日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

2017年11月

絵を買う

 「るーぶる愛知川」で催されていた絵画展「にしのあかね展(日本画)」で私の心に響く作品があった。幸い販売されるとのことで、購入希望を伝えにいったところ、一番欲しかったものはすでに予約済み、もう一点良いと思っていたものは滑り込みセーフで予約しておいた。
 展示の最終日の今日、代金の支払いと作品の受け取りにいって来た(自転車だったので店に預けて翌日受け取りに)。作者の笹部紀子さんともお逢いできた。品よくお年の召した女性であった。

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 笹部紀子(画名ーにしのあかね)さんの展示作品群はこのブログ11月14日にのせているので見られたい。とにかく明るく透明感に溢れている。少し軽い感も受けるけれど、その爽やかさは極上である。正月を迎える部屋飾りとする。

南丹市立文化博物館ー麻田浩展

 10年前、京都国立近代美術館で麻田浩没後10年展が開かれた。その絵は魂のふるえるような繊細な描写で、こんな絵もあるのだとびっくりしたことを覚えている。それ以来麻田一家の画業に目がいくようになった。
 さて、とある展覧会場で「麻田浩展」のチラシを見つけた。京都の南丹市で、没後20年展が行われていると。南丹市は私の行動範囲から外れている。どうしようか迷っているうちに会期が迫ってきた。やっぱり行カズンバあらず、重い腰を上げる。
 京都駅から嵯峨野山陰線で園部まで。時間的には大阪に出るのとたいして違わなかった。そこからバスに乗る予定だったが、土日ダイヤでは運行本数が少なく大分待たねばならない。そこで駅前の地図をうろ覚えに歩いて行くことにした。しかし行けども行けどもそれらしい建物は見えてこない、「これは迷った」と、コンビニで教えを請い、えらい遠回りをして町の中心部に到着。そこでまた女子高生を捕まえて博物館を問い、連れて行ってもらう。

   南端市立文化博物館 平成29年度秋期特別展

         『 麻 田 浩 』

              〜ちいさな絵の世界〜

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 この秋南丹市での展覧会とほぼ同時に、東京の練馬区立美術館で「麻田浩没後20年展」が開かれた。こちらの方は10年前と同じく代表作の大作が並べられたという。麻田は京都を舞台に活躍した画家なので、なぜに回顧展が東京であったのか、しかもそれ1回きりで関西への巡回展もない。その思いに応えてくれたのが、この南丹市での展覧会のようである。
 出展されているのは、青年期から晩年までの生涯をたどれる作品群や関係資料で、充実した内容になっていた。大きな絵はない、個人が買えるような大きさのものが大半を占める。それにしても個人の所蔵家からこれほどたくさんの絵を展示してもらう手はずをつけるのは大変であったろうと想像できる。
 それにしても京都の麻田浩の展覧会がなぜ南丹市であるのか。それは父親の麻田辨自がこの地出身であった関係で、麻田浩の版画作品の多くがこの博物館に寄贈されたことによっている。
 行っておいて良かった。「国宝展」よりもよかったかもしれない。しかし終わってしまった。この10年後にあるであろう回顧展に足を運ぶのは無理かもしれない。
 
[第1章 少年期から青年期]

[第2章 画家として]

[第3章 パリへの旅立ち]

[第4章 帰京]

[第5章 表紙絵、挿絵、年賀状]

 私も終活を始めさせられている身で、図録は極力買わないようにしているのだが、今回は別である。
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〈練馬区立美術館での図録も購入してしまう〉
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びわ湖ホール ザ・チーフタンズ

 姉が行く予定だった音楽会の切符が私の所に回ってきた。会場がびわ湖ホールなので、滋賀在住の私に「あげるから行ってきて」ということになった。内容を全く知らないまま行くことに。

