2006年10月25日

yamakasa jet shinsuke 2004-2006 『骨』

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2004年10月某。

僕をプロレスラーにしてくれた団体は休止、いや事実上崩壊した。

僕はその報を休養先の福岡できき、その一部始終は新聞などの紙上により知る事となる。

自らが関せずところで所属団体が無くなり、関せずところで新しい所属団体が出来ていた。

東京へ合流すると同時にゼロワン→マックスへの変更手続きに明け暮れた。

数年親しんだ前寮からの引越し→新寮への入居。

新事務所への転居。

リング上の方は変わらず止まらず、そのままの流れで新体制へとチェンジしていった。

中村さんは社長となり、大谷さんは団体の代表となった。

そうそう、このしばらく前いつの間にか土井(明石)がいなくなってた。

プレ旗揚げ戦と名うたれた地方のどこかの第一試合を務めさせてもらった。

相手が大学の先輩でもあった藤崎さん(富豪2夢路)だったのも実は感慨深い。

そして年が明け正式に『ZERO1-MAX』がスタートした。

忘れられない『ch01興業』での炎のルーレットマッチ。

その直後、僕は長年悩まされた右膝の前十字靭帯の再建手術を決意することとなる。

新社長に相談し、その何年か前に一度手術した時の主治医にも相談した。

そうして行った手術だが、やってみると思った以上の大手術だと痛感させられた。

二、三週間で退院だと思ってたそれは、フタを開ければそのくらいにようやく自力歩行が可能になる程度。

結局入院40日、トレーニング復帰までは約三ヶ月かかった。

それでも手術から半年での復帰を目標にした。

まぁ「イケる」くらい思っていた。

ところが実際かかったのは14ヶ月。

長年染み込んだ膝への不安感は生半可じゃ取れるもんではなく、退院後もハッキリいってしばらくはしっくりこなかった。

途中、こんなんで試合出来るようになるんか?という不安に何回もかられた。

営業に転向か?とリアルに噂された。

このまま会社の負担になりたくない、と実際に退社の意を伝えた事もあった。

どんどん伸びていく同僚に嫉妬していた事もあったろう。

それでも周りに支えられ、また自分自身「このままでは終われない」と踏ん張った。

もちろんその間にもいろんな事が起きた。

お世話係の戦友、葛西さんの退団。

師匠、日高さんの入団。

普段から良く誘ってくれる、テン…いや、神風先輩も入団。

破壊王の突然すぎる別れ。

僕というレスラーを作った道場も無くなった。

リングには僕がいない間にいろんなレスラーが登場していた。

んで、いなくなってもいった。

そんなこんなでゼロワンがマックスへと変わり、いよいよ一年が過ぎ『01MAX』というものが浸透してきた頃ついに復帰が決まった。

それにむけてのトレーニング開始。

仲間達のバックアップ。

何かにすがろうと御払いもしたし、断食紛いのことだってやってみた。

大好きな宴も控えた。

そうして迎えた復帰戦。

相手には公私共に世話になった坂田亘さんを希望し、それが実現した。

ボロボロにされた。

でもなにも出来なかったが、ちゃんと自分の足で帰る事ができた。

恥ずかしながら涙が出た。

皆とようやく同じ目線でいる事が出来ると感じたからだ。

間をおかず海外武者修業に行った。

アメリカ。

言葉も文化もまるで違う環境に触れた数カ月、ものすごく為になった。

もちろんいろんな事が起きて、いろんな事を考えた。

自分なりに成長したと思い込んで帰国したら、とんだ勘違いだった。

それで自分を見つめ直す為の時間を、またまたおねだりした。

そしたら今度は心と身体のバランスが取れなくなったんだ。

ここでは挙げきれない程の要因が実はある。

でも今は何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうから、とりあえず『01MAX 山笠Z゛信介』は終わりにします。

という事で前向きにバイバイしましょうっ!

サヨナラは別れの言葉じゃなくて、再び逢う為の遠い約束。

…だって。




fin.


