2009年03月

「早期発見理論」と「がんもどき理論」

uguisu早期発見理論」とは、「癌は早期に発見して早期に治療すれば、進行癌になってから治療するよりも治る可能性が高くなる」という考え方で、現在の癌検診を推進するための理論的支柱となっているものだ。
 これに従えば、今は転移がない癌であっても、それを放置しておけば、早晩、転移が生じ、病状が悪化するということになる。しかし、「早期に発見して早期に治療すれば、進行癌になってから治療するよりも治る可能性が高くなる」という点はいまだ証明されていない。すなわち、「早期発見理論」はあくまでも現在主流の“仮説”である。この“仮説”に基づいて、我が国の癌医療システムは構築されている

 この“仮説”に対するアンチテーゼとして提出されたのが「がんもどき理論」であり、『患者よ、がんと闘うな』で知られた近藤誠氏(慶應義塾大学医学部)の説くものだ。それによれば、病理で癌と診断された病変を考えた場合、転移するもの転移しないものとがあり、すでに転移がある場合には、早期に発見して早期に手術しても、早晩、転移したものが育って、命を落とすし、転移能力のなかった癌であれば、転移はしないわけだから、早期発見することに意味は見い出せないことになる。近藤氏は前者を「本物のがん」(すなわち、もともと転移しているもの)、後者を「がんもどき」(すなわち、本物ではない、のんびりとしたもの)と命名した。ただし、氏は、早期発見可能な大きさになったあと、初めて転移することがあり得ることを認めており、これを「第三の可能性」としている。

 この二つの癌理論を比較すると、現在主流の「早期発見理論」では、早期癌から進行癌になるうちに転移する一種類だけの癌が存在するのに対して、「がんもどき理論」では、もともと転移している「本物のがん」と、転移していない「がんもどき」の二種類が存在するということになる。

 上記したように、二者ともに“仮説”であるが、「がんもどき理論」が正しいとすれば、「早期発見理論」という“仮説”に基づいて構築されたシステムのもとで行なわれて来た、これまでの我が国の癌検診は、その必要のない癌患者に対しても肉体的・精神的苦痛を強いて来た(可能性がある)ということになる

 近藤氏の「がんもどき理論」が、これまでの“常識”を覆すものだっただけに、現在の癌検診システムを構築した人々や組織からは猛反発を受けたことはよく知られている。しかし、近藤氏ご自身が言っておられるように、「がんもどき理論の正誤を検証する作業は、早期発見理論の正誤を検証する作業である」(『がん専門医よ、真実を語れ』318頁)わけだから、近藤氏に反発するのであれば、反発者はまず「早期発見理論」の正当性を証明する必要があるだろう。

注記:本稿は、妻を癌患者に持つものの、医学的知識は皆無の私が近藤誠編著『がん専門医よ、真実を語れ』(文春文庫、2001年第1刷)を読了後に、両理論について理解し得たところを書いたものである。誤解や勘違いがないことを願っている。

後記:その後、次のようなウェブページを見つけた。
1.「序説:胃癌の発育進展」丸山雅一
2.「近藤氏の著書に思う」平川平三郎
3.医学雑誌「胃と腸」に載った「近藤説批判」を批判する(この3.は1.と2.を批判したもの)

抗癌剤を打ち切ったわけ(続々)

妻は点滴抗癌剤ジェムザールと経口抗癌剤TS−1の併用治療に耐えかねて、日を追うごとに体重も生活の質も落ちて行った。主治医もそれに気付き、結果的には、もう打つ手はないと言い、緩和ケアを専門にやっている別の病院への転院を勧めた。
 途中、別の抗癌剤シスプラチン(CDDP)の使用も可能だがと言ったことがあったが、私たちはその抗癌剤は考慮に入れなかった。それは船瀬俊介著『抗ガン剤で殺される』(花伝社)の次のような信じがたいことが書かれてあるのも知っていたからだ。

 いわば抗ガン剤の“アロンアルファ”。シスプラチン(プラトシン等)はDNAに瞬時に結合する。さらにDNAの鎖同士をくっつけ、その複製を妨げる。(中略) つまりシスプラチンは“究極のDNA破壊”抗ガン剤なのだ。DNA が破壊すれば細胞も組織も器官も…そしてヒトも死にいたる。抗ガン剤への薬剤耐性を得たガン細胞に「効果をしめすこともある」という。製薬メーカーは、反抗ガン剤遺伝子ADG の存在など、口に出さぬが、とっくの昔に知っている。(中略) むろん毒性も、これまでの抗ガン剤とは、比べようも無いほど超弩級…。その毒性も凄まじい。専門書も「吐き気・嘔吐が顕著」と警告。あたりまえだろう。さらに「骨髄、造血作用の抑制、末梢神経障害、中毒性難聴、腎臓障害、血尿、アレルギー反応…」(『ガンのすべてがわかる本 ガン全種類別最新治療法』前出)。(326−7頁)
  この説明を読む限り、それを投与されるのは大いに躊躇われる。ついでに言えば、同書には、藤波襄二医師(75歳:東京医科大学名誉教授)の次のような“そら恐ろしい”指摘も引用されている。

抗ガン剤…私なら絶対にやりません! ガン専門医が自分がガンになったとき拒絶するのも患者に投与してきて「効かない」ということを知っているからでしょう。私なら代替療法を選びますね。(156頁)
 あとは省略するが、同書にはほかにも抗癌剤の深刻な問題点を指摘する医療関係者の発言が多数引用されている。
 妻の罹患判明以降の治療経過を観察し、私自身の必死の“勉強”と情報収集を通じて、最終的には抗癌剤投与を打ち切ることにしたのだが、その決定に悔いはない。

また一人、膵臓癌患者が亡くなった。

また一人、膵臓癌患者が亡くなった。息子の友人の母君で、私の妻と同じ62歳。罹患が判明したのは昨年の夏。私の妻よりも3か月もあとのことだった。それからわずか7か月。本当に早い旅立ちだった。お会いしたことはない方だったが、息子の友人の母君であり、妻と同年であったから、他人事だとは思えない。寛解なさるように、いつも祈っていた。おそらく昨日がご葬儀だったろう。

 妻の周りの膵臓癌患者が一人また一人と亡くなっていくのを見聞きするたびに、我が国の抗癌剤使用の後進性を痛感する。抗癌剤投与法に大きな問題があることは、多くの医学(研究)者、医師、環境問題評論家がすでに明確に指摘しているところだ。何度も紹介している船瀬俊介氏の一連の著書などは、そのあたりをもっとも手厳しく告発している“覚醒の書”だ。一人でも多くの癌患者やその家族の人たちが同氏の著書に目を通してほしい。

二名のお客様、入りまーす!

ときどき利用しているファミリーレストランに昼食をとりに入った。入口で、女子店員が、「二名のお客様、入りまーす!」とけっこう大きな声で、同僚に聞こえるように言った。パチンコ屋でもあるまいし、入りまーすはないだろうと、いつもの偏屈ぶりが頭をもたげてきた。その後、聞いていると、やはりどの店員も、「〜名のお客様、入りまーす!」と言う。たぶん、店側でそのように言えと教育しているのだろう。何と言うのがいいか、読者諸氏に考えていただきたい。質問1つ、入りまーす!

抗癌剤を打ち切ったわけ(続)

医師271人中、270人が、自らは抗癌剤を断固拒否する現実がありながら、なぜ癌患者はそれを投与されるのか。船瀬俊介著『ガンで死んだら110番―愛する人は“殺された”』(五月書房)には、某医師の内部告発が紹介されている。

