2007年01月

「ご意見・ご感想を送信しよう!」?

某サイトを見ていたところ、「企業のCSAを評価できるサイト」というところに、「下記のリンクから各企業のCSRサイトにアクセスし、フィードバック機能で意見・ご感想を送信しよう!」という1文があるのに気づいた。違和感のある表現である。「送信しよう!」とカジュアルな日本語を使うのであれば、「意見・感想」などと、接頭辞を付けて言わずとも、「意見・感想を送信しよう!」で十分だし、むしろそのほうが自然である。
 最近、この手の不自然な日本語表現を見聞きすることが多くなった。テレビ番組を観ていても、「お客様」と丁寧に始められた文が、「(お客様に)楽しんでもらい、満足してもらう」とか、「(お客様が)賞味期限のことをうるさく言うことがあるんで、気が抜けないんです」のような締め括られ方をする例に毎日、何回も出合う。

「働きバチ」という譬え;彼らは“悲惨”か?

「働きバチの悲惨許さぬ」 これは昨夕(1月29日)の朝日新聞「ニッポン 人・脈・記」の中見出しに使われていた表現である。過労死問題に取り組む、大阪の弁護士・松丸正氏(60)、弁護団全国連絡会議幹事長・川人博氏(57)などを紹介し、過労死の社会問題性を取り扱っている。川人氏にとって、映画「ドレイ工場」(山本薩夫総監督)は、40年近く前に観たにも拘わらず、「《日本株式会社》を支えた《働きバチ》たちの悲惨をみた」ものとして忘れがたいらしい。
 本稿で採り上げようとしているのは、過労死問題そのものではない。採り上げたいのは「働きバチ」という表現と、働きバチという生物の営みを“悲惨”と直結させる、人間の一方的な解釈である。
bee 働きバチ「ミツバチなど、社会生活を営むハチのうち、食物を集め、巣を作るなどの労働を受け持つ雌バチ。女王バチにならないで中性化したもの」(『学研現代新国語辞典』)である。その働きバチは、自分たちがひたすら働き続けていることを“悲惨”だとか、“不幸”だとか、否定的に捉えてはいないはずだ。ただ、本能の赴くままに、一生懸命に働いているに相違ない。
 『明鏡国語辞典』(大修館書店)には、「ただひたすら働くサラリーマンなどのたとえにも使う」という補足説明があるが、この種の補足説明も問題なしとしない。
人間の勝手な思い込みがこういう譬(たと)えやその解釈を生む。もうこういう譬えは止めにしてはどうか。そうしないと、物事の本質や深刻さ実感しにくくなるのではないか。人間はハチではないし、ハチもまた人間ではない。

歴史の宝庫・金沢区富岡辺り

Ohotori私の住む横浜市金沢区富岡には古い歴史がある。京浜急行の京急富岡駅で下車し、改札口を右に折れると、左手奥に、日本画の巨匠・川合玉堂の別邸だった二松庵がある。改札口を右に折れた所を少し歩いた辺りには、大正の初め、福沢房子(福沢諭吉の次女)のために建てられた別荘があった。
 国道16号線を越えると、すぐ左手に、戊辰戦争で榎本武揚土方歳三らと共に函館五稜郭で新政府軍と戦い、後に新政府に出仕、工部大学長、元老院議官、学習院長、清国公使、朝鮮公使などを歴任した大鳥圭介の別荘跡がある。
 その先には、直木賞で有名な直木三十五の旧邸がある。昭和8年暮れに完成した邸宅に、東京から引Naoki越して来た直木は、富岡のあまりの静けさに耐えられずに、文芸春秋の一室に逃げ帰ったという話が残っている。
 直木がこの地に居を構えたのは、一説には、徳川家の重鎮であり、富岡の領主であった、豊島信満(明重)を題材に執筆活動に入るためだったと言われる。
 すぐ近くに立つ花翁山 慶珊寺(真言宗 御室派)は、その豊島信満が父母の菩提を弔うために建立した由緒ある寺で、寺名は、父の法名・花翁常蓮禅定門と母の法名・瑚林慶珊禅定尼に因んだもの。境内の一角には豊島信満・主膳父子を初め、豊島一族の供養塔もある。
 山門の外には、元首相・岸信介揮毫になる「孫文先生Keisanji上陸之地」の記念碑が建てられている。
 慶珊寺の前を少し歩くと、明治の元勲・松方正義の別荘跡に出る。
 源頼朝が鎌倉幕府を開いて間もなく、摂津の国、西宮神社の祭神・蛭子の命(ひるこのみこと)を勧進して建立した、かの有名な富岡八幡宮もこの近くにある。
 富岡はまた、明治維新後、初代内閣総理大臣・伊藤博文が仮寓を構え、明治憲法揺籃期を過ごした所でもある。Sonbun上馨の別荘も伊藤博文の仮寓近くにあった。
 ローマ字で名高いヘボン博もこの地を愛し、富岡海岸の水質の良さに着目し、ここでの海水浴を奨励したことは余り知られていないし、今はその面影を辿ることすら難しいが、我が国の海水浴発祥の地を語る時に忘れてはならない場所である(「海水浴発祥の地と称する場所は、日本全国に何箇所もあるようだ;例、神奈川県大磯海岸、三重県伊勢市二見浦、千葉県保田海岸、岡山県倉敷市沙美海岸)。
 その他、富岡の地には歴史ある場所が数多い。品川方面から横須賀方面に向って、右手は山を切り崩した住宅開発地区だから、これと言った歴史はないが、左手、海岸方面に向って歩くと、金沢区富岡から、金沢文庫にかけては、まさに歴史の宝庫である。そんな土地に住んで20年以上になるが、時間が許せば、あちこちを散策しながら、往時を推測している。

