2009年02月

「…でございますか」の語法

自宅の書斎で仕事をしていると、しばしばセールスの電話が掛かってくる。昨日もそうだった。

山岸さんのお宅でございますか?
「はい、そうです。」
ご主人様でございますか?
「はい、山岸です。」 

  と、こんな調子で始まった。声の調子と言葉の選び方から、電話を掛けているのは年配の女性だと思った。何の事はない、障子の張り替えの勧誘だった。5頭の犬を飼っている我が家では、障子の張り替えはあまり意味のないことなのですぐに断った本当はきれいにしたいのだが…

 ところで、「山岸さんのお宅でございますか?」「ご主人様でございますか?」という2文のどちらかは、言葉に敏感な人には違和感を覚えるものだが、読者諸氏はどんな点でそうだと言えるかおわかりだろうか。試すようで恐縮だが、ちょっと考えてみていただきたい。

「よろしかったでしょうか」の用法はこれでよろしかったでしょうか。

最近、時々だが、近所のファミリーレストランを利用している。そのたびに、そこの店員さんたちから「楽しい思い」をさせてもらっている。次は、数日前、私と連れとが同店で耳にした店員の日本語である。

入り口で二名様でよろしかったでしょうか。」(私の独り言:席の予約などしていませんよ。)
注文直後に以上でご注文はよろしかったでしょうか。」(私の独り言:今注文したばかりですよ。)
同じく注文直後に少々お待ちしていただいてよろしいですか。」(私の独り言:「お待ちしていただいて」ではなく、「お待ちいただいて」と言ってもらいたいな…。それと、 《よろしいですか》なんて許可を求めないでいいですから、注文をさっさと厨房に通してくれませんか…」)
注文品がテーブルに並んだ時こちらがニギリになります」(私の独り言:あっそう、じゃあこっちの食べ物は何に成るの? オニギリ?」)

 心の中でこんな独り言を発しながら“偏屈教授”は「新しいタイプの日本語」を楽しんでいる。今日はこんなブログ記事で「よろしかったでしょうか」。

「語り尽くす」という言い方について

一昨日の朝日新聞(34面)に、「張りあって寄りそって」と題して、俳優の長門裕之さん、津川雅彦さんご兄弟が、「新作の逸話から私生活までを本音で語」っていた。新聞の書き方だと、「新作の逸話から私生活までを本音で語り尽くした」だ。「語り尽くした」とあったから、よほど詳しく語っているのかと思いきや、何のことはない、「新作の逸話から私生活までをサラリと回顧し、本音を語った」に過ぎない。少なくとも、私が読んだところでは「語り尽くした」というのはあまりにも“大袈裟”に思えた。
 昨今のメディアの“誇張ぶり”には正直なところ辟易する。類似のことは本ブログの諸所で書いたが、多少の憤慨を「激怒」と表現したり、不覚の落涙を「号泣」と表現したりと、その誇張ぶりは度を超している。それのほうが視聴者受けするのだろうが、言葉をもっと丁寧に扱ってもらいたいものだ。他人を“誤解する”一大原因はそうした“誇張された言葉”にあるのだから。

「意気が合う」? 「意気統合」?

卒業旅行でヨーロッパに行っていた女子学生の一人が、帰国後、山岸ゼミ専用掲示板にその旅行記を書いていた。その中に次の一文があった。

彼も彼女もドイツ人であり文化も違えば言葉も違うが、なんだが意気が合い、二年前に出会った時にすぐに仲良くなったのだ。

問題は「意気が合い」だ。これは「が合い」と書くのが慣用的だ。この思い違いは結構一般化しているようで、Googleで検索すると類例がけっこう多く出てくる。「意気投合」なら慣用句として存在する。ついでに言うなら、この「意気投合」を「意気統合」と誤って書く人も少なくないようだ。「意気が合う」の例と「意気統合」の例を3例ずつ挙げておく。

*ほんと、意気が合うと歌いやすい!
*皆の意気が合う 商売でも遊びでも、大切な事ですね。
*何人も連絡を取って、何度もお話を繰り返し、思いを伝え、ようやくピタリ意気が合う方とご縁をいただくことに。

*3人はおしゃべりがはずみ、意気統合されていました。
*そして僕らはご覧のようにはやくも山越のおばちゃんと意気統合しています!
*初めて会う人間同士がこれほど話が合うことがあるものかと思うほど、意気統合した。

「火葬場」と「焼却場」

散歩帰り、近所の“セレモニーホール”から「火葬場にいらっしゃる皆様はあちらのバスにお乗り下さい」という声が聞こえて来た。それで思い出したことがある。    
 今から20数年前、私の言語学分野の恩師M先生が亡くなった時のことだ。私の後輩で、当時某大学の専任講師だった某君が、M先生の奥様に向かって、「先生はこのあとすぐに“焼却場”に向かうんですか?」と訊いた。奥様の顔色がサッと変わった。某君はそれを見逃したのか、気づきながらその“意味”にまでは思いが至らなかったのか、そのまま奥様の応えを待っていた。奥様は「はい。」とだけ、いかにも不快そうに仰った。
 その時のことは今も昨日のように思い出す。某君に悪気はなかっただろうが、「悪気はなかった」では済まされない言葉の誤用だ。“焼却場”とは読んで字の如しで「焼き捨てる場所」のことであり、“火葬場”とは意味が異なる。せめて“焼き場”と言うべきだった(ただし、この言い方は、やや露骨な感じがして、個人的には好きではない。いったん口に出した言葉は引っ込めることができない。この年になっても、自省することの多い毎日だ。

「極めて激しい増殖を示す膵ガン」と対峙して

昨日の午後、テレビ朝日が「がん治療最前線―生還者たちの選択」と題する番組を放映していた。手術不能だった大腸癌患者をチーム医療で生還させた例、余命4か月と宣告された肝臓癌患者を陽子線治療で生還させた例(健康保険不適用の上、極めて高額な医療費になり、多くの患者には手が届かないだろう)、動脈塞線術(癌に繋がる異常血管を塞いで腫瘍の成長を食い止める術)を施すことで肝臓癌患者を生還させた例、体外で培養した免疫細胞を患者の体内に戻すことにより癌を撃退するという免疫細胞療法(これも健康保険不適用のため、高額)、小児癌(骨肉腫)に罹った少年に、ただ癌を摘出するだけでなく、人工関節置換術を施して歩行を平常化した例などが紹介されていた。医学の進歩を実感する番組だった。
 ただし、予想はしていたものの、膵臓癌に関する情報は皆無だった。同じ日の夜、梅沢充先生は「治らないガン」と題した文章の中で次のように書いておられた。

