「ご清栄」の意味・用法

先日、私の誕生日を祝ってくれた卒業生の一人が、「新涼の候、先生にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。」という一文で始まるメールをくれた。この場合の「清栄」とは、主に書き言葉で用いる改まった語(文語)で、日常的には、たとえば、「貴家ますますご清栄のこととお慶び申し上げます」、「拝啓 ますますご清栄の段、お慶び申し上げます」などと使うのだが、大事な点は「相手の健康と繁栄を祝う語」だということだ。

 もちろん、同君に他意など微塵もなかったことはよく分かっている。だが、大病を患い、生死の境をさ迷ったばかりの私としては、こういう《紋切型》の挨拶言葉を用いられると、正直なところ、戸惑ってしまう。

dd つまり、この語は、相手が健康で繁栄しているのが分かっている場合に限って用いたほうが好いということだ。私のような人間を含めて、様々な事情で「健康と繁栄」に恵まれていない人も少なくないことを考えれば、もっと無難な、簡明な言い方をすべきだろう。たとえば、「先生には、その後、いかがお過ごしでしょうかお過ごしでいらっしゃいますか」、「先生には、その後、お変わりございませんか。」などのほうが無難で、一般性がある。両文に続けて、「お伺い申し上げます。」のような表現を付ければさらに好ましい。普段使いなれない語句を使う時は、国語辞典をよく引いて、意味・用法を確認して使うようにしたいものだ当たり前だが、国語辞典は用例の多いものが好い。英語学習やよし、されどその何倍も母語の習得に心を砕きたいものだ…

「(車が)追突する」を俗語で言うと?

accx車が前の車に後ろから突き当たることを「(車が追突する」と表現することは周知のとおり。昨日、散歩の途中でその種の事故現場に出くわした。左写真がそれだが、前を走る軽ワゴン車に別の軽自動車が追突したらしい。警察官が現場検証をしていた。「こんなに交通量の少ないところでどうしてそんな事故を?」といぶかったが、これだけは運転者たちに尋ねてみなければわからない。
 私が興味を引かれたのは、私の向かい側から来た、20代前半の女性二人の会話だった。私とすれ違いざまに、以下のような会話をしているのが聞こえて来た。

A: 「どうしたのかなァ? 事故かなァ?」
B:「うん、そうみたいだね。たぶんオカマ掘ったんじゃない?」
A:「そうだね。オカマ掘ったんだね。」 
 今の若い人たちは、こういう(私にとっては)俗語[卑語]を平気で口にする。いや、こういう言葉が若い人たちの日常語になっているようだ。私も親しい間柄の友人(男性)に対してこの表現を使ったことはあるが、公道上や見知らぬ人々が集まるような場所では使わないようにしている。

 知る人も多いだろうが、この「オカマ」は「御釜」と書き、「尻、けつ」のことであり、「男色、またはその相手」の意の俗語[卑語]だ。「御釜を掘る」はしたがって、「男色を行なうもっと簡明で露骨な説明が出来るがここではやめておくということで、本来は、うら若き女性こんな表現は死語かも知れないが公然と口にするような表現ではない。ちなみに、この行為では、特別な《器具》(いわゆる大人のオモチャ)でも使わない限り、女性は受動者になることは出来ても能動者になることは出来ないただし、そういう状態を「オカマを掘る」とは言わないのが普通だが…

獅子に噛まれることを怖がる幼な子

ss昨日、一昨日は近所にある富岡八幡宮の秋の大祭だった。東京都江東区の富岡八幡宮(別名「深川八幡」)を分社に持つ由緒正しい神社だけに、その秋祭りの規模の大きさには目を見張るものがある。今、大祭の紹介は省略するとして、言及したいのは近所で目撃した獅子(舞)に関する事だ。

 最寄りの駅前に獅子(舞)が来ていて、老若男女が頭を噛んでもらっていた。獅子とはライオンのことで、元々インドの遊牧民たちが勇猛なライオンを霊獣としたことに由来するらしい。この考え方は我が国には室町時代にはすでに入っていたようで、その後、正月などに悪魔・疾病祓いを目的とした獅子舞として一般化したようだ。

 駅前のその獅子に頭を噛ませようと若い親たちが幼い我が子たちを獅子に近づけるのだが、たいていの幼な子たちが「いやだ〜、こわい〜!」と泣き叫んだ。中には大泣きしながら、そこから逃げ出す子もいた。

 当たり前だろう。幼な子たちは、それまで、獅子のような《怖い顔》をしたものを見たこともなければ、話に聞いたこともなかったはずだ。だから、自分たちの頭の中には、《怖くないものだ》という観念やイメージがまだ出来上がっていないのだ。縁起担ぎだからと言って、無理やり獅子に幼な子の頭を噛ませようとすると、それが恐怖の体験として《トラウマ》になる恐れがある。こういう場合は、親がまず「獅子は怖くないものだ」という観念を植え付けてやる必要がある。その方法はいろいろ考えられるが、親の仕事だから、ここでは私は省略する。とにかく、大人が《良いこと》だと思っても、頭の中にその観念もイメージも出来上がっていない幼な子たちには《逆効果》になり得ることを親たちは知っておく必要がある。