厚労省の決めた保険医療(三大療法)をやらないと一瞬で病院は倒産するからです。総合病院で数多くの医師、看護師を養っていますから…。厚労省の決めた通りにやらないと生き残れない。小さな個人クリニックならできますが、大病院では無理…。これがガン医療のどうしようもない現実です。根底から変えるしかありません。(97頁)
 また、同書には次のようなエピソードも紹介されている。著者が前・衆議院議員の山田敏雅氏から聞いた話をまとめたものだ。(ちなみに、山田氏は国政に見切りをつけて、現在は癌の代替療法普及に人生をかけておられるそうだ。)
岡山大学付属病院に勤務していた、その医師は入院ガン患者が、余りに多く死んでいくのに疑問を抱き、一年間に亡くなったガン患者のカルテを徹底的に精査。そこで、おどろくべき事実に突き当たった。なんと、ガン患者でありながら“死因”は、ガンではない患者が大半だったからだ。「例えば、肝機能障害とか感染症など…明らかに抗ガン剤などの副作用で、ゾロゾロ死んでいたんです」と山田氏。その医師は、これらガン以外の死因の患者数を集計して愕然とする。なんと、その病院では一年間に、亡くなったガン患者の80%が、ガン以外の死因で死亡していた…。つまり、猛毒の抗ガン剤で“毒殺”されたり、有害放射線で“被曝死”したり、手術の後遺症などで“殺されて”いたのだ。(95−6頁)
彼は、この冷厳な事実を「報告論文」にまとめ、学長に提出したそうである。「すると、学長はどうしたと思います? その医師の面前で、その論文を破り捨てたのです…」 わが耳を疑うとは、このことだ。その場の光景が、映画の一場面のように目に浮かぶ。「こんな、ほんとうのことを患者が知ったら、どんな騒ぎになるか、君はわからんのか!」。喚(わめ)いて、ビリビリ引き裂いた論文を床に叩き付ける学長。顔面蒼白で、震えながら、その様子をただ呆然と凝視する医師。「僕がその医師から直接聞いて確認した話です。信用してください。」(山田氏)その医師の悔しさと絶望が、こちらにも伝わってくる。論文を破り捨てた学長の姿が、悪魔に見えたにちがいない。国会議員の山田氏に独白したのも、良心の呵責にたえかねての“内部告発”であったに違いない。(96頁)
 参考までに書けば、著者は続けて、「博士論文を審査もせずに破り捨てた狂気」を紹介する。

 関係者は証言する。「その勤務医は、博士論文として学長に提出した。学長はそれを審査もせずメチャメチャに破り廃棄した。(中略)博士論文を審査もせず“真実(ほんとうのこと)を書いている”という理由で破り捨てる。これが、日本の最高学府の医学の現状なのである。あなた方は、そんな大学病院に嬉々として通っているのだ。」(97頁)
 著者の「ガン患者の8割は抗ガン剤、放射線、手術で“殺されている”」という言葉はけっして誇張ではないと、私は今は思えるようになっている。最後に、私は船瀬氏の一連の著作に何度も蒙を啓かれたことを記しておく。

我が家の前で何かの撮影があった。(続々)

去る3月11日、「我が家の前で何かの撮影があった。(続)と題した一文を書いたが、その時の撮影の詳細が分かった。テレビ東京開局45周年記念キャンペーンの一環として制作された短編ドラマらしく、テーマは「夫婦の絆」。協賛社はナビタイム・ジャパン、プラチナ・ギルド、読売新聞の三社。
 平泉成、岸本加世子のご両人は38年前に、撮影現場となった我が家の前で初めて出会ったことになっているようだ。二人の若い頃を山中崇、森口彩乃という新人が演じている。撮影現場は「夕日が丘」という設定(本当は「桜ケ丘」)。詳しくはこちらの動画(240秒バージョンがお薦め)を観ていただきたいが、我が家の黒色の門扉が最初あたりと最後あたりに、二度映し出されている。なお、この動画が観られるのは今月いっぱいのようだ。

後記:夫(平泉)が妻(岸本)に向かって、38年前に初めて出会った「夕日が丘」で言う次の台詞がいい。

 
どうしてもこの場所でしたかったんだ。二回目のプロポーズ。あの日から38年、いつも支えてくれてありがとう。二人の新しい人生、これからも一緒に歩いてくれるかな。」
 
 ただし、BGMの「あの素晴しい愛をもう一度」は歌の内容(
二人の心と心が今はもう通わない あの素晴しい愛をもう一度」)を考えると、場違いな感じもする。たぶん、これは同夫婦が出会ったのが1971年[昭和46年]ということになっており、その歌も同じ年にレコード発表されているから、同夫婦にとっての懐かしい歌という設定だったのかも知れない…。

どうか私に命を分けてください。

sakura再び一休禅師の言葉を思い出す時季になった。自然の不思議、命の有難さを思わずにはいられない。「桜(さくら)」の語源説にはいろいろあるが、私は桜の霊である「此花サクヤ(咲耶)姫」のサクヤの転からという説が好きだ。「サ」は穀物の霊であるサガミ(田神)の「サ」で、「クラ」はその霊の憑りつく座の意の「クラ」という説もいい。

 先日、妻と散歩に出かけた時のことだ。妻は、散歩コースの桜並木まで来ると、「わぁ、桜が咲き始めたわね。とってもきれい。今年も桜が見られてよかったわ。もう見られないかと思ってたから、ほんとうにうれしい。」と、まるで少女のように歓声をあげた。私はそれを聞いて、胸が詰まった。「ほんとうによかったね。また来年も見ようね。」 そう応えるのが精一杯だった。妻は1本の桜の樹を両腕で抱くようにして、「どうか私に命を分けてください。気を分けてください。」と言った。私はそこでもまた胸が詰まってしまった。自分の無力さを悲しくも思った。

 春になれば桜が咲くのは当たり前のことだ。そんなことは60数年の人生で、何の不思議もないこととして、受け入れてきた。ところが、おかしなことだが、最愛の妻が余命を宣告された途端、あらゆる物事に、それまでに感じたことのない思いを抱くようになった。そして、一休禅師の言葉の意味もよく実感できるようになった。

絶叫したいほどの思い。

今朝、妻を某治療院(自然療法)に連れて行った。そこの治療師の話だと、ご当人が面倒を見ている患者の一人は“外科医”だそうだ。その人に、「もし先生が癌になったら、抗癌剤を使いますか」と尋ねたところ、「いや使わない」と答えたそうだ! 抗癌剤とはそんな薬剤であることを癌患者やその家族の者たちはもっとよく認識すべきだろう。不必要に苦しまないためにも、悲しまないためにも…。 
 悲しむと言えば、今日もまた膵臓癌患者が亡くなったという話を耳にした。私の妻よりもステージが下の人だったようだ。標準治療を受けていて、あっという間の旅立ちだった。これだけ医学が発達していながら、これだけ多くの医者が居ながら、膵臓癌を根治することはできないのか。そう絶叫したくなる…。

抗癌剤を打ち切ったわけ

何度か書いたように、抗癌剤治療専門医(の多く)は、自分や自分の身内の者が癌に罹った時には抗癌剤は使わない。昨日(3月23日)の梅澤充先生のブログ記事にも次のような一文があった。

そもそも、身内の人間に対しては、絶対に行なわない治療であることに気づき、治らないガンの患者さんに対して、他の方法を模索しはじめました。(中略)現在の治療を続ければ続けるほど、標準的に大量の抗癌剤を使った治療の、愚かさを確信するようになってきました。多くの腫瘍内科の先生方は、ご自身の身内の患者さんには、絶対に標準治療は行なわないと思います。少なくとも、「治療法はありません」とは絶対に言わないはずです。身内の人間には行なえない治療は、絶対にするべきではないと考えます。

 先生は、「10年近く前に、大量の抗癌剤を使った治療に虚しさを覚えた頃から、少しずつ現在の治療に移行していきました。」とも書いておられるが、先生のような方は、我が国の抗癌剤治療専門医としては例外的存在ではなかろうか。

 国や医学界が“エビデンスあり”として認めた“標準治療”を癌患者に施している限り、癌患者がいくら副作用に苦しもうと、告知通りの期間で死んでいこうと、抗癌剤治療専門医にとっては、それは“想定内”のことであり、自分たちの身の安全は保証されるのだ。妻の罹患・受診開始以降、私にはそのように思えて仕方がない。

 ちなみに、妻と同時期あるいは、その後に膵臓癌が発見された何人もの人たちが、“標準治療”の一環としての抗癌剤投与を受けながら亡くなっていった。そういった抗癌剤治療さえ受けなければ、最終的には亡くなるとしても、多くの患者は、最後の日までもっと質の高い生活を送っていられたのではないか。妻と私は、今は、そう思っている。それが、また、抗癌剤(ジェムザールおよびTS−1)を打ち切ってもらった理由である。

やる気を起こせば何でもできる?

