日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2011年08月

姫路市立美術館ー酒井抱一展

 琳派に親しむものにとっては見逃せない展覧会なので、初日に出かける。その前に前後2回入場出来る前売券を手に入れておく。姫路は私の所からJR直通で2時間余かかるので、JR夏の1デイパスを使う。
 早く出かけるつもりが、結局ついたのが11時をまわってしまう。姫路は酒井家が藩主であったことで、この展覧会を記念して姫路の和菓子屋さんが入場者先着150名に生菓子を提供されているのだが、こんな時間だったが私もその数のなかに入ったのであった。

    生誕250年記念展

        『酒井抱一と江戸琳派の全貌』

 酒井抱一は藩主の次男として江戸で生まれる。長男が家督を継ぐのだが子どもがなかったので、彼が兄の養子となる予定であった。ところがその兄に子がうまれたことから、彼の人生が方向転換することになる。真面目な青年であった彼が、一転吉原の悪所通いにはまることになる。旗本の次三男の部屋住では何ともならなかったろうが、藩主の弟である小遣に不自由しなかったのであろう。といって今どきのどら息子と違って、遊びも一流、大文字屋の上客として名を馳せている。そして出家して市井の一人として生き、この大文字屋の太夫を身請けして妻としている。
 彼の遊び仲間はこの当時流行した狂歌連中である。上流人士は自らの狂歌を摺物にして、配っている。また狂歌集もたくさん編まれている。酒井抱一も「尻焼猿人」という名で『狂歌三十六人撰』の第一葉に登場している。
    長月の夜も長文のふうしめを あくれはかよふ神無月なり
 また今まで指摘されなかったので私は知らなかったのだが、喜多川歌麿の『画本虫撰』の「毛虫に蜂巣」に記された狂歌
    こハごはにとる蜂の巣のあなにえや うましをとめをみつのあぢはひ
は尻焼猿人つまり酒井抱一の作品だったのである。絵ではなく狂歌で彼は世に出ている。

 「松風村雨図」…細見美術館で何度も拝見したもの。25歳の作、肉筆浮世絵であ 

     り、手本を写したもの。

 「桐図屏風 六曲一隻」…宗達に倣ったのであろう、垂らし込みによる桐。

 「観音図」「瓶花図」…光琳百回忌を記念して描かれたもの。立葵、白百合、紫 

     陽花、仙翁、撫子の五種が組み合わされている。

   *今橋理子著『江戸絵画と文学』に

       「荘厳の夏草ー酒井抱一筆観音図と瓶花」がある。

 「風神雷神図」…著名な宗達の国宝があり、それを写した光琳の重文があり、抱 

     一は光琳を臨模している。この三作を並べた企画があったような気がす 

     るが。見事な模写だが、時代が新しいせいで古びがなく平板に見える。

 光琳「飛鴨図」…抱一による折紙がつく。

 「版本 光琳百図」…光琳に私淑した抱一は、百回忌に江戸で大規模な回顧展を行い、「光琳百図」
を出版している。私のところにも現代の復刻本がある。

 「紅梅図」…身請けして妻とした小鸞との初春の合作。さすがにもと太夫ともな 

     れば高い教養の持ち主である。細見で何度も拝見。 

 「富峯・吉野花・武蔵野月 三幅」…珍しく描表装。

 「秋草花卉図」…抱一にしては大きな作品。

 「雀児図 倣徐崇嗣」…勉強のためか宋画の模写もしている。

 「四季草花金銀泥下絵和歌巻」…光悦・宗達の和歌巻に倣って作ったもの。

 「集外三十六歌仙図画帖」…小さい作品だが、品よく丁寧に作られている。

◯「十二ヶ月花鳥図屏風 六曲一双」…花鳥図ではこれが一番見応えがあった。

 原羊遊斎銘「草花高蒔絵御側簞笥」…左側面に桜草が描かれる。2茎5花づつ。

     さすがに見事な写生。

 *たくさんの酒井抱一の作品を見たのだが、何かちょっと物足りない感がなきに 
  しもあらず。

観峰館ー中国書画・再

 観峰館には近世・近代の中国書画が多数収蔵されている。今回は「関西中国書画コレクション」の一環としての展示なので、とりわけての優品が展示されているようである。この機会をすぎればいつまた再見出来るかわからないので、もう一度見ておこうと出かける。土曜日だったが相変わらず人が少ない、私としてはゆっくり観賞出来るが。
 やはり今回の展示の白眉は何紹基であろう。その躍動する筆法は清末随一ではなかろうか。
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 楊俔
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 徐三庚
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 趙之謙
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 大変珍しい書物が出ていたので紹介する。日本の和歌が英訳され、美しい本として出版されていたのである。DSCF1041DSCF1038

