2008年11月

この稚拙で短絡的な思考の持ち主

25歳になる無職の男が自分のブログに、「文部科学省官僚への殺人予告をしているのは私です。1週間以内に順次、自宅で刺殺する」と書き込み、脅迫容疑で警視庁に逮捕された(「朝日新聞」、30日朝刊)。同省初等中等教育局の局長や課長ら幹部計10人の役職・氏名を上げているという。しかも、「詐欺教育に対する天誅(てんちゅう)だ」とか、「理想を持って勉強してきたが、教科書の内容と違う現実があることを知り 、文科省に詐欺をされたと思った」とか、いろいろと供述しているらしい。この稚拙で短絡的な思考の持ち主が何と東大卒だというから驚きだ。
 教科書の内容の機械的暗記、出来合いの問題集に対する既製の解答、そんなことばかりをして東大に入りそこを卒業したのかも知れない。ところが、いざ社会に出てみると、「現実は教科書に書いてあった通りではない。これはおかしい。そうだ文科省の役人たちが悪いのだ」などと結論したのだろう。そのニュースを読んで、私はしばらく開いた口が塞がらなかった。

関東地区懇談会に講師として招かれた。

今日は、我が浦安キャンパスで、大学と共催で行っている教育後援会地区懇談会が開催される日だ。そのために早朝出勤をしている。私は全体懇談会終了後に4, 50分間の講演をする予定だ。演題は「外国人に日本のことを訊かれて」としてある。
 英語教師になって以来、我が国の言語文化に関して、数えきれないほどの質問を受けてきた。それを整理し、まとめたものがこちらに列挙してある。今日は、その内の特に私が意表を突かれた質問を10ばかり選んで、それらに回答しながら、我が国の言語文化の特徴を話そうかと思っている。いつものことだが、原稿は用意していない。トピックだけをメモしておいて、あとは聴衆の反応を見ながら話をする予定だ。
 外国人から我が国の言語文化に関する質問を多数受けて、私は我が国のことをよりよく、より深く知ることができるようになった。それが私の英語教育と英語辞書作りの基盤を形成してきたように思う。「汝自身を知れ」(Know thyself.) という言葉もある。

英語を筆記体で書かなくなって久しい。

いつの頃からか、英語を板書するのにもブロック体を使用するようになっていた。学生たちのほとんどが筆記体での書き方を習って来ないからだ。ちなみに、彼らに、international, intelligent など、"i"(アイ)で始まる形容詞を筆記体の大文字で書き始めるように指示してみると、その点がよく分かる。語頭の"I"はまず間違いなく、小文字の"l"(エル)の筆記体になるであろう。当然、接続詞の  if  も文頭では If  (アイエフ)の筆記体ではなく、lf (エルエフ)のそれとなる。

 20年前、明海大学浦安キャンパスが開校した頃、私は板書はまだ全て筆記体で行なっていた。それのほうが慣れた表記法だったし、速く書けた。
 先日、一人の男子学生が私の所にやって来て、オーストラリアのホストファーザーから手紙をもらったが、英語が読めないので読んで欲しいと言った。見れば、流れるような筆記体で書かれた手紙だった。多少の癖はあったが、分かりやすい書き方だった。

 昔(具体的に言えば、昭和35、6年頃)、早稲田大学の五十嵐新次郎教授が、テレビで英語を教えておられたが、その筆記体たるや、まさに芸術品だった。板書するところを画面で眺めながら、そのあまりの美しさに、当時高校生だった私は驚嘆したものだ。少しでも教授の筆記体に近付こうと、私は懸命になって練習した(あまり上手くはならなかったが…)。教授の発音も(ついでにお顔も)これまた美しかった。教授の下からは、その後の早稲田大学の英語教育を背負って立つ方たちが続出した(当然だろう)。
 今の中高生・大学生たち(それに、若い“英語教師諸氏”)が五十嵐教授の筆記体を見たら、何と言うだろう。

一国の存亡は其の主に在り

かのベンジャミン・フランクリン (Benjamin Franklin) は、生涯、「神に対するあなたの義務は何か」、「隣人に対するあなたの義務は何か」を自問し、その実践に努めたという。万物が唯一絶対の神によって創造され、人間もその例外ではない、人は皆、その神の愛し子としてこの世に送られた存在である、そう信じたフランクリンにとって、祈祷書を簡約する仕事に助言を求められた時にも、教理問答書を削って、上記の2点に絞ったのは至極当然であったろう。彼はその理念に基づいて、政治家として活躍した。
 ひるがえって、我らが現首相は、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と宣(のたま)う(「朝日新聞」11月27日朝刊)。朝日新聞は、「保険料で支え合う制度の理念を軽視していると受け取られかねない発言だ」と、やんわりと書いているが、「受け取られかねない」では済まされないだろう。
 「67、68歳になって同窓会に行くと、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方が医療費がかかっていない」とも宣わったそうだ(同紙)。
 現在、「医者にやたらかかっている者」の一人であり、しかも高額医療費支給制度の恩恵に預かりたいと願っている私の妻など、首相の目にはどう映じるだろうか。
 ボンボンとして何不自由なく(あるいは我儘一杯に)育とうと、底辺から這い上がって来ようと、いったん国政の最高責任者になった以上、当人は常に言動に責任を感じるべきだ。管子・七臣七主に曰く、「一国の存亡は其の主に在り。」 また、左伝・成公八年に曰く、「信を失えば立たず。」 共に至言である。

今朝、ドキッとしたこと。

今朝、大学に来たら、メールボックスに、医療法人財団 廣生会 関東予防医学診療所というところから、「特殊健康診断結果通知書在中」と記された一通の封書が届いていた。正直なところ、ドキッとした。こういうものが届くのは、先日、大学で受けた健康診断と関連があるものだということはすぐに察したが、すでに受け取っていた受診結果通知書に、「腎臓に少々異常が見られるので医師に相談してください」と書いてあったから、その件でさらに何か悪い知らせを送って来たのではないかと心配した。
 開封してみると、先日受け取った受診結果通知書をさらに分かりやすく整理したものだった。今回から、こういう分かりやすい、再確認のための通知をしてくれることになったのだろう。腎臓の件は、毎月面倒をみてもらっている近所の主治医に近々相談するつもりだ。
 家族で始めた玄米菜食のお陰で、血糖値などは標準値を保ちつつあるし、血圧も下がりつつある。そんなことが、上記の通知書に示された数値から読み取れる。ありがたいことだ。いずれにせよ、朝から心臓に負荷が掛かる郵便物だった…。 

