日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2014年12月

竹岡泰通著『桜草栽培の歴史』について⑷

 第四章 桜草栽培の歴史

 一、室町中期から室町末期
 せっかくなのでこの期の資料の全てを載せてもらいたかった。この論考のもとになった浪華会誌には全部出ているのだが。
 一つ気になることがあった。
[言国卿記]
  P,15…明応二(1493)年四月三日 天晴 丁酉
       夕方シタタメニ退出畢 〜
  P,236…文明六(1474)年四月三日
       夕方シタタメニ退出畢 〜
   これはどちらの年号が正しいのであろうか。
     *第二版の改正では、文明六年→明応二年にするとなっている。

 二、室町末期から江戸前期
   まことに多くの資料を捜集されるエネルギーに感服させられる。
    特にー俳人、生け花師、花道書、障壁画……

 三、江戸中期(享保年間から天明年間まで)
   荒川群生地の発生を流路の付け替えによるとされるが、鳥居氏もいわれる如く、「葦の利用が始まって、その刈取り火入れで大地にひかりが差し、ひかりを好む桜草が生育しうるようになった」というのがその理由であろう。それがいつ頃からかが問題なのである。
  荒川群生地の実見記録は『宴遊日記』の1781年の記事が最初のようである。そこで自生地の発生時期はその10数年前と考えたい。その間に採集され実生されたものが「佐具良分限」「聚芳図説」「サクラソウ腊葉」として残されたのであろう。

 四、江戸中期 (略)
 五、江戸末期
  「武士主体の桜草連の活躍によってレベルの高い園芸品種が数多く作出された」とされるが、それを証する資料はない。また柴山正愛の談話によれば「柴山正富は二番組の一人」であって組頭でもない。また「桜草連は門外不出の掟があった」とされているが、これも連の期間中ずっとそうであったのであろうか。時代とともに掟がつよまっていったと考えられる。それは花菖蒲の満月会でも同じである。

 六、明治年間 
 「植木屋の功罪」として
   ・桜草連の考え方をよく守り、投機的な桜草苗の価格上昇を抑えたこと
   ・趣味家にとらわれず、植木屋が別々の考え方を発表し混乱させた
   どこからこんな主張がでるのであろうか。桜草の苗のはかなり高価なもので
   あり、庶民がおいそれと手を出せるようなものではなかった。また様々な花
   の見方があって斯界が発展するのであって、価値観は時代とともに変わるこ
   とを知るべきである。混乱などしていない。 

 以下多種多様の資料が翻刻されている。どういう基準によって選択されたのか判らないが、資料集としては便利なものとなっている。

 さて最終的に、私はこの本を買おうか買うまいか迷っている。主要な論考は会誌で発表されていて手元にある。「栽培史」として、私とはかなりちがう方向性なので参考になることはあまりない。
 私の「栽培史」はすでに会誌で発表してあるので読者は比較してみてもらいたい。なお来春佐倉の「くらしの植物苑」での観察会で、私が「桜草栽培史」を話させてもらう予定になっている。
                                   (山原茂)

竹岡泰通著『桜草栽培の歴史』について⑶

 第三章論考 
   四、鉢植え、桜草花壇の始まりと鉢植芽数の推移について
 鉢植の始まりを『草木錦葉集』から引用して「元文頃から徐々に始まり、半胴鉢植は18世紀後半からである」とされる
 ところが貝原益軒の『花譜(元禄七年)』には「桜草〜盆にうへて寒月は屋下におくべし」と出ていて、すでに鉢植が始まっていたのである。
 桜草花壇の完成を松平定朝の『百花培養考』の記述「花壇、両障子ハ斜ニシ、自由ニナルヤウニ拵ヘ置キ夜中取払ヒ置ケレハ〜」を引用されるが、これは障子で日差しを和らげ、さらに葭簀を引いて日除けをするための設備で、ここから小屋掛け花壇を想定することには無理がある。
 作伝法に載る花壇組も、本当に作伝法が著された当初からあったのか疑わしい。しかもこの伊藤本の花壇組も今に伝わる小屋組花壇とは少し違っている。やはりこれは他の資料からして明治中期に出来たとするのが妥当である。

   八、明治期宇治朝顔園の桜草
 園主による「桜草写生」の全品種解説が記されるが、この写生絵はかって浪花会誌17号(昭和57年度)に影印されてみることが出来る。百聞は一見に敷かず、これこそここに再掲されればよかったのだが。

   九、桜草栽培の徳川将軍狩り起源説について
 柴山正愛氏の談に端を発したこの説は、それが継承された経過が詳しく追跡される。そして根拠がなく採用できないと判断された。かの鳥居氏の説も退けられた。
 ここでの論説は正攻法で、私も全面的に賛同する。ただ私なら一刀両断に切り捨てるが。
 そしてここでの根拠にもとずく論法を他の論考にも及ぼしてもらいたかった。
                              (山原茂)

