手術に関して(お知らせ)

「山岸勝榮の日英語サロン」をご覧頂き有難う御座います。

父の術後の経過を、山岸勝榮の長男がお知らせ致します。

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山岸勝榮の手術に関し

昨日(6/7)行われた「冠動脈バイパス手術(移植術)」は、
朝の9時頃より行われ、終了したのが18時過ぎでした。

手術自体は約7時間、全体では約10時間弱となりましたが、無事に終了致しました。

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術前の父の心臓の状態(動き)は、
通常の健康な方の3分の1程度の動きしか行っておらず、
術中に急遽「より良い手術方法」を医師に行って頂いたようです。

執刀医である心臓血管外科のI医師をはじめ、心臓血管外科のC医師
呼吸器外科のM医師(主治医)、脳神経外科医・呼吸器内科の医師、
看護師・ICUスタッフの方々、病院に関わるすべての方々のおかげで、
無事に手術を終える事ができ感謝しております。

糖尿病に関しましては、
あまり良い状態ではないので、感染症などを防ぐ目的もあり、
ICUには通常の患者さんよりも長く入る必要があるようですが、
今週の土〜日曜日には一般病棟へ戻れる予定となっております。

以上です。

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神から頂いた、父の命(人生)に感謝致します。
また、家族一同、父がお世話になっている(なった)すべての方々に感謝しております。

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関連キーワード:
狭心症、心筋梗塞、心不全
冠動脈バイパス手術 / CABG 人工心肺・オンポンプ
静脈グラフト…大伏在静脈 / 動脈グラフト…内胸動脈

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「運命には二種類ある。どうにもしようのない運命を天命と言い、
人間の力でうち開くことのできるものを宿命と言う。 中村天風 

 「俺が俺がの我(が)を捨てて、お陰お陰の下(げ)で生きる」
 

「うろうろしないで!」は暴言では?

bo私が世話になっている病院の某検査室のロビーでのことだ。70代後半か80代前半の小柄な女性が検査室の前を行ったり来たりしていた。検査室が何室も並んでいたので、どこに行けばよいのか戸惑っていたのだろう。すると、その1室に入ろうとした若手の男性医師(技師かも知れない)が、その女性に向かって「うろうろしてないで、ちゃんと座っててください!」と言った。

 「うろうろしないで」とはまたなんとも露骨な表現だ。少なくとも医療に携わるものが患者に対して用いるものではないだろう。はっきり言えば、その女性に対して《失礼》である。医師も人間だ。不愉快な出来事に遭遇して機嫌が悪い時もあるだろうし、心配事があって心が落ち着かない時もあるだろう。だが、それでもそんな言い方で患者に接するのははなはだまずいと私は思う。

 興味深いことに、その近くの壁に、写真にあるような言葉が貼ってあった。私には、この「うろうろしてないで、ちゃんと座っててください!」は「暴言」の類いであり、「(言葉の)暴力」の類いであるように思えた。

【追記】明日から入院のため、本ブログはしばらく《休業》です。

高血圧から正常血圧(?)へ

ちょっと不思議に思うことがある。過去3年以上も近所の個人経営の内科医にかかり、高血圧の治療を受けて来た。降圧剤を処方されて来たのだが、それを飲んでも上が140〜145、下が90〜95と、かなり高かった。ところが先月6日に某大規模病院に緊急入院して、そこで処方された薬を飲み始めてからは、上が110〜115、下が75〜80程度である。つまり1か月近く、正常血圧に戻っている。薬の種類が変わったためかも知れないし、入院中の食事を含めた健康管理が影響しているからかも知れない。
 世話になっていた某医師が、私を患者として長く通院させるために、故意に私の血圧を高めにしているのでは?というのは、私の家族の《勘繰り》だ。私はそうは思いたくないが、そういう考え方も成り立つだろう。
 いずれにせよ、明日は呼吸器内科でお世話になったK医師による最終的診断と諸検査があり、明後日からいよいよ外科手術のために再入院する予定だ。何の不安も恐れも(未練も)ない。言ってみれば《Whatever Will Be, Will Be》の心境である。

