日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2011年09月

満開の不断桜

 近江八幡の湖岸の自転車道の中程にある「西の湖園地」には数本の不断桜が植えられてある。それがいま満開状態となっている。これから冬・春先のかけてゆっくりと咲き続ける。
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 沙沙貴神社を通りかかると彼岸花が満開。
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 鳥居の石のあいだからも
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京都文化博物館ーギッターコレクションン

 USAには日本絵画の著名なコレクションがいくつかあるが、その一つが日本にやって来た。ここに絵画は「万葉庵コレクション」としてネット上でも公開されている。

   『帰ってきた江戸絵画』

       ニューオーリンズギッター・コレクション展

[1、若冲と奇想の画家たち]
  若冲には大きく二つの画風がある。動植綵絵のような謹直なもの、一方筆の勢いを利用した一気呵成の行書風の墨画である。後者が後年のものかというとそうでもない。

 「寒山拾得図」…46歳にして、筆の勢いのある撥ねを利用した小気味よいもの。

 「宇治万福寺図」…淡墨の滲みを重ねる方法で。

 「達磨図」…相国寺と関係あった若冲のこと、画家の描いた達磨で、白隠とは一 

     味違う。

 「白象図」…象を正面から見た図。外隈で。

 池大雅「太秦祭図」…鉄斎につながる、画面の2/3が文字で。

 長沢蘆雪「月に竹図」…繊細は竹の葉。

 曾我蕭白「二老人図」

[2、琳派の多彩]

 宗達「四睡図」…伊年印。豊干と寒山拾得、それに虎。

 宗達「鴨に菖蒲田図」…上とともに宗達工房の作であろうか。

 立林何帠「朝顔図」…京琳派から江戸琳派への橋渡し。

 酒井抱一「秋冬草花図」…一気に上品の作となる。

 酒井抱一「朝日に四季草花図三幅」…装飾的で品格高し。

 中村芳中「月次草花図扇面屏風」…六つの扇面の貼付け。

 鈴木其一…より装飾的に。

 神坂雪佳「秋草花図」…まことに賑やか。秋の侘しさはない。

[3、白隠と禅の書画]

 白隠「達磨図」…「直指人身、見性成仏」と左から。悠々如たり。

   「観音図」…これは一転細密図。

   「是什麼(これはなに)」…鷹の羽、茄子、富士

   「篆書百寿」…83歳の書。‘気迫のこもった力強い書風’とあるが、お布施 

      をいただくためにたくさん書いたものの一つであろう。  

 池大雅「五老図」…指頭画。

 仙崖「欠伸布袋図」

 中原南天棒「達磨図」…‘不識’と大書した中に、達磨のかわいい顔覗く。

[4、自然との親しみ]

 源埼「松に虎図」

 渡辺南岳「群鶴図」

 月渓(呉春)「双鹿図」

 紀楳亭(九老)「双鴉図」…蕪村の「鳶・鴉図」の写し。‘風雨の表現なく、緊 

     張感は和らぎ、より素朴な味わいは楳亭の創意’と解説されるが、これ

     は言い過ぎ。

 山本梅逸「四季草花図」…よき似たものは琵琶湖文化館でみたような。

 椿椿山「月夜・柳に蓮花図」

[理想の山水]

 池大雅「湖景図」「山水に稲田図」

 与謝蕪村「寒山行旅図」…俳画

     「夏景山水図」…中国画を正統に継承。

 浦上玉堂「火伏金生図」「春雲もこ図」

 横井金谷「秋冬山水図」…‘一路寒山万木中’とある。蕪村に並ぶか。

 谷文晁「山水図」…金地に太く力強い墨線。

[6、楽しげな人生]

 「花見遊楽図」…享保時代。54人の女性に同じ着物なし。

 肉筆浮世絵いろいろ

 呉春「徒然草三十一段」

 富田渓仙「遊里風俗図」 

泉屋博古館ー中国絵画

 『関西中国絵画コレクション展』が泉屋博古館でも始まった。

    『住友コレクションの中国絵画』

 この催しは、昨年秋同所で行われた『中国絵画』とほぼ同じ内容である。

[住友寛一コレクション]

