日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

講演

滋賀の文化財講座ー打出のコヅチ

 平成30年度の滋賀の文化財講座、「花湖さんの打出のコヅチ」が始まった。
 「打出のコヅチ」の前に「花湖さんの」が冠せられことになった。これは、雄琴温泉の旅館「びわこ花街道」の名を使うことで何がしの見返りを貰うということのようである。

     第1回 日野馬見岡綿向神社の巨大絵馬

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 この主題は、昨年の県指定文化財を受けたことを記念してのものである。

   絵馬の名前…馬見岡綿向神社祭礼渡御図絵馬
   法量…縦206センチ 横422センチ
   製作年代…江戸後期 文化九年奉納
   絵師…谷田輔長(高田敬輔の外孫)
   奉納…日野商人中井家

 製作・奉納の経緯…日野町一帯は宝暦の大火で地域の半分が焼失してしまう。その復興のなかで、綿向神社の整備も進められた。その折、町興しの一環として日野のお祭が取り上げられ、その由緒を絵馬に描き残そう考えられたものであったという。曳山の屋台もこの頃に建てられたようである。
 ここで特別ゲストとして綿向神社の宮司さん登場…200年前に描かれ奉納されてから一度も下ろされたこともない。宮司さんが子どもの頃(50年ほど前)には剥落も少なく、足の指の爪まで見えていたという。

 後日、家人を誘って実物の絵馬にあいに日野まで出かける。小雨が降っていたので、境内は誰もいず、深遠としたたたずまいを見せていた。以下はその時の写真である。
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 〈絵馬堂〉          他の絵馬
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 どの神社の絵馬もそうであるが、雨数に打たれないまでも、外気に曝されたままでは傷んでしまう。早晩このままでは絵具が剥がれて何が描かれているかわからなくなってしまうだろう。早く手を打つ必要がある。

「打出のコヅチ」プレ講座

 今年の滋賀の文化財講座「打出のコヅチ」が始まった。
 ただ例年より一月遅れたため、その遅れた空きに飛び入り講座が行われることになった。

    『 打 出 の コ ヅ チ 』 開催直前プレ講座

        神社本殿から、木の経典を発見!

           ー東近江市松尾神社法華経ー

                   滋賀県文化財保護課  井上 優さん

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 八日市の松尾神社で「杮経」が数年前に発見された。杮4975枚に「法華経(開結共10巻)が社僧厳暹によって写されたもの(南北朝時代)。そのこけらが樽状に丸められて箍が嵌められ、この状態のまま神社本殿のなかに置かれていた。
 「こけら」は300×10×1ミリの板(台カンナで調製されたらしい)で、圭頭で卒塔婆を模してあり、1行17文字が書かれ、20枚を1把として紙縒りで結んである。
 この形にまとめられてから一度も開かれたことはなく生(うぶ)の数百年前のままに、神を守護する経典として捧げられたようである。

 これと全くよく似た「こけら経」が昨年敦賀市で発表された。「福地院」に伝来したもので、箍が嵌められたままに保存されている。

 
 

観峯館ー土曜講座

 近江五箇荘の観峯館での土曜講座が始まった。今年は7回実施される予定である。
 私は予約せずに出かけたが受付してもらえた。会場ではいつもと違う風景となっている。いつもは年寄りばかり10人ほどの聴講者なのだが、今回は30人近くを数えるしかも若めの方も混じっている。ここの習字の受講生が流れて来ているのだろうか。

 現在観峯館では…『点は墜石の如く』ー顔真卿書法とその継承者たち…という企画展が催されている。それにかかわっての講座である。

 ○顔真卿の書は古法を一変す
   古法…縦長横直右肩上がり
        ↓
   魯法…方整規短(横画水平)へ *篆書・隷書の姿への回帰か

   起筆の頭の尖ることなく丸みを帯び、払いが燕の尾のように割れる
 ○その由来するところ
   顔家は能書家の家系ー古今の書体に通ずる(篆書・隷書)
   張旭の筆法に学ー蚕頭燕尾