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 打出のコヅチ 第四回

滋賀の文化財講座 
  打出のコヅチ第四回目である。
  
 『建造物修理を「見せる」「魅せる」

       ー文化財活用の新たな展開』の開催について

              文化財保護課   池野保氏

 文化財は長い年月を経て今の姿がある。それは人々の適切な手が加わっているからである。人々の造った人工物は、放置すればすぐに朽ち消滅してしまう。石山寺の本堂は平安末期に建てられたものだが、一度も解体修理されることなく堂々と建っている。常に手入れがなされているためである。
 文化財は一旦失われれば復活再生することは難しい。それが長く私達の身近にあるためには、それが単に‘ある’というだけでなく、どうして‘いまあるのか’という歴史性の認識がなければならない。
 今私達のまわりでは、物の造られる姿を直接見る機会は大変少なくなっている。建前にしても、工場で造られた部材を現場で組み立てるだけである。かってはどんな風に建てられるか、目の前で材が切られ鉋がかけられ壁が塗られと言った手順が見られたものだが。物が完成品として提供されると、壊れれば取り替えれば済むと思ってしまう、それは代替のきく消耗品になり下がることになる。
 文化財をこれからどうするか、他人事でなく私達の財産と考えたとき、一人一人がそれらの関心を持つことが大事となる。
 そこで滋賀県では平成23年度から「仏教美術等再生活用事業」がスタートした。奈良や京都では当たり前となっている旅行業者による文化財探訪ツアーを滋賀でも進めてもらい、そのとき文化財の修理現場をそのコース組み込んでもらうことが計画される。修理現場では所有者による見学者用の足場の設定やパネル・パンフレットの用意が進められている。
 これらによって仏教美術等をより身近に感じ、保護の重要性を理解してもらうとともに、観光振興や地域の活性につなげようとするものである。
 すでに子どもたちに対しては、総合学習の一環としての修理現場見学が実施され始めている。それをVTR収録してその成果を全校のものとする試みもある。
 石山寺の多宝塔の修理が始まり、そこではすでに見学者用の足場が組まれ、寺域見学コースに組み込まれている。また多宝塔や修理に関するパンフレットも作られている。
 西明寺の三重塔も足場作りが進められているところであると。
 これらでは主体はあくまでも所有者なのであって、行政はそれを支援するという方式である。ただ大きくて力のある寺社はいいが、規模が小さく指定もされていない文化財をどうするかが課題であるという。そこまで人の目や手が向くであろうか。