昨日、卒業生は、式後、各学科に分かれて各人の学位記を受け取った。それが終了してから、各教員による「贈る言葉」の披露があった。何人かの同僚(日本人、英語圏人)が、「やる気を起こせば何でもできる」「努力を怠らなければ全ての事が可能になる」といった内容のスピーチをした。自分の夢を実現させた幸せな人たちなのだろう。だからこそ、そうした激励の言葉を卒業生に贈ったのだろう。
 しかし、私にはそうした言い方はできそうにない。自分の人生を振り返ってみた時、「やる気」や「努力」だけではどうしようもない事が何度もあったからだ。したがって、 私なら、いいところ、「やる気を起こせば意外と多くの事ができるだろう)」「努力を怠らなければかなりの事が出来るだろう)」程度の言い方をしただろう。もっとも、そんな言い方では「贈る言葉」としては“迫力”に欠ける(だろう)。
 

2008年度学位授与式の朝

今日は2008年度学位授与式が挙行される日だ。朝から強風が吹き荒れていて、式典が予定時刻に始まるかどうか、少々心配だ。学生の多くが通学に利用する京葉線は、高架になっているところが多いために、強風に弱い。
 いつもながら、卒業式を迎えると、「光陰矢の如し」という、言い古された言葉が念頭に浮かぶ。ついこの間、入学して来たと思ったら、今日はもう卒業して行く。一人一人の卒業生が、健康に恵まれて、明るく、楽しい人生を送ってくれることを心から願っている。卒業式の朝、研究室にて

後記:式典開始が30分、繰り下げられた。

本当の「奇跡的回復」なら…

NHK連続テレビ小説「だんだん」の膵臓癌患者・田島初枝(三林京子)は、それまでかたくなに薬剤治療を拒否していたが、医師・石橋友也(山口翔悟)の熱心な説得に折れて、複数の抗癌剤を用いた新しい治療法を受けることを承諾した。その結果、半年後には「奇跡的回復」を見せる。

 テレビ番組だと分かっていても、「奇跡的回復」を見せた初枝の存在は見ていてこちらも嬉しくなる。しかし、…である。車椅子を必要とするあれほどの病状で、薬剤に起因する副作用の辛さを訴えていた初枝が、種類は別とはいえ、複数の新たな抗癌剤を投与されて、「奇跡的回復」を見せたということは、また大きな不安を想像させる。あの「奇跡的回復」は、単に癌病巣の一時縮小あるいは一部退縮だったかも知れないし、早晩、再発するかも知れないからだ。そこらあたりの危惧については船瀬俊介著『ガンで死んだら110番―愛する人は“殺された”』(五月書房、増補版、第1刷)の次のような一節が説得力を持つ。

 そもそも、猛毒物が抗ガン剤という“クスリ”に化けるプロセスから慄然とする。ガン患者に投与して、四週間以内に腫瘍が十人に一人縮小すれば「効果アリ」と医薬品に認可される。猛毒を打てば、患者もガン細胞も、その毒で委縮するばあいもあるだろう。それでもわずか一割とは…。残る九割のガンはピクリとも動かない。それでも「効果あり」とは恐れ入って声もない。
 このわずか一割ていどの腫瘍縮小効果も、まったく無意味。なぜなら、ガン腫瘍はすぐにリバウンド増殖を始め、わずか五〜八か月で元の大きさに戻ってしまうからだ。それから、さらにガンは増殖を続け、患者を死にいたらしめる。抗ガン剤を多種類打った患者ほど、再発、増殖…そして死亡するまでの期間が短い。(3−4頁)

 現在の私たち夫婦は、「抗癌剤はいくら打っても効かない」と言った(という)厚労省保険局医療課長の衝撃証言を深刻に受け止めている(前掲書2頁)。本当の「奇跡的回復」が私の妻に当てはまったならどれほど嬉しいことだろう。

護良親王と鎌倉宮(続)

kamakura話は護良親王が鎌倉に配流されて来た建武元年 [1334年] から数えて600年目に当たる昭和10年 [1935年] に遡る。同年8月18日から20日までの三日間、親王600年祭が催されたが、その式典に和歌山県西牟婁郡大塔村鮎川字小川地区から宮司(音無定三氏)が餅を持って参拝したという記録が残っている。これには次のような逸話がある。

 元弘2年[1332年]、護良親王は小川地区に落ちのびて行ったが、その頃、村人たちは旧暦十月亥の子の餅をついていた。親王は空腹のあまり、村人たちに餅を所望した。だが、役所からのお達しで、落人(おちうど)には食物を与えてはならないことになっていたために、それを断った。あとでそれが護良親王と分かるや、村人たちは大いに悔み、恐れ多く思った。それ以来、餅をつかぬことを申し合わせ、600年祭に際してようやく餅をつき、村を代表した宮司がそのいくつかを鎌倉宮に供えて、自分たちの非礼を詫びた。

 宮司は「爾来今日迄餅をつかずに居たが六百年祭に際して始めて粟餅をつき、これを持参して神前に供えお詫び言上したが、今後も引続き餅は食はぬ事になっている」と語ったそうだ。
 ちなみに、ウエブ検索をしていて、「もちつかぬ里」と題するページが数多くあるのを知った(例)。いずれも上記の逸話に関係したものだと思う。胸の熱くなるような話だ。

【注記】本稿をまとめるにあたって中村政則著「モチと天皇制」(名著刊行会「日本学」1989.12所収)を参考にした。
【参考】昨年、平成20年[2008年]、鎌倉宮では護良親王生誕700年記念大祭が催された。

まだ、肉を食べているのですか?

mハワード・F.ライマン/ グレン・マーザー著/ 船瀬俊介訳 『まだ、肉を食べているのですか―あなたの「健康」と「地球環境」の未来を救う唯一の方法』(三交社、2002年初版第1刷)を読み出した。最初の2章を読んだだけだが、ショッキングな指摘が並ぶ。特に、ハワード・F.ライマンの指摘にそれが言える。
 彼はモンタナ州出身で、現在ヴァージニア州に在住し、国際地球救済会議会長および世界ベジタリアン連合会長を務めているが、もとは曾祖父に始まる農場ライアン・デイリーの四代目牧場主。腫瘍摘出手術を機に、「人類の食の真理」に目覚めて、ベジタリアンに転向すると共に、有機農業推進派ロビイストとなり、全米有機農産物法成立などに尽力した人。それだけに同書に書かれていることには信頼が置けると思う。

 彼は読者に、「アメリカのステーキには何が紛れ込んでいるか?」と問い、それを知ったら、「間違いなく私と同じベジタリアンになるだろう」と言う(8頁)。アメリカの牛が屠殺されると、重量で言えば半分ほどは食用にならず、たとえば腸とその内容物、頭部、ひづめ、角、骨、血などはレンダリング・プラントと呼ばれる工場の巨大グラインダーに投げ込まれ、攪拌されるという。病死の牛も丸ごと放り込まれるらしい。その他、癌に罹った動物、腐りかけた動物の死体…なども同様に処理される。「この身の毛もよだつ“混合物”は、レンダリング工場でミンチに刻まれ、高温蒸気で“調理”される」そうだ。表面に浮いた脂肪分は化粧品、潤滑油、石鹸、蝋燭、ワックス原料などに精製されるという。ちなみに、彼の指摘によれば、動物の排泄物を始末する最も効率的な処理法は、餌に混ぜて家畜に食べさせることだそうだ。
 テキサス州、コロラド州など、多くの州には「食品の中傷に関する法」があって、食品を中傷した人間は、その法律によって罰せられるという。要するに、家畜業者や農場主が多い州では、家畜の“悪口”が言われないようにするための法律が存在するのだ。著者はテキサス州食品中傷法にとって訴えられたことがあり、勝訴している。
 
 最後に、ハワードの言葉を引用する。
 今もムシャムシャとミンチに刻まれた馬や犬、猫、豚、鶏、それに七面鳥などの死体をいただいているのだ…、同様に、牛の死体から選り分けられた血液成分から糞便に至るまで、いまだ食べている! おまけに鶏の死体から取り出した血や糞までもそこに混ぜられている。全米で約九千万頭もの牛が飼われている。そのうちの約七十五パーセントが、日常的にレンダリング処理された動物死体で“栄養強化”されたエサを食わされているのだ。(10−11頁)
  「アメリカで生産されるほとんどの肉が汚染されている」(24頁)というショッキングな指摘の意味がよくわかった。日本人が自分たちの食生活と健康を考える時、本書から学べることは多いだろう。

生への執着

NHK朝の連続テレビ小説「だんだん」に膵臓癌患者が登場する。主人公のめぐみ(三倉茉奈)とのぞみ(三倉佳奈)の祖母・初枝(三林京子)だ。膵頭癌で、ステージ3、手術不能で抗癌剤治療のみという設定になっている。痛みがひどく、歩行も困難だ。薬剤治療の効果は芳しくなく、余命は1年程度という。架空の話だと分かっていながら、テレビ画面を見ているだけで、初枝の姿が痛々しく、こちらも辛い。今朝(3月18日)観たシーンでは、初枝は薬剤投与を「もうええけぇ」と言って拒否していた。

 私の妻の場合も初枝と同じ病名なのだが、ステージは現在は4b、すなわち、もうこれ以上の計測値はない末期の状態だ。昨年の5月初旬に罹患が発覚した時にはすでにステージ4aだった。その後、他の部位に転移が認められた時点で、末期の4bと宣告された。現代医学からは全て“見放されて”しまったことになる。
 それでも本人は、痩せ細った身で、ハワイに行きたいだの、モナコに行きたいだの、果てはラスベガスに行きたいだのと言っている。妻の「行きたい」は「生きたい」の表明であり、「活き体(いきたい)」への願望でもある。けっして「逝きたい」ではない。そういう、妻の「生への執着」が妻の免疫力を少しでも上げてくれることを祈るばかりだ。

