初期の油絵をいくつも見たが、この大

    正期の作も洋画の先頭を走っているようである。赤茶けた岩肌が力強い。

 土田麦僊「伊豆の海」…緑の変奏曲

 都路華香「波千鳥」…画面2/3が線書きの波また波のみ。これは琳派のデザイン 

     性を踏襲したものか。

 児玉希望「群貝」…愚僊の「海景」と同じ年の日本画。戦前の塗り重ねない淡い 

     色合いが何とも爽やか。

 福田平八郎「漣」…白地に青い斑が続く小波。彼の代表作。着想の良さに感心す 

     るのみ。

 樋口富麻呂「船宿の女」…私の全く知らない画家だが、北野恒富門という。恒富 

     風のデフォルメされた女人二人。

 天野大虹「白い船」…港の船を正面からという構図の妙。

 吉原治良「燈台の見える窓辺の静物」

     「水族館」「海辺の静物」…彼の戦前の作品のシュールリアリズムには

     静かな魂の力を感じる。具象の持つ情報の豊かさは抽象を遥かに超える

 今井俊満「波濤図」…青海波などの型染めを利用した沈潜する意識の深みに捕わ

     れそう。

 池島勘次郎「安治川河口」…池島勘次郎も始めての人。暖かい奥行きを示すグ 

     ワッシュ独特の表現は始めて見る。極めて良し。

 佐伯祐三「汽船」…パリから一時帰国したおりの作。跳ねるような筆運びが始 

     まっている。

 ジェームス・バード「蒸気船スミス・ブリックス号」…1863。船主よりの依頼 

     で描いた記念の飾り物。細密描写。

 リチャード・エステス「スタテンアイランドフェリー船着場」…スーパーリアリ 

     ズムだが、やはり写真とは違う。

 小本章「ポセイドン神殿とヨットハーバー」…置かれた絵が風景と溶け合う写真

 国枝金三、田川勤次もよし。


 *国芳もいいのだが、やはり私とは時間の隔たりを感じてしまう。その点この近現代の秀でた絵画は

  ピタリと合う。

上方浮世絵館ー開館十周年記念展

 浮世絵つながりで、難波の「上方浮世絵館」に行く。

   開館十周年記念企画

       『上方浮世絵の世界』

[一谷嫩軍記] 文明8年 春好斎北洲 大判2枚
    中村三光    さがみ
    中村歌右衛門  熊谷次郎直実

[伽羅先代萩] 文化13年 芦幸  大判2枚
    藤川花友    高尾
    中村歌右衛門  頼兼

[競伊勢物語] 文政7年  国広  大判2枚
    坂東重太郎   孔雀三郎
    嵐橘三郎    仕丁和田作

[月雪花吾妻錦絵] 文政10年 丸丈齊国広 大判1枚
    坂東蓑助    けいせい

[助六由縁江戸桜] 文政13年 五柳亭重春 大判4枚
    中村歌右衛門  白酒売
    市川白猿    助六
    中村松江    けいせい揚巻
    松本幸四郎   髭の伊久

[里見八犬伝] 天保4年 春江斎北英  大判2枚
    中村歌右衛門  犬山道節忠興
    尾上多見蔵   犬山荘助義任

[昔慕やはり七化] 天保9年 長谷川貞信 大判1枚
    中村歌右衛門  太夫・座頭

[雪月華之内 川舟の月] 嘉永 五粽亭広貞 大判1枚
    市川市紅    
    片岡我童

[敵討崇禅寺馬場] 慶応1年  五蒲亭広信 大判1枚
    片岡我當    児富丸
    嵐徳三郎    児福丸

[傾城阿国歌舞伎] 安永1年  一珠亭国員 中判2枚
    実川延三郎   松ヶ枝的之助
    叶雛三郎    子千春
    坂東彦三郎   乳人政岡

[宿無団七時雨傘] 元治1年   猿雀 中判1枚
    実川延若    団七茂兵衛

[傾城契情玉手箱] 明治4年  一養亭芳瀧 中判3枚
    中村福助    奴繁蔵
    中村芝蔵    奴有平
    嵐雛助     北の篁

[姉妹達大礎] 文政6年  春好  大判1枚
    片岡仁左衛門  楠原ふでん
    浅尾額十郎   待江蔵人

[伊賀越乗掛合羽] 文化13年 春好  大判1枚
    市川海老蔵   沢井股五郎 

[敵討浦朝霧] 文化12年 春好、春蝶 大判2枚
    嵐吉三郎    子割伝内(春蝶)
    叶みんし    娘おきよ(春好)