【付記1】 嵒櫃ない」という観念やイメージが出来上がれば、大型の蛇でさえ平気な子もいる。次の動画が参考になる。(「蛇は嫌いだ、怖いと思う人は見ないでください!)YouTube:(2:00辺りから)Britains Got Talent 2011 Olivia
Binfield
; ▲▲侫螢の野生動物たちと共に成長したTippi Degreの話を聞いたことがある人は多いだろう(➡こちらこちらの動画)。
【付記2】「日本人の体内に棲む『虫』(続)」を参照。そこに子供の《恐怖心》を取り除くための《工夫》の例を書いておいた。

《母の手のぬくもり》のこと(続々)

山本有三原作の映画「波」(昭和27[1952]年;中村登監督)の中に、次のような会話が出て来る。
野々村昴子(淡島千景): 駿(すすむ)ちゃん、おとうちゃまがいらっしゃったわよ。パパちゃんよ。(中略)ほら、パパちゃん。ネ。ごあいさつなさい。
  【沈 黙】
見並行介(佐分利信):あの子はいつもああだ。どうしても僕にはなつかない。
野々村昴子:そんなことはありませんわ。久しぶりにお父さまにお会いしたんで、きっと恥ずかしいんですわ。子供って、みんなそうですわ。
見並行介:いや、あの子は別です。
 駿とは、母(きぬ子[桂木洋子])が産褥熱で死んでしまったために、生まれて間もなく野々村のところにあずかってもらっている、見並の5歳になるひとり息子のことだ。

 私が興味を引かれたのは、「あの子はいつもああだ。どうしても僕にはなつかない。」、「いや、あの子は別です。」という、我が子に対する見並の断定的な言葉だ。産みの母の顔さえ知らず、親切な野々村の世話になりながら成長していく駿にとって、たまにしか会わない父には「なつかない」のが当たり前だろう。裏を返せば、駿のそういう態度は、息子に対する見並の《疎遠度》の反映だと言える。第一、「なつく」とは「慣れ付く」ということで、ある状態に長く置かれたり、そういう状態を何度も経験しているうちに違和感がなくなってそれを次第に受け入れられること言うのだから、そういう経験のない駿にとって、見並の要求には《無理》があるというものだ。

 大人は多くの場合、自分の感情や価値観で我が子を断定的に判断する。そして、我が子が自分の意に染まないと、見並のような一方的で勝手な判断を下す。《母の手のぬくもり》を知らない幼な子が、父ともたまにしか会わないということになれば、駿のような反応を示すのが当然だろう。むしろ親である見並のほうが反省すべきことだと思う。この映画を見ていて、親は我が子に対して、どう接すればいいのかを改めて考えさせられた。

《母の手のぬくもり》のこと(続)

昨日の横浜は小雨だった。小雨程度ならたいていは散歩に出かける。いつものように某大型スーパーのコーヒースタンドでアイスコーヒー(ブラック)を買おうと順番を待っていた。私の前に30代前半の母親と3歳前後の女児の二人がいて、母親が同じくアイスコーヒーをカップに注いでいるところだった。コーヒーメーカーは和洋菓子店の中にある。次は、その時のその親子の会話である。

子:【和菓子コーナーにある可愛い麦落雁(むぎらくがん)の詰め合わせを指さして】ママ、あれな〜に? 
母:あれ、お菓子でしょ。
子:ふーん、じゃあ、ぜ〜んぶお菓子だね。
母:うん、ぜ〜んぶお菓子。

r  この母親の答えは間違ってはいない。だが、願わくは、「あれはね、《ラクガン》っていうお菓子よ。おコメのお友だちのムギから作るお菓子よ。」程度の知識・情報を備えておいてほしい。今の若い母親たちは、それこそ数えきれないほどの種類の和洋菓子を見ているので、伝統的な落雁などには見向きもしないのかも知れない。   

 幼い子供は、しばしば親たちに「あれこれな〜に?」と聞くが、これは自分の頭の中にまだ特定の物の映像や情報が刷り込まれていないことの証拠だから、親から「うん、ぜ〜んぶお菓子」と答えられると、いちおう「ふ〜ん」と反応するだろうが、その「ふ〜ん」という音は、「頭の中にラクガンの映像と情報が形成・固定化されていませんよ」というサインであって、子供にとっては《消化不良》の答えでしかないのだ。だから、親が知らなければ、店員に尋ねて正確な名称や材料を教えてもらい、それを子供に伝えるとか、「ママはわからないから、おうちに帰ったら調べてみるね。」と答えたりするとよい。そういう習慣を身につけている母親から育てられた子供は、きっとさらに知識欲旺盛になるだろう。きちんとした答えを親が出さないままだと、子供はいつの間にか、「どうせ聞いても答えてくれない」と思い、次第に物事に興味を持たなくなる恐れが多分にある。親の責任はやはり大きく、重いのだ。  

《母の手のぬくもり》のこと

t先日、《母の手のぬくもり》に触れた(こちらの最下段)。そのことで、今の若い親たち、とりわけ母親たちに願う事がある。それは、外出時はもちろんのこと、うちにいても、自分の幼な子たちの手をできるだけ頻繁に握ったり引いたりしてやってほしいという事だ。

 日本語では《手のひら》のことを1字で《》と書き、「たなごころ」と読む。これを語源的に漢字交じりで書けば「な心」となる。この「」は《中心》という意味だが、日常的に言う《》と同義だと考えてよい。「人間の精神の働きが凝縮する場所」が心臓だから、《手のひら》⇒《(たなごころ)》はその《出張所》、《支部》、《支店》だと言える。

