2009年12月

ルーマニア人歌手Lavinia Bocuさんのこと。

昨日、ルーマニアの女性歌手(メゾソプラノ)Lavinia Bocuさんからメールをいただいた。クルージュ・ナポカにあるルーマニア国立美術館で開催中の「武道の精神展」で、ルーマニア・日本国交回復50周年記念の一環として、来年1月7日に日本の歌を披露することになっているが、その1曲として、Mama Lisa's Worldに紹介されている「紅葉(もみじ)を選びたい、歌の内容は山岸訳を通じて理解できたのだが、日本語歌詞の読み方が分からないのと、音符が必要なのとで困っている、何とか力を貸してもらえないかという内容のメールだった。Mama Lisa's Worldの主宰者 Lisa Yannucci さん同様、私の英訳を過分に褒めて下さるので、私も光栄だと思い、できるだけの情報をお送りしておいたが、今回もインターネットの威力を思い知らされた。
 それにしても、「千の風になって」の綾乃ひびきさん、今回のLavinia Bocuさん、共に「祈り」の歌に“縁”のある方に私が“縁”を結んでいただくとは、まことに不思議な巡り合わせだと思う。Lisa Yannucci さんも女性である。ひょっとすると、亡き妻が、私を元気づけるために、こんなにも美しい方たちを私に紹介してくれているのかも…(そうだといいのだが…)。 

参考:こちらでLaviniaさんの美声が聴ける(二番目に歌っている女性)。
        ( Laviniaさんの英語でのプロフィールはこちらにもある。)

私が「退官」?

今日の夕方、学部長からお電話をいただいた。あなたが「退官」するという記事が明海大学浦安キャンパス同窓会の活動欄に掲載されているが、ご存じかという内容だった。寝耳に水とはまさにこのことだ次第によってはしかるべき対応をとらねばならないだろう

 早速、同欄を見てみると、その最下部に、

 

山岸勝榮先生(英米語学科)が退官されます。
山岸ゼミのOBOGの皆さん連絡をお待ちしています。
連絡先:info@meikai.com

 

とあった!!これを読めば、誰でも、私が来る3月末日をもって明海大学を「退職」する(退官」ではない)と早合点するだろう。
 
その文句の隣に掲載された1葉の写真には、

 

歴代の山岸ゼミ生を探しています。

 

と書いたボードを持った、見慣れたS君と、Yさんの二人が写っていた。

 それを見て、「もしかしたら…」と思った。そこで、早速、これと思われる山岸ゼミ生・特修生諸君にメールを送って、事情を話し、何か思い当たることはないかと訊ねた。

 その結果、判明したところによれば、現在の特修生諸君が中心となり、5年後に訪れる私の退職時の最終講義に、歴代の山岸ゼミ生を一人でも多く集めようと、その「運動」の一環として、浦安キャンパス同窓会の広報部員にその件を話し、写真(それには上記のとおり「歴代の山岸ゼミ生を探しています」としか書いてない)を撮ってもらって、協力を願ったとのことだった。

 

 山岸ゼミ特修生(諸君)から得た情報を同窓会広報担当者が一方的に誤解してミスリーディングなキャプションを添えたのか、それとも山岸ゼミ特修生(諸君)が誤解されるような曖昧な情報の与え方をしたのか、本記事執筆中の現時点(午後10時50分)では未詳である。

 

 とにかく、年末のこの時期に、こんなミスリーディング(というよりも、常識的には「誤情報」)をインターネット上に流されるとは、どうにも不運な1年だったとしか言いようがない…。学生諸君の動機が「善意」に基づくものだけに、少々弱っている…。年明けまで、この不愉快な情報はインターネット上に「垂れ流し」のままだろうが、できるだけ早い時期に善処してもらうつもりだ…。(私が担当者なら、誤情報の連絡を受けた場合、時を置かずに、謝罪・訂正記事を掲載するだろう。)

 

追記:私の語感では、「退官」とは、「官職をやめること」という意味であるから、私立大学の場合に用いるのは相応しくないと思うのだが(その場合は「退職」と言う)、いつの頃からか私立大学でも「退官」という人が増えて来ているようだ。とりわけ若い世代の人たちにその傾向が見られる。

 