護良親王と鎌倉宮

Morinaga4昨日、何十年ぶりかで、鎌倉宮(かまくらぐう)に行ってみた。鎌倉宮は護良親王(もりながしんのう)、別名大塔宮(おおとうのみや)を祀る神社である。神社創建の建白奏上は、薩摩藩島津久光によってなされ、孝明天皇の御遺志を継承された明治天皇が明治2年[1869年]に創建の勅を発し、遷座祭が執り行われた。
 
  護良親王(「もりよししんのう」と読む人もいる)は、延慶元年[1308年]、後醍醐天皇の第三皇子として生まれた。鎌倉幕府の専横による国家荒廃を憂えた後醍醐天皇は天皇親政による平和国家の実現を望み、幕府討伐を計画したが、その計画は幕府の知るところとなり、捕まえられて隠岐に流された。

 皇子は当時比叡山延暦寺に入室していたが、還俗して名を護良と改め、鎌倉幕府倒幕Morinaga2の戦へと向かった。鎌倉幕府は倒れ、皇子はその功績を認められて兵部卿・征夷大将軍の役職に就くが、武家政権の樹立を目指す足利高氏 [尊氏] との間で確執が起き、親王は足利方によって捕えられ、鎌倉・東光寺の土牢におよそ9ヶ月間幽閉され、建武2年[1335年]7月23日、高氏の弟・足利直義の命を受けた淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって斬殺された。28歳の若さだった。

 それから534年後、明治維新を成し遂げた明治天皇は平和を希求した護良親王の精神を後世に伝えようと鎌倉宮の創建に尽力なさった。

写真上は護良親王が約9ヶ月間幽閉されていた土牢。深さ約4メートル、広さ約4メートル四方。二段岩窟になっている。】
写真下は淵辺義博が護良親王の首を置いたとされる所で「御首塚」と呼ばれる。】

植物の命と音楽

ドロシー・リタラック (Dorothy Retallack)というアメリカ人女性が植物の成長と音楽の関係について実験を行い、その結果を一冊の本にしたことがある(The Sound of Music and Plants, 1973)。それによれば、植物はJimi Hendrix, Led Zeppelin, Vanilla Fudgeなどのロック音楽よりも、バッハのオルガン曲など、クラッシック音楽を好むようだ。一番のお気に入りはインドの民族楽器であるシタールやタブラを使った曲だそうだ。ロック音楽の場合、植物はそれが流れてくる方向とは逆向きに伸びようとするが、クラッシック音楽やインド音楽の場合だとそれらが流れてくる方向に伸びるらしい。植物の成長はロック音楽を聴かせたものが最悪で、2週間もするとヒョロヒョロと背は高くなったが、うなだれた状態になり、その後、枯れたそうだ。ちなみに、カントリーウエスタンを流したが、これといった反応はなかったらしい。

 リタラックの実験には批判も少なくないようだ。たとえば、「ロック音楽と言っても多様であり、クラッシック音楽やインド音楽もまた多様である、彼女は恣意的にその種類を選んだのではないか」といったものだ。

 そう言った批判は別として、植物が人間同様、「命」を持っており、それが周囲の音楽の影響を受けることだけは確かなようだ。その意味で、建物や乗り物の中で流されるBGMの種類には流す側の配慮が必要だ。(ところで、癌と音楽との関係を扱った研究はないだろうか…。)

癌と「和戦派」

その後もインターネット・単行本・雑誌などで癌関連の記事を読んでいるが、多くの人が「病魔[]に立ち向かう」「病魔[]と闘う」などといった、“抗戦的”な書き方で、それぞれの決意を表明している。もちろん、そういう考え方を否定するつもりはない。
ただ、私はすでに何度か書いたように、最近は“和戦派”である。これは、昨日紹介した関根進著『ガンを切らずに10年延命!』の中に出て来る「抗戦派=臓器手術や抗ガン剤の科学療法に積極的に挑むタイプ」と「和戦派=なるべく臓器を傷めずに自然治癒力や免疫力を高めるタイプ」同書37頁)という考え方の「和戦派」に当たるものだ。
 私も最初はそうした“抗戦的表現”を何の疑問も持たずに用いていたが、自らの体内に自らが宿した病気のもとを“悪魔”や“”に見立てることの不穏当さに気付いて以来、そうした言葉を回避するようになった。そのお陰で、癌・病気に対して“構える”ことが(少)なくなったような気がする。

関根進著『ガンを切らずに10年延命! 複合漢方力の驚異』を読了

出版関係でいつもお世話になっている某氏から関根進著『ガンを切らずに10年延命! 複合漢方力の驚異』(ダイヤモンド社、2009年第2刷)を送っていただいた。著者はジャーナリストで、元「週刊ポスト」誌編集長。10年前に、「100人に80人は助からない」と言われた食道癌を患い、「放射線+抗癌剤」の標準治療に加えて「天仙液」という複合抗癌漢方薬や「SOD」という抗酸化健康食品を併用することによって、入院1カ月半後には、6センチの悪性腫瘍を消滅させた経験を持つ。
 本書での著者は、「ガンの局部を叩き殺す西洋医学だけではなく、身体全体のエネルギーを挙げて自然治癒力で体質を変える漢方医学に《元気で長生き》の《いのちのパワー》があると判断して」いる。
 著者は言う。 
 
なんとしてもいのちを掴みたいと思ったら、長寿難病時代のいまこそ、漢方の持つ「複合力や相乗力」を見直しましょう。ここにガン克服の「逆転の発想」があります。本書に挙げた「複合漢方力20」の中には、身体の病を治すパワーもありますが、心の病を治すパワーもあると思います。ちょっと古臭い言葉ですが、杓子定規には計れない人間の「運や縁」を結ぶパワーも秘めているように思います。

 著者はまた、複合漢方力を、次の「いのちのパワー20」の章に分類し、その知恵が心身にもたらす驚異的な作用を明らかにしていくことで本書を成立させている(カッコ内は各章の内容を私が簡単にまとめたもの)。

 第1章:自癒力 (己の命は己で守り、己の不安は己で癒そう)
 第2章:和戦力 (癌に闘いを挑むのではなく癌と共生しよう)
 第3章:不老力 (夢と好奇心を忘れず探究の精神で生きよう)
 第4章:薬草力 (漢方薬の持つ延命のサポート力を見直そう)
 第5章:相乗力 (漢方薬の配合の組合せが産出す力を知ろう)
 第6章:天仙力 (複合抗癌漢方薬・天仙液のパワーを知ろう)
 第7章:殺傷力 (複合抗癌漢方薬・天仙液の殺傷力を知ろう)
 第8章:薬食力 (薬食[医食]同源に基いた食養生法を知ろう)
 第9章:陰陽力 (食材の性質と陰と陽の原理の関係を知ろう)
第10章:身土力 (地元の食材を利用して命のパワーを得よう)
第11章:正食力 (食汚染不安のない正しい食事で開運しよう)
第12章:食縁力 (食を改善し自分用のライフラインを作ろう)
第13章:排毒力 (排便が命のバロメーターである事を知ろう)
第14章:温和力 (身体の冷えは万病のもとである事を知ろう)
第15章:家族力 (家族の支えは最高の薬剤である事を知ろう)
第16章:医診力  (医師・病院等を患者が診断する力を持とう)
第17章:延命力 (患者が自らの継続的な養生設計を立てよう)
第18章:患者力 (医者任せではなく患者同士が絆を深めよう)
第19章:希望力 (癌延命の秘訣は諦めない事だと心に誓おう)
第20章:全体力 (心身両面の養生を考える複眼思考を持とう)

  どの章を読んでもそれぞれ分かりやすい筆致で書かれており、何よりも、体験者だけに、説得力がある。著者も言うように(267頁)、アメリカ国立衛生研究所(NIH)に代替医療局(OAM)が設立され、鍼灸、漢方薬、気功、ヨガ、食事療法などから、イメージ療法、音楽療法、ホメオパシーまで16の医療を代替医療と規定しているが、この例に見るように、これからの医療基準は、まったく新しい「いのち学の世界基準」が問われているのだと思う。一読の価値のある一書だった。

「…でございますか」の語法(続々)

浅田秀子著『もう迷わないビジネス敬語相談室』(2003、講談社)を読み返してみた。「〜でございますか」という表現に言及した箇所があったような気がしたからだ。著者は私が編集主幹を務めた和英辞典で、日本語の面倒をみてくださった方であり、同書は出版直後、著者から贈呈されたものだ。私の推測どおり、同書の中に、次の記述があった。

