2006年03月

恒沙(ごうしゃ)の書

たとえ恒沙(ごうしゃ)の書を読むとも、
     一句を持するに如(し)かず
 良寛

 

曹洞宗の禅僧・良寛(1758-1831)の一句である。恒沙とはインドのガンジス河のbooksの意味で、無数を表す。そこから恒沙の書が万巻の書という意味になる。
 
悟りを得るために、万巻の書を読むのもよいが、優れた書を1点窮め、その中の一句をさらによく吟味し、自分のものにすることがさらに大事である、ということであろう。深い、味わいのある一句である。

 ちなみに、良寛は道元禅師の『正法眼蔵』を座右の書としたといわれる。

 

 

「以心伝心」の訳語とその用例

ある電子辞書に搭載されている和英辞典で「以心伝心」を引くと、telepathyとtacit understandingの2語だけが収録され、用例としては、「彼女とは以心伝心で何でも分かり合えるんだ There was a tacit understanding between her and me.」だけがあがっていることに気づく。一定の文脈があれば、この2文は対応可能であろうが、和英辞典の唯一の用例としては不適当である。
 まず、この英語を逆に訳せば、「彼女と私との間には暗黙の了解があった(んだ)」となり、「彼女とは以心伝心で何でも分かり合える(んだ)」とは意味的ズレが生じることがわかる。
 したがって、この日本語を英訳した例文としては、まずShe and I can understand each other telepathically [without the use of language].とか、She and I can get each other's messages by telepathy.とかのような基本的な言い方を示す必要がある。

うたたねも 叱り手のなき 寒さかな

うたたねも 叱り手のなき 寒さかな
                                                  
 一茶

明治(37年)生まれの私の母は菩薩のような人であった。小学校から中学校にかけて、理屈っぽかったせいか、私は担任教師からよく言われた。「あんな仏様みたいなお母さんからなんでお前みたいなのができたんだ?!」と。こんなことを平気で言う教師は昔は少なくなかった。しかし、今はもう遠い昔のことである。懐かしい思い出でしかない。
 その母の口から他人の悪口はもちろんのこと、父や家族の者の悪口を聞いたことがなかった。神仏に常に感謝し、「足る」を知る明治女であった。私が学校その他で悪いことをしても、私を「怒る」ことは一度もなかった。「叱る」時でも、目に涙をためながら、私を叱った(と言うよりも「諭した」)。私は母の涙にいちばん弱かった。
 その母のことが最近、無性に思い出される。私が畳の上で、季節を問わず転寝(うたたね)をしていると、必ず、「勝ちゃん(私の愛称)、風邪を引くよ。寝るんなら布団で寝なさい。」と言いながら、そっと毛布を掛けてくれた。
 冒頭の句は一茶の詠んだ句である(そう記憶している)。どういうわけか、母のことを思い出すたびに一茶のこの句を思い出す。いい句である。人生、叱ってくれる人がいるうちが華である。
 
(ちなみに、父は明治36年生まれの、これまた明治人で、事情があって、財産を無くしたものの、凛とした生き方をした人であった。)

花の陰 赤の他人は なかりけり

hanami花の陰 赤の他人は なかりけり  一茶

この花は桜であろう小林一茶(1763-1827に暗い私としてはその点、よく分からない。ただ、「日本人」としての私の感覚からすると桜だと思える。その桜の木の下で、花見をする者達の陽気さと楽しさが伝わってくるようだ。そういう花見の席では、人みな何らかの形で繋がっていて、全くの他人などというものはいないのだ、そういう意味に解釈できる。素人の私がこの時季に思い出す一句である。

盛りをば見る人多し散る花の…

盛りをば見る人多し 散る花の
            
あとを訪(と)うこそ 情けなりけり  夢想疎石

桜花の咲く今の季節になると必ず思い出す和歌である。臨済宗の祖で、西芳寺(苔寺)にゆかりの深い夢想疎石[国師](1275-1351)が詠んだもの。足利尊氏が西芳寺(苔寺)に観桜に行きそびれ、後日行って、不満を洩らした時に疎石がこう詠んだと伝えられる。疎石の真意はおそらく次のようなものであったろう。