極めて激しい増殖を示す膵ガンなどでは、数名の患者さんが、まったく何も効かずに、あっという間に旅立たれてしまっています。しかし、膵ガンでも、2年3年と良くなり、悪くなりを繰り返して、のんびりと経過している患者さんもいます。

 悲しいかな凡人の私などは、こういう記述を読んでは一喜一憂してしまう。妻の場合が後者の例ならどれほど嬉しいことだろう。

英語の quack という語について

ラルフ・W・モス著『がん産業[1]』(蔵元喜久・桜井民子訳、学樹書院、1995年、第1刷)を読んでいた時、次のような箇所に出くわした。英語の“quack”についての記述である。

「偽医者」(quack)とは、英語では最も下品な言葉のひとつとされている。この言葉には、絶望的になった瀕死の人間が病気に打ち勝とうとする期待を食い物にするという響きがあり、とても大きな嫌悪感を呼び起こす。それゆえ、このレッテルを貼られると、大抵の人はその時点からもはやそれ以上のことを追究しようとしなくなってしまう。(211頁)

 訳者はquackを「偽医者」と訳しているが、この訳語はミスリーディングであろう。なぜなら、「偽医者」を「医者と称されるのは形骸だけで内実はそれに値しない人」、すなわち「いんちき医者(=人を誤魔化したり手抜きをしたりする医者)」と同義に解釈することもできようが、「無免許医」と解釈するほうがより一般的だと思われるからだ。原著者が言っているのは、「無免許医」のことではないから、むしろquackは「やぶ医者」「へぼ医者」「いんちき医者」のような訳語がよかろう。

 いずれにせよ、英語(特にアメリカ英語)でquackと呼ばれるのは医者にとっては恥辱のようだ。
 
ちなみに、イギリス口語英語用法では一般的な「医者」(a doctor)の意味で用いられることもあるが、日本人英語学習者はきちんとa doctorを用いるのが無難である。

「コインランドリー」の英語綴りは?

coin昨日、息子の車に便乗して某所に行った。往路、新装開店の「コインランドリー」の看板が目に入った。英語の綴りを見ると、左の写真にあるように、coin laundly となっていた。coin laundry のつもりかな?それとも意図的なものかな? (まさか… 日本のあちこちにこんな英語綴りが見られる。と、 ここまで書いて来て、もしやと思い“laundly”を検索にかけたら、こんなのが見つかった(Japan 2007-Funny Signs と銘打っている!→こちらも参照こちらの「ホテル用語《ランドリーサービス》」の欄にも Laundly service とある。よく見るとホテルオークラ東京ベイのものだった! (同「ホテル用語」欄にはほかにも現代綴りとしては不自然なものが混じっているが、どれかわかるだろうか。) 嗚呼!
【参考】かつてこんな記事こんな記事を書いたことを思い出した。

頭に宝石を持つカエル

kaeru一昨日の夕方、帰宅途中の道で、体長14、5センチの大きなヒキガエルに出合った。近くの林から隣接する民家の畑に行くつもりらしかった(“本人”に訊いたわけではない…)。ずいぶんのんびりしたヒキガエルで、間近に寄った私や散歩中の人たちの足音にも、周囲の物音にもまったく動じなかった。そのうち、ふと

The toad, ugly and venomous, wears yet a precious jewel in his head.
ヒキガエルは醜いし有毒だが、頭に貴重な宝石を持っている。

という英語圏の古い俗信を思い出した。シェイクスピアも『お気に召すまま』(As You Like It ) の中で似たようなことを言っていたはずだ。
 
ちなみに、イングランド Derbyshire 州に産出する玄武岩の一種に toadstone というのがあって、民間伝承では、これはヒキガエルの体内で作られ、宝石・解毒剤・お守りなどを作るのに用いられたらしい。

妻が62歳の誕生日を迎えた。

rs2
妻がきょう62歳の誕生日を迎えた。去年5月初旬に主治医から、「余命半年から、長くて1年程度」と宣告され、まだ1年は経過していないが、恐怖と不安と共にあった“半年”は過ぎ、9か月も過ぎた。

 外科手術も放射線治療もできず、わずかに残った薬剤[抗癌剤]治療も、副作用ばかりが多く、それさえも中止してもらい、結局は現代西洋医学からは全て見放された。だが、我が子たちは、毛利 元就(もうり もとなり)の“三矢の教え”に倣って、家族が結束して“お母さん”を守ろうねと言ってくれている。今日も、治療を受ける妻に付き添って、東京に行った。有り難いことだ。

 『がん患者学』の著者・柳原和子さんは、生前、「生きたいと言ってはいけないって、最初にいわれているんだもの。希望はありません、というところから始まったのが、告知だったから。」と言い、「人間の力、生き物の力を、見くびらないほうがいい。」「 6カ月といわれたのに何年生きました、というくだらないレベルじゃなく、四苦八苦しながら9年がんばれたのは、そっちの力じゃないかと思う。」と言っておられた(鎌田實の「がんばらない&あきらめない」対談)。柳原さんはご自分のことを、「助けて助けて、といい続けている。そういう人ですよ。」とも言っておられる。

 我が妻も、ある夜、「このままでいいから 生きていたい…」と言った。きっと、心の中では、柳原さんと同じで、「助けて助けて」と言い続けているはずだ。だから、私たち家族が守ってやらねばならない。我らが“家宝”を奪われるのは理不尽に過ぎるし、何よりも時期尚早だ。

 そうは思うものの、遠からぬ将来、永訣の日が来ることだけは確かだ。だから、その日が来るまで、 「覿面(てきめん)の今」を生きて行こうと思う。結婚以来、我が儘いっぱいの夫だったことを、思いやりの欠如した夫だったことを、今になって反省しても反省し切れないけれど、詫びても詫び切れないけれど、その日が来るまで、人生の連れ合いとして精一杯の看護をさせてもらう心づもりだ。

Happy Birthday, my dear wife!
You’re always special in my life!
I love you as I always did and always will.