千葉市立海浜病院における相次ぐ患者死亡に思う。

今朝のテレビニュースで、「千葉市立海浜病院の心臓血管外科で手術を受けた患者の死亡が相次いだ」と言っていた。調べてみると、平成27年4月〜6月までのわずか3 か月間に、心臓血管外科手術中・後の死亡事例が7 例と多発し、上記期間の間に手術した1例も死亡し、死者は8名にも達したということが分かった。同医院は睨樅丹譟三井記念病院院長(日本心臓血管外科学会名誉会長)を初めとする計6名の外部調査委員会に調査を依頼し、その結果も報告されている(こちら参照)。
 50代男性1人、60代男性1人、70代男性1人、70代女性4人、80代女性1人の計8人が術中・術後に死亡しているのだが、外部調査委員会による報告を読んでも、私のような門外漢にはよくは理解できない。死亡原因は術中の脳梗塞の発症、胸部大動脈瘤の破裂、腎不全の発症、出血多量等らしいということは理解できた。明らかな《医療過誤》はなかったようだが、患者やその家族に対する、特に《リスク》の説明には不足があったようだ。

 私が近々受けようとする心臓外科手術も上記の患者と類似のものだ。それだけに《他人事》とは思えない。だが、経験豊かな担当医を信じて我が命を任せるしか、一患者たる私には術がない。

Non quam diu, sed quam bene vixeris refert..―Seneca
  如何に長く生きしかに非ず、如何に善く生きしかが重要なり―セネカ

雇用対策法の「年齢制限の禁止」は機能しているか?

某著名大学の教員募集要項を見ていたら、次のようにあった。

*大学は、国際化、男女共同参画などダイバーシティの実現を推進している。教員採用・昇進の人事審査において、国籍、性別、信条、障がいを理由とするいかなる差別も行なわないことを申し合わせている。

 なかなか《立派なこと》が書いてある。だが、よく見ると、「国籍、性別、信条、障がいを理由とするいかなる差別も行なわない」とあって、巧妙に「年齢」という語の使用を避けている。「雇用対策法」が改正され、平成19年10a月から、事業主は労働者の募集及び採用に当たって、年齢に関わりなく均等な機会を与えなければならないこととされ、年齢制限の禁止が義務化されたはずだが、それはあくまでも《タテマエ》だ。70歳を超えても、働く意欲と健康と能力と実績[業績]を持っている者を再雇用しようという大学にはまずお目にかからない。 《ロートルは消えて、後進に道を譲れ》という考え方も成り立つ。だが、それは《後進たちがロートルと同等か、それよりも優秀である》場合だ。若手の大学教員の中には、学問的にも、教授法的にも、人間的にも《二流》の者が少なくないことは私の過去の長い経験から断言できる。したがって、そういう《若手》を雇うよりも、優れた《ロートル》を雇うほうが大学・学生のためになることは否定できない。その《ロートル》が教員として優秀か否かは、受講生たる学生諸君が容易に判断するはずだ昨今では《学生による授業評価》を行う大学が多いことは周知のとおり。私の周辺にも、そういう優秀な《ロートル》は何人もいる。《一億総活躍社会》などと声高に言うのなら、70歳を過ぎても、働く意欲と健康と能力と実績[業績]に恵まれている者はどんどん働かせるべきだ。それが本当に《公平で活気のある社会》だろう。

【付記】《ロートル》に働いてもらうほうが、社会にも活力が付き、《税金》も多く取れて、高齢化社会には有益なはずだ。

冠動脈が閉塞していた!(続々)

今日、心臓血管外科の専門医の診断を受けた。その結果、3本の冠動脈の内、正常に機能している動脈は1本もないことが判明した。正常に機能していると思っていた動脈も、精密検査をすると、かなりあちこちに閉塞が認められるそうだ。しかも、頸動脈の一部に狭窄が認められるとのことで、明日、脳神経外科で精密検査を受けることになった。さらに悪いことに、脳梗塞の兆候も少々認められると言う(ただし、これはカテーテルを使用したことと関係があるかも知れず、したがって精密検査が必要だそうだ)。担当医は「心臓の状態がかなり悪いですね。」と言われたが、「共に頑張りましょう。」と勇気づけてもくださった。

 大学生の頃、盲腸の手術で入院して以来の入院だが、これほど心臓が《ネ》を挙げているとは思いもしなかった。こうなるまでには、かなりの予兆があったはずだし、それらしいものに思い当たりもするが、私はそれを軽視あるいは無視したことになる。反省してもし切れないが、あとは現代医学を信じ、担当医を信じて、バイパス手術を受けるつもりだ。小さな家族だが、息子夫婦にはさまざまな負担を掛けている。申し訳ないと思うと同時に、心から感謝している。