 重文「安晩帖・菊鶉図」八大山人…桑名鉄城旧蔵。‘諧謔味にあふれる’とあるが、

     鶉の目では黒い眼が上を向いている。

 「鳩図」附岸田劉生箱書…「劉生絵日記」で、これを入手した折のスケッチ、友 

     が来てこの絵を披露している図が紹介されている。

 「雪石図」高鳳翰…雪を外隈で。

 重文「蘆山観瀑図」石濤…何度見ても見飽きない雄大な山水図。淡彩も好ましい

 「報恩寺図」石溪…まことに精細。

 「鵬挙図」華嵒…鳥より雲の湧き上がる様がよい。

 「柳栗鼠図」虚谷…やはり金魚のほうが良いように思う。

 「設色花卉図」陳遵…明の花卉図の優品。

     萱草=男子出生 立葵=立身出世

 重文「黄山八勝画册」石濤…渇筆の柔らかさが際立つ。

[住友春翠コレクション]

 「鑑蔵印」桑名鉄城…泉屋清玩、泉屋秘蔵、泉屋秘玩

 「雨竹居士薦筵図誌」…春翠が行った煎茶第五席の図。

 「渓澗松濤図」周之キ…うららかな気分。日本の茶人に長く愛されたという。

 「竹石図」馮可宗…濃墨でリズミカルな竹葉。

 国宝「秋野牧牛図」…南宋画の名品。

 「雪中遊兎図」沈南蘋…日本で評価の高い代表作か。

[内藤湖南コレクション]

 「花卉図」趙之謙…放胆な構図で近代的。

[ゆかりの人々]

 「竹林幽居図」呉昌碩…画家から春翠に贈られたもの。未表装。

 「間雪 扁額」羅振玉…日本在住中に書いてもらったもの。


 泉屋博古館の中国絵画は明から清の初期中期にかけての優品が多い。観峯館のは清の後期から明国にかけてが中心で、落ち着かない世相が反映しているようである。

茂山狂言会ー沙沙貴神社

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 安土にある佐々木氏の氏神本山である沙沙貴神社で茂山家による狂言会が行われるという、しかも無料である。家人と出かける。

   『茂山狂言会 奉納狂言』

 茂山家は数代前、京都の佐々木という呉服屋から養子を迎えている。つまり茂山家も佐々木氏の一統ということで、この狂言会が実現したという。
 そのこともあって茂山一門の当主と子・孫の三代揃い踏みである。
 拝殿が舞台となる。その南側と絵馬殿前に椅子席が設えられ、神への奉納とはいえ観客に向かって演ぜられる。

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   狂言 千鳥   茂山千五郎 茂山正邦 佐々木千吉  

   狂言 しびり  茂山竜正 茂山虎真

   狂言 水掛聟  茂山七五三 茂山茂 山下守之

 室町後期の世界が突然この世に現れた感じで、面白いけれど、古色蒼然としている。現代に生きる道はあるのか。

湖東地域の庭園ー西明寺と七郎平邸

 第4回目湖東地域の庭園訪問は甲良町である。甲良町は人口数千の小さな町で、町中には工場以外大きな建物はない。アパートや高層住宅も見られない。穏やかで豊かな純農村地帯である。住民もほとんどが地元の人であるという。
 JR河瀬駅からバスで連れて行ってもらう。

