日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2013年01月

初花たよりー蝋梅

 暖かい日差しに誘われて、自転車ででかける。お目当ては沙々貴神社。この神社は全国佐々木氏の氏神。ここには百華苑があり、いつもなにかしらの花が咲いている。
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  葦葺の楼門               拝殿から本殿が見える

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  花のよい香りが辺りに漂う。

橋下市長のやり口?

 大阪市立桜宮高校での体罰による自殺事件に関わって、大阪市の首長である橋下市長がさっそく噛み付き、問題を起こした体育科とスポーツ健康科の入試を中止すべきと発言。ところが直ぐにそれを変更して、専門科を普通科に衣替えして入学試験を実施するよう大阪市の教育委員会に要請、聞き入れられなければ入試関連の予算を執行しないと脅しにかかった。委員会は反発するも“泣く子と地頭には勝てぬ”とあっさり承諾する。
 さらに市長は、この専門科を志望していた子どもの受け皿として、府立高校の同じ体育科のある学校に増員を府の教育委員会に要請する。委員会は前知事の意向をいとも簡単に受け入れる。知事が市長の主催する維新の会の幹部であってみれば、言うことをきかざるを得なかったのであろうか。それにしてもこの時期になっての受け入れ定員の増員はまことに異例であろう。教員の手当、教室や設備の準備など大変である。しかし首長の鶴の一声は絶対のようで、こんなときには予算も言いなりにつくのであろう。
 そもそも桜宮高校の件では専門科そのものの存在は悪くはない。その専門科に関わるクラブ活動のあり方と顧問の指導の仕方が問題なのである。しかし大阪市教育委員会は桜宮高校の新普通科の新しいカリキュラムの方向を決定したようである。生徒の一生に関わる教育内容をこんな倉卒に、市長の意向で決めていいものだろうか。はたして志願者は?
 しかも体罰に関して、教員・顧問への指導.研修を徹底しょうというニュースは聞こえてこない。また高体連も何をしているのであろうか。体罰根絶の旗ふりをこそしなければならないのに。
 とにかく橋下市長は思ったことをすぐに口に出す。そして直ぐに行動に移す。おかしければ直ぐに訂正する。この直情径行が受けている。そして自分の意志を貫くためには問題を大きく取り上げ、怒ってみせて、対象を潰しにかかる。世界の大阪市立美術館をなくすという。大阪には美術館は一つあればいいという。大阪の南に文化拠点はなくてもいいのだろうか。
 とにかく振幅の大きい人である。それがマイナスの振れた時、その結果は大阪市民の未来にかぶさってくる。