「与えられる」という日本語

山岸ゼミ専用掲示板の1つに、母語としての日本語を磨く場がある。そこに次のような興味深いことが書かれていた。新年度ゼミ生の一人(男子学生)が、

>明海大学は4限目と5限目にESSを設けている。今後はそのESSを利用して、英語を話す機会を自分から進んで増やしていきたい。

と書いた。それを読んだ上級生の一人(女子学生)が、

>ESSの説明は「4限目と5限目に話す機会が設けられている」ことより、ESSを設けることで「明海生は毎日英語を話す機会を与えられている」という要点のほうが重要でしょう。

と応えた。すると前者が、

>わたくしは「与えられる」という言葉を聞くと、嫌いな事や苦手な事(理科や社会など)を与えられていたことを思い出してしまいます。そのために「与えられる」をネガティブなニュアンスで捉えておりました。(中略)「与えられている」という表現には「強制」のニュアンスが含まれているのではないかと感じました。言い換えますと「ESSに参加しなければならない」ということです。

と書いた。
 あとは省略するが、上級生は「与えられている」で何ら差し支えないことを下級生に丁寧に説明している。このやりとりを見ていて、私が興味深く思ったのは、某君が、「『与えられている』という表現には『強制』のニュアンスが含まれているのではないかと感じ」た点であり、したがって、「『与えられる』をネガティブなニュアンスで捉えて」いた点だ。
 この例1つを採っても分かることだが、人間は自分の生活・言語経験を基に何かに価値判断を下す。当たり前のことだ。だが、各人の価値判断の基準や方法に歪(ゆが)みがあれば、自分を取り巻く周囲の世界も歪んで見えてしまう

抗癌剤と英語の俗語表現

消化器癌を中心とした化学療法に使われる抗癌剤の1つに「5FU」(= 5-fluorouracil 薬品名「フルオロウラシル」)がある。1956年にスイスのロシュ社で開発され、我が国では1967年に協和発酵が注射剤として販売を始めたもののようだ。TS−1はこの抗癌剤の改良版の1つらしい。
 また、抗悪性腫瘍薬の1つにBCNU(= bis-chloronitrosourea;薬品名「カルムスチン」)がある。我が国では未承認薬らしい(詳細不明)。
 両者に関して、ラルフ・W・モス著『がん産業[1]』(蔵元喜久・桜井民子訳、学樹書院、1995年、第1刷)に興味深いことが書かれていた。関連個所を引用する。

ラズロ(癌治療のエキスパート;山岸注)はさらに、医師が抗がん剤5FUのことを「ファイヴ・フィート・アンダー〔あの世行き〕」ともじったり、BCNUのことを「ビ・シーング・ユー〔あばよ〕」ともじったりするのを聞いたことがあると記している。(174−5頁)。 

前者の「5FU」のFUfluorouracil のことだが、そのFU feet under と故意に解釈して、5FUを「ファイブ・フィート・アンダー」(5フィート地下)としたものだ。要するに、「死んで5フィート地下に埋められて」(dead and buried five feet underground)と言っている。墓穴を掘る場合、その深さは5、6フィートである場合が多いようで、“six feet under”という言い方もよく知られている(その名のテレビシリーズやデス・メタルグループがある)。

 もう一方の「ビ・シーング・ユー〔あばよ〕」はBCNUを(I'll) Be seeing you.と解釈したもの。昔から「チャット用語」としてもよく使われるようだ。

 医師たちが抗癌剤をこのように穿って解釈するのは不謹慎に思えるが、その副作用の酷さや低効能を医師たち自身がよく承知していることの証拠でもある点に今のところは興味を覚える(【後記】参照)。

【後記】梅澤充先生の本日のブログ記事に次のような箇所があったので引用させていただく(下線山岸)。想像はつくが、日本の医療関係者たちも類似のことを考えているようだ。

あるとき、その名人でも、
手術可能か否か、
迷える症例があり、
最後の検査で、
流石に名人でも手術不能、
との結論が出たとき、
その患者さんは、
内科での抗癌剤治療にまわされたのですが、
外科の医局員からは、
「切り殺されるのは逃れたけど、
今度は薬殺されるのだから、
気の毒にね・
・・・
どっちがイイか分からないね」
という言葉があがりました。

 

「大丈夫」の語法は大丈夫?

昨日、陽気が良かったので、海風の当たる臨海地区まで、病身の妻を散歩に連れ出した。散歩の途中で、妻を一休みさせたいと思い、某ファミリーレストランに入った。

若い女性店員:「いらっしゃいませ。お二人様ですか。」
私「はい、そうです。」
店員:「おタバコはお吸いになりますか?」
私:「いや、吸わないので、禁煙席をお願いします。」
店員:「はい。(私たちを禁煙席に案内してくれて)こちらで大丈夫ですか?」
私:「いいですよ。」 【ホンネは→「はあ、ここに座ると、何か危険なことでも起きるんですか? それとも、私が何かをしでかすとでも?」】

店員:(食事のあとで、お茶を飲んでいると)「食器をお下げしても大丈夫ですか?」
私:「はい、お願いします。」【ホンネは→「食器を下げてくれたぐらいで泣いたりわめいたりなんかしませんから、ご心配なく。それに食器の数も元通りですよ(盗んでなんかいませんから)。」】

レジ係:「駐車場のほう大丈夫ですか?」
私:「いや、駐車場は利用していません。」【ホンネは→「何か事故でも起きる駐車場なんですか? それとも、私の家の駐車場のことを心配してくれてるんですか?」】

 最近の私は精神的疲れが出ているせいか、どうも“いじわるばあさん”ならぬ、“いじわるじいさん”になっているようだ。それでも思う。日本語の「大丈夫」の語法は大丈夫だろうかと。きっと若者たちに任せておけば大丈夫だろう。そう言えば、昔は一人前の男のことを大丈夫(だいじょうと言った…。