「〜でございますか」はよく耳にする表現ですが、厳密にいうと正しくありません。「でございます」をふつうの言葉に直すと「である」です。「ある」には意味が三つあります。第一に無生物・植物が存在するという意味、第二に物事がそういう状態であるという意味、第三に所有しているという意味です。第二と第三の意味のときには、自分側と相手側で使う敬語が異なります。自分側のときには「〜でございます」と言い、相手側の状態のときには「〜でいらっしゃいますか」です。ここは相手の状態ですから、「さくら通運でいらっしゃいますか」が正解です。自分側のときには「さくら通運でございます」となります。(182頁)

 やはり日本語の専門家だけあって、説明の仕方が明快である。

「…でございますか」の語法(続)

先月末(2月28日、「 『…でございますか』の語法」と題して短文を書いた。その時、私は、

「山岸さんのお宅でございますか?」「ご主人様でございますか?」という2文のどちらかは、言葉に敏感な人には違和感を覚えるものだが、読者諸氏はどんな点でそうだと言えるかおわかりだろうか。試すようで恐縮だが、ちょっと考えてみていただきたい。

 と書いたままで、私見を述べなかった。
 それに対して、私のゼミ生諸君がゼミ専用掲示板で、私の出した課題に積極的に取り組んでくれ、ほとんどの諸君が「正しい答」を導き出した。そこで私は掲示板に以下のような簡単なコメントを書いた。(あくまでも、私の語感に基づく意見である。)

 この問題に関して言えば、ほとんどの諸君の考え方でよいのです。「山岸さんのお宅でございますか?」は問題ありませんが、「ご主人様でございますか?」は好ましい言い方ではありません。なぜなら、「…でございますか」は「…ですか」のいっそうの丁寧表現ですが、「…でいらっしゃいますか」のような、主体に対する《尊敬の気持ち》を表していないからです。諸君も言っているように、「…でございますか」は事物に、「…でいらっしゃいますか」は人に用いると覚えておけばよいでしょう。ちなみに、平叙文で「私が山岸[これが私の答え]でございます。」と言うのは当該個所が(丁寧表現だから)差支えないのですが、「私が山岸[これが私の答え]でいらっしゃいます」は当該個所が(尊敬表現だから)不自然になる。こんなふうに考えるとよいでしょう。

 これに対して、ゼミ生(4年生)の一人、Yさんが以下のような引用文を書き込んでくれた。

「山田先生のお宅でいらっしゃいますか。」は、「お宅」を「物事」と捉えた場合には、問題のある「敬語表現」となる。しかし、「物事」にも用いることのできる「・・・デゴザイマス」に変えて、「山田先生のお宅でございますか。」とすると、「・・・デゴザイマス」の<高くしない>という性質とぶつかり合うため、やはり問題の残る「敬語表現」となってしまう。以上の点を解決するために、「山田先生のお宅でしょうか。」という、自らの判断を確認するというタイプの表現によって、ここでの最もふさわしい「敬語表現」にすることが可能になる。 ― 蒲谷 宏・ 坂本 恵・川口 義一著『敬語表現』より引用。

  同時に、以下のようにも付言した。

 先生が受けられたようなセールスからの電話の場合、「○○さんのお宅でしょうか。」と聞かれると、直接的な感じがするので、わたくしは構えてしまうと思います。状況に因ると思いますが、「○○さんのお宅でしょうか。」よりも、「○○さんのお宅でございますか。」のほうが、より丁寧であると感じました。

 私もゼミ生Yさんの“語感”に賛同するが、「最もふさわしい《敬語表現》」という点に関しては意見の分かれるところかも知れない。勤務校の日本語専門家に訊ねてみよう。

我が家の前で何かの撮影があった。                           

COM我が家の前で、何かの撮影していた。そう言えば、先日、関係者がそのための挨拶に来たことがあった。なぜそこが撮影現場に選ばれたのかは知らない。ひょっとすると桜ケ丘という通称どおり、桜並木があるからかと思ってもみたが、それなら他所に行けば、もっとよい場所はいくらでもあるだろう。
 まあ、そんなことはどうでもよいが、まだ蕾の桜の樹に、作り物の桜の枝を取り付け、頭上から桜の花びらを撒くなどなどして、なかなか大変な作業だ。周辺にはさまざまな植物のプランターも設置されていた。自転車のそばにいる(道に迷った?)若い女性が、若い男性に道を訪ねているような感じの場面だった。
 周辺にはマイクロバス、小型トラック、ライトバンなど十数台が並んでおり、関係者は総勢5、60名はいただろう。あとで訊いたところによると、何かのコマーシャル撮影だとのこと。1つのコマーシャルを撮影するのにも、これだけの人数・機材その他が必要となるのだ。近所にも挨拶回りは欠かせないだろう。
 撮影終了後、現場周辺に散った“桜の花びら”を掃除する何人かのスタッフの人たちに「ご苦労さま」と声を掛けて私は愛犬と散歩に出掛けた。

我が家の前で何かの撮影があった。(続)         

昼食をとって、我が家の窓から外を見ると、終わったとばかり思っていた撮影がまだ続いていた。よく見ると、俳優の平泉成岸本加世子のご両人が立っていた。夫婦役(?)なのか、手を繋いで、我が家のすぐ近くにあるけっこう長いコンクリート階段を下りて行くところだった。

 我が家の周辺地域は、山の斜面を次々と削って、そこを住宅地にして発展して来たために、共用通路には長いコンクリート階段が設けられている場所が多い。そこを上がったり下がったりするのはかなりの運動になるが、同時に、映画やコマーシャルの撮影場所としては、一枚の“絵”になるけっこう良い場所だろう。
 
 ちなみに、この撮影で“迷惑”を被っている人も少なくなかった。我が家に1週間に一度、食料品を届けに来てくれる生協のトラックや宅配便のトラックは、かなり遠くに駐車して、重い荷物を人力で運んでこなければならない。そのために、その人たちはひそかに“不平”を鳴らしていた…。

済陽高穂著『今あるガンがきえていく食事』を読んで

u済陽高穂(わたよう・たかほ)著『今あるガンがきえていく食事』(マキノ出版、平成21年第7刷)を読んだ。新聞広告に「膵臓ガンが1/3に縮小した」とあったので、その文句に惹かれて購入したものだ。著者は三愛病院医学研究所所長、トワーム小江戸病院院長、西台クリニック院長の肩書きを持つ現役の消化器外科医だ。
 その「はじめに」に、次のような言葉がある。
 
日本人の死因のおよそ三分の一を占める「ガン」。そのガンを治す医師になりたい。そう思って、私は「消化器外科」の道を選びました。(中略) そこで私は、外科医として何十年も修業を積み、多くの手術を行ってきました。外科医になって三〇年めにあたる二〇〇〇年までに、執刀した手術は約四〇〇〇例。そのうち約半数が消化器ガンでした。手術の腕を磨き、より多くの患者さんのガン病巣を的確に切除すること。それが、自分の初心である「ガンを治す」ことへの、最も大きな貢献になると信じていました。
 しかし、ある時期を境に、私はこの考えに疑問を抱くようになったのです。手術・抗ガン剤・放射線という、現代医学の三大療法だけでは、「ガンを治すには限界があるのではないか」という疑問です。(1−2頁)

 著者はこの疑問から、「ガンと食事」との関連を研究し始める。癌が進行しているために十分な外科手術ができず、癌を取り残したままで自宅療養をする患者の中に、少数ながら、定期健診に訪れるたびに検査結果が良好になり、外見からも元気になっていることが分かる人がいた。中には、画像診断でも癌が次第に縮小し、やがて完全に消失する例もあった。
 そうした人たちに共通していたのが、自宅における「徹底した食事療法」だった。個人差はあるものの、全員に共通していたのは、野菜中心の植物性食品の摂取、動物性食品や脂肪・塩分の制限だった。その点に著者は着目し、「治癒率を上げる大きなヒント」を得て、癌の食事療法(栄養・代謝療法)について、本格的に研究し始めた。
 著者は「まえがき」で続ける。
 
誤解しないでいただきたいのですが、私はガンの手術・抗ガン剤・放射線という現代医学の三大療法を否定しているわけではありません。これらはガンの診断が下ったあと、まず最初に受けるべき治療手段です。実際、この三大療法を私は現在も行っています。(中略)栄養・代謝(体内での物質の変化や入れ替わり)・免疫(細菌やウイルスなどの病原体を打ち負かす働き)といった、患者さんの体の側の条件を考慮せずに三大療法だけで突き進めば、ガンの治療はどうしても頭打ちになります。そこに、栄養状態を改善し、代謝を整え、免疫を高める食事療法を加えて、三大療法との最もよいコンビネーションをとれば、治癒率は飛躍的に高まるのです。それだけでなく、患者さんのQOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)も格段に上がります。(4−5頁)

