73歳の誕生日を迎えることが出来た。

k1今日、73回目の誕生日を迎えた。「迎えた」というよりも「迎えさせていただいた」と言うほうが正確だ。昨年の心臓バイパス手術以来、私は自分が「生かされている」ことを以前よりも強く感じるようになったからだ。73歳は、私が敬愛した岳父(亡妻の父)が亡くなった時の年齢でもある。岳父は私が入院していた、同じ病院の、同じ病棟で、平成7 [1995] 年の1月16日に亡くなった。世の中にこんな人がいるのかと思えるほど素晴らしい人だった。《第二の父》として終生尊敬した。

 昭和19 [1944] 年9月22日、私は母が満41歳の時に、8人きょうだいの末っ子として山口県宇部市に生まれた。敗戦色が濃くなった頃だった。物心がついたのはそれから3年ほどあとのことだ。自賛になるが、私はかなり物覚えがよい(ほうだ)。その後のことは、何かのきっかけがあれば、今でもだいたい思い出せる。たとえば、去る7月、九州北部を襲った豪雨で、私は4歳の頃に経験した大型台風のことを思い出した。近所の海の堤防が決壊する恐れがあるということで、山の上に位置していた小学校の体育館に、兄の一人に負ぶわれて豪雨の中を家族と共に避難したが、その時、1頭の牛が近所の中規模の川の濁流に飲まれ、流されながら、悲しそうな大きな鳴き声を上げていた記憶が今も消え去らない。

 小学校に上がった頃からのことになると、もっと鮮明に記憶している。1年生になった頃(昭和26  [1951] 年)、全員が運動場に出て、頭からDDT(あとでそれが劇薬の一種だと知った)を撒かれて《ノミ・シラミ駆除》をされた時の強烈な思い出は今でも昨日のようによみがえる。だから、一部の政治家たちが、国会質問で、わずか2、3年前のことに言及されて、「記憶にありません」と返答と言うよりも問題の核心から逃避しようとしているのを見ていると、「その程度の記憶力で政治家になっているのですか」と皮肉の1つも言いたくなる。
 
w 何度か書いたことだが、私が英語学習を始めた頃(昭和32 [1957] 年4月)、私の住む町にも、周辺の町にも、英語母語話者は一人もいなかった。だから、母が私の誕生日に東京の某社が出版していた英語会話教本と付録のレコードを買ってくれた時には、本当に嬉しかった。毎日、毎日、それこそレコードが擦り切れるほど聞いて、その全てを暗記した。もちろん、発音もそのレコードで聞くアメリカ人のものを真似るように努力した。周辺に英語母語話者を見つけることが容易な現代、また、英語学習のためにインターネットやスマホなど、便利な機器をふんだんに、頻繁に使える現代、そういった良き時代に巡り合わせている今の学習者たちは本当に幸せだ。

 中学校1、2年は山口県小野田市(現・山陽小野田市)で過ごし、中学3年次 (昭和34 [1959] 4月)に東京・品川区の姉を頼って上京した。急行列車で品川駅まで18時間近くも掛かった。今上天皇・皇后のご成婚数週間前のことだった。東京タワーは前年暮れに竣工していた。東京では(山口県の中学校にはなかった)創設後間もない英語部に所属した。教科としての英語担当で、クラブ顧問のM先生は、それまで米軍基地で仕事をしておられた方で、流暢なアメリカ英語を話された校舎外ではいつもベレー帽を着用しておられたが、足長の長身で、今で言えばまさに「イケメン」の方だった)。時には、英語の勉強のためだということで、14、5名の部員たちをアメリカやイギリスの映画を観に連れて行ってくださった。先生は私を可愛がって下さった上、クラブの部長に据えて下さり、夏休みはよく私たちに特訓をして下さった。今日の私があるのはM先生のお陰だと思っている。

 高校生になってからは英語部(25人ほどの部員がいた)に所属し、何度も英語弁論大会・暗唱大会に参加した。英語劇では“The Pied Piper of Hemelin”(ハーメルンの笛吹男)の笛吹男になった。その台詞は今でもだいたい覚えている。部室には、当時珍しかったカナダ製の立派なタイプライター(ROYAL DELUX) が設置されていた。もちろん、速く正確に文字を打つ練習を毎日のように行なった。楽しかった。
 また、東京都立川市にあった米軍基地、その他、英語を話さなければならない環境の中に身を置く努力をして、そこでアルバイトをしながらアメリカ口語 (Spoken American English) に慣れた。そこで得たアルバイト料を、目黒区にあった日本通訳養成所 (JITS = Japan Interpreter Testing Society) 夜間部の授業料に充てた(昼間はもちろん高校通学)。

 大学・大学院では英語学・言語学を専攻し、とりわけ前島儀一郎先生からご指導をいただいた。古期英語 (特に英文学最古の叙事詩Beowulf )、中期英語(特にGeoffrey Chaucer: The Canterbury Tales )も、またラテン語で書かれた Thomas More (1478 - 1535) の Utopia も先生のご指導を受けながら何とか読了した(当時の私にはじつに難解だった!)。前島先生からは、その後、ドイツの著名な英語学者Gustav Kirchnerが著したDie syntaktischen Eigentumlichkeiten des Amerikanischen Englisch (全2巻;1970-72) の全訳を手伝ってほしいというご要望があり、ドイツ語から日本語への訳出作業のお手伝いをした。同書はのちに『アメリカ語法事典』(1983, 大修館書店)として結実し、今でも入手できる。

 英国では英語学の泰斗R. Quirk*先生(のちのロンドン大学副総長、英国学士院長、Sir Randolph  Quirk)、音声学の泰斗A.C. Gimson先生、応用言語学・英語教育学の泰斗 P.  Strevens先生、ほか数多くの世界的権威から直接のご指導を受けることが出来た。【*ロンドン大学の場合、総長 (Chancellor)は王族から選ばれ、1981年からはAnne王女がその任に就いておられるので、実質的には副総長 (Vice Chancellor) が総長】
 大学卒業前に、アメリカ・ミシガン州に本社のある貿易会社(商社)の面接試験(約40分間;そのうち約20分は電話を使ってのやりとり)を受けたことがある。試験場はたしか立川基地内だった。その時に聞かれた以下の3つの質問には驚いた。日本の会社の面接では当時はまず聞かれることのない質問だったからだ。

(1) What makes you different from everyone else around you?(あなたは周囲の人たちとどう違いますか)
(2) How will you add value to our company? (あなたはうちの会社にどんな貢献ができますか)
(3) How much money do you want?(給料はどのくらい欲しいですか)