【店員への私の応答は本当はもっと“露骨”であったのだが ― そしてそれを昨日一時的にアップしてしまったが ― 少々大人げなかったと思い返し、トーンダウンして“ホンネは→”という形のものに書き換えた。】

命について―“意味がある”の意味(続)

6日前、「“意味がある”の意味」と題した一文を書いた。重いダウン症の長男の将来を悲観した妻に頼まれて、二人を殺害した夫への埼玉地裁による判決が出た際、裁判長が「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある。」と言ったことに対して、「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。とは、いったいどんな“意味”だろう。」と疑問に思ったからだ。
 今朝の朝日新聞「声」欄に、一人の主婦(41歳)が投書して、次のように書いていた。

私の7歳の息子もダウン症を持って生まれてきました。私たち家族は息子をチャレンジャーと呼び、難しい人生の試練に挑戦するために生れてきたことを誇りに思って、育てています。人生には、きっと自分で越えられない試練などありません。よほどの理由があって、この人生を生きている。そう考えると、生きる力が湧(わ)いてきます。今とてもつらい思いをされている方々も「人生に起こることは、必ず意味がある」と信じ、試練を乗り越えていただきたいと願ってやみません。 

 裁判長もこのような“例”を引いて、その“意味”を伝えたら、理解しやすくてよかったと思う。しかし、私の考えでは、本当はそれでは手遅れなのだ。
 今回の被告や殺害されたその妻の場合、そうした“意味”が見い出せなかったからこそ悲劇的結末を迎えたのだろう。「自分で越えられない試練」だと思い悩んだからこそ愛する妻子に手を掛けたのだろう。「よほどの理由」が考えられないからこそ悩みに悩んだのだろう。世の中は、そう前向きに考え、強く生きて行ける人ばかりではない。

 そうした「試練を乗り越えて」行けない人たちのためにも、手厚い福祉制度や精神的支援制度の充実が必須だと思うのだ。悲劇が起きたあとで、法廷の裁判長から、「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある。」と言われたのでは遅すぎるのだ。墓に布団(ふとん)を掛けても“意味がない”。

別の抗癌剤を試しに出かけた。

今朝、妻は我が子たちに付き添われて、これまでに試したことのない抗癌剤を注射してもらいに東京の某クリニックに出かけた。正常細胞にはほとんど蓄積しないために、毒作用を示さない「体にやさしい」抗癌剤らしい。

 子供たちはそれぞれ忙しい身でありながら、母のために一所懸命だ。父である私が一番だらしがない。オロオロしてばかりいる。「お父さんにはお母さんに対するデリカシーが欠けている」と子供たちから叱られることもある…。そんな私だが、妻は、「あなたには、大学教授以外に、辞書の編集主幹としての大事なお仕事があるから、お仕事頑張って、いい辞書を作ってね。」と言って、かえって私を叱咤激励してくれる。

 膵臓癌患者にとって、何か新しい治療法を試そうとする時、「(様子を見て)そのうちに」という言葉は使えない。癌細胞は数日のうちに信じられないほど増殖してしまう。したがって、全てのことにおいて「善は急げ」である。癌細胞の増殖を阻止・抑制しなければならない。それが、以前から選択肢の中に入れておいた上掲の抗癌剤を試しに行った理由だ。残念なことは、今回から試す抗癌剤も、超高濃度ビタミンC点滴の場合と同様、健康保険適用外で高価な注射だということだ。そのため、経済をどこまで維持できるか分からない。

 前出の超高濃度ビタミンC点滴の場合、昨年10月中旬から、週に2回、4か月ほど受けて来たが、先日のPET/CT検査の結果を見る限り、これと言った効果は見られなかった。むしろ、一昨日書いたように、医師からは他の臓器・部位への転移があったことを告げられた。「夢の抗癌剤」と鳴り物入りで採り入れているクリニックがあり、私もその関連書を何点か読んで納得がいったので妻にもそれを受けさせたが、期待したほどではなかった(効果が現れるのは半年後だという意見もあるようだから、諦めるのはまだ早いのかも知れないが…)。

 最近、妻も家族の者たちも、標準治療の一環としての抗癌剤治療に疑問を感じるようになった。調べれば調べるほど、「抗癌剤は増癌剤」あるいは「抗癌剤は転移促進剤」ではないかと思うようになった。何よりも、抗癌剤としてのジェムザール点滴を受けて帰ったあとの妻はひどく辛そうな顔をし、それでなくても足りない体力がいっそう足りなくなるのが私の目で見てもよくわかるのだ。妻は別の抗癌剤 TS-1 を服用することにも抵抗を示し出した。

「お進みして」?

昨日、近所の大型スーパーに買い物に行った。その入口を入ったところに何かの特別展示即売会のようなコーナーができていて、そこの若い男性店員が、「オススミシテ、中をご覧ください」と言っていた。「オススミシテ」を漢字交じりに書けば、「お進みして」となるだろう。これまたおかしな日本語だ。接頭辞の「お(御)」を付ければ丁寧になると思ったのだろうかそれを取り除いたら「進みして」となる!。私の語感では「お進みくださって」「お進みくださり」「お進みになり」などとなる。他の年配の店員たちはそのことに気付かないのだろうか。いずれにせよ、最近、こういう“不思議な日本語”が増えてきたように感じる。

医師から転移を告げられた。

fl2先日(9日)のテレビ朝日系「スーパーモーニング」で、コメンテーターを務めるジャーナリストの鳥越俊太郎氏(68)が、癌が肝臓に転移していることを明らかにした。2005年10月に直腸癌で腹腔(ふっくう)鏡下手術を受け、その際、医師から肺と肝臓に転移する可能性があると言われていたらしい。2年後に肺に転移し、手術を受けている(右肺切除、左肺も一部切除したと聞く)。癌の脅威を強く感じる。氏の一日も早い回復をお祈りする。
 