[西明寺]
 天台宗の名刹である。住職から直々に説明を受ける。

 〈前庭〉皐月が四角に刈り込まれた庭園。不断桜がある。親樹は2〜300年生と 
     いう。猿・鹿・猪の食害が多いので、別に若木を養成中という。

 〈国指定名勝庭園 蓬莱庭〉本尊薬師如来の瑠璃光浄土の世界を現したものとい 
     う。各仏に擬した石が配置される石組庭園である。石の間に植えられた 
     皐月は雲である。心字池には亀島・鶴島がある。ここには鷺よけの糸が 
     張られていた。
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 〈国宝本堂〉明治30年国宝指定第一号の建物である。本尊の薬師如来は秘仏で、
     住職一代で1回のみ開帳出来るという。その他多くの仏像が所狭しと並 
     んでいる。信長による比叡山焼き討ちの余波が及んだが、参堂の左右に 
     たくさんあった子院や宿坊が焼けただけで、二天門・本堂・三重塔は免 
     れた。
       ここには親鸞上人の坐像も安置される。比叡山での兄弟弟子がここに 
     あり、新潟に流されるおりここに立ち寄ったという縁である。
 〈国宝三重塔〉現在屋根の檜皮葺の葺替中で囲いがしてあり見えない。ただ見学
     用の足場が組まれてあり、10月1日より見学出来るとのことである。こ 
     れは先頃の打出のコヅチ第4回で「建造物修理を見せる、魅せる」で紹 
     介されていた。

 〈不断桜〉山門を入って横の不断桜はすでに花をつけ始めていた。

[野瀬七郎平邸]
 近江商人で兼松江商設立者の一人七代目野瀬七郎平の屋敷である。母屋は明治中期の建物で離れは後に増築された。離れは良い財が用いられている。床の天井は鶉杢の杉板、框は黒漆塗り、外廊下は五間長の節なしの一枚もの。
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 庭は、築山・石組・池・四阿と小さくまとめられている。ただ手入れが行き届かず、かなり荒れている様子。池には泥がたまったまま。
 ただまことに立派な蔵があった。 
 人が住まれてるものの、このままでいけば、そのうち朽ちてしまうであろう。

美術館「えき」KYOTOー荻須高徳展

 手元にあるJR回数券の期限が切れる寸前なので大阪に出かける。図書館で「宴遊日記」の桜草記事を再調査、そのあと長年使って来た折畳傘が駄目になったので茨木の小松屋で新調する。傘の世界でも高級品は売れず普及品は中国製ばかりとのこと。そこから京都駅に戻る。

    生誕110年記念

      『荻須高徳展』

 私が荻須高徳を知ったのはかなり早い。私の10代の終わり頃出ていた絵画全集の一冊に彼が当てられていたからである。パリの町家・住居が中心で、大変わかり易い絵であった。

[パリ]
 荻須高徳は1928年パリに到着、戦時中・戦後を除いて死ぬまでフランスで過ごした画家である。フランスで最もよく知られる日本人画家は藤田嗣治であるが、それに次ぐのが荻須高徳というが。

 「モンマルトルの食料品店1929」

 「しんぶんや1929」

 「テアトル広場1930」

     これらの初期の作品はあらくたい筆致で、ヴラマンクそして佐伯祐三を 

     彷彿とさせる。彼は佐伯祐三と同じ時空を共有したのであろうか。

 「古道具屋1930」…明るい壁色が気持ちをそそる。これも佐伯祐三の「煉瓦

     焼」を思い出させる。

 「フジタの窓から見たオルドネール通り1938」…初期に較べ全体が穏やか名雰 

     囲気となっている。今度はユトリロに近づくか。

[ヴェネチィア]

 パリからさらに南のイタリアは太陽の世界。

 「パラッツオ・ローザ」…明るいレンガ色が映える

 「八百屋」…陰のあるパリからすると、ここは光溢れる。

[ポートレートその他]

 「長老1929」…この時代のものは建物と同じで、荒い筆致。

 「モーリス・ド・カノンジュ夫人の肖像」

 「モーリス・ベナール」…この2点がよい。

   その他、静物や花も描いている。

 ところでなにゆえ荻須高徳はフランスや日本で高く評価されるのであろうか。私に言わせれば、佐伯祐三の最晩年の切羽詰まった胸苦しいほどの画面は、荻須高徳の生温い常識の世界とは比較にならない孤高の境地にある。
 佐伯祐三は若くして死んだ、作品の絶対量も少ない、それに較べ長生きした荻須高徳はたくさんの作品を残している。そして荻須の作品は人々の取っ付き易い画質で、町々の古き良き時代の姿を懐かしさを思い出させて一般受けする。
 もしも佐伯祐三がもう少し長生きして、作品がパリにも残ればフランス人はこれをどう見ただろうか。ただ佐伯の最晩年の作品は死を予感した緊張感が漂い、もし長生きすれば、こんな絵は描いていないかもしれないが。
 絵の評価は、活動期間・作品数・活動場所さらに画商の才にも左右されるようである。これも運のなせる技か。
 いま佐伯祐三の回顧展をパリで開けば、フランス人は何と思うだろうかと、私はつい思ってしまう。