体罰は暴力

 現実に起こった生々しい事件について意見を述べることは控えて来た。今回の大阪桜宮高校の生徒自殺事件ではメディアでいろんな意見が出されているが、隔靴掻痒の感強く、私が教員経験者であることに鑑みて自分なりの思いを述べてみたい。
 まず体罰は暴力そのものであるということである。しかも相手が反抗しないことを前提としている一方的なもので、虐待でありまたイジメといってもよい。教育の現場で暴力は許されない。
 体罰の一部容認論が見られるが、それは体罰をも利用した強烈な指導が何らかの成果を上げた故にそれを黙認してしまっているからである。体罰を受けた側も結果を残せたことで、体罰を乗り越えたが故に「そのぐらい」と軽く考えてしまうのであろう。そんな人がまた指導者になって、体罰の連鎖を生むことになる。とくに肉弾相撃つ種類のスポーツの場合はそのようである。しかし体罰を受けた子どもの多数はなぜ自分が体罰を受けねばならないのか納得していないはずである。その不満は心の底に澱となって残る。
 学校は教育の場である、それは言葉を媒介にして行われるものである。たとえ体育といえ言葉で相手を導き納得させねばならない。ところがクラブ活動となると、教育の一環としてありながら希望者だけを対象とすることから、教諭と生徒という公的な関係から、指導者と愛好者という一種の私的な塾のような関係になりがちである。しかもクラブ顧問として雇われたわけではないので、そのクラブの指導者としての専門家でない場合が多い。そのためクラブ顧問は仕事のようなサービスのような中途半端な位置にある。一種のサービスでもあるゆえに顧問の言動は「してやっている」と言うことにもなる。そこで運動系クラブでは体育の授業とは違う指導原理が働く。やるためには勝つための指導が行われる。そこでは教育に置ける相補性ー教員も子どもから学ぶーは失われ、顧問からの一方的な指導が中心となり、その指導がうまくいかなかった場合、「お前たちのためにやっているのにけしからん」と、教員としての箍が外れて短絡的に暴力が使われることになる。
 それでは体罰をなくすためにはどうすればいいか(学校でのクラブの仕組には手を付けないとする)。このとき参考になるのは交通事故対策である。自動車運転者は交通法規を守ることが求められる。しかし日常生活の慣れの中で、思わず法規違反を犯すことがある。そこで当局は常なる啓発活動や、免許の更新時には講習を、そして定期的に交通安全運動を行って、人々に安全運転を喚起している。それで今の水準に納まっているのである。
 体罰も同じ。体罰をしてはならないということを定期的に喚起する仕組みを作らねばならない。体罰問題が起こってからしばらくはその問題が取り組まれるが、それが定期化されることはないようである。また教育委員会からの指導を校長が伝達するだけではダメである。
 その中身である。体罰がなぜいけないのか。顧問が体罰を行うときの異常心理、体罰を受けた生徒の恐怖の心理を学ばねばならない。そして体罰は個人の問題だけではない。見て見ぬ振りをすることは、それを認めてしまうことになる。利害関係を持たない教員同士、顧問同士がその行為が行われたとき、それを止めに入らねばならない。そのくらいの勇気を持たねばならない。そうでなければ子どもたちの信頼は得られない。これらを繰り返し繰り返し行う必要がある。
 それでもゼロにはならないだろうが、それを目指して進むしかない。
 かっては教室でも体罰が行われていたという、今は見ることはない。やれば出来るのである。ようはやる気と根気と勇気あるのみ。
 

安土城考古博物館ー伊勢遺跡

 野村文擧展を切り上げて、近くの洋食屋さんの「ピエロルネーレ」で昼食をとる。ハンバーグが名物なようで、量もよし肉汁もよしというところ。ここで時間を食ったので、特急で八日市から五個荘へ、そしてきぬがさ山トンネルを抜けて安土に向かう、勿論自転車で。滑り込みセーフ。
 新しく始まった博物館連続講座「神社と神の文化史」の第1回目である。

     『伊勢遺跡の構造と神祀り』

         〜伊勢遺跡で何が行われていたのか〜

                守山市教育委員会文化財保護課  伴野幸一氏

 かって弥生時代の遺跡で大型の建築物跡が見つかったのは九州に限られていたのだが、この伊勢遺跡の発掘によってそれが覆され、近江にもそれがあることが判ったのである。ただこの伊勢遺跡は通常の人が住み暮らした遺跡とはかなり違うようで、なかなかその全貌がつかめないでいると。
 まず数年前、この伊勢遺跡がNHKの『古代原視紀行』という番組で放映されたので、それが導入として上映された。作家の藤水名子さんを探訪者として、話が進められた。伊勢遺跡の大型建物は伊勢神宮の本殿に似た棟持柱を持った形状をしている。ところが建物と建物の間は18辰曚匹如直径220辰留濕上に並んでいるという。その柱根が出土しているが、径40造曚匹麟悗虜爐使われている(これも伊勢神宮と同じ)。しかも非常に生育のよい樹であるという。
 講演に戻ると、この伊勢遺跡と近くの下鉤遺跡、下長遺跡を併せて近畿での大型建物約9割がここに集まっているというのである。そしてこの近くの大岩山から前後24点もの銅鐸が出土している。それも銅鐸の二種類(近畿式と三遠式)が混じっているのである。さらに近江系土器がここから周辺に広がっている事実(近江のこの土器には実用品にもかかわらず模様が刻まれている)からして、大和政権が成立する以前、邪馬台国前、連合政権のもとに円周上に建てられた建物で順次祀りが行われたのではとも想像されている。その祀りに銅鐸が使われて、祀りが終わって後に埋められたのではないかともいわれる。またこの遺跡から遺物の出土が極めて少ない。
 この遺跡が衰退して奈良の纏向遺跡が出現する。これは卑弥呼政権のあった場所ではとも考えられている。
 ともかく伊勢遺跡で何が行われていたか歴史の謎である。