Matsukata

 

答案の誤字

後期試験の答案の採点がようやく終わった。今回も誤字が多かった。100余名(2クラス分)の学生の答案にあった誤字を列挙すれば、次のようになる(右側丸カッコ内が正字である)。

「価置」(価値)
「印像」(印象)
「独得」(独特)
「独持」(独自)
「前程」(前提)
「熱読」(熟読)
「絶体」(絶対)
「受業」(授業)
「専問」(専門)
「講議」(講義)
「底抗」(抵抗)
「想象」(想像)
「授講」(受講)
「収獲」(収穫)
「予則」(予測)
「徴細」(微細)
「栽判」(裁判)
「感違い」(勘違い)
「英語園」(英語圏)
「対称言語学」(対照言語学)
「痛感到しました」(痛感致しました)
「日英語の対象研究」(日英語の対照研究)

パソコンのキーボードを使って文章を書くのであれば、上記のような誤字は、普通は防げるであろうが、手書きとなると、その数はぐんと多くなる。特に、「講義」を「講議」、「専門」を「専問」と書く学生が多い。それにしても、よくもこれだけの誤字が並んだものだ。

45年後の再会

ほぼ毎年、この時季に、高校時代のクラブ仲間(英語部)と再会する。昨夕も某居酒屋で旧交を温めた。45年も会っていなかった後輩2名も加わった。半数の者には、孫たちがいた。彼らはもう“おじいちゃん”である。
 不思議なものだ。先月、いやもっと近く、先週のことさえ思い出せないことがあるのに、タイプスリップした45年も前のことが次々と思い出される。あの時、お前はこう言った、ああ言った、そうだったなあ、などと、思い出話に大きな花が咲いた。
 私の財産は“後輩たち”である。年齢は1つか、2つしか違わないのに、半世紀近く経った今でも、変わらずに「先輩、先輩」と言って、私を重んじてくれる。ほんとうに有り難いことだ。「先輩はハワイアンが好きだったから、あの頃のテープを起こしてMDを作って来ました。」 昨日はそう言われてK君から2枚のMDを贈られた。大橋節夫バッキー白片と言えば、私の世代のハワイアン好きなら知らない者はいないが、その大橋節夫バッキー白片の懐かしい曲の入ったMDである。大橋節夫の「あいつ」「水色の川面に」「なぎさ」「別れの磯千鳥」「赤いレイ」等々、バッキー白片の「君ほほえめば」「ワイキキはご機嫌」「南国の夜」「ハワイの歓待」「小さな竹の橋の下で」等々、どの曲も私の涙腺を緩ませる。「先輩、これを聞くと涙が出ますよ」と先に言われていたが、その通りだった。
 「これから45年後の再会は望み得ないのだから、これからは1年に一度と言わず、二度、三度会おう」ということで意見の一致をみて、別れた。
  
 

「釜をかける」?

相手に本音を吐かせるために、巧みに誘いかけることを「鎌をかける」と言うが、この「」を「」と間違えている(らしい)人が少なくない。「」と「」とでは(標準日本語では)アクセントが異なるはずだが…。いつものようにGoogle検索にかけてみる。

◇「じゃあ、どうすればいいの?」 ちょっと釜をかけてみた。
◇「一車1万円でどうだね?」少し釜をかけてみた
◇アルバイトで同僚が社員男性にやたらと釜をかける
◇父はM先生に何度も、自分の病名を問いただしたそうですがいつも、はぐらかされてしまうと特に苛立つ様子もなく言っておりました。家族に問い正すようなことはありませんでしたが、釜をかけるように、「癌だったら・・・・」という話をしました。