冠動脈が閉塞していた!(続)

2週間、病院のベッドで実感したこと。それは、第一に、《健康であること》のありがたさだった。クルマでh2あっても、冷蔵庫であっても、71年以上もエンジンやモーターが動き[回り]続けるということはあり得ない。ところが私の心臓は私が生まれてから今日まで、正確に言えば、71年8か月の間、一度も《止まること》なく動き続けている。当たり前のことのようだが、決して当たり前ではない。だから、心臓カテーテル検査の結果を映像で見て、冠動脈の1本が完全に閉塞し、もう1本が細々と動いていることに、私は心の底から「申し訳ない」と感じた。誰に対してか? 当然、親からもらった心臓に対してである。こんなになるまで放置していた、自分の愚かしさ、無責任さを深く恥じた。

 第二に感じたこと、それは《医学・薬学の進歩》だ。私の幼い頃の医学・医術であれば、私のような病人の多くは助からなかっただろう。その進歩に貢献した全ての人々に、深く感謝する。

 第三に感じたこと、それは私に関わってくださった全ての医師・看護師の《職業的使命感とその実践》の素晴らしさだ。「仕事だから当たり前では済ませられない、感動的に実践されるその《使命感》を私は毎日見た。
 2週間の入院中、私は14、5回、激しい不整脈に襲われた。それが始まるたびに、モニターで看視していた看護師さんたちが飛んで来てくれた。もちろん、担当医のK医師(女性)もそうだ。まさに24時間、私は皆さんの世話になった。《自分は生かされているのだ》ということを実感した。感謝あるのみだ。本当にありがたかった。

 近々、心臓バイパス手術を受ける予定だが、天運に恵まれれば、元気になって帰って来て、もう少しだけ長生きするだろうし、不運であれば、それもかなわないだろう。いずれにせよ、後顧の憂いは何もない。残された家族に伝えるべきことは伝えてあるし、書き残すことは書き残してある。人生でやるべきことはやった。「ハムレット」の中でガートルードが言っているようにAll that lives must die.全て生あるものは死なねばならぬ)なのだ。

冠動脈が閉塞していた!

n今月6日夕、私は完全に《ダウン》した。その数日前から、左胸が痛み、起座呼吸が多少できるだけ、両脚はひどくむくみ、歩行は困難、両肩が抜けるように痛い、そんな状態だった。市内の某病院に緊急入院し、精密検査を受けた。心不全が疑われた。

 心臓病、特にその心不全の重症度を測るBNP(=脳性ナトリウム利尿ペプチド)が2280pg/dlという異常な数値を示した。平均値が18.4pg/dlであり、500pg/dlで重症心不全と判断されることを見ても、私のそれがいかに重症だったかが分かる。(心不全とは心臓のポンプ機能が低下し、全身に十分に酸素が遅れずに、全身の血流が滞って、その結果としてさまざまな症状が現れる症候群に与えられた名称だ。)

k 肺の周辺に大量の水が溜まっていることも判明し、毎日、利尿剤を使って
40004500mlの尿が排出された。そのお陰で、呼吸が楽になった。体重は入院した日に78.8kgあったものが2週間で12kg以上も減った。だが、毎日のように不整脈に襲われた。冷や汗をかき、気が遠くなっていくのは決して気持ちのよいものではない。脈拍は140前後というひどいものだった(男性の平均は6575回、女性のそれは7080回)。

 心臓カテーテル検査の結果、私の冠動脈は3本のうち、1本が完全に閉塞(=壊死)し、もう1本がかなり細く閉塞しており、正常に機能しているのは残りの1本だけだという。心臓外科医による《冠動脈バイパス手術》が必要だということで、今日、いったん退院して来た。近々に担当医と相談して手術の日が決定する予定だ。こちらの入院期間は23週間だろうという。もう少し仕事をしていたいから、この手術を受けて、元気になって戻って来たいと願っている。入院から退院まで、息子夫婦には本当に世話になった。2週間毎日ベッドに横たわる私を見舞ってくれた。ありがたかった。