 じつは昨日、私の妻も他の臓器・部位への転移を医師から告げられた。先日受けたPET/CT検査の結果だった。詳細を述べるのは辛いので省略するが、これまで以上に厳しい毎日が続くだろう。その期間がどの程度かは神のみぞ知るだ。本人の気持ちを思えば、夫としての私の苦労など、苦労の内に入らない。何度も書いたことだが、私は「癌と闘う」という表現を用いる気にはなれない。今の私たちには「癌に勝つ」自信など少しもないからだ。ただひたすら膵臓癌の何たるかを知り、情報を集め、良いと思われることを精一杯採り入れ、試み、癌に“休眠”に入ってくれるように祈るだけだ。

「このままでいいから 生きていたい…」 
        その夜、妻はそっとつぶやいた。
「そう簡単には死なせないよ…」 
        私はこたえた。そとでは冷たい雨が降っていた。 

パトリック・スウェイジ (Patrick Swayze) のこと(続)

三日前、パトリック・スウェイジ (Patrick Swayze)膵臓癌を患っていることを書いたが、そのことに関連して、Green and White(翻訳ソフトのページ)の主宰者Oto3氏より、スウェイジがワシントン・ポスト紙(2月8日付け)にI’m Battling Cancer. How About Some Help, Congress?と題して寄稿していることを教えていただいた。

 それによると、彼は癌(その他、深刻な病気の)医療・研究推進のための十分な経済的援助を国立衛生研究所 (the National Institute of Health)に対して行ってほしいと米国議会に訴えている。その推進は同時に、インフラ整備によって多くの医療関係職を創り出そうという、きわめて積極的なものだ。 

 
 彼はテキサス州ヒューストン出身だが、幼い頃からの一家のモットーはあれこれ言わずに、何か行動を起こせStop talking about it, and do something about it.だったという。
 

 「私の願いは、いつか、《治療法は》という言葉に、《ありません》という言葉が続かない日が来ることです(My hope is that some day, the words “a cure” won’t be followed by the words “is impossible.”)という彼の言葉が私の胸を打つ。

  彼は寄稿文を、「癌に勇敢に立ち向かってください(Stand up to cancer.)、「深刻な病と闘っている人々を援助してください(Stand up for people fighting serious disease.)等の議会に向けた切実な言葉で締めくくっている。

 余命を宣告された時点で、多くの癌患者は失意の底に突き落とされたように感じるだろうし、あるいは彼もその一人だったかも知れない。だが、彼は一家のモットーに奮起して、こうして積極的に行動をおこしている。その姿に深い感銘を受ける。

「お疲れ様」再び

以前、「《それではお疲れ様でした》という挨拶」と題して一文を書いたことがあるが、その後も、学生・院生諸君から「お疲れ様でした」とか「お疲れ様です」という挨拶言葉をよくに聞かされる。一昨日、大学院入試の際、受験した女子学生からも聞いた。面接試験が終了した時、担当教員の一人が、その受験生に、「それでは面接試験を終わります。退室して結構です。」と言うと、彼女は、「はい、お疲れ様で〜す!」と元気よく返事をして退室した。私はそれを聞いて唖然とした(おそらく、同席した他の面接員諸氏も同様に感じたのではないかと思う)。そして、そのあと、本当にドッと「疲れ」が出てしまった。
 
 
もう1例、今度は現役の大学院生の話。これも一昨日のことである。ある件で連絡のメールをもらったのだが、そのメールの冒頭に「お疲れ様です。〜係の**と申します」とあった。本人はいたって真面目に書いているはずだ。若者たちは、こういう挨拶言葉を用いて、けっこう“楽しく”メールのやり取りをしているのだろう…。お疲れ様で〜す!

命について―“意味がある”の意味

去る2月5日の朝日新聞に、重いダウン症の長男(当時27歳)の将来を悲観した妻(同53歳)に頼まれて、二人を殺害した夫(57歳)への埼玉地裁による判決が出ていた。夫は自ら死刑を求めたが、判決は懲役7年(求刑同10年)だった。
 
 長男の症状は重く、知能は2、3歳程度で、医者からは生後間もなく、20年ほどしか生きられないのではと言われたが、夫婦は、子どもに罪はない。20年を大切にしてやろうと誓ったそうだ。しかし、介護は過酷なもので、妻は、自分の便を口に運ぶ長男を抱きしめ泣いたこともあったらしい。成人した長男は暴れたり、妻の髪の毛を引き抜いたりもしたそうだ。

 2年ほど前から妻は喘息などの体調不良を訴えるようになったという。また、被告は40年勤めた会社を定年退職し、その後、妻と共に息子の介護を手伝った。
 昨年8月、妻は遺書を書き、被告に自分たちを殺してくれるように懇願したそうだ。それまで説得を続けていた被告の心もそれに折れてしまったらしい。

 被告の身に我が身を置き換えても、私には、その過酷さは想像し難い。ほんとうに辛く悲しかっただろう。ありきたりだが、その程度のことしか言葉にならない。
 
 ところで、上掲紙の記事によれば、裁判長は判決の中で、「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある。」と言ったそうだ。「なぜ自分だけが残ってしまったのか。死刑にして欲しい」と公判で訴えた被告は、判決後、「残された人生を有意義に生きて欲しい。 」と裁判長に言われて、「はい。」と一礼して法廷を去ったそうだ。

 不謹慎な考え方も、言い方もするつもりはないが、裁判長のその言葉の“意味”が私には分からない(法廷では詳細が述べられたのかも知れないが、そうであるなら記事には何らかの言及があったと思う)。「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。」 とは、いったいどんな“意味”だろう。被告の場合、そこらあたりがわからなったからこそ、愛する妻子に手をかけなければならなかったのではないか。次の「あなたが生き残ったことにも意味がある。」という言葉もそうだ。どんな“意味”なのか、他人である私にはほとんどまったく理解できない。裁判長は被告に対して、「残された人生を有意義に生きて欲しい。」と言ったそうだが、その言葉の中に、「妻子の冥福を祈って生きなさい」というメッセージが含まれているのかも知れない。しかし、やはりこの言葉も曖昧模糊としていて、私にはよく理解できない。

