山岸勝榮の日英語サロン

日本語と英語を対象に、その文化との関係; 中級以上の英語学習者、英語教師・教授向け

ただいま、入院中です。

6月初旬の記事を最後に、今日まで、記事の更新がなされませんでした。その間、記事の更新がないことをご心配下さった何人かの読者の方々からお問い合わせのメールをいただきました。じつは、6月初旬から現在に至る間、某大学附属病院に入院しておりました。退院がいつになるのかは定かではありません。3〜4週間先か、それよりも先か、病気の回復程度と関わりがありますので、素人の私にはなんとも申し上げられません。元気になった暁には、入院に至った詳細をご説明し、以前同様、読者の皆様に喜んでいただけるような記事を書きたいと思っております。もう少しお待ち下さい。7月28日 山岸勝榮

later on という慣用句

later on という慣用句がある。イギリス英語よりもアメリカ英語で聞くことが多い気がする。「その後、(これから)あとで」の意味で、見た限りのどの「大学受験用熟語集」にも収録されている。たとえば、At first Paul was a   slow runner, but later on he was one fo the fastest  runners on the football team.(最初ポールは足が遅かったが、その後、フットボール部では一番足の速い部員になった)、Finish your lunch. Later on we'll play chess.(お昼を食べちゃいなよ。あとでチェスをするから)などのように用いる。今さらこの慣用句に‟文句”を付けるのは気が引けるが、この慣用句を "Not good English use"だと言う、語感の鋭いネイティブスピーカ―も少なくない。その理由はこの句の on が redundant(冗語)だからということだ。つまり on を省いて later というだけで十分なのだ。個人的には、アメリカ人の同僚や友人と、かなり砕けた調子の会話では使うが、改まる必要のある場合には  later を使うことが多い。

「お誘い合わせの上お越し下さい」と英語対応表現(2)

前回記したことから、英語ではPlease come to my party with your friends./Would you like to come to my party? You can bring friends if you like. /Would you like to come to my party? Feel free to bring friends if you like. /Would you like to come to my party? You can bring friends if you like.のような言い方にならざるを得ない。

 日本人はなぜ「お誘い合わせの上」と言うのだろうか。それは、日本人が昔から村落共同体、換言すれが「運命共同体」を形成して、何事においても隣り近所の人々と「和」を乱さずに、ほとんどの労働(たとえば、田植え・稲刈り・屋根の葺き替え)に協力し合って従事し、日常生活をする必要があったからだ。そういう緊密な人間関係にあっては、何か非日常的なことをする場合、集団主義の中で生きて来た「共同体の構成員」に声を掛けたり、掛けられたりすることが当たり前の行動パターンとなっていった。このことは、近現代の「町内会」の存在と、そこでの「町内共同・協力活動」にもつながる。そういうことは、「移動民族」として行動し、「個人主義」を奉ずるに至った欧米人にとっては、馴染みのない行動パターンであり、発想であった。

 似たようなことは「酒を酌み交わす」、「差しつ差されつ」という表現が英語にはないことにも言える。日本人は「神の水」である酒を共同体構成員・家族・親戚などと共に「ついだりつがれたり」あるいいは「杯のやりとり」をしながら飲むのが普通であった。欧米人にとっての酒は、基本的に、個人個人が楽しみながら飲むもので、他人から「差される」ことは、ボーイ、ウエイターなどからグラスにワインなどを注いでもらうような場合を除いて、きわめて限られた行為だ。
 イギリスのパブなどでは、様々なタイプのビールを飲むことが出来るが、アルコール飲料は、普通は一人で、自分を相手に飲むものだ。したがって、「酌み交わす」、「差しつ差されつ」という行為は、普通は、見受けられない。
 ちなみに、日本のビール瓶(大瓶;633ml)は「差しつ差されつ」をコップで2回繰り返せるだけの量が入っている(多少余る)。日本酒の場合、1合徳利ならお猪口(ちょこ)で5回の「差しつ差されつ」ができる。日本人はこうして人間関係を深め、強めて来た。これに対して、アメリカ人の飲むビールの瓶は一人用の小瓶が普通だ。それを自分だけのために飲む。

