「菌」という日本語

周知のように、新潟市で、40代の担任教諭が小学4年の男子児童の名前に「」をつけて呼んでいたことが問題となっている。児童は、東日本大震災のあと、福島県から新潟市に自主避難していて、2016年に入ってから友人に「」呼ばわりされていると、同教諭に相談していたそうだ。新潟市教育委員会の教育次長の話では、「担任が家庭連絡ノートを本児童に返却する際、○○さんと声をかけられた」と言ったらしい。当の生徒は、11月24日から学校を休んでいるという。同教諭は、「愛称の意味で言った」と話しているそうだ。

ki 報道された範囲でしか様子は分からないが、『○○さん』という言い方は確かに誤解を招くし、通常では、負のイメージしか沸かないが、」という日本語に責任はない。それにも拘わらず、マスコミ報道は「」という語を使ったことが、どうしようもなく悪いことのようなイメージを醸成している。誰にも分かるとおり、日常的に、善玉、悪玉、日和見、ビフィズス、乳酸、納豆、酵母等々の「」は、我々人間が生きて行くためには絶対になくてはならないものである

 文脈により、教師の心根(こころね)により、当該児童を「**クンは、震災や原発事故にも負けずに、私たちに知恵と経験をもたらしてくれた、まさに私たちが生きるために必要な善玉の役割を果たしてくれています。**クン、ありがとう。」 そういう“思い”を熱く持っている教師がその担任であれば、児童が登校拒否になったり、クラスメートたちが同君をいじめの対象にすることはないだろう。
 
 繰り返すが、」という日本語には何の責任もない責任があるのは、他人の悲しみや痛みを分かろうともせずに、悪意やからかいからという語を使う人間たちだ(高齢者たちを一括りにして《老害》と侮蔑する人間たちと同類だ。同級生が使い始めた語だと報じられているが、子供の言葉は大人のそれの反映である周囲の大人たちがそう思っていたり、そう言ったりしていることが直接的・間接的原因になって今回のようなことになるのだと私は思う。いつも言うように、言葉は人間の心が洋服を着たものだ。だから、言葉を見聞きすれば、それを口にした人たちの心の奥底が透けて見えることになる。

税関 (Japan Customs) の英語の間違いが直らない…

k3年前の今日(2013年12月3日)、接続詞 unless の誤用法と題した記事の中で、私は日本の税関(Japan Customs) の英語表現が間違っていることを指摘した。税関にもそのことをきちんと伝え、財務省関税局総務課広報係という担当部局からは「更新の際に《参考にさせていただきたい》」という返事をもらったのだが、3年経った今も間違った英語は訂正されていない。私の指摘は「参考」にすらされていないのだ! 日本中に溢れる間違い英語… ため息が出る。先に出版した『まねてはいけない!マズい英語』(学研プラス刊)でも、我が国の警察や鉄道会社など、公共の福利に資するはずの情報に“間違い英語”が堂々と使われていることを指摘した。本ブログでも数多くの間違い英語を紹介したが、こういう間違いが数多く見られる実態は何を意味するのか。おそらくこれも我が国の英語教育の成果の1つなのだろう。
 我が国は昔から「言霊(ことだま)の幸(さきわ)ふ国」と言われて来た。これは「言葉の霊力が人々に幸せをもたらす国」という意味だが、もっと言葉というものを大切にしてもらいたいと思う…。

【付記】写真は私の散歩道の途中にある真言宗・慶珊寺(けいさんじ)。右手に孫文上陸記念碑が立っている。孫文も見たであろう大銀杏の葉が美しい。

この看板の英語でいいですか(その5)

bs2もう1例、前回と同じアウトレット・モール内で目にした英文である。広場になっているスペースに設置されたゴミ箱に書かれているものだ。この英文(Please don't throw away cigarette butts here.)に問題はないだろうかまたまたこういう質問をするのだから《問題》があるに決まっているが…。いつものように、旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので問題になる個所を発見してほしい。 問題点がすぐに分かることが望ましい…。