 *帰りの電車のなかで非常に美しい女性に出会った。顔かたちだけでなく、身に付けているものバッグ等も良い雰囲気をかもしていた。ただ抱いていた赤ちゃんは普通であった。

東大阪市民美術センター 日本の色・吉岡幸雄

 久しぶりに東大阪市民美術センターを訪れる。ここもご多分に漏れず、指定管理者制度に移ってから、特別展の数が減ったようである。

     菊池寛賞受賞記念

        染司吉岡幸雄

           『日本の色 千年の彩展』

 染織の分野でどんな展示になるのかと思いつつ東大阪へ。
 「染司よしおか」の代表的な色である「憲法染(黒っぽい藍色)」の布が垂らしてある入り口を入ると、正面に東大寺修二会で使われる造花の椿と大仏開眼1250年法要で用いられた別当着用の紫衣と糞雑衣の七条袈裟が迎えてくれた。
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 会場ではまず東大寺・薬師寺・法隆寺の幡が並んでいる。
 そして『四騎獅子狩文錦』の色鮮やかな復元品がある。その復元の過程をVTRで紹介してある。
     *VTRのなかで吉岡氏の肩書きを大学講師としてあったが、「染師」では物足ら 
      ないのであろうか。
 次に大仏開眼1250年法要のとき催された伎楽の衣装が続く。これらも復元されたものだろうが、まことに落ち着いた渋い色合いになっている。約10数領と馬形
 次の部屋では「源氏物語」の世界が展開する。主な帖に登場する女性に合わせた布地・襲の紹介。こんな繊細微妙な感覚の世界があったのである。といって何人の人がこれを享受出来たのか、ほんの一握りであったろう。
 石清水八幡宮では古くから神への供花(仏教に由来する行事といわれる)が行われてきたが、それも「染司よしおか」から提供されているという。水仙・椿・梅・桜・牡丹など12種の花々が台の上に飾られてある。
 最後に染めの原料である紅花や蘇芳、山梔子などがそれで染めた絹糸とともに展示される。唯一動物性ではラックがあり、それは臙脂綿(色素を染込ませた円盤状の物)として示されていた。
 エントランスの展示室では吉岡姓の美術家の作品があった。
    *繊細優美な色の世界を堪能させてくれられた。

 このあと「上方浮世絵館」にいったのだが、その折のメモ帳を紛失したので、その内容は後日紹介することとする。

湖東地域の庭園ー金剛輪寺と竹平楼

 ある催し会場で、、庭園観賞への参加募集のパンフレットを見つけた。

 淡海観光ボランティアガイド連絡協議会湖東ブロックが主催

   湖東定住自立圏構想 地域創造事業

     『湖東地域の庭園を訪ねて』

という企てで五回にわたって計画されているものである。 

 その第1回は「愛荘町で寺院と宿場町のお庭」をテーマに金剛輪寺と竹平楼をほうもんするというもの。さっそく申し込んだ。
 JR能登川駅東口で、12:30に受付、バスで愛知川駅へそこで別の参加者を乗せて金剛輪寺へ向かう。40名ほどの参加者の大半は老人である。若者はいない。
 金剛輪寺は天台宗の名刹、国の名勝である庭園に案内され、何とご住職より解説していただく。DSCF1017

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ここの庭園は池泉回遊式ということだが、まわりの山を借景とする奥行きのない作りで、手前から観賞するのみ。桃山、江戸初期・中期の庭が続いている。珍しい古木がたくさんあり、小さいが凝った作りである。横に水雲閣という茶室もある。
 次に国宝の本堂を見学。鎌倉時代の建造。柱は欅の太い丸太が使われている。ただ屋根は珍しく桧皮葺となっている。住職の奥さんからお土産(絵葉書)もいただく。
 次に愛知川宿の竹平楼に行く。竹平楼は中山道の旅籠として出発し、料理旅館となり、現在は料亭として営業されている。法事のお客さんや盆踊りの世話で忙しいなか、美人と評判の女将さんから説明を受ける。
 竹平楼と言えば明治天皇が立ち寄られたところとして知られている。明治11年京に向かう途中、愛知川の竹平楼で休憩され(午前に1時間半ほど)、帰路も都合により中山道が使われて竹平楼で休まれた。竹平楼ではこのために部屋が新築され、それがその当時のままに保存されている。そんなに大きい部屋ではないが材は北山杉が使われ、障子は春慶塗となっている。この天皇休憩に際し、往復で30円と羽二重、杯が下されたという。
 明治45年に天皇の行幸を記念する行事が企てられた。宴をはり、雅楽を奏し、籤で当たった人に件の杯で酒を進め、そのご桃山御陵に参拝するというものである。今年の秋で85回を数えるという。
 別の部屋も見せていただいたが、大広間のまわりは畳廊下となっており、ガラス障子には手吹ガラスがなお入っている。
 庭は遠州流のもので、立派な赤松の大木が聳えている。
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 ここで愛知川名物、しろ平菓子舖の「きんかん大福」をいただく。
 慌ただしい半日行だったが、普通では見られないものを見、聞けないことも聞かれて有意義に過ごせた。ただ保険以外、バス代や入山料などは無料であったが、大方は補助金(税金)であろうか、むだ使いといえなくもない。