 生命のあるものは全て、その「盛り」は美しい。人はともすればその「盛り」だけを見て、「美しい」「綺麗だ」と思いがちです。しかし、「盛り」を過ぎたその「あと」に深く思いをいたすことこそが人のまことの心であり、真の思いやりなのではないでしょうか。

 
不思議なものだ。高校時代に教科書に出て来た和歌など、ほとんど意味が分からなかったし、また興味も湧かなかった。ところが、40代後半(老眼鏡の必要性を感じるようになった)あたりだったろうか、それらの意味がかなりよく分かるようになり、興味も湧くようになった。見当違いの解釈をするかも知れないが、今後、折に触れて、和歌を含めた、日本の名句・名言を採り上げてみようかと思っている。

公立小学校の「英語活動」

classroom文科省の調査では、昨年度、公立小学校での英語活動が93.6%に達したそうである(朝日新聞、3月20日夕刊)。昨年2月に実施した調査には、全国2万2232校全てが回答を寄せ、そのうちの93.6%にあたる2万803校が、「歌やゲームなどを通じて英語に親しむ」「あいさつなど、簡単な英会話」などを教えた。「総合的な学習の時間」の中で実施している学校がもっとも多く、全体の約8割がこの時間を利用している。
 年間の平均実施時間は6年生の場合、13.7時間で、月に1〜2コマという状況らしい。また、1年生から実施している小学校も全体の4分の3に達している。
 英語の授業を小学校から必修とするかどうかは、文科相の諮問機関である中央教育審議会で検討が続いている。 

コミュニケーション能力

新卒者を採用するにあたって重視している能力を選択肢から3つ選んでもらったところ、主要企業100社のうち76社が「コミュニケーション能力」を選んだそうだ(朝日新聞、2006年3月20日)。続いて、「行動力」(56社)、「熱意」(41社」、「人柄」(32社)、「責任感」(19社)と続く。「語学」「成績」を選んだ企業はなかった。
 その「コミュニケーション能力」であるが、これについて、リクナビ編集長・橋本康嗣氏は次のように書いておられる(関係分部のみ引用)。
  
 企業がnegotiation求めるコミュニケーション能力を、学生はやや誤解している。面接の出来栄えを聞くと、8割くらいの学生は「うまくいった」と答える。それは用意してきたことをきちんと言えたから。コミュニケーション能力は相手の話を聞く力や洞察力を含めたもので、一方的にしゃべることではない。仕事をする上で必要な対話ができるかどうかを企業は見ている。

 
同感である。また、日本経団連教育問題委員会企画部会長で三菱電機常任顧問の宇佐美聡氏は次のように言われる(関係分部のみ引用)。

 会員企業にアンケートを取ったところ、特にコミュニケーション能力についての評価が低かった。こうした力を付けるには、小学校からの教育が必要だが、企業に入る直前の大学が変わることの意義は大きい。そのためにいくつかの提案をしたい。
 まずは、授業の質の向上をめざしてほしい。既存の教員に刺激を与える意味も含めて、特に国公立大は、もっと企業人や外国人の教員を増やしてはどうか。(中略) 習熟度別授業も検討すべきだ。企業内の教育でも同じだが、一人一人の底辺を上げると同時に、別建てで優秀な人材をさらに伸ばすことが大切だ。(中略) また、教養教育の充実もすぐに取り組むべき課題だ。仕事の質を高めていくためには、専門以外の知識も必要だ。(以下略)

 お二方のご意見に、私自身、大学での教職に身を置く者の一人として、さらなる自己研鑽の必要性を痛感した次第である。

卒業式の朝に

 今日は明海大学の卒業式(正式には「学位授与式」)だ。1470名の学生諸君が卒業または修了する。
 「光陰矢の如し」、「歳月人を待たず」などの言葉が思い出される。昨日、Congratulations!という表現に触れたが、今日の卒業生こそ、努力して、その結果、卒業式を迎えられたわけであるから、英語ならまさにこの表現がふさわしい。
 中には、家庭の事情で心ならずも退学していった者や、授業料納入不能等で不運にして除籍になった者もいるが、4年前に入学式後の新入生オリエンテーションで初めて出会った諸君のほとんど全員が卒業していく。
 私は担当学生、とりわけ私のゼミ生諸君には厳しく接した。それは私が、「訓導して厳(げん)ならざるは師の惰(おこた)りなり」という(今は古き)言葉に価値を見出す者だからである。大学教育は生涯教育と結びついているから、長い目で学生諸君のことを思えば、在学中、褒める時には褒めるが、「叱る」(「怒る」にあらず)必要のある時は心を鬼にして叱る。教えなければ、叱らなければ本人たちが気づかないことや時もある。40年も前、私自身、多くの(今は亡き、懐かしき)恩師諸先生からそうしていただいた。

