2010年04月

悲しみの始まり(前)

fl1今から4年前、妻は近所の某内科医院で軽度の糖尿病と診断された。その病気では私のほうが“先輩”だったが、それを主に食事療法でほとんど根治してくれた妻は、自分も同じ病気に罹ったことを意外に思いながらも、治療方法にはかなりの自信を持っていた。それ以後、週に3、4日は私と1時間半から2時間の散歩を欠かさないようになった。
 しかし、毎日の食事内容に細心の注意を払い、週に3、4日の長距離の散歩をしても、妻の糖尿病は改善の兆しさえ見せなかった。同内科医院には、定期的に通院し、内服薬をもらい、生活習慣にも気を配ったが、妻は一進一退を繰り返したのち、少しずつ痩せて行った。
 その後、2年ちかく経った頃、つまり、2年前の3月末頃、同医院で主治医だったTA医師は、妻にインスリン治療を勧めた。自宅でできるインスリン注射による治療だ。ところが、その頃、妻の血糖値に、それまでにない異常が認められるようになり、“ようやく”それを不審に思ったTA医師は、妻に某市立大学附属病院での検査入院を勧めた。しかし、その段階でも妻の病気は糖尿病だと思われていた。 検査入院の日が決まった。平成20年[2008年]5月2日午後2時だった。

拝見してくださると御光栄です…

今日も山岸ゼミ生がゼミ専用掲示板で“日本語の勉強をしている。どのゼミ生も“本気である。だが、敬語らしい敬語など使ったことがない(だろう)から、私に対する日本語も自然とゼミ生諸君の“苦戦の跡が偲ばれるものになる。
 次の文は今日、書きこまれたものだ。

『英語教育と辞書の思想と実践』第一部・第一章を拝読いたしました。感想を以下の文に述べます。ご多忙のことと思いますが、お時間がございましたら拝見してくださると御光栄です。

 私9970d404.jpgに一生懸命に“敬意を表そうとしていることがよく感じ取れる一文である。だが、「拝見してくださると御光栄」という個所の“拝見と“御光栄の用法だけはどうにもいただけない。 
   毎年4月、山岸ゼミに入った“大学3年生”の日本語のレベルはだいたいこれ位である。これが1年後には、全員、見違えるようにしっかりとした文を書くようになる。やはり、「教えられなければ分からない」のだ。とにもかくにも、彼らに“学士力なるものを付けなければならない…。

「就活の家庭教師」のこと―母語の危機?!

今朝の朝日新聞に、社団法人「キャリア開発支援機構」などが設立した「就活の家庭教師」(東京都中央区)の話が出ていた。それによれば、現在約70人の家庭教師(コンサルタント)が、一橋大、早稲田大、慶應大、青山大、日本大などの4年生約100名を対象に、彼らの内定確保を目指して、個別指導を行なっているそうだ。

 学生にとっての最初の関門は、志望動機などを書くエントリーシートの作成だが、担当の家庭教師(コンサルタント)は、「手書きのエントリーシートでは、ひらがなのオンパレード。パソコンでは誤変換が目立ちます。友だち同士でのメールのやり過ぎか、主語がなかったり、述語がなかったりする文が目立ちます。英文のピリオドを句点として使ったりする文章もあり、とても企業に提出する文章ではありません。」という。国語辞典を丁寧に引くことから指導を始める場合もあるらしい。

 私自身、毎日、「山岸ゼミ専用掲示板」に書き込まれるゼミ生諸君の日本語を見ているが、上記のような問題の深刻さを痛感している。言いにくいことだが、母語である日本語がきちんと書けない大学生が余りにも多いのだ。加除修正の不要な日本語を書く学生となると、残念ながら皆無の状態だ。

 しつこく書いて来たことだが、英語教育も大事だが、母語教育はさらに大事だ。今日の多くの大学生にとって、400字詰め原稿用紙を埋める日本語を書くことは難行苦行なのだ。だからこそ、400字未満の“短文”を書いても、「長文、失礼致しました。」という発想になるのだろう。ストレスが溜まる作業だが、「教えられなければ分からない。」とひとり呟きながら、今日もまた山岸ゼミ専用掲示板に向かっている…。

