in my heart of heart と in my heart of hearts

Weblio辞書 英和辞典・和英辞典を見ていたら、
「in one's heart of heartsとは
【主な意味】心の(奥)底で、心ひそかに、実際は」
 という文字が目に飛び込んで来た。すぐその下には
研究社 新英和中辞典での「in one's heart of hearts」の意味
▶in one's heart of hearts
アクセント in one's heart of hearts
心の(奥)底で; 心ひそかに; 実際は 《★Shakespeare 「ハムレット」から》.
とあった。気になったのはin my heart of heartとあったことだ。Hamlet の原文を見ると (3.2.66-69)、
Give me that man
That is not passion’s slave, and I will wear him
In my heart’s core, ay, in my heart of heart,
As I do thee.
となっている。だが、現代英語ではいつの間にか、in my heart of heartin my heart of hearts になっている(Show me the person who’s master of his emotions, and I’ll put him close to my heart—in my heart of hearts.)。

 したがって、厳密に言えば、 《★Shakespeare 「ハムレット」から》と書くことは正しくない書き方だ。

“go to Bath”のもう1つの意味

bイギリスのブライトン (Brighton) に英語研修に行った学生の一人(女子学生)が面白いメールをくれた。要所だけ引用する。

今ホームステイしているうちのおじいちゃんが、私が先生から行くようにと勧めていただいたBath のことで、“I think I'd better go to Bath.”と言った時、ちょっと笑いました。別に笑うところでもないと思ったのですけど、私の気のせいでしょうか。それとも私の英語がおかしかったのでしょうか。正直、よくわかりません。

 私はその場にいて、その“おじいちゃん”の顔の表情を見ていたわけではないので断言はできないが、笑っていたとしたらそれはひょっとすると次のことと関連があるかも知れない。ということで、次は私が出したその女子学生への返事だ。

ひょっとすると、あなたが言った I'd better go to Bath. から、その老人はあなたが「(私は頭がおかしいので治療のためにBath に行かないといけない」と解釈を広げたのかも知れませんね。Bath市は「湯ぶね、おふろ」の意味のbathの語源になった有名な所ですが、昔は精神を患った人たちはここの鉱泉水(mineral water) を飲むとよいと言われました。日本人が冗談で「都立M病院に行ったほうがいいよ」と具体的な病院名をあげることがありますが、それに似ています。確信はありませんが、たぶん古いイギリス口語のgo to Bath を連想したのではないかと思います。勉強のためにご当人に聞いてみることを勧めます。「聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥」と言いますから。

 ちなみに、昔はしばしばYou had better [ought to] go to Bath and get your head shaved.と言ったようだ。 Bath の温泉に入って、頭を丸めて鉱泉水を飲むと精神の病が治ると信じられたところから出た慣用表現だろう。

【後刻記】某英和大辞典には「《英》[通例命令形で]二度と顔を見せるな!」とあるが、これは go to Bath という慣用句の半分程度の意味を言い当てたものだと思う。なぜなら、これは「たわけた [馬鹿な] ことを言うな!」の意味でもあるからだ。要するに、「おまえ、頭がおかしいんじゃないか? (治療のために)Bath に行って来い!」という含みが底流にある慣用句だと考えられる。文脈によっては、「富裕な湯治客の多いBathに行って乞食にでもなれ!」 という意味にもなる。

アングロサクソン人と結婚指輪の話

rアングロサクソン人の時代の話だが、結婚指輪 (marriage ring) は式を挙げる日までは花嫁の右手の指にはめられていた。式場で(=神の前で)花婿はその指輪をまず花嫁の左手の親指の先に軽くはめ、続いて人差し指の先に軽くはめ、B海い中指の先に軽くはめ、ず埜紊法現代のように薬指にしっかりとはめた。最初の3本の指は《三位一体》(the Trinity)、換言すれば《神 (God) 》を意味する。すなわち、薬指は《神の隣り (next to God) 》ということだ。