 新館では顔真卿の拓本その他が展示されているが、何が書かれているかあまりよくわからないので、歯がゆく楽しめないのが残念である。

[本館通常展示] 
  歴史を伝えた人々ー江戸・明治の学術書から
   写真のない時代、さまざまな文化財を調査研究して模写して記録に残すことが行われた。それ
   が本という形式でたくさん残されているという。残念ながらそれらは、図版が写真に取って代
   わったことで、忘れられた存在となってしまった。かつて多大な労力を費やされてなった書物
   が忘れられている。私もこの館で珍しい書物を教えられるばかりである。ただこれらの書物は
   時に展示されるだけで、利用に供されることはない。それには目録が書かせないのだが、いま
   だにできないのであろう。

八日市西蓮寺ー今橋理子先生講演

 近江は八日市の川合寺の「西蓮寺」では毎年桜の季節に「織田瑟々桜画展」が催され、今年で十六回目を迎えている。
 この寺は、かつて織田(信長)氏の後裔であり絵師でもあった織田瑟々が住持を勤め、彼女の墓所もここにある。
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 この寺の檀家に彼女の桜画の軸がたくさん蔵されていることで、瑟々顕彰事業としての桜画展が企画されたのであった。
 そしてそれにあわせて関連する講演会も開かれている。

   瑟々記念講演会

      『人はなぜ〈桜〉を植えるのか 希望と再生への祈りの文化史』

                   学習院女子大学教授  今橋理子先生

    *会場の受付で資料を渡された折、何と先生持参の学習院女子大学で売られている「瓦せ 
     んべい」を一枚いただいた。講師からこんな頂き物をするのは前代未聞である。よほどこ
     の「桜画展」に因縁を感ぜられているようだ。
     今橋先生のここでの講演は3回目となる。
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 初めになぜ桜なのか
   東北大震災の復興のシンボルとして桜が取り上げられ、各地への桜の植樹が進められている。
   桜は人を慰める癒しの花なのである。
   桜とともに一年が始まるのが日本の伝統文化なのである。
 〆をめぐる神話と伝承
   学校唱歌「花咲か爺さん」より
    ポチ(白い犬←F語プティより)⇨臼に⇨灰に⇨桜の花に
   白は聖なる色ー白鹿・白馬…
   田んぼに桜ー季節の目安
   富士と桜の結びつきー富士=不二=不死
   神話ー木華咲耶姫伝説
 ∈は「潔い花」なのか
 「国花」という言説
   貝原益軒『花譜』よりー「桜」は中国にはなく朝鮮にはあり。
                 ↓
               桜 大陸不在説
                 ↓
               桜 日本固有説
                 ↓
               桜は皇国の象徴へ
 げ峅識生の思想
      西行から瑟々へ
   ◦願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
   ◦遺言ーたのむぞよ析骨にして桜の木…此の心は其骸を荼毘にし、骨を川に流し、
                    なき跡のしるしにはさくらの木を植えよ。
 イわりにー希望と再生を託する意味
  
 *内要豊富で大学の講義のよう。残念ながら軽い気持ちで聴いてしまったのでメモを取りそこね
  た。
 *「神代桜は千年の命があり、染井吉野は弱くて百年は保たない」と言われたが、きちんと管理す
  ればもっと長生きするようである、念のため。
 *講義後先生に質問しようとしたが、他の人がしつこく食い下がっておられたので、私の付け入る
  隙はなかった。前回も同じことがあり、2度続けて直接話が聞けなかったのは残念。    

観峰館ー土曜講座

 観峰館ー土曜講座

   『近代中国画の仏たち』    寺前公基

 佛教絵画では中世以前に注目されることが多いが、近世に入っても多くの仏像・仏画が生みだされているはずであるのにあまり話題にもならない。
 その理由の一つは、その姿がまことに多様で、そのとりとめのなさに研究対象にし難いからといわれるからである。
 その多様性のなかに中国仏画の影響も大きいといわれる。中国での明清交替の政変を機に日本に渡って来た中国僧がいる。その代表が隠元隆で、日本に黄檗宗を伝えるとともに、それにかかわる多くの文物も渡来した。また中国との交易を通して長崎派という一派が生まれる。近江商人が長崎の絵師に依頼した仏画が、商人のふるさとである近江の檀家寺に納められている例も知られている。 