     『 ザ ・ チ ー フ タ ン ズ 』

            〜結成55周年記念 Forever Tour〜

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 予備知識がないままに演奏を聴いて初めてその音楽を知った。基本はアイルランドの民族音楽である。こんな機会でもない限り聴くことはないもので、よい経験をさせてもらった。
 主な楽器はフィドル(ヴィオリンのこと)、アイルランドのバグパイプ、アイルランドハープなど。10人編成で、皆芸達者。最長老79歳のパディ・モローニさんはパイプを、若いフィドルの娘さんは歌も踊りもサックスもと多才。音楽には踊りが付き物ーその足技は仰天もの。
 音楽そのものは馴染みがないので何が奏されているのか解らない。中に「トラブルメーカーのジグ(ネルソン・マンデラに捧ぐ)というのもあった。
 ゲストに日本人の「アノナ」というコーラスグループ。それにバグパイプ奏者(一曲と、アンコールに‘紅葉’を奏したのみ)
 賑やかでテンポよく楽しいステージであった。その裏にはどうもアイルランドの哀しい歴史が隠されているようである。現実から一時逃れるべく忘我の賑やかさを求めたのではなかろうか。これが移民としてUSAに入って「カントリー」になり、ダンスが「タップダンス」と呼ばれるようになったのではないか。アンコールでは観客をも巻き込んで、場内を行進して終了。都合休みなしの1時間40分のステージであった。座席は8割5分方埋まっていた。
 日本では10ステージが予定されているが、そのうち5会場は東京である。

到来物ーせこかに

 今年も弟からの依頼で敦賀から蟹がやって来た。いっとき弟家族を思い浮かべながら、酒の肴にして口福に浸る。

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鉢の中に黄金虫の幼虫が

 毎年のように、鉢中に黄金虫が卵を産み、その幼虫が桜草の芽や根を食害することがある。すでに仕立鉢の2鉢で全部食べられてしまった。今回また鉢中に幼虫を発見、芽は何とか無事だった。
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 道路に紙切れが落ちていると近づいてみると、何とこれが白い蝶であった。温度が低いのでじっと踞ったままである。種類までは解らず。
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陶芸の森陶芸館ー古伊万里

 せっかく東近江から日野にきたので、信楽に寄り道することにする。

    陶芸館ー特別展

       『 粋 な 古 伊 万 里 』

             江戸好みのうつわデザイン

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 17世紀初頭、朝鮮から連れてこられた陶工の技術によって、日本でも磁器が焼かれることになった。当初は中国の模倣であったものが、中国での明清の交代劇に伴う混乱の間隙を縫って、日本の磁器が中国製に変わって欧州にもたらされることで、中国風を脱して日本の色濃い焼物ヘと進化して行ったというのである。
 磁器というのは高価(製造に手間と時間がかかる)なので富裕層が晴の席で使うものであった。幕末に少し普及し、明治に入って一気に広まったようである。磁器には皿や鉢が多く、おわんでは碗よりは椀がよく用いられた。
 多様な古伊万里が並んでいる。写真禁止なので紹介できないのが残念である。

ガリ版伝承館 高部晴市原画展

 謄写印刷ー世にガリ版印刷というー墓って一世を風靡した簡易印刷法であった。活版印刷するほどでない文書を増刷する方法として、明治中期に東近江出身の堀井新治郎親子によってそれは発明されたのであった。
 私も職に就いた当初まだガリ版は生きていた。ヤスリ板、鉄筆は座右にあり、“カリカリ”と原紙を切っていたことを覚えている。
 ところが1年もしないうちに新しい印刷方法が登場し、文書をそのまま複写印刷するに至って、ガリ版は用済みとなってしまったのである。
 しかし世を裨益した謄写印刷を発明した堀井親子を敬揚すべく、東近江の堀井本家の建物を修復して、平成10年「ガリ版伝承館」となった。
 もう役目を終えたと思われたガリ版だが、その方法を愛する人がいて、ガリ版による絵の展覧会が開かれた。

   ガリ版伝承館2017
     
        ガリ版とボール紙で描く絵本作家

            『 高 部 晴 市 原 画 展 』

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 ボール紙にガリ版印刷して、白色を出したい場所はカッターで切込みを入れて紙表面を一皮剥くという。
 〈会場風景〉
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 〈謄写版印刷機のいろいろ〉
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*私の手元に数回しか使っていないヤスリ板と鉄筆セットがある。我家では使うこともなく処分するしかないので、この伝承館に持って行った所、引き取ってもらえた。

『園芸の世界』江戸時代の桜草

 改良園の『園芸世界12月号』には「江戸時代の桜草」という特集が組まれている。著者は平野恵さんである。平野さんは『十九世紀日本の園芸文化』という著書がある研究者。それが今回桜草についての論考をまとめられた。桜草の歴史に関する論考や記事は、研究している人が限られているので、発表されることはほとんどない。紹介かたがた共に考えて行きたいと思う。