追記:午前中に某“大学院”の授業1コマに行って来た。院生計3名(1年生2名、2年生1名)のうちの1年生に教科書の数頁を声に出して読んでもらったが、そのうち、次の漢字が読めなかった…。
 1.分相応  2.(背景をきちんと)捉える  3.水泡に帰す  4.河川(これは正しく読むまでに少しの時を要した)  5.御神体  6.神官  7(斎藤)茂吉  8参詣者  9.湯殿(および湯殿山)  10西行法師     

お疲れ様でーす!

tired近所の大型ドラッグストアに買い物に行った。必要な品を7、8点買って、空いているレジへと向かった。私が「お願いします。」と言うのとほぼ同時に、レジにいた若い女性店員が言った。「お疲れ様でーす!」?????? 私の背後あるいは左右どちらかに、シフト制で帰宅する同僚の店員がいて、その店員に向かって言っているのだとばかり思い、周囲を見回すが、誰もいない。それではその「お疲れ様でーす!」は誰に向かって言ったのだろう。私に対してだったのだろうか。どうもわからない…。
 いつもの悪い癖が出て、支払いを済ませたあと、ちょっと立ち止まって、私のあとに来た、私と同年輩の男性客への彼女の対応を見ていた。「はい、お疲れ様でーす!」 やはり、あれは客に向かって言っているのだ!…
 どんな心理で言っているのだろう。60過ぎの客にとって、商品をレジまで運ぶのは「疲れる」だろうから、それをねぎらって言ってくれているのだろうか(まさか…)。
 それにしても、客に向かって言う「お疲れ様でーす!」の例を初めて聞いた。そのあと、他店2軒で買い物をして帰宅したとたん、なんだか本当に「お疲れ様でーす!」となってしまった。明日、大学に行って授業を終えた際に、学生諸君から、「お疲れ様でーす!」と言われないといいのだが…(こちら参照)。

「千変万化」、「千編万化」、「千篇万化」

ある人のブログ記事を読んでいて、「万化」という文字に出合った。「万化」? 文脈からしてすぐに「万化」(せんぺんばんか物事がさまざまに変化すること)のことだと分かった。Googleで調べてみると、「万化」は約 500 件のヒットがあった。ひょっとしてと思い、「万化」で検索すると、こちらは約 23,700 件もヒットした。「万化」と「万化」は、あるいは、「[]一律」(せんぺんいちりつみな同じ調子で、変化・面白みがないこと)との混同かも知れない。ちなみに、「万化」という字も見つけた(13件)。インターネットの世界は日本語もまさに「万化」の様相を呈している…。

「ご購入する」と「賛辞」に関するメモ

1d0065f7.jpg今年も英語学習と並行して、新ゼミ生諸君の「日本語」の面倒をみている。毎日のように驚く事例に出合う。驚かされはするが、憫笑(びんしょう)で終えるわけにはいかない。縁あって私のゼミに入ってきた諸君である。わたしが気付いた日本語の間違いは私が訂正しておいてやりたい。

 昨日も、ある女子学生・男子学生の日本語に共通する誤用例に出合ったので、そのことを当人たちに伝えた。私の著書を購入したいと書いてきたメールの中にあったものだ。二人が使った表現は「ご購入する」だった。当人たちは「購入する」ことを丁寧に表現したつもりだろうが、「購入する」は《自分の行為》に言及しているのだから、接頭辞の「」を付けるわけにはいかないのだただし、《自分の行為》であっても、その行為の及ぶ相手に対する敬意を表す場合は「」を付けるのが自然だ…。例:「ご挨拶
 
