定期検診に行って来た

いつものように、某病院に定期検診に行って来た。今日は心電図検査と胸部X線検査の二種類の検査を受けた。そのあと、結果を待って、担当医の問診を受けた。毎回のことだが、狭心症の形跡が認められるほかは、心臓の働きに大きな支障は認められないということだった。しかし、個人的には1か月に1度は心臓の痛みを覚えるので、その点が多少心配だ。
 次回は血液検査だが、服用している多種類の薬の効き目は前回までは順調に確認されているそうだ。今のところ、心配するようなところは特には見つかっていない。ありがたいことだ。帰路、いつもの薬局で薬剤を処方してもらった。13,110円也の薬代は(これがほぼ毎月だから)“年金生活者”には“痛い出費”だ。
 

「形見(かたみ)」という語

昨年の心臓バイパス手術以降、寒い日の外出は苦手となったが、温かい日は今でも散歩に出掛けている。その道筋に、某葬儀場がある。先日その前を通ったら、そこからの帰りの弔問客5、6人に出会った。そのうちの1人(女性)が、「故人の奥様からこれを“形見”にいただいたの」と言って、何やら小さなものを一緒に歩いていた人に見せていた。

k 今、我々は「死んだ人を思い出すよりどころとなるもの、遺品」などを「形見」と呼んでいるが、本来はその言葉は、「身の形」、「身代わり」という意味であって、男女、特に夫婦・愛人同士が、別れの際に取り交わした「肌着」を意味したものだ。私はこの語から「きぬぎぬの袖の別れ」という慣用句も思い出す。また、「万葉集」(巻14・3453)の「風の音(と)の 遠き吾妹(わぎも)が 着せし衣(きぬ) 手本(たもと)のくだり まよひ来(き)にけり」(遠くにいる愛しい妻が着せてくれた衣のたもとがだんだんほつれてきた)という和歌も忘れられない。
 

副詞"actually"の語法のこと

英語母語話者がネット上に書いた英文を見ていると、しばしば次のような副詞 "actually" が出て来る。
*Who actually  paid for your education?
*"I actually  prefer soothing music - and maybe that's the skater in me." 
*I've earned £33.50 since starting – I don't remember the last time I actually  paid for an app. 
*My 1098T form displays a tuition amount that is MUCH lower than what I actually  paid to the school.
*It doesn’t matter what is actually  right or wrong with the Milo haters, it only matters to them that he is destroyed. 

 もちろん、現代英語ではこれは普通の(特に口語的な)用法になっている。だが、かつて私の同僚 Leo G. Perkins 教授 (故人)は、こういう "actually" は "should not be used to intensify" だと言われた。意味的にも大した機能を果たしていない、だから "intensify" したいからと言って、やたらに使わないほうがよいのだと言っておられた。それではどういう時に使ったらよいのでしょうかと聞くと、「私は《驚き》 (amazement) を表す時によく使う」と応えられた。
*Did he actually  call himself "the talent"?
*Did you actually  believe you'd get a straightforward trope description when you clicked on the link? 
のような例のことを言ったようだった。こういう微妙な用法は英語母語話者でもよほど語感がするどい人でないと理解できないだろう。私のような non-native には「ああ、そうですか」と言って、たくさんの用例を見てそこから生きた語法を学ぶしかないのかも知れない。

connect together / cooperate togetherという言い方

connect という動詞は join two or more things together (二つあるいはそれ以上のものを結び付ける)ということだ。したがって、connect という動詞自体に together という副詞の意味が含まれている。つまり connect together と言ったり書いたりする必要はないということだ。だが、英語圏の人々は日常英語ではしばしばこの句を使う。日本語で「いっしょに結び付ける」と言うのに似ている。以下に、その実例を5例だけ挙げておく。
*Is everything on the Internet connected together ?
*The assembly consists of two sections of galvanized steel pipe connected together  using a reducing coupling at B. 
*Two unknown resistors are connected together. When they are connected in series their equivalent resistance is 15 Ω. 
*The two wires are connected together  at A. If the forceP causes point A to be displaced horizontally 2 mm, determine the normal strain developed in each wire. 
*Frank Zappa was fond of saying, “So many books, so little time.” If you are a couple longing to grow more connected together  you need to have the heart of a learner. 

conn  同じようなことが cooperate together にも言える。cooperate 自体に work together (with somebody else in order to achieve something)(何かを成し遂げるためにだれかほかのひとと共働する)ということで together が含まれているから cooperate together と言う必要も書く必要もない。日本語で「いっしょに協力する」と言ったり書いたりするのと同じだ。しかし、この種の英語は日常的にしばしば見聞きするものだ。下に実例を2例だけ紹介する。だが、きちんとした話し方や書き方の中では避けられる語法であることは知っておいたほうがよい。
*In life, it means that completely different people can cooperate together  very well. 
*If we cooperate together  by dividing up the work, we shall be able to finish it quickly.