打出のコヅチ 第五回

滋賀の文化財講座 打出のコヅチ第五回目
 
   『舎利信仰と美術』

      ー聖衆来迎寺山王曼荼羅舎利厨子とその周辺ー

                滋賀県文化財保護課 古川史隆氏
         
 近年滋賀では数件の重要文化財指定があったという。その一つが今回紹介の厨子である。大変珍しい形式だという。

[山王曼荼羅舎利厨子の概要]
    所蔵者  聖衆来迎寺
    法量   総高22.7センチ 巾19センチ
    品質   木造 黒漆塗
    時代   南北朝〜室町時代(14〜15世紀)
 表裏ともに観音扉で、なかに極彩色で絵が描かれる。中央に水晶板に挟まれた仏舎利(実際は宝石か)が納まる。その周囲に日吉山王神の本地仏(釈迦や菩薩)が表裏八仏づつ。
   扉扉右ー天台智據 〆検失農
   裏扉右ー慈覚大師  左ー慈恵大師

[舎利信仰の歴史]
 仏陀が亡くなりその遺体が荼毘に付される。その遺灰や遺骨は尊崇の対象として八基のストウーパに納められ、仏舎利が聖遺物信仰として深化していく。この信仰は佛教の広布とともに中央アジア・中国そして日本ヘと伝わる。
 しかし仏舎利とはいえ、偉人一人分の遺骨である。そんなに分割出来るわけがない。結局は貴重な宝石などで代替されていくことになる。
 そんな尊い遺物であるからには、その容器も様々に凝った容器が生み出されることになる。いましもMIHO MUSEUMでは中央アジア・ガンダーラに伝えられた銀製の舎利容器が展示中である。日本ではインドのストゥーパと同じく古くは塔の心礎に納められたので見ることあたわざるものであった(小さな水晶の容器)。それが白日の下に出てくるのである。宝塔型その他の舎利容器が作られるようになる。そして仏舎利が隠された聖なるものから、目に見える宗教資源として利用されることになる

[山王曼荼羅厨子の成立]
 日本が鎌倉時代に入ると、末法の実感とともに、戒律の重視や釈迦への回帰が鼓舞される。この流れのなかで密教を学ぶ祖師たちによって、仏舎利信仰が天台密教と結び、さらに日吉権現神と習合して、この厨子が出現したと考えられると。
 何とも欲張った信仰対象としたことか。

[仏舎利請来]
 1898年インドでイギリス人ペッペによって仏教遺跡が発掘され、仏舎利が世に現れた。その仏舎利がタイ王国にもたらされたところ、ときのチュラロンコン王は同じ仏教国であるビルマ・セイロン・日本にそれを分与された。日本ではそれを超党派の寺院である名古屋の覚王山日泰寺に納めたのであった。
 

MIHO MUSEUMー天台仏教への道

 滋賀県での今秋の仏教美術に関する大きな催しが始まった。MIHO MUSEUMU、滋賀県近代美術館と大津市歴史博物館の三館連携特別展で、滋賀県の寺社の宝物を挙げての展覧会である。

      『神仏います近江』

 信楽会場であるここMIHO MUSEUMでは:

      『天台仏教への道』

         ー永遠の釈迦を求めてー

              *北館の陳列一覧を参照

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    *本館正面玄関左右に見事な多行松が見られる。

 陶芸の森から、途中地元の蕎麦屋さんで少し遅い昼食を済ませ、MIHOに回る。こんな山の中なのだが、相変わらず地元以外からの来訪者が多い。

[釈迦入滅]

 「仏涅槃図」絹本著色・室町期…荒戸神社

 「僧形坐像」木造二体…千手寺・善願寺…中国唐代のものという。よく伝わった 

     ものである。

 「舎利容器」銀製…MIHOで何度も拝見している。

[釈迦誕生の因果(過去仏・因果仏)]