[講演要旨]
 観峰館には清末から民国にかけての絵画が多数収集されている。そのなかには仏画も多く含まれている。
   *実物の中国絵画を掛けての説明。
 ○無量寿仏(阿弥陀仏)
   現世利益を願う対象なので、その姿は手の届かない理想の姿ではなく、普通の即物的な「おじ
   いさん」のようである。
 ○観音菩薩
   観音は母性的情愛を示す存在として描かれることが多く、亡き母のために描かれることも。
 ○羅漢・達磨
   現世利益にあきたらない人によって、修行実践する禅宗に脚光が浴び手よく描かれるように。
 ○道教の影響
   儒仏道の融合が進み、現世利益・不老長寿に適えば何でもよいことに。
   一枚の絵に儒仏道の名物が混在することも。


[近江仏画めぐり]
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観峯館土曜講座

 観峯館では冬季企画展「近江仏画めぐり」が開催されている。
 滋賀県は奈良・京都に近接していることもあり、佛教文化が生きずいているところである。仏寺や仏像などの文化財も多く伝えられてきている。それらの中には注目される指定文化財もあるが、広く知られないままに地域で護られて来ているものも多い。
 今まであまり世に出ていないものにも光を当てたいとの試みであると同時に、それらの中には長年の使用で状態の悪いものも多くてその現実を周知したいとの思いが今回の展示の意図であるという。
 この展示の模様は後日報告する予定である。

   観峯館土曜講座

       『東近江地域の文化財』    寺前公基さん

 上記企画展出品作にもとずく講義である。主な作品について詳しい解説を受ける。

 一、石馬寺所蔵「釈迦如来坐像図」
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    石馬寺は古刹であるが近世に入って臨済宗妙心寺派となった寺である。
    この図は何と高麗仏画の遺品である。高麗仏画は全世界に160点しかない貴重なもの、
    それがこの近江にあったのである。その特徴である赤い法衣が美しい。ただ絵具の剥落甚だ
    しく、応急手当の跡も痛々しい。今修復が急がれる仏画である。
    「高麗仏画」については一昨年の冬に泉屋博古館で特別展が持たれ、私も拝見した。高麗文
    化の精華も李朝による排仏で、その多くが日本で保存されることになったものである。

 二、興源寺所蔵「白衣観音図」
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    興源寺の本山は永源寺である。この永源寺の本尊「観音菩薩坐像」の宝冠の中に小さな観音
    像が納められている。その伝でこの「白衣観音」の頭上にも小さな観音が描かれている。

 三、齢仙寺所蔵「十六羅漢像」
    図像は桃山時代の作だが、その箱書きに昭和の補修の経緯が書き残されている。近江商人の
    喜捨によってその費用がまかなわれたという。

 その他省略
   *途中うつらうつらしてしまったせい。


 近江商人博物館でロビーコンサートが行われていたので聴かせてもらう。
  八日市で活躍されている「はなみずき」さんによる春の歌コンサート
  あいにくの雨と寒さのため聴衆が少なかったのはお気の毒であった。
  しかし身近で聞く生の声を十分楽しませてもらった。