 もう1点、同女子学生は、私が彼女の勉強ぶりを褒めたことに対して、「賛辞のお言葉をいただき…」と書いてきた。「賛辞」という語は、ちょっと褒められた程度のことには使わないし、たとえほんとうの「賛辞」であっても、それをそのまま自分に向けて賛辞のお言葉をいただき…」と表現しないのが慣用法だ。「お褒め(を)いただき」あたりにとどめておくべきだろう。 こうした学生の日本語も1年を掛けて磨いてやれば、見違えるようによくなる…。

「お忘れないように」という言い方

40bd7494.jpg大学の同窓会からニュースレターが来た。その「編集室だより」というところに、定年退職者の氏名が挙がっていて、最後に、「文学部同窓会のこともお忘れないようにお願いします」とあった。
 
  この「お忘れないように」という言い方に違和感を覚える人はどのくらいいるだろう。これをGoogleに掛けると、約223,000 件がヒットする。つまり、相当に一般化していることが分かる。3例だけ拾っておこう。

♦研修医の先生方お忘れないように
♦ご予約お忘れないように
♦当機をお降りの際には手荷物をお忘れないように御注意願います。

 いっぽう、私の用法はと言えば、「お忘れなきように」「お忘れにならないように」といったもので、同じくGoogleに掛けると、それぞれ 約 812,000 件、約 291,000がヒットする(後者のヒット数が少ない点が意外だったが、ヒット数が少ない事、即、誤用ということではないだろう)。それぞれ3例ずつ拾っておく。

♦くれぐれもお忘れなきように
♦玄人向けの製品であることをお忘れなきように
♦あくまで自分のための自分自身の心や精神の修養のための習い事であることを  お忘れなきように。 ...

♦くれぐれもお忘れにならないように
♦同一イニシャルの場合もありますので、受付番号お忘れにならないように大切に保管してください。
♦機種変更のお手続きの際に必要となりますので、お忘れにならないようにお気を付けください。

 「お忘れないように」と言ったり書いたりしている人たちは、おそらく「忘れないように」という言い方を丁寧に響かせるために、機械的に接頭辞の「」を付加しているのだろう。それに対して、私は(内省するに)「忘れ」を「ど忘れ」「年忘れ」「物忘れ」などの「忘れ」と同様、名詞と捉えているから、「お忘れにならないように」「お忘れなきように」と表現するのだと思う。(上記の同窓会の場合、簡単に「文学部同窓会のこともお忘れなく」とするだけで十分だったはずだ。)

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注記:弁解になるが、私は日本生まれの日本人であるが、国語学・日本語学を専攻したことはない。このブログに書くことはすべて、これまでに培われた私個人の「語感」に基づいたものである。したがって、それが慣用的・語法的に間違っているという場合もあるだろう。そういう場合は、その点をご教示いただくか、一笑に付すかしていただけるとありがたい。
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満開のときに切る度胸があるか…

sakura今朝の朝日新聞の「天声人語」にいい話が載っていた。東京・調布市の仙川(せんかわ)という私鉄駅周辺に2本の桜の木があって、10年前の駅前整備で伐採されそうになった時、約1万4千人の反対署名があり、それが功を奏して今日まで生き残ったものなのだそうだ。当時の市長は「老木だから10年ともたないかも知れないが、枯れていくのを見届けるのも、また人生です。」と言ったそうだ。幸せな桜は今も人々の目を楽しませ、夜桜コンサートの舞台となっているという。
 同欄には、もう一つ、幸せ薄い桜の木の話も出ていた。国体の会場整備のために切られて、あわれな切り株をさらす、岐阜県での話だ。

 私が感動したのは、同欄に紹介されていた、京都の桜守で知られる佐野藤右衛門(とうえもん)さんの言葉だ。「どうしても切るというなら満開のとき切ったらええ。満開のときに切る度胸があるか、と聞いてみたい。
 この言葉を目にした時、私は軽い身振るいを覚えた。同時に、James Harveyの次の名句を思い出した。

  Divine love is a sacred flower,
                      which in its early bud is happiness,
                                     and in its full bloom is heaven.
  神の愛は神聖なる花にして、
          その固き蕾には幸福あり、
                             また満開の花には天国あり。
 