「千年の美」つたえびと養成講座⑵

 前回は中村佳睦氏による「仏画制作の技法」で、截金の実習をさせてもらった。

  「千年の美」つたえびと養成講座 第2回

     『 仏 像 の 構 造 と 制 作 』

             講師 向吉 悠睦氏

 向吉師は前回の中村佳睦師とともに、「あさば佛教美術工房」を主催されている仏師であり仏像修理技術者である。すでにこの工房で作られた仏像が日本の各地のお寺でまつられてある。
 師は鹿児島出身で、父親がやはり仏師であり、彼8歳の時にその父より仏像を彫る手ほどきをうける。18歳で京に上り、松久朋琳・宗琳師に弟子入り修業に入る。そして11年後中村佳睦師とともに工房を立ち上げた。
 このような講演は師にしては未だかってないことで、これからもあるかどうか判らないという。

[仏像の構造]
 四国巡礼82番目の根香寺にまつられる不動明王立像を修理されたことで、それを写真教材とされる。江戸時代作と思われた寄せ木作りのこの像を解体したところ、胎内墨書が現れて鎌倉時代の作と判ったという。
 この寄せ木作りの仏像にかかわって、この講座のために約40センチほどの薬師如来坐像が二躰作られた。一躰は仮付けされた状態で粗彫りされたもの、もう一躰は削り終えて分解できるようにしたものである。後者にはすでに中ぐりが施され、水晶の目も入れられてある。それは内らから黒目を描き入れ、白目は真綿で作り、それを竹ひごで固定してある。
 中ぐりをするのは材が厚さ10センチをを越えると歪みが生ずることを避けるためであると。
 寄せ木を合わせる糊は現在は合成糊のボンド(CH2)が使われると。

[仏像の形]
 仏像の形は儀軌に忠実に彫り上げられる。ただし体型のバランスは時代とともに少し変化していると。日本人の身長がかってより10センチ以上も高くなっていることで、少し足が長く、顔も心持ち小さくなってきているといわれる。

[木材について]
 仏像に使われる檜は木曾檜が使われる。それも250年以上を経た径65センチ以上の木から材が切り出される。さらに30年以上手入れのされなかった森の木は使えないという、蔓が巻き付き木目が歪む可能性があるというのである。
 製材された檜は10〜20年寝かせて使うという。ただそれ以上年が経つと油が抜けてだめだという。
 桜や欅などの広葉樹の材は寝かせば寝かすほどよくなるという。

[アメリカでのモニュメント制作]
 空洞になった巨大な木の幹を寄せ木で再現する試み。名古屋城再興を支える材木屋さんから材を提供してもらえたので引き受けたという。材をつないで円筒状にしそれをつないで13辰个りの大きな中空の作品を4年がかりで作ったという。シカゴ美術館?に飾られているという。

[鑿入れ実習]
 1旦の寄せ木された材があり、その表面には菩薩立像が描かれている。その余分な箇所を削り落とすため鑿をたたく作業を、出席者全員がやらせてもらえた。
 浅丸という特殊な鑿を欅の鎚で叩く。思いっきり叩くと、思いのほか軽く削れる。木屑はおみやげ。
 前回の截金といい、今回の鑿使いといい貴重な体験をさせてもらった。
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 *それにしても毎度のことながら、「つたえびと」が講師より10歳も20歳も年寄りでは講座の存在意
  義が問われかねない、若者はどこに行ったのか。ため息が出る。

竹岡泰通著『桜草栽培の歴史』について⑵

 第三章論考 

 二、実蒔きによる桜草園芸品種の初出時期と発展段階について
 複雑な論証をされているので大変に読みにくい。そのなかで問題の箇所だけを指摘しておこう。
 「実蒔きのその後の発展段階について(108頁)」の第二段階で、「桜草作伝法」の時代には平咲きが多く狂いものが少ないとされ、第三段階で武士主体の桜草連が活躍し水準の高い品種が数多く作出された、とされる。ところがこの第三段階を示す史料はない。あるのは染植重・伊藤重兵衛の書き残した『桜草名寄控』だけなのである。この「名寄控」にある銘花が桜草連と関係あるかどうかが問われる。もし門外不出の規範を連中が守っておれば、染植重に銘花がくるはずもない。ここは染植重が独自に開発したと考えるしかないのだが。
 