 「燃燈仏授記図浮彫」石彫…MIHO 炎を背負う形。こんな観念を良く思いついた 

     ものである。

[大乗の菩薩と他浄土仏]

 重文「吉祥天立像」木造彩色…擽野寺、彩色が少し残る。

 重文「帝釈天立像」素地…正法寺、

   *この二体ともに緊張感が漲る。

 「観経変相図」絹本著色…長寿寺、絵の周辺が細密の小画・30数画面が取り囲む

 重文「阿弥陀二十五菩薩来迎図」絹本著色…新知恩寺、来迎図は多いが、菩薩の 

     踊る姿が艶かしい。

 国宝「透彫華籠(平安時代)」神照寺…精緻な彫り物の銘品。どこに寄託された 

     品であろうか、琵琶湖文化館からか。

[仏遍満する宇宙]

 「善財童子図 北澗居簡賛」南宋…MIHO、研ぎすまされた雰囲気あり。

[奈良時代の仏教]

 重文「持国天立像」木造彩色…MIHO、いつも思うのだが、四天王のうち一体の 

     みここにあるのは気の毒。

 重文「千手観音立像」木造古色…善勝寺、千手とともに十一面でもある。

[法華経と最澄]

 重文「法華経」…西教寺、光明皇后の五月一日願経。

[比叡山と最澄]

 重文「伝経大師坐像」素地…観音寺。

 重文「叡山大師伝」紙本墨書…石山寺。

[最澄以後 天台密教の興隆]

 「両界曼荼羅図」絹本著色…琵琶湖文化館。

 「黄不動尊像」絹本著色…観音寺。園城寺の国宝の写しであろう。

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   会場での展示ー猿投焼にホトトギス

 *天台仏教への流れが専門家でもない限り、今ひとつわからない。しかし仏像な 
  どよくぞ集まったものである。

陶芸の森陶芸館ーグルメなやきものたち

 久し振りに信楽に出かける。

   特別企画 陶芸を楽しむ

     『グ・ル・メ なやきものたち』

 陶磁器は本来、食器・花器などとして作られた使われてきた。人々はその制作に当たって、そこに機能美とともに美的感覚を盛り込んだが故に、陶磁器はまた美術品として取り扱われるようになる。さらに焼物を素材として芸術作品も作られるようになる。
 このように多様な陶磁器であるが、やはり食器としてのあり様が一番であろう。そこで食に関わる器の特別展である。

[1章 食の原点 自然の恵みに感謝する]
      パプアニューギニアの形象土器

 パプアニューギニアといえば原始農業に生きる人々という印象を受ける。掘り棒一丁でのタロイモ栽培、ペニスケース、顔の隈取り……
 しかし現在は独立国家として近代化が進みつつあるようであるが。
 そのパプアニューギニアの人々の土器を始めて見た。縄文の火焔土器と較べられる優れた造形である。
 「アイボム村・サゴヤシ澱粉貯蔵用大壺」…首のところに見事な豚(?)の顔が 
     貼付けられてある。
 「縁に飾りのある竃」…大きな深皿の形。ここで日を焚き、土鍋・皿で煮炊きす 
     る。
   ゴトクがあり、薫製用の器がある。土に挿して使う先の尖った鉢も出ている  
   装飾土器では中国の彩文土器に似る。

[2章 巨匠たちのうつわ]
  北大路魯山人「織部長方鉢」…彼の深緑釉はなぜこんなに美しいのか。
        「信楽皿」「鉄砂釉花文銘々皿」
  熊倉順吉 食器一式、「色絵組湯呑」
  富本憲吉「色絵丸紋玉露碗」
  山田哲、塚本快示 浜田庄司、リーチ、高橋春斎、清水卯一、鈴木茂三
  上田直方(五代)

[3章 お茶にしましょう]
  ルーシー・リー/ハンス・コパー「コーヒーセット」…いいものとは思うが、 
     今では売れるだろうか。  
  茶箱、茶籠がある…外出先でのミニ茶道具。
  湖東焼、湖南焼(永楽保全)など近江の焼物。
  多くの外国人作家による水注の競作がある。思いもかけない形がいろいろ。

[4章 陶芸家のうつわでグルメ三昧]

[5章 やきものグルメ]