 これまでの私の“勉強”で、著者が紹介しておられるかなりの食事療法に馴染みがあったが、前記したように、「膵臓ガンが1/3に縮小した」という文句があって、それに惹かれて購入したのだったから、その点に言及している頁(22−5頁)を特に期待して読んだ。大病院で「打つ手なし」と診断された膵臓癌患者に、著者は食事療法を開始した。内容としては、塩分と動物性脂肪・たんぱく質の摂取を半年間やめるとともに、野菜と果物を大量摂取し、海草やキノコ、レモン、ヨーグルトなどを習慣的に採るよう指導した。二か月程度で、腫瘍マーカーは半減、半年後にはガンは三分の一程度に縮小し、腫瘍マーカーはほとんど正常化したという。進行した膵臓癌がこのような経過を辿ることは極めて珍しいそうだ。

 我が妻の場合、ほとんど同じ食事療法を9カ月近く行って来ているが、上記の例ほど顕著な奏功性は観られなかったものの、癌の急な増大も観られない。ただし、他臓器・部位への小規模な転位は認められた。 
 最後に、「おわりに」からの次の著者の言葉を引用させていただく。
 
もちろん、すべての症例が食事療法で救えるわけではありません。しかし、食事療法という「カード(選択肢)」があれば救われるはずの人が、医師や患者さんにその知識がなかったり、機会に恵まれなかったりして、惜しくも命を落とすケースは、現在の日本ではかなり多いと思います。
 日本の医学の教科書には、「ガンの食事療法」のページがありません。その大きな「穴」を、生半可な情報や間違った知識ではなく、正しい情報と知識で埋めることは、ガン医療のこれからを左右する問題として非常に大切です。
 食の大切さに気づいた医師の一人として、そんな気持ちで、あちこちで発言や執筆をしているつもりです。その一環として本書も生まれました。(218−9頁)

 結論として言えることは、同書は確かに一読の価値のあるものだ。なお、本書は第1章「食事でガンを治すということ」、第2章「なぜ人はガンになるのか」、第3章「手術・抗ガン剤・放射線と食事療法」、第4章「今あるガンが消えていく食事」、第5章「ガンを食事で治した体験者の手記」の5章から成り、いずれの内容も分かりやすく説得力に富む。

「日本人の“心”が壊れていく…

環境問題評論家・船瀬俊介氏の著書はいずれも刺激的であり、しばしば衝撃的である。表題の「日本人の“心”が壊れていく」も以下に紹介する本の第1章に使用されている刺激的なものだ。

 最近、同氏の『新・知ってはいけない!? ― 日本人だけが知らない世界の100の常識』(2008年第1刷)を耽読した。私にとって、そこに書かれていることの多くは驚きであり、意外であった。CASE 002の「親殺し・子殺し」(10−11頁)では、なぜ「日本人の“心”が壊れる」のかを、老人虐待・校内暴力・教育崩壊に例を採りながら論じている。幼児虐待の場合、何とこの10年間で10倍の数に激増しているそうだ。著者はその背景に、_蹴慂質、⊃物(低血糖症)、E甜波、し築ストレス(コンクリートなど)、タ祐峇愀犬5つがその元凶であり、 銑い詫権がらみであるため、マスコミも黙殺していると言う。

 い抜愀犬あると思われるのが、case 039の「安藤忠雄“神話”―元祖コンクリ打ちっ放し建築家の功罪」(88−9頁)だ。そこには、建築界の“天才”と称えられている安藤忠雄氏のコンクリート建築法に言及しながら、「コンクリート建築は九年も早死にする“殺人住宅”」という刺激的な表現が使用されている。また、安藤氏を頂点とするコンクリート打ちっ放し建築が日本中に広まったことと関連して、そこに住む日本人の死亡年齢が木造住宅に住む日本人に比べて低いことや、そこで学ぶ子供たちの肉体的・精神的疾病が木造校舎で学ぶ子供たちよりも数倍も多いことが、その根拠と共に紹介されている。著者は言う。「非人間的な建築家を“神様”に祭り上げたツケが回ってきた」と。

 同書にはこんな衝撃的な“告発”が多数並ぶ。何十年間も私が抱き続けてきた、我が国への“違和感”の正体が次々と明らかにされていく。

 もう1例だけ言えば、CASE 068の「飲むな!降圧剤―副作用…ボケ、心臓マヒ、インポ、ガン!」(152−3頁)にも大いに驚いた。じつは私もここ数年、医師から降圧剤の服用を勧められて、それを実行してきているからだ。副作用と思しきものも、同書に挙げられている何点かが当てはまっている。具体的に言えば、聴力低下、肩凝り、手足のしびれ等だ。たとえば、私が降圧剤を服用し始めたのと、聴力低下を自覚し始めたのと時期的に前後している。今のところ、教壇に立つ上で、これと言った問題は生じていないが、悪化すれば、職業上、放置するわけにはいかなくなるだろう。
 著者は記す。

「高血圧症は、戦後一貫して180mmHg以上が、2000年突然170に、メタボ検診では130に下げられた。わずか8年で50もハードルを下げた。医療関係者は異口同音に《患者を増やし、降圧剤の売り上げを伸ばすため》と言う。」
 
 著者はまた、『免疫革命』の著者・安保徹氏(新潟大学大学院)の「体が上げようとしている血圧を無理に下げるのは危険」という指摘や、自然医学総合研究所の大沼善誉博士の「無理に血圧を下げると末梢血管に血液が行かず細胞壊死からガンになる」という深刻な指摘を紹介する。
 
 残りの97のCASEに関しては、各人で一読いただきたい。ちなみに、Amazon評の中には、「注意が必要な本」と題したものもある。

妻がハワイ旅行に出掛けた!

h抗癌剤のジェムザールとTS-1を止めてからの妻は体調も顔色も少しだけ良くなった。以前から、元気なうちにハワイ旅行に行きたいと言っていた。先日、娘と息子が付き添って、ホノルルに向けて6日の旅に出た。私はと言えば、5頭の愛犬たちと留守番である。

「とっても楽しい。来て良かったわ。」

電話口でそう言う妻の声に久しぶりの張りがあった。

「本当に良かったね。」
「とっても良かった。また来たいわ。」
「そうだね。また行くといいよ。体調はどう?」
「とってもいいわよ。」
「じゃあ、免疫力が上がったね。」
「そう思う。快調よ。」 

そんな“当り前の会話”ができることが私は無性に嬉しかった。
 子供たちはそれぞれが大切な仕事を持つ多忙な身だ。それを掛け替えのない母のために精一杯の親孝行をしてくれている。父として、これほど誇らしく、また嬉しいことはない。私たち夫婦の「子育て」は間違っていなかったようだ。

 ジェムザールとTS-1は某市立大学附属病院の主治医H先生にお願いをして止めていただき、それに代わって別のクリニックで健康保険適用外の抗癌剤を週に2度注射してもらっているが、その結果がどう出るかまだ分からない。H先生が、後日、腫瘍マーカーチェックやCT検査をして下さる予定だ。その結果がどうであれ、抗癌剤を止めたあとの妻の体調が良いことだけは事実であり、これこそ「生活の質」(Quality of Life)のあるべき姿だと思う。

 昨年の5月初旬に、「余命6か月から1年程度」と宣告されたが、それに従えば、妻の寿命はあと2か月程度ということになる。神ならぬ身、何の断定もできないが、現在の様子では、5月までは質の高い生活が遅れそうな気がする(希望的観測だが…)。

 そう言えば、ハワイ旅行中、私の勤務校で講師室の職員を務めている女性と偶然に出会って言葉を交わしたと言っていた。痩躯を見れば病身だとは推測がついただろうが、まさか余命を限られた者のハワイ旅行だとは思いもしなかっただろう…。

抗癌剤への不信感(続)

先に紹介した船瀬俊介著『抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ』は衝撃的な書だ。癌患者にとっても、(今のところ)健康人(だと言う人)にとっても、必読の書だと思う。「はじめに」からして衝撃的だ。少々長いが、多くの人に知ってほしいと思うので、重要箇所を引用させていただく。

毎年、全国で二五万人近くがガン治療で“殺されている”…。本書は、その戦慄と衝撃の現実をガン専門医たちの証言をまじえて伝えようとするものだ。現在ガンの死者は年に三一万人。ところが何人もの専門医が「その七〜八割は、じつは抗ガン剤や放射線療法などで“殺されている”」と断言する。
 現代の日本ではあなたや身内がガンと診断されたら、まちがいなく病院で々灰ン剤、∧射線療法、手術…の治療を強制的に施される。これらをガンの三大療法と呼ぶ。ところが、じつはガン患者の二五万人近くが、ガンではなく、これら三大療法により“殺されている”…とは。あなたは声をなくして立ち尽くすだろう。(9頁)