次は正用法の例である。
◇「距離置いてみる?」  鎌をかけてみた。
◇それで『今日か昨日、テレビの質入があったんじゃない?』と鎌をかけてみると、『何でそんなことを言う権利がある!』と、怒鳴り返されましたよ。
◇「相手の気持ちを考えるのが第一ではないか」とか「とりあえず転職しても構わないと鎌をかけてみてはどうか」といった夏美の提案にまんまとのってしまったりする。
◇ そこで私は、ボスの機嫌のいい時に鎌をかけてみた。 「なんでも、ずいぶんと子煩悩だと聞きましたけど……」 ボスは、ひとつ鼻を鳴らしただけで、肯定も否定もしないkama2

 ちなみに、「釜をかける」と言えば茶会を催すことであり、年初めの茶会を「初釜」、毎月の茶会を「月釜」と呼んでいる。

「給食費未払い」に思う。

文部科学省が実施した全国調査(公立小・中学校)の結果、2005年度の給食費未納額がなんと22億円を超えたそうだ。この額は給食費全体の0.5%に当たり、欠損分については28.9%の学校が、徴収した学校給食費で給食を実施、27.2%が学校予算から一時補填、15.2%が教育委員会の予算から一時補填していたという。
 家庭によっては、深刻な理由によって、1食数百円の給食費さえ払えないところもあるだろう。しかし、そういう場合は、生活保護や就学援助などの制度があるはずだから、困窮していることをしかるべき所にきちんと申告し、認めてもらえば問題はない(だろう)。
 多くの家庭の場合、何かと身勝手な理由をつけての不払いのようだ。「給食など頼んだ覚えはない。学校が勝手にやっていることだから」「義務教育だから、給食は無料が当たり前」などという理由を述べる親がいるかと思えば、刑務所ではあるまいし、なぜ子供に画一的な食事を強制するのか。強制的な献立を押し付けておいて、実費を取り立てる、言ってみれば義務給食ではないか」といった“自説”を開陳する親もいるようだ。中には(極端な例だろうが)、月数千円給食費を支払わずに、浮いたお金を高級外車の月賦の一部に充てる人もいるそうだ。
 宗教上の理由からとか、制度への異議申し立ての一環としてとか、きちんとした信念に基づいて、「よって、自分の子には、給食は食べさせない、弁当を持参させる」と言うのなら、それはそれで立派である。そうではなく、自分の子には給食を食べさせておいて、自己正当化を図るのは、無銭飲食や携帯電話使用料不払いと本質は変わらない。無銭飲食なら警察に突き出されるだろうし、携帯電話なら、即、使用中止の措置が講じられるだろう。給食は学校が勝手にやっていることだし、不払いでも、うちの子に給食を出さないなんてことはないだろうというような、親のエゴ、社会規範遵守意識の欠如さえ感じられる。悪法・悪習といえども、合法的・民主的に変えられぬうちは、法は法であり、慣習は慣習である。子は親の鏡であることが多いが、親は常に子の鑑(死語?)でありたいものだ。

童謡「しゃぼん玉」の英訳を公表

soap bubble幼い頃に歌った「しゃぼん玉」(野口雨情作詞、中山晋平作曲)を英訳してみた。著作権消滅曲であるから、英訳に際しての著作権問題は生じない。訳し始めてみると、これもなかなか難しい。まず、題名の「しゃぼん玉」からして、すでに日英語の違いを実感せざるを得ない。それを複数形soap bubbles とするか、それとも単数形soap bubbleとするか、冠詞はどうするか。「しゃぼん玉」という語は何度も出てくる。また、「しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ」の「屋根」はどこの(家の)屋根か、「屋根までとんで こわれて消えた」の「こわれる」「消える」にはどんな英語が適当かなど、次々と疑問がわく。そんな“楽しい苦しみ”を実感しながら、何とか訳了し、別途公表した。

なお、この歌については、読売新聞文化部編『唱歌・童謡物語』(岩波書店;110-111頁)に次のようにある。少々長いが、興味深いので、関係箇所を引用させていただく。

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新宮崎県知事のこと。

「宮崎を生まれ変わらせる。混乱した県政、停滞した県政を一日も早く安定、復活、活性化させる。暮らしを守る、県民の目線で、県民不在にならない県政を実現したい。」 これがそのまんま東・新宮崎県知事の“決意”だそうだ(朝日新聞、1月22日夕刊)。
 約26万6千人もの宮崎県民が知事に選んだ人だし、私は宮崎県民ではないので、新知事に関する詳細な私見は述べないが、1つだけ、言っておきたい。風俗店で少女からサービスを受けた過去について述べた件(くだり)で、新知事は「あの問題を通して青少年の健全育成の必要を改めて感じた。」と釈明し(同上紙)、次のように付言した。

「人の痛み、気持ちが分かるのは、不祥事を起こした人間だ。私は体験を身をもって伝えられる。」 (同上紙)