 
ありがたいことに、面接試験には無事合格できたが、数日後の大学院入試の発表もあり、そちらにも合格したので、貿易会社のほうは丁寧にお断わりした。

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 私自身の想い出を書き出せば、それこそ1冊の本を書かなければならなくなるのでこれくらいにしておくが、東京に出て以来、約60年間の長い年月が、気のせいか足早に流れて行ったようにも思う。その間に、いつも書くように、私は亡き妻に出会い、愛し合い、小さな家族を持ち、一生懸命にg生きて来た。余禄になったこれからの人生、ほんとうにいつまで生きられるか分からないが、瞑目(めいもく)するその日まで、私は私の《天職》である「英語の辞書作り」を続けて行きたいと思っている。
 この歳になっても、若い人たちに「勝る」とまでは言わないが、少なくとも「劣らない」とはいつも思っている。このブログ記事や私のホームページに掲載した大量の記事や論文を読んでもらえれば、そのことは分かってもらえるはずだ。

 亡き妻がこの世にいないことが何よりも切なく、かつ寂しいことだが、こうして命を長らえさせてくださっている、私の心臓バイパス手術の執刀医I先生のご恩を忘れないためにも、残りの人生を一生懸命に、大切に、生きて行きたいと思っている。来年もまた今日の日を迎えることができるだろうか。

Be still prepared for death:
            and death or life shall thereby be the sweeter.
                                                                ―W. Shakespeare
静かに死に備えよ、
            然らば死も生もそれによってさらに甘美ならむ。
                                                                ―W.シェイクスピア

【付記】今もって、亡き妻の命日と私の誕生日に胡蝶蘭を贈ってくれる旧山岸ゼミ生諸君がいる。皆それぞれの生活があるにも拘わらず、私たちのことを忘れないでいてくれている。「教師冥利に尽きる」とはこのことだ。

in the field of という表現法

「〜の分野に(興味がある)」に相当する英語表現 in the field of...の場合、たいていは the field of を略することが出来る。あるいは、無いほうが簡潔ですっきりした英語になるとも言えるが、実際には多くの人たちがこの表現法を用いている。日本語で言えば、「〜の分野(興味がある)」と言わずに、「〜(興味がある)」と言っているのに似ている。以下にその例を5例だけ挙げておく。

*University applicants increasingly interested in the field of  technology.
*Are you interested in the field of  dance education research and looking for a place to start? 
*I asked Grace what she would recommend someone do if he or she were interested in the field of  data analysis. 
*Students ages 16-18 interested in the field of  engineering– Rutgers University is offering a week-long program this summer to introduce ...
*Another helpful piece of advice for students interested in the field of  Forensic Psychology is to enroll in a bachelor's of science program rather than earn a ...

♦私は長い間、辞書学の分野に興味を持ってきた。
  ⇒I have long been interested in the field of  lexicography.
♦私は長い間、辞書学興味を持ってきた。 
  ⇒I have long been interested in  lexicography.

might perhaps の冗語性

英語母語話者が書いた英文にmight perhaps という言い方が出てくる。たとえば、下のような例だ。

*The malignancy of my fate might perhaps  distemper yours.
*This might, perhaps,  be the funniest description of Silicon Valley ever.
*I have had an experience which might perhaps  be described as being shot down.
*Some might perhaps  ask, “If reason rules the emotions, why is it not sovereign over forgetfulness and ignorance?” 
*Now, most people would not be willing to die for an upright person, though someone might perhaps  be willing to die for a person who is especially good.

  ごく普通に用いられる言い方だが、厳密に言うなら、この2語の共存は冗語性 (redundancy)を生む。なぜなら、mightという助動詞の中にすでに 副詞のperhapsが持つ低い蓋然(がいぜん)性 、推量の意味が含まれているからだ。したがって、言葉に敏感な人が書いた英語にはこの組み合わせは出て来ないか、稀にしか出て来ないだろう。

「差別語」云々より「人の心」が変わることの重要性

市原悦子がNHK番組で差別語連発 有働アナ謝罪、視聴者からは擁護や評価の声」と題した記事に行き当たった(2015/5/23 ⇒こちら)。要所だけを引用する。
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女優の市原悦子さん(79)が出演したNHKの番組で「かたわ」「毛唐」という言葉を口にし、アナウンサーが後で謝罪する一幕があった。
   いずれも体が不自由な人や外国人に対する表現で、メディアなどでは使用が避けられている。しかしネット上では市原さんの発言を非難する声はほとんどなく、「前後の文脈上問題ない」「差別意識はない」と擁護する意見が多い。
   市原さんは2015年5月22日に放送された「あさイチ」にゲスト出演。「まんが日本昔話」のナレーションを務めた思い出話に話題がおよび、「一歩一歩やっていくほかない」「風が吹いたらいい季節だなあと感じるようになった」と同番組に教えられたことが多いと振り返った。
   続けて、一番好きな話は「やまんば」だとし、

「私のやまんばの解釈は世の中から外れた人。たとえば『かたわ』になった人、人減らしで捨てられた人、外国から来た『毛唐』でバケモノだと言われた人」と発言。世間から疎外され、山に住んでいた人たちが「やまんばの原点」になったと思うと説明した。

   また、やまんばのキャラクターが「魅力的で大好き」な理由について、

 「彼らは反骨精神と憎しみがあって他人への攻撃がすごい。そのかわり心を通じた人とはこよなく手をつないでいく。その極端さが好き」と笑顔で語った。井ノ原快彦さんも「虐げられているから愛情を欲しがるんですね」と応じ、スタジオは「日本昔話」トークで盛り上がった。

 しかし番組の終盤、有働由美子アナが、さきほどのコーナーで『かたわ』『毛唐』という発言がありました。体の不自由な方、外国人の方を傷つける言い方でした。深くお詫びしますと謝罪。するとツイッターなどネットには番組の対応を疑問視する意見が相次いだ。

「『当時差別された人』の文脈で使ってるんでまったく問題ないと思う」
「昔話の解釈にちなみ、あえて使った表現だろう。綺麗な表現に置き換えたら、本質が伝わらない」
「番組は見たけれど、悪意が無い分さほど気にならなかった」
など、あくまで「表現の一手法」「悪意はない」とする意見が多かった。
   また有働アナの謝罪後、市原さんの表情がこわばっていたと指摘する声があり、同情する書き込みも目立った。
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 こういう話を見聞きするたびに、「またか」と気落ちする。それと、冒頭の見出しにある「市原悦子がNHK番組で差別語連発」という個所にある「連発」という語だ。どこに「連発」があるのか。「連発」とは、常識的には「続けざまに言うこと」ということだが、私にはそう形容する意味が分からない。つまり、市原さんの発言のどこをどう切り取っても「差別」に結び付けるべき要因は見当たらないのだ。
 有働アナウンサーの「謝罪」は《臭いもには蓋》の典型だ。NHKが一部の視聴者から文句が出るのを恐れて、先回りをして「謝罪」をしたに違いない(誰に対しての何のための謝罪)。
 