借銭(しゃくせん)と病(やまい)は隠すな (諺) 【隠さないで、信頼できる人・医師に相談するなど、早く適切な処置をしたほが賢明だ、という意味】
 

悲しみはそれぞれに

「形影 相伴う (けいえい あいともなう)」という言葉がある。形に影が伴うように、いつも離れることなく、いっしょにいるさまをいう。特に、仲睦まじい夫婦に言及する表現だ。今は亡き江藤淳・慶子ご夫妻、同じく今は亡き城山三郎・容子ご夫妻、両ご夫妻にその「形影」の思いを抱く。 愛新覚羅 溥傑(あいしんかくら ふけつ)氏の言われた「相依為命」(あいよりて いのちを なす)の境地にあった方たちなのだろう。 

江藤淳著『妻と私』(文春文庫)、城山三郎著『そうか、もう君はいないのか』 (新潮社)を再読した。今もお元気で活躍しておられる倉嶋厚さんの『やまない雨はない』(文春文庫)も再読した。(他人事に思えたのだろう、いずれも、購入
後、拾い読みをしただけで書棚に収めておいた。)

江藤さんが書いておられる。
rose0
 家内の生命が尽きていない限りは、生命の尽きるそのときまで一緒にいる、決して家内を一人ぼっちにはしない、という明瞭な目標があったのに、家内が逝ってしまった今となっては、そんな目標などどこにもありはしない。ただ私だけの死の時間が、私の心身を捕え、意味のない死に向かって刻一刻と私を追い込んで行くのである。(89頁)
城山さんの詩「妻」の中に、こんな箇所がある(105頁)。

五十億の中で ただ一人「おい」と呼べるおまえ
律儀に寝息を続けてくれなくては困る
 
また、別の詩「愛」の中に、こんな箇所がある(107頁)。
おまえの寝息がやむと
大地に穴があいたように
寒くなる 
倉嶋さんは書いておられる(122頁)。

 二人で生きた何十年間か、本当にいい人生でした。もういっぺんやれと言われたら、もう一度同じ道を妻と一緒に歩いてみたい。(中略) 貧しくて、名もなくて、朝の食事は味噌汁とご飯だけ、ともかく二人でいられることがただうれしいというほか、何もないのに希望だけがあった日々 ― もし、いつ頃に戻ってみたいかと問われたら、迷わずその時代だと答えるでしょう。
江藤さんも城山さんも倉嶋さんも、お三方とも大事なお連れ合いを癌で亡くされた。それぞれの著書を読むと、「形影」の在り方も個別的だと痛感する。

周知のごとく、江藤さんは「形骸を断ず」と書き残して自決なさった。その死に対して、第三者は後知恵で何とでも言える。吉本隆明さんの言葉を拝借すれば、「ひとの生死の境に嘴を入れる無神経な第三者的な彌次馬の位相に陥るほかない」(169頁)のだ。

城山さんの次女・井上紀子さんが、「父が遺してくれたもの ― 最後の『黄金の日日』」と題した跋文の中で書いておられる(140頁)。

 連れ合いを亡くすということは、これほどのことだったのか。子や孫は慰めにはなっても代わりにはなれない。ポッカリ空いたその穴を埋めることは決してできなかった。
倉嶋さんはまた書いておられる(198−9頁)。
 伴侶の死は誰もが経験することですが、今、まさにその喪失感に苦しんでいる人にとって、それは誰の苦しみともどんな苦しみとも比較しようのない、絶対的な苦しみです。愛する人を亡くした人はみな、そのつらさの全ては誰にもわかってもらえない、どんなふうに慰められても癒えるものではない、自分ひとりが背負っていくしかない悲しみだと言います。(中略) けれども、やはり時はいろいろなことを解決してくれるものです。もっとも苦しかった時期を通りすぎた今、「時が癒す」という言葉の正しさを痛感しています。
自殺を試み、ついには精神科に入院、ようやく回復して今日を迎えておられる倉嶋さんの歩まれた日々は、私には想像しがたいものだが、愛別離苦、それが人の世の紛れもなき実相であることだけはよく分かっている。分かっていながら、諦観とは縁無き我が身がここにある。

人の世界に生きるはただ一度 ― ゲーテ

愛の光なき人生は無価値なり…シラー

「提議」と「提起」

ある大学院生の研究経過報告書を読んでいたら、「問題提」という語が何度か出てきた。文脈から判断して「問題提」が適切だった。「」と「」とでは意味が少し違う。前者は「会議などに論議(議案)を提出して、賛成・承諾を求めること」の意であり、後者は「会議・学界・論壇などに新しい問題を出して、注意を喚起すること」の意である(定義は共に三省堂『新明解国語辞典』第6版より)。

 いつものようにGoogleで「問題提」を検索してみると、約46,400件がヒットした(ちなみに、「問題提」は 約1,070,000 件)。そのうちから3例だけを挙げておく。

 

問題提議 なぜ私立学校は急増しているのか?

*もし本当に世間に問題提議したかったのなら、俺ならこれを小説にするけどな。
*内部統制評価の経験からの影響もあり、IT業界にいろんな問題提議がなされています。

 

「印鑑」という語

東京都中野区で、元厚生事務次官・吉原健二氏宅に宅配便配達を装った男が侵入し、その妻を刺して逃走した事件に関連して、今朝のNHKのニュース番組は、応対に出た妻が「印鑑を持って…」と表現した。「印鑑」という語は、“はんこ”の改まった感じの語(つまり“”の意の漢語的表現)だと考えられるし、国語辞典にもその点は指摘されているが、私の語感では「印鑑」は、「印の真偽の対照ができるようにあらかじめ役所に届け出て登録した印影」(『学研国語大辞典』)の意味のほうが優先的である。“印鑑証明”という慣用語と結び付いていることも、その理由の1つかも知れない。いずれにせよ、個人的には、宅配便の受け取りには“はんこ”あるいは“(認め)”を押している。