【後日記】年が明けて1週間後、同会事務局担当者による「謝罪と訂正」が下記のように掲載された(「退官」が「退職」に変わっているが…)。

 

謝罪と訂正
  山岸ゼミ生を探しています。という記事の中で、「山岸先生が退職されます。」という記載をしておりましたが、こちらは事務局の誤りであり事実ではありません。
  山岸先生には大変ご迷惑をお掛けしましたこと心よりお詫び申し上げます。また、関係各所の方々へもご心配及びご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。今後はこの様な事がないよう十分注意をしてまいりますので、今後とも同窓会を宜しくお願い申し上げます。
 また、ホームページ上にありました先生に関する記事は削除させていただきました。

また常に自性(じしょう)を見るには及ばず

9eae8c80.gif三世(さんぜ)の観を作(な)すといえども 
             また常に自性(じしょう)を見るには及ばず。

これは弘法大師(空海)のお言葉である。過去・現在・未来を瞑想し、観察して、現在の生き方を洞察することは仏教の大切な修行だが、それよりも大切なことは自分自身を見つめ直し、自分に本来的に備わっている仏性を見出すことである。おおよそそんな意味だと思う。凡夫たる私にはこの歳になっても成し難いことであるが、大師が、「自性を見る人は常に仏を見る人である」と教え諭してくださっていることだけはよく分かる。日暮れて道なお遠し…

幸せにしてもらったのは私のほうだった。

mfl3ここ、3、4日、風邪気味で寝たり起きたりしていた。のどが痛く、寒気もするので、近所へのちょっとした外出もままならなかった。私のことを心配した我が子たちが、のどに塗る薬や、のど飴、ゆず茶などを買って来てくれた。クリスマスの夜は一緒に食事をしようね、と言って娘がいろいろご馳走まで用意してくれた。しかも、クリスマス・プレゼントとして、姉弟ふたりして私に豪華なセーターを贈ってくれた。

 自分たちも最愛の母を亡くしたのに、私が連れ合いを亡くしたことのほうを重く見て、その後、なにくれとなく私の面倒を見てくれる。ありがたいことだ。自分の仕事だけに没頭して来て、ある意味で、家庭を顧みなかった我が儘な私に子供たちがこのように良くしてくれるのも、やはり亡き妻のお陰である。

 先日、眼鏡のネジの調節をしてもらいに、近所の大型スーパーの中に入っている眼鏡屋に行って来た。ネジの調整とレンズの掃除をしてもらう間、そこに置いてあった雑誌をめくっていたら、ある宝石店の宣伝文句(?)に目が行った。「幸せにすると誓ったのに、幸せにしてもらったのは僕のほうだった。」というような内容の文句だった。私はそれを見て、胸が詰まってしまった。その言葉はそのまま私が亡き妻に向けて言えるものだったからだ。40年前、「必ず幸せにするからね。」と言っておきながら、私はそれを十分に果たすことなく、最愛の妻を先立たせてしまった。不甲斐無い男であった。日を追うごとに、悔恨の情だけが色濃くなっていく。

奉祝

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奉 祝

陛下 76歳のお誕生日 まことにお芽出とうございます
国民の一人として心よりお祝い申し上げますとともに
この佳き日が幾久しく重なりますように心よりお祈り申し上げます

平成21年12月23日   
山岸勝榮

Fuji

素敵なスーザン・ボイルさんに乾杯!

この春、私は少しスーザン・ボイル (Susan Boyle)さんに言及した。先刻、たまたま彼女をキーワードにネットサーフィンをしていた時、大前研一氏が彼女に言及しておられる画像に出くわした。氏はその中で、彼女の事を「言ちゃあ悪いけれども、“醜さ”というのがね、やっぱり売りになる」と表現された。もちろん氏は、同画像を見れば分かるとおり、彼女の事を全体的には高く、好意的に評価しておられる。私が興味深く思ったのは、大前氏が彼女の外貌を「醜さ」という語で表現なさったことだ。
 私はスーザン・ボイルという女性が舞台に立った時、第一印象として、どこかイギリスの田舎の“おばさん”かなとは感じたが、“醜い”とまでは感じなかった。むしろその顔立ちや身振りなどを見て、“天真爛漫な女性(ひと)”“可愛い女性(ひと)”とさえ感じた。すっかり有名になった彼女は今、より素敵な女性になっている(私の目に狂いはなかった?)。スーザン・ボイルさんに乾杯!Here's to you, Susan!