卒業生諸君、卒業おめでとう。

 ああこの世界を一度だけ通り過ぎる
  
何かひとつ、
   人類(ひと)のために、
     私達にできる何かを

 
 Ah we pass through this precious world just once
     So while we are here let us strive together
       To do something special
               
for all humankind.

            ―明海大学学歌より
                        (英語訳は拙訳)

大恩人W.S.ビゲローのこと

失われた日本文化の少なからぬ部分は、外国人の手によって、異国で大切に保存されている。たとえば、動物学者Edward Sylvestor Morse(1838-1925)、哲学者Ernest Francisco Fenollosa(1853-1908)、医師William Sturgis Bigelow(1850-1926)などの偉業がよく知られた例である。
 昨日の朝、NHKテレビが、ボストン美術館とビゲローを採り上げた番組の再放送をやっていた。二度目であったが、またまた惹きつけられながらそれを観た。「月心」という法名まで授かって、その人生を日本の美と心とを理解することに費やしたビゲローは、奈良時代絵画の貴重な遺品である法華堂根本曼荼羅を筆頭に、1万数千点の美術品をボストン美術館に寄贈している。仏像画を観たアメリカの一評論家は、その荘厳さ、素晴らしさに落涙して感動したという。北斎、歌麿、師宣ら、江戸時代に活躍した代表的浮世絵師たちの作品も彼の手によって多く保存された。 
 ビゲローの墓は、ボストン郊外にあるアメリカ最古の公園墓地(Mount Auburn Cemetery)にあるが、映像で観るかぎり、資産家の墓とは思えないほど質素な一塊の石であり、それにはただW.S.B 1850-1926 とだけ刻まれている。その墓石を一見するだけで、彼がどのような人生を送り、その遺志がどのようなものであったかを伺い知ることができる。
 亡くなった時、彼は遺言により仏式の装束を身に纏ったと言われる。日本にはその遺言によって分骨され、滋賀県の三井寺(近江八景の1つ「三井の晩鐘」があることでも知られる)に、フェノロサと並んで眠っている。次も参照:「日本美術に魅了されたボストニアンと日本人」(http://www.med.kobe-u.ac.jp/toshi/yokocolumn.html
 国家神道を普及させるために、仏教を軽んじ、仏像・仏画等、我が国の貴重な文化的財産を破棄・破壊し(ようとし)た明治政府の「廃仏毀釈」の陰に、こうした大恩人が存在したことを私は忘れることができない。

「七つの子」の「七つ」の意味(続)

前回、表題について小文を書いたが、そのあとでGreg Irwin氏の前出書に後注記があることに気づいた。それには、次のようにあった(関係箇所のみ引用)。

  The title of this song, Nanatsu no Ko, could also be interpreted as a seven-year-old baby crow, instead of seven little babies. If that is the case, I thought that it would be high time for that little crow to get out of the nest! So I chose the title Seven Little Babies.(  「七つの子」という題名の「七つ」は、「七羽」ではなく「七歳」とも 解釈できますが、雛が七歳になっても巣立ちをしないのは困りものです。そこで、Seven Little Birdsというタイトルをつけました。)

 氏による「雛が七歳になっても巣立ちをしないのは困りものです」という解釈にも一理あるが、私はやはり「七歳」説を採る。それを補強するのは(前回の金田一先生のご説明と)次のような解説である。孫引きで恐縮であるが、参考までに記す。

 ここに、彌生書房から出版されている続野口雨情詩集「船頭小唄」という本がある。この本のなかの解題は野口存彌氏が書かれている。(雨情の息子さんである)その一文を引用してみよう。 