観峯館土曜講座ー十一屋コレクション

 観峯館での土曜講座が続いている。雨なので家人に送迎をお願いする。しかし時間を間違えて遅刻するという失態をしでかした。受講生は10人。

   館峯館 土曜講座 『 十一屋コレクション と 文人画 』

 講演内容

  文人画(南宗画・南画)とは何か……
   中国趣味の芸術思潮
    中国絵画の模索…詩・書・画の一致を
   自娯と交遊

  文人画と南宗画・南画の違い
   文人画…知識人の余技…教養や精神性
   南宗画・南画…江南での山水画表現
    ⇨絶対的区分ではない
 
  十一屋コレクションの形成
   文人画の作品が多い
   意図的に集めたというより自然に集まった。
    四代目野口忠蔵の知識人としての交遊のなかから、勿論豊かな財力の上に。
    特に古稀の祝いの席には多くの知識人著名人が集い、祝いの詩・画・書が届けられた。
    人が集まれば物も集まる。野口家ならば買ってもらえると名品が流れてくる。
     特に白隠もさることながら、この時代にすでに「曾我蕭白」が、
     そして伝虚堂智愚の「墨跡」があるのは驚きである。
   近江商人は幕末から明治にかけてよほど大儲けたようである。
       これは三井・三菱・住友等の財閥もしかり。

  柿邨につながる文人画の流れ
   幕末から知識人の増加(漢文・漢詩をよくする人達)
     中国趣味の流行…煎茶の席飾りには中国の文物が好まれた
   修行よりも情緒・風格に重きを
   明治に入っても漢学の風気は強まる…欧州学術語の漢語への大量の翻訳
   ⇨しかし東京美術学校では文人画を排除する動きに

  明治以降の文人画
   画家のヨーロッパ留学=後期印象派を学ぶ。
     文人画の精神性と一脈相通ずるところあるか。
   富岡鉄斎…自由で主観的な姿勢と詩・書・画の一致→評価され続ける

   しかし中国趣味からの離脱へ、賛文なしの文人画も登場
     *江天鳴鶴を紅天鳴鶴と書き誤るほど中国の古典に疎くなる

観峯館ー講演ー野口柿邨とその子孫たち

 いま観峯館で展覧中の「近江商人・野口家十一屋コレクション展」にかかわっての講演会がひらかれるので、拝聴しに出かける。あいにくの雨だったので自転車は使えず、家人に送迎をお願いする。

    特別講演 《野口柿邨とその子孫たち》

         田 中  浩氏 (蒲生コミュニティセンター主事)

 田中氏は市役所にお勤め、地元蒲生の文化行政に関わっておられて、野口家についても詳しく調べられているという。内容をかいつまんで紹介する。先達っての土曜講座の内容をもう少し詳しくしたものであった。

 ◯近江商人の特徴
   近江の本宅を構え、他国で稼ぐ商家をいう

 ◯野口家の生業
   米屋質屋から醸造業へ 明治期には本邦二番目のビール醸造
   本宅を甲府に移転(昭和27年)
   酒造業を廃して、ビル管理業へ

 ◯第四代忠蔵
   11歳で家督を継ぐ。維新の志士と交わる。政界で活躍。
   大津での「古稀の祝賀会」大盛況

 ◯野口正章
   ビール醸造業失敗で廃嫡
   村松小蘋(野口小蘋)と結婚。夫婦で東京で暮らす

 ◯野口小蘋
   日根対山に入門、画家に。野口正章と結婚。のち女性初の帝室技芸員に
   娘・野口小澆皺莢箸
 ◯五代目忠蔵・正寛
   地元の政界でも活躍。桜川村長、県会議員。

 ◯野口健蔵
   五代目の次男。西洋画家に(日本風油絵)

 珍しい資料を提示さる
  ・野口忠蔵家関連略年表(講師作成)
  ・「近江新報」記事…野口柿邨古稀壽莚の景況
  ・野口謙蔵帝展特選…作品と受賞の言葉
  ・野口謙蔵にまつわるエピソード抜粋
  ・野口謙蔵「田舎に住んで」
  ・旧本宅の内部写真