妻の遺髪と共に松山へ

Fuji2昨日は愛媛県松山市に出掛けた。今から7年前と同じで、愛媛県高等学校教育研究大会・英語部会総会に講師として呼んでいただいたのだ。「長年大学生を教えてみて思うこと」と題して話をさせていただいた。場所は前回と同じであったが、現在は愛媛県立松山西高等学校から愛媛県立松山西中等教育学校に組織・校名変更がなされていた。
 多くの先生方の研究発表や分科会での討論が活発に行われる中に、私の講演を挟んでくださった上、夕方には国際ホテル松山で私のために豪華なパーティーを開催してくださった。新任の若い先生方とも親しく話ができて、まことに楽しい時間を過ごさせていただいた。組織委員の諸先生にはほんとうにお世話になった。ありがたかった。

 昨日は亡き妻との結婚40周年記念日だった。私とは別行動でよいから、道後温泉に行きたいと言っていた妻だっただけに、それを叶えずに他界したことはさぞや残念な事だったろう。そんなわけで、妻の遺髪を胸にしまって同地に向かった。

 今朝、午前9時35分発羽田空港行きの飛行機で帰途に着いた。午前10時頃、機長による機内アナウンスがあった。「ただいま当機は紀伊半島の潮岬上空を飛んでおります。」 1万数千メートルの上空を飛んでいただろう。私の席は窓際で、紀伊半島が眼下に一望できた。抜けるような美しい空だった。
 私は堪らなくなった。今から40年前の昨日、東京・千代田区の九段会館で挙式した妻と私は、紀伊半島方面に新婚旅行に出かけた。本州最南端である潮岬にも行った。そこで何枚もの記念写真を撮った。ほんとうに、幸せだった。楽しかった。得意の絶頂だった。渺たる潮岬周辺を見下ろしながら、楽しく、幸せだった当時の思い出が次々と蘇った。

 午前10時55分、飛行機は予定通り、羽田空港に到着した。講演で各地に出かけた時には、必ず羽田空港から自宅の妻の下に電話を掛けて、無事な到着を告げるのが習わしだった。今年はそれがない。それでも私の事を心配してくれる娘と息子に、どこに出かけても必ず連絡をするようにしている。今日もそうした。二人とも、妻が我が身を分けてこの世に残した、いわば妻の「遺体」である。親孝行ならぬ「子孝行」をして、子供たちに心配を掛けないようにするのが、亡き妻への供養だと思うからだ。 

若者の日本語から消えた(?)「申し伝えます」

かつて私は「若者の日本語から消えた(?)『お陰さまで』」と題した一文を書いた。その後も、私の周辺の大学生、大学院生など、若い人たちからは「お陰さまで」という表現は聞かれない。「どう、その後、元気?」という問いかけに対する返答は、ほとんど常に「はい。」だけである。ただし、若手教員の中には、「はい、何とか(やってます)…。」などと付言する人もいる。

 もう1つ気になる「はい。」の単独用法がある。実例で示す。相手は2年生の女子学生である。

私 「…さん、先日の教育懇談会であなたのご両親と面談したのだけれど、いいご両親だね。
学生 (微笑むだけで、沈黙…)
 「どう、
その後、ご両親にお変りない?
学生 「はい。
私 「そう。宜しく伝えてね。
学生 「はい。

 最近の大学生の多くは、このような反応を示す。“対話”になっていないのだ。中には、「いいご両親だね。」という私の言葉に、「ありがとうございます。」と(謙遜表現を使わずに、今風に)返答する者もいるが、それもむしろ少数派だ。

 「宜しく伝えてね。」という私の言葉に、「はい、申し聞けます。」などという古風で改まった応答表現を用いる学生がいるとは考えられないが(「聞けます」は「聞かせます」の意)、せめて「はい、申し伝えます。」ぐらいは言ってくれたらなあ…と思う。もちろん、それは私の個人的な願いだ。そのような応答表現を日常的に聞いたり、使ったりする言語環境にない現代の若者たちに、それを使いこなせと言うのは、言う方に無理があるだろう。