 言語はそれを用いる人々の生活習慣をよく表すから、民族・宗教・風俗習慣・文化などと異なれば、お互いに理解できない、違和感のある表現にぶつかることはきわめて当然なことだ。そのことを知った上で、「英語らしい英語」を使えるようになりたいものだ。

「お誘い合わせの上お越し下さい」と英語対応表現(1)

時々言及する「これって英語でなんて言うの…?」(英語の言い回しの質問に専門家やネイティブスピーカーなどのプロフェッショナルが回答する無料Q&Aサイト)を見ていたら、「『お誘い合わせの上お越し下さい』って英語でなんて言うの?」という質問にぶつかった。それに対して、日本人女性講師とイギリス人女性講師が次のように答えていた。質問文から引用する。

********************
「お誘い合わせの上お越し下さい」って英語でなんて言うの?
今度自宅でたこ焼きパーティーをします。ネイティブの先生に声をかけたいのですが1人では来づらいかと思うので、「よかったら友達と一緒に遊びに来て下さい」と誘いたいです。


◆日本人回答:Please come to my party with your friends.
友達と一緒に来てください。

日本語だと「お誘い合わせの上お越し下さい」ととても丁寧な言い方がありますが、
英語ではシンプルにcomeで「お越し下さい」を表現します。


◆イギリス人回答:Would you like to come to my party? You can bring friends if you like. 
Would you like to come to my party? Feel free to bring friends if you like. 
Would you like to come to my party? You can bring friends if you like.
********************

  以上の通りだが。いずれの英文を見ても、日本語とはズレていることがわかるだろうか。まず、質問の「よかったら友達と一緒に遊びに来て下さい」という日本語の意味と、質問のタイトルになっている「お誘い合わせの上お越し下さい」とでは意味が異なる。前者は文字通り「友達と一緒に遊びに来て下さい」ということだが、後者はこれまた文字通り「お誘い合わせの上」だ。もう一度、質問に対する回答を見てみよう。

日本人講師は「お誘い合わせの上お越し下さい」を「とても丁寧な言い方」と言っているし、たしかにそのとおりだが、大事なことは「丁寧度」の問題ではなく、彼我の発想の違いだ。日本語では「たがいに相談し合って[誘い合って]一緒においでください」と言っている。それに対して、上に示された英文を見れば分かるように、「(よかったら)友人を連れて来てください」と言っている。つまり、「たがいに相談し合って[誘い合って]一緒に来てください」とは言っていない。これはあくまでも彼我の発想法の違い、言語習慣の違いだ。ちなみに、『研究社和英大辞典』の「誘い合わせ」の項には「皆様お誘い合わせの上お越しください Everyone, please be sure to [make the time and] come along.」のような例が収録されている。

「飼い犬に手を噛まれる」という慣用句のこと

暇に飽かせてYouTubeで、山村美紗原作の「京都竜の寺殺人事件」を観ていたら、その冒頭あたりに、メーキャップ係の早乙女春子(山村紅葉)が、仕事仲間の俳優たちに次のように言う場面が出て来た時代劇「春日局」に出演中の有名俳優・村上直人が殺害され、その‟元彼”の野上加奈子(蜷川有紀子)に言及した発言だ

「最近の加奈子さんのヒステリーぶりゆうたら普通やなかったもん。…直人さんとあんじょう行ってへんかったんよ。せっかく育てたのに飼い犬に手を噛まれた言うてはったもん。」

 このセリフに出て来る「飼い犬に手を噛まれる」という慣用句だが、以前にもどこかで書いたような気がするが、この句は「犬」に対して‟失礼”だろう。人間にはいつの世も‟裏切り者” "背信者”はいるが、こと「犬」に関する限り、何の理由もなく飼い主に噛みつくようなことはないと断言できる。飼い主が「飼い犬に手を噛まれる」には噛まれるだけの‟理由””があるのだ。

Happy Family 私は幼い頃から犬好きで、さまざまな犬種を飼って来たし、つい最近まで柴犬5頭を飼うという、いわゆる‟多頭飼い”)もして来たが、その経験を通して断言できることは、信頼と愛情とを掛けて育てた犬たちはどんなことがあっても無闇に飼い犬の手を噛むようなことはしないということだ