観峯館土曜講座⑶ 十一屋コレクション1

 観峯館での秋期特別展「近江商人・野口家十一屋コレクション展」に合わせての土曜講座である。
 以下講義内容の概略を紹介する。

 展示内要については別項で紹介する予定。

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[十一屋]
 野口家は近江蒲生郡桜川村を本地とする近江商人の家柄である。当主は代々忠蔵を名乗り、現在は七代目である。十一屋は、近江商人の例に漏れず、関東で商機をつかみ成功した商家である。甲斐の甲府で店を張り、米商、質商を営み、後醸造業に転じて事業を拡大したという。
[四代目野口正忠]
 最も盛んであったのは四代目忠蔵である野口正忠の頃である。彼は豪商として名を馳せるととも 
 に、文化人・政治家としても成功し、多くの著名人と交流した。それを縁として彼のもとに多くの
 書画が集まったのである。彼の古稀の祝いの席には多くの名士が参加し、祝いの書画が贈られた。
 富岡鐵齋も馳せ参じているのには驚いた。
[正忠の長男・正章]
 彼も文化人で、関西南画の日根対山に師事。その縁で同門の松村親(野口小蘋)と結婚する。
 最初期のビール製造に挑戦するも、事業としては失敗、家督は弟の正寛に譲る。
 以後は東京に出て野口小蘋を支える。
[野口小蘋]
 日根対山に師事して絵画を学ぶ。野口家に嫁ぐ。夫の廃嫡により東京に暮らす。
 明治37年女性初の帝室技芸員を拝命する。
[野口謙蔵]
 五代目忠蔵の息。東京美術学校で西洋画を学ぶ。洋行せず故郷の蒲生の風景を好んで描く。小澆
 水墨等を学ぶ。
[小蘋の娘・小漾浪莢箸箸覆

 *近江商人は財はなしても、文化に深入りする事は無かったように思うのだが、野口家は別格だったのだろうか。といって住友財閥も泉屋博古館を形成したのだが。

打出のコヅチ⑸ 朝鮮通信使

 平成29年度滋賀の文化財講座 打出のコヅチ

     『第5回 朝鮮通信使と近江』

             滋賀県教育委員会文化財保護課  井上優氏

 井上さんの熱弁で、講演はまたたくうちに終わってしまった。時に眠りに誘われる昼下がりだが、そんな暇もなし。それにしても大きな大会議場がいっぱいになった。今までの「打出のコッヅチ」で最高の出席者数だという。最初、文化館の一室での講義では20〜30人ほどであったものが、隔世の感がある。老人が増えたのか、いな団塊の世代の隠退でこんな所にも人が流れてきているのだろう。

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 ⑴近江を通った朝鮮通信使 江戸期朝鮮からの外交使節団の来日
    1回〜3回…回答兼刷還使…家康への回答と日本に拉致された人の帰国推進
                大半は職人だが、優遇されて定着した人も多かった。 
    4回〜12回…通信使…「通信」とは文字通り「よしみを通わす」ということ。

    編成…三使、上官、次官、中官、下官(両班から賤民まで大所帯)
   朝鮮人街道 (正式の名称)
    ー小篠原ー八幡ー安土ー能登川ー彦根ー鳥居本ー(中山道へ)
       家康が関ヶ原の後に通った吉例の道
       大規模だったので都市を通る道を
 ⑵雨森芳洲の生涯と外交思想
   雨森芳洲 1668〜1755
     近江伊香郡雨森の人
   修学 木下順庵門下に
       木内五先生…雨森芳洲、新井白石、室鳩巣、祇園南海、榊原篁洲

   対馬藩仕官  唐音稽古
   朝鮮語学習
   通信使正徳度・享保度同行
     通信使との難しい交渉 …正式には漢文文書で応答
     新井白石とも論争
     玄徳潤との友情
      *交渉が難航し長引くと、朝鮮では役人が罪に問われ、杖刑(肉体刑)を受けた人も。
       日本(閉門、蟄居、お役御免)とはまるで違う刑罰体系
   家督を長男に譲り隠居
   藩主の側用人に
   対馬で死去(88歳)
    *誠信と申し候ハ、実意と申す事ニて、互いに欺かず争わず、真実を以て交り候を、誠信
     とは申し候 

 ⑶朝鮮通信使資料
   調査・報告書→重文指定
   朝鮮通信使縁地連絡協議会発足
   ユネスコ記憶遺産登録推進へ
     日本の縁地連絡協議会と釜山文化財団が共同申請中

   
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