  
・・・『七つの子』の原形が明治四十年発表の『山烏』(『朝花夜花』収録)であることはよく知られており、『山烏』にも『七つの子』という詩句がうたわれているが、『七つの子』とは帯びときの式を迎えた七歳の女児をさすのではないか、と考えられる。帯びときの式というのは古い民俗行事をとりあげ、遠い時代の民衆の夢や祈りのなかをかけめぐることによって、父は『山烏』を書き、さらに大正十五年に至って『七つの子』という新しい童謡をうたいあげることができたのである。・・・」(船頭小唄−解題P230より引用)。
 

 このように解釈するほうが、日本人としての私にはしっくり来るのであるが、読者諸氏にはどんな解釈を採られるであろうか。

【後記】その後、 「七つの子」=「七歳」説を採る明解な文章に出合った

「七つの子」の「七つ」の意味

crowよく知られた、野口雨情の「七つの子」(作曲・本居長世)。その英訳を思い立ち、ほかにこの歌を英訳している人がどのくらいいるのかを確かめようと、インターネットその他で調べてみた。また、買ったままにしておいたGreg Irwin氏著『英語で歌う日本のうた〈第2集〉』(The Japan Times社刊行)にも目を通した。
 同書を見て、「おやっ」と思ったのは、「七つの子」というタイトルをIrwin氏がSeven Little Babiesと訳しておられたことだった。したがって、「かわいい七つの子があるからよ」という文句の英訳も同様のものになっている。
 同氏がそう解釈なさるのも無理からぬことのようである。いろいろ調べてみると、日本人でさえ、「七羽の子」の意味と解釈する人、「七歳になる子」の意味と解釈する人の二通りがあるようなのだ。ただし、私の語感からすれば、後者(七歳の子)の意味にしかならない。実は、このことは金田一春彦先生(故人)が、先生の御著書『金田一先生が語る日本語のこころ』(学研)の中で言及しておられることである。以下に関係箇所を引用させていただく。

 これはよく「七羽の子ども」というふうに解釈されていますけれども、私はちょっと違うように思います。もし「七羽の子ども」であれば、「七つ」と言うの数え方としてちょっとしっくりこないように思います。この歌は、子供がお母さんに質問している歌です。子供が「お母さんあのカラスはどうして鳴いているいるの?」「それはね、小さいちょうどおまえと同じ七歳の子供がいて、可愛い可愛いと言っているんだよ」という意味ではないかな、と思いますが、皆さんはいかがでしょうか。(154頁)
 
 私も金田一先生のご意見に賛成である。
 なお、Irwin氏の英訳は、氏の“印象訳”あるいは“自由訳”と言うのであれば、ネイティブならではの素晴らしいものであるが、野口雨情の原詞の意味に忠実な訳かどうかという点になると、残念ながら、原詞との間にはかなりのズレがあると言えるようだ。

“A級戦犯”という言い方について

先日、掛かり付けの医院に健康診断の結果を聴きに行った時のことである。私の番になるまで時間があったので、近くにあった雑誌Aera の旧版 (2006/1/30号)を手に取って、パラパラと頁をめくっていたところ、「ポスト小泉本命を悩ます靖国参拝」という題名の付いた頁に出くわした。いろいろな政治家たちがそれぞれの靖国参拝観を述べていたが、前原民主党代表の言葉に注意を引かれた(75頁)。「私はA級戦犯が合祀される間は行かない。憲法には思想信条の自由だけでなく政教分離も書いてある。」という言葉が紹介されていた。日本人が本当に“政教分離”を厳守できるのかという問題に関しては私のホームページの中に言及しているので(「偏向ということに関連して―日本人が気付かない日本人の不幸」の中の「政教分離に思うこと」欄参照http://jiten.cside3.jp/nihongo_essay/nihonngo_essay_top.htm)、ここでは省略するが、問題は“A級戦犯”という言い方である。かつて東条英機・元総理のお孫さんに当たる東条由布子さんが「歴史的事実を知らない不勉強な政治家達がいる」と言われたことがあるが(詳細については本ブログ「折々の記」昨年7月18日分を参照)、前原氏には東条由布子さんの言葉をそのまま贈りたい。市井の人による発言ならまだしも、政治家、それも政党党首の口から漏れる言葉ではないであろう。昭和28年(1953年)8月3日開催の衆議院本会議において何が決議されたか「知りません」では済まないことである。