 日本人の多くはその意味を知らずに、ただ、結婚式では指輪をはめるものと思い込んでいるようだが、 元来は「財産・所有物の移動」(a transfer of property) を意味し、《神の隣り》に行くことを意味する“神聖”な、換言すれば“侵しがたい”行為なのだ。
 

Adam の最初の妻 Lilith のこと

Adam の妻は Eve、これが一般に知られている二人の関係だろう。だが、ユダヤ伝説によれば、Adam には Lilith Lilisとも綴る)という名の先妻がいた。Adam に逆らうことが多く、彼のもとを追放され、《悪魔の母》となり、今に至っているようだ。人間、とりわけ新生児に対する憎悪が激しく、「新生児を攻撃する女の悪霊」としても知られる。そのために女たちは寝室にはAdamEve の名、それにAvaunt thee, Lilith! (リリスよ、汝は去れ!)の文字の付いたラベルを貼った4枚のコインを寝室の四隅に置いて身を守っていると伝えられる。ちなみに、「子守唄」の意味の lullaby はラテン語の Lilla, abi. すなわちLilith, avaunt. (リリスよ、去れ)に由来すると言われる別の説もある。ゲーテ(Goethe) の『ファウスト』(Faust )「ヴァルプルギスの夜」(Walpurgisnacht; Walpurgis Night)には有名な魔女として登場している。

英語の不要語句のこと

学生の英作文を添削していて頻繁に目にする英語の一種に“不要語句”がある。たとえば、about twenty or thirty students という言い方。この場合のabout は不要だ。completely finished [eliminated] の場合のcompletely も不要。round [triangle] in shape のin shape も不要。three different views の different も不要。red in colorのin color も不要。
 その理由はちょっと考えれば分かるだろう。 about twenty or thirty students の場合のabout はor に含まれているし、completely finished [eliminated] の場合は finished, eliminated 自体にcompletely の意味が含まれている。round [triangle] in shape のin shapeは明らかに“あらずもがな”だ。three different views のdifferent も同様だ。
 こういう英語表現に類似のことは日本人が日本語でもやっている。上のそれぞれの英語表現を日本語に訳せば、我々がそのまま日本語で書いたり話したりしているものだ。「およそ20人か30人」、「完全に終了した[削除した]」、「形が丸い[三角の]」、「3つの異なった見解」など、日常的に見聞きする日本語だ。だが、英語の場合同様、修正可能なものばかりだ。こういう“冗長”な表現になるのは《強調》したいからだろう。だが、そうすることが適切な場合を除いて、多くの場合は回避するほうが無難だ。

『黒馬物語』の著者 Anna Sewell の発音

annaイギリスの女性作家Anna Sewell (1820-1878)は、生涯唯一の小説で、しかも広く読まれることになり、映画化もなされたBlack Beauty: The Autobiography of a Horse の著者だ。我が国では『黒馬物語』(くろうまものがたり)として知られる。翻訳も何点か出ている。
 問題は彼女の姓のSewell のカタカナ表記だFirst  nameであるAnna の平仮名の書き方にも問題はあるが、今ここではそれには触れないこちらの下方を見れば分かるとおり、「アンナ・スウエル」、「アンナ・シューエル」、「アンナ・シュウエル」の三種類を目にすることができる。どれが一番原音に近いだろうか。それとも、いずれも正確なカタカナ表記とは言えないのだろうか。その答えを出してくれる動画がこちらにある。便利な時代になったものだ。

“Please, tickets!”と“Tickets, please!”

tあるところで、入場券を確認していた20代後半から30代前半の男性(日本人)が、外国人男女に向かって、“Please, tickets!”と言っているのを耳にした。「チケットをお願いします」のつもりだろう。だが、英語では“Please, tickets!”とは言わずに“Tickets, please!”の語順になるのが普通だ。この間違いを犯す日本人学習者が少なくないようだ。