“O Holy Night”か“Oh Holy Night”か

hnクリスマスの讃美歌 (第2編219番) として有名な「さやかに星はきらめき」の英語名は“O Holy Night”だ。冒頭の“O”はOだけの綴りであるのだが、これを“Oh Holy Night”と綴る英語母語話者が少なくない。“Oh Holy Night”で検索するといくらでもヒットする。
 だが、これは“O”と綴るのが慣用的だ。つまり、誰か [何か] に呼び掛ける場合は“O”と綴る。これに対し“Oh”は感嘆詞として使う時の綴りで、文頭では“Oh”だが、文中では“oh”と小文字でも綴る(“O”はどこに置かれても大文字で綴られ、後ろにコンマを付さない)。ちなみに“O God” / “O Lord”も慣用的には“Oh God” / “Oh Lord”ではない。
  YouTubeには著名な歌手が歌っている“O Holy Night”があるが、個人的な趣味で、Cėline Dion によるものを紹介しておく(こちら)。ただし、残念なことに、この動画でもその表題が“Oh Holy Night”と表記されている。
 
 

 

ordinance と ordnance の綴り

ordinance ordnance の綴りは英語母語話者によってもしばしば混同される。前者は「(地方自治体の条例」という意味で、主にアメリカ英語で用いられる。イギリス英語では by-law と言うことが多い。また、後者の ordnance は「軍需品;(車付きの大砲」の意味で用いられる。ネット上ではordinance とあるべきところにordnance を用いている例(あるいはその逆)がいくらでも見つかる。以下に、(local) ordinance と書くべきところを (local) ordnance と書いている例を10例挙げておく。
*Some places may have a local ordnance which could be street or zone specific.
*CSST is permitted to go through walls unless prohibited by a local ordnance
*The city had a local ordnance that prevented him and others from getting a firearm registration.
*You may also see it there is a local ordnance about the number of occupants allowed in a rental property. 
*Unless they have changed the laws since I lived there you can open carry a handgun unless there is a local ordnance against it.
*As the Sadvertiser quite rightly reports, there is a local ordnance against dogs being allowed off their lead or fouling in Queen's Gardens.
*Wouldn't it make sense to have a local ordnance that requires all breweries to use 1% desalinated water in 2017, 5% in 2018, 10% in 2019 and ...
*Unless you have a local ordnance specifically against it, there is not specific state law to my knowledge dealing with feral otherwise domestic animals. 
*Some towns have local controls on sales; for example there is a local ordnance in San Antonio in the State of Texas which restricts the slsales of substances to young people.
*Preemption clarification – Gives standing to a person adversely affected by a local ordnance or policy regulating firearms (e.g. if a city makes the public library a gun free zone, a citizen could hypothetically sue)
*That is the weirdest ordnance I have ever heard of. I'm not normally a supporter of our Human Rights campaigners (I think most of ours live in some alternative universe) but to deny one's own citizens food and caring is insupportable.

江東区・富岡八幡宮宮司殺害のこと

昨夜、東京都江東区・富岡八幡宮(通称「深川八幡」)の宮司・富岡長子さん(58)が、弟の茂永容疑者(56)に日本刀で殺害されたことは周知のとおりだ。容疑者は、犯行に関与した女性と、その場で自殺したそうだ。宮司職をめぐって姉弟間に根深い確執があったらしい。江戸幕府からも手厚い保護を受けた、あまりにも有名な八幡宮で、同宮史上最悪の事件が起きた。

 私がこの事件に興味を引かれたのは、2点。1点は「神に仕える宮司」が巻き込まれた無残な事件だということ。ちなみに、長子さんは事件の起きた昨日の午後のブログ記事(「世の中間違ってやしませんか?」)の中で、「一部の神社の神主には、セクハラ、パワハラ、ネグレクト、嫌がらせ……が当たり前のように、横行している」と書き、「モラルがない人が多い」と続けている(こちら)。こういう記事を読むたびに、憂鬱になる。

 もう1点は、そしてこちらのほうにより興味を引かれるのだが、同八幡宮は、私が住む横浜市金沢区内の富岡八幡宮の《分社》であるということだ。我が富岡八幡宮は建久二年(1191)に源頼朝が摂津・西宮の恵比寿様を祀ったが始まりで、「波除八幡」の異名を持つところから、その霊験にあやかり、当時“永代島”と呼ばれていた現在地(江東区)周辺の砂州一帯の埋め立て工事の無事を願って“分霊”したものだ。

