日本の桜草と美術

桜草の栽培と美術鑑賞

時事問題

近江八幡市長選ー新人が勝つ

 私の住む近江八幡市で市長選挙が行われた。そこで新人が現職を大差(2対1)で破るという事態となった。私は僅差で現職が逃げ切るのではないかと予想していたが、それは大きく外れた。
 そして珍しくも新聞の「号外」が出た。
 なぜ現職が破れたのか。争点の一つは市庁舎の立替問題であった。周辺の市町村に較べてお金をかけ過ぎであり、もっと福祉に回せばとの批判があった。
 私はもう一つ市民の意識にくすぶっていたものがあるのではと思っている。それは現市長の時代に、各地の小学校がコミュニティセンターと結んで立派なものに建て替えられた。また既存のゴミ焼却場にかわって「環境エネルギーセンター」が新設され、温水プールも附設された。
 「なんや立派なものが次々出来るなあ」と感心する一方、「大丈夫かいなあ」と危懼する気持ちが市民の気持ちのなかに生まれていたのではないかとも想像する。
 このような施設は多分国庫補助を得て計画実施されたもので、それほど市民の負担にはなっていないと考えられるのだが、この事実を市民はあまり知らないままに、市長の手柄として推移するのを好まなかったのではないだろうか。
 さらに任期の問題もある。3期務めたところで、これからあと4年任すとなると計16年ということになる。少し長過ぎる、もうこの辺で交替してはとの市民意識がこの結果をもたらしたような気がする。

大学入試試験改革?

 文科省の大学入試改革会議から、今行われている大学入試のセンター試験に代わる新テストの試験問題案が公表された。 
 国語と数学に関して記述式の問題が出されるとのことである。文章作成を通して思考力や表現力を評価しょうと。
 記述式を取り入れると、必ず評価の公平性また評価判定に非常な時間がかかる事などが問題となる。
 私はこれ以外にもいろんな問題があると感じている。
 その一つは入試改革というけれど、100%よい試験制度などありえないことである。“どちらかというとマシか”というという程度で、何度もいじりたおしている。いじることを改革と考え、これを手柄に昇級していくのであろう。
 だいたいが文科省の幹部(上級公務員)も法科出身が大半を占めている。そんな行政職の彼らに教育の何たるかがわかっているのかといつも疑問に思っている。勿論専門家への諮問や会議を経て問題が煮詰められるのであろうが、もっと基本的な国民の幸せを増進するための教育とは何かが問われなければならないと私は思っている。
 今回の“改革”も文章作成を求めるものであるが、高校でそんな文章作成の授業などやっていないし、やる時間もない。1クラス40人もの生徒の面倒をどれほどみれるか。とにかく基礎的な知識を修得させることが中心課題なのである。
 それよりも大学で思考力・記述力・表現力を陶冶すればいいのである。ところが大学でもなかなかこれらが出来ていない。私もこのブログを書いていて国語力のなさを痛感させられている。それを高校に求めることは無理難題の押しつけである。けっきょく塾の受験対策として指導されて終わりであろう。そしてまた入試改革が取り沙汰されるのであろう。
 とにかく何か改革をしないと気が済まない、新しいことに挑戦することはいいことだと日本の行政は考えているようである。いま教育の現場でも各教員が年度目標を立てて、それが実行実現できたか点検されることがおきている。しかしそうそう新しい取り組みがあるわけではない。十年一日のごとき変わらない取り組みがあってもおかしくない(ただし常なる点検は必要だが)。だがそれでは手柄の機会はない。これがどうも行政の担当者には面白くないのかもしれない。
 政治の世界も同じである。経済発展が模索される。しかしそれによって日本国民のすべてがより豊かになるのであろうか。豊かな人をより豊かにする施策に終わるように思うのだが。貧しい人を貧しさから解放する仕組み、つまり冨の分配に十分考慮しなければ発展の言葉が泣く。

橋下市長のやり口?

 大阪市立桜宮高校での体罰による自殺事件に関わって、大阪市の首長である橋下市長がさっそく噛み付き、問題を起こした体育科とスポーツ健康科の入試を中止すべきと発言。ところが直ぐにそれを変更して、専門科を普通科に衣替えして入学試験を実施するよう大阪市の教育委員会に要請、聞き入れられなければ入試関連の予算を執行しないと脅しにかかった。委員会は反発するも“泣く子と地頭には勝てぬ”とあっさり承諾する。
 さらに市長は、この専門科を志望していた子どもの受け皿として、府立高校の同じ体育科のある学校に増員を府の教育委員会に要請する。委員会は前知事の意向をいとも簡単に受け入れる。知事が市長の主催する維新の会の幹部であってみれば、言うことをきかざるを得なかったのであろうか。それにしてもこの時期になっての受け入れ定員の増員はまことに異例であろう。教員の手当、教室や設備の準備など大変である。しかし首長の鶴の一声は絶対のようで、こんなときには予算も言いなりにつくのであろう。
 そもそも桜宮高校の件では専門科そのものの存在は悪くはない。その専門科に関わるクラブ活動のあり方と顧問の指導の仕方が問題なのである。しかし大阪市教育委員会は桜宮高校の新普通科の新しいカリキュラムの方向を決定したようである。生徒の一生に関わる教育内容をこんな倉卒に、市長の意向で決めていいものだろうか。はたして志願者は?
 しかも体罰に関して、教員・顧問への指導.研修を徹底しょうというニュースは聞こえてこない。また高体連も何をしているのであろうか。体罰根絶の旗ふりをこそしなければならないのに。
 とにかく橋下市長は思ったことをすぐに口に出す。そして直ぐに行動に移す。おかしければ直ぐに訂正する。この直情径行が受けている。そして自分の意志を貫くためには問題を大きく取り上げ、怒ってみせて、対象を潰しにかかる。世界の大阪市立美術館をなくすという。大阪には美術館は一つあればいいという。大阪の南に文化拠点はなくてもいいのだろうか。
 とにかく振幅の大きい人である。それがマイナスの振れた時、その結果は大阪市民の未来にかぶさってくる。
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