 「飼い犬に手を噛まれる」という慣用句がどのようにして生まれたかは知らないが、それを言い出した人は、「飼い犬」に対して噛まれるだけの「悪事」、「いじわる」をしたに違いない。さもなければ、その犬はよほどの病気(たとえば狂犬病)を持った犬のはずだ。犬とは、自分たちの世話をし、自分たちを可愛がってくれる人間に対して、生涯、誠実・忠実に接してくれる動物なのだ。私に言わせれば、「飼い犬に手を噛まれる」という慣用句は犬への‟濡れ衣”以外の何物でもない。

The Tale of Squirrel Nutkin の訳出技巧について(3)

 The Tale of Squirrel Nutkinにはこの種のなぞなぞが(私の見た限り)9か所出てくるが、‟日本語の絵本”として全くの疑問も違和感も抱かずに読み通せるかと言えば、残念ながら、その9か所の全てに訳出上の稚拙さが観られる。原文を知らない日本人でも、「日本語の絵本」として読みながら、「えっ、どういうこと?」と疑問に思うことが考えられる。そういう例をもう1例だけあげておこう。
ところが、ほかのひとのことなど かんがえもしないナトキンは ぴょんぴょんとびは寝、いらくさで ブラウンじいさまのあごを くすぐりながら、こううたいました。

  「ブラウンじいさまに なぞなぞかけよ!
    へいのなかでも ちぃくちく、
    へいのそででも ちぃくちく、
    ちぃくちくに さわったら、
    ちぃくちくは くいつくぞ!」
BUT Nutkin,who had no respect, began to dance up and down, tickling old Mr. Brown with a nettle and singing―

     "Old Mr. B! Riddle-me-ree!
     Hitty Pitty  within the wall,
     Hitty Pitty withoiut the wall;
     If you touich Hitty Pitty,
     Hitty Pitty will bite you!"
 さて、この石井訳で、原文が持つおもしろさ、表現技巧の巧みさは読み取れるだろうか。原文中の nettleがなぜ斜体字になっているかが解かれば、なぞなぞの訳文もそれを反映したものになるはずだ。つまり、これも第1例で示したものと同類の翻訳技術が必要なのだ。(その他、7か所の問題点は省略する。)

The Tale of Squirrel Nutkin の訳出技巧について(2)

cherry石井訳では単純に「小さな あかいさくらんぼのように」と言い、なぞなぞの部分を字面通りに訳しているが、原文の cherry が斜体字になっていることと、なぞなどの文句との関係がまるで解からない。 A little wee man, in a red red coat! とは「真っ赤なさくらんぼう (cherry)」のことであり、さくらんぼうには「軸 (staff)」があり、中には「タネ(stone)」がある。その事実に掛けたなぞ遊びであり、そのためにcherryが斜体字で表れているのだ。訳者・石井氏にはその事実は理解できていたであろう。だが、訳文には、なぞ遊びのおもしろさはほとんどまるで反映されていない。
 私の授業では、その点の解決法について論議し、その実例を示した。さて読者諸氏はどのような解決の仕方を考えられるだろうか。

The Tale of Squirrel Nutkin の訳出技巧について(1)

Squirrel NutkinThe Tale of Squirrel Nutkin (1903)と言えば、著名なイギリス人絵本作家Beatrix Potter (1866-1943) の作品の1つだ。我が国では石井桃子氏が Potter による作品を数多く翻訳している。「りすのナトキンのおはなし」の翻訳の福音館書店版は1973[昭和48]年にその初版を出しているから、半世紀近くも版を重ねて日本人(の子供たち)に読まれていることになる。

 まだ、私が現役の教授の頃、Translation Skills の授業でこの作品を採り上げたことがある。その時の
ノートが‟断捨離”の途中で出て来た。石井訳の「翻訳技術の水準」に言及するために使った版は2002[平成14]年版だ。

 当時、The Tale of Squirrel Nutkin の原典の「おもしろさ」が石井訳ではどの程度反映されているか、
という点から、英日文を比較してみた原文はネット上に多数公開されている)。今、その頃のことを思い出しながら、再度、英日文を比較してみる。
BUT Nutkin was excessively impertinet in his manners. He bobbed up and down like a little
red cherry, singing―

    "Riddle me, riddle me. rot-tot-tote!
     A little wee man, in a red red coat!
     A staff in his hand, and a stone in his throat;
     If you'll tell me the riddle, I'll give you a groat."