 市原さんは「まんが日本昔話」に言及して、その話が設定された時代の言葉や概念を念頭に置いて「かたわ」「毛唐」という語を用いたことは《常識人》にはよく分かる。それを有働アナウンサーが、「さきほどのコーナーで『かたわ』『毛唐』という発言がありました。体の不自由な方、外国人の方を傷つける言い方でした。深くお詫びします」と謝罪したというが、「謝罪」する必要などはない。どうしても現代的視点を反映させるなら、番組のあと、テロップでも流して、「先ほどの放送に現代的には差別用語とされるものが混じりましたが、時代との関係で発言されたものですのでご了承ください」とでも言っておけばよい(本当はこういう姑息なことをする必要もない)。

NH 我が国が誇る世界的細菌学者・野口英世 (1876-1928) は周知のように1歳の頃、囲炉裏に落ちて、左手にひどい火傷を負い、5本の指が全てくっついてしまい、物心ついた頃から、周囲の心無い者たちからは「てんぼう!てんぼう!」(「棒のような手」)とはやしたてられ、バカにされたそうだが、それは明らかに、身体に障害を持った者への差別的言動になるが、市原さんの「かたわ」も「毛唐」も差別的意図で発せられたものではない。ちなみに、野口英世が《てんぼう》でなかったら、後日、医学を志し、医学博士 (京都大学)、理学博士 (東京大学) の学位を取得することも、《世界の野口》になることもなかったかも知れない。野口は後年になって言っている。「家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。」と。

 市原さんと常田富士男(ときた ふじお)さんが声優を務めた「まんが日本話」に出て来る語句・表現を現代の価値意識・基準を持って解釈するのは我が国の言語文化を棄損するものだし、時代の実相をゆがめるものだ
 勝新太郎主演映画「座頭市」に《どめくら》という語が頻出するが、それはその映画(台本)が描いている時代には普通に用いられた語だ。それを現代人たちが《音消し》をやったり、「差別用語が出て来ます」などと予防線を張る必要などまるでない。【拙稿参照→「病名としての『らい(病)』」と『ハンセン病』」

 何度も書いて来たように、この世に存在するいかなる語句・表現も全てが差別的に用いようと思えば用いられるし、どんな差別語もそれを用いる人の心的態度・状況・場面などで差別語にはならないものなのだ。問題になるのは、最初からもっぱら人を差別する目的で創造された語句・表現だけだ

【追記1】そう言えば、『五体不満足』の著者・乙武洋匡さんがかつて「週刊新潮」誌(だったか)に「なぜ僕は自分を『カタワ』と呼ぶのか―障害を笑えてこそ『真のバリアフリー』」と題した記事を書いておられたと記憶する。
【追記2】たとえ日本一有名な大学を卒業し、海外の著名大学院を修えて政治家になってもこういう言葉づかいをするようでは、人としては最低の部類に属することになってしまう。ここで観察されるのは、人を侮辱し差別する一人の政治家の心底の卑しさ・貧しさだ ご当人を嘲笑しようと思えば、こういう動画こういう動画、さらにはこういう動画を作ることさえできる

「絶える」と「耐える」

誤字と言えば、ネット上には、「えない」と書くべきところを「えない」と書く人が“絶えない”。「絶える」は「続いていたものが途中で切れて続かなくなる」ことをいうが、「耐える」は「苦しいこと、つらいこと、嫌なことなどをじっとがまんする」ことをいい、両者は意味が違う。
 この誤字を書く人たちは、おそらく「たえる」という音だけを頼りに、その意味の区別を考えずに安易に漢字入力をするのだろう。漢字変換を意識せずに入力したのかも知れない。いずれにせよ、以下に「人気が耐えない」の例を6例だけ引用しておく。
*人気が耐えないリンパマッサージ専門店. 
*刺激を与えないBESTファンデとして口コミ人気が耐えないミネラルファンデーション
*つまりシミウスの人気が耐えないということは、かなり期待が持てる商品であるということがわかる。
*小学校の人気が耐えない西片エリアの一画に佇む平成築の分譲マンションの一室に空き予定情報が登場!
*カラーは秋冬でも人気が耐えないマーメイドアッシュに☆自慢の炭酸泉AND極潤トリートメントでパーマスタイルも艶良く仕上げました!
*たとえば今でも人気が耐えない女性アイドルとか、男性グループというのも狙い目です。写真集は新品だと比較的値段が高いものもあるのですが、中古なら値段が下がっていて買いたいという人もでてきます。

「訳す」を「略す」と覚えている(らしい)人の例

Yahoo知恵袋を見ていたら、「英語を日本語に略してください。」と題した質問が掲載されているのに出くわした(こちら)。「英語を日本語に略す」? これは、間違いなく、「英語を日本語に訳す」のことだ。「訳す」を「略す」と間違えている(らしい)人が一部にいるようだ。以下はネット上で拾った実例。

*これを日本語に略してください
*この英語を日本語に略してください。
*この韓国語を日本語に略してください
*この英文を日本語に略してくださいっ
*誰かこの物語を日本語に略してください。

 この種の単純な間違いをそれとは知らずに使っている人の例を見ると、私はいつも、かのドイツの大詩人 Goethe の言葉を思い出す。
 
 Die Irrtumer des Menschen machen ihn eigentlich liebenswurdig.
    (人間をして愛らしくするのは元来人間の間違いであり誤りである。)

舌を愛する者 (they that love the tongue)

s今や「時の人」となった国会議員の一人と言えば、言わずと知れた豊田真由子議員だ。ネット上には氏を題材にして作られた冷笑・嘲笑のための動画が多数掲載されている。気の毒だと言えるが、巷間、知ることの出来る情報をもとに判断すれば、「自業自得」のように思う。実際、豊田氏の「このハゲー!」という“罵声”は強烈だった。そして、それを聞いて私は旧約聖書の Proverbs  (「箴言」18:21) にある次の言葉を思い出した。

   Death and life are in the power of the tongue:
      and they that love it shall eat the fruit thereof.
   (生も死も舌の力に支配されるものなり。
     舌を愛する者はその実りを食らうなり。) 
 豊田氏の議員生命が危険にさらされているのは、ひとえに、自らの「舌を愛すること」がなかったためだと言える。自戒したい。

