2008年04月

日本のよき理解者をつくろう。

昨夜のテレビ東京「ガイアの夜明け」(第312回 外国人観光客を呼べ〜変わりゆくニッポンの名所〜)は素晴らしかった。
 和歌山県田辺市が舞台。同県南部にある田辺市は、世界遺産に登録された「熊野古道」や古くからの温泉街がいくつもある観光地として有名だが、交通の不便さとPR不足っとが重なって、観光客は年々減少傾向にある。その傾向に歯止めをかけようと努力しているのが、カナダ人のブラッド・トウル氏(33歳)。
 氏は英語教師の助手(ALT) として来日したが、同地の魅力に強く惹かれ、それ以来、同市に留まり、「恩返しをしたい」と、市が設立した「田辺市熊野ツーリズムビューロー」で国際観光推進員として活躍する。
 「温泉」はhot springでもspaでもなく、あえてローマ字表記をするならonsenがよいと力説する。嬉しい指摘だ。トウル氏は、温泉旅館の従業員を集めて、外国人応対のための研修を行っていた。実際にあちこちの旅館を回りながら、ローマ字表記を含め、言葉の問題や文化差について説明していく。
 氏を英語助手として温かく迎えた田辺市。それを「恩義」に感じて、「自分のできる協力は惜しまない」と、観光客誘致のために努力する氏。氏の努力によって、実際に同地にやって来た外国人観光客・取材陣の評判は上々だった。
 昔の人は言った。「蒔かぬ種は生えぬ」と。「巡り巡って我が身に還る」とも言った。日本の言語文化・風俗習慣・自然などを愛してくれる外国人たちを一人でも多く作る努力が大切だ。私たち(日本人)が外国に行く場合も、「その国らしさ」を求めて行くのだから…。

「お婆ちゃん」 他人は呼ぶな

表題は今朝の朝日新聞の「声」の欄に出ていた一投書のタイトルである(このタイトルは新聞記者が勝手に付けたものかも知れない)。60歳の一女性(主婦)が次のように書いている。

(前略) まだ私は呼ばれたことはないが、見知らぬ高齢者を一般的に「お爺(じい)ちゃん」「お婆(ばあ)ちゃん」と呼ぶ。年を取ることは恥ずべきことではない。ごく自然なことだ。でも他人から、社会から「老人」とは呼ばれたくない。
 団塊の世代はジーンズをはき、ビートルズを聴いて育った。「お爺ちゃん」とか「お婆ちゃん」呼ばわりすると反発をかうだろう。これからの我らの退職金、購買力、社会進出はすべての分野で影響力を持つ。(中略) 「後期高齢者」と呼ばれ、やる気にはならない。まして「お爺ちゃん」「お婆ちゃん」と、他人を決して呼ぶべきではない。

ものの考え方、感じ方は人それぞれだと思うが、この文章は誤解を招く。「…と、woman girl他人を決して呼ぶべきではない」という箇所が、いかにも不寛容な物言いに思えるからだ。投稿者は、近所の幼い子どもたちであっても、それが“他人”であるかぎり、「お婆ちゃん」とは呼ばれたくないのだろうか。そうだとしたら、そうした子どもたちから何と呼ばれたいのだろう。実際問題として、幼い子どもたちから60歳(=投稿者の年齢)の女性を見た時の「呼び掛け語」にどんなものがあると言うのだろう。
 私は投稿者よりも年上だが、“他人”である近所の幼い子どもたちから「お爺ちゃん」と呼ばれてもいっこうに平気である。その子どもたちから見れば、還暦をとっくに過ぎた私など、まぎれもなく「お爺ちゃん」(「老人」)に映るだろうから。
 「お婆ちゃん」という日本語の根底には、語源的に「」があるように思う。したがって、私は「お婆ちゃん」を親称と捉えており、頑(かたく)なに否定する必要などない語だと思っている。
 もちろん、平均寿命が延びた今日、何歳から「お爺ちゃん」「お婆ちゃん」と呼ぶか、誰が誰をそう呼ぶかという点には議論の余地はあるが、その語自体には何の「罪」もないと考える。肝心なことは、「お爺ちゃん」「お婆ちゃん」と呼び掛ける側の「心持ち」と「音質」だと思う。言葉だけをどれほど飾って(換言して)も、「心持ち」と「音質」が荒々しいものであれば、それは人を不愉快にさせたり、怒らせたりするだろう。
  「団塊の世代はジーンズをはき、ビートルズを聴いて育った。『お爺ちゃん』とか『お婆ちゃん』呼ばわりすると反発をかうだろう」と、「団塊の世代」を代表したような物言いに思える投書だが、団塊の世代も人それぞれだと、私は思う。