Now this riddle is as old as te hills; Mr.Brown paid no attention whatever to Nutkin.
ところが ナトキンだけは、たいへんなまいきで、小さな あかいさくらんぼのように ぴょんぴょん
飛び跳ねながら、こう うたいました。

 「なぞなぞかけた なぞかけた!
  あかいふくきた 小(ちい)さいおとこ!
  つえを手(て)にして のどには小石(こいし)
  このなぞとけたら 1えん しんじょ!」

 さて、これは おおむかしからある ふるい ふるい なぞでした。けれども ブラウンじいさまは、ナトキンのいうことなどには しらんかお。
  おそらく、この石井訳を読むほとんど全ての日本人(の子供たち)は、これといった疑問も抱かずに
この部分を読み通すだろう。 だが、私には少なからず違和感を覚える訳文だ。なぜだろう? (続く) 

A Little Princess (「小公女」)の誤訳例(3)

A Little Princess(「小公女」)の誤訳と言えば、前回言及した終盤の誤訳の少し前にもあった。Minchin学院で下働きをしている Henrietta が、主人公の Sara が隣家(Mr Carrisford 邸)に入ったのを見て、それを Minchin 校長に"報告"するのだが、英語版(1:03:09〜)ではその時、彼女は "I don't like telling tales, Ma'am, and I could be wrong."と言っている。それに対して、その日本語版(1:03:32〜)では「でたらめなんか言いません。ほんとですよ。」となっている。だが、Henrietta が言っていることは、一種の"弁解"で、「先生、ワタシ、告げ口するのは好きじゃないんですよぉ。それにワタシのほうが間違っているかも知れませんしぃ」ということだ。つまり、「でたらめなんか言いません。ほんとですよ。」ではないということだ。
     以上、日本語版と英語版との開幕・終幕あたりの一部を比較してみたが、おそらく丁寧に比較すれば、更に多くの不十分訳・誤訳が見つかるだろう。翻訳者・通訳者の任務はいつも大きく、重い。


A Little Princess (「小公女」)の誤訳例(2)

今度は日本語版の終幕あたりを見てみよう。
 Minchin学院で下働きとして働くBecky (Natalie Abbott) に、Mr Carrisford  (Nigel Havers) の召使いであるインド人Ram Dass (Taria Alikai) が、主人公 Sara (Amelia Shankley) からの手紙を手渡しに来た場面が出て来た。そこで次のような会話が為される(1:09:44〜あたり)

「魔法使いだぁ。」
「いいえ、召使いです。でも喜んでいただければ嬉しいです。」
(Ram Dass がBeckyにSaraからの手紙を手渡す) 
「ワタシに?}
「そうです。セーラ様から。」
(手紙を開封して)
字が読めないのよぉ。代わりに読んで。」

 ところが、この部分の原文を見ると、次のようになっている。

"Are you the magician?"
"No, I am just a servant. But sometimes I have the power to astonish."
"For me?"
"For you, from the Missee Sahib."
"I'm not much good at reading. Can you tell me what she says?"

 両者を比較すれば分かるとおり、But sometimes I have the power to astonish.「でも喜んでいただければ嬉しいです。」と訳したのでは、原文が伝えようとしている"インパクト"がまるで伝わらない。やはりそれなりの力強い訳文を考えるべきだろう。