【追記】もう一人の「時の人」、民進党所属だった山尾志桜里氏の場合も、山尾さん、もっと自分の舌を愛しなさいよという意味に解釈できる動画この4月19日時点で公開されたようだが作られていて、その中で、作成者が山尾さんの言動を見ておりますと、心配になるレベルでありますので、山尾さんには、取り返しがつかない事態にならないうちに適切な治療を受けるようにお願い致しますと、国会での氏の発言が揶揄されている。その《心配》が本当になってしまった。偶然の一致だが、山尾氏も上記の豊田氏も同じ1974年生まれで、卒業校も同じ東京大学だ。

副詞 momentarily の用法上の難しさ

副詞 momentarily の使い方が結構難しい。特に、未来形と共に用いる場合にそのことが言える。 たとえば、“My uncle will be here momentarily. ”と言った場合、「叔父はちょっとだけここに来るだろう」(=for a moment) という意味なのか、それとも「叔父は間もなくここに来るだろう」(=in a moment) の意味なのか、文脈がなければその意味は判然としなくなる。したがって、語感の優れた人たちは前者をたとえば “My uncle's visit (here) will be brief.” のように、また後者をたとえば “My uncle will come here soon.” のように言って、意味を明確にしようとするだろう。 
  ところが、面白いことに、この副詞は、現在形あるいは過去形の場合、その意味は「ちょっとだけ」(=for a moment) の意味で用いられるのが普通だ。

「びっこさん」という語 ―これを差別語と呼ぶのか。

本ブログのアクセス解析によると、読者がよく訪れる記事の1つに2015年01月26日付けの「びっこを引く』を差別表現とすること」がある。そのアクセス解析の結果を見ていて、「びっこ」という言い方で思い出したことがある。

b 私が小学校に上がった頃(昭和26年[1951年])の思い出だ。私は山口県宇部市で生まれ、小学校に上がる数か月前に小野田市(現・山陽小野田市)に引っ越した。そこでの生活が始まって間もなく、友だちになった周囲の子供たちが「びっこさん」と呼んでいる“おばさん”がいることを知った(お連れ合いは戦死したとも聞いた)。「びっこさん」は50歳前後で独り暮らしをしている女性だった。その名のとおり「びっこ」だった。たしか、左足が右足よりも目立つほどに短かった。だが、周辺の子供たちに"圧倒的な人気”があった。学校の行き帰りに、「びっこさん」のうちの前を通る子供たちは必ず「びっこさん、おはよー!」、「びっこさん、行って来ま〜す!」と声を掛けて行った。それに対して「びっこさん」は必ず、「おはよー! 行ってらっしゃ〜い!」と応えた。

 だれが「びっこ」という言葉を《差別語》だと断定したのかは知らない。だが、私に言わせれば、その人(たち)の心の奥底にこそ《差別意識》が渦巻いているのだ。だから、「臭いものにはフタ」ということになる。また、「差別だ! 差別だ!」と大声を上げ、騒ぎ立てることが《カネ》に繋がることを鋭い嗅覚で見つけた一部の人間たちが、その後《差別》を金儲けの道具にしたと思われる。世間が「差別だ」、「差別語だ」と騒げば騒ぐほど対象になっている人たちは自意識を持たざるを得なくなる。

 「びっこさん」自身が「びっこさん」と呼ばれることに、本当のところどう感じていたかは知らない。だが、推測を交えて言えば、そう呼ばれることを「びっこさん」は少しも嫌がっていなかった。むしろ周囲の子供たちがそう呼んで近づいて来てくれることを喜んでいた。その証拠に、「びっこさん」のうちは、戦後のものの無い時代に、「びっこさんのうちに行けばお菓子(駄菓子だが)がもらえる」ことも手伝って、いつも子供たちのたまり場になっていた。私たち子供も、「びっこさん」本人も、《びっこ》という語が《差別語》だなどと思ってはいなかった。なによりも、「びっこさん」本人が
自分のことを(「おばさん」と自称するのと同じように)「びっこさん」と呼んでいた事実がある。

 以前、何度か書いたことだが、この世に存在して悪い言葉などというものはない。言葉は必要があって生まれて来るものだ。大事なことはその言葉をいつ、だれが、どういう文脈で、どんな心持ちで、誰に対して使うかということだ。「教授」という肩書でさえ、軽蔑しようという気持ちがあれば、たとえば、「まあまあ、ご立派な教授さんでいらっしゃること」、「Fランク大学の教授さんはさすがに違いますねえ…」などとなる。この世に存在する言葉で、また、《差別語》にならないものはないのだ。

 私は中学2年を終えた時点で東京に出たから、「びっこさん」のその後については何も知らない。だが、たぶん、周囲の子供たち、大人たちから敬愛されながらその後の日々を送ったであろうことは推測に難くない。「びっこさん」、「びっこさん」、あれから60数年が経過した今、そうつぶやいても、少しも侮辱的に響かない。むしろ、「びっこさん」が懐かしく思い出され、胸が熱くなる。
 (そう言えば、「びっこさん」は子供たちのために、当時大人気の『冒険王』、『少年クラブ』、『少年画報』など、何点かの漫画雑誌を買っていてくれた。どのうちも貧しかった時代だ。そんな雑誌が買える経済的余裕のあるうちはむしろ少数派だったから、子供たちはそのことを喜び、「びっこさん」のうちに足繁く通っては、むさぼるようにそれを読み、楽しんだ。私自身、それらの雑誌で、小学校1、2年次に、難しい漢字を多く学んだ。例:雷電爲右衞門、谷風梶之助、赤胴鈴之助、等々

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【付記】
びっこ」は差別語だから「足の悪い人、足の不自由な人」と言えなどというのは噴飯物でしかない。私は昨年の心臓バイパス手術の際、左足の血管を30センチほど切り取って、それを心臓に転用するための手術を受け、そのために、しばらく「びっこを引いて」歩いたが、その事実を知らない人たちは私を「足の悪い人、足の不自由な人」と形容したのだろうか。私に言わせれば、これも滑稽だ。「足の悪い人、足の不自由な人」を使って差別表現を作文することなどいとも簡単だ。たとえば、次のような差別表現を作文することができる。

(例1)「足の悪い人は得だよな、身障者で割引があるんだから… 俺もなりたいよ…」
(例2)「足の不自由な人はみんなの同情が集まっていいねえ、道路もトイレも配慮して作ってもらえるんだから」