The healthy know not of their health, but only the sick.―Thomas Carlyle (1795-1881) 
         (健全なる人は己が健康を知らず、病者独りこれを知る―T.カーライル)

「日本人スゴイ」海外で話題の実験動画

500偶然、「『日本人スゴイ』海外で話題の実験動画」という記事と動画を見た(こちら)。他人が路上で財布を落とした場合、それに気づいた通行人はどうするかという実験だ。予測されたごとく、15人全員が、すぐに落とし主にそのことを知らせた。Facebookで約290万回以上再生され、2万以上の「いいね!」がついたそうだ。   
 時代が変わるに連れて、日本人の正直さも、こういう実験しなければならないほど変わったか?と思う必要はない。このような反応は常識的な社会生活を送っている《普通の日本人》には当たり前のものだ。ただし、実験場所・時間、被験者の職業・社会環境等によって、実験結果が大なり小なり異なることは十分にあり得る。  

 つい先日も近所の小学生が、下校時に自分を迎えに来た母親(30代前半)に対して、「ママ、門の前の道路で100円拾ったよ」と言った。すると、母親は、「そう、よかったね。でもあとでちゃんと交番に届けようね」と言った。これが伝統的な反応だ。私など明治生まれの父母から、徹底して、「お天道様が見てらっしゃるよ」と言って育てられた。「天知る、地知る、我ぞ知る」とも言われた。  

 これが、たとえば英語圏だったらどうなるだろう。正直な人がいるのは世界共通(【後刻記】参照)だが、英語圏には、 Finders Keepers, Losers Weepers.という慣用句さえある。「見つけた人は持っていていい人、失くした人は泣く人」という意味だ。自分の身の安全・財産は自分で守れという狩猟民族的な価値観は今でも生きている。上記の実験をロンドンやニューヨークでやってみてもらいたい。日本におけるような100%の人の正直さは望めないのではないか。

 【後刻記】こちらにポーランドで行なわれた同じ実験がある。50人中49人が正直に、落とし主にそのことを伝えている。日本の場合、わずか15人だから、同じ50人にして実験を行なえば、意外とポーランドでのそれと同じような結果になるかも知れない。
 さらに、こちらにコカ・コーラ社がポルトガルで行った実験がある。95%の人たちは《正直》だった。
 ただし、繰り返すが、「実験場所・時間、被験者の職業・社会環境等によって、実験結果が大なり小なり異なることは十分にあり得る」。

【後日記】こちらに日本赤十字社が製作した「いいことできるかな」と題した動画があった。日本の子供たちの社会性・正直さがよく分かる実験結果だ。

朝日新聞2万5千人集団訴訟―何と《結審》! (続)

昨日言及した、「袴田事件」の時の熊本典道裁判官が《正義》を守ろうとした結果、氏がその後、どういう人生を送ることになったか、その一部を紹介したし、読者諸氏には、各人でいろいろと検索なさったことと思う。

 裁判官と《正義》との問題に言及して、私がすぐに思い出すのが、愛媛県警察のもと警察官であった仙波敏郎(1949- )氏のことだ。平成17[2005]年に、現職警察官として初めて警察の裏金問題を実名で内部告発した人物として広く知られる。警察官として奉職して以来、裏金作りのための《偽領収書》を書くことを拒否し続け、結果的に、定年までの35年間を同じ職位(巡査部長)に留まるという、日本警察史上最高記録保持者でもある。
 結局は、仙波氏が《正義》を通したために、俗に言う《出世街道》からはずれ、退職時まで警察権力を《》に回したことになる。だが、下に紹介した動画を見れば分かるように、氏がたった一人で通した《正義》は、大きな成果を生むことになった。

 だが、今もって、裁判官・警察官を初め、国民のために働く公務員たちの多くは《立身出世》、《退職までの我が身の安寧》、《セクショナリズム》、《学閥》等々の縛りを強く受けている。そういう現状にあって、熊本典道氏、仙波敏郎氏のような日本人がいたことを、私は同じ日本人として心底から誇りに思い、また両氏に対して大きな敬意を払う。

【付記】右の動画を参照。

朝日新聞2万5千人集団訴訟―何と《結審》!