安土文芸セミナリヨーワンコインコンサート50

 前回のコンサートでアンケートを提出したところ、抽選に当たって招待状がおくられてきた。家人と出かける。

   ワンコインコンサート シリーズ50   

      『ラッパ吹きの運動会』

           トランペット 池田悠人

           トロンボーン 仁科美咲

           ピアノ    菱谷裕衣

 どうも入場者が少ない。席の三割にも満たないかもしれない。本当にもったいない。公共の施設を使うのだから行政ももっと力をいれればいいのだが。

 「トランペットボランタリー」クラーク ピッコロトランペットの輝ける音色が 

     楽しい。

 「トロンボーン協奏曲第3楽章」リムスキー・コルサコフ 力まないで柔らかい 

     奏法で。仁科さんは曲の途中で管のなかの水を舞台に撒かれた。

 「喜びの島」ドビュッシー ピアノ独奏

 「ノルマの主題による変奏曲」アーバン コルネットによる超絶技巧。

 「カリファ」モリコーネ 映画音楽 エスカンによる演奏

 「ファンタンゴ」トゥリン 普通のトランペットで。シンコペーション曲

 「となりのトトロ組曲」久石譲

    さんぽ、風の通り道、まいご、ねこバス、となりのトトロ

 アンコール ライオンキング 魔女の宅急便か
 
  *女性の管楽器奏者が目につく。肺活量で不利だと考えられていたが、そうでもないらしい。吹奏楽は今や女性によって担われていると言っても過言ではないようである。

佐川美術館ーセガンティーニ展

 佐川美術館は少し辺鄙なところに立地しているので、家人に自動車で連れて行ってもらう。にもかかわらず入場者は多い。臨時駐車場まで用意されている。ここでは良い着物を着た女性と出会うことがある、これも楽しい。

   アルプスの画家  

      『セガンティーニ』

           ー光と山ー

[1、ミラノとプリアンツァ:初期]

   フランスのミレー譲りの農民生活を描く

 「鐘つき番」…印象派の流れんのなかにあり、十字架からの光りが効果的。

 「キノコ」…写実的。

 「白い鵞鳥」「死んだカモシカ」…西洋の狩猟獲物の静物画の伝統に沿うか。

 「羊の剪定」…初期の大作。同じ構図の素描も並ぶ。

[2、肖像画]

 「婦人像」…貴族の老婦人。

[3、サヴォニン:山岳の光]

 「森からの帰還」

 「アルプスの真昼」…高山の澄んだ空気、強い紫外線の中に立つ若い女性。

   *印象派の分割主義(ディヴィジョニスム)を点描ではなく線描という独自 

    の技法で。

 「水を飲む茶色い雌牛」…光と影と線。

 「日陰の憩い」…手前を日陰に、奥に光を配す。

[4、マロヤ:アルプスの象徴主義]

 「虚栄」…水に入ろうとする若い裸の女性。水の中にはドラゴンが。

[5、自画像]

 油彩のものが一番いいか。目のきつい人物だったようで、怖い感じを受ける。

[6、シャーフベリフでの死]

 1899年41歳での若い死であった。

 「アルプス三部作」は門外不出なので、縮小コピーが展示される。

 「ふたりの母子」…人間と羊の母子を。

    これはセガンティーニと彼の弟子であったジョヴァンニ・ジャコメッティ 

    の共作。ジャコメッティが遺作を完成させたのである。このジャコメッ 

    ティの息子があの著名な彫刻家になる。


《常設展》

 平山郁夫、佐藤忠良を楽しむ

 「楽吉左衛門館」では展示が新しくなっていた。彼の作品は楽焼の範疇からは大きくはみ出しているようにみえる。すでに茶碗として使う道具から見る器となっているのではないか。今回はフランスの片田舎で作られたものである。彼の地の土や釉が使われている。楽の黒から抜けて様々な色が試されている。渋い黄土色が基調である。その上に様々な抽象模様がのる。これは抽象の千変万化の具現化で、どこまでいくか。とここで、この器を少し大きくして桜草を植えてみたくなった。器に負けないであろう。

大阪市立東洋陶磁美術館ー明末清初の青花磁器

 同じ大阪市立なので、美術館の半券で割引が受けられる。

   古染付に遊ぶ

      『日本人が愛した中国明末清初の青花磁器』

 せっかくの特集ながら、絵も稚拙、器も厚ぼったい磁器である。こんなものをわざわざ中国に注文して造らせ、ぼったくられて世話はない。この時代まだまだ中国ものが巾を利かせていたのであろう。常設展の中国陶磁と較べて月とスッポンである。