 それにしても、「どう、その後、元気?」のような問いや、「ご両親に宜しくね。」のような依頼に対して、「はい。」とだけ応える応え方は、貧弱で味気ないものに感じられて仕方がないというのが私の本音だ…。

 
現代の若者たちは流行に敏感で、《外面のお洒落》が上手になった。それに《内面のお洒落》、換言すれば《言葉のお洒落》ができるようになれば、もっともっと魅力的で社交的になれるのではないかと、私などは思うのだが…。

そしてみんな亡くなった。

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妻の発病以降、多くの膵臓癌患者の存在を直接的、間接的に知った。そして、その全ての方が亡くなった。そのうち、早い方は発覚して数か月以内に他界なさった。つい先日も、私とメールのやり取りをしていた某氏のお連れ合いが、約1年の闘病生活ののちに亡くなった。結婚21年周年を迎えた、仲睦まじいご夫婦だったようだ。別の男性のお連れ合いも、約7カ月の闘病生活ののちに亡くなった。51歳の若さだった。そして、私がしばしば読んでいたブログの主宰者で、40代の女性、お二人がつい先日、共に亡くなった。膵臓癌の恐ろしさを嫌というほど思い知らされた1年半だった。それと同時に、私が出会った癌専門医たちの“不勉強ぶり”、結果的には、その“無力ぶり”と“無責任ぶり”とを知った。

 生あるものは必ず死ぬ。そんなことを知らぬ者はない。だが、大抵の人は、健康である限り、そのことを実感することはまずない。かつての私もそうだった。そのことを肌で、魂で実感できるのは、誰よりも癌患者本人、それに付き添う最も身近な人たちだろう。

 余命を限られた人間の精神状態、心理状態を(今のところ)健康な私は十分には理解できない。だが、最も身近な存在、最愛の妻を失った者として推測できることは、死に逝く者には、何よりも自らの生への、また、愛する者たちへの、そしてこの世や成し遂げられなかったことへの執着や未練が残っていたであろうということだ。その思い半ばで、自らの意思に反して、そうした人や物事に対して永訣を余儀なくされた癌患者たちの悲しみ、ただ独りであの世とやらへ旅立たなければならなかった恐怖感・不安感・孤独感を想像するにつけ、私は、あとに残された近親者は、死者の分まで、精一杯、より良く人生を生きて、死者がこの世に在って、自分たちに注いでくれた限りない無償の愛情に感謝し、死者をいつまでも記憶し、その魂を常に身近に感じて行かなければならないと思う。

「目ぐるましい」??

先日、某学会の懇親会で一人の青年が、「…さんの最近の活躍は目ぐるましいですね」と言った。「ぐるましい?? 「まぐるしい」じゃあないの? と思いながら、帰宅後、Google 検索を行った。ある、ある…。次のような例が拾えた。

*スピーディーかつ目ぐるましい活劇だ。
*今回のチャングムは目ぐるましい回でしたね。
*今日は中盤のシーンを練習しました。…目ぐるましいシーンです。僕は登場しませんが…。
*今期色々目ぐるましいですがオーナー中国行きを前に第16回野外教室の日程&行き先を決めました
*現代の変転推移する目ぐるましい経済状勢のなかで、. 最も大切な事であり、欠くべからざる要素である。
*新たなチャレンジと猛烈なセックス願望のうずまく目ぐるましい日々の中、1993年、遂にモントリオール初のレイヴ・イベント「Solstice」が誕生する。1994
*小沢民主党代表の原理・原則論は“反対のための反対”ではなく、世界情勢が目ぐるましい変化と複雑化する中で、日本の防衛政策が 憲法に逸脱せずに対応していけるかを検証する意味においても、立ち止まってでも再考の必要ありとするものであろう。

 次のような面白い記事もあった。

めまぐるしい」と「めぐるましい」、どっちが正しいのだろうか。「目まぐるしい」だと、「めま」が「苦しい」という意味に取れるのだが、「めま」って何だろう。「メンマ」じゃないよね…。「目ぐるましい」の場合、目がぐるぐる回って車みたいになっちゃう、という例えとしては語感がふさわしい感じなのだけどなぁ。

 昨今の日本語の変化と来たら、まことに目ぐるましい、もとい、目まぐるしい

「先生がお作りしました」??(続)

