享保時代に栽培されていた桜草の種類が『広益地錦抄』『地錦抄附録』『草木弄葩抄』の三

書に記されてある。これらが命名法より、いわゆる実生育種ではなく、長年の地植栽培による

自然実生であろうと推定した。

 そのうち「咲分桜草」という名前は、『地錦抄附録』『草木弄葩抄』の両方に載せられてい

る。『地錦抄附録』(享保18年)の著者は江戸の染井の伊藤伊兵衛政武で、『草木弄葩抄』(

享保20年)は浪華の菊地成胤である。ということは江戸と浪華の間で交流があった事を示して

いる。出版年次から云えば江戸の方が先なのだが、この当時の園芸先進地は上方で、しかも桜

草はこの地で200年以上にもわたって作り続けられてきた事からすると、上方で生まれた変わ

り桜草が享保時代に江戸の地に移し植えられたものであろう。『桜草作伝法』に“人々桜草を翫

ぶ事は享保の頃より見出し翫ひ候事にして”とあるのと符合する。

 江戸の桜草が大きく展開するのは、やはり群生地が見いだされてからである。私はこれを

18世紀中頃過ぎと見ているのだが……                (山原茂)