 子供が幼い時から、豊かな心を持った親たち、とりわけ母親から、手を握ってもらっていれば、親の心はそのままその子に受け継がれるものだ。そういう手(=掌)を持った子供たちが、その《手を悪に染める》はずがない。たとえば、数日前、Yahooニュースで、次のような嫌な記事を見かけた。


「釣れてますか」と声を掛け…釣り人を海に突き落して逃走 少年数人か、大阪府警が殺人未遂で捜査

 19日午前7時5分ごろ、大阪府忠岡町新浜の大津川の河口付近にある突堤で、釣りをしていた同府八尾市の男性会社員(56)に10代とみられる少年数人が「釣れていますか」などと声を掛け、いきなり男性の背中を押して海に転落させた。少年らはそのまま逃走。男性は自力で岸に上がり、けがはなかった。大阪府警泉大津署は悪質ないたずらとみて、殺人未遂容疑で捜査している。 同署によると、突き落とされた男性は午前4時ごろから1人で釣りをしていたといい、付近にいた釣り人が110番した。逃げた少年らは小学校高学年から中学生ぐらいとみられるという。(出典こちら
 こんな恐ろしいことを平気でする子供たちは、きっと「たなごころ」が汚れているか、冷え切っているからだろう。幼い頃、心豊かで、あたたかで、しかもやわらかい《母の手》に自分の手を握られながら育った子供ではないと思う。こういう子供たちは、救えるうちに救ってやらないと、そのうち《遅れ》になってしまうだろう。「三つ子の魂」という言葉は現代でも生きている。したがって、大人、とりわけ親の責任は大きく、しかも重い。

The future destiny of a child is always the work of the mother.
               ―Napoleon Bonaparte (1769-1821)
                                     (子の将来の運命は常にその母の所作なり―ナポレオン ボナパルト)

【後刻記】釣り人を海に突き落とすという恐ろしいことをする小中学生がいるかと思えば、「迷子(4歳女児)をおんぶして駐在所まで1km歩き、無事家族に届けて、警察から感謝状を贈られた」女子小学生もいる(詳細こちら)。両者の違いはおそらく幼児期の親の関わり方の違いに起因するものだと思う。

72歳の誕生日を迎えることが出来た。

car5今日は私の72歳の誕生日だ。今回の誕生日を迎えられたのはひとえに恩賜財団N病院の循環器内科のK先生と心臓血管・呼吸器外科主任部長の I 先生を初めとする、何人もの医師・看護師の皆さんのお陰だ。ICUで手術3日後に朦朧(もうろう)とだが意識が戻った時、皆さんが神々(こうごう)しく見えた。、また私の体の異常に気付き、救急で入院のための手続きをとってくれた私の長男夫婦にも改めて礼を言いたい。特に、息子の機転・実行力がなければ私は今頃死んでいたか、死に瀕していたはずだ。当時の私の心臓と血管の巡りはそれほど悪かった。

 ところで、日本人が一般家庭で誕生日を祝うという習慣は、とりわけ戦後、欧米(特に米国)の影響で広まったものと思うが、私の小学生時代にはすでにそういう考え方が広まりつつあったように記憶する。ちなみに、昭和32(1957)年、私が中学1年生だった頃その頃、山口県小野田市に居住、クラスの友人たちとお互いのうちで産まれて初めて《誕生日会》なるものを催し始めた。

 それ以前の日本人は、日本人が正月にいっせいに歳を取ったから、各人の誕生日を祝うという感覚はなかったあったとすれば、西洋の影響を受けた《上流階級》の日本人だけだっただろう。我が家両親はもともと新潟県出身では大晦日の晩を《歳取りの晩》と称して、搗(つ)いた餅を中心にご馳走を作って皆で食べ、皆で1つ歳を重ねた。身内以外の者を呼ぶことはなかったから、客は全て断った。一度、兄の一人が近所の友人を夕方に連れて来たことがあるが、父は兄をたしなめて直ぐにその友人に帰ってもらったことがある。ちなみに、家は内側からきちんと鍵を掛けた。これはおそらく「歳が逃げて行かない」ようにという考え方に影響された行為だろう。
 明治36(1903)年生まれの父は昭和60(1985)年に、明治37(1904)年生まれの母は平成3(1991)年に、それぞれ亡くなっているから、二人とも80歳を超えて生きたことになる。ひょっとすると、私はあと8、9年は生きて父母の歳近くに達することができるかも知れない。だが、若くして死んだ兄も数人いるから、神ならぬ身に、これだけはわからない。

  徒然草に言う。「命長ければ恥おほし」と。だが、70歳を超えた頃から、私は荘子の「吾が生や涯(かぎ)りあり、而(しこう)して知や涯りなし。」という言葉を噛み締めるようにccなった。私はこれを「人間の知識欲望には限りはないが、命には限りがあるから、心して養生せよ」というふうに解釈して、とりわけ手術後は《養生第一》に毎日を送っている。また、同じ荘子の教えが胸を突く。「我を佚(いつ)するに老を以ってし、我を息(そく)するに死を以ってす。」(天の神は、我々に楽しみを与えるために老境をもたらし、我々を休ませるために死をもたらす。) 現在はまさに天が「我を佚する時」だと思うから、せっかく助かった命と共に毎日を大切に生きようと思う。天が「我を息する時」まで…。