「多様」と「多用」

ゼミ生の一人が、ゼミ専用掲示板に「《〜させていただきます》の多様は禁物であると思います」と書いた。「多様」ではなく「多用」(「多く用いる」の意)である。「多様」は「さまざま」とか「いろいろ」ということで、意味が違う。
 私の記憶では、私が大学に入った(昭和38年[1963年])頃、「多用」と言えば、「用事が多い」という意味だった。私自身は、これを「多用中のところ、恐れ入りますが[はなはだ恐縮ですが]… 」のように用いたし、今でもその用い方をする。それをいつの頃からか、「多用する」(多く用いる)のようにも用い始めた。両義共、昔からあったものかどうか、専門家のご教示を得たい。
 いずれにせよ、「多様」と「多用」の混同が相当に拡がっているようだ。「多様は禁物」「多様[]避ける」「多様が目立つ」をGoogle検索にかけると以下のような実例が見つかった。各3例を挙げる。

◇ジャンプCは相手のJAやJCでカウンターを取られることが多いので多様は禁物
◇消化器官を刺激し、食欲を増進させてくれる 【橙色】 ですが、多様は禁物。 新陳代謝が過剰になりすぎて、熱く感じてしまうこともあるそうです。
◇相手に向かってデュランが体当たりを行う。スキの少ない技だが威力は弱い。さらにデュランにも命中判定があり、倒されると敗北なので、多様は禁物

◇ブラウザも対応する必要がないため、多様は避けるべきです。
◇ またJavaScriptでのリンクやFLASH、CGIという動画は対応していません。 視覚的には良いですが、多様は避けるべきでしょう。
◇『〜させていただく』は、謙譲表現として文法的には誤りではないが、相手から特別な許可を得る、恩恵を受ける、許しをもらうなどの場合に使って謙譲の意味を表す言葉なので、多様は避ける」 とあります。

◇窒素の多様を避ける
◇曖昧接続の「が」の多様を避ける
◇アルファ値を変更するアニメなどの多様を避ける

◇映画やドラマのような説明カット(暗転)や説明台詞の多様が目立つようになる。
◇なお、この作品ではヒサシブリ、ブチカマスなど、動物の名前にダジャレの多様が目立つ
◇話は少しずれて、よく銀行員とか自分をインテリだと思っている人の会話の中に「今日の日経に・・・・・」で始まる会話の多様が目立つように思われます!

「演歌歌手ジェロ」 それでいいではないか

昨日、TBSの某番組が、新潟県出雲崎町議会が全会一致で「ジェロ予算」を可決したと報道していた。演歌歌手ジェロ(JERO; Jerome Charles White, Jr.)のデビュー曲「海雪」(うみゆき)の舞台となったのが出雲崎で、しかも同町が中越沖地震で被災した地域だったことから、彼を応援するための特別予算を組んだらしい。町長は、「彼の活躍は復興の起爆剤になるので、町を挙げて応援したい」と話しているそうだ。
 そこで、興味本位で彼の名前をインターネット検索にかけてみた。案に違(たが)わず、さまざまに形容されていた。

いま話題の黒人演歌歌手
奇跡の演歌歌手ジェロ
異色の黒人演歌歌手ジェロ
アメリカ生まれの演歌歌手
人気急上昇中の黒人演歌歌手ジェロさん
史上初の黒人演歌歌手ジェロ
日本人の心を歌う黒人演歌歌手
日本初の黒人演歌歌手のジェロさん
黒人歌手“哀愁ド演歌”でCDデビュー
最近ブレークしている黒人演歌歌手ジェロ
黒人演歌歌手として話題になっているジェロさん