  食べ物が作品の中に登場するもの。

[6章 不思議な&やきものグルメ]

     グルメなあなたなら何を盛りつける。

 パプアの土器には強い印象を受けた。そしてまことに多彩な器を見ることが出来た。ただ、食器は楽しいのだが、良い品と言って次々と買うわけには行かないのが残念。

湖東地域の庭園ー阿自岐神社と豊公館

 第1回は愛荘町の金剛輪寺と竹平楼の庭を拝見した。第2回は彦根市の玄宮園と浜御殿の予定であったが、台風のため中止。
 今回第3回(実質2回目)は怪しい空模様であったが実施される。

   豊郷町『神社と近江商人邸のお庭』

 近江鉄道の豊郷駅に集合、今回の参加者は20数名。
 駅から徒歩で阿自岐神社に向かう。途中豊郷に名高い旧の豊郷小学校の側を通る。ほんとに壊されずによかった。古い建物を厭い、新しくて耐震性を備えた校舎を地域の人々は望んだのであった。これには新しいものは良いとする信仰とともに、校舎の改善をするよりはいっそ改築する方が国庫補助が多く下りることがそうさせたのであろう。古い寺社の建物は修理を繰り返しながら今に伝えられて来たが、近代の建物の多くはまことに寿命が短い。ほんとに百年と保ったものは少ない。鉄筋コンクリート作りしかり、そして庶民の住宅もそうで、明治期のものなどほとんどのこっていない。
 閑話休題。
 阿自岐神社の到着。前宮司夫人よりお茶の接待と神社の概要説明を受ける。この地は渡来人阿直岐氏の住んだところで、その氏神としてこの神社が祀られたものらしい。主神は「味耜高彦根神(アジスキタカヒコネノミコト)」と「道主豊神(ムチヌシムチノミコト)」という農耕神である。この地は水に恵まれて、農業の盛んな地域となっている。神域にも水が湧きだしていて、その湧水で茶が入れられ、さらにその湧水で冷やされたものをいただいた。
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 この神社の庭園は「池泉多島式庭園」といい、上古の時代に作られたとされ、それが原型に近い形で残っている貴重なものということである。現在、県の指定名勝庭園となっているが、その指定の折に庭園として整備されたそうである。それは広い池と多くの島(十三島)とで成り立っている。しかし千年以上も前の姿が残っているというのだが。
 池には白鳥が一羽いた。飛べなく処置されているのだろう、かわいそうに飼い殺しである。
 社務所の裏にある杉の大木の頂部が台風12号で折れたという。池側に倒れて被害はなかったという。
 久しぶりにヤブ蚊に襲われてかゆいこと。

 阿自岐神社から歩いて豊公館(又十屋敷)に向かう。
 最初に館長さんより詳しい説明を受ける。豊公館は、近江商人藤野家の家屋敷を受け継いで展示館としたものである。藤野家は藤野喜兵衛が創業、北海道で柏屋…「又十」の屋号で漁場開発や廻船業者(北前船)として成功する、その4代目辰次郎は新しい事業として鮭の缶詰製造に着手(星印缶詰)、軍用需要にも支えられて大きく発展する。彼は県会議員・衆議院議員としても活躍するが、早くに亡くなり、藤野家は没落。その缶詰事業は日魯漁業に譲られ「あけぼの印」として続いている。
 現在残っている建物は明治期に建てられた本宅・文庫蔵・長屋門のみである。
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 庭は天保時代に勝元宗益(鈍穴ドンケツ)によって造られたもの。奥行28メートルに4メートルの築山がありそこに三尊石が並び、正面向こうに3メートルの巨岩が配される。また手水鉢円筒形の趣あるもの。この庭は石庭として設えられてある。
 築山の上には樹齢400年という楠が聳え、宇曽川水運の目印となっていたという。灯籠が多く配されているがこれは後置されたもののようで煩わしい。樹木は当初の姿からはかなり変わっているように見える。管理が大変そう。
 ここで御抹茶の接待を受ける。表千家の方々が出庭って下さったが、大勢だったので作法もなにもなし。お菓子はカボチャの生菓子で、これは秀逸であった。
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