 はっきり言って、私はこの考え方には首肯できない。ご本人が過去を反省しておられるのは結構だが、「人の痛み、気持ち」は何もわざわざ不祥事を起こさなくてもいくらでも分かるし、また、そうであるのが“普通”ではないか戦争の悲惨さが分かるのは、何も戦争経験者に限らない。県政の最高責任者には、不祥事を起こさなくても人の痛みや気持ちが分かる人、戦争経験がなくても戦争の悲惨さを理解でき、それを広く語れる人が望ましいと私などは思う。

大学入試センター試験終了

昨日、一昨日と、大学入試センター試験に動員されて、早朝から夕方まで、多忙で、神経を使う長時間を過ごした。昨日のことであった、1時間目の試験中だったと思うが、日本共産党の宣伝カーが党の宣伝をしにやって来た。私が勤務する大学は新浦安駅前の“シンボルロード”と呼ばれる大通りに沿って所在しているので、その影響を少なからず受けた(はずである)。昨日、一昨日と、大学入試センター試験が行なわれることは事前から全国的に知られていることであり、そこに我が大学が存在していることなども、宣伝カーから見れば、一目瞭然であったはずだ。それにも拘わらず、大型スピーカーを使って党宣伝をするのは、同党にとっては逆効果になったものと思う。聞くところによると、同宣伝カーが2回目に回って来た時、堪りかねた大学関係者が抗議に行ったそうである。当然である。幸いなことに、大過なく入試業務は終了した。

安全ピン

pin昨日は大学入試センター試験の1日目だった。入試業務としては何事もなく過ごせた。試験監督をしていた教室で、1時間目が終わった直後、女子生徒の一人が、メガネのねじが無くなってしまったので、セロテープか何かありませんかと言って来た。監督補助の若い女性事務員が、それではこれから本部に帰りますから、そこでテープを探してみますと応えた。そばでそれを聞いていた私は、それならば、安全ピンを応急処置に使うといいですよと言って、私が胸に留めていたリボンのピンをはずし、それを彼女のメガネのねじ穴に差し込み、ピンを留めた。ところが、そのピンが若い彼女の“おしゃれ心”をくすぐったのか、かなり気に入ってくれたようであった。監督補助の若い女性も、ああ、そういう使い方ができるんですね、というようなことを言った。別れ際、「“安全ピン”で留めたから、今日の試験は“安全”ですよ。がんばって!」と言うと、「ありがとうございます」と応えて、試験会場に戻って言った。
 安全ピンにはいろいろな用途がある。男である私も、自分がメガネを掛けていることもあって、カバンの中にはたいてい1本か2本の安全ピンを忍ばせている。万一、ズボンや背広の糸がほつれたり、生地が裂けたりしたような場合には、応急処置用として安全ピンはかなり有用である。
 今日、これから2日目の試験が始まる。

若者を神経質にする気遣い?

今日と明日の二日間、大学入試センター試験が行われる。私も動員されて、早朝、大学に来ている。昨夜から、テレビでは、アナウンサーや天気予報係が受験生に向けて、さまざまな“注意”を呼び掛けている。しかし、その中に、どうかと思うものもある。受験生にとって、天候や交通情報が気になるのは当然であろう。しかし、 「明日は手袋、マフラーは持って行ったほうがよさそうです。」、「体を温めるもの(たぶん、携帯用懐炉のことであろう)を身に付けて行ってください。」等々、18にも19にもなった若者達を相手に、“馬鹿丁寧な気遣い”をする必要があるのだろうか。そんなことは自分で考えればよいし、またそうさせるべきだ(と私は思う)。最近の世の中を見ていると、若者を神経質にするような“気遣い”が多過ぎるように感じる(のだが…)。

「早春賦」の英訳を公表

uguisu「朧月夜」 に引き続いて、「早春賦」(作詞:吉丸一昌/作曲:中田 章)を英訳してみた。こちらも美しい文語で書かれているだけに、英訳は結構難しかった。米国人Greg Irwin氏による、この歌の英訳があることは知っているが、訳出の前も途中も、そうした英語母語話者の手になる英訳はいっさい見なかった。見れば、何らかの影響を受ける恐れがあるからである。“日本人”としての“私らしさ”が損なわれるような気もした。その種のものを見たい場合は、必ず事後にする。そうすると、「ああ、これは私には言えない[考え付かない]表現だ、発想が違う」などと感じることが少なくないが、それがまた楽しい。日本人が日本の歌を日本人の感性で英訳し、それを歌うというのは、“日本発信”の一環として貴重な行為だと、私は思う。
 なお、金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌(中)大正・昭和篇』(講談社文庫)には次のようにある。