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yamakasa jet shinsuke 2001-2004 『肉』

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2001年9月11日。

世界を震わせた爆発テロで余りに有名なその日が僕の上京記念日だった。

それからちょうど5年がたった同じ日に僕は『01MAX引退』という決断をした…。

その上京記念日から遡ること二ヶ月と少し前、2001年6月末にゼロワン第一回入門テストが行われた。

後に同期となる小森君を含めた4人が書類を通り実技に進んだ。

道場で始めて挨拶を交わした、すぐ上の先輩となる佐藤耕平のデカさに驚き、またその日入門テストの余りの過激さに生まれて初めてきつくてゲロをはいた。

二日後に『仮合格』の知らせが届いた。

「じゃあ来週出て来てもらうことになるから、またこちらから連絡します」…の連絡を最後に忘れられた。

しばらくして雑誌を見れば『ゼロワンに新弟子入門、即日デビュー!』と崔領二がいつの間にか割り込んでいた。

そして慌てて出てきた9・11。

大学の先輩の藤崎さん(後の富豪2夢路)を頼りに上野に辿り着いた。

同じく「仮合格」の小森君と落ち合い、押しかけ入門。

二ヶ月のブランクは恐ろしく、まったくついていけなかった合同練習。

何度も何度も「帰れ」と言われた合同練習。

会話のない合同練習(メンバーは高岩さん、星川さん、耕平さんに小森君と僕)。

その頃は雑誌で高岩さんを見ると恐怖で本を閉じたもんだ。

合同練習にはただ通う事だけが許されていた。

ゆえに入寮までの3ヶ月間は上野のカプセルホテルを転々とした。

事実上『住所不定無職』なばかり、銀行の口座作りに難儀した。

『真撃』のリング撤収を手伝い終電を逃し、拾ったチャリで上野に帰る最中ポリに捕まり一晩警察署の御用になった事もあった。

資金が尽き、激安を求め山谷にも行った。

安さで選んだカプセルホテルでホモに襲われた。

ショットガントイでバイトさせてもらった。

そんなこんなでなんとか生き抜いていたらいきなり事務所に呼ばれた。

未だ見ぬ『破壊王』がそこにはいた。

そして寮ができ、崔領二と合流。

まだまだ事務所は黎明期、合同練習以外は事務所でも働いた。

そんな中、小森君と二人きりで行くカラオケがストレス発散だった。

星川さんに車を借り大井競馬に行こうとしたら、煙を噴いて廃車になった事もあった。

田中さん、佐々木義人が正式に入団してきた。

ゼロワン初の巡業が始まった。

初の博多大会。

そこでのデビューは叶わず…。

理由の原因の一ツに胸のどっかの骨の亀裂骨折てのがあった。

新年会で先輩の水平チョップを喰らったせいだった…耕平恐るべし。

悔しさをバネに次のシリーズで念願のデビュー。

福島市体育館。

そこは大谷さんがデビューした場所と同じだった。

大谷さんから譲り受けたシューズとタイツでデビューしたんだ。

真っ白で記憶はほとんどないけど、殴られ過ぎて顔面が変形していた。

でも幸せだった。

ノアから高橋君が移籍してきた。

ナミが入ってきた。

今では考えられないが「スター性がある」というのが一ツの理由だった。

高橋君が初リング。

その後シリーズ中8割方が高橋君とのシングルマッチという状況が続いた。

初勝利はその高橋君からだった。

その夜には大谷さん、マスコミさんに祝ってもらった。

初めて地元で試合をした日に改名になった。

本名の垂れ幕を作ってくれた方々から「買い取れ(笑)」と苦情がきた。

デビュー後からレギュラーになった『ch01』では無茶苦茶やらされたが、毎回ホンっトに楽しかった。

酒もこの頃からプロレス界のムチャ呑みってやつについていけるようになった。

毎晩六本木に呼んでもらった。

そして毎晩朝まで呑み、そのまま合同練習→終わって昼寝→で、また夜の繁華街へ。

すごいときはこれが一週間続いた時もあった。

リングではファン時代いつも見ていた人達に混ざり試合をするようになっていた。

全日本プロレスとの対抗戦。

石狩太一と出会った。

プロレス界で初めて出来たライバルだった。

そうそう、ライバルといえばK-DOJO旭志織。

奴ともプロのリングで試合が出来た。

最高の思い出の一ツ。

この頃はヴァン(サック・アシッド)も居たなぁ。

ゼロワン地上波放送。

記念すべき第一試合に名を連ねた。

思えばここらが1番調子のよかった時期なんだろう。

そのヒトツキ後、右膝前十字靭帯断裂。

奇しくも破壊王と同日、同じ怪我。