  三、『桜草見立相撲』の補完資料について
 名古屋で版行された「桜草見立相撲」を他の資料ー聚芳図説、サクラソウ、桜草花品、桜草勝花品、桜草花形附などと較べて、同一品種を取り上げてそれで名古屋の地と静岡、上方と関連があり、その一方で江戸の品種とは交流がない、と説明される。
 ところがその資料たるや江戸の地のものが含まれる。「桜草勝花品」を描き残した坂本浩然は紀州藩医ではあるが、江戸詰で江戸に住まいもあった。だからその「勝花品」は江戸の花を写したものなのである。「サクラソウ腊葉」も同じく巣鴨薬園の渋江長伯が作ったものなので江戸の品種である。
 これでは何を補完したのか意味不明といわざるを得ないのだが。

八日市法泉寺寄席

 朝半ば、家人が「落語会行こか」と声を掛けてきた。「行ってもええで、いつや」、「今日の昼から」「ええ!」と思ったが、嫌いではないので付合うことにする。昼ご飯を早めに済ませて出発。

   第40回『 法 泉 寺 寄 席 』

          上方落語 四代目桂文我を聞く会

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 この法泉寺は浄土宗の小さなお寺。名物和尚増田洲明さんが住職をされている。彼は自ら梳き返した紙を利用して書をよくされる。お寺の建物はつい最近建て替えられたばかり。小さなお堂だがよい木材が使われている。内陣は欅の丸柱で、虹梁には切れのよい彫が入れられる。周囲の角柱は節のない檜の太い五寸が使われている。壁は漆喰。
 雨が落ち始めたなか1時開演。百名ほどの入場者で、こじんまりとした暖かい会である。
 住職さんの挨拶で始まる。40回目の節目の趣向を考えていたのだが、諸事情で通常の会の形となってしまったという。
  
  露の眞(まこと)…28歳の女性。露の都さんの弟子。……寿偈無…若くはつらつ。
  林家花丸……林家染丸一門…演目失念…大阪の落語家らしく和らぎをもつ。宝塚歌劇大ファン。
  桂文我……桂枝雀一門……三席 掛け取りその他
   *狭いお堂の中なので、文我師匠は、世間話の最中に、お客が便所に立たれる、それをまたネタ
    にふる、自在である。住職は彼を次の人間国宝という、さもありなん。

 熱演で中入り15分取って、4時20分終了。     
 
     

カキフライ

 海の幸の中で最も好物は牡蠣である。特にカキフライに大がつく。この時期、食堂での「定食」は「カキフライ定食」を、カレー屋でも「カキフライカレー」をたのむ。しかしたいていは失望させられる。揚げ過ぎて水気のなくなったもの、衣がこってりついていたり……。それにせいぜいフライは5個くらいしかのっていない。
 と大阪で牡蠣の専門店があり、そこでカキフライが食べ放題という、これは行かずんばあらず。大阪にいる娘と待ち合わせて食べに行く。混んでいると予想して1時過ぎに店に着いたら、案外空いていた。
 大阪北新地の『THE PARTY』である。お昼にカキフライをバイキング形式で食べさせてくれる。カキフライ、鳥の唐揚げ、カレー、御飯にみそ汁、その他サラダバーに飲み物、これで50分1000円である。
 カキフライは一皿5個までで、何皿か取るという形式である。さっそくお目当てのカキフライ5個をとりわける。一くち口に入れると中から牡蠣のジュースがジュワッと出てくる。またたく間に5個を平らげ再びもう一皿。つごう17個胃の中に納まった。たっぷり食べられて気分上々。
 美味しかったけれど、カキフライとしては中の上というところか。衣が少し厚めであり、揚げ色が濃過ぎる。私はきつね色ぐらいに軽くサット揚げたものが好きである。
 ここでは「生ガキ」や「焼牡蠣」(ともに3個千円)も出されているがフライに較べ高すぎるので今回はパス。
 ここへはこれからも足を運ばねばなるまい。

竹岡泰通著『桜草栽培の歴史』について⑴

 浪華さくらそう会の幹事で、東京のさくらそう会の会員である滋賀県大津在の竹岡泰通氏が桜草の歴史をまとめられた。

  『桜草栽培の歴史』(450頁) 創英社/三省堂書店 定価3500円
       *大変安価なのは自費出版されたためのようである。
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       *カバーの写真はマラコイデス?  