 
ハーヴェイのこの文句の特に末尾に言われていることと、藤右衛門さんの言わんすることとは根底に於いて同じだろう。それが、「満開のときに切る度胸があるか、聞いてみたい」という言葉になって出たのではないか。                  
 その言葉にこそ、桜花の盛りを愛でて来た我々日本人が忘れてはいけない大切なことが内包されているはずだ…(それと、「さくら」の語源も忘れてはなるまい…)。
 
同欄には、先日(4月6日)言及した岡本かの子の「桜ばな  いのち一ぱいに さくからに 生命(いのち)をかけて わが眺めたり」の句が紹介されていた。かの子がこの句に込めた思いとは、生きとし生けるものに対する深い共感ではなかったろうか、また、限りある自らの生命に対する愛惜の情ではなかったろうか
…。

この「思います」は不要だと思います…

9970d404.jpg先日、某式典で某氏による約10分の挨拶を聞いた。その中に、最近よく見聞きする「思います」の用法が10回ちかく出て来た。いつの頃からか、多くの日本人がこの「思います」を用いるようになった。メモできた実例を5例だけ列挙する。

 

「ご支援を賜りたいと思います

「のちほどご来賓の皆さまからお祝辞をいただこうと思います

「〜の先生方に厚く御礼を申し上げたいと思います

「みなさん方の役割をしっかりと果たして行ってほしいと思います

自分自身の夢を持ってほしいいうふうに思っています 

 

 急いでメモしたので、逐一正確かどうかは自信はないが、「思います」という部分の転写に関しては間違いはないはずだ。以上の例の場合、私なら次のように言っただろう(もちろんこれは個人的語感に基づくものである)。

 

「ご支援を賜りますよう(に)お願い申し上げます。」

「のちほどご来賓の皆さまからお祝辞をいただきます[いただくことになっております]。

「〜の先生方に厚く御礼を申し上げます。」
「みなさん方の役割をしっかりと果たして(行って)ください。」

「自分自身の夢を持ってください。」

 

 

 大学、会社、官公庁等における長たる人びとには、自信を持って「言い切った」表現を用いてもらいたいそのほうが、学ぶ者たち、下で働く者たちにとって、安心して付いて行ける。もちろん、上記のような語法には、言葉全体の響きを柔らかくする効果はあるだろう。それでも、私はそうした用法から話者の自信欠如・責任回避といった負のイメージを抱いてしまうのだ…
 そう言えば、どこかの国の首相もこの「思います」がお好きのようだ。就任以来、うんざりするほど多用しておられる…。そろそろ、その言い方はやめていただきたいというふうに思っています…。

有情に生き、哀惜に散る…

ato今朝見たら、一昨日まで美しく咲いていた近所の桜並木の桜が強風と雨とでほとんど散っていた。それを見ながら、いつものように夢想疎石[国師](1275-1351)が詠んだ「盛りをば見る人多し 散る花の あとを訪(と)うこそ 情けなりけり」という和歌を思い出した。

 以前も本ブログ(2006年3月26日分)に書いたことだが、将軍・足利尊氏は、公務で西芳寺(苔寺)の観桜に行きそびれ、後日そこへ行き、散った桜の樹に不満を洩らした。それを聞いて、夢想疎石はその和歌を詠んで、尊氏の「無情」を諌めた。

 生命の営みは美しい。その「盛り」は見る者の心を躍動させる。だが、衰え行くもの、衰え消えて行ったものにも思いをいたすことこそが、人間を人間たらしめているはずだ。花は哀惜(あいせき)に散り行くものだ。人間もまた同じだ。その人間にとって、いちばん喜ばしいことは何だろう。私は、それは「有情」(うじょう)に囲まれて生き、「有情」の中に消え行くことだと思う。


さくらばな いのち一ぱいに 咲くからに 
                  生命(いのち)をかけて わが眺めたり。
                    ― 岡本かの子   