【付記】 72歳と言えば、ノーベル文学賞受賞者だった作家の川端康成さんが逗子マリーナマンションの1室でガス自殺をしたのがその年齢だった。また、ピアニストとして著名だった中村紘子さんも72歳で亡くなっている。漫画家の赤塚不二夫さんも同じく72歳がその没年だ。

【後刻記】今日は嬉しいことが重なった。私が法政大学専任講師になって初めてクラス担任になった時の学生T君から誕生日祝いが贈られてきた。すでに62歳になっているそうだ。そして、私の明海大学の最後のゼミ生諸君からも誕生日を祝ってもらった。「終わり良ければすべて良し」という言葉があるが、私の場合、最初も最後も良かった。教師冥利に尽きるとはこのことだろう。皆がいつまでも健康と多幸に恵まれますように。

【後日記】イギリスの著名なロック歌手ミック・ジャガーは何と、72歳で8人目の子供を授かったというから《脱帽》だ(詳細こちら)。

「親は親、子は子」ふたたび

昨日、ある温泉ホテルの休憩室に設置されているマッサージチェアに座って、体をマッサージしていたら、すぐ隣の土産物売り場にいた50代の女性客2人の会話の断片が聞こえて来た。その中に、「今の世の中、親は親、子は子よねぇ。親子だって言っても、さっぱり心が通じないわぁ」という1文があった。現代のこの意味・用法は『福翁自伝』にも「親子といっても、親は親、子は子だ。その子のため節を屈して子に奉公しなければならぬということはない。」と出て来るところからも分かるとおり、福沢諭吉(1835-1901)のような著名人も普通に使ったものだただし、福沢は上例とは異なり、この表現を《投げやり》に使ってはいない りか

 だが、鎌倉時代初期の史論書「愚管抄」巻四に出て来るこの表現の解釈・用法は、現代のものとは異なる。私は、親子関係のあるべき姿に言及するものとしてはそちらの解釈・用法のほうが好きだ。その違いに関しては以前言及したことがあるのでそちらをご覧いただきたい。

敬老の日に思ったこと

昨日は「敬老の日」だった。明後日には私は満72歳になる。年齢的には、正真正銘の高齢者だ。だが、いつも書くように、私には自分が《高齢者》だという強い自覚はない。もちろんそれは精神面のことであって、肉体面では間違いなく老化現象が目立つようになって来ており、すでに何度も書いたように、この4月末から6月下旬末までに2度も入院して心臓バイパス手術を受けている。

今月15日現在の数字では、65歳以上の高齢者は3461万人に達し、総人口の27.3%を占めることになったそうだ。男性は1499万人、女性は1962万人で、女性は全体に占める高齢者の割合が3割を超したらしい。
 中でも、100歳以上の《超高齢者》は6万5692人だそうだ。これまで100歳を迎えた高齢者には国から表彰状と銀杯が贈られていたが、予算の増加を抑えるために、これまでのように《純銀製》ではなく《銀メッキ》に変えたそうだ。

  退職後、いつも思うことがある。健康と働く意欲に恵まれている高齢者にはどんどん働いてもらえばよい。そうすれば、国は税金を徴収することができ、国家予算も少しは潤(うるお)うだろう。何よりも、若い世代への経済的負担が軽減されることが期待される。  
 fx私の散歩道にある某団地の公園内には、昼間からクーラーに缶ビールを詰め込んで来て《宴会》をやっている高齢者たち(男女)のグループがある。雨の日以外はたいていの日にその光景を目にすることができる。時間も労力ももったいないなと思う。そして思う。意欲のある人たちを募り、国・地方自治体が仕事を作って、働いてもらえばよい、と。60〜65歳で退職して、あとは《年金暮らし》というのでは、国家財政が逼迫(ひっぱく)するばかりだ。

 幸いなことに、我が国には風土的に《体の動くうちは働きたい》という考え方が定着しているし、今でもそれは国民に受け入れられていると思う。だから、どんな仕事でもよい、上記したように、健康と働く意欲に恵まれている高齢者にはどんどん働いてもらえばよい。繰り返すが、国を初め、各地方自治体はそのために各種の仕事を創出すべきだ。やはり根本的には政治家たちや地方議員たちが賢明でなければならないだろう。平安時代の歴史書『続日本後紀』(しょくにほんこうき)にも言う。「国家の隆泰、要は民を富ますに在り」と。国を富ませ、経済を安定させるには、高齢者への十分な配慮・工夫があって、並行して彼らの協力が必要だ…。昨日の敬老の日にそんなことを思った。

【付記】私の願いは、私が永遠に瞑目(めいもく)する日まで、たとえわずかでも《納税》を続けたいということだ。
【後刻記】100歳以上の《超高齢者》は6万5692人」という現実を知らされて、私は謡曲・源氏供養にある「一生夢のごとし。誰あって百年を送る=後半は「人生ほとんど百歳まで生きる人はいない」の意という言葉を思い出した。時代も変われば変わるものだ。

この母にして、この子あり

c11昨日の散歩からの帰り道、嬉しい光景を目にした。差し支えないと思ったので、その後ろ姿を写真に残しておいたが、それを見れば判るとおり、まだ幼稚園児らしき男の子が母親にしっかりと手を引かれて歩いている。私はゆっくりと歩いているので、子供にも追い抜かれてしまう。次は、私がその時に耳にしたその親子の会話だ。

母:「これはナ〜ニ?」
子:「これはね〜、ギンナン。」
母:「そうね。じゃあ、あれは?」
子:「あれはね〜、サルスベリ。」
母:「そうね。」
子:「あれもサルスベリだよね。」
母:「そうよ。あれもサルスベリ。」