この看板の英語でいいですか(その4)

bs1前回と同じアウトレット・モール内にある某旅行代理店の広告に、写真で見るような英文(Shop till you drop in 13 cities in Japan!) が書いてあるのだが、この英文に問題はないだろうか今回もこういう質問をするのだから《間違い》があるに決まっているが…。ちなみに、13の都市名は別途表記してある。いつものように、旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので問題になる個所を発見してほしい。 問題点がすぐに分かることが望ましい…。

この看板の英語でいいですか(その3)

bm3前回と同じアウトレット・モールの入口にある注意書き(禁止事項)の掲示に「店内での飲食・持込 No food and No drink allowed to be brought into the shop.」とあるのだが、この英文は正しいだろうかこういう質問をするのだから《間違い》があるに決まっているが…。いつものように、旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので、どこがどう問題なのかを考えてみてほしい。 問題点がすぐに分かることが望ましい…。

この看板の英語でいいですか(その2)

bm5同じ私の散歩コースにある某アウトレット・モールの入口には写真に見るような注意書きが日本語・英語の両方で行われている。英語のPets are Welcome. (Please be on the leash / in a cage / in a carrier)はどうだろう? これでよいだろうか?こういう質問をするのだから《間違い》があるに決まっているが… この問題も旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので考えてみてほしい。問題点がすぐに分かることが望ましい…。

この看板の英語でいいですか(その1)

bs4私の散歩コースには清涼飲料水の自動販売機が数多く設置してある。先日、そのうちの1機に、写真のようなPrice Down! という文字が旧価格の上に貼られているのに気づいた。英語で書かれている以上、英語として見ると、この表示には問題が生じて来る。さて、それはどんなものだろう? 内容に沿った正しい英語表記とはどのようなものだろう? 旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としておくので、ちょっと考えてみてほしい。問題点がすぐに分かることが望ましい…。

ウィンザー城の Long Walk のこと

昔、二度訪れたWindsor (ウィンザー) 城のLong Walkのことをインターネットで調べていたら、ある人のブログ記事に「ロングウォ―クとは直訳すれば『長い散歩』」とあるのが目に着いた。「長い散歩」というよりも「長い散歩(みち)」と言うほうが適切だろう。Long Walkの実態からも推測がつくことだが、walkに「散歩道」、「遊歩道(どう)」という意味がある点からも「長い散歩」と訳したほうがよいように思う。

 いずれにせよ、このLong Walk は世界でも屈指の長く美しい散歩道だと言えるだろうこちらに写真が多数ある。散歩道は正門であるGeorge IV 世Gatewayから、Snow Hill と呼ばれる、George契の騎馬像があるところまで続き、おおよそ3マイル(約4.8キロ)もある。初めてここを歩いた時の驚きと感激は40年近く経った今も忘れられない。

『カンタベリー物語』と錬金術

大学院修士課程1年次にA教授のもとでG. ChaucerのThe Canterbury Tales (『カンタベリー物語』)のPrologue(「プロローグ」)を精読した。14世紀の英語だけに本当に難しかった(そのおかげで最初から100行以上を今でも暗記している)。その後、教授の指導のもとに読んだThe Canon's Yeoman's Tale (「僧の従者の話」)も面白かった。今でも思い出すのが次の個所だ。
The bodies seven, eek, lo hem heer anoon;
Sol gold is, and Luna silver we threpe;
Mars yren, Mercurie quyksilver we clepe;
Saturnus leed, and Jubitur is tyn;
And Venus coper, by my fader kyn.
 チョーサーはここで錬金術を面白おかしく皮肉っているのだが、錬金術師たちが金属を7つに区分したことは周知のとおりだ。すなわち、 gold (金)は太陽、silver (銀)は月、 yren (鉄)は火星、quyksilver (水銀)は水星、 leed (鉛)は土星、tyn (錫)は木星、coper (銅)は金星と言った具合だ。これが、錬金術がのちに占星術と関係を持つに至った理由だ。

 A教授のクラスは難しかったがやりがいがあった。「プロローグ」で特に厳しく指導してくださったおかげで、授業では最後まで読み通すことの出来なかった『カンタベリー物語』を修士課程の2年次の終りまでにはOxford Univ. Press版で読了できた。