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1、本草学者の関心
  園芸に本草学者がどれほど関わっていたのか、私の知る所ではないが、関連文献を見る限りそれ
  ほど関心があったとは思えない。桜草関係の文献が少ないのは、本草学者の関心が薄かったとい
  うより、そもそも桜草の栽培者が少数であったことによっている。文化文政期の江戸で、百名前
  後しかいなかった。
  さらに言えば、すでに「花を愛でる」という美意識のもとで草花は栽培されていたと思う。

2、園芸書『花壇地錦抄』に見る桜草
 『地錦抄附録』にある11種の桜草が詳しく紹介される。ただその出自は不問に付される。
 「南京小桜」の説明に、「梅花のごときよい香りを発する」とあるが、この文言は元の本文にはな
  い。どこから引用されたのか。この11種が「◯◯桜草」と書かれているのをどう読み解くかが問
  題なのである。

3、花銘がわかる史料
 『桜草作伝法』を文政5年(1822)以降の成立とされる根拠は何であろうか。本文中に天保という
  年号が入っているので、それ以後とするのが一般的だが。
  著者は『桜草写真』を『桜草勝花品』の写本とされるのだが、両者は似て非なるもので完全に別
  物である。『写真』は絵師の思いつきによる色付けで、こんな色の桜草はあるはずがない。
  また名前が一致するからといって同品としてしまうのは危険である。同名異品が多いことに注意
  しなければならない。
  『作伝法』に載る品種の大半は、連中の作出による。
  『桜草百種』『桜草花集』ともにこんな図譜もあるというだけで、歴史的な意味をもたない。

4、花暦に見る桜草と遊楽
  花見の最も早い史料として、柳沢信鴻の『宴遊日記』を何故紹介されないのか。

5、浮世絵にみる桜草
  捜せばあるものだが、最も代表的なものを示してもらいたかった。
  例えば、振り売りの図、七本桜草紋の出語り図などたくさんあるのだが。

 とにかく平野さんは研究者であって栽培家ではないので、このような記述になるのであろう。特に荒川流域の野生種と園芸品種とは別物として取扱わなければならない。また残念なのは『桜草名寄控』を参照されないことである。
 竹岡氏の『桜草栽培の歴史』はみておられるようだが、その論旨を把握するのは無理であろう。
 なお、趣味の会の刊行物である「浪華さくらそう会誌」の私の“桜草栽培史稿”まで目を通すのは無理として、私のブログのカテゴリー「桜草栽培史」や、歴博・くらしの植物苑観察会2015、4の私の講演のレジメを見ておられたらもう少し違った論旨になったかもしれない。

『園芸世界12月号』 鈴鹿冬三

 種苗会社の改良園から出ている雑誌に「園芸世界」がある。
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 ここに椎野昌宏さんが「園芸史雜話」として、園芸史に残る先達を取り上げてその業績を記録されている。先には中村長次郎さんが登場した。今回の2017、12月号害鵑藁觴冬三さんである。

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 鈴鹿家では、先代の義一氏が品種の収集に努められ、それを承けて冬三氏が栽培管理を担われた。そして戦中戦後の困難な時代を乗り越えられる。平和な時代の到来とともに、鈴鹿家で維持されてきた品種が各地に頒布され、桜草復活の基になったのである。
 さらに冬三氏には桜草についての4冊もの著作があり、桜草栽培普及に極めて大きな貢献をされたことである。たいていの人は、その一冊を座右にして桜草栽培に入っていかれたものであった。
 また京都から奈良の高鴨に遷られてからは、神社での栽培展示で、ここを桜草の聖地にされたことであった。
 その一生は桜草に捧げたものといってもよい。

   *皆さんも機会があればこの記事を味読されたい。

青少年美術展覧会

 市の教育委員会の行事として「青少年美術展覧会」が文化会館で行われた。
 孫の作品が出ているというので見に行くことに。市内の幼・小・中の児童生徒の授業での作品が選ばれて展覧されている。楽しい展覧会になっている。絵画や工藝はともかく、書道はますます下手になって行くようだ。
 日曜だったので、親子連れがたくさん鑑賞に訪れていた。

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  孫の作品〈木のおじいちゃんおばけの大そうじ〉
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    *じじバカちゃんりん……面白い発想の作品となっているが、
                主題の解りにくさで選に漏れたのではなかろうか。
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