 今回の被告のような立場の者に対して、「(必ず)意味がある」という重い言葉を使うのであれば、もっと具体的であるべきではないか。そうでなければ、失意や悲しみのさなかにある者にとって、その言葉は一時的・情緒的には理解できても、理性的には理解不能のままに終わってしまうように思えるからだ。

 いずれにせよ、亡くなったお二人のご冥福を祈り、残された被告の将来にふたたび光が射し込むことを心から祈っている。

パトリック・スウェイジ (Patrick Swayze) のこと

ハリウッド俳優でダンサーのパトリック・スウェイジ (Patrick Swayze, 1952-) が末期の膵臓癌を患っていることを同僚のアメリカ人から聞いて、いろいろとウェブ検索を試みた。スウェイジと言えば、デミ・ムーア (Demi Moore, 1962- )との共演「ゴースト ニューヨークの幻(Ghost, 1990年公開)その他で知られている。昨年1月に膵臓癌が発見された時、すでに肝臓への転移が見られたという。その後の病状についてはいろいろと取りざたされているが、どれが正確なものかは今のところ私には分からない。
 若き日のスウェイジ。躍動の人スウェイジ。 今、彼の若き日の映像がまぶしい。
Don't write me off yet.(まだボクを見限らないでよ) 彼の最近の言葉だ。異国の地から、彼の癌からの“生還”を祈っている。Go Patrick! Go Patrick! Japanese fans are all rooting for you!

 

「流した涙の数だけ人間は」どうなるか?

私がときどき利用する蕎麦屋さんに、落語家Yさんの色紙が飾ってある。それには、

流した涙の数だけ人間は強くなる

という文句が書いてある。いい文句だが、問題は「流した涙」の中身(理由)だ。人間が涙を流す理由にはいろいろとあるから、その種類も豊富だ。うれし涙、くやし涙、ありがた涙、血の涙、そら涙、感涙(かんるい)、悲涙(ひるい)、紅涙(こうるい)、熱涙(ねつるい)、暗涙(あんるい)など、いろいろと思い浮かぶ。そのほか、流す涙を多少、説明的に言えば、憐憫(れんびん)の涙、哀憐(あいれん)の涙、同情の涙、感謝の涙、憤怒(ふんぬ)の涙なども挙げなくてはなるまい。

 そこで、若者たちはこの「流した涙の数だけ人間は…」にどんな言葉を続けるのかと思い、先日、私のゼミに所属する学生諸君21 名にゼミ専用掲示板でその点を訪ねてみた。複数例を挙げてもよいことを付言した。

 その結果、流した涙の数だけ人間は「強くなれる」あるいは「強くなる」と答えた諸君の数がいちばん多く、「優しくなれる」「優しくなる」あるいは「(人に)優しくできる」が次に多く、成長する」あるいは「成長できるが三番目に多かった。「強くなれる」が一番だったのは、学生諸君の意見では、岡本真夜の歌である"TOMORROW"の冒頭の一節(「涙の数だけ強くなれるよ」)の影響で、「優しくなれる」はコンタクトレンズのCMでの謳い文句(「涙の数だけ優しくなれる」)の影響であるらしい。(なるほど、歌やコマーシャルの影響は恐ろしい…。)
 その他(ほとんどは1名ずつだが)、
素直になれる」「人間らしくなれる」「心が豊かになる」「前進できる」「生きがいを知る」「笑うことができる」「壁を乗り越えている」「人の温かさを知る」などと答える諸君もいた。中には、「《死んでやる!》とも思うけど、《死んでたまるか!》と歩き出す」「まあるくまあるくなっていく」などという微笑ましい(?)答えもあった。

 まだ諸君が“若い”からだろう、そして“世間の風”を実感することが少なかったからだろう、大いに“プラス思考”で回答している。もちろんそれは好ましいことである。

 しかし、実際には、涙を流しているうちに、“マイナス思考”で考えがちになる人間も少なくないのではないかと思う。少なくとも私の年齢に達した者には、たとえば、以下のように反応をする人がいることが考えられるこちらのほうが本音かも…。そして、その反応もきわめて自然なものだと思う。

流した涙の数だけ人間は

  ・ひねくれ者になる

  分からず屋になる

  天の邪鬼になる

  つむじ曲がりになる

  (す)ね者になる

  ずるくなる

  ・偏屈になる

  利己的になる

  捨て鉢になる

  意地悪になる

  小利口になる

  世渡り上手になる

  敗北主義的になる

  事なかれ主義になる

  他人に無関心になる
  
虚勢を張るようになる

  厭世(えんせい)的になる
   
(その他、多数…)  


 問題はやはり「涙の中身」だろう。それに、涙を流す本人の性格やその人が置かれた生活環境なども影響す

 

【後日記】エイジアエンジニアの「ハレモヨウ」に「流した涙の数だけ人は明日に立ち向かう強さ持てる」と出てくることをあとで知った。これも“プラス思考”だ。逆に“マイナス思考”で捉えればどうなるだろう…。

るだろう。どんな涙をどんな時にどの程度流したか、流した本人の性格はどんなで、どんな人たちがその周辺にいたかなどで、本人が自分の落涙の経験をどう感じるかが決まってくるように思う。
 
いずれにせよ、1枚の色紙の文句で、ひとしきり楽しい思いをさせてもらった。

難治癌の中の難治癌、それが膵臓癌

難治癌の中の難治癌と言われているのが膵臓癌だ(医療関係者は“膵癌[膵がん/膵ガン]と呼ぶことが多いようだ)。膵臓癌のほとんどを占める浸潤性膵管癌(=通常型膵癌)の5年生存率はステージ気36.2%、ステージ兇9.5%、ステージ靴8.7%、末期のステージ犬任錣困1.6%になるそうだ。5年後に生存している人の場合、癌は小さく、早期で発見され、切除手術を受けている人のようだが、そのような“幸運な人”は極めて稀で、100例に1例程度だと言われている。つまり、膵臓癌の場合、そこからの生還は極めて“望み薄”ということのようだ。ちなみに、私の妻の場合も浸潤性膵管癌だ。

