日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2012年03月

織田瑟々桜画展

 滋賀は八日市の特異な展覧会が今年も開催された。

    第10回『織田瑟々桜画展』

 案内の葉書がきたので、春の気まぐれな嵐のような風雨のなか、家人に送ってもらって出かける。
 織田瑟々は織田信長の系譜につながる女性画家。八日市の川合寺に生まれ育ち、京に出て絵を学んで絵師として身を立てる。のち地元に帰り西蓮寺に入り尼としての生涯を送った人である。檀家の人々の請いに応じて桜画を描いたのであろう、地域の家々に桜画が多く保存される。それらを持寄っての地域密着のお寺での展覧会で、毎回彼女にまつわる講演も持たれる。

[出展作品]
 三熊思考「桜図」…小輪の桜で、蕾が愛らしい。気品あり。
 「小江戸真図」…絵師として独立した22歳の作品で、背景を縹色とした清新な色合い。
 「逆手桜真図」「糸括桜真図」「糸垂桜真図」「糸桜真図」「彼岸桜真図」「有明桜真図」
 「桐谷真図」「美芳野桜図」「美人桜図」「帆立桜別種」「美人紅真図」「帆立桜真図」
 「桐谷真図」
 桜戸玉緒「短冊・九枚」…上部に桜の絵あり。
 
[記念講演]

  『人と桜ー日本文化の心性史』

       学習院女子大学教授    今橋理子先生

 10回目の記念と言うことで、関係深い今橋先生に来てもらったという(3回目だそうである)。
 著書を通して知るのみであった今橋先生に出会えると言うので期待して出かける。かわいらしい中年の小太りの女性であった。
 はじめにー3.11の震災により桜の木の被害も大きかったという。そこで桜の木の植樹運動が進められている。ただ百年の命しかないソメイヨシノが多く、長命の山桜(瑟々の描いた桜)が望ましいのだがとおっしゃる、しかり。

 桜は特別な花ー「花咲か爺さん」の幼年唱歌の1番を歌われて、この話の概要を説明される。犬の名は「ポチ(仏語のプティより)」ではなく「シロ」であると釘をさされる。忠犬は死んでも夢枕に立って幸いをもたらし、燃やされた臼の灰で「枯れ木に花がさく」という。死と再生の象徴として桜が使われるという。
 古事記の国生み説話で、穂の瓊瓊杵の命(豊な稲作の稔)に配されるのは木の花咲くや姫(桜の花)となっている。稲の生長と桜とは分ち難く結びついており、東北では田畑によく1本桜が植わっているという(季節の目安とする)。
 また木の花咲くや姫は富士山(浅間神社)に祀られ、不死をを願う対象となっているという。

 花は桜ー古くは椿であり、梅であった。それが嵯峨天皇の時代、左近の梅が桜に変えられてより、桜は祭とともに歩むようになる。さらに西行によって「仏には桜花をたてまつれ〜」「願わくは桜の下にて春死なむ〜」と、花=桜が決定的となる。

 いさぎよい桜ー桜の花を「いさぎよく散る男心」と結んだのは太平洋戦争期からで、死に行くものの象徴として利用された。

 桜を絵の主題にー花鳥画において桜を単独で描いたものはなかった。それを三熊思考が初めて意図的に桜の絵を描くことになり、織田瑟々はそれを受け継いだ。

 桜は日本だけ?ー貝原益軒の桜は「中国にはなし、朝鮮にはあり」の説が、伝えられていく間に桜が「日本固有の花」とされたのは誤解である。東アジアには桜はあると。

   →なかなかに聞くだけでは難しい講義であった。
 

植付け終了

 この1週間、冬に逆戻の寒さで植付けが一向に捗らなかったが、昨日と今日はやっと春らしい穏やかで暖かい天気となり、最終ゴールにやっとたどり着いた。
[最後の植付け]
 仮植状態でも葉が大きく成長している。
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 根の様子、毛根も盛んに成長している。
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 芽を取り出したところ。
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 鉢に培養土を少し入れ、そこにIB化成をのせる。
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 培養土を肥料にかぶせてから、芽を配置する。
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 土を入れて、植え終わった状態。
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 植え終わった北の鉢置き場。
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 これでやっと植付け終了。今回は作落ちさせてしまった品種が多かった、しかも2品種ほど絶やしてしまった。昨年と較べ、香炉鉢が余ってしまった。そのこともあって、ビニールポット以外すべて丹波鉢で間に合った。