妻に飽きられないために…

電通とリクルートが20日に発表した「オトナの夫婦調査」(首都圏の50〜64歳の男女1,800人を対象に9月、インターネットで調査)によれば、23%の夫は妻に「恋愛」感情を持っているのに対して、その感情を夫に対して持つ妻は11%しかいなかった。また、妻に「無関心」な夫が27%いるのに対して、夫に無関心な妻は32%いる。また、夫が妻に「嫌悪・不愉快」な感情を持っている割合は8%であるが、夫への妻のそうした感情は15%と差がついている。
 さらに博報堂生活総合研究所が同日発表した「家族調査2008」(首都圏20〜50歳代の600世帯を対象に今年6〜7月に実施)によれば、「夫婦一緒の時間を充実させたい」と思っている夫は20年前の30.6%から39.3%と上昇しているのに対して、妻の場合は20年前の35.2%から今年は26.2%と減っている。また、「どんなことがあっても離婚しない方がいい」と答えた夫は、20年まえよりも4.2ポイント低い64.2%だったのに対して、妻は20年前の59.7%から39.7%と激減した。
 なぜこういう結果になったのか、私を含め、男たちは真剣に考える必要があるのではなかろうか…。白居易の言うような「連理の枝」となるためには、男たちは普段から良き夫になるための努力を欠かさないようにしなければならないだろう。
 ちなみに、今日は「いい夫婦」(1122日)の日だという…。

日本国総理大臣の「不所存の一言」

麻生首相は、19日の全国知事会議で、地方の医師確保策について見解を問われて、「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど、大変ですよ。はっきり言って社会的常識がかなり欠落している人が多い」と仰ったそうだ(「朝日新聞」11月20日朝刊)。会議後、記者団に発言の真意を問われて、「まともなお医者さんが不快な思いをしたっていうんであれば、申し訳ありません」と、苦しげな謝罪をなさったらしいが…(前掲紙)。
 いかにも思慮を欠いた“不所存の一言”である。普通、そういうことは“仮に”思っていても口に出さないだろうし、心ある常識人であれば、「常識が欠落した人」を特定の職業とは結び付けないはずだ。なぜなら、そういう人は、「非常識人は年齢・性別・職業などとは無関係に存在するということをよく知っているからだ。医者ならずとも、現に、どこかの国の政治家にもそういう人がいるではないか…。

言葉の卓効性

先日、来年度のゼミ生募集のための説明会が開かれた。私は、私のゼミは来年4月からではなく、来月12月から早速始めるので、熱心な諸君だけに応募してもらいたい、つまり興味本位で参加しようという諸君は最初からお断りだ、厳しさに耐えかねて途中で脱落するものが毎年4、5名はいる、などと強調した。その“効果”は覿面(てきめん)で、申込みが、そういう“脅迫的言辞”を弄さない年に比較して、三分の一以下になった。
 何年か前、逆に、私のゼミは“楽しく勉強ができ、しかも実力が身に付く”というような説明をしたことがある。その“効果”もこれまた覿面で、その年は20名の定員に対して、30数名が応募してきた。言葉の卓効性を実感する今日この頃である。
 

日本の総理大臣の漢字力

書きにくいことだが、麻生首相の「漢字力」が問題になっている。「週刊朝日」(11月28日号;126頁))に収録された「麻生首相の《とてつもない漢字力》」という記事を参考に、首相の誤読を分かりやく纏めれば以下のようになる。

1:(戦争責任を巡る過去の政府談話に関連して)「踏襲(とうしゅう)」を「ふしゅう」と誤読
2:(株式市場に関連して)「前場(ぜんば)」を「まえば」と誤読
3:(定額減税に関連して)「詳細(しょうさい)」を「ようさい」と誤読
4:(四川省で発生した大震災に関連して)「未曽有(みぞう)」を「みぞゆう」と誤読
5:(日中関係に関連して)「頻繁(ひんぱん)」を「はんざつ」と誤読
6:(首相官邸詰めの記者の報告では)「有無(うむ)」を「ゆうむ」と誤読
7:(首相官邸詰めの記者の報告では)「完遂(かんすい)」を「かんつい」と誤読

 私はこれらの誤読がなされた現場を見ていないので、上掲誌の記事を信じるしかないし、麻生首相嫌いの朝日系列誌のやりそうなことだとは思うが、いずれも一国の首相のものとしては、こういうことを書かれても仕方がないだろう。

 ちなみに、 『問題の日本語』の編著者である北原保雄・筑波大学名誉教授は、この件に関して、「義務教育レベルで読むことができる漢字ばかり(中略)…使い方としても特殊なものではなく、よく使うものですから、ちょっと恥ずかしいですね。」(上掲誌)と言っておられる。

後悔先に立たず。

20歳以上の男女を対象にした昨年秋の内閣府調査によれば、癌検診は重要と答えた人が95%もいるにも拘わらず、その受診率は、部位によって異なるものの、概ね30%と、ギャップがあったという(「朝日新聞」11月18日朝刊)。受診しない理由は、「健康で異常がない」「検診の手続きや方法、費用がわからない」「面倒だ」が上位に入るそうだ。
 以前の私は、「健康で異常がない」あるいは「面倒だ」あたりを理由にして、癌検診など受けなかった。癌など、他人事、そう思っていたところもある。ところが、自分の身内に癌患者を出して初めて、事の重大性を実感し、専門病院にCT検査を受けに行った。
 「健康で異常がない」と思っていても、“異常”の自覚症状が出た時にはすでに手遅れという癌もあるのだ。私の身内の者の場合が、まさにそうだった。後悔先に立たずである。今更ながら、人間とは愚かで悲しい生き物なのではないかと思う。

路上で寝込む若者たち

今夕、日本テレビの「リアルタイム」という番組が「完全密着 渋谷24時 ― 路上で寝込む若者たち」を放映していた。酔っ払って路上で寝込むといったことは昔からあったが、最近では若者たちにその傾向が強く見られるようだ。
 一人の青年が、眠っている間に、財布・時計などを盗まれた。被害額は数十万に上ったようだ。
 カメラは別のところにいた一人の若い女性を映し出していた。泥酔して眠っている。一人の男が近寄って行ったかと思うと、介抱するふりをして、その女性の胸に触ったり、抱き抱えてキスをしたりし始めた。そのうち、女性の肩に手を回して彼女をどこかへ連れて行こうとした。その一部始終をテレビカメラが映し出しており、レポーターの女性が男に近づいて行って、いろいろと言葉を交わし、何とか事無きを得た。酔っ払ったその女性の話では、電車の中でその男からティッシュペーパーをもらったことが口をきくきっかけになったという。下車してからの自分の行動はよく覚えていないようだった。
 その女性を画面を通して見ていて、私は正直なところ、驚きを通り越して、怒りさえ覚えた。あまりにも無防備・無警戒である。自己責任で何をやってもよいと思っているのかどうかは知らないが、犯罪に巻き込まれたりすれば、事は自分だけの問題ではなくなるだろう。
 テレビカメラが密着取材をしていたから良かったようなものの、そうでなければあの女性の行き着いた[連れて行かれた]先は… そう考えるだけでゾッとする。