 私は同書を昨年の夏までに購入していたが、一読した時、その衝撃的な書き出しを、正直なところ、さほど深刻には受け止めていなかった。我が妻も私自身も既成概念に囚われ、医師を、病院を、現代医学のほうをいっそう信じていたからだ。それが妻がつい最近まで抗癌剤治療を受けていた理由である(手術・放射線治療は最初から出来なかった)。
 同書は続けて言う。

抗ガン剤でガンは治せない…
 これは厚労省担当官の回答だ。あなたは大ショックのはずだ。さらに同省担当官は認める。「抗ガン剤には発ガン性があります」。ガン患者に投与すれば「他の場所にも発ガンする」。つまり抗ガン剤は“増ガン剤”であることも認める。さらに「ガン細胞はすぐに抗ガン剤に耐性を持ちそれを無力化する」…。厚労省担当官は平然と言い切る。「それらは皆、周知の事実です」。つまり、“常識”だ、と平然と言い放つのだ。この厚労省の見解は、今も抗ガン剤治療に一縷(いちる)の望みを託しているガン患者の方や家族にとって、身が震えるほどの一大衝撃ではないだろうか。(9−10頁)

 「はじめに」からの引用はこのくらいにするが。著者は徹底して、「抗ガン剤で殺される」という書名の正当性を証明しようとする。

 前記したように、私たち夫婦は同書の指摘をさほど深刻には受け止めていなかった。その結果、同書に書かれているような“副作用”に悩まされる結果となり、生活の質(Quality of Life)は落ち続けた。(じつは、我が息子だけは、早くから、抗癌剤は“増癌剤”であり、“転移促進剤”だと主張していたのだった…。)

 健康に恵まれている時には、人はまず間違いなく、こうした情報に興味を持たない。また、それはそれで仕方がない。しかし、いったん自分自身が、あるいは愛する誰かが癌に冒された時、正確な情報を持っていなければ、死への道のりは近くなる。しかも恐ろしい“副作用”に苦しみながら…である。三人に一人は癌に罹る時代である。“他人事”では済ませられないだろう…。

 最後に、もう一度、同書からの引用をさせていただく。抗癌剤は腫瘍だけでなく、正常細胞にも作用するため、二次的な癌を発生させてしまうという問題に関連した記述の中にあった箇所だ(カッコ内の注記は私による)。

 理由は、もはや言うまでもないだろう。述べ(ママ)数十兆にものぼる抗ガン剤利権は、すべての口を封じてしまうのだ。まさに、「沈黙は金」…よくぞ、言ったものだ。(中略)
 抗ガン剤が効かない―という衝撃事実が、世間に広まっては、数兆どころか数十兆円に登る(ママ)抗ガン剤市場が消滅する。それだけは、断じて防がねばならない。かれら(=癌専門医、製薬メーカー)は、かけがえのない人の命の消滅より、カネ儲けの消滅のほうが、一大事なのだ。(108−9頁)

海の命を「いただきます。」

神戸出身のY君と知り合って以来、今の時季になると、同君のご両親から、郷土料理であり、関西の春を告げる名産品でもある「イカナゴの釘煮」を送っていただく。今日もまた届けていただいた。最初に送っていただいた釘煮のことは、本ブログの2006年4月8日分の記事に書いた。
 イカナゴはスズキ目 イカナゴ科に属し、瀬戸内海東部沿岸部の潮目に集まる小魚だ。潮目は潮流と潮流とがぶつかり合うところであり、換言すれば”海の命”どうしのぶつかり合いの場所でもある。”海の命”と“海の命”の狭間で自らの“命”を育んでいた小さなイカナゴたちを人間が丸ごと頂くのだ。ありがたくなかろうはずがない。
 病身の妻の場合、食べ物に制限があるが、イカナゴを含め、頭から丸ごと食べられる海や川の幸は好ましい食べ物だと言われている。特に、海面を回遊する魚類は良いらしい。心をこめ、思いをこめて作ってくださったであろうイカナゴの釘煮。容器の蓋を取ると、たまらなく食欲をそそる匂いがした。

 いっぽう、北海道出身のH君からはいつも、同地ならではの見事な大形昆布を恵与される。同じく病身の妻には食することの許された貴重な一品だ。

 気に掛けてくれる教え子やその親御さんの存在を心から感謝している。ありがたく、海の命を「いただきます」。

抗癌剤への不信感

以前通読した船瀬俊介著『抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ』、鶴見隆史著『真実のガン治しの秘策』の2点を再読し、別途、臼田篤伸著『抗がん剤は転移促進剤』(農文協、2007年第2刷)近藤誠編著『がん専門医よ、真実を語れ』(文春文庫2001年第1刷)を購入して一読した。以下はそれらを読んで、素人なりに感じたことである。

(1)抗癌剤は小児急性白血病や悪性リンパ種などには有効らしいが、それらを除く固形癌(膵臓癌、胃癌、大腸癌、肝臓癌、乳癌、子宮癌など)にはほとんど無効のようだ。
(2)医師が「抗癌剤が有効だ」とか「抗癌剤が効く可能性がある」と言う場合、それは通常、「癌が縮小する(可能性がある)ことを意味する」だけのことであり、延命効果や生存率向上を全ての患者に保証するものではないようだ。
(3)それでも抗癌剤治療を受ければ、さまざまな副作用によって寿命を縮める患者が多くなるのは必定のようだ。

 上掲書のうち、鶴見隆史著『真実のガン治しの秘策』には、1988年にアメリカ国立ガン研究所(NCI)所長のデヴィタ氏が、「分子生物学的にみても、抗ガン剤でガンは治せないことは理論的にはっきりした」とアメリカ議会で証言したこと、また、同研究所が数千頁に及ぶ「ガンの病因学」を発表し、その中で「抗ガン剤はガンを何倍にも増やす増ガン剤だ」と断定したことなどが書かれてあった(19頁)。また、271人の医師に、「あなたがガンになった時、抗がん剤を使いますか?」というアンケートを行ったところ、一人を除く全員が、「自分は抗がん剤は使わないが、ガン患者には使う」と答えたということが紹介されていた(56頁)。
 自分たちは「受け(たく)ない」と答えるような薬剤を、患者たちには平気で投与する背景には、どうも、政府(我が国で言えば厚生労働省)・製薬会社・医学界、三つ巴の“思惑”があるようだ。

 また、『患者よ、がんと闘うな』(1996)の著者として著名な近藤誠氏は上掲書『がん専門医よ、真実を語れ』で次のように言っておられるのを知った。

 私は抗がん剤の効力を全否定するものではありませんが、戦後五十年にわたって薬の開発が進められてきたにもかかわらず、いまだに抗がん剤で治るがんはごく少数です。それなのに、多くの病院で末期といわれる状態の患者にまで抗がん剤が使われています。抗癌剤を使った場合と使わなかった場合を比較して、延命効果にさして変わりがないという臨床データがあるのにです。その一方で副作用は確実に出るわけだから、抗がん剤の投与は患者のクオリティー・オブ・ライフを考えた場合、マイナスのほうが大きいと見るべきでしょう。(159頁)

 ちなみに、同書には東京大学外科医師グループ(3名)による、「結論をいえば、近藤さんの抗がん剤治療についての意見には何の異論もありません」という言葉が紹介されている(107頁)。
 
 ここに至って、私は固形癌の場合(すなわち多くの癌の場合)、抗癌剤の投与を受けることにどれほどのメリットがあるのかと思うようになった。少なくとも、私の妻の場合には、主治医に頼んで抗癌剤の投与量を減量してもらったのちも、副作用に苦しめられ、「生活の質」(Quality of Life) は下降する一方だった。

妻が抗癌剤を中止したわけ(続)

昨年5月初旬、妻が癌告知を受け、手術不能、放射線照射不能、抗癌剤投与可能と主治医から言われた時、妻(と私)には、抗癌剤治療を受けることに何ら迷いはなかった。「抗癌剤には副作用はあるが、癌治療には必須のもの」という先入観が出来上がっていたからだ。「抗癌剤によって、癌は完治しないまでも、余命を延長することは可能」、つまり、「抗癌剤は効く薬剤だ」という確信に似た思いがあった(息子はこの頃すでに「抗癌剤は増癌剤」、「増癌剤は転位促進剤」、「抗癌剤は細胞毒」ということに気づいていたようだが、妻と私の固い決意の前に“自己主張”を躊躇したようだった)。