 こんな言葉を交わしながら私を追い抜いて行った。母親の胸には抱っこ紐で抱かれた赤ん坊がいた。だが、この母親は男の子の手をしっかりと取り、しかも右手にはビニールの買い物袋が握られていた。連れの幼な子はそっちのけでスマホをいじりながら歩いている若い母親が少なくない中で、この親子の姿は感動的ですらあった。

 こういう母親に育てられる子供は幸せだ。たいていの子は小学校高学年になってもギンナンもサルスベリも知らない(こちら参照)。だが、この子はこの年齢でもうギンナンの実もサルスベリの花も言い当てられる。買い物の行き帰りに、きっと母親に教えてもらっているのだろう。あるいは父親か祖父母が教えたものかも知れない。
 
 常々言うように、「教えられなければ分からない」、「教えられていなければ知らない」のだ。将来、この男の子が牧野富太郎(1862 - 1957)のような偉大な植物学者になるかも知れないし、南方熊楠 (1867-1941)のような、菌類学を専門とする高名な生物学者になるかも知れない。そうならないまでも、自分の周囲の一木一草(いちぼくいっそう)に目を向ける精神的余裕を持った、感性豊かな大人になるだろう。若いこの母親は、自分で気づいているかどうかは知らないが、我が子がそうした大人になることを願いながら、その心に大切な《種まき》をしているのだと思う。

 「ボク、かしこいね!」、「お母さん、いいお子さんに育ててあげて下さいね。」 私は心の中でそうエールを送りながら、その親子を見送った。

【追記】66、7年も昔、上掲の男の子と同じ年頃に、私は母に手を引かれて、田の畦道(あぜみち)を歩きながら、レンゲ、ツクシ、タンポポ、ヘビイチゴ、ヒガンバナ(マンジュシャゲ)、アブラナ、ヒルガオ、アザミ等々、季節ごとの花の名を教わった。遠い、遠い昔の貴重な想い出だ。私がこの歳になるまで、人ひとり殺(あやめ)めずに来られたのは、幼かった日に私が感じた、母の《手のぬくもり》があったからだ。「悲母(ひも) 恩 深うして 大海の如し』(源平盛衰記巻四)とはよく言ったものだ。

やがて死ぬ 気色は見えず 蝉の声 (続)

生きとし生けるものの命を大切にしている割には、お父さんは海釣りで魚たちをたくさん殺してるね。」と息子にからかわれたことがある。そのとおりだ。道端にいる蟻(あり)や蚯蚓(みみず)や鳥などにも心を配る私が、こと海釣りとなると《熱くなる》のは事実だ。

 だが、釣り上げた魚たちを炎天下の堤防に放置して干乾しにするようなことはない。これは《外道(げどう)》(=目的外の魚)を釣り上げた釣り人たちの中にtしばしば見られる行為だ。半農半漁で生きて来た多くの日本人の《文化的DNA》の中には、山や畑で獲れたもの、海や川で獲れたものを食べて生きて来たという歴史的事実が存在している。野菜や果物、魚介類を全く口にせずに生きて来た日本人はいない。魚はそうした人間たちに大自然から贈られたものだと思い、釣り上げた魚たちは全て料理をして、感謝の気持ちと共に美味しくいただく。炎天下の堤防に放置して干乾しにするぐらいなら、上手に釣り針をはずして、その魚たちを海に返してやったほうがよい。
 
  そんな《理屈》をこねながら、相変わらず釣り好きなのだが、大切なことは《命》をいただくことへの《感謝の気持ち》だろう。それがなければ、人間だけが《傲慢な生き物》になってしまう。

【付記】心臓バイパス手術を受けてからは、まだ釣りに行くだけの健康を回復していない。早く海釣りに行きたいものだ。

やがて死ぬ 気色は見えず 蝉の声 

やがて死ぬ 気色(けしき)は見えず 蝉の声 ― 芭蕉 
  c私の散歩道で、あれほどうるさく鳴いていた蝉たちの声が、いつの間にか聞こえなくなった。きっと皆、その命を全(まっと)うしたのだ。成虫になって1か月(俗説では1週間)も生きることのない短命な蝉たちは、自分たちが、短命であることを知らずに、全身の力を振り絞って、大きな声で鳴く。愛(いと)しくもあり、切なくもある。

 幼い頃、私は、何も思わずに、蝉たちを捕って遊んだ。蜻蛉(とんぼ)の尻の先を1センチほど切って、そこにマッチ棒を突き刺して、空に放つという《残酷》なこともした。マッチ棒の代わりに線香を突き刺すこともあった。蛇を捕まえては、その皮を剥(は)いで、それを乾かして小銭入れや財布に入れたこともある現代では「非科学的だ」と笑う人が多くなったが、昔は、蛇の皮を小銭入れや財布に入れておくと《カネ》が貯まると信じられていた。いつの頃からか、そんなことが全く出来なくなった。これは人間以外の全ての生き物に対しても同様だ。
kk1
 散歩の途中、樹の、人間が手を伸ばせば届く程度のところにとまって(鳴いて)いる蝉を見つければ、必ず「もっと高いところに行きなさい。」と声を掛けて、手にしたステッキの端でちょっとその尻を押してやる。そうされた蝉たちは、たいていは樹のもっと高いところに飛んで行く。命を全うせずに人間(の子供たち)に捕獲されたくないからそうするのだ。