 それでは、膵臓癌はなぜ、それほどまでに早期診断がつきにくいのか、またなぜ生還が難しいのか。それは膵臓の位置が胃の後ろであることと関係があるらしい(厚み2センチ程度、長さ15センチ程度)。簡単に言えば、繊細な臓器である上、他の重要な臓器に囲まれたり、奥深くにあったりするために、他に転移しやすく、胃や腸の場合のように内視鏡を挿入して、簡単に組織を採取して調べるというわけにはいかないらしいのだ。したがって、症状が出て、病院で精密検査を受け、膵臓癌だと診断された時には、そのほとんどが手遅れということになるらしい。(こちらの記事を読んでも、膵臓癌が難治癌であることを痛感する。)

 さらに驚くべき、かつ患者を大きく失望・落胆させるに十分な情報がある。それは、膵臓癌の遺伝子異常の数だ。固まりを作る腫瘍、すなわち「固形腫瘍の遺伝子異常はせいぜい5−6個とこれまで考えられ、そのいくつかを狙い撃ちすればガンに勝てる」と思われていた。ところが、膵臓癌の場合、「患者一人の細胞から平均で63個もの遺伝子異常が見つか」ったのだ。

 このような理由から、標準医療においては、膵臓癌治療に当たる医師たちが早々に“匙を投げる”結果となるのかも知れないし、また、そこに悪質癌ビジネスが生まれる素地もできるのかも知れない。私が聞き知る膵臓癌患者のほとんどの人は、その後、亡くなったか、重篤な病状に陥っている。難治病であることを実感する毎日である。

【後日記】間違いだらけの抗ガン剤治療』(KKベストセラーズ)の著者・梅澤充先生が昨日のブログ記事に「膵ガン」と題して、専門的お立場から一文を書いておられるのを知った。それを読んでも、ただただ気が滅入ってしまう…。

悪質な“自然食品”販売店のこと

昨夕、フジテレビが「スーパーニュース」で放映した取材番組「偽りの自然食品販売 追跡3年!」はショッキングな内容だった。場所は東京・杉並区阿佐ヶ谷あたりの某“自然食品”販売店。無農薬を謳っているレモン、オレンジなどから残留農薬が発見され、無添加を謳っている食品から添加物が発見された。韓国産の食品を高知県産と偽装。近所のスーパーマーケットで購入したロールケーキのラベルをはがした上で、価格を高くした自店用のラベルに張り替える、等々。

 フジテレビ取材班の3年間にわたる地道な調査取材により、その犯罪行為が明らかになった(刑法上の詐欺罪に当たるだろう)。取材班は同店経営者に取材を試みるが、当人は“珍妙”あるいは“幼稚”な反論に終始した。農水省には報告済みのようで、同省は調査に乗り出すようだ(すでに調査が始まっているかも知れないが、そこらあたりは聴き落とした)。

 昨年の5月以降、妻のために、玄米・野菜・果物等、すべて有機農法で作られたものだけを入手し、麺つゆは有機野菜使用植物性原料だけのもの、だしの素・豆腐などは遺伝子組み換え大豆不使用のもの、と言うように、徹底して、農薬や食品添加物の存在に神経を使ってきた我が家にとって、この番組の内容は信じがたいほどのものだった。

 悪質な“癌ビジネス”が存在するのだから、こうした悪質な“自然食品”販売店も存在するだろうとは思っていたが、こうしてまざまざとその実態を見せつけられると、名状しがたい怒りが込み上げて来る。

一瞬の表情で人が見抜ける?

今朝の朝日新聞の書籍広告を見ていたら、佐藤綾子著『一瞬の表情で人を見抜く法』(PHPという新刊が目にとまった。広告文句には、「ウソもホンネも顔に表われる! ことばや態度にだまされない《読顔力》を身につけよう」「感情、ホンネ、性格、暮らしぶり…。顔の表情から、あらゆる情報を読みとる秘訣を大公開。対人関係に使える心理テクニック集」「顔からここまで読みとれる 第一印象は二秒で決まる いい人の顔、悪い人の顔 顔から本音を見抜く方法 《よい顔》をつくる表情トレーニング」といった文句が並ぶ。

 Amazonの広告には、さらに「どんな家庭で育ったのか」「恋人はいるか、結婚しているか」「経済的に成功しているか、破綻しているかなどもこの読顔力で一瞬にして分かるとある。

 

 本当だろうか? 本当ならスバラシイ…。 私は大学の教壇に40年近く立ち、今日までに、数え切れないほどの学生たちや、教職員を含む学校関係者を見て来たが、いまだに「一瞬の表情で人を見抜く法」など身に付いていない。学生たちのたわいもないウソ、かなり悪質なウソ、そんなことも見抜けないで今日に至っている。

 ところで、著者の肩書きを見ると、「パフォーマンス学・心理学博士」とある。私も職業柄、いろいろな肩書きを見てきたが、「パフォーマンス学・心理学博士」という表記法による肩書は初めてである。これは「パフォーマンス学博士」「心理学博士」と別個に読むべきものなのか、それとも「パフォーマンス学」と「心理学」とはひと固まりを成していて、それが「博士」に掛かるものなのか、私にはわからない。推測では、二つの学位をお持ちなら、「パフォーマンス学博士」「心理学博士」と別個の表記をなさるのではないかと思うが…。ただし、そうなると、別所のデータベースに見られる「2001年博士号(文学/パフォーマンス学・心理学)学位取得」という表記の意味が再び分からなくなる
野次馬的興味でそのあたりの事を知りたいと思い、ウェブ検索をしてみたところ、同氏の「パフォーマンス学」分野での学位に関しては、こんなサイトが見つかった。いずれにせよ、「黙って座ればピタリと当たる!」の現代版だろうか?