ツバメの親子のこと

先日、日吉(慶應義塾大学)に行こうと、最寄の駅に向った。その駅のエスカレーターの昇り口のすぐ上にツバメの巣があるのを家人から聞いていたので、私もそれを一目見ようと楽しみに出掛けた。可愛いヒナたちが3、4羽、親ツバメからエサをもらっていた。こんなにのどかな光景を見たのは何年ぶりだろう。
 ツバメは、自分たちよりも強い、時には獰猛な鳥たちから、自分のヒナたちを守るために、人間のいる近くに巣を作るという。人間を信じ、頼って近寄ってくるツバメたちが限りなくいとおしい。人間の幼子たちにこういう場面を見せ、ツバメたちの人間に対する信頼の念を話して聞かせることも、生き物に対する優しさを教えるよい機会だと思う。
 ヒナたちが全員元気に飛び立つことを祈って、エスカレーターに乗った。

一羽のカモメの死

過日、早朝、こんなことがあった。場所は横浜市中区本牧辺りの高速湾岸線、横浜ベブリッジ手前であった。私は勤務校に向けてクルマを走らせていた。交通量は時間帯と場所柄もあって、さほど多くはなかった。本牧出口付近まで差し掛かった時、行く手に7、8羽のカモメたちが激しく路上を動き回ったり、飛び回ったりしていた。バックミラーで背後の安全を確認してから速度を落とし、低速で進行して行くと、クルマにはねられたと思われる1羽のカモメが死んでいるのが目にとまった。 仲間たちは、まるで、「オイ、起きろ、飛べ、早く!」「ネエ、死んじゃダメよ!」「オイ、しっかりしろ!」などと言っているようだった。私は、その場にクルマを止めて、何とかしてやりたいと思った。車両通行のない一般道であれば、必ずそうしたであろう。しかし、その時、バックミラーを見ると、背後から、4、5台のクルマが走って来ていた。私が原因で大事故を誘引する恐れがあった。
 何もしてやれない済まなさを覚えながら、私はそのまま進行した。何時間かに1、2度通行している道路公団のクルマや、道路清掃車がそこを通りかかってくれて、なんとか後始末をしてくれることを祈りながら。その日、1日、その場面が脳裏から離れなかった(多分これからもそこを通るたびに思い出すであろう)。
 人間の都合で、地面より(はるかに)高い場所に高速道路を作ったために、海鳥たちは、以前なら安全に飛び回っていた空中で、降って湧いたような事故に遭うのである。高速道路利用者としては、安全確認を怠らず、海鳥たちの飛行にも注意しつつ、クルマを走らせるほかないであろう。

廃城令と松本城

先日、あるテレビ番組が松本城を採り上げ、放映していた。松本城は、長野県松本市にあって、姫路城、彦根城、犬山城と並ぶ四大国宝城郭の1つである。今でこそ「国宝城郭」などと言われるが、明治新政府が出した「廃城令」により、一時は競売に掛けられ、落札され、破却されそうになったものである。それを「城がなくなれば松本は骨抜きになる」と訴え、金を工面し、それを買い戻したのが旧藩士・市川量造(1844-1908長野県議会議員・信飛新聞社社長等を歴任)ら地元有力者である。したがって、彼ら及び地元民の尽力がなければ、存続し得なかった城郭である。

 城郭の場合、日本の建築技術の最高水準が精華として結実したものであり、そこには、安土桃山時代以降の芸術・美術・工芸等々、まさに「日本文化の華」が集結したものであった。

松江城、若松城(通称・鶴ヶ城)等々、今日、その堂々として、優美な姿を見せる城郭の存在はみな、旧藩士及び多くの地元民の並々ならぬ努力の賜物なのである。
 
なお、「廃城令」は、当時の「神仏分離」と並んで、明治新政府が行った二大愚策だったと私などは思っている。

「お申し込みする」

某社のメールサービス案内が届いた。その一部に次のような箇所があった(社名を仮名にした)。

 「XXXメールセキュリティーパック」と「XXXメールウイルスチェックサービス」を同時にお申し込みすることはできません。」

 この文における文末の「お申し込みする」は変である。「…を同時にお申し込みになることはできません」「…を同時にお申し込みいただくことはできません」のように言うか、さほど丁寧でなくとも、たとえば「…を同時に申し込むことはできません」のように言うのが普通であろう。