「あさげ、ひるげ、ゆうげ」という3語(続)

昨日、私は「新しく生まれた『ひるげ』は特に『ごしょう(午餉)』と呼んだ。巷間では、この『ごしょう』が『ごちょう』と発音されるようになり、現代の『ごちそう(御馳走)』になったものと思われる。」と書いた。この「ごちょう」は「ごーち」と言われたり「ごち」と短縮されたりした。

m 俗っぽい言い方で、「ごちそうになる」ことを「ごちになる」と言うが、たいていの人は「ごちになる」の元の形は「ごちそうになる」だと思っている。実際のところ、『日本語俗語辞書』にも「ゴチ」の解説として、「ゴチとは『ごちそう』の略で、ご馳走すること及びご馳走になることを意味する」と書いてあるし、Wikipediaの「ゴチ」の項にも「ご馳走の略語。『ご馳走になります。』→『ゴチになります。』」とある。だが、「ゴチは『ごちそう』の略」ではなく、「ゴチが先にあって、そのあとで『ごちそう』という言葉が生まれた」と考える方が自然だと私は思っている。ちなみに、新築家屋の棟上げ式で魔祓い、地神鎮静の意味を込めて撒かれる餅を「ゴチ [ゴーチ] 餅」と言うが、その「ゴチ [ゴーチ] 」のことだ。

「あさげ、ひるげ、ゆうげ」という3語

あさげひるげゆうげ」という3語から永谷園の即席みそ汁を連想する人が多いだろう。古くからテレビコマーシャルで知られた商品だ(たとえば、こちら)。だが、「あさげひるげゆうげ」の語尾に付いている「」がどういう漢字で書かれ、どういう意味を持つものかと問われると、即答できる人はそう多くはないだろう。『デジタル大辞泉』で各語を引くと、次のように定義されている。
あさげ―[朝餉、朝食]《古くは「あさけ」》朝の食事。あさめし。
ひるげ―[‏昼餉、昼食]《「ひるけ」とも。「け」は食事の意》しるめし。ちゅうしょく。
ゆうげ―[夕餉、夕食]《古くは「ゆうけ」》夕方の食事。夕食。夕飯。
yu ほかの国語辞典の定義も上記とほとんど変わらない(当たり前だが)。知る人は多いだろうが、日本人の食事は近世までは朝夕の二食が普通であり、三食は、田植え、戦さ、旅、家普請など、労力を必要とする人たちの間から発生した食習慣らしい。新しく生まれた「ひるげ」は特に「ごしょう午餉)」と呼んだ。巷間では、この「ごしょう」が「ごちょう」と発音されるようになり、現代の「ごちそう御馳走)」になったものと思われる。したがって、ほとんどの国語辞典が「ごちそう」を「走り回って食べ物を入手し、客に供するところから出た語」というような内容の書き方をしていることに私は少々疑義を抱いている。
 ちなみに、明治生まれの私の父母(共に故人)は、日常的に常に「あさげひるげゆうげ」という語を使っていた。

「悲嘆」という日本語の意味と含み

g現在、『スーパー・アンカー和英辞典』の「ひたん悲嘆)」の項の用例として「息子の自殺の知らせを聞いて両親は悲嘆にくれた At the news of their son's suicide, the parents were crushed with grief  [were grief-stricken ].」が掲載されている。これを見た某氏から、「『息子の自殺』はさすがにツラいように思います。『好きだった俳優が亡くなったと聞いて…』 At the news of my favorite actor's passing away [death], I was totally crushed ....ではいかがでしょう。」というご意見を寄せてくださった。

 テーマとして“身内の自殺”を採り上げることに異見を表明されたわけだが、私は、「好きだった俳優が亡くなったと聞いて私は悲嘆にくれた」という日本語には大いに違和感を抱く。なぜなら、「悲嘆」とは、その字が示すように、「悲しみ嘆く」ことだ。だが、この語は同時に、そしてそれが大事なのだが、「我が身の [我が身に降りかかった不幸を嘆く」ことをいう。だからこそ、「息子の自殺の報に接して、両親は悲しみ嘆く」という日本語が自然に響くのだ。

 あるいは人によっては、自分が好きな俳優や芸能人の死を我が“身内”のように悲しみ嘆く人もいるかも知れない。だが、常識的に考えて、自分の好きな俳優や芸能人が死んだからと言って、「我が身の不幸を嘆く」ことは考えられない。そこらあたりの微妙なニュアンスを感受する必要があるだろう。