 その主な内容はかって「浪華さくらそう会誌」に発表された論考を整理増補されたもののようである。いま仲間からこの著書を借りて読んでいるところ。
 いま桜草の栽培史に深くかかわっているのは多分竹岡氏と私の二人だけであろう。両者ともに浪華の会誌を舞台に論考を載せているので、何度も読ませてもらっている。私が批評するのが礼儀であろうと思って筆を取る。

【第二章 古文書解読】の部
 ここでは桜草に関する多くの古文献が取り上げられている。そのなかで最も注目すべきは、竹岡氏が発掘紹介された「大乗院寺社雑事記」や「公家日記」である。これらによって桜草の栽培が室町時代中期に遡ることが証明された。今まで桜草は江戸時代のものとする考えが大きく覆ったのである。斯界の大業績といっていもよい。桜草の絵が桃山期にすでに描かれていることは知られていたのだが、誰もそこまで考えが及ばなかった。
 さらに竹岡氏は江戸中期における「聚芳図説」や「佐具良分限」、また「桜草花形附」などを世に出された。
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 ここ第二章について、少し気のついたことを述べる。
◯古文書は一応時代順に配列されているようなのだが、少し時代が前後するものがみられる。また古文書とされる中に、明治期の「花史雑記」や大正期の「家庭百科全書」が入っているのはどうしたことであろうか。
◯取り上げられていない史料も多い。「稿本花壇綱目」「花譜」「花壇地錦抄」「花みのしおり」「草木奇品家雅見」などである。
 特に「稿本花壇綱目」入れてほしかった。というのも「花壇綱目」には桜草に黄花があるように記されてあるが、これは稿本の文字「ぬ紀白」の「紀」を「黄」と読み替えてしまって起こったことなのである。
◯せっかくの古文書解説なので、それぞれの史料の書誌にもう少し力を入れてほしかった。

観峯館ージャズイベント

 東近江五個荘の観峯館では毎年恒例の「冬の音楽イベント」が開催された。滋賀県の中部にいるとジャズを聴く機会はあまりない。せっかくの機会なので足を運ぶ。
 私はこのところ和楽器の演奏会に出かけることが多いのだが、実はジャズとも深い縁がある。もう亡くなった私の兄が若い時分プロのジャズマンだったことがある、といって私はその演奏を聴いたことはないが。兄が実家に帰り音楽をあきらめても、毎夜モダンジャズのLPレコードを大きな音で聴いていたので、私の耳にも常に入っていた。兄がどんな思いで音楽と接していたのか、聞くこともなく先に旅立ってしまった。
 こんなことをふと思い出しながら今日のジャズを楽しませてもらう。
 聴衆は150人ほどだったが、(自分のことは棚上げして)、爺婆の多いこと。若者は貴重品になりつつあるようである。
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   【演奏者】
    ボーカル……小柳 純子…大阪のお姉ちゃん
    サックス……堀 浩一郎…紳士風
    ウッドベース……福呂和也…風邪の引き始めとお母さんを掛けて、その心は「悪寒」です
    ドラム……冨永ちひろ…華奢な女性ドラマー
                  今どきは力任せではなく音楽性が重要なのだろう
    キーボード……平川勝朗…背広を着たサラリーマン風の青年

     *今どきはテレビでジャズを見聞きする機会はほとんどないが、
      プロのジャズメンはしたたかに生きている。

  【演奏曲】
The I Dig Of You
Misty
Santa claus is comin' to town(以下歌つき)
Over the rainbow
Moonlight serenade
Have yourself a merry little X'mas
On the street where you live
  休憩
Fly me to the moon
ZIN-GO-ZI *堀浩一郎さん作曲の神護寺
It's a sin to tell a lie(以下歌つき)
When you wish upon a star
It don't mean a thing
The christmas song
It's only a paper moon

アンコール Jingle Bells

実生苗のいまー12月中旬

 普通栽培での桜草の葉は早く夏の初めに枯れてしまうものだが、実生は芽出しが遅い分、遅くまで葉が残っている。一般に枯れて溶けるように葉の組織が無くなるのだが、枯れたまま乾燥して半透明になったままのものがたまに見られる。
 今年は柔らかい土に苗を植えたので、擬宝珠状の実生根茎が全部土の下に引きずり込まれて、地上には全く見られない。
 さてこれらのうち、どれくらい花をつけてくれるやら。

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観峯館ー扇面の美ー山水花鳥

 前回の扇面ー人物画に続いて扇面画企画の第二弾。

 観峯館冬季企画展

       『 扇 面 の 美 』

            ー山水画・花鳥画編ー

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 さすがに山水画の国である。先の人物図扇面よりも数段レベルが高いと思われる。ただ19〜20世紀にかけての作ながら、旧態依然とした主題ばかりであるのが少しものたらない。
 椿鵤図扇面       人物魚卉合璧扇面     山水花鳥合璧扇面
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 山水人物図扇面      望松雪図扇面      山水図扇面
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 漁家楽図扇面       同拡大ー鵜飼      花虫図扇面
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 江南春色図扇面       行旅図扇面
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【和本・教科書展示室】
   戦争の時代に学んだこと
     ー戦時下の教科書

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 戦争中といえども子どもへの教育はは欠かせないものであった。そのための多様な教科書が収集展示される。いままで見たこともなかった、当時は日本の支配地であった台湾・満州のものもあった。
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