現在も多くの人に愛唱されている名曲である。第一に歌詞がいい。本格的な春の訪れを待ちわびている人々の気持がよく現れており、吉丸の作品の中では、「浦のあけくれ」(上巻252ページ参照)と双璧をなす傑作である。それに答えて曲も闊達でのびのびとして歌いやすく出来ており、よく歌詞にマッチしている。この曲にはやはり当時としてはしゃれた前奏曲がついており、独奏曲とも言える。森重久弥氏が戦後「知床旅情」を作って世に歌われた時に、その最初の二行がこの曲の二行に似ていると評判になったことがあった。関種子氏、田中寿美子氏、黒柳徹子氏など女性にこの歌は人気があった。(36頁)

 上に、「知床旅情」の最初の二行がこの曲の二行に似ていることが話題になったとあるが、この曲自体、モーツァルトの歌曲「春への憧れ」とよく似ているところがあると聞いたことがある。

管見:この日本語表現って?

tesuu時間があると健康のために近所を散歩する。その時、あちこちで「おや?」と思う日本語表記に出合う。へそ曲がりの性格が為せる業か、デジカメのシャッターを押している。先日も左のような掲示を撮った。ある学校の裏門か横門か分からないが、「学校にご用の方は お手数ですが 正門からお入りください 学校長」とあった。正門に行くなど、別に“手数”ではないだtokutenろうに… むしろ「ご足労ですが」のほうがよいのではないか… 「ご面倒ですが」もよいかも知れない。あるいは、この掲示は、門を開けたり閉めたりすることに対する“手数”を言っているのかもしれない、などと思いつつ、更に散歩を続けると、今度は下記の掲示が目に入ってきた。「お得特典!」  “特典”と言えば、“特別の恩典[待遇]”という意味だから、それ自体が“お得”なものだろうに… きっと強調語法だろうと思いながらシャッターを押した。そばにいた女子店員が「変なおじさん…」というような顔で私を見ていた。

 

「朧(おぼろ)月夜」の英訳公表

菜の花畠に 入日薄れ」で始まる朧月夜の英訳を公表した。文語調の日本語だけに、英訳はけっこうい難しかった。たとえば、一番の歌詞の末尾にある「におい淡し」の「におい」も現在の意味ではなく、「色合い、色調」の意味である。その他、今の若い人たちには馴染みのない語句・表現が出てくる。二番の冒頭の「里わの火影(ほかげ)」も今の若い人には馴染みがなかろう。
 
この歌について、金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌(中)大正・昭和篇』(講談社文庫)には次のようにある。

 『尋常小学唱歌』の中で一、二を争う傑作と言われる歌である。題材は朧に匂う田園の春の情調を歌ったもので、第一節から第二節に移ると、まだほの明るい夕刻から、暮色がすでにあたりを包んだ夜への時間の推移を表している。子どもにその頃の自然の美しさの鑑賞を教えて遺憾がなかった。歌詞の美しさにそえて、曲もすばらしく、多くの人が小学校で覚えて生涯忘れがたい曲として懐かしんでいる。(中略)四家文子、宮城音弥、石森延男、長谷川良夫、関英雄、無着成恭、川本茂雄、森光子、中田喜直、皆川達夫、友竹正則、まどみちお、小島美子の諸氏はいずれも子どもの時の愛唱歌だったと述べている。(54-5頁)

 別の所でも書いたが、冒頭の「菜の花」に添えられた和英辞典の訳語はrape flowersであるが、昨今、rapeと言えば、口にするのもおぞましい行為を連想させるものである。Mustard flowersという語もあるが、歌に用いるにはこちらも適当ではない。したがって、結果的には、「黄色い花」と考えて、yellow flowersとした。「菜の花畠」はしたがって、the fields of yellow flowersと表記した。

“処分”、“焼却”される鶏たちに思う。

chick

宮崎県清武町の養鶏場で鶏が鳥インフルエンザに罹り、結果的に、家畜伝染病予防法に基づいて約1万2000羽の鶏が2酸化炭素で“処分”“焼却”されるという。“処分”、“焼却”、何という冷酷な言葉だろう。もちろん、“人間(様)”を中心に考えるから、そういう言葉も平気で使える。誤解されると困るが、私はそういう“処置”を否定しているのではない。そんな非現実的なことを言うつもりはない。願わくは、人間(様)が、ひたすら人間(様)の腹を満たすためにだけ生を与えられ、人間(様)の都合によって“処分”、“焼却”される、そういう鶏たち(命あるものたち)に対して、感謝を捧げ、合掌してやるだけの仏性(ぶっしょう)を持ち続けんことを…、ただそれだけである。

けなげな生命(いのち)

wall10きのうの午後、妻と近所を1時間半ほど散歩した。道すがら、あちこちの家のコンクリート塀や石垣の隙間に「けなげな生命(いのち) 」を見た。風に乗って飛んで来た草花の種子が、塀や石垣の隙間にあるほんのわずかの土の中に根付いたものだろうと思う。いとおしくもあった。誰かに見られようとして芽生えているのでも、誰かを感動させようとして咲いているのでもない。ただ、自分の「生命」を全うするためにだけ、限られた生命の火を燃やしている。それをけなげと解釈したり、いとおしく思ったりするのは、人間だけである。先日(12月29日)紹介した「千の風になって」も、そうした人間の感情や感性が作り出したものである。

美しい国、憎いし苦痛?