等々。
 そこで思ったのだが、一人のアメリカ人青年が「演歌」を見事に歌うからと言って、これほどの熱狂的形容をする必要があるのだろうか…。
 イチロー・松井秀喜・松坂大輔といったプロ野球選手は、彼らが「日本人」だから、「黄色人種」だから、ということでアメリカで人気があるわけではないだろう。バレーダンサー・熊川哲也にしてもそうだ。彼がイギリスで大活躍したことと、彼が「日本人 [黄色人種] 」であったこととは無関係のはずだ。
 国際化などという語はすでに死語、よくても陳腐語だと思っていたのだが、こうした形容の仕方を見るかぎり、じつは日本という国 [日本人] は未だ真の国際化を果してはいないのだ…と思わざるを得ない。それとも、そう考えるのは私の僻目(ひがめ)だろうか…。
 「演歌歌手ジェロ」、それでいいではないか。彼が「本物の(演歌)歌手」なら、彼自身、そう呼ばれることを望むのではないか。

「永年勤続」のこと

今朝、大学に来て、いつものようにメールボックスを開けた。中には、大学からの「永年勤続表彰について」の案内が入っていた。私は本学(明海大学)浦安キャンパス開設時からいるので、この3月末日で、ちょうど20年が経過したことになる。それを、他の永年勤続の方々と共に表彰してくださるということのようだ。
 当時、私は43歳だった。それまで、法政大学に非常勤講師(1970-2;博士後期課程在籍中)、同専任講師(1972-6)、同助教授(1976-85)、同教授(1985-8) として、計18年間勤務していた。「大学紛争」の時代だった。
 したがって、大学の教壇に立って、38年の歳月が流れたことになる。言い古された言葉だが、「光陰矢の如し」(Time really flies!)だ。
 明海大学浦安キャンパスが開校した(1988年4月)頃は、まだ京葉線も走っておらず、バスの便も相当に悪かった。大学周辺にはそこが「埋め立て地」であることを如実に示す光景が広がっていた。私は横浜の自宅から3時間ちかくかけて地下鉄東西線・浦安駅経由で通勤した。浦安駅にはいつも、今は亡きL. Perkins教授が車で迎えに来てくださった。同じく今は亡き鈴木進教授(初代外国語学部長)も駅前に待っておられた。
 無から有を生み出すことの苦労も楽しさも経験した。多くのすばらしい同僚と働けたのが何よりの財産だ。とりわけ、日本有数の学者諸氏と同僚になれたのは私の誇りでもある。海外からの多くの著名学者も客員教授として本学で教えられた。たとえば、かのG. Leech 先生、R. Kaplan 先生。 
 私はと言えば、「功無きを恥ず」というところだが、それでも「私のやり方」でひたすら学生を愛し、授業を愛し、大学を愛した。それがどれほどのものであったかは、学生や大学の評価に委ねるほかはない。「この秋は、雨か嵐か知らねども、きょうの勤めの田草取るなり」の心境で今日まで来た。今後もその気持ちで教壇に立ちたいと思う。 

本村洋さんに思う。

t1999年4月14日、山口県光市の会社員・本村洋さん(当時23歳、現在32歳)方で、妻・弥生さん(当時23歳)が絞殺後に乱暴され、長女・夕夏ちゃん(当時11カ月)も殺害されているのが見つかった。 いわゆる「光市母子殺害事件」である。犯人は近所に住む少年(当時18歳、現在27歳)だった。21歳同士で結婚した本村さん夫妻。三人だけの小さな家族。何物にも替え難い大切な生活はわずか9か月で終わった。

 あれから9年の歳月が流れた。昨日、広島高裁は1審の求刑通り、死刑の判決を言い渡した。当然過ぎるほど当然の判決だと思う。

 あの事件の日から、私は本村さんという青年を、テレビ画面、その他の報道を通じてだが、常に注目してきた。首尾一貫した言動、明晰な頭脳、誠実な人柄。最愛の家族を、若くして、しかも短期間で失った青年であるにも拘わらず、ほとんど常に沈着冷静であった。それだけに、その悲しみの大きさと深さとが私によく想像できた。初めのころ、たしか、「もし犯人が死刑にならず、刑務所から出てくれば、私が自分の手で彼を殺す」と言ったことがあった。激しさを感じたのはそれくらいだったと思う。おそらく、私が本村さんの立場でも、同じことを言っただろう。

 判決が出たあと、裁判所の控え室で、弥生さんの母親に、「長くかかりご苦労を掛けました」と言葉を掛けたという。この一言の中にも、本村さんの人柄が滲み出ている。縁あって、短かったけれども、「おかあさん」と呼んだ人に、こういう場面でこういう言葉が掛けられる人はほんとうに立派だ。