[けいせい筑紫つまごと] 文政7年 有楽斎長秀  大判1枚
    嵐橘三郎    宮城阿曽次郎

[復讐高音波] 天保2年  丸丈斎国広  大判2枚
    中村松江    浪路
    中村歌右衛門  浅間左エ門

[舞上りの鶴] 文政7年   好画堂多美国  大判1枚
    中村歌右衛門=中村鶴助 (木遣りを歌う)

[鬼一法眼三略巻] 文政4年  北洲 大判3枚
    市川海老蔵   知恵内
    中村歌右衛門  鬼一法眼
    嵐小六     牛若丸

[川竹乗込賑] 文久2年   南粋芳雪  中判4枚
    片岡我当、片岡我童、嵐璃寛、市川寿美之丞
    市川三枡、市川梅舎、中村仙之助

[けいせい百万石] 元治1年  一養亭芳瀧  中判2枚
    実川延三郎   高橋作十郎
    嵐吉三郎    鹿子勘兵衛

[けいせい染分たづな] 嘉永7年  五粽亭広貞  中判2枚
    中山南枝    千切やお梅
    三枡大五郎   山形屋儀兵衛

[双蝶々曲輪日記] 天保11年  五蝶亭貞升  中判1枚
    尾上多見蔵   放駒蝶吉

[けいせい雪月花] 安政5年  宗広  中判1枚
    尾上多見蔵   石川五右衛門

[けいせい双つ鏡山] 文政4年  春好斎北洲 大判1枚
    坂東三津五郎  谷沢内記

[双蝶々曲輪日記] 文化11年  初代豊国 大判3枚 (江戸)
    中村歌右衛門  はなれ駒長吉
    市川市蔵    長吉婦おきせ
    坂東三津五郎  ぬれ髪の長五郎

[釜淵双級巴]   丸丈斎国広  大判1枚
    中村歌右衛門  石川五右衛門     

[大坂新町ねりもの] 春好斎北洲
    くらはしや 小浪先はやし

[ 同 ]   柳花堂重信
    中扇屋 初花太夫 還城楽

[北新地盆踊]  含酔亭芳豊

大阪市立美術館ー歌川国芳展(再)

 展示内容の大半が入れ替わったので、再び大阪市立美術館に赴く。個々の絵は変わったものの、内容はよく似ているので、こちらの受け取る印象は薄れたものになってしまう、これは残念ながらいたしかたない。
 平日午前だったが、そこそこの入場者で、絵の前にはたいがい人がいた。

    特別展『没後150年 歌川国芳展』

[武者絵]

 2「隠岐次郎広有」…黒の背景で、化鳥退治の人物の動作が力強い。

 6「絵本合邦辻」…閻魔の顔が印象的。

 「通俗水滸伝シリーズ」では「扈三娘一丈青」「浪子燕青」の名がなつかしい。

 「本朝水滸伝」も含めて、めくるめく色使い(赤が目立つ)と派手な姿態。

 38「那伽犀那尊者」39「蝦蟇仙人」…こんな主題の絵を誰が買ったのか。

 76「誠忠義士肖像・瀬田政之丞高教」…色の濃淡で顔の表情を。

 90「文覚上人那智の瀧荒行」…縦三枚組で滝を表現。

101「本朝武者鏡」…白黒に赤という珍しい色使い。

[説話]

124「木曾街道六十九次の内 六十八守山」…山盛りの蕎麦を頬張る達磨太子。

[役者絵]

 役者の舞台姿を描いたものが多い。一方で写楽のように上半身像のものもある。

156「市川海老蔵」…半下絵が残っていたもの。肉筆のによる顔がよい。

[美人画]

159「当流女諸礼躾方 物の見よう」…芸者の帯が何と「竹の皮」模様。

177「美人子ども十二ヶ月シリーズ・文月の七夕」…浴衣が赤の絞りで何とも派  

     手。

201「四季遊観・納涼のほたる」…薄墨を使った夕暮れ表現

[風景画]

264「忠臣蔵十一段目夜討の図」…外国の景色をそのままに取り込んだもの。

276「東海道五十三次人物誌川崎」・平塚」…まことに意表をつく穏やかな旅人

[摺物]