先日、知人の某氏から、「その後、朝日新聞2万5千人集団訴訟はどうなりましたか」、というお尋ねのメールをいただいた。その後のことを本ブログに書かなかったのは、「書く気にならなかった」というのが本音である。去る3月17日に行われた第3回口頭弁論において、何と、その回で《結審》とされてしまったからだ。詳しくはこちらをご覧いただきたいが、要所だけを引用すれば以下のような事情だ。

原告側弁護士より、「次回からは、海外における朝日新聞の英語報道がいかに悪影響及ぼし、在外邦人達を苦しめているかを立証する」と述べたにも関わらず、「双方が争うべき内容は出尽くした」として、裁判官より審理終了が申し渡されました。たった3回の口頭弁論で論も尽くされないまま結審となるなど、このような司法の暴挙は許されるはずもなく、原告側としては、「裁判官忌避」や「別訴(第3次訴訟)」にて対処する予定です。なお、今回の訴訟を担当したのは、東京地裁・民事第44部の、脇博人、齋藤岳彦、大橋勇也 各裁判官です。

 2万5千人という、世界の歴史にも例を見ないような大原告団の主張に十二分に耳を傾けず、わずか3名の裁判官たちが、3回の弁論だけでこの《大問題》を、「双方が争うべき内容は出尽くした」として結審するという、信じがたい暴挙に、原告団が怒りに震えたことは当然だ。
 残念ながら、法的には次回の原告団には上記2万5千人は加わることは出来ない。それが「朝日新聞を糺す国民会議」が新たな原告団を結成しようとしている理由だ。

 これまで触れなかったが、私は最初、法廷に立ち、陳述書を読み上げた時、《大きな不安》を感じた。裁判長に対して最初から最後までまるで《やる気》、裁判官としての《凛とした姿勢》を感じなかったからだ。その時の不安がこういう形で結実するとは、嗚呼。 
 映画「袴田事件―命とは」の中で、当時29歳の若き熊本典道裁判官(萩原聖人)が、右陪席の高井吉夫裁判官(保坂尚希)の理不尽な言葉に反発し、語気荒く、次のように言う。「裁判長」と出て来るのは石見勝四裁判長(村野武範)のことである。 

 我々が誤った判断で一人の罪人を生み出したとしたら、それは我々の罪ではないのですか!裁判長! この裁判では我々日本の法曹界が裁かれていると思いませんか! 常に法廷では裁判官自身も裁かれているんです! 

 ここで言われている「我々」を「(誤報・捏造記事を書いた)朝日新聞」、「一人の罪人」を「その記事を信じて教壇で嘘を教え続けた私」と置き換えて読んでいただいてもよい。当時の熊本裁判官にこの言葉を吐かせた原動力こそが裁判官としての誇りと良心と使命感とであったはずなのだが、上記の3氏からは、少なくとも表面的には、それらを全く感じなかった。特に、最後の「常に法廷では裁判官自身も裁かれているんです!」という言葉の重みを噛み締めてもらいたかった。

【付記1】熊本典道氏が《良心的》であったがゆえに、その後どうなったかは、インターネットで検索して調べてみてほしい;例

【付記2】本件に関する私への反論は「姓名・社会的立場」を明確にした上で連絡して来られたい。匿名での誹謗中傷記事は《卑怯》だ。

今日はプリルの14歳の誕生日だ。

pr時の経つのは本当に早いものだ。平成14年[2002年]4月29日生まれのプリルが、1か月半(右下写真)の時に、我が家に来てから、もう14年が経った。プリルに言及する時にはいつも書くように、私はこれまでプリルほど気品のある穏やかな犬を見たことがない。《やんちゃかな?》と思ったのは、我が家に来て、後日自分の夫となるハッピーにじゃれついていた頃だけだった。最近(左写真)、歳を取って、私の地下の書斎から上階に通じる急な階段を上りたがらなくなったことを除けば、健康には全く問題がないようだ。毛並みも《歳の割》には艶々している。我が家では「柴犬のグレース・ケリー」で通っている。
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 プリルと14年間、生活を共にして、私はいったいどれだけ多くのことをプリルから学んだことだろう。一番大きく学んだことは、《飼う者=人間》の責任ということだ。犬は、どんなに具合が悪くてつらくても、寂しくても、腹を空かせていても、いつもそれに耐えている。ただひたすら飼い主の責任の自覚を待っている。その代り、飼い主がその責任をきちんと実行してやれば、喜びや嬉しさを体中でいつも示してくれる。何よりも、《自分》のことを本当に思ってくれる飼い主に忠実である。したがって、《飼い主の手を噛む》ようなことは決してない。
 
 私自身が妻を亡くしてから寂しい日常だったが、プリル(を初めほかの犬たち)がそばにいてくれたおかげで、語り掛ける相手があるので、いつも本当に救われた。今夕はプリルの誕生日祝いをしてやろう。「プリル、お誕生日、おめでとう!