テレビ番組「告知せず」をみて

昨夜、テレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャル「告知せず」を妻と共にみた。
 ドラマの見どころの1つは、普段、患者に癌罹患を告知し、病魔との闘いを勧めることを信条としている外科医・長谷川誠至(渡哲也)が、最愛の妻・十央子(高畑淳子)の小腸に癌が発見された時、妻への告知の是非で苦悩するところである。妻の小腸癌は末期で、余命わずか3か月ということだった。息子であり研修医である涼(滝沢秀明)が、母親の罹患を知った時、父親を激しくなじるが、それでも誠至は詳しい弁明を避ける。妻・十央子は痛みの中で死んで行く。
 誠至の胸中には、「早期の癌患者には一緒に闘おうと言えるが、末期の癌患者である妻には告知したくない」という思いがあったのだろう。

 この番組をみて思った。私が主人公の長谷川ならば、私は(現実の私がそうであるように)癌を患った妻に、たとえ余命3か月でも、きちんと告知しただろう。
 長谷川が妻・十央子に告知できなかった理由として、ドラマでは言われていないが、彼が現代の外科医だということが関係しているかも知れない。本ブログで何度か書いてきたように、現代医学を信奉する医師たちにとって、標準療法が治療の中心であるし、同時にその限界をよく承知しているから、余命3か月と(エビデンスに従って)判明すれば、あとは“お手上げ”ということになりがちなのではないか。

 私が、ここ半年間勉強したことに基づいて言えば、余命3か月とわかっても、諦めてはいけない場合もあるということだ。保険適応外の抗癌剤や海外で知られる抗癌剤も場合によっては試したい、多種多様な代替療法も考えてみたい。近代医学に重きを置く医師たちにとって、代替療法には“うさんくさい”ものが多いだろうが、相当に信頼度の高いものもあるようだ。

 試写会をみた息子役の滝沢は「(告知せずを)3回見て毎回泣いた。」と言っているが、私も私の妻も、この番組を見ても全く泣けなかった。すでにいちどきに多くの涙を流したからだろう。今、涙を流す暇があったなら、私は妻のために癌に関する情報を集め、分析し、応用できるものはどんなものでも応用したいと思う。癌は情報・時間(それに経済力)との闘いである。

 このドラマの中で、一番身につまされたセリフは、妻・十央子が発した「生きたい、私、生きたい。」と、息子・涼が言った、「うちの中に明かりがついていても、お母さんがいないとどこか暗い」という言葉だ(文字どおりではないが、だいたいそんなことを言っていた)。前者は私の妻自身がこの5月、自らの体に癌が発見され、余命告知を受けた時に発した言葉でもあり、後者は私の息子が妻の入院中、私と夕食をとりながら発した言葉でもある。 「明日死ぬとわかってもするのが養生。」 やはり私はそうだと信じる。

大学生が「生徒」?(続々)

本ブログで、「大学生」を「生徒」と呼ぶ人たちが少なくないことを二度にわたって書いた(こちら参照→)。この傾向はその後も衰えを見せないようだ。昨日も、非常勤講師として出講しているK学院大学の講師控え室で次のような会話を聞いた。

 

30代半ばの女性教員:「で、先生の生徒たちのできはどうですか? 私の生徒たちの多くは 英語なんか興味ないって顔をしてますけどね。」

30代後半の男性教員:「私んとこも同じですよ。まあまあできる生徒もいますけどね。全体的にはできないですね。」
  【私の内なる“意地悪な声”―“学生”たちの英語力を云々するのもいいですが、“ご自分”たちの日本語は大丈夫ですか?】

 

 ちなみに、NHK朝の連続テレビ小説「だんだん」でも、ヒロイン田島めぐみ(三倉茉奈)が、もう一人のヒロインの夢花(三倉佳奈)を自分が通う京都の福祉系の大学に連れて行って1つの講義に出席させた時、舞妓の格好をした夢花を見た教師が、「きみはこの大学の生徒ですか?」と訊いていた。誰が書いた台本かは知らないが、“いただけない”台詞だ。

 

 とにかく、いくら大学生の“生徒化”が始まって久しいからと言って、彼らを「生徒」と呼ぶのはどんなものだろう…。言葉は人間の概念を規定する。

【後刻記】その後、以下の引用文にあるように、東大教授の姜尚中氏が大学生を「生徒」と呼んでおられるのを知った。

就活もすぐに始まるし、4年制の大学を出た生徒の就職率が68%だと言われています。だから、答えのない問いを問い続けていって欲しい。
(出典こちら

「それではお疲れ様でした」という挨拶

昨日の午後、来年度に向けての「ゼミ説明会」が催された。夕方、一人の男子学生からメールをもらった。それには、山岸先生の指定された個別面談の曜日・時限には必修授業が入っていて先生の研究室に行けないないので、別の都合の良い曜日・日時に面談をしてもらえないか、という要望が書かれていた。メールは、「以上の曜日です。よろしくお願いします。 それではお疲れ様でした。」で結ばれていた。
 当の学生がそれを悪気があって書いたわけではないことは文脈から分かったが、私には少なからず違和感を覚える書き方だった。特に末尾の「それではお疲れ様でした」には、この文脈では“軽々しさ”もしくは“なれなれしさ”を感じ、返事のしようがなくなる。結局は、「どうも…」と、こちらも曖昧に応えざるを得ない。
 そう言えば、昨今の若者は「お疲れ様でした」をよく使う。たとえば、私が授業を終えて教室を出ようとすると、「お疲れ様でした!」と声を掛けてくれる学生が少なくない。そう言ってくれるのは、私への(善意に基づく)ねぎらいだと思う。
 しかし、本当に疲れるような仕事をしたわけでもない上記のような文脈でこう声を掛けられるのは、正直なところ嬉しくない。私が学生だった頃、教授に対して、書簡で、「以上の曜日です。よろしくお願いします。 それではお疲れ様でした。」と書くことなどなかった。憤慨されること必定だろう。
 ひょっとすると、「(それでは)ご苦労様」は年長者に使うには不向きな表現で、その代わりに「(それでは)お疲れ様でした」を使うのが丁寧だと考えてのことかも知れない(が詳細は不明)。
 Language is subject to change......