《お餅はあとお幾つ召し上がりますか》という問い

今年も余すところ1か月弱となった。そろそろ《お節料理》のことを考えなければならない…と思っていたところに、あることを思い出した。
 今から30年ほど前のことだ。某私立大学の非常勤講師室でお茶を飲みながら、新聞を読んでいたら、私のそばに座っていた30代半ばの女性講師が別の同世代の女性講師に次のように言っているのが聞こえてきた(時の経過で言葉は逐一覚えているわけではないが、だいたい以下のような会話だった)。
z1A:「先日、恩師のところに新年のご挨拶に行った時、お節料理をごちそうになったんだけど、先生の奥さまが、《お餅はあとお幾つ召し上がりますか》って仰ったのよ。奥様には失礼だけど、なんだか《あと幾つ食べるか》なんて質問は嫌だったわ。私のおなかの心配をしているようにも聞こえたし、《うちにもお餅の数の都合もありますから》って遠回しに言っているようにも聞こえたから。」
B:「ああ、そう。私はそう聞かれても何にも感じないけど…」

 これをそばで聞いていて、「今の若い人たちは、自国の食文化に関する知識が貧弱だな」と感じた。たしかに、来客・招待客に対して、「〜は、あと幾つ食べるか」と聞くことはあまり褒められた作法とは言えない。だが、我が国の食文化において、正月などに客に振る舞う(もち)》の場合は、「あと幾z2つ食べるか」と聞いて差し支えないのだ。いや、むしろ客にそう尋ねるのが礼儀なのだ。なぜなら、私がこう言えば、日本人で餅を食べたことのある人なら理解してくれると思うが餅というものは、焼いたり煮たりしてすぐに客に供するのであれば“柔らかいまま”美味しく食べられるが、時を置けば、すぐに固くなってしまい、美味しさも失せてしまう。場合によっては、“歯”が立たなくなる。高齢者なら“入れ歯”を痛めてしまう恐れさえある。「あと幾つ食べるか」という質問は、客をもてなす際の《おもてなしの心》に基づく考え方であり、それを表す言葉なのだ焼き餅でも雑煮餅でも、時が経って固くなってしまえば、客に供することが憚られるものになる。たしか、昔の川柳にもあった。「もういくつ / 上がると / 雑煮 / 聞き合わせ」というのが…。

和箪笥の「鐶(かん)」のこと

f1剣客商売 第一シリーズ 第3 「まゆ墨の金ちゃん」には、主人公の剣客・秋山小兵衛(藤田まこと)とおはる(小林綾子)とが身内だけの婚礼の宴を催す場面が出て来る。小兵衛は60歳に近い男やもめであり、おはるは元・小兵衛の下女で20歳前の娘だ。親子以上の年齢差だが、このシリーズを通して絶妙な“夫婦関係”を演じてみせる。

 f2おはるの母・おさき(絵沢萌子)は婚礼後のある日、娘のところにやって来て、箪笥(たんす)の鐶(かん)に細布(ほそぬの)を巻いて、カタカタと音を立てないようにしないさいと言って、自分からその作業を買って出る。

   現代でもこの鐶は使われているが、夫婦の“営み”が“佳境”に入った時には、なかなかうるさい音を立て始めるシロモノだ。昔の川柳に「当分は / 昼も / たんすの / くわんが鳴り」と詠われているが、その「くわん」(が「鐶」)のことだ。

もっと日常的・口語的な英語を…(14)

もう1つ、旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)に向けて宿題を出しておきたい。次に、 M 項 (特にmakeで始まる慣用句)から10例を引用するので、堅過ぎる言い方、古風な言い方、文語的な言い方などの点に留意して、現代・日常口語的な英語に書き直してほしい。繰り返すが、同書の熟語が使われないと言っているのではなく、現代・日常口語では一般的ではないと言っている点を念頭に置いてほしい。

例1)make a cat's-paw of 【動】を手先に使う、をだしに使う
        He makes a cat's-paw of  her.
       (彼は彼女を手先に使っている)
例2)make a companion of 【動】を友にする
   He makes a companion of  books.
   (彼は本を友にしている)
例3)make a display of 【動】を見せびらかす、を誇示する
   It is bad form to make a display of  one's learning.
        (学問を見せびらかすのは野暮である)
例4)make a meal of 【動】を食べる
   I have often made a meal of  dry bread.
   (私はしばしばバターなしのパンを食べたものだ)
例5)make a practice [habit, custom] of 【動】を常とする
   He makes a practice of  telephoning a greeting to each of his friends on Christmas Day.
   (彼はクリスマスの日はめいめいの友だちに挨拶の電話をかけることにしている)
例6)make it a rule to do【動】することにしている
   He makes it a rule  [it is his usual practice [custom]) to do  an hour's work in the garden every day.
   (彼は毎日庭園で一時間仕事をすることにしている)
例7)make light  [little] of 【動】を軽んじる
    The father gave his son good advice, but the son made light of  it.
        (父は息子によい忠告をしたが、息子はそれを顧みなかった)
例8)make over 【動】(正式な同意によって)譲り渡す
   He has made over  the wholebusiness to his son.
   (彼は全部の事業を息子に譲り渡した)
例9)make preparations for 【動】の準備をする
   I am making preparations for  my departure.
   (ぼくは出発の準備をしている)
例10)make use of  【動】を利用 [使用] する
       He  made an improper use of  the information.
   (彼はその知識を悪用した)