 加害者とその弁護団は上告するようだが、法治国家において司法制度がそれを許す以上、それは致し方のないことだ。

 本村さんの長く、苦しい9年間に一応の区切りがついたようだ。「人生80年として、そのおよそ十分の一の時間をこの裁判のために費やしました」と語った本村さん。これからの本村さんの人生に幸多かれと祈らずにはいられない。同時に、弥生さんと夕夏ちゃんのご冥福を心からお祈りする。合掌。

【後日記】2012[平成24]年2月20日、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)において被告(大月孝行;30)の死刑が確定した。その際の私見に関してはこちらを参照。

「一長一短」と「一朝一夕」

岡本太郎(1911-1996)が「太陽の塔」を制作するまでに402枚のスケッチを描いており、それが自宅アトリエである岡本太郎記念館で見つかったと、きょう夕方のNHKテレビが紹介していた。その番組の中で、出演者(関係者)の一人が、「岡本太郎さんの太陽の塔も一長一短でできたのではないということがわかった」と言っていた。「一長一短(いっちょういったん)? それを言うなら「一朝一夕(いっちょういっせき)でしょう? 
 いつもの「悪癖」が出て、私は「一長一短では[には]できない」をGoogle検索に掛けた。その結果、そう多くはないが、間違いなく、「一朝一夕」と「一長一短」とを混同して用いている人がいることを確認した。「一朝」の「いっちょう」と「一長」の「いっちょう」とが同音であるために生じた混乱かも知れない。
 「一長一短」とは「長所もあれば、そのかわり短所もある」ということであり、「一朝一夕」は「短期間、短日時」ということである。
 以下に、Googleからの引例を6例だけ行っておく。

◇普通、手話なんて一長一短ではできないのに芸能人はすごい!
◇『一長一短ではできないことをちゃんとやってきている』との総評を頂いて 至極 嬉しかった。
◇ですから、その国土の保全は一長一短ではできないのです。 先人の努力の積み重ねによって成されていることを知るべきでしょう。

◇光り輝くデブも、一長一短にはできないしな〜〜。 はははは。
◇地図上で、自分の存在が分かることは、一長一短にはできないので経験が必要。
◇これは禁煙するぞと決めて、1週間は喫煙しながら自分の生活スタイルを見直して、 で、晴れて禁煙生活をスタートさせるというもの。そうよね。一長一短にはできないもの。 

春 悲し 人 悲し

春 悲し」と題した記事が今朝の朝日新聞に出ていた。各地で、「花 荒らし」が続いているという。JR前橋駅北口から群馬県庁に続く目抜き通りを中心に、約1キロにわたって道の左右に置かれていた木製プランターのチューリップ計1050本が切り落とされたようだ。
  先月末には東京都小金井市の公園で、高さ2〜4.5メートルの桜の苗木8本が折られた。今月に入ってからも、福岡県直方市、山口県下関市、群馬県前橋市、静岡県牧之原市などで、植え込みの大量の花々が踏み荒らされたり、むしり取られたり、切り取られたりする被害が出ている。うち、1件の容疑者の男は34歳だったという。
 なぜこんな愚かなことに手を染めるのだろうか。花々は、花神が、「御身らも、かくの如く、美しくあれ」と願って、我々人間に贈ってくださった造化の妙だ。それをこのように荒らすとは…。おそらくは、深刻な心の病に罹っているのだろう。早く治療すべきだ。最悪な状況に陥らないうちに…。

「お大事に」と今朝も声を掛けた。

「いち、にー、さん、しー、いち、にー、さん、しー…。」 今朝、久しぶりにあの高齢の女性を見、声を聞いた(2005.11.27)。女性が杖を頼りに、15メートルから20メートルをゆっくりと進むと、息子さんとおぼしき60過ぎの男性が丸椅子をそっと女性の尻にあてがって、「はい、どうぞ」と言う。一息入れると、男性は「それじゃあ、行きますよ」と言う。心温まる、まことに美しい光景だ。いい親子だなと思う。女性もとても幸せそうだ。気のせいか、以前よりも歩くペースが速くなったように見えた。きっとリハビリの効果が出たのだろう。今朝も心の中で、「お大事に」と声を掛けた。その男性を見ながら、私は親孝行だった、今は亡き長兄を思い出していた。