 この2例の
足の悪い人、足の不自由な人」と、私の頭の中にある「びっこ」の概念とはかなり大きく異なるのだが…  「めくら」は差別語だから、「目が不自由な人と呼べ」と言われたら、私も「めくら」と同じことになってしまう。私は「目が不自由」だから長年眼鏡を掛けて来たのだから(これなども噴飯物だ)。

 大事なことは、「びっこさん」に示した周囲の子供たちの信頼・友愛・敬意だ。その信頼や友愛や敬意がなければ、全ての言葉は差別語になり得るのだ。

However true that may be と However, true that may be

処分している研究ノートが膨大なのと、シュレッダーに掛けようとして頁をパラパラとめくっては懐かしい記述に頻繁に目が行くために、なかなかその作業が終わらない。先日も、昔、A.C. Gimson 教授 ロンドン大学音声学科の教授で、音声学の世界的権威) のもとで作成したノートの1頁に "Followed by a comma; Difference of meaning" とノートが取ってあるのに気づいた。

f Gimson 教授が However true that may be と黒板に書かれ、それを二通りに発音されたことが記されている。最初は However true と一気に発音なさった。二度目は However, true it may be と However のあとで少しポーズを置かれた。What's the difference of meaning? 教授はたしかそう仰った。そのことが書かれているのだが、旧山岸ゼミ生諸君(及び一般読者諸氏)にはその意味の違いが理解できるだろうか。宿題としておきたい文字で示された問題は、音声だけの場合と異なり、理解しやすいだろう

もっと日英語のスピーチレベルを大切 に!

『スーパー・アンカー和英辞典』に目を通して下さっている某氏が「パクる」の項を次のようにしてはどうかという提案をして下さった(現在は snitch, lift, nab の3語が意味分けと共に収録されている)。

「パクる」という表記で:plagiarize(盗用する)、「パクり」plagiarizm(盗用)の付記はいかがでしょう。2020東京五輪のエンブレム盗用疑惑で、NHKニュースの副音声通訳で頻繁に聞こえてきました。 

 私は初版の原稿を書いた時から、同語をこの項目には入れずに、「盗用」「剽窃」の項で取り扱った。その理由はスピーチレベル (speech level) が違うからだ。ご本人が「plagiarize盗用する)、「パクりplagiarizm(盗用)」と書いておられるとおり、plagiarizeとplagiarizmとは共に堅い語で、日本語の「盗用」、「剽窃」に相当する。それに対して「パクる」はいかにも俗っぽい、砕けた語だ。
   したがって、「他人の論文の1節をパクる」を英訳するなら lift  a passage from someone else's paper [treatize] が適当であって、plagiarize  a passage from someone else's paper  [treatize] は文体的に不適当ということになる。つまり、同じ意味であっても、使う場面や場所や相手が異なる。自賛になるが、その点に特に留意して編纂された和英辞典が『スーパー・アンカー和英辞典』だ(ただし、まだまだ理想の和英辞典の行く道は遠いが)。

   同じく動詞だが、現在、「禿げる」の項には go  [get]  bald の訳語と共に文例が掲載されている。それに対して上掲の某氏が

「禿げる」:recede one's hairline の付記はいかがでしょう。 

という提案をして下さった。だが、これも無条件に掲載するわけには行かない。なぜなら、recede one's hairline は「額の毛の生え際が後退する」ということであって、婉曲表現の1つだ。「禿げる」とズバリで言っているのではない。したがって、「後退」の項の用例の1つに「父は額が後退している My father has a receding  hairline.」があがっている。

  もう1例、同じ某氏による提案である。「理由」の項に次のような用例が収録されている。
彼女は正当な理由もなく解雇された  She was dismissed without (good) cause. (➤決まり文句 /  She was dismissed  for no valid [good] reason.
 これに対して同氏は「was dismissed [fired] ....という表記ではいかがでしょう」と提案された。これもそのまま受け入れるわけにはいかない。なぜなら、確かに同義ではある、だが、was dismissed は日本語にある通り、「解雇された」という改まった言い方に相当するものだが、was firedとすれば「クビになった」という俗っぽい言い方になってしまう。その点を注記して「was dismissed [fired] 」と表記することも可能だが、スペース的にも、また英語のスピーチレベルという点からも好ましい取り扱い方とは言えない。was fired はしたがって「クビ(首)」の項で取り扱うのが適切だということになる。

 日本人英語教師を筆頭として、日本人英語使用者・学習者が注意すべき点の1つは、意味が同じであればスピーチレベルの違いに気づかずに暗記して、それをTPOを無視して使おうとする傾向を有することだ英語と日本語は異なった言語だが、スピーチレベルに可能な限り留意した和英辞典があれば、日本語を頼りに正しいスピーチラベルの英語を覚えることができるのだ。私の残された人生の限られた時間内でどこまでやれるか分からないが、命が尽きる日まで頑張って役に立つ和英辞典を作りたいと思っている。

【付記】スピーチレベルの問題については後日、別途、取り扱う。

「〜軒」を「〜件」と書く間違い

nokiネット上に書かれた記事を見ていると、「〜」と書くべきところを「〜」と書いている人のものにぶつかることがある。一般家屋 (民家)や店舗などの壁面より外に突き出ている部分を「のき」と言うが、そこからそれが「〜けん」の形で家屋を数える時に使う接尾辞となった。いっぽう、「件けん」は「事柄」「事件」に言及する時の名詞で、それが「〜けん」の形の接尾辞になった。したがって、意味も用法も違うのだが、その点に対する意識のない人たちのちょっとした間違いだろう漢字変換の失敗に気づかなかったのかも知れない。下に誤用例を5例だけ挙げておく。正しくは、いずれも「〜」と書くべきものだ。
僕は小食なのであまり食べませんでしたが、研究室メンバーのなかには何件もはしごした人もいました。
飲みに行くときに1件で終わらず一日に何件か回ることです。団体だと二次会・三次会と言いますが数人だと 「今日は○はしごした」等と使います。
高校受験を控えた次女ちゃんの為にCD屋さん4件もはしごした だってさ受験終わるまで我慢っていいながら毎日繰返しクロスフェード聞いてるんだもん切ない・・・
「居酒屋をハシゴする」は、居酒屋の後にまた別の居酒屋へ行くということ。ハシゴは上り下りするとき同じ事(動作)のくりかえしですよね。なので、続けて数件の居酒屋へ行くことを「居酒屋をハシゴする」といいます。
先日主人が大学時代の友人(8人)と久しぶり(中には2,3年振りの人もいた)に会い、夜7時から飲み始め帰ってきたのは翌朝6:00でした。銀座から始まり何件かハシゴして、最後は六本木のシガーバーで葉巻を吸ったとか。とても楽しかったようですが、後からまとめて支払いをした友人から要求された金額は一人4万円!