ある友人の死

昨日、1通の喪中はがきを受け取った。大学時代からの友人S君逝去の知らせだった。享年64歳(私と同年)。S君は日本文学科、私は英文科と、学科は異なったが、学部1年生の頃(昭和38年 [1963年])、法政大学木月校舎(川崎市木月)まで出向いて受ける体育の授業で知り合い、それ以来、よく気が合って、暇さえあれば雑談に花を咲かせた。「会津と長州にしては、よく気が合うねえ…」などと笑った(S君は福島県出身、私は山口県出身)。大柄で明朗快活な好青年だった。
 私が東京中野区で新婚生活を営んでいた頃は、新宿、渋谷あたりでよく飲み、語り、歌ったものだが、お互いが離れて生活するようになってからは、年賀はがきだけの付き合いになっていた。喪中はがきには、奥さんであるFさんの文字で、「主人と一緒になった頃、山岸さんが作詞作曲なさった《ポニーテール》の歌をよく唄ってくれました。」と添え書きがしてあった。《ポニーテール》というのは、私が高校3年生の時に作った(下手な)歌のことだった。S君はどういうわけかその歌を気に入ってくれ、私に何度も何度も歌わせて、覚えてくれた。ほんとうに“いい男”だった。
 そっそく、Fさんに電話を掛けた。外出先から帰宅し、玄関先で倒れ、そのまま息を引き取ったそうだ。死因はクモ膜下出血だった。「頼りがいがあって、優しい、ほんとうにいい人でした。」 Fさんにそう評されてS君は幸せだろう。S君に、長年の友情を謝し、哀悼の意を表する。合掌。

人の愛する所のものは生なり。傷(いた)む所のものは死なり。愛すと雖(いえど)も期を延ばすを得ず、傷むと雖も誰(たれ)か能(よ)く遂に免(まぬか)れん。 ― 続日本後紀巻十二(仁明紀)

“欠陥社会人”の急増に思う

昨日の昼のテレビ朝日番組「ニュース眼力OH!」が、神奈川県厚木市立病院が抱える“医療費不払い”問題を放映していた。同院の場合、一年間の不払い額は1,500万円に上り、現在までに8,700万円もの高額に達しているそうだ。払いたくとも払えないというのではなく、故意に払わない悪質な市民が一部にいるのだ。31万円の支払い義務を負ったある市民は大きな一軒家に住みながら、これまでに支払った額はわずか2万6,000円という。
 督促に行けば、その未払い市民たちは「ワタシ、認知症に罹っててね」だの、「払おうと思って封筒に入れておいたお金が風で飛んで行っちゃった」だの、「スーパーのトイレでお金を失くしちゃってね」だのと、“いいかげんな”言い訳をする。ひどい市民になると、「何で払わなきゃなんないの?」「病院には保険料が入るだろから30%(の負担額)ぐらい払わなくたっていいだろ?」などと居直るそうだ。
 給食費の未払い問題の場合にも感じたことだが、日本人の悪質度が増大しているような気がする。医療費未払い額は全国的には200億円を優に超えるそうだ。しっかりとした対策を立てて、そうした悪質な輩の“逃げ得”を許さないようにすべきだ。こういう輩が相手の場合、“ゼロ寛容” (zero tolerance) で臨む必要があるのではないか。いずれにせよ、真面目な人間が馬鹿を見るような社会であってはならない
 ちなみに、その番組の中で、65歳以上の高齢者による犯罪(とりわけ“万引き”)が急増しているとも言っていた。

 大森貝塚の発見者として著名なアメリカ人エドワード・モース (Edward S. Morse; 1838-1925) が、かつてこんなことを言った(『日本その日その日』)。

自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらにして持っている。(中略) 挙動の礼儀正しさ、他人の感情についての思いやり…これらは、恵まれた階級の人々ばかりでなく、貧しい人々でも持っている特質である。

 今のこうした日本人を見たなら、モースさんは何と言うだろうか。

「以上」と「以下」

昨日、大学の私のメールボックスに、家族療養費付加金を給付するから関係窓口に取りに来るようにという通知書が入っていた。見ると、注記として、手書きで、「¥50,000以上なら振込、¥50,000以下なら現金にて立替封筒にてお渡しとなっております。」と書いてあった。問題は「以上」と「以下」の2語の意味・用法である。
  この“曖昧語法”を用いる人はけっこう多い。分かっている人には(当たり前のことだが)分かっているのだが、普通、「以上」は「それを含んで、それより上」という意味であり、「以下」は「それを含んでそれより下」という意味だから、上の例で言えば、「¥50,000以上なら振込、¥50,000以下なら現金にてお渡し」では、振込にも手渡しにも50,000円が含まれてしまう。誤解を避けるためには、「¥50,000以上なら振込、50,000未満なら現金にてお渡し」とするほうがよい。
 担当の女性はまだ若い人だったが、課長はベテランの経理マンだから、近いうちに彼女の“曖昧語法”はより明確な語法に正されていくだろう(と思う…)。
 ちなみに、「彼女の実力はあなた以下だ」という場合のように、基準となる数値を示し得ない場合は、それを含まない。

試練あってこその人生

今朝、NHKテレビが、大学生の就職内定取消しの現状を報告していた。そのことに意見を求められた女子学生の一人が、「厳しいですが、いろいろ試練があってこその人生ですから。」と言っていた。大学生ともなればこの程度のことは言えて当然だと思うが、前向きなその姿勢に何とも言えない安堵感を覚えた。
 人生は本当にいろいろな試練が待っている。その多くを乗り越えて来た、そして今も乗り越えようとしている者の一人として、若い人たちが歩んで行くこれからの人生航路に幸多かれと祈らずにはいられない。
 人生航路を進む時の心構えとしては、繰り返しになるが、E.W.ウイルコックスが 「運命の風」(10月19日紹介)で詠っているとおりである。「ゴールを決めるのは 凪(なぎ)でもなければ嵐でもない それは魂の構え方なのだ。」
 THE SET OF THE SOUL
それは「心の持ちよう」でもある。

「はたまた」「はてまた」「さてまた」?

それともまた」「あるいは」の意味の接続詞「また」(将又)を「また」と覚えている人が少なくないようだ。いつものように Google 検索にかけてみた。多様な例が混じるが、「また」の例が何と3万数千件もヒットした。

*メモリの相性、はてまたNETのせい?
*韓国のマツタケおじさんはてまたモンゴルの皇帝
*「直言」は「言い過ぎ」や、はてまた「暴言」と紙一重です。
*現在、事務職かはてまた近所のスーパーや薬局か…転職を考えています。
*来週、再来週、はてまた来年の今日、いつでも、皆様を心よりお待ちしております。
*例えば、「プレイ」は、遊びなのか、劇なのか、はてまた戯曲なのかということです― これらの用語が使われる際、英語の概念はすべてを網羅していたりするので、日本語での訳し分けが困難なのです。
*これはただの偶然でしょうか、それともある“民族の移動”があったという証拠なのでしょうか、はてまた“山田”と言ったようになにか意味のある地名なのでしょうか、いずれにしろ興味深い事ではあります。 ...