「庚申(こうしん)」の日の夜のこと

以前(2006年10月22日)、本ブログで「日本人の体内に棲む『虫』」の話を採り上げたことがある。そこに次のようなことを書いた。

「60日ごとにめぐってくる庚申(こうしん)の日の夜、人間が寝入った頃、体から抜け出して、当人がしてきた罪過を天帝に告げに行き、告げ口された人間は命を縮めることになる。したがって、人々はその夜は徹夜でいなくてはならない。日本のあちこちに庚申塚があることは周知のことであろう。」

 その後、庚申で思い出したことがある。庚申の日の夜は男女の契りを結んではならず、その禁を犯して宿した子は将来、盗人(ぬすびと)になるという俗信があった。一説には、かの石川五右衛門がそうだし、鼠小僧もそうだった。前者に関しては「五右衛門の親 庚申の夜を忘れ」という川柳が残っている。
 ちなみに、「庚申を うるさく思ふ 新所帯」という川柳もあるが、これもその禁忌を知らなければ、何の意味か不可解だろう。川柳には、時代を反映した、興味深いものが多い。
 

「すべき」と「するべき」

今朝の「朝日新聞」に、「地位協定の改定するべきでない」という見出しの下に、在日米軍司令官の会見記事が出ていた。在日米軍のエドワード・ライス司令官(空軍中将)は14 日、日本記者クラブで会見し、米兵による事件が相次ぐ中、見直しの声の出ている日米地位協定について、「改定するべきだとは思っていない(以下省略)」と述べたそうである。
 私が気になったのは「するべき」の二度にわたる使用である。おそらく若い、あるいは若手の朝日新聞記者が書いた文章であろう。
 もちろん、「するべ」が間違っているというつもりはない。Googleの検索からも分かるように、「するべき」は約570万件ものヒットがあり、口語的には正しいと言える。私が担当する大学生・大学院生、および私の周辺の若い[若手の]教員の多くは「するべき」を用いる。
 しかし、個人的には、この用法はあまり好まない。その理由は、私が「すべき」に慣れているからという、きわめて個人的な理由からである。もっとも、支持する文法的理由がないわけではない。次のようなものである。

  …べき」は文語「…べし」の連体形であり、動詞に後続する場合は、たとえば、「読むべき」「行くべき」「選ぶべき」「与えるべき」等々のように、その終止形に付く。
 ◆する」の終止形は“口語的”には確かに「する」であるから「するべき」で問題はないと言える。
 しかし、「べき」という文語的助動詞は、「する」の文語的言い方である「」(例:行かんと欲す」)とつなげて、「すべき」と言うほうがキリッと締まって、より好ましい感じがする。「意地でもそうするべきだ」よりも、「意地でもそうすべきだ」と言ったり書いたりするほうを私は好む。

 ちなみに、「すべき」をGoogle検索に掛けたところ約1,600万件のヒットがあった。やはりこちらの用法が優勢だと言えよう。(私は国語学者ではなく、あくまでも日本語母語話者の一人としての語感に基づいてこれを書いているので、頓珍漢なことを書いているかも知れない。)

読み方の難しい地名のこと

学生の一人が姉妹校の1つである、イギリスの「リーディング大学」の話を聞かせてくださいと言って来た。毎度のことであるから、「ああ、レディング大学ね」と答えて、長期留学に関する話をした。Reading が「ディング」であることは、知ってしまえば「当り前」の発音情報になるが、たいていの日本人は(かつての私も含めて)そんな発音だとは思ってもみない(だろう)。
 ロンドンのトラファルガー広場の近く、Leicester も「レイセスター」と読まれることが多い(ようだ)。普通は「スター」である。イギリスに留学した人やイギリスに詳しい人なら、Worcester を何と発音するかはよくご存じのはず(「スター」)。
 日本の地名にも難しいものは少なくない。私の故郷・山口県には「特牛」という所がある。「こっとい」と読む。同じく故郷の「南風泊」は「はえどまり」と読む。私が近しかったある山形県出身者(故人)は、昔、山形県の地名に「左沢」「右沢」という所があって、それぞれ「あてらざわ」「かてらざわ」と読むと教えてくれた。なぜそう読むかについては、別の機会に譲る。 

「意外」と「以外」

思いのほか良い」の意の「意外と良い」を「以外と良い」と表記する人が“意外と”多い。「意外と良い[いい]」「以外と良い[いい]」をGoogle検索に掛けてみたところ、以下のような数字が出た。意味を考えれば、「意外」と「以外」とでは用法も違ってくるのだが、多数の人々が、誤用法をそれと気づかずに使っていれば、それもまた正用法になっていく。言語変化とはそんなものである。