「お疲れ様(です)」という日本語表現(続)

昨日私が問題とした日本語に対して、私なりの意見を書いておこう。

 屬感賚様です」とは本来、『目上の人が目下の人に使う言葉』なんです。常識がある上司がこのメールを見たら、「こいつはビジネスマナーを知らないやつ」という烙印を押されてしまう可能性があるので注意してくださいね。
 ◆これには異論がある。まず、上司から部下への挨拶なら、「ご苦労様です」と丁寧に言うことは普通は考えられないもちろん、故意に、あるいは意識的に相手 [部下] と距離を置きたいという気持ちがある場合なら成立し得るが。普通は、「ご苦労さん」、「ご苦労だった [でした] ね」ぐらいだろう。丁寧に「ご苦労様」と言う可能性は十分にある。
 次に、自分が平社員・平事務員で相手が部長・局長だったとしても「ご苦労様」は使えるただし、そのままでは使えないが。たとえば、部長・局長がその平社員・平事務員のいる課あるいは部を視察して帰る場合に、その平社員・平事務員がその部長・局長に向かって「ご苦労様でございました」と言ったとしても少しもおかしくはない到着時なら「ご苦労様でございます」となるだろう。時間を掛けた視察のあとならば、これを「お疲れ様でございました」と言うことも可能だ到着時なら「お疲れ様でございます」になり得る。「◯◯部長・局長、ご苦労様です [お疲れ様です] 」はいかにもなれなれしく響く。

⊆卞皀瓠璽襪砲いて、今度は「◯◯さん、お世話になっております。」と冒頭文に書いている方がいました。実はこれもNGなんです!
 ◆これにも異論がある。大きなオフィスが1つで間に合っているような小さな会社・役所、あるいはそれに類似の小規模の会社・役所なら、確かに社内・役所内メールで「◯◯さん、お世話になっております。」と書くのは滑稽だ。よそよそしく、わざとらしく響くからだ。だが、大会社・大官公庁など、規模の大きい、部課の多い組織では「◯◯さん、(いつもお世話になっております。」とメールで書くことも、それを言葉にすることもごく普通のことだ。

「お元気ですか」と言う場面で「お疲れ様です。」を使ってみましょう。
 ◆私に言わせれば、これは滑稽でしかない。「お元気ですか。」と言うべき時に、どうして「お疲れ様です。」という必要があるのか。久しぶりに出会った別の課の上司に対して「お疲れ様です。」と言ってみればよい。「ああ、こいつはいい [できた] 奴だ」などと思ってもらえるか。そんなことは普通はあり得ない。

い海良集修呂△蠅箸△蕕罎訃況で使えます。
 ◆私に言わせれば、これも滑稽でしかない。「お疲れ様です。」が「ありとあらゆる状況で使え」るはずがない。ちょっと考えれば分かるはずだ。たとえば、上司だった人が亡くなり、その葬式の際に、棺を霊柩車まで運ぶ同僚社員たちに対して「お疲れ様です。」と言って声をかけられるか。そんな挨拶は上司であった人の棺を運ぶ際に口にすべき言葉ではないのだもちろん、死者が部下であっても同じことだ。敬意・弔意を第一に示すべきは死者とその遺族に対してであって、同僚に対してではないし、葬儀で棺を運ぶ人たちが「疲れ」などという言葉を口にすべきではないのだ。“禁句”と称してもよい。語感の優れた遺族がいれば、そんな言葉遣いを耳にすれば、決していい気持ちはしないだろう。

f2 こういう指摘を「これが日本語です」と評して外国人に教えることに、私などは大いに違和感を抱く。こういうおかしな《日本語教育》《日本語指導》が一般的なものにならないことを強く願う。

 中国の作家・魯迅だったか、「みんなが歩けば、そこは道になる」と言った。みんながおかしな日本語をおかしいと思わなくなったら、それが立派な日本語になるということでもある。まさに、「赤信号 みんなで 渡れば 怖くない」というところだろう。

「お疲れ様(です)」という日本語表現

昨年の初夏に心臓バイパス手術を受け、一時、集中治療室で“身体拘束”を受けた。もちろん、これは施術中の薬剤その他が原因で私が意識障害を起こす懼(おそ)れがあって、暴れたり、点滴の管を抜いたりしないようにするたの必要措置だ。当然、医師からは詳細な事前説明を受けていた。

 その“身体拘束”について、ネットであれこれ調べていたら、ある人が入院中の身体拘束に関して質問しているのに出くわした。私が興味を持ったのは、そこで使われている日本語表現だ。回答者は質問者に対して、開口一番、「***さん お疲れ様です。色んな意見があると思いますが、私の意見として聞いて頂ければ幸いです。」と書いていた。またその回答に対して、質問者の礼の冒頭も「お疲れ様です(^^)丁寧に回答してくださりありがとうございます。」だった。

 今や日本中、「お疲れ様」ブームのようだ 日本人はみな疲れているのかも…。実際、ビジネス関連の諸表現を扱っている某サイトを見ると、「ビジネスメールで『お疲れ様です』と冒頭文に書くことは、今では常識になっていますよね。」と書いてある(「〜よね」となれなれしく言うのも昨今の日本語の特徴の1つだ)。【だが、私に言わせれば、「常識は常に疑ってかかれ!」だ。】 そのサイトは次のようにも書いている。
たまに社内メールで「◯◯さん、ご苦労様です」という冒頭文を書く方がいますよね。これって場合によっては『失礼になってしまう』のは知っていましたか? ご苦労様です」とは本来、『目上の人が目下の人に使う言葉』なんです。ですから上司へのメールに「ご苦労様です」と書いてしまうと、それは「上司君。いつも頑張っているね。これからもよろしく頼むよ。」というだいぶ上から目線になってしまうんですよ。常識がある上司がこのメールを見たら、「こいつはビジネスマナーを知らないやつ」という烙印を押されてしまう可能性があるので注意してくださいね