八日市文化芸術会舘ー野村文擧

 郷土の生んだ画人野村文擧を顕彰する展覧会。この地では先に野口健蔵が取り上げられたが、今回は日本画の野村文擧である。郷土の誇りであるのだろう。この地にたくさんの彼の作品が残されている。
近江商人博物館でもいま彼の屏風が二双でている。
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野村文擧は明治期に活躍した画家で、江戸と新しい近代との狭間に生きた人といえる。京の四条派を学ぶとともに多様な技法を修得したようである。

     明治の近代日本画家

         『 野 村 文 擧 』

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[略年譜]*展覧会チラシより
 1854  近江商人野村宇兵衛の長男として京都に生まれる
 1867  浮世絵師梅川東擧に入門して絵を学ぶ
 1869  塩川文麟に師事。(東擧と文麟から文擧と称する)
 1877  第1回内国勧業博覧会で「高尾霜葉図」で褒状を受ける。
 1886  森寛斎に師事。山元春挙を弟子とする。
 1893  学習院にて東宮の和画教授を命ぜられる。42歳まで教鞭をとる。
 1900  パリ万国博覧会で銅牌を受賞
 1908  文展の審査委員に
 1910  日英博覧会で一等賞金牌受賞
 1911  急性肋膜肺炎で逝去、1月24日

[展示作品]の一部
 28「雪の松島図」六曲一隻
        …風景画だが、松は応挙の「雪中松」を学んだものか。
 24「仔犬図」幅…全く応挙の仔犬。
 16「雀の図」…やはり四条派の写実。
 14「瀑布」幅…これも四条派によく見られる左右の波しぶきのみを描くやり方
       希望者が多かったのか、22、18、60、64も同様の滝である。
 40「椿と柳の図」…琳派を学んだか
 76「四季山水図」四幅対…これは若冲から学んだか。
  全体で77点が出ている。
  ただ京都の美術館に納まっているような代表作は来ていない。ホールでの展示  
  なので、借出しは難しいのであろう。

 初日の昼過ぎに行ったので、滋賀近代美術館の國賀由美子氏によるギャリートーク中に出会う。彼女の声を聞きながらの観賞であった。もう一度来てゆっくり観賞しょうと思う。

琵琶湖文化館友の会新春記念講演会ー展覧会におけるデザイン

 琵琶湖文化館は今なお休館中であるが、博物館としての役割は継続中である。館蔵品による展覧会が各地で行われている。先には館蔵品を中心とした近江の佛教文化が韓国で紹介された。続いて九州国立博物館でも文化館展が開かれところ、現在は静岡で展覧中で、このあと仙台そして島根と巡回の予定となっている。
 その本体の施設がどうなるか、現在の近代美術館の所に新館を建て、佛教を中心とした前近代の作品とアートブリュットの作品を展示しょうという計画が発表されたが、今のところ進展はないという。政治は常に百年の計である文化を後まわしにする。
 そのなかでも、文化館の活動を支える友の会の活動は盛んである。毎年行われている新春の講演会が今年も開かれた。私は会員ではないが何度か参加させてもらっている。

  琵琶湖文化館友の会新春のつどい記念講演会

    『展覧会におけるデザインの役割』

            講師   大向 務氏
       (大向デザイン事務所代表・アートディレクター・成安造形大学非常勤教員)