296「瓢箪に画帖」…柴田是真の穏やかな瓢箪絵を背景にまことに丁寧な「海老 

     蔵」と「団十郎(三枡)」の姿。写真と見紛う丁寧さ。是真も若い頃こ

     んな絵を描いていたのか。 

297「東西大関俳優」…東の海老蔵と西の歌右衛門。恐ろしいほどの細かい鬢の 

     毛彫り。

307「鼠よけの猫」…此の図ハ猫の妙を得し一勇斎の写真にして これを家内に 

     張おく時にハ鼠もこれをミれバおのづとおそれをなし次第にすくなくな 

     りて出る事なし たとえ出るともいたづらをけっしてせず 誠に妙なる 

     図なり。
福川堂記

 
  *通常展示は省略

野生種の名称の不実

 桜草は200年以上の育種の歴史があり、豊かで豪華な品種が存在する。その一方で野生の楚々とした風情を楽しむ人も多い。そんな野生種はかって採取されたものが伝えられ、それぞれの地域名称で呼ばれている。ところがよく考えて見ると、桜草は本来種内の変化の極めて大きな草花で、野生種といえどもその例に漏れない。地域による変異もそうであるが、同じ場所にあっても少しづつ違うものが見出される。
 とすると、地域名称で流通する野生種はその地域で採取されたものであるのだけれど、その地域を代表するものとは限らないのである。
 最近、熊本の上野氏から阿蘇山麓での桜草の生態を写した写真が送られてきた。この地も放牧のための牧地更新で毎年野焼きが行われて桜草群落が生まれたのである。そこに隣り合う群れが違う花容を示している写真があった。どれもが阿蘇固有種なのである。
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 「浮間五台紅」という野生種がある。浮間で採取された特別な性質を持った個体が増やされて広まったものである。このように場所と変異名とを組み合わせたものが命名法として相応しい。
 いままでの「◯◯産」という名称では命名の体をなさないようである。

桜草の今 20/5

 夏日が続き、桜草は気息奄々、急激な蒸散で葉が乾いた状態になるものもある。これからどれだけ葉を保たせることが出来るかが来年につながる。
 私は面倒くさがりなので、花柄も大方は摘まない。萎れた花は大量の雨だと腐るが、このところの晴では乾燥してからからになる。また受精しなかった子房は花梗とともに枯れ落ちてしまう。受精した子房は淘汰せずそのまま成熟を待つ。花後のお礼肥があるので、種子をつけさせたからといって桜草が弱ることはない。
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 肥料が効いて勢の強い品種では2番花の上がってくるものがある。
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 最後まで花壇に残った品種。「光る雪実生」は10日以上もこの中にいたことになる。花が長持ちするのも特性のうち。
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打出のコヅチ−1

 今年の滋賀県文化財講座ー打出のコヅチが始まった。計8回行われる予定。この講座は滋賀県教育委員会文化財保護課と県立琵琶湖文化館とで開かれる講演会である。もともとは琵琶湖文化館であった「浮城特別講座」が、館の休館によってこのように形を変えて行われるようになった。
 それにしても県は琵琶湖文化館をどうするつもりであろうか。膨大な数の館蔵品と寄託品をどうするのか。このままでは宝の持ち腐れになってしまう。何とか展示できる場所が欲しい。そこには人を呼べる工夫も望まれる。といって博物館として展示だけでなく、保存・修理・研究・教育などの機能も忘れてはならない。どだい文化財を維持継承していくためにはお金がかかることはわかりきっている。それを財政不如意だからといって結論が先送りされる。博物館の基本的だが最も地味な部分を担う文化館がこのままだと、滋賀の文化財の行く末は危うい。

  打出のコヅチ第1回

     『平成22年度滋賀県新指定文化財説明会』

[建築物の部]

 「恩子淵神社ー本殿・蔵王権現社・熊野社」…小さな一間社流見世棚造りの社殿  

     なのだが、覆い屋があって古い建物(権現社は応安四年ー一三七一建 

     立)がよく保存されているという。

 「大田神社本殿」…三間社流作(享保三年)

 「草津川桐生堰堤」…明治中期の近代的砂防構築物の代表。

[絵画の部]

 曾我蕭白「紙本墨画叡山図」…琵琶湖文化館館蔵の名物。曾我蕭白は独創的な人 

     物画や山水画で今注目のひとである。ただ彼が実景を写したものはこの

     一幅しかないという。33歳の若描きだが、独特な描き方である。

[彫刻の部]

 「木造天部形立像」…四天王の一躰であろうといわれる。素地仕上げで、鑿目が 

     そのまま残されている。この形式は関東・東北に集中して見られるが、 

     西日本では極めて稀という。

[工芸品の部]

 「鰐口」…「洛陽三条与二郎」銘、桃山時代。この作者のものは在銘品は四点し 

     か知られていない。そうちの2番目のもの。

[書跡・典籍・古文書の部]

 追加指定

 「長命寺文書845点」…これまでの5475点に加えて計6320点に。長命寺山麓の 

     穀屋(長命寺のために勧進を行ったところ)で参詣曼荼羅などとともに 

     発見されたもので。江戸は大奥における宗教活動の資料が中心という。

[史跡の部]