正用法(用例省略)
意外といい
 約 427,000件
意外と良い 約 157,000件

誤用法(用例精査は省略)
以外といい 
約 871,000件
◆中国人は以外といいヤツ.
◆いっこく堂のランチが以外といい感じ.
◆着手するかどうかは別にして以外といいかな?
以外と良い 約108,000件
◆ハルさん以外と良いよねー. 
◆戦績をみれば以外と良い出来だったんだなあと思います
◆水道の凍結防止帯が以外と良いかも知れませんが水道温が40度近くまで上がる事があるので温度管理には注意が必要です。

意外や意外!(これが、約1,310,000件)、なんと、「以外や以外!」が約232,000件もヒットした!

時代は変わる…、人も変わる…

一昨日、新入生の一クラスに、初めてのクラスミーティングということで出かけた。担任の先生ご自身が新任ということもあって、学科中で「最古参」(「最年長」という意味ではない)の私がその補助者となった。当日の関東地方は台風並みの猛烈な風雨に襲われ、31名の登録者のうち、出席した学生は24名(男子9名、女子15名)に止まった。
 自己紹介が始まった。何点か気になることがあった。まず、女子学生15名中、13名、すなわち、ほとんどの諸君が、自分の髪をいじりながら自己紹介をしたことだった。いじり方はそれぞれである。次に気になったのが、自分をネガティブに捉える言葉が多いということだ。「自分は人見知りするタイプなんで…」「恥ずかしがり屋なんで…」「口べたなんで…」「無口なんで…」「頭が悪いんで…」などである。気のせいか、男子学生にそういう言い方をする諸君が多かった。
 私には馴染みのない擬態語で自分のことを説明する諸君が一部にいたことも印象的だった。「この辺でウロウロしてるんで声をかけてください」「こういうブルゾンを着た先輩とかがウジャウジャいるんで、何でも聞いてください」などである。若者の感覚には合うのだろうが、私には違和感のある表現法だった。時代は変わる。人の価値観や物の見方も変わる。…
 

春をのみ待つらん人に

花をのみ待つらん人に 山里の
    雪間(ゆきま)の草の春を見せばや
                       ― 藤原家隆

昨日の利休の歌と共に思い出されるのが、鎌倉時代初期の公卿で歌人であった藤原家隆(1158-1237)の上の歌である。これは『南方録
』の中で、千利休の「わび」の心を表す歌として紹介されている。「開花ばかり待つ人に、山里の残雪の間から顔を出す若草の春を見せてやりたいものだ」という意味らしい。「」という語は「(若芽が)張る」に掛けたもののようだ。これを「わび」の心を表す歌と見做したということは、利休が「わび」を冬の終わりから春の初めにあるものと考えていたと解釈できる。いずれにせよ、素人の私には詳細にはわからないが、素人なりに「素晴らしい」と感じられる一首である。
 

その道に入らんと思ふ心こそ

その道に入らんと思ふ心こそ
     我身ながらの師匠なりけれ
                ― 千 利休

利休百首sadoの劈頭(へきとう)に出てくる歌である。茶道には暗い私であるが、学問を志した40年以上も昔、大学院生の頃に出合い、それ以来、常に念頭に置いてきたものだ。何事においても、その道を学ぼうとする者は、まず、志を立てなければならない。志を立て、精進を誓えば、その時点で自分自身の心の中にすでに立派な師匠ができている。そんな意味だと理解して、大切にしてきた歌である。
 私のように、辞書学 (lexicography) という概念さえ一般化していなかった時代に辞書に興味をもった者にとって、この歌ほど私を勇気づけ、自信を持たせてくれたものはない。もちろん、我流に陥らないように、周囲の人々の教えを乞わねばならないことも多かった。そういう場合には、同じく利休の次の歌が私を導いてくれた。


はぢを捨て人に物とひ習ふべし
        是ぞ上手の基なりける
                ― 千 利休

 この歌を見聞きするたびに、「はいっときの恥、聞かぬは一生の恥」という言葉を思い出す。今の歳になっても、知らないことが多過ぎる。「我以外、皆師」という言葉の意味もよく理解できる。
 先週の土曜日に大学院のオリエンテーションを行い、私も自分に課せられた務めを果たしたが、院生諸君に接しながら、千利休の上掲2首を思い出していた。