日本人には年齢でその人を判断するという悪い癖がある???

昨日のYahooニュースを見ていて、「楠田枝里子アナ、結婚しなかった理由と実年齢を明かす」と題した、楠田枝里子さんに関する記事が掲載されているのに気付いた。その一部に次のような文章があった。

 これまで年齢を非公表にしていた楠田アナは「今年で前期高齢者、65歳になりました」と語り、年齢を公表にしてこなかった理由を「日本人には年齢でその人を判断するという悪い癖がある。いくつになっても私は私と考えていたので、特に年齢にこだわって発言することがなかった。ところが65歳になったら、今までと感触が全然違う。だから、こんな素敵な年代ですよと年齢のことを話すことにした」と語った。

 私の注意を引いたのは「日本人には年齢でその人を判断するという悪い癖がある」という1文だ。現代のたいていの日本人は、日本人が相手の年齢を気にすることに関しては、楠田さんと同じような反応を言葉にするだろう。だが、それを「悪い癖」と“断罪”することに私は反対だ。
 
 日本の社会は周知のように、どちらかと言えば「縦社会」だ。様々な組織において、今もって、「先輩」「同輩」「後輩」という言葉で、自分と相手との関係を表す。相手の年齢を知ることによって、自分の立ち位置や相手に対する言葉遣いや振る舞い方を考慮しなければならない。21世紀、自由社会になっているからということで、自分が所属する組織の内部で、自分の思う通りの言動で上司・同僚・後輩に接すればどうなるだろう。まず間違いなく、その社会から《つまはじき》にされてしまうだろう。「日本人には年齢でその人を判断するという悪い癖がある」という表現は誤解を招くものだ。「(年齢でその人を判断するという悪い」ではなく、日本社会が生み出した「(集団社会を生き抜くための巧みな知恵」と言ったほうが正確だ。

 「ああ、俺が出た大学の5年後輩か。面倒を見てやらなきゃあな」、「私の4年先輩なのね。いろいろ教えてもらえそう」、「26歳か、じゃあそろそろ結婚してもいい頃だな。俺の従妹(いとこ)にいいのがいるから、今度一度会ってみないか」などといった言葉で、人的交流を深めることは普通のことだ(った)。そういうことを《わずらわしい》と思うような時代になり、世代交代が進み、日本人の国民性も大きく様変わりし、“65歳”にもなった楠田さんでも、そういう日本人の生き方を「悪い癖」と捉えるようになった。
 
 日本人は「」を、相手と自分との関係において、「わたくし」、「わたし」、「」、「」、「自分」、(昔なら)「拙者」、「身共(みども)」「我が輩」、「あっし」、「わちき」などと言い分ける。また、相手を「先生」、「社長」、「あなた [お宅] 様」、「お前」、「てめえ」、「あんた」、「きさま」、(昔なら)「御前」、「そこもと」、「お手前」などと呼ぶ。これには当然、相手の「年齢」(や相手の地位・職位など)も加味されなければならない。

 繰り返すが、これは「悪い癖」ではなく、主に儒教の影響を受けた古くからの日本社会、とりわけ集落共同体における生きるための知恵が働いた結果だ。「まだ、結婚しないの?」、「まだ、子供はできないの?」なども、今日では「余計なお世話」、「プライバシーの侵害」などと捉えられることが多い。だが、「まだ、結婚しないの?」、「まだ、子供はできないの?」などの質問は、単なる好奇心や余計なお世話で言っているのではないそれらの質問のあとには必ず相手に対する話者の思いやりや同情が示される言葉が続くのだ。これも集落共同体で生れた日本人の《共存のための知恵》なのだ。

 戦後、多くの日本人はGHQの洗脳教育によって、日本の風俗習慣等を忌避したり、軽蔑したりするようになったが、もうそろそろ、そうした「マインドコントロール」から解き放たれてもよい頃だ。

もっと日常的・口語的な英語を…(13)