墓石の不法投棄

昨日、あるテレビ局が、山林・海などに不法投棄された“墓石”に焦点を当てた番組を放映していた。例として挙げられていたうち、私が見たのは岐阜県大垣市、愛知県音羽町の場合だったが、国内のあちこちで類例が見られるらしかった。不法投棄する側(心無き墓石業者)にしてみれば、墓石を新しくした“客”から、古い墓石の処分を依頼された場合や、寺や霊園から無縁仏になった墓の“不要な”墓石の処分を依頼されたような場合、それらは単なる“廃棄物”であり、したがってそれを(不法と知りつつ)投棄したに過ぎないとうそぶきたいかも知れない。日本人が大切にしてきた文化の一部に“アニミズム”もあったはずだが…

「ゆでる」と「ゆがく」はどう違う?

先日の朝日新聞(2006[平成18]年3月6日;「生活版」)に表題の文句と「料理の基礎本売れてます」という副題が並んでいるのが私の目を引いた。家庭における料理技法の伝承が薄れ、たいていの食品は既製品としてコンビにスーパーの食品売り場で入手できる昨今、料理に関する用語が、とりわけ若い世代の人々に理解されなくなっているのは当然のことである。
 「ゆでる」「ゆがく」の違いは、前者後者よりしっかり、長く加熱することと説明がある。ちなみに、『例解新国語辞典』(三省堂)の囲み記事57「料理することば」には「ゆでる」は「火にかけた水や湯に入れて、熱する」の定義があり、「そばをゆでる」「ゆで卵」の例が出ている。また、「ゆがく」は「火にかけた熱湯にさっとつける」の定義がある。
 上掲の新聞記事には、「塩少々ひとつまみ、どう違う?」とあって、その解答が、「塩少々は指2本でつまんだ量、塩ひとつまみは指3本でつまんだ量」となっている。幸いなことに、還暦を過ぎた男の私にも、上の質問に正しく答えることができた。
 面白かったのは、全国に料理教室を展開するベターホーム協会のアンケートによると、20〜30代の女性323人のうち、料理本のレシピに載っている料理用語がわからないことが「ときどきある」人は76.5%、「よくある」人は11.6%いたという事実であった。双方を合わせた人のうち、64.4%もの人が「観音開き」が「わからない」と回等したそうである。ほかに、「吸い口」(57.6%)、「こそぐ」 (51.1%)と続いたらしい。
 『調理以前の料理の常識』(講談社)の著者で料理研究家の渡辺香春子(かずこ)さんの話では、「びっくり水」(麺類をゆでる時の吹きこぼれを防ぐために加える水で“差し水”とも呼ぶ)を店頭まで買いに行った人や、煮物などにする「落としぶた」を豚肉だと思って肉屋に行った人もいたそうだ。中には、「落としぶた」を「ふたを床に落とすこと」だと思って、本当に床に落とした人がいたとか! 

「〜十パーセント」は「〜ジュッパーセント」か「〜ジッパーセント」か

 国立国語研究所などによる、日本語の話し言葉を約750万語を収めた「日本語話し言葉コーパス」によると、「〜十パーセント」は計820回登場するが、「ジュッ」804回に対して、「ジッ」はわずか16回で、1930年代〜50年代生まれの一部にしか現れなかったそうである(朝日新聞、2006[平成18]年2月26日朝刊)。「〜回」など、他の例でもほぼ同様の大差だったらしい。したがって、時代劇に出て来る「十手」も、若い世代では、「ジッテ」よりも「ジュッテ」と発音されることが多いであろう。ちなみに、私は意識的に「ジッ」の音を好んで使っている。

ブログ再開

1ヶ月前に“休息宣言”をしたのですが、それ以来、少なからぬ方たちが、再開を望む声を寄せてくださいました。嬉しい限りです。また、学生諸君からも、「日本語ノート」欄を含め、勉強になる記事が多いので是非書き続けて欲しいという要望をもらいました。そんなわけで、休む日もあるかと思いますが、“折々に”何かを書いて行こうと考え直したところです。3月11日 山岸
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