楽しみにしてたサイパン合宿はそんなバッドコンディションの中参加した。

無理矢理参加したOH祭り。

そんなこんなで膝が伸びなくなってしまい初めの手術。

焦って復帰を早まった獅子王杯。

ここらからは何から何まで裏目に出た。

その頃にはナミよりもさらに後輩の明石鯛我もデビューし、そしてナミ本人も苦節二年でついにデビューしていた。

後輩のデビューに当然焦りもあるが、身体がどうにも動かない。

リングに上がれば怪我を繰り返した。

膝だけでも致命傷にもかかわらず、唇が取れかけ、肩は脱臼し、とどめには不整脈まで出た。

それでもあがきながらもリングにあがり続けた。

そして自分でも何度目の欠場かわからないが故郷福岡での静養中、ゼロワン活動停止の報をきいたのであった…。




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2006年08月10日

Special-1 『暑中見舞いがてら』

みなさん暑い日が続きますが、いかがお過しですか?

わたくし山笠Z゛信介、実は再度アメリカへと来ております。
0755df90.jpg続きを読む

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2006年06月19日

米国編NO.25 『RETUNE』

6月19日(月)。

ただ今、アメリカ→日本への飛行機の中であります。
自分的にはけっして満をじして、の帰国とは言えないものとなってしまったのはこれまでの経過をみてもらえばわかるとおり。
しかし「必ず大きくなり帰ってくる!」とタンカをきって出て来た手前、当然「それなり以上」の結果を求められると思っています。

さて、それが分かっていながらになぜこのタイミングで帰国を焦ったかというと、それはひとえに『火祭り』の季節だからに他なりません。
日本ではその出場権をかけ、シリーズ中火花がちりまくっているのはインターネットで調査済みです。
本来、自分が納得するまで、或いはせめて肩の状態が不安で無くなるまでは動くべきではないのかも知れませんが、ジッとしてれば出場枠は埋まっちゃいます。
まぁ難しくは日本に帰ってみてから考えようじゃないかと、飛行機へ乗り込みました。

はっきり言ってまだまだ学ぶべき点を数えればキリがありませんが、肉体面、技術面はさておき精神面では前代未聞の修行を果たせたと自画自賛。
また米インディーのおそらく最下層から世界最高水準のWWEまで触れてみれた、という振り幅は相当な経験値になっているはずです。
なんにせよ、問題は僕が今後のプロレス人生に今回の経験をどう活かすか、ですからね。

まあ胸を張って帰ってみようじゃないですか!
どうなるかはもう帰ってから考えましょう。

グッバイ!アメリカっ!!


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2006年06月15日

米国編NO.24 『NY vol.3』

90b6e624.jpg6月12日(月)。

昨日の興行自体もだいぶ遅かったのですが、ホテルに戻るとこっち在住女子レスラー坂井さん(以後スミ・サカイ)が合流し、結局寝たのは朝五時。
そして起床は朝7時半(T_T)
空港まで田中さん、TAJIRIさんと一緒に行き、そこでお二人を見送って再度NYへと向かうのがこの日のスケジュールでした。

たった二日余りでしたがホント〜に充実した時間をすごせました。
田中さん、TAJIRIさん感謝してます、ありがとうございました!




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2006年06月11日

米国編NO.23 『NY vol.2』

4352c0c3.jpg6月11日(日)。

さあいよいよECW当日。

意気揚々と会場へ向かおうとする僕に意外な問題がふりかかります。
それは「お前会場には入れないんじゃねえか?」という問題でした。
というのがWWEが主催となった今、規則までもが一緒ならば「レスラーだから」「付き添いだから」と言って誰しもが会場内に入れるわけではないようなのです。

今回はなんとかTAJIRIさんのおかげでパスをもらうことに成功しましたが、とてもキッチリした場所のようですね。
実際、前の日の夕飯の席にいた関係者ですら会場にはチケットを持って客席にいましたから。


さて試合の方は僕がどうこう言うまでもなく(何せ僕はECWもWWEもよく知らない)、ただただ『世界最高水準』ってやつに唖然。
そこに普通に受け入れられる田中さん、それにTAJIRIさん。
あ、あとスペル・クレイジーね(すっかりスターのオーラ出まくり)。
すっごいなあ…。