G項から引用した例文に私見を加えておく。

例1)give oneself (up) to (pleasure) 【動】(快楽などに)ふける、熱中する
   He gives himself up to  his studies.
   (彼は学問に熱中する)
   【私見】「studies」、「学問」ともに、抽象的で、いまひとつ、その意味が明確に掴めないだけでなく、gives himself up to は日本の高校生が覚えて日常的に使えるような英語とは思えない。He is devoting to his studies.(個人的研究に没頭している)か、He is studying hard [eagerly / diligently ].(一生懸命に勉強している)のいずれかが一般的だろう。

例2)give vent to 【動】に吐け口を与える、口に出して言う(✤「吐け口」は「捌け口」と表記するのが正しい―山岸注)
   He gave vent to his indignation in a fiery speech.
   (彼は激しい口調で自分の怒りを爆発させた)
   【私見】大げさな英語で、日本の高校生が覚えて使う必要がある場面を思いつくことができない。日常会話的には  He showed  [expressed ] his anger.あたりで十分だろう。

例3)go for little [something, nothing]  【動】大して効果がない [多少の効果はある、むだになる (=come to naught)]
    All my trouble went for nothing .
   (私の骨折りはすべて何もならなかった)
   【私見】この言い方は古風なものになっており、英語圏の若者も日常的に使うことはないだろう。日常的には All my trouble was useless.でよいだろう。

例4)grow out of  【動】から起る、から生まれる
        His illness grew out of  his tendency to overwork.
       (彼はいつでも働き過ぎたために病気になった)
   【私見】現代英語におけるgrow out ofは「(服などが着られないほど)大きくなる」という意味で使うのが普通であって、この例のような使い方をするのは今日では日常的にはない。His illness resulted [came ] from his tendency to overwork.のように言うのが普通だろう。

例5)guard against  【動】に対して警戒する
   Guard against  the habit of idleness.
   (なまけぐせがつかないように用心しなさい)
   【私見】この慣用句も非日常的だ。普通はYou shouldn't be [get ] idle. のように言うだけでよい。

山東昭子・元参院副議長の発言を批判する人たちに思う。

自民党の山東昭子・元参院副議長が11月21日、党の役員連絡会で「子供を4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」と言ったのに対して、批判的なコメントが少なからず寄せられている。その先鋒が、“尾木ママ”こと“教育評論家”で法政大学特任教授の尾木直樹氏だ(出典こちら)。氏は「女性は『子どもを産む機械』か?!」のタイトルでブログを更新して、その中で「あまりにも女性をバカにしている話ではないでしょうか? 時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ません ― 久々に腹立ちました」と書いている。氏はまた、「子ども産んで幸せ感じる社会になって欲しいと切に願います  いや子ども産まなくても結婚しなくてもみんなが幸せ感じる社会築きたい  政治家はその先頭に立つのが責務」「表彰なんて発想だけでも批判されるべき」と批判している。
 ほかの批判者たちの批判は詳細には述べないが、1つだけ、「山東氏の発言に対しては、ナチスドイツが4人以上子供を産んだ女性への勲章として《母親十字章》を贈っていたことを連想させる。『ナチスと同じ発想』」などと批判する声があがっていることに触れておく。

 はっきりさせておきたいことは、山東氏は「女性は『子どもを産む機械』」などとは発言していないということだ。あくまでも「子供を4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」、「女性活躍社会で仕事をしている人が評価されるようになって、逆に主婦が評価されていないという声もあるので、どうだろうか」と言っただけだ(出典こちら)。「あまりにも女性をバカにしている話ではないでしょうか? 時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ません」と言うが、いったいどう「女性をバカにしている」というのか?「時代錯誤も甚だしい」とは“教育評論家”にふさわしくない言葉だ。なぜなら、尾木氏の発想自体が「時代錯誤」だからだ。
 周知のように、今、日本は少子高齢化社会であり、「年齢(各歳)別人口性比」は著しくバランスを欠いている(こちら参照)。15歳未満人口の割合は減少が続いている。このままの状態が続けば、将来、一番困るのは現在の若い世代だし、そのあとに続く“数少ない”若い世代だ。年齢構成比がバランスを欠いている以上、若い人たちのうち、“頑張れる人たち”に“頑張って”もらわざるを得ないではないか。 
 尾木氏は「 子ども産まなくても結婚しなくてもみんなが幸せ感じる社会築きたい 政治家はその先頭に立つのが責務」と“美辞”を並べるが、私に言わせれば、あまりにも“近視眼的・皮相的な見方”だ。「子ども産まなくても結婚しなくてもみんなが幸せ感じる社会」が実際に来たとして、その先を想像してみたことがあるのか。
 我々が幸せを感じられる社会の基本は、国民(人口)の年齢構成のバランスが取れていることだ。山東氏の提案の根底には、そのことへの心配もあったのではないか。いずれにせよ、私は山東氏が政治家としてその先頭に立っていると思っている。
 少子化問題の解決なくして国民(とりわけ若い世代)が幸せを感じることは出来ないだろう。「どうして私たち若い世代ばかりが高齢者の面倒を見なくてはならないのか、その介護費用を負担しなければならないのか」などという“不公平感”や“不満”ばかりが募る恐れもあるからだ。