 また別の社内メールにおいて、今度は「◯◯さん、お世話になっております。」と冒頭文に書いている方がいました。実はこれもNGなんです! なぜなら「お世話になっております」は、『お客様・取引先』などに使う挨拶であって、社内では使えない言葉だからです。なので、社内宛のメール冒頭文に「お世話になっております」と打ち込んでしまうと、「◯◯さん、いつも当社をごひいきにしていただきありがとうございます。これからも宜しくお願いします。」という意味になってしまいます。
 書いた人にはこれが《常識》になっているのだろう。だが、私にはあちこちに異論・異見がある。その箇所に下線を施し、いちばんの問題点に番号を振っておいた。
 また、外国語としての日本語を教える某校のサイトには次のような文章があった。
素晴しい日本語の世界:お疲れ様です
 ついに日本で仕事を見つけたあなたは職場で数日を過ごした後、日本人の同僚と仲良くなりたいと思うようになります。そのような時に使える完璧な表現があります。
お疲れ様です。」(“otsukaresama desu”)
「お元気ですか」と言う場面で「お疲れ様です。」を使ってみましょう。
正直な所、この表現はありとあらゆる状況で使えます。社内ミーティングは参加者に感謝の意を伝えるために、「お疲れ様です。」が頻繁に使われます。同僚はあるタスクの終了を感謝したり、社外のミーティングから戻ってきた同僚に感謝する際に使われます。お疲れ様です。」はチームワークの重要性を示す表現なのです。
 日本人にとっては一人一人が会社の一部であることを認識することが重要です。
f1お疲れ様です。」は一日の仕事が終わって皆が会社を出る際にも使われます。まだ仕事中の同僚は「お疲れ様でした。」と答えます。
 この説明にも少なからず異論・異見がある。同じく、その箇所に下線を施しておいた。この場合も一番の問題点には連番を振っておいた。
 旧山岸ゼミ生諸君が現役の山岸ゼミ生だった頃、よくこういう日本語文例を出してその問題点を指摘し、専用掲示板に自分の意見を書いてもらったが、ここでも宿題としておくので、私の異論・異見の理由を考えながら、各人の回答を示してほしい。

「say = 言う」と覚えることの不具合(続)

先月末 (8月26日)、表題のもとに、「say=言う」と覚えることの不具合に言及し、併せて以下の宿題を出しておいた。
【旧山岸ゼミ生諸君への宿題】次の日本文を argue, assert, claim, insist, maintain を使って英訳してください。
一部の教師 はハンドスピナー (fidget spinner) は学業から生徒たちの気を散らすものだと言っている
彼は悪に応えるのに悪をもってするのでは正義は成立しないと言う
結局のところ人生は素晴らしいのだと言おう
彼女は彼女の父親の影響を受けて教師になったと言う
きみに全てを忘れてくれと言わなくてはならない。
彼は絶対に潔白なのだと言っておく
 私が用意した解答を以下に示しておく。いずれも say という動詞を使っていない点に注意してほしい。
Some teachers argue  that the fidget spinners distract students from their school work.
He argues  that returning evil for evil does not constitute justice. 
I assert  that life is beautiful in spite of everything.
She claims  that her father inspired her to be a writer. 
I must insist  that you forget everything.
I maintain  that he is innocent.

おかしな日本語が多くなった ― ある動画のテロップから

暇 に飽かせて昭和歌謡の動画を見ていたら、私が大学院博士課程3年生の頃、爆発的な人気を博し始めていた歌手・ 天知真理の「水色の恋」 に出くわした。懐かしくなって、彼女のことを少々調べてみた。そうするうちに、偶然、「天地真理『国民的アイドルはなぜ消されたのか?』」と題された動画 に行き着いた。単なる興味本位からだが、その動画の最初の部分を見た。次のようなテロップが画面上 に流れた。
伝説的なTVドラマ「時間ですよ」(1971年)に出演していた天知真理。 そのあまりの可憐さに、当時の男達は胸騒ぎをおぼえずにはいられなかった。 しかも、コノ後「水色の恋」歌手デビュー。鼻にかかった高音の魔力はさらに男達を 凌駕した。いつしかマリちゃんは国民的アイドルで芸能界の顔になった。
 私は、普段、使い慣れていない言葉を使うことの危険性 についてあれこれ指摘しているが、この短いテロップでもおかしな個所を指摘することができる。日本語の用法として不自然なところ、間違った個所は最低でも3か所ある。 いつものように旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので、加除修正を施してほしい。「おかしなところがある」と指摘されてから問題点に気づくのではなく、日常的にそういう類いの日本語表現・用法に気づけるように、普段から語感を磨いておくことが大切だ。

ルイ・ヴィトン、痩せ過ぎモデル、起用せず ― 女性の体型と英語表現

Sophia Lorenフランスの高級ブランド LVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)とKering (ケリング)が、ファッションショーなどで痩せ過ぎのモデル(size zero models=excessively thin models)を起用しないように傘下のデザイナーに義務付ける指針を発表したそうだ こちらにその部類に入るモデルたちの画像が多数ある。摂食障害 eating disordersを助長する恐れがあると非難されることを回避するためのようだ。私は、亡き母も亡き妻も《ぽっちゃり型》だったから、痩せ(過ぎ)た女性よりも太めの女性のほうをいっそうの好みとしている。

 size zero models=excessively thin models で思い出したのが、hourglass figure砂時計タイプ)の女性だ。私の年代の者にとっては誰よりもソフィア・ローレン (SophiaLoren)、ブリジッド・バルドー (Brigitte Bardot) が思い出される。要するに、胸と尻は豊かだhが、胴回りは細く引き締まっていて、その姿が砂時計の形に似ているところから出た形容だ。中学生の頃、兄が持っていた二人のグラビア写真を見て、その余りの美しさに《胸》をときめかせたと言うよりも《息を飲んだ》ものだ。

bb 昨今では、体全体のが肉付きはいいが、やはり胴回りは比較的よく引き締まっている“曲線美”の女性たちが人気らしい。そういう女性の姿を形容する語が  curvy (丁寧には curvaceous )だ。こちらにその形容詞がよく当てはまる女性たちの画像が数多く掲載されている。その中の一人、Ashley Graham の画像だけを採り上げても(こちら)、やはりSophia Loren, Brigitte Bardot などとは胴回りに大きな違いを感じる。したがって、hourglass figure とはとうてい形容できない。
    いつの時代も女性たちの美意識は健在だ。男性としては、女性の気持ちの奥深いところまでは分からないが、女性が美しくいてくれることは、その男性の目から見ても大いに結構なことだ。
   
    ただし、イングランドの哲学者 F. Bacon (1561-1626) は言っている。Beauty is as summer fruits. which are easy to corrupt and cannot last.(美は夏の果物のごとく腐りやすく長持ちせず)と。しかり、名言だ。