今朝、町内会主催による「餅つき大会」を覗いてきた。老若男女、ずいぶん多くの住民が会場である公園に集まっていた。餅、トン汁、甘酒など、みな町内会費による“振る舞い”であった。小さな子供たちが、列を作って、子供用の杵を握る順番を待っていた。10回ずつ餅をつかせてもらえるのだ。どの子の顔も嬉しそうだった。子供たちに、「おはよう」と声を掛けると、どの子も「おはよう(ございます)」と声を返してくれた。
 子供は大人の反映である。大人が示し、見せることを子供たちは真似ていく。それが地域文化を形成して行き、大きく見れば日本文化になって行く。こういう小さな行事を町内で大事にしていくことが大切である。そのことに気づいている大人たちの多い町内で生まれ育つ子供たちもまた幸せだと言えよう。
 昨夜、NHKテレビが、某団地で一人寂しく死んで行く高齢者が多くなっていることを報道していた。ご自身が心臓ペースメーカーを埋め込んでいるという70何歳かの男性が、同団地での孤独死防止のために尽力されていたが、その姿には本当に頭が下がった。「それぞれの人が人生の山坂を越えて来て、なお、重荷を背負っておられるのなら、その重荷を、同じ団地に住んだという共通点しかない者同士ですが、少しずつ分け合って暮らせば、少しは楽になるのではないかと思っています」という同氏の言葉が印象的だった。そういう中で、同団地では、年中行事になっている盆踊り大会が行なわれた。その時は大いに華やかな団地に思えた。それが終われば、また、孤独死の恐れのあるいつもの団地に返るのだ。
 今、我が国は急速に高齢者社会になりつつある。今こそ、老若男女、全ての日本人がわが国の行く末を真剣に考えなければ、将来、取り返しのつかない一大事になるだろう。「美しい国(うつくしいくに)」を逆に読むと、「憎いし苦痛(にくいしくつう)」になるという、なかなか穿った読み方をした人がいたが、そう思わないでいられる日本国を作りたいものだ。

学人の第一の用心

daruma学人の第一の用心は まず我見を離るべし
                ―道元『正法眼蔵随問記』

「学問の道を志す者が一番注意しなければならないことは、自分の考え方・見方が絶対だと思わないことである」という意味だと思う。私のような凡夫は、とかく自分の物の見方・自説に固執しがちである。できるだけそうならないように努めるために、折りあるごとにこの名句を反芻している。

「くれてやる」という日本語

『若草物語』(Little Women)を書いたLouisa May Alcott (1832-1888)の父、Amos Bronson Alcott (1799-1888)はアメリカの超絶主義者、教育家、社会改革家として著名な人であった。その人に言及した文章の中に、He was a very generous man and he once gave away his last bit of firewood to a needy family. という1文があった。私は受講生に訳例を示す中で、そこにあるgave away を「くれてやった」と訳した。すると一人の女子学生が、私が使った「くれてやった」という日本語に対して、「gave away を《くれてやった》と訳すことに大変驚きました。」という感想を寄せてくれた。本人曰く、「『《(仕方なく》くれてやった』のようにどこか薪を渡すことを渋っているような印象を受けました。」 私自身は、「くれてやる」という日本語で上記の学生が感じたようなニュアンスではなく、「こんなもの惜しくない(そんなにほしいのなら持って行け)という気持で相手に伝える」(『新明解国語辞典』第5版)に近い鷹揚さを表したかったのである。その場合の「やる」には、当然、「(対等かそれ以下の相手に)利益を与えるようなことをする」という含みを持たせた。超絶主義者 Alcott の性格に似合った日本語だと思ったからである。
【後記:後刻、当の女子学生から、「《くれてやる》を《惜しげもなく与える》と言う意味でも使うとは知りませんでした。今回のことで私自身大変勉強になりました。」というメールが届いた。】

「菜の花」を英語で言うと?