私の頭に乗ったウミネコ

c2t人間たちが海鳥たちに意地悪なことをしない限り、彼らは人間たちに強い警戒心を持たず、したがって人間たちをあまり恐れない。昨日、1羽のウミネコが私の頭、具体的には左の写真(“自撮り”)で分かるように、帽子をかぶった私の頭の上にとまった。

 潮が悪かったのだろう、昨日の午後は魚の喰いつきが悪く、いつものような、ウミネコたちに与える“獲物”は午後4時半頃までなかった。そのためか、“シビレ”を切らした(らしい)ウミネコが私の頭の上にとまってエサを要求し始めた(?)のだ。しようがないから“青イソメ”をやったら、美味しそうに食べた。おそらく7、8匹は食べただろう。 
 午後5時半頃まで私の竿先の海上に浮かんでいたが、大きな海タナゴが6匹釣れたので、「お待ちどうさま」と言って、そのウミネコにも1匹分の魚肉を与えた。食べ終わったあと、仲間たちとどこかへ飛び去って行った。どこへ帰って行ったのだろう。

***************************

 昼頃、私が我が《愛艇》に行くと、すでに隣の船のオーニングの上にいつものウミネコが1羽とまっている。そのオーニングがキャンバス生地だ(と思う)から、ウミネコにとっては足が滑らず、居心地がよいのだろう。その点、我が《愛艇》は全てFRP製だからキャンバス生地に比べて今一つ居心地がよくないのかも知れない。お陰でウミネコたちの“フン”で、そのオーニングはかなり“白く”なっている。強い雨が降れば、その雨が白くなった部分を洗い流してくれるから、自然はありがたい。

***************************
 
 別所でも何度か書いたことがあるが、幼い頃から私は海と海釣りが大好きだ。こうしてウミネコを初め、海鳥たちを見ていると、今から60 数年前にも同じようなことをしていたことを想い出す。《准高齢者》になってなお、童心を失っていない自分がそこにいることを知って、正直なところ、胸がキュッと締め付けられる思いがした。 

「口先三寸」と「舌先三寸」

暇に飽かして、YouTubeで土曜ワイド劇場「再捜査刑事・片岡悠介」を見ていたら、若い刑事が次のように言う場面が出て来た(07:26あたり)。
勤務先の銀座オードリーは政財界の重鎮も通う高級店ですが、末次アカネは口先三寸、まるで結婚詐欺師のように客の間を泳ぎ回り、かなりの金銭を貢いだ客も多かった…
y 問題は「口先三寸」という言い方だ。これは「舌先三寸したさきさんずん」あるいは「舌三寸」が伝統的・慣用的表現だ。一寸は約3センチ。三寸は、したがって、約9センチ。“舌の先”、約9センチの範囲で物事を処理することを形容している。つまり、人をうまく丸め込むのに《口先》だけでよいと言うことだここから「口先三寸」という言い方が生まれたのだろう。本ブログの2012年09月21日の記事「国語に関する世論調査」でも言及したが、昨今では伝統的・慣用的表現の「舌先三寸」よりも“誤用法”の「口先三寸」を用いる人が多い。いつも言うように「誤用法、みんなが使えば正用法」ということなのだ。

【付記】「押しも押されぬ」という誤用法が正用法の「押しも押されもせぬ」を圧倒している点に関してはこちらこちらこちらこちらを参照。 

Swan Upping(白鳥調べ)のこと

イギリスに英語研修に出かけたかつての教え子・WM子さんが年賀状をくれた。その中に次のような一文があった辞典名として特定の英和大辞典名があがっていたが、ここでは某〜としておく
「ホームステイ先で"Swan Upping"という言葉を教えてもらいました。早速持って行った電子辞書搭載の某英和大辞典でそれを引いたみたところ、『ハクチョウ調べ《イングランドThames川で王室所有の白鳥のひなのくちばしに印をつける行事》』とありました。とても勉強になりました。」
 私は同辞典の定義をみて驚いた。記載してあることが全くの誤りだったからだ手元の英和辞典の参考記事・解説等を確認してほしい