✖「営業妨害になりかねます」、⦿「営業妨害になりかねません」

日頃教わることが多いので、よく弁護士ドットコムの記事を読んでいる ・・・ 中には首を傾げたくなるような回答をしている弁護士も混じる。先日は、彼氏と一緒に入った喫茶店で『何も注文しません』『水ください』…迷惑客の法的 問題と題した興味深い記事と担当弁護士の意見を読んだ(出典こちら)。それに対するコメントを読んでいたら、次のような文章を書いている読者がいるのに気づいた。
この弁護士の解釈は変でしょ。
>注文義務などの条件をしっかりと明示すると有効・・・と書いてあるけど、
飲食店は有料の飲食の提供を前提として席の利用を可能としているはずです。
席を自由に座って良いタイプと案内するタイプとあり、場合によっては4人席を2人で1人しか注文しない場合、営業妨害になりかねます
注文義務は法的にはないと言い切っていますが、法的には営業妨害になります。
 私の目についたのは「なりかねます」という表現だ。「かねる兼ねる)」という動詞 は、ほかの動詞の連用形に付いて、 〜しようとしてできない、〜することが難しい(例:「承諾しかねる」、「ご希望には添いかねる」、「申し上げかねる」)、 「〜かねない」の形で「〜するかもしれない」、「〜しそうだ」(例:「一触即発になりかねない」、「そう言い出しかねない」、「親子喧嘩でもやりかねない」)のような用い方をする。したがって、「営業妨害になりかねます」では、の意味にはなっても、ここではの意味だから、ナンセンスなものになってしまう。当然、「営業妨害になりかねない」と言わなくては [書かなくては] ならない原文のスピーチレベルに合わせれば「〜になりかねません」だ)。
 この勘違い語法を犯している日本人はかなり多いようで、ネット上にはいくらでもその用例が書き込まれている。以下にその実例を10例だけ引用する。

これってもうすこしで犯罪になりかねますよね?(正しくは⇒「なりかねませんよね?」)
国際法により危険な状態になりかねますのでご注意くださいませ。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
記載のお時間より前にお集まりになりますと他店舗様、お客様のご迷惑になりかねますのでご遠慮ください。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
お客さまとの円滑なお取引を損ねることになり、お客さまの信頼を失う結果になりかねますのでご留意ください。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
感情的な文章になりかねます。彼女の考えてることが、意味がわかりません。お互い20代、結婚も考えてます。(正しくは⇒「なりかねません」)
お菓子・金銭などは、食事制限をされておられる方、トラブルの原因になりかねますので、お控えくださいますようお願い申し上げます。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
クラスの15分前からスタジオにお入りいただけます。 お食事後すぐのご受講は体調不良の原因になりかねますので、クラスの2時間前までにお済ませくださることを ...(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
USED品にご理解頂けない方、神経質な方のご入札はトラブルになりかねますのでご入札をお控えくださいますようお願いいたします。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)
ゲル化剤が完全に溶けてムラのない状態になったら、輸送ポンプにて各充填包装機のサブタンクに送り込む。 万が一、異物が混入すると不適合品になるばかりか、シール不良の原因になりかねます(正しくは⇒「なりかねません」)
工場で造られるものと違いその時その時の状況が違い、職人の経験と感が頼りになることがしばしばですが、もし剥落すると取り返しのつかない事態になりかねますので、細心の注意と品質管理システムで施工します。(正しくは⇒「なりかねません(ので)」)

niou 上に引用した誤用例の中には、有名企業・信用金庫・介護老人保健施設等が混じっている。こういう誤用法に関係者はだれも気付かないのだろうか そこに勤務している人たちのほとんどは大卒だろうに;もちろん学歴とは無関係に語感の優れた人には分かる問題点だが。「かねます」と書く人たちは、「〜かねません」の「ません」に引っ掛かってしまうのかも知れない。使い慣れない不確かな日本語を使うくらいなら、「営業妨害 [トラブルの原因] になる恐れがある)」のような分かりやすい言い方をすればよい。

 この種の誤用法が蔓延し始めれば、日本語が混乱かねる」ではなくしかねない。いつも言うように、英語学習やよし、されど母語としての日本語を磨くことにその何倍もの努力をしてほしい。ネット上の掲示板(匿名のものを含める)に書き込まれた日本語を見ていると、少なからぬ日本人は、習慣的に日本語を使っているだけで、「分かりやすい、読む人に誤解を与えないような、論理的な日本語を書こう」という意識を働かせながら書いているようには思えない。同じことが、英語を母語とする人たちいわゆるネイティブスピーカーたちにも言える。その実例 は本ブログで多数採り上げている。

⦿be used to -ing、✖be use to -ing

昨日は be supposed to 〜be suppose to 〜 と誤って覚えて使っている人の例に言及したが、発音に影響されて間違った綴りを使う人の例をもう1例見ておこう。それは be used to -ing be use to -ing と綴る例だ。形式ばらない日常会話では used to を /ju:stə/ と発音することが多いために、それを文字化して be use to〜と綴るのだろう。以下にその一部を上げておく。いずれも綴りは used  でなくてはならない。
*It was the Pacquiao we're use to seeing
*When you get use to seeing a nonspecial needs animal...
*Last season, I got use to seeing the Kings where Minnesota is on the standings...
*I’m so use to hearing so many lies, that the truth doesn’t even seem real.
*You're the kind of girl who's not use to hearing no, 
*I'm use to saying I'm busy this day, or even this week.
*I am so use to saying that lately it is hard to stop. 
* If you were use to eating PB2, challenge yourself to eat real peanut butter.

⦿ be supposed to 〜、✖ be suppose to〜

ブルーグラス音楽で知られる The Lynn Morris Band の歌う歌の1つに What Was I Supposed To Do? というのがある(こちらに動画がある)。この be supposed to 〜 は日本人英語学習者がたいていは覚える慣用句で、「〜することになっている〜しないといけない」という日本語と結び付けられる。be not supposed to 〜 は「〜してはいけない」となる。
 この supposed to の発音は日常的には/səpoʊstə/と発音されることが多く、書く時も発音に影響されて suppose to〜 と書く人が少なくない。こちらにある What Was I Suppose To Do がその1例だ。添えられた歌詞の中に3か所 be suppose to が出て来る。
 以下に3例ずつ be suppose to の例を挙げておく。この間違いの例は発音に影響されたものと思うが、be (not)supposed to でなければ論理的におかしいのだが、いつの間にかこの誤用法を用いる人たちが多くなっているようだ。 

*What is each piece suppose to do?
*what am i suppose to do with myself
*You’re notsuppose to do anything. 
*What exactly am I suppose to write?
*"How am I suppose to write when I'm this happy? " 
*what on earth am I suppose to write for this?
*what I'm suppose to say?
*It's apparent, there's something i am NOT suppose to say today
*How am I suppose to say sorry to someone without actually saying it?
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