 また、Becky は Ram Dass に対して「字が読めないのよぉ。代わりに読んで。」と言っている。ところが、この部分は英語版(1:09:38あたり)では、上記のようにI'm not much good at reading. Can you tell me what she says? となっている。つまり、「字を読むのは得意じゃないのよぉ」「字はあんまり読めないのよぉ」と言っていることが分かる。彼女が最低限の字は書けること、読めることは、彼女が Sara の誕生日に、‟針山(はりやま)”を作って贈った際、そこにMENY HAPY RETURNS と刺繍を施したことからも分かる(1939年に放映された Shirley Temple 版では刺繍の文字は MENNY APPY RETURNSとなっている)。このスペリングからも、また劇中の彼女の発音からも彼女が Cockney (ロンドンのEast End地域に生まれ育ったロンドンっ子)という設定になっていることが分かる。
 日本語版だけを見聞きする人には、この箇所に何の疑問も抱かないだろうが、Becky が言っていることは、日本語訳の「字が読めないのよぉ。」ではない。

A Little Princess (「小公女」)の誤訳例(1)

暇に飽かせて、Frances Hodgson Burnett 原著 A Little Princess (日本語版「小公女」)の1986 TV 版を見ていたら冒頭 (9: 27〜)あたりで、主人公 Sara の父 Captain Creweが、娘を預ける Minchin 学院の校長 Miss Minchin と次のような会話を交わす場面が出て来た。

「校長先生、この子は私にとってたった一人の家族です。どうかよろしく。」
「ご安心ください、クルー大尉。妹と二人で実の娘のように大切にします。

 Minchin 校長の「妹と二人で実の娘のように大切にします。」という日本語を見聞きすれば、日本人ならまず間違いなく「実の娘のように」の「娘」は主人公Saraのことだと思うはずだ。ところが、私は英語のオリジナル版も観ていたから、すぐに”おや?”と思った。原文((9:04〜あたり)には次のようにある。

"Yes, Miss Minchin.You'll, um, take good care of my little soldier for me,won't you? She's all I have inthe world."
"Set your mind at rest, Captain. My sister and I cherish these girls as if they were our own daughters."

 Minchin校長が言っていることは、「本校ではわたくしの妹とわたくしとで、生徒たちを実の娘たちのように大切にしています。」ということだ。やはり、そこらあたりのことはきちんと訳文に反映させる必要がある。

慣用句 in shape, in good [bad] shape のこと

大学受験用熟語[慣用句]集には、必ずと言ってよいほど、in shape あるいは in good [bad] shape が収録されている。前者の用例としては、たとえば The cushion is circular in shape.(そのクッションは丸い形をしている) のようなものが、また、後者の例としてはThe old man is in good shape for a person 80 years old.(その老人は80歳にしては元気だ)、I've been in bad shape since the heart operation.(心臓の手術以降、具合が良くない)のような例があがっている。

 じつのところ、のような用法は日常英語でも自然なものだが、のような用い方を冗語的で不自然だと感じる、語感の鋭い英語母語話者も多い。その理由は circular in shape が日本語の「形は丸形」と言うのと同じで、同義的だからだ。circular, oval, squareなど、それ自体に「形 (form)」の意味が含まれている点を見落とすわけにはいかない。したがって、The cushion is circular in shape.はThe cushion is circular.で十分であり、英語としてもすっきりしたものなのだ。

"Thanks to 〜”(〜のおかげで)のこと

日本人好みの英語慣用句の1つに "Thanks to 〜”(〜のおかげで)がある。受験用熟語・慣用句集には必ずと言ってよいほど収録されている。したがって、大学生の多くが、さまざまな場面でそれを使う。たとえば、Thanks to your help, I finished the report on time.(君のおかげで、時間通りにレポートを仕上げた)とか Thanks to the rain,  the crops are doing well this year.(雨のおかげで、今年の作物は実りがいい)とかのような用い方をする。
 だが、日本人が考えるほど、この慣用句は現代的な日常口語表現ではない。とりわけアメリカ口語ではそうだ。普通は With your help, I finished the report on time.とか Because of the rain, the crops are doing well this year.のような言い方が好まれる。日本人学習者はこちらが使えるほうがよい。

  ちなみに、"Thanks to your help"と"With your help"とを Google検索に掛けると、粗数字で、前者が約21,100,000件、後者が約82,000,000 件ヒットする。単純に言えば、後者の言い方のほうが前者の4倍近くの頻度数になる。
 