■「はたまた」の正用法の例
 *連覇か、初優勝か、はたまた古豪復活なるか。
 *第30回情報の自由な流通か、はたまたただ乗りか?
 *次期衆院選、自民党が勝つかはたまた民主党か?

 なお、「また」に似た言い方に、「さてまた」(扨又)がある。これは「そうしてまた」「それからまた」「その上さらに」の意味の接続詞で、これも「また」とは似て非なるものである。

著名人がまた一人、癌で亡くなった。

ニュースキャスター、ジャーナリストとして著名な筑紫哲也氏(73歳)が亡くなった。昨年、5月14日、TBSのニュース番組「NEWS23」で、自らが肺癌を患っていることを公表なさった。そこで、氏は、「やっかいな病でありますが、勝てない病ではありません…がんに打ち勝ってまた戻ってまいります。」と言われたが、それがとても印象的だった。あれからわずか1年半である。
 闘病中の氏は、また次のようにも言っておられる(引用はこちらから)。
 
「倒れるまで、一日、一日なんて、特に考えないで過ごしてきたけど、先が限られていると思うとね。例えばきょう一日も、とても大事というかね。うん。お墓には何も持っていけないから、大事なのは、どれくらい、自分が人生を楽しんだかということ。それが最後の自分の成績表だと」

「入院中にじっくり読んだのは新渡戸稲造の『武士道』。古典が面白くてね。それと、仏像や日本画をしみじみと見るというのかな……。これって、なんだろうと思う。これから先、見ることはないという、見納めの心理も働いているんでしょうが、すべてにありがたさを感じる。そう思いながら味わえる何日かが、あとどのくらい続くか分からないけど。その日々、月日があるというのは、急に逝くよりいいんじゃないか、なんて思うんです」

 こうした言葉に私などは氏の諦観を感じる。
 ここのところ、本当に多くの著名人が癌で亡くなっている。三人に一人は癌で亡くなる時代である。癌に罹った本人もその家族も、誰もが癌に打ち勝ちたいと思う。しかし、癌という病気はあまりにも“強敵”である。正直なところ、次々と亡くなっていく人々のことを見聞きしながら、妻も私たち家族の者も、複雑な思いを禁じ得ないでいる。
 氏に対し、哀悼の意を表する。

悠悠(ゆうゆう)たる三界は 純(もっぱ)ら苦(くるしみ)にして
 安(やす)きことなく 擾擾(じょうじょう)たる四生(ししょう)は ただ患(うれい)にして 楽しからず                                    ― 最澄 『願文』

ゼミ生・特修生諸君の優しさに触れて

京都に旅行に行ったHさんが、妙徳山・華厳寺(通称「鈴虫寺」)に立ち寄り、私の妻の病気平癒を祈ってお守りを頂いて来てくれた。自分に「ご利益」があったので…と言っていた。鈴虫寺のお地蔵様は「今どうしても叶えていただきたい願いを1つだけ」聞き届けてくださるという。今の私にもその「1つだけ」の願いがある。

 辰巳芳子著『あなたのために―いのちを支えるスープ』(文化出版局)を贈ってくれたのはN君。入手したかった本であり、それだけにありがたかった。

「奥様の体に良いでしょうから」と言って、珍しい“焼き梅干し”を手に入れて来てくれたのはOさん。妻と共に味わった。ほんとうに美味しかった。
 そうかと思うと、腰痛に苦しむ私を見兼ねて、自宅からたくさんの鎮痛消炎貼付剤を持って来てくれたのはYさん。授業が始まって、いったん着席すると、自分の体でありながら思うように動けない。そんな私をやはり見かねて“かいがいしく”私の指示を行動に移してくれたのはS君。テープレコーダーを回したり止めたり、プリントを配ったり、入退室時のドアを開閉したり…と、「先生、いつでも何でも言いつけてください。」と言いながら私を気遣ってくれた。
 いずれの学生も山岸ゼミ生・特修生である。ここのところ、諸君のそうした優しさに触れる日々が続いている。(それだけ私が年取ったということだろう…。)

「親は親、子は子」の意味

暇に任せてインターネット散歩をしていた時、親は親、子は子。確かにそうかもしれません。」と題した掲示板に出合った。この場合の「親は親、子は子」という言い方は、好意的に考えれば、「親子といえども別個の人間であり、お互いの立場を尊重し合う考え方、自立の大切さ」を言ったものと解釈できるが、現代人が用いる「親は親、子は子」には、どこか“カラスの勝手でしょ!”的な負のイメージ、あるいはドライなイメージが付きまとう。私の研究室に立ち寄った学生6名に訪ねてみたが、全員が「お互いの立場を尊重する個人主義」「親子でも、干渉し合わないのがよいという考え方」などと答えた。

 これに対して、私が古くから知っているこの文句の意味は、「親は親たるの道を行い、子は子たるの道を行うこと」ということだ。愚管抄(巻四)に出てくる。これは、斉(せい)の景公(けいこう)から政(まつりごと)について尋ねられた時に孔子が、「君君、臣臣、父父、子子」(君 君たり、臣 臣たり、父 父たり、子 子たり)と答えて「父父、子子」と言ったが、その句と同様の意味だろう。すなわち、「各々の道を全うすることが人の道だ」ということだと思う。

 ちなみに、「情けは人の為ならず」と言えば、かつては誰もが、「情けを人にかけておけば、その善い報いはいつかならず我が身に返ってくる」と解釈したものだ。それが、いつの頃からか、「人に情けをかけても当人のためにはならないから、かけるだけ無駄だ」などと屈折した解釈が幅を利かせるようになった。上の「親は親、子は子」と一脈相通じるところがあるように思う。