【付記】今日はプリルの愛娘・マロンの49日にも当たる。

舛添知事の「批判は謙虚に受け止めたい」

東京都の舛添要一知事は、首都圏の知事らから海外出張経費の高額さに対して批判が出ている問題で、本日(28日)の定例記者会見で「批判は謙虚に受け止めたい」と述べ、減額に向けて検討を進める考えを示したそうだ(出典こちら)。
 天邪鬼の私は、こういう「批判は謙虚に受け止めたい」という言い方を耳目にすると、それだけで、「口先だけが先行している《実(じつ)のない》捉え方だな」と感じてしまう。私の長い人生で、本当に《謙虚》であった人は、自分の言動への反省の際に、誰もこの言葉を使わなかったからだ。「受け止めたい」も同様だ。「受け止める」は其の通り、「受け止める」ことに重点があるために、「〜たい」と《希望》を言われてしまうと、どうにも戸惑いを覚えざるを得ない。したがって、たとえ、「減額に向けて検討を進める考えを示した」という言葉が続いていても、問題の表現の強さが薄まるだけであって、舛添知事の人間性への印象は変化しない。 「謙虚に受け止めたい」などとは表現せずに、たとえば、「ご批判をいただき、申し訳なく、また有難く思っております。) 今後、反省を加えながら、海外出張経費を見直して参ります。」のようなものなら、舛添知事に対する私の印象はたいぶ好転するだろう。

Too much humility is pride.―Old Proverb
   「謙虚も過ぎれば傲慢となる」―古諺

I wish you'll be happy.は日本人英語

2年ほど前の英作文クラスで、私は

英語では「あなた[きみ]の幸せを願っています」はI hope you'll be happy.であって、I wish you'll be happy.とは言わないので注意してほしい。《I wish+節》は現状に対する不満を言う表現で、未来形は続かないんです。ただし、I wish you happiness.は正しいですが。 

というようなことを言った。するとロック音楽好きのR君が手を挙げて、

でも先生、僕の兄が好きだったロックバンドDIE IN CRIESの昔の歌にもI Wish You'll Be Happyというのがありますし、「I wish 〜永遠の蕾」という歌にも同じ文句が出て来ますけど、やはり間違いですか。

と聞いてきた。その時は、

僕はその人たちの歌を知らないけど、《日本人英語》であることは間違いないと思うよ。

とだけ答えて、授業後、研究室に戻ってからパソコンでその両者を調べてみた。確かに、その文句が挿入されていたこちらこちらを検索したように記憶する。ついでに調べてみると、I Wish You'll Be Happy - Lee Sarah Special Big Band- Tokyo - 2004 Jazzと題した動画(こちら)にも行き着いた。「幸せを願っています」という意味なら、やはりこれも日本人英語だと言わざるを得ない。 

【参考】dear Molly, I hope you will be happy…
     I hope you'll be happy now- Alice Victoria (original song) 
          Bill Withers - Hope She'll Be Happier      

horse senseという語の思い出

ro今から半世紀以上も前のことだ。大学1年生の頃、英語講読の教科書の中にhorse sense という語が出て来たことがある。それを見た、長崎県出身のO君は「馬のようなセンス」と《迷訳》した。辞書を使えばよかったのだが、私たちが学生の頃は、辞書を引くのはどうしても分からない時にだけ引くという傾向があったから、辞書で確かめずに、そう《迷訳》したのだ。教授が、「《馬のようなセンス》ってどういうことかな?」と聞かれた。その頃、今は亡き藤田まこと主演のテレビコメディー「てなもんや三度笠」をやっていて、藤田まこと演じるところの《あんかけの時次郎》は《馬面(うまづら)》であることを売りにしていたから、同番組を見ている大学生の多くは「藤田=馬面」と解釈しており、そのこともO君の解釈に影響を与えていただろう。「《馬のような大らかなセンス》という意味です。」 たしか、そんなことを応えたように記憶する。
 このhorse sense という語は最近ではすでに古風な語の仲間入りをしているが、「常識的判断力、だれもが持つ良識 (common sense)」という意味だ。今は懐かしい半世紀以上も昔の思い出の一コマだ。