 この頃に熟読したのが H. Sweet: Anglo-Saxon Primer / H. Bradley: The Making of English / A.C. Baugh: A History of the English Language / O. Jespersen: Growth and Structure of the English Language / B. Strang: A History of English などだ。大学院専用図書室には英語史に関する稀覯本も多く、そのいずれも読み応えのあるものだった。

When Dover and Calais meet という慣用句

40年も昔、「イギリス人は never という意味をおどけて言う場合にWhen Dover and Calais meet という慣用句を用いることがありますよ」と教えてくださったのは、応用言語学・英語教育の泰斗でEssex大学教授の Peter Strevens 氏 (1922-1989) だった。Dover、Calais はそれぞれイングランド南東部のドーバー海峡、ドーバー海峡に面したフランスの港湾都市のことであるが、それをWhen Dover and Calais meet と表現したものだ。要するにIt will never happen at all. ということだ。なかなか面白い比喩だと思い、その後忘れることがない。先日、昔のノートを整理していたら、そのことを書いた頁があったのでここに記載しておく。

【付記】こちらの地図で両者の関係がよく分かるだろう。 

歴史の大部分は嘘だ― Charles Kingsley の言葉?

ckチャールズ・キングスレー(Charles Kingsley, 1819-1875)はChurch of England​ の司祭、大学教授、歴史家、小説家で、かのチャールズ・ダーウィン (Charles Darwin) の友人であり、のちに Edward VII になる Prince of Wales の家庭教師でもあった。1860年にはケンブリッジ大学の近代史の教授 (Professor of Modern History) になっているが、9年後の1869年には教授の職を辞している。昔、友人のイギリス人から聞いたところでは、その際、「歴史は largely a lie 大部分は嘘)だ」と言ったらしい。ただし、その真偽のほどは彼にも分からないそうだ詳細をご存じの方がおられたらご教示いただきたい。確かに、世界の歴史を見ても、《》と《捏造》が多い。身近なところでは、敗戦国日本に向けられた周辺アジア諸国の捏造史を見ても分かる。「小さな嘘はバレやすいが、大きな嘘はバレにくい」というのを地で行っている。キングスレ―と異なり、慧眼(けいがん)を持たない我々一般人は、そうした《》や《捏造》を容易・安易に信じてしまう。恐ろしいことだが、回避は難しい。

“The Fleshly School of Poetry”と「詩の肉体学校」

大学3年生だった頃、「英米文学作品作家研究」だったか、「批評論研究」(主に英詩)だったか、どちらかの授業の際、福岡県出身のS君が Robert W. Buchanan (1841-1901) の “The Fleshly School of Poetry” を 「詩の肉体学校」と訳したことがあった。担当教授はニコニコ顔で、「それは《メイ訳》だね、S君。《メイ訳》と言っても、その《メイ》は《迷う》のほうの《迷》だけどね。」と言われた。
 
r これはブキャナンが雑誌(Contemporary Review 誌)に掲載した、ラファエル前派に対する酷評文だが、そこで彼は、D. G. Rossett (1828-82;左写真) の作品は官能的で個人的で野卑なものだと言っている。これがきっかけでロセッティは自殺を図った(未遂に終わった)。担当教授はそんな説明をなさりながら、“Fleshly School” は 「官能派」 と訳すとよいと言われた。ロセッティのほか、W. Morris (1834-96)、 A. C.  Swinburne (1837-1909) もその派に含まれていた。
 
 ブキャナンの名前に出合うたびにS君の「詩の肉体学校」という《豪傑訳》を思い出す。私の専攻は英語学・言語学であって、英・米文学ではなかったが、大学1〜3年の間に、著名な文学作品・作家・詩人等については幅広く勉強したように思う。今思い出しても、「よく勉強したなぁ」と、胸を熱くする。