「鷹は飢えても穂を摘まず」

小室哲哉容疑者(49歳)が、自分名義で登録している自作曲806曲の著作権の譲渡話を兵庫県芦屋市の投資家男性に持ちかけ、同氏から5億円をだまし取ったとして、大阪地検特捜部に詐欺容疑で逮捕された。時代の寵児ともてはやされた男の末路としては、あまりにもお粗末である。
 今回の事件をテレビニュース等で見ていて、表題の諺を思い出した。鷹という鳥は気高く、どんなにひもじい時でも、カラスやスズメのように(彼らには迷惑な言い方だが)、農民が 丹精した畑に舞い降りて、そこの稲穂をついばむようなことはしないという意味だ。もちろん比喩的に言っているのだが、換言すれば、「気高い人、節義を重んじる人は、たとえ困窮することがあっても、不正に手を染めない。」という意味になろう。小室容疑者が「鷹」でなかったことだけは確かだ。残念至極…。

誰か、信念のある言葉で導いてほしい。― 長門裕之

昨夜、テレビ朝日で放映された「報道発・ドキュメンタリ宣言」第1回“消えゆく妻の記憶”を見た。結婚47年、芸能界の“おしどり夫婦”として知られた俳優・長門裕之さん(74歳)と、同じく俳優で妻の南田洋子さん(75歳)のお二人が置かれた現状を映し出したものだ。
 そこでは、長門さんが認知症の症状が見られる南田さんを献身的に介護しておられた。南田さんには3年前から、台詞が覚えられなかったり、役柄を忘れたりと、記憶障害の兆候が見られたという。
 長門さんは、戸惑いや躊躇を経て、「同じ問題・悩みを抱えている人たちのために、ありのままの自分たちを撮影してもらい、記録に残したい。」と、撮影に踏み切ったのだと言う。
 「長い間苦労をかけた妻への恩返し、懺悔のつもりだ。」というようなことも言っておられた。南田さんが長門さんの父上(俳優の故・沢村国太郎さん)の介護を15年近く続けたことや、長門さんの自身の奔放な女性関係に悩まされたりしたことなどは、巷間よく知られたことだが、そのことへの言及なのだろう。

 南田さんのそうした現状を世に公表し、映像に残すことに賛否両論あるようだ。私は個人的には、「賛成派」の一人だ。その理由は、ただ一つ、長門さんの言葉を借りて言えば、「同じ問題・悩みを抱えている人たちのために。」である。何か問題に直面した時、最も必要なものは「正確で、信頼できる、実際的な情報」である。

 長門さんが、薄れてゆく南田さんの記憶に言及して、「誰か、信念のある言葉で導いてほしい。」と言われたのが強く私の印象に残った。また、「(医師から)これと言った、示唆する言葉がほしい。大丈夫ですよ、と言ってもらうのが一番うれしい。」とも言っておられた。まことに身につまされる言葉だ。
 南田さんの場合、医師によれば、「病的な状態」すなわちアルツハイマー病だった。南田さんが置かれた深刻な状態に寄り添う長門さんの姿に、今日明日の私と私の妻とを重ねて、胸が痛んだ。

 不謹慎な言い方だが、画面に映し出される南田さんのお顔がとても美しかった。菩薩のような雰囲気さえ漂わせておられた。長門さんが南田さんの部屋を出る時、「愛しているよ。」と声をかけると、南田さんが「私もよ。」と声を返された。これが愛情に裏打ちされた夫婦生活の一コマであり、夫婦が歩んでいく道程の一場面なのだと思う。お二人に幸多かれと祈った。

紅顔(こうがん)いずれへか去りにし
    尋ねんとするに 蹤跡(しょうせき)なし
  つらつら観ずる所に 往時(おうじ)に再び逢うべからざる多し
     …
   ただ独り 黄泉(こうせん)に趣(おもむ)くのみなり
                         ― 修証義

フランク永井のこと

フランク永井(本名・永井清人=ながい きよと;76歳)が去る10月27日、肺炎で亡くなった。「低音の魅力=フランク永井」であり、「ムード歌謡の第一人者=フランク永井」であった。
 「有楽町で逢いましょう」(昭和32年、1957年)が大ヒットした頃、私は中学1年生だった。この歌の「有楽町で逢いましょう」はその頃オープンした有楽町そごうデパート(平成12年閉店)のイメージソングであり、同名の映画のもとになったものでもある。
 同年、「東京午前三時」、「夜霧の第二国道」が続けて大ヒットした。中学2年を終えて、山口県から単身上京した日の夕方、国鉄品川駅からタクシーに乗り、第二国道(第二京浜国道)を通って品川の姉の家に着いたが、その道すがら、“これが歌に歌われた第二国道か”とひどく興奮したのを今でも覚えている。残念ながら“夜霧”は立ち込めていなかった。
 それからのヒット曲で、私が好きで歌ったり、聞いたりした歌は以下のものである(遺漏もありそうだが、YouTubeで聴ける歌にリンクした)。それぞれの歌から私の青春の日々がくっきりと浮かび上がってくる。

羽田発7時50分」 昭和33年(1958年) 
西銀座駅前」 昭和33年(1958年) 
こいさんのラブ・コール」 昭和33年(1958年)
ラブ・レター」  昭和33年(1958年)
俺は淋しいんだ」 昭和33年(1958年)
夜霧に消えたチャコ」 昭和34年(1959年)
冷たいキッス」  昭和34年(1959年)
東京ナイト・クラブ」 昭和34年(1959年)
好き 好き 好き」  昭和35年(1960年)
大阪野郎」  昭和35年(1960年)
悲しみは消えない」 昭和35年(1960年)
東京カチート」 昭和35年(1960年)
君恋し」 昭和36年(1961年)
初恋の詩(うた)」 昭和37年(1962年)
霧子のタンゴ」  昭和37年(1962年)
新東京小唄」  昭和37年(1962年)
赤ちゃんは王様だ」  昭和38年(1963年)
戦場の恋」  昭和38年(1963年)
逢いたくて」  昭和38年(1963年)
愁夜」 昭和38年(1963年)
冬子という女」  昭和39年(1964年)
大阪ぐらし 」 昭和39年(1964年)
妻を恋うる唄」  昭和40年(1965年)
東京しぐれ」 昭和40年(1965年)
大阪ろまん」 昭和41年(1966年)
加茂川ブルース」 昭和43年(1968年)
おまえに」 昭和52年(1977年)
WOMAN 」 昭和57年(1982年)