これでこっちに来て以来、ホントに小さな団体からこの世界最高峰までと随分幅広く関わってこれました。
もちろん小さなとこから見てきたからこそ気づけたわけですけど、規模はもとより、レスラー・スタッフの姿勢、取り組み、その他色々と感心することばかりでした。

なんか前にテレビで見たやつで、宝塚か劇団四季かの偉い人の話なんですね。
それで「一流のショーを作るには、舞台に上がる人と同じだけ(倍の数だったかも)の裏方が必要」と言ってたのを思い出しました。
それだけの数の人間が同じ意識を持ってイベントに携わってました。

もちろん感じただけなんですがレスラーサイドにも「俺はレスラーなんだぜ」っていう必要以上の驕りも感じなかったし、携わる人間に均等なプライドを感じました。


よく聞く意見で「金があるからできる」というのがあります。
それが絶対間違っているとは言いませんが「あれができるから金を生むんだろうな」
と言うのが素直な意見でしたね。

そしてTAJIRIさんの一言…

「しょっぱいのばっか見てると、自分もしょっぱくなるからね」

…眼から鱗、というか…何でも見て接して吸収せねば、と躍起になってたとこをグサリされました。


そんなこんなであまりのことに頭もパンク気味、ブログも文章まとまらず気味なんですが、あまりのことついでにもう1つ、あのテリー・ファンクにディナーをご馳走になったというあまりにビッグな出来事だけは記して、NY二日目を締めようと思います。

では…。






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2006年06月10日

米国編NO.22 『NY vol.1』

035d8237.jpg6月10日(土)。

ここ数日、すっかり引き篭もってしまった僕ですが、日本から田中さんが遠征に来るというので重い腰を上げニューヨークへと一人旅をしてきました。

田中さんがECWに参戦するというのは僕が日本にいたときから噂されていて「もしホントに行くことになったら会場までこいよ」といわれてたんですね。
「もちろん、その時どこにいてもかけつけますよ!」といかにいい加減な返事をしてたのか…。
というのが、僕今回が一人でバスに乗るのすら初めてだったんだすね〜。
もう2ヶ月以上いてこの程度の適応しかしてないのかと我ながらガックシきました。

田中さんは電話で「一人で来るのは無理なんじゃないか?」と随分心配していましたが、そこは持ち前の楽観的観測で「大丈夫ですよ」とこれまた軽返事。

僕としても、なにせここ数日腐りきってるわけですから、何とかしてこの普段の生活から脱出したいわけです。
どれだけ迷おうが意地でも行くつもりでした。


さて、朝9時にステイ先を出たもののバスの出発時刻は11時。
早速出鼻をくじかれました(-_-;)

到着地はニューヨークシティ。
そこからさらに田中さんのホテルには随分あるんですが、TAJIRIさん(もECW参戦)と一緒にニューヨークまで迎えに来てくれるということになりました。

(なら余裕だよ。バスで寝てれば着くんだから)

とぶっこいてたら、バスを降りた瞬間に目眩がしましたね。
なにせステイ先はもちろん、今まで行った事のあるどの場所でも見なかったあふれる人だかり。
どこが出口だかすらわかんないターミナル内。
何が書いてあるんだかさっぱりわかんない、構内標識…etc。

なんとかかろうじてわかった『infomersion』にたどり着き、いまだ中学生レベルを脱しない英会話でなんとか待ち合わせのマジソンスクエアガーデンへの行き方をたずねる。
そして何を言っていたのかさっぱりだったので、建物を出てすぐにあった地図を頼りに、歩くこと数分ようやく殿堂・MSGをみつけました^^V

そして合流。
ここぞとばかりに日本語を喋り捲りましたね。


合流後は、今回参戦のお二人の雑誌の取材についていきながらNYの街並みを探訪し、太陽が落ちる前にはホテルへと戻りました。
ちなみに僕はというと、田中さんの部屋へちゃっかりとお邪魔し、端のスペースを拝借してそこを寝床としました。

この遠征でのこと、これからのこと、もう話したいことはいくらでもあるわけで、夜がどんどんと更けていくこともかまわず語り明かし… … …ませんでした。
さすがに時差ボケのある田中さんは、僕がトイレ(大)に行った隙をつき、まんまと爆睡してましたね^^;