 蟻たちが働いている姿を見ると、踏みつけないようにしている。サンドイッチでも持っていれば、米粒大にして撒いてやる。散歩の道すがら、蚯蚓(みみず)を見つければ、水気のある場所にいればそれでよいが、そうでなければ彼らを安全な場所に移してやる。

 鳩や雀たちが遊んでいれば、やはり「ご飯、食べられてる?」と声を掛ける。釣り人たちがいる川辺や海辺で鳥たちを見かけると、「人間が残して行った釣り針に引っ掛かってはダメだからね。」と言ってやる。そうした行為は全て、仏陀の「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」という祈りに少しでも忠実でありたいという願いからだ。

 我が家の4頭の愛犬たちに対しても同様だ。マロンはもうこの世にはいないが、残った愛犬たちへの家族の想いは篤(あつ)い。特に、老衰が目立ってきた15歳のハッピーに対しては、その名のとおり《ハッピー》な余生を送らせるために、皆が毎日、心をこめて世話をしている。

 不思議なものだ。幼い頃、若い頃にはまるで感じなかったことをこの歳になってしみじみと感じるようになった。そこが、芭蕉翁が詠った蝉と人間である私の大きな違いだろう。

【付記】弘法大師(空海)は、「三世(さんぜ)の観を作(な)すといえども また常に自性(じしょう)を見るには及ばず」と言われた。これは、「過去・現在・未来を瞑想し、観察して、現在の生き方を洞察することは仏教の大切な修行だが、それよりも大切なことは自分自身を見つめ直し、自分に本来的に備わっている仏性を見出すことである」という意味だと思うが、凡夫の私は、大師の境地に少しなりとも近づきたいと願って、事ある毎にこれを唱えている。

診察室・患者の面前でタバコを吸う医者―常識の変化

hs石坂洋次郎の読売新聞連載小説の映画化で、石原裕次郎(田代信次)、北原三枝(倉本たか子)、芦川いづみ(田代くみ子)、川地民夫(高木民夫)等が出演した「陽のあたる坂道」は私が中学2年の時(昭和33年、1958年)に上映されたものだ。今から58年も昔の映画ということになる。

 その中に、産婦人科の患者である芦川いづみ(田代くみ子)を診察室の椅子に座らせた医師・塩沢博士(小杉勇)がタバコを吸いながら受け答えをしている場面がある(写真)。

  「隔世の感」という言葉があるが、この場面を思い出すたびに、まさにその感じを抱く。今、我が国の病院でこんな場面を探そうとしても探せないはずだ。仮に存在したとしたら、社会問題になることは間違いない。私が幼かった頃から大学院博士後期課程を修了した頃(昭和47年、1972年)までの《社会常識》は現在のものとは相当に大きく異なっていた。
 たとえば、学校の生徒・学生・教職員の氏名・住所・電話番号などが掲載された名簿がそうだ。当時はそういう名簿の存在はきわめて当たり前のことだった。ところが、昨今では、《個人情報》だの《プライバシー保護》だのという概念が発達して、社会がそういうものを排除するようになっている。だが、私に言わせれば、それは明らかに《行き過ぎ》だし、単なる《秘密主義》に近いものだ。第一、多くの日本人は英語のprivacyの本質を誤解・曲解している。少なくとも、よく理解はしていない。今そのことにはこれ以上は触れないこととして、患者の健康を第一に考えるべき医者が、患者の前でタバコを吸った時代があったことを若手の現代人にも知ってほしい。

 ちなみに、半世紀、あるいはそれ以前に撮影された映画を見ていると、その頃の日本人と現代の日本人の立ち居振る舞い・言葉遣いの違いが大きいことに驚かされる。

 【追記】「常識の変化」と言えば、私の世代の日本人と現代の若い世代の日本人の「芳香」に対する《常識》も大きく変化している(こちら参照)。

【後刻記】「Yahoo知恵袋」でこんな記事を見つけた。

イギリス俗語動詞のburkeについて

イギリス俗語動詞にburkeというのがある。《窒息死させる》、《絞め殺す》の意味で、たとえば、burke 〜all right(〜をきれいに消す始末する)のように使う。《〜を握りつぶす》、《〜を闇に葬る》などの比喩的な意味もある。

 この動詞は、アイルランドからスコットランドに移住したWilliam Burke (1792-1829)の名に由来する。Burkeは、同じくアイルランド系スコットランド人のWilliam Hare (1792/1804 - c. 1858?)の下宿人だったが、医学校に解剖用の遺体が不足していることに目を付け、Hareと共謀して17人分の遺体を著名な解剖学者 Dr Robert Knox (1793-1862) に売ったという。

 事の発端は、Hareの下宿で、家賃4ポンドを滞納したまま死亡したDonaldと名乗る老人をHareがきちんと埋葬せずに、解剖用の遺体を欲しがっていたDr Knoxに売り渡し、当時のカネで7ポンド10シリングを得たことだった。体に傷の無い遺体がカネになることに味を占めbた二人は、その後、無辜(むこ)の人々を窒息死の形で殺害し続けたという。 
 結果的に、Burkeは1829年1月28日、2万〜2万5千人のエディンバラ市民が見守る中、公開処刑(絞首刑)された。しかも彼自身、医学生用の解剖用遺体とされ、その骨格標本は現在でもThe University of Edinburgh Medical School の骨格資料室に展示されている(左写真;こちらから借用)。 
 Hareについては、スコットランド検事総長William Rae卿が、Hareに犯行の自白とBurkeに不利な証言をさせることでその訴追を免除した(その後の消息は不明)。Dr Knox については、「死体の出どころについては知り得る立場になかった」として訴追を免かれた(Dr Knoxの末路も哀れだったと伝えられる)。