翻訳関連のある授業で、小テストとして、日本の歌の英訳を課した時のことである。「菜の花畠に入日(いりひ)薄れ」で始まる「(おぼろ)月夜」(作詞:高野辰之/作曲:岡野貞一)の冒頭に出て来る「菜の花」を、受験生(受講生)32名の内、2名を除いた30名全員が“rape blossoms”と訳した。理由は簡単である。彼らが所持していた電子辞書の和英辞典にその語だけが収録してあったからである。例外の2名は辞書不所持であり、無解答であった。
 私は、この訳語で、情緒豊かな「菜の花」を表すのには反対の立場である。理由は容易に推測がつくだろう。和英辞典の作り方に特別な配慮が必要だということを示す好例だと思っている(最新刊の某和英辞典も同じ語を訳語としている)。私が関係した和英辞典では、別の語を推奨した。

 

重言(じゅうげん)のこと

「馬から落ちて落馬して」という、よく知られた重ね言葉がある。「重言(じゅうげん、じゅうごん)」とも呼ばれる。重複語と呼んでもよかろう。
 先日、横浜みなとみらい地区を紹介するテレビ番組があった。案内役の某お笑いカップルの男性の方が、「ああ、今日は衣装が変わりましたね。」とか何とか言った。それに応えて女性が言ったのが、「はい、新しく新調しました」。
 その種の重言を私たちは日常的によくやっている。以下に示すのは、私が折りある毎に収集しておいた重言の例の一部である。読者の方々に、“お遊び”と思って、どの部分がそうなのか、当ててみていただきたい。

◆「断トツの1位でテープを切った。」
◆「車を駐車してくるから、待ってて。」
◆「両親と一緒に同居する予定です。」
◆「腹の周りに余計な贅肉がついた。」
◆「その夜、激しい吹雪が吹き荒れ続けた。」
◆「そうすることは今の我々には一番ベストだ。」
◆「ホテルはあらかじめ予約しておいたほうが無難だよ。」
◆「文化的背景を分かる必要があることを痛いほど痛感した。」
◆「そのイギリス人夫妻は約1ヶ月ほど後に日本に来日予定だ。」
◆「高校生の頃に負傷した傷の後遺症が成人になっても
残った。」
◆「その種の人材は、工事に着工する頃までに、必ず必要になる。」
◆「ニュージーランドに行ったら、お土産を買って来るから、期待して待っててね。」
◆「私の日本語は未だ未熟なので、山岸ゼミで、美しい日本語を話したり書いたりできるように勉強したいと思います。」
◆「いちばん最初にお聞きしたいのは、彼の異常性が周囲の人々の注目を引き始めたはだいたいいつ頃だったのかという点です。」

 重言のうちでも、「歌う」「踊り踊る」「舞う」「犯罪犯す」などは、すでに市民権を得ており、それらに違和抱く者(「じる」ではなく?)は少ないのではないか。

「桃太郎」の歌の英訳のこと。

私が英訳した日本の歌の1つに、例の「桃太郎」がある。その歌を私の英訳で歌ってくれている若い女性の声を偶然に聴いた(こちら)。 URLから推測して、岡山県立岡山南高等学校の女子生徒さんらしい。音の連結箇所や強勢の置き方など数箇所で、私の考える歌い方とちょっと異なっていたり、語によっては発音が間違っていたりする(pinned, hurrah) が、全体的にとてもよく歌えている。英語の発音もなかなかのものである。何よりも、美しく、はきはきした声がいい。若い人が羨ましい。
 最近、私の英訳に言及したり、賛辞を贈ってくださったりする日本人、外国人が増えてきた。まことにありがたい。Greg Irwinさん(米国人シンガソングライター)のような、英語を母語とする人の感性で英訳された日本の歌もいいが、日本人自身による日本の歌の英訳もまた一興かと思う。

「箍(たが)がはずれる」=「プッツンする」?

taga oke昨日、某テレビ局が、江戸がリサイクルを徹底させた、いかに清潔な町だったかという内容の番組をやっていた。江戸庶民の商売を紹介する中に、桶屋が出てきた。桶屋は、桶や樽の箍(たが)がその役を果たさなくなった場合、その部分だけを取り替えることも仕事の一部とした。
 それをレポートしていた男性が「ああ、《箍がはずれる》っていう言葉はここから出たんですね」と言うと、傍にいた女性レポーター(アナウンサー? タレント?)が、「ああ、《プッツン》ですね」と応じていた。
 箍は、桶・樽などの回りにはめて締める竹(や金属など)の輪のことで、そこから、「箍がはずれる」「箍が緩(ゆる)む」「箍を締(し)める」といった慣用句が生まれた。それぞれ、「緊張・気力などがなくなる」「緊張・気力などが衰える」「気の緩みを戒める」といった意味で使う。
 したがって、「プッツン(する)」と表現すると、現代的には、「キレる」と解釈されてしまう恐れがある。事実、私も私の家族の者たちも、そう解釈した。
 私自身、最近、「箍の緩み」を感じたことはあるが、まだ、「箍のはずれ」を実感するほどではないので、「箍の締め直し」をしないといけないと思っている。正月はそれをする好機だと思う。

愛は煩悩、愛は執着

東京都渋谷区の某歯科医師宅で、次男(21歳)が妹(20歳)に、「私には夢があるけど、X君にはないね。私は勉強しているから夢が持てる。X君は勉強しないから夢がかなわない」となじられ、“頭にきて”、その妹を殺害し、遺体を切断したという。同じ屋根の下に住みながら、3年間、まともに口を利いたことがなかったらしい。