s 1471年以前は、テムズ川の白鳥は全て国王のものだった。それが1472−83年の間にブドウ酒醸造人組合(Vintners')に、1473年には染色人組合(Dyers')に、それぞれ飼育許可が与えられた。毎年7月(通例第3週;この頃ヒナは生後2か月位)、London Bridgeから上流のHenley-on-Thamesの間にいるヒナを引き上げ(swan upping)て、所有者を明らかにするためにくちばしに刻み目を付けた。ブドウ酒醸造人組合のものはクチバシの左右に各1つ(現在は両足に各1個の足環 [タグの場合もある]染色人組合のものはクチバシの片方に1つ現在は片足に1個の足環 [タグの場合もある]国王所有のものは無印である。したがって、上記英和大辞典の記述は完全な誤りとなる。王室所有の白鳥のひなのくちばしに印をつけることはないのだ。

【後刻記1】ネット上の “Do all the swans belong to the Queen?”という問いに対する回答。
The only two companies that still observe the tradition of owning swans on the Thames are the Worshipful Companies of Vintners and Dyers. The Royal swans are no longer marked, but an unmarked mute swan on the Thames is regarded as belonging to the Queen by default.
【後刻記2】参考動画⇒Swan Upping on the River Thames 

初夢、松の内、サビキ釣り

今年の初夢は亡き妻の夢だった。「あなた、ちゃんとご飯を食べてますか?」 妻は開口一番、私にそう言った。亡くなる前の痩身(そうしん)の妻だった。「うん、何とか毎日食べてるよ。でも独りの時はやっぱり寂しいし、何を食べても味気ないね。」 私はそう応えた。
 妻が居なくなって、もう7年4か月も経つのに、私の空虚な心は妻を火葬に付した頃のままだ。まず間違いなく、残りの人生をこの心情のままで過ごすのだろう。もちろん、私はそれを仕方がないことだと思っている。

 『春秋左氏伝』に「事死如生礼也」と出て来るが、これが私の妻に接する時の信条だ。「死者に仕える時も生者に仕えるようにするのが礼儀である。」という意味だが、私が常々言う「死してなお、生けるが如く」の発想のもとになった教えだ。魯迅もどこかで、「死者が生きている者の心の中に埋葬されぬならそれこそ本当に死んでしまう。」と言っていたはずだ。
 また、『易経』には「従一而終也」と出て来る。これは、「婦人は一人に従いてその生を終わるべきものなり」という意味だが、私は「婦人」を私に置き換えて、妻への節操を守る覚悟で今日に至っている。

忘れんと思ふ心こそ、忘れぬよりも思ひなれ―謡曲・綾皷・天皷      
一樹の下に住みて、同じ流を渡るも、この世一つの事ならず―平治物語巻三 

s3 
正月は元日から1週間、毎日、我が《愛艇》に通い、昼間はそこで過ごした。マリーナ内では釣り、特に投げ釣りとルアー使用は禁止されており、そういう釣り人がいると監視カメラがそれをキャッチしてマリーナ内に禁止放送が流れるが、自艇の縁(へり)に垂直に垂らすサビキだけは“大目”に見てくれているようで、マリーナ従業員・警備員の咎(とが)めはなく、禁止のための放送も流れない。心臓手術をしてからの私は一人で東京湾に出ることに危険性を感じるし、ニトログリセリンを常時手放せない状態だから、自艇でそのサビキ釣りだけを楽しんでいる。それでも結構な魚種が釣れる。海タナゴs5、メバル、カサゴ、ソイ、キス、アナゴ、ウナギ、ボラ、ヒラメ、アジ、コチ、ヒコイワシ、エイ(これが一番重くて厄介な存在)などがサビキに掛かる。最近は大きな海タナゴがよく釣れる。この魚を好まない釣り人が少なくないが、私はこれを刺身にして青ジソドレッシングをかけて食べるのが好きだ。先日は二夜大きなアナゴを釣った。かば焼きにして食べたが、じつに美味かった。残念だったのは2日続けて、3、4万円もするリールを竿ごと海中に持って行かれてしまったことだ。まず間違いなく、大型のボラの仕業だろう(それからは竿に紐をつけるようになった;専門的には《尻手ロープ[ベルト]と呼ぶ)。息子からはだいぶ油を搾(しぼ)られた。

