日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

近代の邸宅と庭園

野間静六邸ー菊花展

 近江八幡の旧市街の一画に野間静六邸がある。野間家は近江商人として江戸中期に関東は茨城に進出、幕末から明治にかけて醸造業を営んで身代を作ったという。八幡の邸宅はその頃に作られたようである。その後しばらくして廃業された。その家屋はいま、社会福祉法人「しみんふくし滋賀」の事務局に当てられている。お向かいの分家の野間邸は、ボーダレスミュージアム「NOMA」となっている。
 今回秋の菊に合わせて屋敷が公開されているので拝見しに出かける。
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 〈座敷から見た広い庭〉    〈波打つガラス、凝った桟〉
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 〈奥座敷の床の間〉   〈控えの間から奥を〉
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 〈控えの床の間〉    〈表の壷庭から〉  
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 〈今年も西の湖の畔に咲く冬桜〉
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近江日野商人館

 せっかく蒲生に来たので、近江商人の屋敷の代表である日野商人館をたずねる。ここには一度来たことがあるのだが、その見事な作りをもう一度見たくなったのである。
 この屋敷は近江日野商人である山中兵右衛門家の本宅で、昭和56年に山中家から日野町に寄贈されたものである。
 建物自体は昭和12年に新築されて不況普請で、不景気のなか景気付けに立派な物を作るという日野商人の心意気を示したものといわれる。
 まことに立派な居宅である。良い材料が使われている。
〈居間の柱はタガヤサン〉                〈厚さ1寸超の欅の階段〉
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〈客間の床の間〉        〈屋久杉の天井〉      〈優に4間はある廊下の板〉
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〈2階は日野商人の資料館〉
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野口忠蔵旧本宅見学

 観峯館での野口家・十一屋コレクション展に合わせて、蒲生の綺田にある野田家の旧本宅がこの10月の日曜に限って公開されるというので、天気も良し、家人を誘って出かける。
 野口家の本宅はすでに事業地である山梨の甲府に移っているが、出身地である蒲生の家はそのまま残されてある。ただ建物だけあって、什器も何もなく、人も住んでいないので当然家は荒れる。
 せっかくの屋敷なのでこのまま朽ちさせてはもったいないと、この地区ではこの家を何とか活かせないかと模索されている。しかし長く放置されていたので当面の修繕でもかなりの費用がかかるのが悩みの種という。
 手を入れて残すほどの建物なのか、その評価は難しいところで、近江商人の家でもこの程度のものならいくらでもあると聞こえてきそうなのであるが……
〈入口の構え〉        〈建て増しされた玄関〉         〈新たな客間〉
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〈閉じられた蔵〉       〈ヴォーリス設計の洋館〉
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〈野口小澆虜酩福咾世韻飾られていた。
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茅葺き屋根とヴォーリス建築

 近江五個荘の中山道沿いを自転車で走っていると、茅葺き屋根の民家が目に留まった。茅葺きは手入れも大変、葺き替えの費用も高価ということで、たいていのお家では茅葺きの上にトタンを被せているのが普通であるのだが……
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 とこの家の斜め前を見ると家が新築中である。これが何と屋根が葦で葺かれつつあるではないか。しかも家のなかでは木舞が掻かれてあり、土壁仕様になるようである。今どきこんな伝統的な建前をするとは、さすが豊かな五個荘である。完工したあかつきにはまた紹介しよう。
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 さてしばらく安土の方に走って行くと、鄙には稀な洋館が目につく。あとで調べると、ヴォーリス事務所が設計した元の五個荘郵便局(松井家住宅)であった。これは現在国の登録有形文化財になっている。
 それにしても、茅葺きの家並のなかによくもこんな洋館を建てたものである。しかしこれもいつまで持ちこたえられるか。
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[北国街道 安藤家]

 明治中期に事業に成功した商人の建てた邸宅。こじんまりしているが、やはり主室の客間にはよい材が使われている。
 さりげなく使われている黒柿、床柱は杉の天然の絞り丸太か
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 何と言ってもここは魯山人との係わりのある家で、彼の篆刻した巨大な看板がある。それに何よりも彼が意匠を担当した「小蘭亭」が名物なのだが、この時期は公開されていなかった。
 見事な木刻〈呉服〉      〈清閑〉
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 「古翠園」という小蘭亭前の庭園も名物というのだが、狭い庭に多様な植物を見事に配置してある。
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長浜盆梅展

 毎年二月の初めには、湖北長浜の盆梅展に行っている。今年は家人の都合で今日になった。
 この季節に北近江は雪の季節なのだが、今年は雪がない。ただ県境の伊吹山は真白であった。
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[慶雲閣盆梅展]
 土曜日なので人出が多い。狭い館のなかは人で一杯。
 たくさんの盆梅が出ているが、やはり盆梅の女王というべきは「不老」である。重厚な幹模様の上に桃色八重の花がポッテリと乗る。この木は花の寿命も長い。
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[長浜別院大通寺ー馬酔木展]
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 ここも毎年恒例、盆梅に合わせて「馬酔木展」が開かれる。ただ今はまだ蕾み状態である。
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 湖北の真宗の中心地であるので、建物の設えも手が込んでいる。ただこんな寒い部屋に昔の人は住んでいたらしい。
 大通寺広間       岸駒ー金地墨画梅の図   大通寺新御座
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 大通寺蘭亭                    岸駒ー杉板戸絵鶏図
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旧伊庭家住宅 安土