浪華さくらそう会誌出稿

 浪華さくらそう会の会誌の編集がやっと出来て印刷所に持っていく。
 内容は以下の通り。
   表紙………「菅丞相」……………山原茂作出新花……………表1
   堺大仙公園花壇・目次・行事予定………………………………表2
   実蒔きによる桜草園芸品種の
      初出時期と発展段階について……竹岡泰通………1〜15
   私の桜草人生(上)………………………山原 茂……16〜20
   桜草札記⒃…………………………………………………………21
   行事録………………………………………………………………22
   会計報告・寄贈目録・新入会員名簿……………………………23
   会則・編集後記……………………………………………………24
   阿蘇高原桜草自生地写真…………………………………………表3
   美術に見る桜草…………能装束・長絹…………………………表4

 発行は月末か4月初めになる予定である。会員の皆さんにはもう少しお待ち願いたい。


  

大阪城公園の梅林

 久し振りに大阪に出たので、大阪城の梅林を訪れる。日曜日とあって大阪城は人でいっぱい。
 梅林の手前で桜に出会う。
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 梅林は残念ながら盛りを過ぎていた、もう1週間早ければよかったのだが。
丘の上から全景を見たところ。
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 ここの梅林は木作りや剪定が見事にしてある。しかも多くの品種が揃っていることでも知られている。ただ狭い敷地に多くの木が植えられて、余裕がないのが残念である。

大阪歴史博物館ー日欧のサムライたち

 大阪城の梅林に行く途中で寄り道。

   『日欧のサムライたち』

      ーオーストリアと日本の武器武具展ー

 オーストリア第2の都市グラーツのエッゲンベルグ城に「インドの間」があった。そこに細長い絵が8枚掲げられてあるのだが、それが16世紀の大坂城と大坂の町を描いた屏風であることが分ったことで、大阪市とシュタイヤーマルク州立博物館ヨアネウムとの間で締結された。この大坂城とエッゲンベルグ城との友好城郭提携3周年を記念した特別展である。

[第1章 豊臣期大坂図屏風の発見と友好城郭提携]
 「豊臣期大坂図屏風(複製)8曲1隻」…エッゲンベルグ城に飾られていた絵を屏風の形に復元したも     の。江戸前期のもののようである。この再発見で室名が「日本の間」に変更された。
 「貴人の四分の三身甲冑」…白黒の火炎模様の華やかなもの。スペイン風宮廷衣装をもとにデザイン     されたものという。
 「色々縅二枚胴具足」…秀吉の影武者用という。保存極めて良し。
 *友好提携文書に前平松市長の名がある。いちびり橋下市長のおかげで、その存在が吹っ飛んでしま  った。

[第2章 17世紀のグラーツの街とエッゲンベルグ城]
   当時の街の様子が絵(エッチング)で示される。
 『天正遣欧使節記』1586…彼らが1584年にリスボン到着。その後の様子を記録したもの。1586年出     版、同年中に3刷もされたという。

[第3章 騎士の姿]
 シュタイヤーマルク州立博物館ヨアネウムよりやってきたもの。
 「槍試合用甲冑および円鍔・小盾と剣」「馬面」「モリオン型兜」

[第4章 歩兵たち戦い]
 中世の騎馬による戦いから、近世に入ると半甲冑を着た歩兵による集団戦法が主流となる。これは古代ギリシャの重装歩兵ファランクスの再来であろうか。歩兵も重い甲冑(20〜25キロ)を着て、長い槍(パイク)を使った。銃が使われるようになっても銃隊を護るために彼らは長く利用された。
 日本での秀吉の長鎗隊にあたるか。
 グラーツのヨアネウム(武器庫)には数万の武具が保管されているという。対オスマントルコ戦の最前線であったことからこの地に用意されたもの。と言うことは武具は個人のものではなく、戦いの度に貸し出されたもののようである。

[第5章 三十年戦争と銃の登場]
 「マッチロック式マスケット銃」…西洋銃は日本の火縄銃と違って、火挟は向こうに落ちる。

[第6章 16〜17世紀の大坂]

[第7章 南蛮貿易と新来の武具武器]
 「金銀象嵌南蛮兜」…初めて見る異様な姿。鉄のかたまりのよう。漢字(江、相、不など)、竜、星     等が描かれる。
 「火縄銃 川崎小左衛門(50歳)」…近江国友で。
 「刀 銘吉廣」…15世紀後半の作。細身で刀身が輝く。