「あの世でもパチンコを楽しんでいると思います」の英訳

卒業生の一人から面白い質問をメールでもらった。以下のとおり。 

先生pa、私の祖父はパチンコが大好きでした。昨年の春、85歳で亡くなりましたが、きっとあの世でもパチンコを楽しんでいると思います。そこで質問させていただきたいのですが、そういう状況(「祖父はパチンコ大好き人間で、天国でもパチンコ屋に足を運んでパチンコを楽しんでいるでしょう」)をユーモラスな英語で言うにはどう言えばいいのでしょうか。私は My grandfather loved pachinko very much ; he must be enjoying pachinko in the heaven.と訳しましたが、ユーモラスな感じが少しも出ていないと思います。手元の和英辞典を何点か見てみましたが、うまく利用できるものがありませんでした。教えていただければ幸いです。

この質問に対する私の回答は以下の通り。

私の知り合いのイギリス人の友人が、40年ほど昔、My late brother has gone to the great cricket court in the sky.というような表現を使ったことがありましたが、これは「あの世(=天国)に行ってもきっとクリケット場に行って好きなクリケットをやっているだろう」という感じの英語でした。あなたの日本語に近いユーモラスな感じを出すには、私なら My late grandfather loved pachinko so much that I know he's enjoying himself right now in the Big Pachinko Palace in the sky !と訳してみます。これであなたが出したいと言っているユーモラスな感じは一応出ると思います。英語は勉強すればするほど奥が深いですね。頑張ってください。

亡き同僚たちの夢を見た。(続)

h2今朝早く、いつも面倒をみていただいている内科医のK先生のところに行って来た。ここ数日の私の様子を説明したのだが、その話によく耳を傾けて下さり、私の血圧手帳の数値を参考にしながら、「低血糖を起こしたんですね。いくらなんでも、徹夜のあとで朝食も摂らずにあれだけの薬を一気に飲めば、そういう結果になりますよ。そりゃ、だめですよ。万一、今後そういうことがあったら、これを噛み砕いて飲んでください」と言って、《ブドウ糖(固形タイプ)》を数袋くださった(まあ、こういう《バカ》は二度としないつもりだが)。

 K 先生にはもう数年お世話になっているが、本当に素晴らしい内科医だと思う。何よりも患者の話をよく聞いてくださり、患者の目をまっすぐに見て話してくださる。そして、私のような、患者の《バカ》を叱って”くださる。これはなかなかできることではない。昔の医者の中には、また今でも一部の医者の中にいるだろうが、《権威》を嵩にきて患者を叱りつける人が少なくなかった。T医師は親身になって患者を《叱って》くださる。よくイラストを描いて説明してもくださるから、はなはだ分かりやすい。ありがたい。

 中にはK医師とは反対に、患者の目を見ずに話をする医師もいる。亡き妻が通っていたT医院は、見ているのはほとんど常に目の前のパソコンのデータだけだった。私も長年その患者だったからよくわかる。結果的に、私の妻の病状を誤診して死を早めることとなった。英語圏にはNever trust a person who can't look you in the eyes.(相手の目を見られない人間を絶対に信用するな)という社会的戒めや、The eyes are the window of the soul.(目は心の窓)という諺がある。そのことを私はT医師を通じて強く感じたそのことが分かっていながら、医師を変えなかったのは私たち夫婦の間違いだった。これは何も医師だけではない。全ての人間に言えることだ。人に接する職業の人たちはこの戒めを忘れないようにしてほしい。帰り際に見た、 路肩のツツジが美しかった。

亡き同僚たちの夢を見た。

Zenith2x先週の金曜日朝、前日からの徹夜と朝食なしとで、愛艇のバース(berth;停泊所)変えの作業のために近くのマリーナまで行った。悪いことに(と言うか軽率にも)、いつも飲んでいる降圧剤3錠と血糖値降下剤3錠を飲んで出かけた。1時間半ほどで作業のほとんどは終了したのだが、終了する少し前から気分がひどく悪くなった。マリーナ内のトイレに行き、近くのベンチで横になっていた。目の前が真っ白で、何も見えなかった。幸いなことに息子たちと一緒だったので、すぐに自宅に連れて帰ってもらった。