 毎日通う私に一羽のウミネコがなつくようになった。羽の色から推測して幼鳥と成鳥の間ぐらいだろう。最初は隣の船のオーニング(こちら参照)にいたが、その後、私の竿先(上写真)に来るようになり、今では我が《愛艇》のスクリューエンジンの上にやって来て、そこで私が与える魚肉を待つようになった(右写真)。可愛いものだ。

Die natur ist die beste  Lehrmeisterin.―Ein Deutsche Sprichwort
    (自然は最良の教師である―ドイツの諺) 

謹賀新年


Fuji

謹賀新年

本年も宜しくお願い申し上げます。

 皇紀2677年

平成29 [西暦2017] 年

元旦

山岸 勝榮


                          間正月休暇をいただきます。

今年も暮れて行く…

soba今年も今日で終わりだ。子供の頃は、今夜、つまり大晦日の夜が本当に楽しかった。《年取りの晩》と言って、大御馳走を用意して、父母を中心に家族全員(年によって異なったが、10人から13人の家族)が揃って1歳年を取った。正月も、当然、ワクワクしながら迎えた。

 今では大晦日も正月松の内もあの頃の興奮に包まれることはない。一休宗純ではないが、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」というのが正直な気持ちだからだ。謡曲の「何事も報いありける憂世かな」を痛感し始めたとも言える。

 何度も書いたことだが、今年の4月末以降は私にとって“九死に一生”を得るという、まことに大変な月日だった。心臓手術のために開胸した痕と、左足の30センチほどの手術痕を見るたびに、執刀医・I 医師 を初め、何人もの医師・看護師のみなさんへの感謝の気持ちが強くなる。ただ、毎日、飲む9種類の薬の副作用に悩まされる点がつらいところだ。

 話は明日から松の内の7日間のことに移るが、日本人であれば、 老若男女だれもが「おめでとうございます)」を言い合う。今でこそ、この言葉は慶事の際であれば、誰に対して使ってもかまわないものになっているが、本来は自分よりも上位者・長上者に対して使う「寿詞吉言よごと」だった。正月に関して言うなら、それは旧年に弱ってしまった霊魂を理想的な元の状態に戻すことを祈るための言葉だったのだ。歴史的慣習は別として、弱ってしまった相手の霊魂を再び奮い立たせるために「おめでとうございます)」と言い合うのは大いに結構なことだ。読者諸氏には来年が実り多い一年でありますように。

wether のこと

w某所で、左の写真のような、wether という誤綴りを見た。一見して、つい笑ってしまった。wether は「去勢した雄牛[山羊]」という意味だからだ。もちろんこれはweather と綴るべき語だ。この2語の綴りと、もう1つ whether は、みな発音が同じであるためにと言ってもwhether の発音の冒頭に /h/ 音が入ることもあるが)、英語母語話者でも綴りを間違えることがあるシロモノだ。

【参照】私による、こちらの記事も読んでいただきたい。

「健康の欠けたる者は万事に欠く」という真実

ch2英語の古い諺にHe that wants health wants everything.というのがある。今から30年近く前に教えた大学1年生のW君がこれを「健康を欲しがる者は全てを欲しがる」と訳した。want =欲しがる、(ほっ)する」と棒暗記した結果そういう訳になったのだろう。もちろんこれは“誤訳”であって、正しくは「健康の欠けたる者は万事に欠く」ということだ。