p 山東氏は、医学的・身体的理由で子供が生めない女性に言及しているわけでもなければ、子供を産みたくないという人たちの自由を奪おうとしているわけでもない。現在の少子化社会を見据えて、4人以上も子供を産み育てている女性を《ありがとう。よく“頑張り”ましたね》と顕彰し、表彰しようというだけだろう。それのどこが悪いのか。「表彰なんて発想だけでも批判されるべき」と言うが、どんな組織でも、“頑張った”人たちに対しては、その人たちを顕彰し、表彰するではないか。内閣府が中心になって行なわれている春と秋の叙勲もそうだ。社会的に地道に、あるいは華々しく、貢献した人たちを顕彰し、叙勲の対象にしようとすることのどこが悪いだろう。 

 繰り返すが、山東氏は、4人以上の子供を産み育てている女性を顕彰し、表彰してはどうかと言っているのであって、それ以上でもなければそれ以下でもない。現代日本の不均衡な年齢構成比率を無視して、ナチスの《母親十字章》を持ち出す人たちも、それこそ「時代錯誤」だと言わざるを得ない
 山東氏の今回の提案は、時代を見据えた、検討に値するものだ。それを批判する人たちには、日本の人口の年齢構成の実態と、「“頑張った”人たちを顕彰し、表彰すること」の意義をもう一度よく考えてもらいたいものだ

もっと日常的・口語的な英語を…(12)

それでは、同書G項に収録されている次の例文の問題点は何 [どこ] だろう。旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への宿題としたい。
 
例1)give oneself (up) to (pleasure) 【動】(快楽などに)ふける、熱中する
   He gives himself up to  his studies.
   (彼は学問に熱中する)
例2)give vent to 【動】に吐け口を与える、口に出して言う(✤「け口」は「け口」と表記するのが正しい―山岸注)
   He gave vent to  his indignation in a fiery speech.
   (彼は激しい口調で自分の怒りを爆発させた)
例3)go for little [something, nothing]  【動】大して効果がない [多少の効果はある、むだになる (=come to naught)]
       All my trouble went for nothing .
   (私の骨折りはすべて何もならなかった)
例4)grow out of【動】
        His illness grew out of  his tendency to overwork.
       (彼はいつでも働き過ぎたために病気になった)
例5)guard against【動】に対して警戒する
   Guard against  the habit of idleness.
   (なまけぐせがつかないように用心しなさい)

もっと日常的・口語的な英語を…(11)

一昨日例示した慣用句の用例に関して私見を述べておく。

例1)fail to do 【動】(期待されていることを)しない、(〜すべきことが)できない
   After all he failed to  appear.
   (とうとう彼は現れなかった)
   He failed to  keep his word.
   (彼は約束を守らなかった)
   I have failed to  convince him of his error.
   (彼に誤りを悟らせることができなかった)
   Don't fail to  let me know.
   (きっと私に知らせてください)
例2)faint away 【動】気絶する、すっかり弱くなる
   The sounds fainted away  in the distance.
   (その物音は遠方ですっかり聞こえなくなった)
例3)fall in with 【動】に出会う (=meet by chance)、に一致する (=agree to)
        I fell in with  him in Paris.
   (パリで彼に出会った)
   If it falls in with  your view, how glad I will be!
   (ご同意ならばどんなにうれしいでしょう)
例4)fall to (work) 【動】(仕事)を始める (=begin working)
        They fell to crying at the news.
   (彼らはその知らせを聞いて泣き出した)
例5)for convenience' sake 【副】便宜上、便宜のために (=for the sake of convenience, as a matter of convenience)
   For the convenience of illustration, let us suppose he is right.
   (説明のつごう上彼が正しいと想像しましょう)