 それからずっと眠った。昨日、土曜日(午後12時20分)、血圧を測ったら、何と、高血圧(薬を飲まなければ上が180〜90、下が90〜100)の私が上が86、下が55になっているではないか! 明らかな低血圧だ医学的には低血糖と言ったほうが正確か。おそらく、異常を感じた直後に測っていたら数値はもっと下だっただろう。今日の午前中(10時)に図ったら、それでも上が114、下が64だった。私の平常の数字としてはまだ低すぎる(健康人なら望ましいものかも知れない)。

 ずっと眠り続けていて、いろいろな夢を見た。一番《面白かった》のはかつての明海大学英米語学科の同僚たちのうち、すでに鬼籍に入った人たちが同窓会をやっていて私を招待してくれたことだ。Leo G. Perkins教授、貝瀬千章教授、淀繩光洋教授、篠塚久美子教授の4名が集まって《宴会》を催している。場所はどなたかのマンションの1室らしい。どういうわけか私の亡き妻も呼ばれている。全員が黄泉の国に行ってしまった人たちであるところに興味深い点がある。
 まあ、私自身、遠からぬ将来、本当にあの世での同僚との再会となるだろうが、今回の《低血圧[低血糖]事件》だけは思いもよらぬことだった。これほどの異常事態になっても、「死ね[死な]ないうちは死ね[死な]ない」のだ。死にたくなくとも、(私の妻がそうだったように)「死ぬ時は死ぬ」のだ。それが人間の運命というものだろう。明日はいつも診ていただいているK医師の定期健診の日だからよく相談して来ようと思っている。今回も息子夫婦の思い遣りと愛情とをしみじみと感じて、本当に有難かった。

片山虎之助氏の不用意な発言

Yahooニュース(こちら)を見ていたら、以下のような記事に出くわした。そう長くはない記事なので全文を引用させていただく。

熊本地震「タイミングいい」=おおさか維新・片山氏が発言撤回
時事通信 4月19日(火)17時4分配信 
おおさか維新の会の片山虎之助共同代表は19日の両院議員懇談会で、熊本地震に関して「政局の動向に影響を加えることは確かだ。大変タイミングのいい地震だ」と発言した。
  被災者感情を逆なでしかねず、片山氏はその後、発言を撤回した。片山氏は、衆院で審議中の環太平洋連携協定(TPP)承認案や24日投開票の衆院2補選、来年4月に予定される消費税率の引き上げや衆参同日選挙を列挙。熊本地震が「全てに絡む」として、「タイミングがいい」と語った。
  この後、片山氏はコメントを発表し、「政局的な節目に重なってしまった、という趣旨で発言した。言葉の使い方が不適切だった」として陳謝した。  

末尾の「『政局的な節目に重なってしまった、という趣旨で発言した。言葉の使い方が不適切だった』として陳謝した。」という一文には全く説得力がない。著名な政治家になっていながら、「政局的な節目に重なってしまった、という趣旨」を発言するのに、これほどの不用意な言葉でしかそのことを表現できないとは…。直ぐに撤回するような、それでいてこういう不用意な発言をする政治家は、普段から「言葉は心」という事実を深く、強く認識していない人であると言って差し支えないだろう。人間、思っていることが口に出るものなのだ。熊本県民を初め、大分県ほかの多くの人たちが、いったいどれだけ悲惨な目に遭っているか、この人にはよく理解できていないと推測できる。熊本県は私の岳父の、また大分県は私の岳母の故郷だ。苦難に遭われた方たちのニュースを見聞きするにつけ、私の心はひどく痛む。それだけに片山氏の今回の発言には失望したし、まことに残念に思った。

熊本地震―1日も早く平穏な日々が戻りますように

このたびの熊本地震(4月14日21時26分発生)で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
また、物的・身体的に甚大なる被害を受けられた多くの方々に心からお見舞い申し上げます。

このたびの震源地附近は、私がこよなく敬愛した岳父(故人)の出身地であり、
未だ不明ですが、岳父の親戚の方々も被害に遭われたのではなかろうかと懼れています。
全ての県民の皆様に、1日も早く平穏な日々が戻りますよう、心からお祈り申し上げます。

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