[第8章 合戦図の見る戦い]

[第9章 武将のいでたち]
 安土桃山期の鎧兜が並ぶ、壮観。

[第10章 指揮と伝令]

[第11章 豊臣時代の終焉]

桜草の植付け−4

 天候が著しく変化して植付けがなかなか進まない。しかし家の東側と南側の鉢は何とか植付終わる。
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 成長の早いものでこれくらい。
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家の北側の鉢は手がつけられない。21日は強風注意報が出ていたほどで、寒い北風が吹き荒れて、作業するどころではなかった。仮植の鉢の中ではすでにこんなに大きく葉を伸ばしている。毛根も伸びているが植痛みはないので大丈夫。
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 22日はよい天気になり、作業日和であったが、家人の彦根への用事に便乗して米原の園芸店へ「バーク堆肥」を買いにいく。途中彦根城の東にあるフレンチレストラン『ル・セルポワヴル』で食事。
 そんなことをしてたので、結局20鉢ほどしかできなかった。明日は雨と言うのに。

椿ー隠れ磯

 今年は花の便りが遅れているようだが、我が家の椿は何を思ったかいつもより早く咲きだした。
長年ほったらかしにしているのだが、何とか花をつける。
 品種は『隠れ磯』…少し海老茶が入る珍しい色合い。
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 桜草の植付けをしようとしたが、また雨がポツポツ落ちてくる。

桜草の植付けー続々

 このところ冬に逆戻り。雪が降るやら寒い北風が吹くやらで、全く作業がはかどらず。
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 昨日は培養土を10袋つくっておく。今日も風がきつかったけれど、家の南側で昼から植付け。培養土2袋分だけこなしたところで、体が冷えきったので切り上げ。
 仮植の鉢の中ではこの程度に芽が伸び始めている。
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 しかし今年の出芽はかなり遅いようである。
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 3月も半ばというのに、半分以上は葉を見せていない。花は昨年よりもさらに遅く、5月の連休頃が見頃になるのではなかろうか。

大力無双の読み

 桜草の銘品「大力無双」につき、私はこれを普通に「タイリキムソウ」と読んでいる。鈴鹿冬三氏の著作もしかり、そして加藤亮太郎氏の「日本桜草」、さらに遡って戦前での品種の集大成である「実際園芸」誌上の「日本桜草の品種解説」でもそうなっているからである。語頭が濁らないことで、柔らかく雅な桜草にふさわしいものとして、長年「タイリキムソウ」として言い習わされてきたと思われる。
 ところがこれを「ダイリキムソウ」と読む向きあることに気がついた。東京のさくらそう会の会誌や鳥居恒夫氏の本でそうなっている。強さを強調して大上段に振りかぶった言い様である。もともと関東でも「タイリキムソウ」と読まれていたことは実際園芸誌の例でも知られるのだが、それがいつ「ダイリキムソウ」と変わってきたのであろうか。
 一つ考えられるのは、さくらそう会の創立者の中心人物である大山玲瓏氏の存在である。彼はかって「太平楽」や「還城楽」を音楽の曲名だからと「〜ガク」とそのままに読まれていた(私も同じことをしでかしたが)。しかし雅楽の世界では、慣用的にこれらを「〜ラク」と読ませている。
 その大山氏は「大力無双」についても、そのまま「ダイリキ〜」とされたに違いない。2字の「大力」では「ダイリキ」と読むのが一般的で、かの日葡辞書にもDairiqiとあるからである。
 そして大山氏の周辺にいる人々がこれを受けて「ダイリキムソウ」と使い出したようである。
 日本を「ニホン」でも「ニッポン」でもどちらで発音してもいいのとおなじで、「大力無双」もどう読んでもかまわないとは思うものの、長年使われてきた「タイリキムソウ」との読み方を変える必要があるのであろうか。

IB化成肥料

 桜草の肥料として何を使うか、いままで色々試行錯誤をしてきたが、今年はまた別の取り組みをしている。便利な固形肥料としてIB化成があることは知っていて、他の草花には使っていたのだが、桜草に使うにはかなりの量を用意しなければならないので今まで躊躇していた。今回思い切って大袋のものを購入した。1,4キロの小袋で百数十鉢いけるので、20キロの大袋では3年くらいは保つだろう。値3850円。
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