 案の定、怖ろしい副作用がいろいろと出始めた。最初は体中に痒みが走り、ひどい色素沈着となった。食欲が落ちた。げっそりと痩せて、全身を倦怠感が襲うようになった。この時点で、主治医に抗癌剤(ジェムザールとTS−1)の投与量を加減してもらった。しかし、その後も同様の副作用に見舞われた。白血球は異常に低下し、外出禁止令が出されるほどになった。白血球増加剤を投与してもらい、再び抗癌剤投与を受けるが、妻の「生活の質」(QOL)は下がる一方だった。元気な頃、64キロあった体重が37キロにまで落ちた。医師から、他の臓器・部位への転移も告げられた。ショックだった。「増癌剤は転位促進剤」ということを実感した。

 それまでに通読しておいた船瀬俊介著『抗ガン剤で殺される―抗ガン剤の闇を撃つ』と鶴見隆史著『真実のガン治しの秘策』を丁寧に再読し、別途、臼田篤伸著『抗がん剤は転移促進剤』、済陽高穂著『今あるガンが消えていく食事』、近藤誠編著『がん専門医よ、真実を語れ』を購入し、それらも一読した(これらには明日言及する予定)。その結果、妻はY市立大学附属病院での“標準治療”の一環としての抗癌剤投与を受けることを止め、別のクリニックで健康保険適用外の別の薬剤(副作用の殆どない抗癌剤)を投与してもらうことにした。

妻が抗癌剤を中止したわけ

k先日、私はいつものように長椅子に横たわった妻に生姜温湿布を施していた。入浴後、体の前面と背面を各4、50分ほど温める。まだ、上向きになって前面を温めている時だった。遅い夕食を済ませに息子が居間兼食堂にやって来た。ガスレンジに掛けた大鍋の生姜湯にタオルを浸していた私に、息子が言った。 「お父さんは、毎晩生姜湿布をしていながら、お母さんがこんなに痩せて来ているのに気付かなかったの?」 私は応えた。 「もちろん、気付いていたよ。」 そのあとの言葉が見つからなかった。

 毎夜バスタオルを上掛けにして横たわる妻が、日を追って痩身となって行くのに気づかないはずはない。そんなはずはないのだが、癌患者として痩せて行くのはしようがないという諦めがあったことも事実だ。息子としては、上半身をバスタオルで覆っただけの母の体を直視するのは憚られると思っていたのだろう。しかしその夜は、チラと見た母の極度の痩身がよほど気になったに違いなかった。体重は元気なころ64キロあったものが、37キロにまで減っていた。

 息子は母(妻)の傍に座って、その痩せ細った腕を撫でながら、「お母さん、こんなに痩せさせちゃってごめんね。」としんみりと言った。しばらくしてから、きっとした口調で言った。「ボクが前から言っていたことだけと、やっぱり抗癌剤治療はやめよう。お父さんとお母さんは抗癌剤を“信奉”しているようだけど、抗癌剤は増癌剤、転位促進剤でしかないんだよ。このままだとお母さんは、副作用が原因で、それでなくても辛い毎日を送っているのに、もっと命を縮めるよ。」
 じつは、妻も私も息子にそう言われるまでもなく、「抗癌剤」に対してすでに懐疑的になっていた。何よりも、妻の主治医自身が、現在の標準治療に基づく薬剤療法(抗癌剤投与)に懐疑的になっていたのだった。良心的な医師だと思う。

「そうだね。もう抗癌剤はやめよう。これで現代医学の三大療法全てから“見放される”けど、それでいいね。別の道を考えよう。それが何よりもお母さんの体にいいはずだから。お母さんもお父さんも抗癌剤は増癌剤、転位促進剤と言われていることの意味が実感できたから、それをやめることにしよう。次回、病院に行ったら、主治医の先生にそう伝えよう。」

 こうして我が家では妻への抗癌剤投与をやめることになった。ちなみに、鳴り物入りで宣伝されていた“超高濃度ビタミンC点滴療法”も我が家にとっては大散財だっただけで、妻にはほとんどまったく奏効しなかった。

「かまける」と「かまをかける」の用法

先日、山岸ゼミ専用掲示板での不活発な新ゼミ生諸君、およびそれを放置する先輩ゼミ生(特修生)諸君に注意を喚起する書き込みを行った。それに対して一人の先輩ゼミ生が次のように書いた。要所のみ引用する。

 

お忙しい中を、注意を喚起してくださりありがとうございます。
資格取得の勉強にかまをかけ、先に行くものとしての義務を果たさずにいました。

 

問題は「資格取得の勉強にかまをかけ」の「かまをかけ」である。本人の言いたいことは「かまけて」のはずだ。「かまをかける」は「本当のことを言わせようとして、それとなくさぐりをいれる」ことであり、漢字交じりに書けば「鎌を掛ける」となる。いっぽう、「かまける」は「あることにだけ心を向けて、ほかの事を忘れてしまう」「のことだけにかかわる」の意だ。たとえば、「仕事にかまけて、家庭や家族を顧みない」のように使う。

 そこでいつものようにGoogle検索を利用して類例を探してみたところ、けっこうな数の興味深い例が見つかった。次に5例のみ引用する。

  

一般軍人でもなく、あまつさえ司令官という肩書きすら背負っているロイには、本当にクリスマスの祝いなどかまをかけいる暇など在りはしなかった。

なんとかコーナーで詰め寄るもののストレートであっさり抜かれ、結果決勝進出はなりませんでした。最近の調子の良さかまをかけてこのコースの特徴を忘れてしまっていたことは反省していますが、フラストレーションのたまるレースでした。

お手入れとしてはガーゼを使って歯の表面の汚れを取り、歯ブラシで歯の隙間の汚れを取る。そして毎日行うのが理想的です。とはいっても、私は日々の忙しさにかまをかけて気がついた時に歯ブラシでしかしていませんが…。  

私、ずっと役者にもどりたかった。子どもの頃に感じた「演じる」というあの感触を忘れられずにいました。 でも、忙しさかまをかけ心の何処かで逃げていることは、自分が1番わかっていた。

昨年の夏から取組んだISO、当初は忙しさかまをかけ勉強会も欠席しがちで、理解度において出遅れが有り、自己嫌悪に落ちることもしばしばでした。

矢崎源九郎著『言語学―日本語の常識』の思い出

手元に矢崎源九郎著『言語学―日本語の常識』(大門出版、昭和42 [1967] 61日、第1版)という本がある。「シリーズ私の講義2」である。今の若い人には馴染みのない(と思われる)“フォノシート”が付いており、著者自身の吹き込みが行われている。その1は西脇順三郎(故人)となっており、それも私の手元にある。
 矢崎教授のものは、
30週をたてまえとする1年間の講義に見立てて、講義はおおよそ1週間目ごとに区切りをつけて行われている。大学を卒業し、大学院に進んだ年に興味をひかれて購入したものだ。第1章「世界のことばと日本語」、第2章「英語、北欧語の歩み」、第3章「日本語の歩み」、第4章「明治以降の日本語」、第5章「現代の日本語」、第6章「これからの日本語」と章分けされていて、著者の該博な知識が詰まっている。

 今頃、なぜこの本に言及するかと言えば、インターネットサーフィンをしていて、俳優の矢崎滋氏が著者・矢崎源九郎教授のご長男だと知って驚いたからである。お二人の関係をご存じの方たちには“今更の感”を否めないだろうが、私としては、正直なところ、“新鮮な驚き”を覚えた次第である。年譜の昭和22[1947]のところに、ご長男である矢崎滋氏の誕生が記されている。

 著者は同書の前書きを昭和421月に書いているが、その年譜によれば、翌月、東京教育大学(現・筑波大学)文学部教授になり、同月23日に没している。数え年47歳という若さだった(後記する福田氏の「解説」によれば、病名は胃癌)。同書(99点目の著作物)はまさに著者の絶筆となったものだ。

 私が英語学以外に、言語学に興味を持ち続けられたのは、恩師・前島儀一郎博士(故人)を除けば、私淑した矢崎教授(その他)のお陰である。

 ちなみに、同書の「解説」は福田陸太郎教授(故人)が書いている。以下にその一部を引用する。

 

 学者にふさわしい見事な最期をとげた矢崎源九郎氏、その生涯の短さに比して、ふつうの人の何倍かの業績を残したこの人に対し、私はここに改めて深甚なる敬愛の念を表するものである。(中略)本書が矢崎教授の追悼になると共に、日本の若い学徒へのこの上ないはなむけとなることを信ずるものである。

 

まことにそのとおりだと思う。(付録のフォノシートを除いて)その謦咳に接したことはなかったが、当時、同教授に私淑した学徒が一人いたことをここに記しておきたい。矢崎滋氏の出演番組を観るたびに、父君の矢崎源九郎教授のことを思い出すだろう。

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