 大向氏は博物館・美術館などの展示に関するポスター・チラシ・図録などの美術宣伝に関する仕事に長年携わって来られた人である。最近琵琶湖文化館の図録を作成された縁での今回の講演となったという。

[展覧会におけるデザインの役割]
 デザインとアートの違い…アートは自分のために創り、限定された人に伝わったらいい。デザインは人のために創り、確実に早く伝えること。
 ポスターは歩きながらの一瞬の出会い、車内ポスターは退屈しのぎの出会い。
チラシは持帰ってからのもの。それぞれ情報の量と質が違う。展覧会を伝えコミニュケーションするためにデザインする。

 ・展覧会事業のなかでデザインが関わるもの
  ‥戸会の広報…ポスター(B2、B3)、チラシ、チケット、新聞広告、
     招待状、交通看板、TV、ラジオ、インターネット
  展覧会カタログ
  E戸会グッズ 
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山口華楊展で使われた広報やグッズ
     
 ・文化事業としての展覧会とビジネスとしての展覧会
  「お知らせ」から「宣伝」ヘの表現の変化

大向氏のデザインより
 【山口華楊展】のユニークなチラシ…折り返しになっている。
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 【小袖展】の表紙デザイン。
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表紙は黒地に黒の模様を印刷、そこに半カバーを被せている。  

京都高島屋グランドホールー加賀赤絵展

 石川県加賀は前田家百万石の城下町として独自の文化を発展継承して来た。焼物では九谷焼が知られるが、その九谷もいわゆる色絵ものから金彩そして赤絵と多様である。
 今回は九谷の赤絵ばかりを集めた展覧会である。私も赤絵をこんなにまとまってみるのは初めてである。

    魅惑の赤、きらめく金彩
       『 加 賀 赤 絵 展 』

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  江戸後期、京都から青木木米を招き藩の春日窯で中国赤絵の写しを作らせよう
  とした。それが多様な窯に受け継がれる間に細描化し、小紋と絵で全面を埋め
  尽くす作風となっていった。幕末永楽和全が金彩を伝え、赤絵金彩が出現す
  る。明治に入って九谷焼が万国博覧会に出展されると大評判となり、重要な輸
  出品となる。これでもかと細密が競われたようである。

[1 中国写から「加賀赤絵」への進化]
 「景徳鎮万暦赤絵五彩大花瓶」
 「璋州窯の五彩」
  →若杉窯、宮本屋窯、再興九谷窯などへ

[2 華やかな輸出九谷 ジャパンクタニ]
  新しい釉薬が伝わるー七宝と同じようにガラスに酸化金属を混ぜて焼いて発色
  させ、それを砕いて用いるという。それをむらなく塗るためにテレピン油が使
  われるという。
 ◯笹田友山「色絵金彩 蛍狩図花瓶」…蛍狩りなので、夜の風景を灰色のモノ
     トーンで、そこに浮世絵の流れを汲む女性像が写実的に描かれる

[3 近現代の赤絵]
  「細字湯のみ」…10騨召療鬚里澆瞭眤Δ法¬声E傾銚羸修硫501首が書かれ
     ている。
   魯山人、富本憲吉などの作が並ぶ。
   現代作家による作品の多様化が進む。

象彦漆美術館ー祝いの蒔絵

 細見美術館から北へすぐの所にある漆器の「象彦」店に附設された美術館へ寄る。早くに開館していたのだが、機会を逸していた。
 「象彦漆美術館」は、漆器を商う商店が所蔵の漆器作品を展示する私設美術館である。いわゆるコレクターによる美術館と違い、商売の関係で所蔵する優品を一般に見てもらおうという趣旨のようである。そのため美術館に納まるような美術品として評価される(骨董品)ものとは一線を画する商品的性格(勿論売り物ではないのだが)を持ったものが主役になっているようである。