【追記】《豪傑訳》についてはこちらも参照。 

アジ釣りの時に…

bb一昨日は、アジ釣り用のサビキにボラが掛かった(左写真)。ボラはクロダイと仲が良いらしく、いっしょに泳いでいるのをよく見かける。時々そのクロダイもサビキに掛かる。《引き》を楽しむには両者共かっこうの魚だ。先日のごとく(こちら)、エイがまた掛かった。今回のエイのほうがやや大きいように思えた(左下写真)。どちらも写真を撮ったのちリリースした。
 
btx 私が、釣ったアジを船上でさばいていると、隣に係留してある船のオーニングからけたたましいウミネコの鳴き声が聞こえてきた(右写真)。毎回、同じウミネコが来ているようだ。気のせいか、その鳴き声は「アジを(わけて)ちょうだい!」と言っているようだ(ウミネコの実際の鳴き声bt2こちらの動画でわかる)。私はアジの頭部や内臓をそのウミネコに投げてやる。海鳥だから、投げた《エサ》が海中に沈み始めても、潜って行って、見事にそれを取って来る。時々、カラスがやって来ることもあるが、カラスにはそういう芸当はできない。また時々、10羽近くのウミネコやカモメが私の頭上を旋回することがある。どれも《おこぼれ》を狙っているのだ。豆アジと呼ばれる小さなアジをそうした鳥たちに向かって放り投げてやると、じつに見事なもので、たいていのウミネコやカモメは、それを空中でキャッチする。

 幼い時から、この歳になるまで、私の趣味の1つは海釣りだ(渓流釣りはやらない)。海はいい。仕事で疲れたり、ストレスが溜まったりしていても、海に行って釣り糸を垂れると、たいていはそういうことを忘れてしまう。
 また、海では、海や釣りを愛する同好の士とすぐに親しくなれるのもいい。さまざまな職業の人たちとも、また多様な国籍の人たちとも友達になれる。今、折あるごとに私が立ち話をするのはカナダ出身の女性と、オーストラリア出身の男性だ。残念ながら二人は日本語がおぼつかないので私が英語を使うことになる。話題はたいてい海か船のことだ。

  

the Father of Lies (虚偽の父)って?

h某英和大辞典の father の成句に、「the Father of Lies 虚偽の父《悪魔 (Satan) のこと》」とある。これはこれで正しい。だが、この成句は古代ギリシャの歴史家ヘロドトス (Herodotus; 484-420) を指すこともある。その点を知る人はそう多くはないように思う。同英和辞典にはヘロドトスに関して、「『歴史の父』と呼ばれる」とあるが、これは彼が書いた、ヨーロッパで最も古い歴史書の1つ『歴史』(全9巻)に由来するもので、ローマ末期の政治家、文筆家、哲学者であるマルクス・トゥッリウス・キケロ( Marcus Tullius Cicero; BC 106-43) による命名だ。
   ヘロドトスを指して 「虚偽の父」 (the Father of Lies) と揶揄するのは面白い。これは、どうも、彼の歴史書には、伝聞に基づいて書かれ部分が少なくないため、《マユツバ》なところがかなり混じるかららしい。したがって、彼の書いていることは《割り引いて》読んだほうがよいという人も多いようだ。

某ビルのトイレにあった英語表現

bbb私が散歩の途中で時々使わせてもらう某ビルのトイレの内側に左写真のような英語が添えてある。外国人もよく使っているトイレのようだ。「いつもトイレをきれいに使ってくださりありがとうございます」と言うつもりなのだろう。だが、この英語からは、いかにも日本人が書いたものだという印象を受ける。どこがなぜ そういう印象を与えるのだろう。また、英語らしい英語に書き換えるとすると、どのように書けばよいだろう。旧山岸ゼミ生および一般読者への宿題としておこう。この質問に答えられる人は、極めて高い英語力の持ち主だ。