 戦後、アメリカ軍のクラブ歌手として活躍した人であり、低音と共に聞こえて来る英語の響きの美しさには定評があった。
 しかし昭和60 年(1985年)10月、私生活のトラブルから自殺を図り、一命は取り留めたものの脳障害を起こした。愛人との間にできた子供の養育費請求などが自殺を図った原因といわれる。そのあたりのことはWikipediaの説明に譲るが、その後、要介護状態のまま、長らくリハビリに励んでいた。生真面目で、他人思いの人だったようだ。ちなみに、「とても人を思いやる温かな人柄でした。」とは、歌手・ペギー葉山のフランク永井評(「朝日新聞」11月3日朝刊)。
 東京・有楽町のマリオン前広場には大ヒット曲「有楽町で逢いましょう」の歌碑が出来ている。まだ見ていないが、そのうち一度見てみたいと思っている。私の青春と共にあった大歌手であり、歌であった。ファンの一人として、心からご冥福をお祈りする。

【追記】こちらでフランク永井のトークと「月の沙漠」の歌唱が聴ける。

人 問はゞ 露と答へよ 合点か

問はゞ 露と答へよ 合点か 

          … 一茶

 「人がもし人生の意義を問うならば、それは露のごとき果敢(はか)なきものと答えよ。合点(がってん;分かった)か。」ということ。かの一茶が残した名文句である。この文句を思い出すたびに、「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」と詠んでこの世を去った豊臣秀吉がなぜか連想される。

癌と余命と情報戦

担当医から、妻の余命は半年から1年と宣告されて、早くも“半年”が過ぎた。正直なところ、私の人生で最も平安を欠いた半年間だった。幸いなことに妻は今も“生きて”いる。いや、妻は“生きて”いなければならないのだ。私の妻が今の歳で、医学統計的数字に従って死ななければならない理由などどこにもない。そんな理不尽なことがあって良いはずはない。

 過日、担当医から、“匙を投げられる”ようなことを言われた。今月中旬から下旬あたりに予定されているPET/CT(画像)検査の結果をみて、改めてその後の治療法を検討するが、実際にはそれ以上の治療は難しいだろうという話だった。

 さもありなん。抗癌剤治療の限界と、その副作用などの問題点は私たちにはよく分かっていた。むしろ、抗癌剤治療のような標準治療は、癌細胞を“叩く”ことをするが、何の問題もない正常細胞を“傷める”こともするのだ。それが私の妻の体をどれだけ“傷めて”きただろう。抗癌剤を投与されるたびに妻は痩身となる。

船瀬俊介著『抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ』(花伝社、2008年初版第6刷)星野仁彦著『末期がんを克服した医師の抗がん剤拒否のススメ』(アスコム、2005年初版第6刷)などを読むと、抗癌剤を用いることの問題点が浮き彫りになる。
 
 現在の癌治療の功罪について、抗癌剤治療と免疫治療に関する話題を中心に医療の現場から語り続けておられる梅澤充医師が先日(10月30日)、ご自分のブログに次のように書いておられた。

2年3年、それ以上元気で、普通の生活をしながら治療を続けている患者さんを見ていると、激しい副作用によりQOLを大きく落とし、仕事や普通の生活を奪われ、短い時間で終わってしまうことがエビデンスとなっている標準的抗癌剤治療が、本当にバカバカしく思われます。
 何回も書いているとおり、標準的抗癌剤治療が、すべてバカバカしい治療だとは、毛頭考えていません。標準治療がベストであると考えられるガンも、そして患者さんもいます。しかし、肺ガンに対しての標準的抗癌剤治療は、私のまったく個人的で勝手な意見ですが、受けない方が無難だと思います。胃ガンも膵ガン
などもまったく同じであり、その他の多くのガンも同様の傾向にあると思いますが・・・・
 癌治療の最先端で働いておられる現役の医師が、「まったく個人的で勝手な意見ですが」と断っておられるものの、「標準的抗癌剤治療は…受けない方が無難だと思います。」と言われ、「胃ガンも膵ガンなどもまったく同じ」と明言しておられる。

 この5月から丸半年間、全エネルギーを動員して勉強した結果でも、やはり現代の標準治療(具体的には、抗癌剤治療)には深刻な問題が何点か含まれていると結論せざるを得ない。
 そんな中で、私が痛感したことは、癌治療は「情報戦」だということだ。世界最先端の情報を可能な限り早く、正確に収集・分析し、それを採り入れて、患者に過不足なく適用することだ。癌の中には月単位で生存(余命)を云々しなければならないものもある。たとえば、膵臓癌だが、その癌の場合、「様子を見て、そのうちに」という考え方は通用しないし、させられないのだ。そんな悠長なことを言っている間にも、病状は悪化の一途をたどる。
 実際、妻の周辺では、妻と同時期あるいはその前後に発病した同じ癌の患者がすでに何人も亡くなった。あまりにも早い亡くなり方であった。それに寄り添って泣いた人たちの数も多い。改めて癌の恐ろしさを知った。
 それだけに、「ガンという病気は、諦めずに粘っていれば、必ず良いことがある」という前出・梅澤先生の言葉(本日分のブログ記事「医療の進歩」より)に私たちは大きく勇気づけられる。

 ちなみに、「がんサポート情報センター」のHPには「どの治療法を提示できるかでその医師のレベルが判定できる」と題した1頁があり、今井貴樹監修「癌の最新治療とセカンドオピニオン」を利用して作成された「医師のランク分け」が掲載されている。

Aランク: 世界の最新治療法を熟知し、実際に行える医師
Bランク: 世界の標準的な治療法を知っており、実際に行える医師
Cランク: 日本の最新治療法(治験も含む)標準的な治療法共に熟知している医師
Dランク: 日本の標準的な治療法を行える医師
Eランク: 日本の標準的な治療法ですら理解できていない医師

 上掲のランクは、また、患者にどんな治療法・薬剤を提示できるかと連動しており、それぞれ次のような名称が挙がっている(膵臓癌・胆嚢癌の場合だけを引用する)。

Aランク: ビルリジン  エルビタックス アバスチン  ドキシル などを併用
Bランク: ジェムザール+5−FU  カンプト+5−FU エロキサチン+ジェムザール ジェムザール+ゼローダ など
Cランク: ジェムザール+TS−1 カンプト+TS−1
Dランク: ジェムザール単独 TS−1単独
Eランク: UFT、フルツロンの5−FU系経口剤のみ

上位(A、Bランク)の医師や薬剤に巡り合える患者やその家族は幸せである。おそらく日本の多くの医師はCランク以下であろう。
 私の妻と私たち家族の者にとって、辛く苦しい闘いは今後も続く。どのくらい続くかは神ならぬ身の知るよしもない。奇跡は起きるものではなく、起こすものなのだ。そう信じて、予後不良の病を宿した妻と、私たち家族の者は、共に「覿面(てきめん)の今」を生きている。
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