梅林の花が咲かなくなった。

うちの近所に小さな梅林がある。誰かの所有物なのだろう。今頃の季節になると、毎年、美しい白梅、紅梅を咲かせて、通行人の目を楽しませてくれた。
  ところが、今年はほとんどの木に花が咲かない。私の推測では、一昨年、その梅林に隣接するやや小高い場所に8軒ほどの建売住宅が出来たためだ。地盤工事、コンクリート打ち、その他の工事で、相当な量の化学物質がその梅林に流れ込んだものと思われる。
 もしかしたら、その梅の木たちは二度と花を咲かせないかも知れない。あるいは、かなりの時間的経過の中で、土中に混入している化学物質が消滅して、再び美しい花を咲かせるかもしれない。
 私の推測が全くの的外れで、別の理由から花を咲かせなくなったのかも知れない。1つだけ確かなことは、梅の木たちの根元で何かが起きていることだ。いつか、また元気になって、白梅、紅梅の花を咲かせてほしいものだ。

東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花
             主なしとて 春な忘れそ 
                            … 菅原道真

「愛妻の日」とやらに思う…

昨夕の朝日新聞に、「131日 本日、愛妻の日」と題した“日本愛妻家協会”のイベントを取材した記事が大きく掲載されていた。数字の「1」をアルファベットの「アイ」と読み、31を「サイ」と読んで「愛妻」に引っ掛けたものらしい(コジツケの感がするが…)。昨年に引き続き2回目だそうだ。

同紙によると、129日夕方5時、真冬の日比谷公園大噴水前で約40人の“愛妻家”たちによる「ヒビチュー」が開催されたそうだ。「ヒビチュー」とは「日本愛妻家協会と日比谷花壇が行う、愛妻の日(131日)のための記念イベント」だそうだ(「ヒビ」は日比谷の意かと思うが、「チュー」はキスの意か?「チューリップ」の意か?)。題して、「日比谷公園の中心で妻に愛を叫ぶ 男の帰宅花作戦2009 〜男は花を持って家に帰ろう〜」。

 最初に「愛してるよ〜!」と叫んだのは横浜からやって来た30代の男性。“愛妻家”たちの「ヒビチュー」が次々と真冬の都心に熱く響き渡ったそうで、参加者には、日比谷花壇から、帰宅後に妻に渡して欲しい“愛妻家宣言証”付き「愛妻の日ラブフラワー(チューリップ)」と、コレに乗って妻と“ハグ”したい「愛妻の日専用ハグマット」がプレゼントされたそうだ。「妻というもっとも身近ながら、ないがしろにしがちな存在を大切にする夫が増えると、世界はもう少し豊かで平和になる。」そんな思いから生まれたのがこの「愛妻の日」(131日)」だという。

 この新聞記事を読んで、思ったことがある。“愛妻”“愛妻家”の反対語は何だろう。前者の類義語に“恋女房”という、かなり古風になった語もある。さらに古風になった語に“思い妻”がある。それらの反対語はどうだろう。なぜ、“愛夫”“愛夫家”“恋亭主”“思い夫”という語は不自然に響くのだろう。ついでに言うなら、“恐妻家”という語があるが、その反対語は何だろう。

上掲紙には、「というもっとも身近ながら、ないがしろにしがちな存在を大切にするが増えると、世界はもう少し豊かで平和になる」とあるが、これを逆にして、「”というもっとも身近ながら、ないがしろにしがちな存在を大切にする“”が増えると、世界はもう少し豊かで平和になる」と言えることも忘れまい夫はしばしば“粗大ゴミ”“濡れ落ち葉”“台所のお邪魔虫”“亭主元気で留守が良い”などと揶揄される悲しき存在である…。だが、実際には、多くの人にとって、前者の言い方は馴染み深いだろうが、後者のような言い方は馴染み薄だろう。
 
 男女いずれか一方だけに言及できる語・
句・表現があるということは、良くも悪くも異性や社会からの偏見が働いた結果だとみてよいだろう。平素、妻を“掛け替えの無い連れ合い”“人生最高のパートナー”として、心から敬愛していれば、あるいは、愛新覚羅 溥傑(あいしんかくら・ふけつ)氏の言われた「相依為命」(あいよりて いのちを なす)の境地を目指していれば、何も殊更に“愛妻”という語を使ったり、“愛妻家”を任じたりする必要はないように私には思えるのだ…。(もちろん、逆もまた真なりで、妻は夫を同じように敬愛している必要がある…。)

 今日もまた、私の独断と偏見を披歴してしまった…。

追記:興味本位で「日本愛妻家協会」をウェブ検索に掛けてみたところ、同協会のHPBlogが容易に見つかった。

ご注意
無断転載禁止 HOME (C)
山岸勝榮英語辞書・教育研究室
記事検索
書籍
.后璽僉次Ε▲鵐ー和英辞典[第3版]
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惴Χ軌藹佝


.▲鵐ーコズミカ英和辞典
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社


.后璽僉次Ε▲鵐ー英和辞典
[第4版]
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社


.后璽僉次Ε▲鵐ー英和辞典
[第3版] (CD付き)
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社


.后璽僉次Ε▲鵐ー英和辞典
 [第3版] (CD無し)
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社


.后璽僉次Ε▲鵐ー和英辞典
 [第2版] (CD付き)
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社

.后璽僉次Ε▲鵐ー和英辞典
 [第2版] (CD無し)
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社

ヽ擇靴犲典スーパー・アンカー英和辞典[CD-ROM]―for Windows
学研電子辞典シリーズ
∧埆玄膣粥山岸勝榮
3惱研究社
書籍
|姥貲郢
一番知りたい暮らしの英語
∋慨濔+
小学館


,垢阿砲任る
海外インターネット活用事典
[監修]山岸勝榮
 [執筆]関根紳太郎
小学館


100語で学ぶ英語のこころ
 日本人の気づかない意味の世界
∋慨濔+董Υ愃紳太郎
8Φ羲


.好圈璽舛里燭瓩離罅璽皀英語
∋慨濔+董L.G.パーキンズ
4歔吋薀ぅ屮薀蝓


 ̄儻豢軌蕕伴書
∋慨濔+
三省堂

 ̄儻譴砲覆蠅砲い日本語をこう訳す
∋慨濔+
8Φ羲匳佝

仝世┐修Δ埜世┐覆け儻
∋慨濔+
8Φ羲匳佝

 ̄儻譴量ね
D.Graddol著・山岸勝榮訳
8Φ羲匳佝

.罅璽皀英語のすすめ
∋慨濔+
4歔吋薀ぅ屮薀蝓
Archives
  • ライブドアブログ