 ちなみについでに言えば、今から30年以上も昔、某大学院の院生たちが"Thanks to 〜”の話をしていて、「そう言えば、Thanks to 〜という言い方はあっても、"No thnaks to 〜"という言い方はないね」と言っていたことがある。同席していた院生たちはみな同じ意見だったが、"No thanks to 〜"という言い方は存在するのだ。たとえば、I planned the program on time, no thanks to you.(僕は、君の助力なしに、時間に間に合わせてその計画を立てた)のような言い方がそれだ。だが、この言い方も、やはり非日常口語的で、普通は Without your help, I planned the program on time.のような言い方をする。院生たちにはそのように説明した。くどいほど書いてきたが、大学受験用熟語・慣用句集には、「日本人の英語を不自然に響かせるもの」が極めて多い。つまり、「英語の熟語・慣用句を暗記し、知ってはいても、それらの日常的用法のTPOを知らない」のだ。

「奇しくも」、◎「くしくも」、×「きしくも」

暇に飽かせて山村美沙原作の「京都怪奇伝説殺人事件」をYouTubeで観ていたら、その第2部の最後あたりに、狩矢警部 (横内 正)が麻生夕子 (東ちづる)と田村竜平(大鶴義丹)に向かって、次のように言う場面が出て来た。
「石田みどり (森下涼子) さんの遺体がで発見されました。8年前の平家伝説殺人ツアーは8年後の橋姫伝説殺人、奇しくも二つの伝説が舞台となりました(以下略)」
conste 私の耳を刺激したのは、狩矢警部が「奇しくも」「"き"しくも」と発音したことだ。「奇(く)しくも」「奇(き)しくも」と発音する人は少なくない。おそらく「奇妙(きみょう)「奇(き)の発音に影響されたものだろう。だが、これは、伝統的・慣習的には「"く"しくも」と発音する。語源が「不思議だ」、「霊妙だ」の意の「奇(く)し」だからだ。文部省唱歌歌「冬の星座」(ヘイス作曲・堀内敬三訳詞)出て来る「木枯らしとだえて/さゆる空より/地上に降りしく/(くす)しき光よ/ものみないこえる/しじまの中に/きらめき揺れつつ/星座はめぐる」「奇(くす)しき」も同語源だ。ちなみに「薬(くすり)も同語源で「奇(く)すしきもの」のこと。ついでに言えば「奇(く)し師」と言えば、「医者、薬師」のことだ。

「入学式ぶり」?

YouTubeでANNニュース(2020/06/01)を観ていたら、東京・葛飾区の某小学校で、今年大学を卒業して、小学校教諭になったばかりだという若い女性が、担任クラスの新1年生に向かって、「先生とは入学式ぶりですね」と言った。「入学式ぶり」? 私には違和感のある語法だ。私にとって、「〜ぶり」という接尾辞は、「3か月[3年]ぶり」、「しばらくぶり」、「久しぶり」などというように、‟時間を表す語”と共に用いるもので、「再び同じ状態になるまでに、それだけの時間が経過した」という意味を持つものである。したがって、(この児童たちにとっての)「入学式」という、「再び同じ状態になることのない」‟一過性の儀式”とは結び付かない。私なら、「先生とは入学式以来ですね」とか「先生とは(4月に入学して以来)、3か月ぶりですね」とかのような言い方をする…。

ローマ人とユダヤ人の夜警区分 (night watch)

聖書ここでは the King James Version ) の「マタイ伝」(Matthews) 第14章25節に次のような個所がある。

And in the fourth watch of the night Jesus went unto them, walking on the sea.

 この the fourth watch of the night という言い方は「マルコ伝」(St Mark) の第6章48節にも、次のように出て来る。

And he saw them toiling in rowing; for the wind was contrary unto them: and about the fourth watch of the night he cometh unto them, walking upon the sea, and would have passed by them.

  この the fourth watch of the night の部分は英語訳聖書の種類によって訳出が異なっている。第14章25節の箇所だけに言及すれば、「意訳」だと理解されている版によると、以下のように、大いに「自由訳」になっているKing James Version は「逐語訳」だといえる

New International Version
Shortly before dawn Jesus went out to them, walking on the lake.

New Living Translation
About three o’clock in the morning Jesus came toward them, walking on the water.