   めでる寿ぎ
     『祝いの蒔絵』 京漆器に見る吉祥文様

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 「鶴絵屠蘇器七点揃い」…単に見るだけでなく実用でもある、黒地にあっさりと    
     鶴が散らされてある。
◯「吉兆乾漆蛤形香合」
 「千羽鶴銀溜平棗」
◯「老梅硯箱」…中は豪華に蒔絵・青貝で華飾されてあるのだが、ふたの表面は地味な色合いに
     梅のみ。ところがよく見るとその表面にひび(貫入)が入っている。こ
     れは漆の表面が乾いたところで、卵白に少量の水を加えたものを上から
     塗り、乾燥度の違いにより加工したものという。
 「扇面梨地広蓋」…扇七面が散らされてある。
◯「牡丹唐獅子文台硯箱」…戸嶌光孚作 

細見美術館ー琳派と若冲

 京都博物館から平安神宮前へ。京都会館で成人式が行われるようで晴れ着を着込んだ若者が群集している。女の子は揃いも揃って華やかな振袖姿(当たり前だが同じ絵柄の着物は見かけない)で髪はアップ、二人ほどチマチョゴリの人も見かける。男は大半黒の背広姿だが、派手で奇妙な紋付羽織袴の若者も散見した。
 まずは腹ごしらえで、オ・タン・ペルデュに行く。昨秋からメニューが変わったという。ランチは三種類から選べるように。それと同時に1800円に値上げ。
 政府はインフレに導こうというのだが、私の周りでは美術館の入場料も少しづつ上がっているようで、すでにインフレである。

  江戸絵画の至宝

    開館15周年記念特別展

       『 琳 派 と 若 冲 』
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[華麗なる琳派]
 「忍草下絵和歌巻断簡」本阿弥光悦書、俵屋宗達下絵
      “山陰やさらては庭にあともなし 春そ来にける雪の打消”
 「双犬図」俵屋宗達…白い子犬は線と外隈で、黒い子犬は彫塗で垂らし込み
 「四季草花図屏風」伊年印…桜草の描かれた馴染みの屏風。
 「宇治橋図団扇」尾形光琳…のびのびとした線で橋を描く。
 「月に露草図扇面」中村芳中…垂らし込みが妙技
 「扇面貼交屏風」  々  …桜・松・藤・牡丹・大根・唐橘
 「白梅小禽図屏風」 々  …たっぷりとして代表作か
 「青面金剛像」酒井抱一…意表をつく黒地に青い金剛像
 「雪中檜小禽図」 々 …雪を吹きボカシで
 「扇面貼交屏風」 々
 「朴に尾長鳥図」鈴木其一…垂らし込みの葉色が近代的

[若冲の魅惑]
 前後期あわせて19点もの若冲が展示される。
 「雪中雄鶏図」…「糸瓜群虫図」と対をなすこの館の至宝というべきか。
     水墨も味わい深いが、やはり丁寧に濃厚に絵付けされた作品が良い。
     折れ曲った竹が異様。
 「里芋図」…墨の濃淡の使い分けの妙技。
[琳派の美しき世界]
 宗達「歌仙図色紙ー藤原仲文」
 光琳「墨竹図」…柔らかく品がある。
 芳中「扇面画帖」…垂らし込みの妙
   「立葵図扇面」「花卉図画帖」
 抱一「槙に秋草図屏風」
   「鹿楓図団扇」…金地に光琳そっくりの鹿
 其一「月次花鳥画帖」…桜草の面が出ている。

京都国立博物館ー十二天像と方丈記

 雨模様なのでこれ幸いと京都へ。まずは京都博物館へ。

   特別展観『国宝十二天像と密教法会の世界』

      同時開催・成立800年記念『方丈記』

          平安の祈り 乱世の無常

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[第一章 国宝十二天像]
     閻魔天、火天、帝釈天、伊舎那天、毘沙門天、梵天
     地天、羅刹天、水天、風天、日天、月天が揃い圧巻
  この十二天像は宮中での「後七日御修法」に用いられた絵像で、大治二年東寺の宝蔵院に保管され
  ていたものが焼亡したため新たに作成されたもの。帝釈天、水天が良い状態で残っている。江戸の
  元禄期に現代も使われているものが新調されたため、古いものがいま京博に収蔵されて残されてい
  る。三つ折りで保管されていたらしく縦に二本の折線が入っている。