慈悲の外衣を纏い居る者

イギリスの政治家・Charles James Fox (1749-1806)  は次のような名言を残した。

Of all the characters of cruelty, I consider
    that as the most odious which assumes the garb of mercy.
            残忍なる人間の内、
             最も憎むべきは慈悲の外衣を纏(まと)い居る者なり。

 その名言を思い出させたのが、今朝のあるニュースだ。それによれば、埼玉県飯能市の国道299号わきの山林に約100体の犬・猫の死体が捨てられているのが発見された。中にはリボンや服を身に着けているものもあり、ペットとして飼われていたようだ。投棄したのはまず間違いなく“悪質ペット葬儀業者”だろう。犬好きの私としては、怒りだけが沸々と湧いてくる…。

妻が愛した三渓園に行って来た。(続)

sakura過日、桜が美しく咲いた三渓園に行って来た。私自身のためでもあるが、「来年の桜も見られるかな」と言っていた亡き妻の代わりをする意味もある。と言っても、「千の風になって」を書き遺した妻は、自分自身が春風になって(ほんとうに春風のような人だった)、ひと足もふた足も早く、同園の美しい桜を愛でていたかも知れない。

 前回と同じく、三渓会館で抹茶をいただいたり、茶屋で茶菓をいただいたりしながら、のんびりと流れる時間を楽しんだ。何度訪れても飽きの来ない素晴らしい庭園だ。三渓さんにはほんとうに感謝する。多くのボランティアガイドさんたちの存在もうれしい。
 
 繰り返しになるが、同園には、歴史好きにはたまらない貴重な物が数多くある。れまでは、大きな歴史的建造物に目を遣りがちだった。徳川家康が慶長8年(1603)に京都伏han見城内に建て諸大名伺候の際の茶室に当てた月華殿、聖武天皇の勅願によって天平7年(735)に建てられた燈明寺(京都)内の三重塔、豊臣秀吉が京都大徳寺内に母の長寿を祝って建てた寿塔の覆堂(天端寺寿塔覆堂)、京都二条城にあった徳川家康・春日局ゆかりの楼閣建築・聴秋閣、多くの文化人が出入りした鶴翔閣、岐阜県白川郷にあった江戸時代の庄屋の家(旧矢箆原家住宅)等々がそれらである。

 視線を少し下向きにすれば、そこにはまた、歴史好きの目を奪うに違いない「逸品」が散見される。私の注意を引いた物の1つが、豊臣秀吉が愛用した「瓢箪文手水鉢(ひょうたんもんちょうずばち)」である(2枚目の写真)。後年、秀吉から藤堂高虎に与えられ、伊賀上野城にあったものらしい。手水鉢にも“きちんと”瓢箪文をあしらうところなど、いかにも秀吉らしい(「千成瓢箪」を思い出す人も多いだろう)。

  また、利休が刺客に襲われた時、体をかわしたために、刺客の流れた刀が当たった灯籠だlanと伝えられる「身代わり灯籠(とうろう)」もある(3枚目の写真)。 (こうした歴史的遺物を見ていると、ひととき持病の腰痛を忘れることができるから不思議だ。)

 

 

 

 

2010年度入学式の朝

sakura今日は私の勤務校の2010年度入学式が挙行される日だ。先日、卒業式を済ませたばかりだが、時の経過はまことに早い。個人的にはいろいろとあって、それに起因する精神的落胆・憂鬱からは、まだほとんど回復していないのだが、私の周辺の全てが、何事もなかったかのように、たんたんと進んで行く。それが自然だとは分かっているが、今までと同じような「浮き浮き感」を欠いていることだけは確かだ。これは私と同じ経験をした人たちにはきっと理解してもらえることだと思う。
 式終了後には新入生諸君へのオリエンテーションが行われる予定だが、専任教員の一人として、夢多き諸君の未来創りの手伝いだけは、従前どおり、精一杯行うつもりだ。
 新入生諸君、入学おめでとう。若さ、それ自体が何よりも大切な宝だ。「覿面(てきめん)の今」を大切に、有意義な大学生活を送ってほしい。
平成22年(2010年)4月3日 入学式の朝(研究室にて)

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