 かねてより拝見したかった安土の伊庭家住宅が、ちょうど祝日公開日に当たっていたので、寄り道をする。
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 この住宅は、住友家の大番頭であった伊庭貞剛の四男慎吉の住居として、大正2年、ヴォーリスの設計で建てられた木造住宅である。
 伊庭慎吉は、絵の勉強にフランス遊学、帰国後八幡商業で教師として勤務ー絵を教えた。結婚後沙沙貴神社の神主に就き、その近くのこの地に住居をかまえたのだった。その後二度安土町長に就任する。戦後は家屋敷を手放したが、彼の死後安土町の所有になり、保存される事となった。
 建物は和洋折衷で瀟洒だが、五個荘や日野の豪商の家のようには、特別な銘木などは使っていず、実質的な観がする。
  近藤浩一郎による襖絵
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著明な画家とも交流があり、鹿子木猛郎、津田青楓や小杉放庵からの手紙が屏風仕立にされている。

  寄付された紫檀の座卓       洋間の食堂
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 特異な部屋がある。南東角に台所を配置し大きなガラス戸(波打つガラス)で囲まれていて、冬でも暖かい。
 二階の洋室の南に小さな和室ΝГあり、一人きりになりたいようなときの隠れ部屋になっている。
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 階段の壁は「波濤紋」の模様になっている。
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 見学者は私一人だったので、管理担当の老婦人にコーヒーの接待を受け、しばらく話させてもらう。古い家は手入れが欠かせない、天然スレートの屋根も雨漏りするのだが、そのスレートが手に入りにくいという。

柏原宿歴史館

 せっかく伊吹山の近くまで来たので柏原宿にまで足を伸ばす。柏原宿は中山道の六十番目の宿場町である。今でも街道に沿って家々が並び、往時の面影を残している。ただ江戸期の建物は当然ながら今はない、多分ほとんどは明治に入ってから建て替えられたものであろう。
  町並み風景           柏原歴史館
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 柏原歴史館は、伊吹もぐさで財を成した亀谷の分家である松浦良平氏が大正6年に立てた屋敷を利用したものである。
 今秋の企画展は『いただきます!旅の献立展』である。宿場の名物料理や大名行列で食された料理などが再現されている。
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 歴史館=松浦家の母屋が公開されている。豪商がお金を惜しまず注いだ建物には豊かな材が使われている。
 縁先の廊下の板はは9辰猟垢機どんなにして鉋をかけたのだろうか。
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 美しい木目の材がそこここに。
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 もぐさ店に置かれていた〈福助〉像の数かず。
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 その他「びんご畳」も使われている。ガラス障子には手製の板ガラスが入れられてある。

日野の山中正吉邸

 綿向神社の近くに、日野商人の中山正吉邸がある。祭の期間に特別公開されていたので、これ幸いと拝見させてもらう。
 中山家は、江戸文政年間に静岡県富士市で醸造業そして造り酒屋として財を成し、江戸末期にここに邸宅を構えた。そして昭和13年に全面的に改装されて現在に姿となったものである。
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 今回は家全体の約半分ー公的部屋が公開対象である。昭和の改装なので洋装の応接間があり、その奥に主室としての客間がある。簡素だがゆるみのない姿をみせている。その回りの廊下の板は約4間の長大な長さ、これだけの長さを平滑にするのは大変だろう。風呂桶も美しい大理石製。台所は黒タイルの竈さんが並ぶ。庭も見事に手入れされている。
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 改装してから80年近く経つのだが、美しいたたずまいのままである。ただ人の住まなくなった家はどこか寂しい。

埼玉川越へー蔵の町をぶらり

 手元にある新幹線切符の使用期限が切れるので、よんどころなく一泊の消化の旅に出る。
 今春の秩父の印象が良かったので、同じ埼玉の地方都市ー小江戸川越を覗きにいった。池袋から東武東上線にのる。埼玉の東半分はもう東京と一体化しているが、西に進むと野菜作りの黒々とした土が見えてくる。川越市駅で下りて蔵の町へ向かうと、黒漆喰の異様な建物が眼に飛び込んでくる。
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 日本の木と土と紙と竹の家のイメージからは遠い、巍々とした山容を誇ると形容しうるほどの黒漆喰と圧倒的な瓦が乗る。何物にも動じないその姿は日本にあるのだが日本的でない雰囲気をかもしている。この作りが気になって「蔵作り資料館」を訪ねる。
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 青枝垂が見事に仕立てられていた。 



 なかに分厚い土壁の説明があった。壁土は田の土にワラを混ぜて醗酵させ収縮を押さえたものを使い、粗打ち、中塗り、砂摺りを経て、漆喰で仕上げられる。その漆喰も石灰にスサや角又など海藻をいれて接着作用を高めて墨で黒くして塗られる。
 いかに商家とはいえ、このような頑丈な家作りは江戸期ではなかろうと思っていたが、やはり明治中期の川越大火を経て蔵作りが普及したという。それも川越が江戸への物資の集散地として最も栄えた時期に当たっている。川越祭の山車も全国共通に(近江の大津祭の、日野祭の、長浜祭、さらに飛騨高山祭の山車も然り)この時代のものであろう。幕末明治は政治的変動があったが、経済的には大きく発展したようである。
 しかし今日ではこの建物を維持するのは大変だろう。
 小雨模様になったので散策を切り上げて駅に戻る。この界隈では商店街の賑わいが維持されているのは好ましい。
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