本に対する思い入れ

library1昔は、退職時に自分の蔵書を自分が勤務した大学の図書館などに寄贈する人が多かった。図書館のほうもそれを歓迎して、それらを大切に保管した。書籍が知識の源泉であった古き良き時代だったのかも知れない。何々文庫というような特別な名称を付して、それを大切に活用する所も多かった。学生の頃の私は、そういう寄贈書に触れるたびに興奮した。「あの偉大な先生が日夜愛用された蔵書がこれだ」、そう思うだけでワクワクした。寄贈者による書き込みがあったり、栞(しおり)代わりの葉書きや何かの紙片が挟んであったりしても、同じように胸が高鳴った。なんだか未熟な自分が少しだけ成長したような錯覚に陥った。
 20年前あたりから、様子が変わりだした。蔵書の寄贈はお断りという「お達し」を出す大学も多いと聞く。収納スペースの問題と情報電子化の急速な発展とがその一大理由だろうが、穿(うが)った見方もできなくはない(がそれはここでは止めておく)。いずれにせよ、さびしい現象だ。
 最近、「ご自由にお持ちください」と書いた紙切れを張った段ボール箱が廊下に置いてあるのを時折目にする。退職間近の教授諸氏が、同僚・院生・学部生などにもらってもらいたいとの願いから放出したものだろう。先日も思わぬ「掘り出し物」に出合った。「ああ、あの先生はこういうものを読んでおられたのか。私も読んでみよう」という思いから、何点かいただいてきた。
 本に対する思い入れは人によって違うだろうが、私の蔵書は「貧困学生」の時代から1冊1冊を苦労して入手したものだけに、なかなか手放せない。しかし、いつかは何らかの形で処分しなければならない日が来る。長年勤務することになる本務校が私の蔵書を引き取ってくれ(そうに)ないことだけは確かだ。いずれにせよ、退職の日までは、どれも一生懸命に「活用」しようと思っている。本はいい。とりわけ、長い間ひとりの人の手元にあったものは、所有者の魂がこもっているような気がして、いい。

嫌な客を退散させる法?

今日は私の本務校で新2年次生に対する一般オリエンテーションが行われた。それに引き続き、学生諸君はコース(翻訳・通訳、ビジネスキャリア、言語文化、EFL教員養成)別に3、40分のオリエンテーションを受けた。私は翻訳・通訳コースの教室に行き、30数名の諸君を相手に、翻訳家を志すには、日英両言語の理解力・運用力は勿論のこと、幅広い一般常識・教養が必要であることを伝えた。
 その例の1つとして、私は、When she sits down for dinner, I'll put some pepper under her chair.(晩御飯の時、彼女の椅子の下に胡椒を撒いておこう)というような英文が出て来た場合、それをきちんと理解するには、「椅子の下に胡椒を撒く」という行為が、嫌な客を早く帰らせる時のオマジナイのようなものだということを知らなければならない、と話し、続いて、「これに相当する日本のオマジナイはどんなものか、知っている諸君は?」と聞いた。一人の挙手もなかった。
 「日本では昔から、(ほうき)、普通は座敷箒、を逆さに立てておくんですが、そんなオマジナイのような、迷信ののような行為について知っている諸君はどのくらいいますか?」 この質問に対する挙手も皆無であった。
 こういう行為について、私の年齢の日本人なら誰でも知っていることだがそれを現代の若者に求めるのは、普通は無理だろう。しかし翻訳家を志す諸君であれば、他の人が知らないことでも、きちんと知っておく必要がある。だいたいこんなことを話した。

2008年度入学式の朝

つい先日、卒業生を送り出したと思ったら、今日はもう新入生を迎え入れる日だ。歳月人を待たずとはよく言ったものだ。好天に恵まれて、祝典には申し分のない日になった。 
 大学のメールボックスに1枚のプリントが入っていた。見ると、「本日零時をもって退職します」と題した、某教授の退職のご挨拶だった。某著名大学で長年教鞭を執られ、同大名誉教授になられると同時の12年前に明海大学に来られた方だ。英語教育界の重鎮のお一人でもある。次のような謝辞が書かれてあった。  