 私がここで言いたいことはその諺の信憑(ぴょう)性、真実性だ。「健康の欠けたる者は万事に欠く」 とは、我々がもっと日常的に意識しておいて差し支えないことだ。それを痛感したのは、5、6月に二度の入院を経験した時だ。生きている実感がしない、何も食べる気がしない、体がいうことをきいてくれない、物事を前向きに考えることができない等々、まさに「ないない尽くし」だった。7年3か月前に先立った妻の場合、その絶望感、恐怖感、孤独感といった感情はたとえ夫である私にも分からないほど深刻なものだったろう。

 人間、生きて行くためには《カネ》が必要だ。だが、いくら《カネ》があっても、健康の有用性、有り難さには敵わない。昔、食道癌で死んだ某財閥の主が、「私におかゆを1匙すすらせてくれる医者がいたら私の全ての財産を与える」と言ったそうだ。莫大な財力をもってしてもおかゆ1匙もすすることが出来ないのだ。だから、病気一つしない人、健康で毎日を過ごしている人はそれだけで何物にも代えがたい幸せに恵まれていることになる。今年も終わって行く。 私の人生も終わりに近づいている。ハムレットではないが、All that lives must die.生あるものは全て死なねばならぬ)ということだ。

「輪ゴム」と「ゴム輪」

waYouTubeで渥美清主演の映画「特急さくら号「車掌」 〜上野➡佐世保・長崎〜」を見ていたら、妻が作った弁当の中に《輪ゴム》が入っているのに気づき、「どうしてゴム輪が入ってるんだぁ」と嘆息するところがある(06:00辺り)。私は個人的には《輪ゴム》と言ったり書いたりしているが、渥美清の台詞のように《ゴム輪》という人もいる。Googleで単純検索すると《輪ゴム》が約3,140,000件、《ゴム輪》が約103,000件で、圧倒的に前者のヒット数が多い。両語が同義の場合もあるが、後者のほうが多義的である。『デジタル大辞泉』で前者を見ると、「輪状のゴムバンド。ものを束ねたり、包装したりするのに用いる。」、後者を見ると、「[悗砲覆辰討い襯乾爐劼癲N悒乾燹ゴムバンド。⊆嵶悗粒安Δ砲呂瓩植傭得ゴム。また、それをつけた人力車。」となっている。すなわち、前者には後者のの意味がない。《ゴム輪》の単純検索によるヒット数の中にはの意味のものも含まれているはずだから、実際には《輪ゴム》と同義の《ゴム輪》の用例はもっと少ないだろう。さて、あなたは《輪ゴム》派だろうか、それとも《ゴム輪》派だろうか?

次の英語教科書の英文に加除修正を施しなさい。

古いノートを整理していたら、私が法政大学から明海大学に移籍したばかりの頃(1988年、昭和63年)に作った1冊が出て来た。同僚になり、その後、私の“英作文の師匠”となったLeo G. Perkins 教授が私に第1回の“宿題”(【注】参照)として出してくださったものを記載したものだ。氏は当時、文部省英語教科書調査顧問(正式名称は不詳)をしておられたから、現存する中学生用か高校生用の英語教科書の一部に違いない(たぶん後者の1年生用だろう)。そのコピーを私に下さって、「語感の鋭いネイティブスピーカーはこういう英文は書かないのだが、どこが不自然で、それをどう書き換えたらよい英文になるか考えてほしい」と言われた。以下の英文がそうだ。
Lucy begins to read her report in front of the class.
Lucy: Woolworth was the son of a poor man. One day he went into a big store to buy a birthday present for his mother. People laughed at him because he had only five cents. "Well, I will have a store of my own some day," he said to himself. "In my store, a man with  five cents will be as important as one with a hundred dollars." Today his stores are found in most of the big cities. They've become important stores in the country.
  私はこの“宿題”で、当時、Perkins 教授からA 評価をいただいた。教授によれば、たったこれだけの長さの英文の中に“19 か所"もの問題点が含まれているそうだ(つまり、全ての行に何らかの問題が含まれていることになる)。教授は、「某国立大学の某日本人教授が『この英語教科書は理想的な英語で書かれている』と絶賛しているが、それはとんでもない誤解だ」と私に言われた。旧山岸ゼミ生(特に、レベルの發った《特修生》諸君)への宿題としたいので、どこにどんな問題が潜んでいるか考えてみてほしい。

