梅雨入り目前といわれながら、好天に恵まれた6月5日に句会が行われました。この日は5人と先生の参加でちょっと寂しくはありました。しかし、その分だけ参加者間の話し合いが活発だったようにも思われます。兼題は「蕗」、席題は「枇杷」でした。
そこで、兼題の「蕗」ですが、この季語は基本的に植物として蕗を指しており食(べ)物の蕗とは区別されるべきであるということ、就中、加工された「伽羅蕗」を季語として用いる際には注意が必要ではないかという指摘がありました。確かに歳時記の中には夏の季語として「伽羅蕗」を挙げているもの(例えば角川版)があるけれど、議論が分かれているところだそうです。一方、「季語」は時代とともに生れたり変化もするものだから何が正解かは難しいところでもあるということでした。
実は「伽羅蕗」を季語として用いたのは私で、二つの歳時記(角川版、大泉書店版)で「蕗」の項に「伽羅蕗」が掲載されていたので使いました。その際、改めて歳時記で確かめようと思ったのは「伽羅蕗」は一年中売られている食品でもあるからと夏の季語としては不安があったからです。ただ、両方の歳時記は季語として認めていたので、年中あるとはいえ、旬のこの時期に作るものなのだろうと一人合点しました。植物と食物、この時期に収穫される蕗(葺)と一年中食す伽羅蕗、考えてみると「季語」もなかなか手強いものです。
そこで、兼題の「蕗」ですが、この季語は基本的に植物として蕗を指しており食(べ)物の蕗とは区別されるべきであるということ、就中、加工された「伽羅蕗」を季語として用いる際には注意が必要ではないかという指摘がありました。確かに歳時記の中には夏の季語として「伽羅蕗」を挙げているもの(例えば角川版)があるけれど、議論が分かれているところだそうです。一方、「季語」は時代とともに生れたり変化もするものだから何が正解かは難しいところでもあるということでした。
実は「伽羅蕗」を季語として用いたのは私で、二つの歳時記(角川版、大泉書店版)で「蕗」の項に「伽羅蕗」が掲載されていたので使いました。その際、改めて歳時記で確かめようと思ったのは「伽羅蕗」は一年中売られている食品でもあるからと夏の季語としては不安があったからです。ただ、両方の歳時記は季語として認めていたので、年中あるとはいえ、旬のこの時期に作るものなのだろうと一人合点しました。植物と食物、この時期に収穫される蕗(葺)と一年中食す伽羅蕗、考えてみると「季語」もなかなか手強いものです。
(進ノ介 記)