【付記】昨日(11月19日)は 国連が制定した「世界トイレの日」だった。

消えていく《お歳暮》、忘れられていくその起源

歳暮を贈る習慣が消滅していきそうな気配だ。現在すでに歳暮を贈る人は《激減》しているという。「『お歳暮』贈ってますか? 恒例行事はなぜ消えていくのか」という最近の記事(⇒こちら)を読むとそのことがよく分かる。同記事は激減の理由を次のように説明する(少々長いが引用する)。 

seiその1つが、徐々にではありますが、“公正さ・公平さ”が浸透してきたことです。たとえば、上司が部下を評価する時、その部下の仕事の成果や、仕事に対する取り組み等で評価するのが本来あるべき姿です。お歳暮を贈ってこないから評価を下げるなど、言語道断で絶対にあってはなりません。そして、上司の側でも自ら受取りを拒否しているはずです。
この動きは学校でも同じです。今や、生徒の親が担任の先生にお歳暮を贈ることは稀と言えましょう。先生も受け取りません。
  また、これは企業間でも同じと言えます。たとえば、下請け企業(調達先)との取引でも、その下請け企業のコスト・納期・品質で評価すべきであり、お歳暮や接待などで評価することは不条理なことです。
 実際、昨今では、取引先からのお歳暮や接待を受けることを全面禁止としている企業は少なくありません。先日、大手電機メーカーが海外で調達先から接待を受けた従業員を懲戒処分にしたのは、そうした事例の1つです。
  また、個人情報を始めとする情報管理が強化されてきたことも見逃せません。最近では社内の個人住所録が廃止されているケースが多いのが実情です。上司にお歳暮を贈るにも、送り先がわからないということですね。以前、職場や学校でよく見かけた緊急連絡網なども、携帯電話やメールで対応できるようになりました。
  このように、お歳暮の贈呈が減少したことは、ただ単に景気悪化だけとは言えない理由があります。ただ、それでも、お歳暮のキャンペーンを見ると、1年の終わりを感じるのも事実です。日本らしい習慣が完全になくなるのも寂しいと思う人も多いかもしれません。

  この説明を読んでも分かることだが、歳暮を贈る習慣は《商業主義》と密接に結びついているということだ。 歳暮を贈るようになった本来の意味を理解する日本人が今どのくらいいるだろう。その習慣が商業主義に操られ始めてからは、デパートなどでは10月下旬から11月に入るともうそのための《商戦》が活発になる。だが、本来は12月27〜28日から大晦日にかけて、本当に世話になった身近な人たちに贈ったものだ。たとえば、親(嫁ならば実家の親)、仲人、親方などの上司だ。具体的には、暮れに自らの一家・一族の祖霊・新仏(にいぼとけ)に供えた物を贈り合うのだ。要するに、暮れの《魂祭り》だと思えばよい。

 
 長年、歳暮を贈る人間の心に少なからず《下心(したごころ)》があったことがこの習慣を存続させて来たのだと思われるが、それを否定する社会的心理が働き始めて、今度はそれを忌避する傾向さえ生まれて来たのだろう。本来の歳暮は上記したごとく、自分や自分の親しい周囲の人々の祖霊や生魂(いきたま)の安らかならんことを願った、
もっと純粋で、謙虚なものだ。こういうことがほぼ完全に忘れ去られていることを残念至極に思う。

旧約聖書『エズラ記』(EZRA)第7章のこと

今は亡き我が同僚 Leo G. Perkins 教授 (その後、名誉教授)はシェイクスピア (W. Shakespeare) と『聖書』 (the
PBible) に関して膨大な知識を持っておられた。『ハムレット』(Hamlet) の有名な台詞もよく暗記しておられて、私の研究室で、時々(通例水曜日の昼間)、それを披露してくださった。朗々とよく響くその声に私はうっとりと聞き入った。

 そのPerkins 教授がある日、旧約聖書の一書『エズラ記』(EZRA)の第7章には、アルファベットのうち、 j を除く25文字が全て使われている節があるが、それを探してみると面白いよと言われた。私も聖書は旧約聖書、新約聖書をかなり詳しく読み、理解に努めていたが、そんな疑問など持ったことがなかった。止せばよいのに、面白そうだからやってみますと言って、安易に引き受けてしまった。氏からは『欽定訳聖書』(King James Version) を使うようにという指示があった。第7章は28節あるから、細かく全てを見て行けばよいということだが、いざやってみると、相当に《疲れる作業》だった。

 その結果、第21節ではないかという推測を立てて、Perkins 教授にお伺いを立てると、そうだという答えが返って来た。King James Version をお持ちの方は、各自でその点を確かめてみられるとよい。故意か偶然かは知らないが(たぶん、後者だろう)、面白い言語現象だと思った。