 《常設展》 何度も見ているのだが、良いものは飽きない。

 〈朝鮮陶磁〉

  重美 高麗「青磁印花龍文方形香炉」…高麗青磁の中でも最も良い色。

  重美 高麗「青磁彫刻童女形水滴」…まことに繊細、頭の飾りやよし。

  高麗「青磁象嵌辰砂彩牡丹文鶴首瓶」…青磁辰砂は世界に先駆けて高麗人が生 

       み出したものという。

  草花文の李朝白磁青花はそこはかとない寂しさを感じさせる。

  「辰砂蓮華文壷」…赤の発色が良い。

    *何度見ても朝鮮の製品の歪みが気になってしかたがない。

 〈中国陶磁〉

  重文「白磁刻花蓮華文洗」

  重文「青磁牡丹文唐草瓶」…何時見てもこの2点のシャープな造形に心洗われ 

       る。

  鈞窯「紫紅釉盆」…さすがに色よし。

  重文「青磁鳳凰耳花生」…「万声」「先声」に並ぶ花生。冷たいはずの青磁に 

       暖かみを感じる。

  国宝「飛青磁壷」…人によると出来損ないというのだが。

  元染付の鮮やかな藍色、明化成期の極薄の碗もいい。


大阪市立美術館ー特別陳列

 国芳展以来久しぶりの大阪市立美術館である。まずミュージアムぐるっとパスのプレミアム版を購入して、その割引を使って入館する。今回の特別陳列は特別展の範疇に入るということで、次の特別展である「劉生展」には割引なしになってしまった。京博などの特別陳列は平常展の部類に入っていたのだが、ここでは違うらしい。ただパンフレットは良いものが出来ていた。

[雕刻時空ー中国石像彫刻400年]
 山口コレクションを中心とした北魏から唐時代に至る仏像・道教の石刻造像。中国で最も仏教活動が盛んであったと考えられる異民族系の北朝で造られた仏像である。

 「石像如来坐像 北魏天安元年(466)」…五世紀の作ながら、顔つきがふくよ 
     かで、この時代にこんな姿が出来ていたとは驚きである。中国は広い、 
     多様な造仏が行われていたようである。

[色鍋島・藍鍋島 受贈記念田原コレクション]
 佐賀鍋島焼の盛期のものは、日本の焼物のなかでも最高の作品群と言ってもいい。中国の宋白磁・青磁の優品に匹敵すると、私は思っている。その鍋島も始めがあり終わりがある。優品を見る機会が多いが、その前後はあまり展示されることは無い。この田原コレクションは歴史的経過をたどれる学問的に重要なものであるといわれる。

 初期「大根図皿五寸」…二股の大根(線虫に侵されたものであろう)、葉は青磁 
     根は白抜、下地は紗綾形文を墨弾き技法で。

 初期「瓢文皿」…瓢箪の中は麻葉模様を墨弾きで、紐は染付けの縁取りに赤・ 
     黄・水色の釉を充填。

 盛期「色絵毘沙門亀甲桐文皿」…盛期を代表する模様。藍・黄・緑・紅が華やか 

 盛期「青海波宝尽文皿」…染付に青磁が何とも美しい。

 青磁色絵がある。全体を青磁釉が覆い、その上に色絵が乗る。染付けほど自在で 
     ない。

 後期「染付藤花ニ方割文皿」…丸い皿を半分に分けて、上下に花を垂らす。

  *後期となると色使いが制限され地味となる。意匠レベルも下がるようであ
   る。盛期のようなものが出来なくなったのか、求められなくなったのか。

 後期「富嶽雲龍図」…評判の北斎の富士にあやかったもの。薄いダミ染めで。

  *後期の向付や碗の器形は繊細になるが、絵柄のほうはもう一つ。

 なお模倣品も出ている。鍋島は骨董的価値が高いので、かってはたくさんのコピーがつくられたようである。

[漆を楽しむ 蒔絵・螺鈿・根来]
 近世の大阪は漆商いの中心地であったそうで、そのため漆器も集まっていたという。

 「蒔絵」

   重文「蓮蒔絵懸子(一切経唐櫃)」平安時代…漆塗りというのは大変丈夫 
     だったのであろう、何百年経って今ここにある。

   国宝「菊唐草蒔絵螺鈿手箱(熊野速玉大社御神宝)」…貴族によって奉納さ 
     れた宝物の数々は、神に捧げられたものなので超高級品であるととも 
     に、実質使われることを予定していないものである。それにしてもよく 
     今に伝わったものである。正倉院では保存技術が云々されるが、古代中 
     世の寺社の宝物の保存はどうなのであろうか。