Good News Bible
Between three and six o'clock in the morning Jesus came to the disciples, walking on the water.

Weymouth New Testament
But towards daybreak He went to them, walking over the waves.

Holman Christian Standard Bible
Around three in the morning, He came toward them walking on the sea.

Contemporary English Version
A little while before morning, Jesus came walking on the water toward his disciples.

 ちなみに、この2文に対する日本聖書協会『聖書』(1973)の日本語訳は次のようになっている。

「イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らのほうへ行かれた。」

「ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、そのそばを通り過ぎようとされた。」

roman  これに対して、Good News Bibleを使った『聖書―和英対照 新共同訳』(2011)では、英語は共に between three and six o'clock in the morning だが、その箇所の日本語は「夜が明けるころ」となっている。
 
the fourth watch of the night を直訳すれば、「第四(番)の夜警」となる。だが、これでは一般人にはその意味が分かりにくいだろうという判断から、各英語訳聖書も、日本語訳聖書も the fourth watch of the night、「第四(番)の夜警」という表現を避けたのかも知れない。個人的には、King James Version が一番のお気に入りだ。

 じつは、聖書の時代のローマ人は夜を四区分して、夜警をしていた。次のとおりだ。

(1)6:00 P.M. 〜9:00 P.M.
(2)9:00 P.M.〜Midnight
(3)Midnight〜3:00 A.M.
(4)3:00 A.M.〜6:00 A.M.

 したがって、「第四(番)の夜警」は、「夜明けの四時ごろ」という訳語が指し示す時間帯よりも幅が広い。
 ちなみに、ユダヤ人は夜警を三区分していた。次のとおりだ。

(1) Sunset〜10:00 P.M.
(2)10:00 P.M.〜2:00 A.M.
(3)2:00 A.M.〜Sunrise

 以前、この夜警区分法に気づかなかったために起きたと思われる誤訳例を見たことがある。この点、翻訳者・通訳者はとりわけ心したい。

Henry Spencer Toy の名言

It is by study that we become contemporaries
                          of every age and citizens of the world.

 これは私が大学院1年生の頃、古言事典だったか名言事典だったかで覚えた名言だ。日本語にすれば「あらゆる時代の友と成り、世界の市民と成るには、ただ研学によるなり。」となる。この言葉がいったいどれだけ私の研究心を旺盛にしてくれたことだろう。
 後日、古言や名言を収録している事典を2、3点調べてみたが、出典・作者については疑問符(?)が付されているだけだった。

Toy ところが、その出典が、最近解った。インターネットの時代とは恐ろしいものだ、というよりも脅威的働きをしてくれるものだ。Internet Archiveで調べてみると、この一文がHenry Spencer Toy: An Ancient Borough of Helston: A Short History and Survey  (1912) の Preface に出てくることが解った。Henry Spencer Toy(1889-1980)は England の Cornwall 出身の科学者・物理学者、戦時中は王立工兵連隊軍事掛少尉として活躍した人のようだ。

 今、Internet Archiveで Public Domain (著作権消滅書籍)として、私の検索に掛からなければ、私は若き日に出合ったこの名言の出典を知らないままでこの世を去っただろう。ちなみに、Toy が学んだ大学は(私も学んだことのある)Universit College Londonで、専攻は科学・物理学だ。大学院は Bristol Universityに進んでいる。

 それにしても、今の若い人たちは本当に幸せだ。私が何十年間も探して見つからなかったものが、ネット検索に掛ければ、瞬時と言ってもよいほどのわずかな時間で、その原典に行き着くことができるのだから。

succeed inという、日本人好みの英語慣用句

successかつて我が同僚で我が英作文の師であったLeo G. Perkins教授、それと同じく同僚であった親友・William West教授が口を揃えて言っていたこと、それは「日本人(英語教師・生徒・学生・ビジネスピープル等)はsucceed in -ing という慣用句を頻繁に使うが、そのほとんどはおかしく響く」ということだ。二人はそれを"Japanized Englsh"と呼びさえした。

 具体的には、He succeeded in passing the entrance examination for X University.(X大学の入学試験に無事合格した)というような言い方だ。私には日本人がなぜこの慣用句を好むかの理由がわかるから、日本人の立場から、そのことを弁明しておいたが、二人はそれを聞きながら微笑んでいた。