イギリス英語の“surgery”は必ずしも「外科」にあらず

昔、あるエッセイストで某大学の教授 K 氏(女性)が書いたイギリス随筆集の中に、次のような箇所があった。

しばらくいくと、それらしい医者の家がありましたが、左右に並んでいる普通の家と かわりはないし、小さな『外科医』の表札も気になりました。かぜをひいいたのに外科医でいいのだろうか。いやいや、日本だってそういう例はある。GPとはそういうものかも知れない。(GPとはgeneral practitioner「(専門医に対して)全科診療医」の意味;山岸注)

  このエッセイストが見たという「外科医」に当たる看板の文字はまず間違いなく“surgery”だったはずだ。そうであるなら、ご当人は“surgery”のイギリス英語義をまったくご存じなかったということになる。なぜなら、イギリスではこういう場合の“surgery”は「診療所、診療室」を指す。 このイギリス英語義は相当に誤解されているようで、別人の書いたイギリス生活・留学案内書にも次のようにあった。ここでも看板には“surgery”だったはずだ。

ところが、イギリス生活にもやっと慣れてきた3ヵ月目、どうも胃の具合がおかしい。そのせいか体全体がけだるいといった症状が2、3日続き、とうとう意を決して近くの医院へ足を運ぶことになってしまった。住みかの一番近くの外科医院に行ったのだが、予約制ということで、登録した上で明日改めて指定した時間内に出直してきて下さいとのこと。 

  この「surgery=外科」という誤解を翻訳に持ち込んでいる人もいる。私は文学作品を初め、さまざまな英文を読んで来たが、同時に、上掲のような誤訳の例を多数見て来た。翻訳者が少しだけ注意すれば防げた誤訳があるかと思えば、プロ中のプロと言われる翻訳家でも、よほど英語圏文化に精通していなければ、気づかないで見過ごしてしまうような難しいものもある。 

米下院議員発言の誤訳

第42代総理大臣・鈴木貫太郎の「黙殺する」という発言が“ignore”(無視する)と誤訳されたことはよく知られているが、それで思い出すのが、10年ほど前の2006年(平成18年)6月29日にTBSテレビ「NEWS 23」(筑紫哲也氏担当)が字幕で流したHenry Hyde米下院議員の発言の日本語訳である。Hyde氏は、I don’t feel strongly that the Prime Minister shouldn’t visit the shrine.と言われた。ところが、画面に流れた訳文は「私は日本の首相が靖国神社に行くべきでないと強く思っています。」であった。それではまるで“逆の意味”になる。Hyde氏はthat以下の文を I don't feel strongly と言って《否定》しているのだから。TBSでもこの“初歩的誤訳”に気付いたようで、約1週間後(7月5日)に訂正した。 それにしても、英語通で知られる筑紫氏が、なぜその場でご自分の目前に流れたはずの字幕の初歩的誤訳に気づかれなかったのだろうか。ほかのメディアでも、「ハイド氏は小泉首相の靖国神社参拝に反対している」と声高に言ったところもあるようだ。この種の誤訳は我が国の行く末を誤らせることになり得るから恐ろしい。

形容詞 nearby のこと

今から30数年も昔のことだ。私のイギリスの友人で、シェイクスピア劇の舞台女優だった Fさん(故人)は形容詞としての nearby (イギリス英語式に綴ればnear-by)が嫌いだと言っていた。その理由ははっきりとは言わなかったが、その場の雰囲気から推測して、その用法が《アメリカ英語起源》だったからのようだ 【シェイクスピア時代の英語がアメリカ英語の基盤になったことは皮肉だが】

 今では a nearby town(近くの町)、a nearby school (近くの学校)と言うのは普通の英語表現だが、当時のFさんさんはそう言わずに、a town [school] near by, a neighbouring town [school]と言っていた。つまり、今のアメリカ英語用法が一般的になる前はa town [school] near by, a neighbouring town [school]というような言い方が普通だったということだ。言語は常に変化することの証しだ。

「輸血後感染症検査」に行って来た

roses2今朝一番で、心臓バイパス手術を受けた病院に「輸血後感染症検査」を受けに行って来た。輸血に用いる血液は日本赤十字社が現在の医療技術で可能な限りの感染症検査を行い、安全性を確保したものだが、献血者が感染症を有しているにも拘わらず感染後間もない場合は検査で検出されない場合があるらしい。そういう場合、輸血後肝炎やヒト免疫不全ウイルスAIDSウイルスなどの感染症に罹患する危険性が現在でもわずかに残っているそうだ。今回の検査はその点を確認するためのものだ。この検査は、厚生労働省が輸血後3カ月を目途に実施するよう指導しているものと聞いている。検査結果が判るまで2週間程度掛かるそうだ。何事もないことを願っている。どんな人の血液がどの程度私の体に輸血されたのかは知らないが、献血者には感謝している。有難いことだった。この手術を受けてからというもの、これまでにも何度も書いたように、私は生かされていることと、そのことに関わってくださった全ての方たちに心から感謝している。