   「菊児童蒔絵硯箱」…硯箱などの高い意匠性を持ったものは、最初こそ使わ
     れたかもしれないが、寺社等に納まってしまえば、これも宝物としての 
     取り扱いを受けたことで受け継がれたのであろう。

   重文「牡丹蒔絵硯箱 大阪安福寺」…尾張藩第二代光友寄進のもの。桃山期 
     を思わせる豪壮な牡丹が見所か。

   「海松貝檜垣菊蒔絵四方盆」…左右身替ではなやか。

   「九曜紋婚礼調度一式」…盛時の大名の婚礼道具。尾張徳川家の「初音調
     度」がよく知られるが、この「九曜紋」も大名のメンツにかけて仕立て 
     られたもののようである。

 「螺鈿」 

  「螺鈿四角徳利」…ワイン用といわれる。京博に箱入りの揃物がある。

  輸出用の洋櫃がたくさん出ている。

  「花樹飛鳥蒔絵螺鈿厨子」…螺鈿は日本で作られ、内部はインドのムガール帝 
     国でつくられたもの。 

  「螺鈿花鳥文台付杯」…近代タイの製品。明代の物と見紛う微細な細工物。

  「螺鈿雲龍文盆」…琉球の製品で、これも明のものと見紛う。

[彫漆]
   かっては堆朱と呼ばれたもの。大変手間のかかる物で、中国人の超絶技巧が 
   見もの。それがあまりにも高価だったのか、日本化されるとき、彫り主体の「鎌倉彫」となる。

[根来]
   根来は実用品である。機能の美とともに、使い続けられ修理・塗り直しされ 
   た時代を感じさせる美もみどころ。

   「黒漆塗丸盆」…漆塗といっても拭漆のような表面仕上げでシャープ。

  *[漆を楽しむ][雕刻時空]とも優れたパンフレットが用意されていた。

桜草栽培史 49 桜草写真の作者は?

 サイクリングの途次、安土の図書館に寄ってみる。『国書総目録』があったので「桜草」の項を開けてみる。
 『桜草写真』には以下のように記されている。

      国会(蕈渓主人写)、京大、村野
 
ところで私のところには国会本のコピーがある。そこには

     桜草 漢名不詳

        蘭語スレウデルブルーム

    近年種類多シ三百余品中之上花

    六十五品ヲ写

とあるだけで「蕈渓主人写」の文字はない。
 この目録を編纂した人達は直接国会本を調査したわけではなく、すでにある各種の目録を利用したので、その目録の誤りを踏襲してしまったのである。これは目録作りにはよくあることで、膨大なすべての古書を一から調査点検していては、いつまでたっても目録はできないからである。といって一旦「総目録」として出版されてしまうとなかなか訂正がきかない。
 私も桜草の総銘鑑を編んだのだが、その折には先行する銘鑑を下敷きにさせてもらったので、やはりいくつもの誤りを引き継いでしまった。そのためそれを見つけてはその訂正を最新の会誌やこのブログに載せている。
 閑話休題。『桜草写真』には東京都立中央図書館にも一本が蔵され、それには「天保丁酉蕈渓主人誌」の語があるという話である。私は実見していない。同じ書物の写本に文字の有無がある場合、ないのが先行し、あとで文字が追加されたというのが歴史学の常識である。『桜草写真』の場合でも、植物図譜で名高い坂本浩然(蕈渓主人)の名を借りて写本に箔を付けたのではないだろうか。
 というのも坂本浩然には『桜草勝花品』という桜草図譜がすでにあり、『桜草写真』とはとても同一人の手のものとは考えられない絵の質だからである。それは花色だけではなく植物の構造の描き方にも違いが見られる。『桜草勝花品』では茎の最上部に「総苞」がちゃんと描かれているのだが、『桜草写真』(国会本)ではそれがすべての花に描かれていない。植物に詳しくない人物が描いたものに違いないのである。
 よって私は『桜草写真』が坂本浩然(蕈渓主人)の描いたものではないと断定する。                                             (山原茂)
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