昨日書いた記事に関して、学生の一人から早速質問が出た。最後のところに例として挙げた今朝は俳優の〜さんにお話ししていただきました」の問題点がどうしても分からないと言う。そうだろうと思う。この文の問題点が即座に分かる人は、語感に優れ、語法を心得た人だと思う。

 昨日書いたように、「お〜する」はあなたのために私が〜するという意味を表す謙譲表現である。つまり、“自分”の行為を下げて言う時に用いるものだ。それに対して、「いただきました」(←「いただきます」)は“相手”がしてくれたことを“自分”が受ける側に立って言う表現だから、「あなたのために私が〜する」の意味を表す「お話して」と相容れない構成になってしまう。正しくは、「今朝は俳優の〜さんにお話しいただきました」となる。丁寧度は下がるが「今朝は俳優の〜さんに話していただきました」も(少なくとも)「今朝は俳優の〜さんにお話ししていただきました」に比べれば好ましい表現だ。

「先生がお作りしました」??

ゼミ生の一人がくれたメールの中に、「先生がお作りしました『The Song of Hope』も拝読いたしまして…」とあった。最近、「拝読」という語の便利さを覚えた同君、ここではそれを上手く使ったが、その前の「先生がお作りしました」に問題を生じさせた。私の語法に従えば、そこは「先生がお作りになった」、「先生がお作りくださった[作ってくださった]」、「先生がお作りになられた」、(古風な言い方だが)「先生がお作りなさった」などとなる。Googleで検索すると、類似の誤用法が数点ヒットした(例省略)。
  「お〜する」は「あなたのために私が〜する」という意味を表す謙譲表現だからまずいのだ…。相手を敬った表現にするには、「お〜になる」「お〜くださる」の型にはめる必要がある。最近、NHKのアナウンサーを含め、多くの日本人(とりわけ若い世代の人々)がこの語法を苦手としているようだ。例:「今朝は俳優の〜さんにお話ししていただきました。

妻が他界してから3か月が経った。

candle1妻が他界してから3か月が経った。私の生涯で、これほど辛く、切ない月日を過ごしたことはない。妻・慶子さんのあとを追って「形骸」を断じた評論家・江藤淳さんの気持ちが痛いほどよくわかる。
 ただ、私は江藤さんのような結末を迎えるつもりはない。他所でも書いたことだが、それでは、此の世に存在した一人の“稀有な”女性を吹聴する人間がいなくなってしまう。他人(ひと)の口に戸は閉(た)てられないから、私は私の想いに正直に、
私の命の尽きる日まで、その“稀有な”女性のことを吹聴し続けるつもりだ。

 

 昨夜も妻の遺影の前で、妻を映した動画を観た。映したのは今年の春、4月18日だった。いつもの散歩コースにツツジが咲き乱れていた。イチョウも若々しく芽吹いていた。妻は言った、「ツツジが満開ね。生命力を感じるわ。」 そう言ってから、ツツジたちを優しく撫でた。「イチョウも芽吹いているわね。みんな、私に生命力を少しだけ分けてね。」そう言うと、妻はイチョウの樹の1本を、頬ずりをするように、両腕を回して抱いた。ツツジにまじっていた雑草を抜こうとする妻に私は言った。「雑草の生命力も馬鹿にならないよ。その生命力も分けてもらったら?」「あっ、そうね。雑草の生命力も大きいわね。」妻はそう言って静かに笑った。

 こんなたわいもない会話だが、私たちにとっては何物にも換え難い、貴重なひと時だった。それからわずか4か月半後、妻は私たちを残して、独りこの世を去った。生への執着を断たれた妻の無念を思う時、私は何としても妻の分を生きなければならないと思った。

 

 妻が亡くなった日から今日まで、妻の霊前に花を欠かしたことはない。特に、コチョウランとバラだけは一度も絶やさないで来た。そのほか、ガーベラ、スターチスなども妻が好きな花だった。今後とも、供花だけは欠かさないつもりだ。それが、「千の風になって」の文句を書き残し、最後を「私は死んでなんかいません。」と締め括った妻へのせめてもの私の務めだと思っている。

 

      水に住む鴛(おしどり)、梁(うつばり)に巣を組む燕も、

           翼かわす契りを忘れず ― 太平記巻十一

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