 この事件を知った時、私は正直なところ、「その程度のことで妹を殺害するの?」というような単純な印象を持った。「今に見ていろ、お兄ちゃんが偉くなって、お兄ちゃんを尊敬させてやるからな。《終わりよければ全てよし》って言う言葉を知らないの?」とか何とか妹に言って、堂々と構える精神的余裕がなかったのだろう。「きみはきみ、ボクはボク。十人十色さ。」と応えることもできなかったのだと思う。いずれにせよ、あまりにも悲惨な事件だ。

殺害された妹は舞台女優としても活躍していたようだ。彼女の公式ブログは昨年12月23日(土)で終わっている。そこには、「クリスマス・正月のプレゼント・お年玉が貰えなくなる時期は長男に合わせているようで、長男がいちばん高価なものを貰う。貰えなく時期を長男に合わせられると、自分は小さい頃にそれが貰えなくなるわけで、不条理を感じる。今更どうでもいいことだが。」という内容の文が綴られており、文末は、「子供が生まれる前に、いろんな法則を作って置かないと行き当たりばったりだと不公平でかわいそうですよね。」という言葉で結ばれている。

殺害は12月30日に行なわれたようであるから、彼女が最後のブログを書いてからわずか1週間しか経っていない。彼女は「不条理」という語をどんなつもりで使ったのだろうか。たぶん「道理に合わないこと」という普通の意味でだったろう。フランスの文学者カミュは、たしか、その語を「人生の無意義、不合理、無目的な絶望的状況」を指すのに用いたと思うが、被害者がその意味でそれを用いたのではないことを願う。

七福神のこと。

七福神はすべて日本の神様から成っていると思っている人が少なくないようだ。実際には、恵比寿(恵比須、蛭子、夷、戎とも)だけが日本の神様であり、もとは兵庫県西宮神社の祭神蛭ebisu子命(ひるこのみこと)で、海上・漁業の神様。弁財天・毘沙門天・大黒天の三神はインドのご出身布袋(ほてい)・福禄寿・寿老人の三神は中国のご出身である。ものの本によると、室町時代に、商人たちが、そうした神々を組み合わせて七福神とし、それ以降、盛んに信仰するようになったのだという。七福神大黒様と日本神話の大国主命(おおくにぬしのみこと)の「大黒・大国」の音が似ているので、混同されがebisu othersちだが、これは江戸時代に神仏混交の傾向が強くなった頃からの傾向のようだ。ちなみに、大黒様インドの台所の神様だという。正月に七福神を見ると、なぜか楽しくなるから不思議である。

地獄は一定すみかぞかし。

いずれの行(ぎょう)もおよびがたき身なれば、
     
とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし。

『歎異抄』に出てくる親鸞聖人の言葉である。「どんな善行も為すことができない私だから、私の住処は地獄こそが相応しいはずだ」という意味かと思う。聖人の言葉を引き合いに出すのもおこがましいが、罪業多き我が身が地獄行きであろうことはほぼ間違いない。それゆえに、善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言われた聖人の“絶対他力”をひたすら信じて何とかここまで生きて来たし、今後も同様に生きて行こうと思っている。

断崖絶壁に立つ投入堂の荘厳さ

某テレビ局が、鳥取県三徳山(みとくさん)三仏寺の国宝・投入堂(なげいれどう)を紹介していた。三徳山は天台宗の仏教寺院で、昨年、開山1300年を迎えている。投入堂の名は、ふもとで組み立てたお堂を役行者(えんのぎょうじゃ)が、「えいやっ!」と神通力で投げ入れて造ったという伝承から出たものらしい。断崖絶壁に建つ、その奇跡のような姿と荘厳さは、まさにその名に相応しいものである。岡倉天心の書き残したものによって、堂はかつては朱色と白色とに塗り分けられていたらしいことが分かったそうだ。正月二日目の朝の感動的なひとときだった。(ただ、出演していた著名女優Sさんが、《六根清浄》を「何と読むのですか?」と聞いていたのには、彼女の年代から考えて、少々意外な感じを受けた。)

謹賀新年 「黎明への挨拶」

                                  謹 賀 新 年

 

                                      平成十九年元旦

              


                   黎明への挨拶

                                 カリダサ (c.5th-c)

 

この日を見よ!

これぞ生命なり、生命の生命なり

その短き行路の中に

汝の存在の真実と現実、すべてが横たわりて在り

成長の歓喜

行動の栄光

成功の華麗さ

昨日は夢に過ぎぬ

明日はただの幻なり

されど、よく過ごされし今日は昨日をも

 幸福な夢と成し

 明日を希望に満ちた幻と成す

 されば、この日をよく見極めよ!

 それぞ黎明への挨拶なり
                (山岸勝榮訳)

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