 「松尾寺跡」…米原市上丹生にあった山岳寺院跡で、9世紀から近代まで続いて 

     いた寺という。昭和57年に本堂が雪で倒壊して山麓に移ったという。

 追加指定および名称変更

 「信楽窯跡群」…部分的な指定であったものを、系統だったものに変更。

   黄瀬イシヤ遺跡

   金山遺跡

   牧西遺跡

   長野東出遺跡

   丸又窯登り窯跡と丸由窯登り窯跡

    *パワーポイントを使っての説明は鮮やか

実生新花選抜

 外に出しても良いかと見極めのついたものが2つある。
『雲海』…すでに20年以上前に出来ていたが、何かもうちょっと足りないような気がして、そのままに残しておいたものである。今年はよく出来て、綿雲のように柔らかい雰囲気そのままである。「大絞」実生。
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『菅丞相』…丸弁平咲きに「白兎」がある。赤目がかわいいが、弁が少し波打つのがどうかと思っていた。この「菅丞相」は純白で筒紫、弁が真直ぐに平開するのが取り柄である。「豊旗雲」の孫の世代に当たり、10年前の実生。
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 私の実生選抜の基準を記しておこう。

 1、大輪であること、径50ミリ以上は欲しい。花壇に入れて比較対象にさらされ 

   るので、大きくゆったりしていないと見劣りしてしまう。

   中輪では芸のあるものでなければならない、「桃園蜃気楼」や「流れ星」の 

   ように。

   小輪や梅花咲は個別に観賞するだけなので、今ある分で十分な気がする。

 1、花弁(花冠列片)の間の隙間がなく、さらには重弁であることが望まれる。

   弁元に隙間があるのは間が抜けて見える。

   弁間が離れているものでは、「鋸峰」のように特異な花型でなければいけな  

   い。

 1、弁先に変化のあるものが良い。桜弁平咲きでは、いくら大輪でも平凡にすぎ

   る。

 
 1、花数は10輪前後が望ましい。

 1、花茎は15センチ以上は欲しい。花・葉・茎・鉢とのバランスのとれる高さで    

   ある。

 以上を踏まえて、いままでの数百もある品種を超えなければ新種を出す意味がない。全体として他の品種にない特色があるかどうか、差別化できる内容を持ち、個性的な花容でなければならない。結局、名札が落ちても確とわかる品種が望まれる。

なんじゃもんじゃの花

 近くに住む知人が「なんじゃもんじゃの花を見に行く」というので、道案内を兼ねて私も同行サイクリング。
 近江安土の佐々貴神社ではちょうど満開の見頃を迎えていた。
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「なんじゃもんじゃの木」とは「ひとつばたご」のことで、近江では珍しい木である。かって「中山道広重美術館」に行ったおり、恵那市ではこの樹があちこちで花を咲かせていた。

桜草栽培史44 小屋組花壇はいつからか

 ことしも各地で桜草の展示会が開かれて、その様子がネットで紹介され、これを見て私も楽しませてもらった。大震災の影響を受けた所もあったが、大方は滞りなく実施されたようだ。
 ただそこで私が気になったことが一つある。それは桜草の小屋組雛壇飾りを江戸期以来の方法と説明していることである。
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もちろん壇飾りは江戸時代にもあった。植木屋の圃場の中に花壇が設えられて鉢ものが飾られている様子を描いた刷り物が残されている。そして桜草では「桜草作伝法」の中に具体的な「飾り方」が書かれている。そこでは八尺か九尺の棚板五・六段に33〜43品を、約一尺に一鉢の間隔で飾ったものである。
 ところでこの「桜草作伝法」は江戸は天保時代に著されたものであるが、写本でのみ伝えられ、しかも「飾り方」の項のないものが存在する。つまり写されているうちに「飾り方」が付け加えられたのである。さらに最も古いとされる写本が江戸期のものかどうも怪しい。和紙に墨で書かれているからといって江戸時代に写されたものとは限らない。明治に入って桜草の栽培が復活した頃のものではないかと、私は考えている。
 一方、桜草花壇の記録が始めて現れるのは、明治22年の雑誌の記事である。柴山正富が門人とともに桜草の公開展示したおりに使用した展示小屋の中に、六尺×五尺の小屋で38鉢飾ったとするものが出ている。38鉢を五段に分けると、8・7・8・7・8となり、六尺の棚板でないと飾れない。六尺の巾の小屋に六尺の棚板となると、これは今に普及している小屋組花壇そのものである。
 桜草は江戸の花、だから飾るのも江戸のやり方だろうとの思い込みは、もうそろそろ卒業してはどうだろうか。
 桜草の栽培は今が最も隆盛を誇っており、新しい花も続々と誕生している。桜草は現代の園芸植物なのである。
     *詳しくは「浪華さくらそう会誌45号」参照            (山原茂)
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