【注】この第1回の“宿題”から、同教授が退職なさった1998年(平成10年)3月末までの10年間、夏休み・冬休みを除く毎週、英作文の宿題を出していただいた。苦しい作業だったが、同時に楽しい作業でもあった。同教授のWritingの授業にも、私の授業がある時を除いて、出来る限り出席させていただき、聴講させていただいた。

How is this called in English?という言い方

スパムメールのことを調べていたら、偶然、中国人が書いたらしい How is this called in English? という英語に出合った(こちら)。これは日本人を含めて、非英語国の人たちが英語を話したり書いたりする場合にしばしば出て来る言い方だが、標準英語では普通、What is this called in English? のように言う。How 〜? を用いたいのであれば、How do you say this in English? のような言い方が普通だ。誤用例 How is this called in English? が見られるURLを3例だけ挙げておく。

https://in.answers.yahoo.com/question/index?qid=20110110122032AA5NR5Z
http://www.synthzone.com/forum/ubbthreads.php/topics/101535/all/How_Is_This_Called_in_ENGLISH
https://www.instagram.com/p/BMqmLUpB-1T/

 

マンホールの蓋(ふた)の文字のこと

m1xm2xm4xm6xm3xm5xmanx  





  
先日、散歩からの帰り道のことだ。顔見知りの小学4、5年生5、6人がマンホールの蓋を見ながら何やら話をしていた。近くに行って、「どうしたの?」と聞くと、「おじさん、《うすい》ってナニ? なにが《うすい》の?」と私に聞いて来た。「なにが《うすい》の?」の「うすい」が「薄い」の意味だということはすぐに理解できた。マンホールを見ると、確かに「うすい」とある。その隣のマンホールには「おすい」とあった。そこで私は、「この《おすい》ってどういう意味かわかる?」と聞くと、全員が「わかんな〜い」と答えた。「この《おすい》って、《汚れた水》という意味で、こういう字を書くんだよ。」 私はいつも持ち歩いているメモ用紙に《汚水》と書いて、子供たちに見せた。「ああ、ボク、この字知ってるよ。」 1人の男の子がそう言った。「」の字は確か中学校に入って教わる字だったと思う。「ああ、そう。それでね。《うすい》っていうのは《雨水》って書いてね、《あめの水》のことだよ。雨の水汚れた水を流すパイプが違うってことだね。」

 そんなことがあってから、散歩に出掛けるたびに路上のマンホールの蓋の文字を見てみた。「うすい」、「おすい」、「汚水」、「OSUI」、「あめ」、「」、「雨水」といろいろあった。おそらく、設置した年代の違いが、表記法の違いになって表れたものだろう設置地区によっても異なるか?。この表記の中で「うすい」は、上例のごとく、子供にはあるいは大人にも?意味が取りにくいだろう。「OSUI」にいたっては、いくら国際都市・横浜とは言え、ローマ字で表記する意図が分からない。外国人のためだとも言えないし、日本人のためだとも言えない。小学生たちのお陰で、マンホールの蓋の文字を比較することが出来て楽しかった。

Have a Merry Christmas!


Happy Holidays to You and Your Family, Readers! 
Every Best Wish from Me to All of You!


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