 例1)の fail to do は 日本人英語学習者がかなり早い時期に、必ずと言ってよいほど覚える“熟語”だが、日常口語的な言い方とは言い難い。英語母語話者は普通、それぞれ、He didn't  appear. / He didn't keep his word [promise]. / I couldn't  convince him of his error. / Be sure [Don't forget ] to  let me know. のように言うだろう。
 例2)の場合、The sounds faded  away in the distance. と言うほうが日常的だ。
 例3)の場合、I met  him in Paris by chance. と言うほうが普通だ。2番目の慣用句は前世期の歌の文句のように古めかしい感じがする。 If it agrees to your view, how glad I will be.でもよいだろうが、現代の日常表現では If we could agree on this  (issue ), I’d be happy. のような言い方が好まれるだろう。
 例4)の場合、They began  [started ] crying at the news.のように言うほうが日常口語的だ。
 例5)の場合、見出し語としてfor convenience' sake を挙げている点が問題だ。sake は日常的には言わない[書かない]ことが多いからだ。また、例文の for the  convenience of illustration に定冠詞の theを付けているが、これは for convenience of illustration と無冠詞で言うほうが一般的だ。

愛犬ハッピーの旅立ち

h昨日(11月26日、日曜日)午後2時38分、我が家の愛犬ハッピーは16年4か月の生涯を終えた。4日前の23日にハッピーは食事が出来なくなった…と題して、ハッピーの近況を書いたが、それからわずか3日後の旅立ちだった。23日に食事を摂らなくなって以来、スポイトを使って牛乳を飲ませてやっていたが、それが出来たのはわずか1日間だけだった。25日にはもう水分を摂ることも出来なかった。自らの体内に蓄えてあったわずかばかりのエネルギー(脂肪分)を使いながら昨日まで命を保ったことになる。25日の夜、私はハッピーを抱いて寝てやった。だが、もうその時は鳴く力もなくなっていたようで、一晩中、静かだった。

 昨日午後2時半頃、息子夫婦がハッピーを乳母車に乗せて散歩に連れ出したくれたのだが、出掛けた8分後に乳母車の中で絶命したと言う。
 マロンの時と同じように、息子がハッピーの亡き骸をきれいに洗ってくれた。私は近所の花屋に向かい、供花を買って来た。バラやカーネーションなど、できるだけ明るい色のものを選んだ。

 ハッピーの老衰が顕著になってからというもの、私たち家族の者はハッピーのために出来るだけのことをした。だから、後悔することはない。
 
 今朝9時、マロンの時と同じ火葬場(戸塚区鳥が丘にある戸塚斎場)でハッピーを火葬に付した。思い出すことの多い柴犬だった。一番の思い出は、我が家を二度《脱走》して、二度とも最寄りの警察署に保護され、私たちが《貰い下げ》に行って来たことだ。あの時のことを思い出すと、私の頬はつい緩んでしまう。 

 初代のハッピーよりも1年間長く生きた。何度も書いたことだが、二代目のハッピーは幼い時にいろいろな病気を患ったので長生きしないのではないかと思った。だが、元気だった初代よりも長生きをしたのだからちょっとした驚きだ。 

 共に生活した16年4か月生後2か月の時にうちに来たので、正確には16年2か月の期間は本当に楽しい年月だった。ハッピーには感謝の気持ちでいっぱいだ。「ハッピー、長い間の友情と信頼をありがとう。」 合掌

【上の写真は私と、6歳の頃のハッピー】

もっと日常的・口語的な英語を…(10)

それではF項に収録されている次の慣用句の何 [どこ] が非日常的・非口語的だろうか。旧山岸ゼミ生諸君(および一般読者諸氏)への明日までの宿題としよう。
例1)fail to do 【動】(期待されていることを)しない、(〜すべきことが)できない
   After all he failed to  appear.
   (とうとう彼は現れなかった)
   He failed to  keep his word.
   (彼は約束を守らなかった)
   I have failed to  convince him of his error.
   (彼に誤りを悟らせることができなかった)
   Don't fail to  let me know.
   (きっと私に知らせてください)
例2)faint away 【動】気絶する、すっかり弱くなる
   The sounds fainted away  in the distance.
   (その物音は遠方ですっかり聞こえなくなった)
例3)fall in with 【動】に出会う (=meet by chance)、に一致する (=agree to)
           I fail in with  him in Paris.
   (パリで彼に出会った)
   If it falls in with  your view, how glad I will be!
   (ご同意ならばどんなにうれしいでしょう)
例4)fall to (work) 【動】(仕事)を始める (=begin working)
           They fell to crying at the news.
   (彼らはその知らせを聞いて泣き出した)
例5)find ault with 【動】のあら捜しをする、に小言をいう (=criticize, complain of [about], object to, grumble at)
   He is constantly finding fault with  my work.
   (彼はいつでも私の仕事のあらさがしをしている)《習慣》
   Don't be angry when you are found fault with , nor find fault  when you are angry. 
   (人に小言を言われたときに怒るな、また怒っているときに小言を言うな)
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