 [第二章 空海帰朝]
  空海は中国に遊学して、当時大成されたばかりの真言密教を当事者の恵果から授けられて帰朝す
  る。その最新の教えを広めるべく、承和元年(834)空海が奏上して、翌年正月(8〜14日)から実
  施されたのが「後七日御修法」である。これは仏に国家の鎮護と天皇安穏を祈る最高の修法であ
  る。
   長く宮中の真言院で行われてきたのだが、室町期天皇制の衰退期に中断し、江戸時代に復活する
  も明治の廃仏でいったん廃止された。それが明治16年東寺での復活が認められいまに続いている。
  「弘法大師像ー軸」(14世紀前半…虎屋蔵)…大師像は数々あれど、これはまた珍しいもので左下
  に小さく嵯峨天皇が大師を拝している図が添えられている。
 国宝「宝相華迦陵頻伽蒔絵塞冊子箱」…重文の十地経などの冊子本を納めるために嵯峨天皇が造らせ
     てもの。平安初期の蒔絵の標準作という。解説に「我が国蒔絵史上最高傑作に数えられる」
     と。迦陵頻伽は、ケンタウロスよろしく、上半身が人間での鳥で、宙を飛び笛を吹く。
 国宝「金剛般若経開題残巻」空海筆…下書きらしく訂正が見られる。
      書き出し「如是四行中具無量徳〜」

[第三章 後七日御修法のはじまり]
 「年中行事絵巻(模本)」より…大極殿御斎絵。全宗派が参加して「最勝王経」を講説する。

[第四章 後七日御修法の荘厳]
 神秘的な仏画(五大力・十二天像)、仏具で堂内が飾られる。
 「両界曼荼羅図」…大阪久米田寺蔵のもの。まことに立派。
 「大壇具」…曼荼羅の前に置かれる鉢その他の道具。

[第五章 後七日御修法のあゆみ]
 上記したので省略。
 「十二天唐櫃」…国宝の十二天を納めてある櫃。まことに立派。
    上面に「十二天 十二幅」と書かれてある。
 「元禄本の下絵」…下絵も見事。下絵だけでなく元禄本の現物も比較して出してもらいたかった。

  【第二部 灌頂とその荘厳】 
      〜山水屏風と十二天屏風を中心に〜
 灌頂ー特に伝法灌頂という指導者としての大阿闍梨の位を授ける儀式ーに使われる屏風が取り上げられる。
 国宝「山水屏風」京博蔵…五尺の大きなもの。中国の故事人物を描いたものが基準だが、何故この中
     国的図柄が選ばれたのか「威儀を整える」ためとあるが。
 重文「高野山水屏風」京博蔵…中国でなく高野山の寺域を描いたもの。屏風の縁取りが各扇毎にでな
     く、二扇毎になっている。
 重文「十二天像」聖衆来迎寺…天台宗でも十二天で荘厳されていた。


  特別陳列

    『 方 丈 記 』 成立800年記念

 重文「方丈記」大福光寺…かの名高い方丈記の最古の写本で、漢字カタカナまじりで記される。さす
     がに京博である、巻物が数辰砲錣燭辰徳瓦禿験されている。
 国宝「飢餓草紙」…方丈記時代の悲惨な飢饉の様子が活写される。これも巻物が全部展開されてい
     る。
 重文「山越阿弥陀図」金戒光明寺…中央の阿弥陀様の手には糸が垂らされている。臨終のおり信者の
     手につなげられたものであろう。
 重文「夢記」明恵
 重文「一念多念文意」親鸞
 重文「是害坊絵」
   関連する作品が多数出ているのも見どころ。


 
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