CAFE & GLOSSARYという看板のこと

gloosa心臓手術を受けてからは、リハビリを兼ねて、散歩を欠かさないようになった。今まで歩いたこともないような裏通りまで歩く。そして、おかしな、不思議な《英語》に出合う。戦後の我が国の英語教育は不成功に終わっているのではないかという疑いは、巷(ちまた)にあふれるそうした英語によって《強固》になる…。

 左の写真にある文字は一昨日の散歩の際に目にしたものだが、最初、私は、「おっ、コーヒーが飲めて、辞書も買えるのかな?」と思った(冗談!)。なぜなら、そこにあるGLOSSARYとは「(ある作家・専門語などの用語辞典」、「(書物の巻末などに付ける注解付き用語集、グロッサリー」の意味で使うからだ。

 だが、入口に貼ってあった宣伝文句には「輸入食品だけでもご覧ください」とあった。おそらくGROCERYと書きたかったのだろう。GROCERYなら意味が通じないこともない。「〜ないこともない」と書いたのは、GROCERYはおもにアメリカ英語で食料雑貨店か食料雑貨販売業を意味し、GROCERIESならそこで売られている「食料雑貨類」(コーヒー、米、砂糖、石鹸など)を指すからだ。

 巷にはこの類いのおかしな英語があふれている。看板書きを職業とする人はもちろんのこと、注文者も、その英語がきちんとした英語かどうかがわからないまま、《英語まがい》の単語を並べているのだ。戦後、「英語、英語」とやっきになって英語学習をやって来て、また、書店にはあふれるほどの英語関連の書物を並べておいて、この程度の英語もきちんと使えないとは、出るのは嘆息ばかりだ。あなたの近所で目にすることの出来る英語表記は大丈夫だろうか…。

【付記】街にあふれる《デタラメ英語》の例は、拙著『まねてはいけない! マズい英語』(学研プラス刊)の第2部で取り扱っている。

教えられていなければ知らない…(続々)

nei2昨日、散歩の帰り道、近所の公園の前を通り掛かった時、4人の男子中学生が、公園の一隅に立てられた看板(左写真)を見ながら、次のような立ち話をしていた。

A:「《近所の目 あなたの家を 守るカギ》って、分かるみたいでよく分かんないなぁ。どういう意味?」
B:「近所の人があなたの家を見張ってくれていたら安心だってことじゃないか?」
A:「ふ〜ん、そうか。でも、近所の人から見張られてたら、かえって《面倒臭い》よ。オレ、そんなの嫌だよ。」
C:「そうだよな。《ウザイ》よな、そんなの。余計なお世話って感じだよな。」
D:「オレもそう思う。あんまり見張られてたら、かえってそいつのほうが《怪しい》感じがして、安心して出かけられないよな。」

 だいたい、そんなふうな会話だったが、それを聞いて、この文句に対する、まさに現代っ子の解釈・反応だと感じた。《近所の目 あなたの家を 守るカギ》という文句の根底にあるのは、《村落共同体》という、日本人が長い間生きて来た生活形態を理解していなければならない。今でも、「お出かけ?」、「ええ、ちょっとそこまで」、「ああ、そうですか。お気を付けて。」などという会話が行われるのも 欧米人には《プライバシーの侵害》に属するようなものだが  日本人の伝統的生活様式の一部をよく表している。現代の日本人には、そういう質問を、「余計なお世話」だと解釈する人たちが増えているようだが、これは西洋化された明治以降の日本人、とりわけ戦後の欧米風の考え方が一般的になった日本人に観察されるものだ。伝統的な日本人が考えたことは、「お出かけなら、ちゃんと留守の間は目を配っておきますよ。」ということだ。それを暗に伝えるために、そういう挨拶言葉を相手に掛けるのだ。だから、日本人はだれもその挨拶を《深刻》には捉えず、「ええ、ちょっとそこまで。」、「ああ、そうですか。お気を付けて。」と言葉を交わしたのだ。キリスト教のような、「初めに言葉ありき。言葉は神と共にありき。」の一神教では普通は考えられない慣習だ。

 1つの村落共同体の中に生まれ、そこで死んで行くのが普通だった昔、日本人は同じ村人のことならほとんど何でも知っていた。結束が固く、それを乱す者は《村八分》という厳しい《仕置き》に遭った。別flの村に嫁入り・婿入りしても、最低でも10年間は《よそ者》として扱われたほどだ。逆に言えば、《村人》として受け入れられた以上、それはすでに《運命共同体》の中で《身内》として生きることだ。

 日本語の《うらぎる》、《うらめしい》、《うらやましい》、《うらさびしい》などという時の「うら」とは古くは「こころ)」という意味だうらぎる」の「うら」は「」と書くが、「こころ」の意の「うら」とは同根語と考えてよい。《運命共同体》の中で生きる村人たちが、自分の家に「鍵を掛ける」ことは、同じ村人を信用しないということであり、したがって、その人たちを《うらぎる》(=裏からこころを切る)ことになるのだ。

 戦後の多くの日本人は、生活形態・様式が大きく変化したこともあるが、そういう日本的発想を何も知らずに、欧米的発想で、《プライバシーの侵害だ》などと声高に言うようになったが、《日本人のDNAは、現代に至るも、そういう外来の発想を超えて存在するということに気づくべきだろう。例の4人の中学生には何も言わずにいたが、本当は上記のような話をしてやりたかった。
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