あなたといっしょにがんばって 
十二年になりました
教師になって五十三年 
一瞬の間に過ぎ去った年月
ありがとう 
心から ありがとうございます 
共に闘ってきた仲間です 
私は明海大学の皆さんが好きです 
みんな 本当に いいひとなんです 
そのようなひとと働けたのが私の誇りです 
あなたも別れのとき 己に問うてください 
さわやかな 堂々たる 人生であったか 
            平成二十年三月三十一日
 

同氏のお人柄をよく偲ばせる心温まる別れの辞である。こちらこそ、心からの御礼を申し上げたい。「あなたも別れのとき 己に問うてみてください さわやかな 堂々たる 人生であったか」という最後の言葉を内心忸怩たる思いで読んだ。私の場合、退職までもう少し間があるが、その時が来たら、そう明言できるだろうか。甚だ心もとないが、是非そうありたいと願う。
 生者必滅、会者定離。

「音楽の教科書 歌が古すぎる」?

今朝の朝日新聞の「声」欄に、「音楽の教科書 歌が古すぎる」と題した、72歳の女性による投書が載っていた。それには次のようにあった。

小学校の音楽の歌唱共通教材の曲目を見て驚いた。私は明治か大正の教科書かと、一瞬勘違いしてしまったほどだ。主な曲目は、「うみ」「日のまる」「春がきた」「茶つみ」「春の小川」「ふじ山」「さくらさくら」「もみじ」「こいのぼり」「おぼろ月夜」「ふるさと」「われは海の子」―。
 あまりにも古いのだ。戦前の唱歌もある。歌詞もメロディーも現代の子どもの感性とはほど遠い。(中略) 子どもは現代から未来へ向かって生きるのだ。團伊玖磨さんや中田喜直さんの曲、外国の民謡も選んではどうか。
 音楽を通して心豊かな子どもに育ってほしい。だから、現代の子どもたちにふさわしい芸術水準の高い歌を与えて欲しいと願ってやまない。


 じつは投稿者があげている曲目は、私が好んで英訳している童謡・唱歌である。考え方は人それぞれである。つまり、私はそれらを「古い」とは思わない。どの曲も「古くて新しいものだと思っている。それに、「芸術水準が低い歌だ」とも思わない。「春がきた」など、歌詞も曲も簡単明瞭で素晴らしいが、それを英訳しても、それはそれでとても魅力的な歌になる。
 数年前、私はゼミの授業でそうした曲を取り扱ったが、学生たちは嬉々としてそれらを歌い、英訳に取り組んだ。「古くて私たちの感性に合わない」と言った学生は一人もいなかった。全員、ついこのあいだまで子どもだった諸君である。
 「赤とんぼ」を若い人の感性で“こぶし”を効かせ声を張り上げて歌う人もいる。素晴らしいではないか(聞いているシンディー・ローパーは1080年代を代表するポップス歌手だが、彼女も“こぶし”を効かせたその「赤とんぼ」を十分に楽しんでいることが動画から見て取れる)。投稿者はどれだけ多くの若い人たちが、そうした曲目を愛し、インターネット上で、歌ったり、演奏したりしているかご存じないようだ。
 投稿者はまた、「現代の子どもの感性とはほど遠い」とか「現代の子どもたちにふさわしい芸術水準の高い歌を与えて欲しい」と言うが、その断定の根拠は何だろう。「團伊玖磨さんや中田喜直さんの曲」すべてが現代の子どもの感性に合うはずもなかろう。
 上掲の曲目が、「あまりにも古」く、「現代の子どもの感性にほど遠い」と言うなら、シューベルト(1797-1828)の「子守唄」、ブラームス(1833-1897)の「子守唄」はもっと古いと言えるのではないか。それともそうした外国の曲は「芸術水準が高い」のだろうか(まさか…)。
 極論になるが、そうした曲目を「あまりにも古い」と思うなら、現代の“花形”とも言うべき“初音ミクさん”に歌ってみてもらうといいだろう。シューベルトの子守唄も“ミクさん”が歌い、 トスティー(1846-1916)の「アヴェ・マリア」も、同じ“ミクさん”が歌うと、不思議にも新鮮に響いて、「現代の子どもたちの感性」に合うような気がしてくる。
 言い古された言葉だが、「温故知新」という言葉がある。古い歌をどのように取り扱うか、何をどのように教えるか、将来を担う子どもたちに先人として何を伝えたいかなどといった観点から、上記の曲目や歌詞を見れば、「あまりにも古いのだ」と断定することは憚られるのではないかと私などは思う。

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