ワーファリンとビタミンKのこと

bt2今日はいつものN病院の循環器内科での定期健診に行って来た。血液検査の結果、抗凝血剤であるワーファリンの効き目が前回よりも少々低くなっているらしかった。思い当たることと言えば、《良い》と思って、海藻類や野菜類を多く摂っていたことだ。担当医の話だと、ビタミンKを過量摂取するのはワーファリンの効果を減退させるそうだ。
 
 入院中から厳しく言われたことは、納豆・青汁・クロレラの3つにはビタミンKが多量に含まれているだけでなく、特に納豆は腸内でビタミンKを産出するので絶対に食べないようにということだった。その他、モロヘイヤ・アロエ・スピルリナなどの健康食品も同様らしい。藻類ではホシノリ・わかめ(特に[カット]わかめ)などにはビタミンKが多量に含まれているそうだ。嗜好飲料類、特に緑茶類の玉露・抹茶もそうらしい。私は納豆・青汁・クロレラの3つは禁忌にしていたが、それを除いたものは、退院後、特に節制することなく食べていたので、あるいはその結果が今回の血液検査で判明したのかも知れない。今後、気を付けるつもりだ。

 それにしても、そうしたことを全く気にも留めずに何でも食べられる人たちがうらやましい。健康ほどありがたいものはない。今、私はそのことをしみじみと実感している。私の場合、血液の凝固が一番怖いので、ワーファリンはおそらく死ぬまで手放せないだろう。食生活にも日常生活にも少なからず規制がかかるが、前向きに、明かるい毎日を過ごそうと思っている。  

『聖書』と40という数字

f『旧約聖書』の「申命記」(Dueteronomy)の第25章第3 節には、人が鞭を打たれるに値する場合には、その人を打ってもよいが 40 回を超えてはならないとある。その理由については、「それよりも多く鞭打つ場合には、あなたのきょうだいはあなたの目の前ではずかしめられることになるだろう」とあるだけで、40 であることの必然性については言及はない。 キリストが受けた39回の鞭打ちは、鞭打ち人が間違って 40 を超えてキリストを打つことを恐れたためだといわれている。
 そのうちに詳しく調べてみたいと思っているが、聖書にまつわる人や事柄で数字の 40 に関係するものは結構多い。たとえば、キリストは荒野で悪魔に誘惑されるが、それまでの断食は 40 日間であり、復活のあと40 日間地球上に居たと言われている。『旧約聖書』に関連していえば、大洪水は 40 日間続いた。アブラハムの子イサクが結婚したのは彼が 40 歳の時だった。モーゼもヨセフもヘブライの預言者エリヤも断食はみな 40 日間だった。その他、40 という数字はその気になればまだまだ見つかるはずだ。

100円ショップの間違い英語

cc先日、包帯を買おうと某大型100円ショップに立ち寄った。レジは3か所あった。順番待ちをしている時、見るとはなしに3番目のレジに目をやると、写真にあるような英語表記が書いてあるのに気付いた。

 「レジ休止中」 これには問題はない。だが、英語の CLOSE NOW は完全な誤訳だ。いつも書くことだが、どうしてこうも我が国には《間違い英語》が蔓延しているのだろう。2020年のオリンピックの際に、巷の英語が外国人の《憫笑》を買わなければよいのだが…と思う。書きにくいことだが、本ブログで紹介した誤訳のオンパレードを見ていると、我が国の英語教育は不成功に終わっているのではないかと思わざるを得なくなる。

 それでは英語ではこういう場合、何と書けばよいのだろう。私の旧ゼミ生(および一般読者)への宿題としておくので考えてみてほしい。

 最初のうちは、誤訳を掲げている店にいちいちその旨を告げていたが、私の指摘を深刻あるいは真剣に受け取る店はけっして多くはなかった。その場では感謝してくれている様子だが、1か月たっても、半年たっても、1年たっても修正されないところを見ると、どうも、その多くは「あまり気にしていない」ようなのだ。そんなことから、最近ではそれは止めにしている。長期的に見れば、店の信用に関わると思うのだが…。
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