 昨今では事情はだいぶ異なるが、かつては日本人高校生にとって大学入試は「地獄門」であった。「受験地獄」という言葉さえ日常的に聞かれた。したがって、その「門」を潜り抜けられたことは"success"なのだ。それがそのまま He succeeded in passing the  entrance examination for X University.という言い方に反映したのだ。英語圏の人々の耳目には He passed  [got through] the entrance examination for X University.だけで十分な情報だ。彼我の大学では、入試制度が異なるから、英語圏ではむしろ He was accepted  [has been accepted ] by X University.のような言い方のほうがよく通用する。

singular to say(妙な話だが)という慣用句

多くの大学受験用の熟語・慣用句集に収録されている句の1つに singular to sayがある。訳語としては「妙な話だが」が上がっている。用例としては、たとえばSingular to say, I have never seen Mr. Fuji.(妙な話だが、私は一度も富士山を見たことがない)のようなものが考えられる。受験生は‟必死になって”こういう句を暗記するだろう。だが、私は過去に一度も周囲の”ネイティブスピーカー”がこの句を使うのを耳にしたことがない。そこで我が親しき同僚で、我が「英作文の師」 Leo G. Perkins教授に教授の生前(当時70歳位)に尋ねてみた。氏はこの句に対して"Very very unnatural and very very uncommon. I have never heard a native English speaker use this expression. We use:"strangely, " or "you might not believe it, but..."と答えて下さった。

 我が国の文部省(当時)の英語教科書調査顧問として、我が国の英語教育・教科書作成の大恩人Perkins氏でさえも「周囲の英語母語話者が使うのを一度も聞いたことがない」というようなものを‟後生大事に”収録し続ける熟語・単語集の罪は大きい。そういう稀な句を覚えておかなければ合格できないような英語入試問題を作成する大学があれば、それはもちろん出題者側の罪だ。英語国民の日常英語はもっと平易なものから成り立っているのだから、そういうものを覚え、使え、解釈できる英語力を養うべきだ。 

 英語の奥は(日本語の場合と同様)きわめて深い。明治の英語の「豪傑」、斎藤秀三郎でさえ、死ぬまで勉強を続けたし、平素「斯の道の為に、斯の言葉のために、何人かその全力を尽くさざる」と言っていた。また、斎藤は口癖のように「天国に行ってからも英語丈は勉強するよ、人間が此世で成し遂げる事が出来る仕事って高の知れたものさ」と語っていた。日本人英語教師は、英語教員免許を取った、その時の「英語力」のままで、外国語としての英語を教え続けては絶対にいけない。

非日常口語的な慣用句(in token of)のこと

大学受験生なら必ずと言ってよいほど学ぶ[学ばされる]慣用句の1つに 「in token of [前]のしるしに」がある。その用例としては、たとえば I would like to give you this present in token of my gratitude.(感謝のしるしとしてこれをあなたに贈ります)/We gave John a gold watch in token of appreciatiom for his servces.(我々はその功労への感謝のしるしとしてジョンに金時計を贈った)のようなものがあがる。
 だが、この慣用句は堅く、事務的で、冷たい感じのするものだ。しかも、gratitude, appreciationというような大げさな語と共起することが多い。よそよそしい感じを避け、友好的であることを示すには、具体的にThank you for …と言って感謝するほうがよい。This is just a small gift. Please accept it. (ささやかなものですが、どうぞお受け取り下さい)というような言葉を添えることもできる。

 いつも言うように、いくら数多くの英語熟語・慣用句(表現)を覚えても、それが「使える英語」として身に付き、「適時」、「適所」で口をついて出て来なければ、学習した意味がない。大学入試英語問題の素材としての熟語・慣用句には余りにも多くの‟非日常口語的”なものが含まれている事実は驚くばかりだ。文科省を筆頭に、(中学)高校英語教師、大学入試問題作成者(教授・准教授・専任講師)、予備校英語講師、その他、全ての英語関係者(たとえば出版社)の責任は大きく、かつ重い。
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2005 [平成17]年2月11日開設
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