そんなNY初日でした。



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2006年06月07日

米国編NO.21 『BAD LUCK』

6月7日(水)。

話は少しだけさかのぼり、日曜の話。

その前から数日というもの、キャシーが忙しくジムにすらいけない日々が続いていました。
ので一日の外出は日課の散歩のみ。
また練習は部屋や庭での昭和トレ。
いや、このトレーニングがいけないというわけではなく、残された修行期間を是非とも最大に全うしたい僕にとって、一日でもジムにいけないというのはなんともストレスがたまるものなんです。

といいますのが、復帰したものの先週末は試合の予定もなく、この期間にできるだけたくさんのウエートを行い、パンプしたいという目標をたてていましてね。
短い期間でどれだけ身体を膨らませるかは別として、とにかく悔いが残る形にはしたくなかったんです。

さてそんな焦りが後にあんな悲劇を生む(?)とは、このときは知る由もなく…。


そして日曜はこの日もキャシーが試合ということで時間もなくジムへはいけず。
でも家にいてもストレスが溜まるだけと、会場まで付いていく事にしました。

比較的近くにあったその会場。
行くまではROHの興行だと思ってましたが、ついてみたらWXWというこの地域ではやや有名らしい団体でした。

(もしかしたら試合がはいるかも)

という期待もむなしく、開場したホールの片隅でみっちりと昭和トレを行っていると、キャシーがあわてて駆け寄ってきました。

キャシー「ジェット、これから試合だよ!よかったね!」

Z"「これから?」

と、すっかりトレーニングモードに入ってたため、どちらかというと僕よりキャシーの方が嬉しそうながらも急遽試合が決定!
相手は巨漢のスーパーヘビー!
しかもシングル!
さらにセミファイナル!

「こうなりゃいっちょやったるで!」

と、よくわからない方言を駆使し気合を入れてました。


…んで…す…が……


開始1、2分ってとこでしたかね。
向こうのセコンドが場外に飛ぼうとした僕の足をつかんだ訳です。
確かにふいにではありましたけど、形的には普段から散々練習しているなんてことのない『前バンプ』。

はい、実はこの受身の拍子に、右肩が脱臼してしまったのです…。

試合はストップ。
…いや、続いてたのかな?
なんか誰か乱入してきたのまでは覚えてますが、僕はその後そのまま病院へと直行となりました。



(なんで!?)

もはやこの言葉しか浮かんできません。
すごく自分のことが嫌になったし、さすがに泣きたくもなりましたね。
今日に至るまでの数日、まさか自分にこんな一面があったとビックリするくらい落ち込んでたりします。

やはりどこかにダメなとこがあってそれがこのような結果を招いてるんでしょう…。
だとしても、今のところまったくそれがなんなのかに気づくこともできていません。

…参ったな…肩痛い…。。。



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2006年06月03日

米国編NO.20 『New Shoes』

5d5b8fb8.jpg6月3日(土)。

今日もジムにすらいけずにお留守番。
どこかでROHの試合があるらしい。

…こないだサモアジョーが「試合組まれるように言っとくから」っていってたのに。
…ねえじゃねえかよ。


さてそんな中ロードワークを終え帰ってくると、家の前に小包みが(アメリカでは不在の場合ぽつんとおいていくのだ)。

(リングシューズに違いない!!)

そう確信し、クラウディオ宛だった荷物を勝手にひらきました^^;

中は予想通りの品。
先日皆で行ったモールで注文していた(NO.18参照)おニューのレスリングシューズでした〜。

暗い気持ちになってたんですが、なんか少しだけ気が晴れましたネ。
イェイV(^^)V

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2006年06月02日

米国編NO.19 『I hope』

2bc844b1.jpg6月2日(金)。

さていよいよ六月に入りました。
今日は朝から珍しくキャシーが「本日のスケジュール」的なものを伝えてきてくれ、それに合わて色々と行動してきたんですが、アメリカ人お得意のキャンセル。
に応じて今日のジム行きも何故かパア。

こんなんじゃ、身体すら大きくなんねえよ…。


試合への復帰も終え、バリバリッとやる気になっているというのに、試合のスケジュールもありません。
ただ悪戯に時間が過ぎていくような気がしてなりません。
はっきしいって悩んでいます。

どうかせめて運動させておくれ。
頭使わなくていいような、トレーニングに集中できる環境が欲しいもんです。。。

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