2010年06月

Yさんの心遣い

tea今朝、大学に来て、今年3月卒業したYさんから、ペパーミント ハーブ ティーがひと箱送られて来ているのを知った。本ブログで喉の調子が悪いということを書いたのだが、それを読んで、私の喉の痛みが少しでも和らぎますようにという願いを込めて送って来てくれたものだ。 優しい言葉も添えてあった。
   Yさんは大学時代、私が腰痛で困っていると、何度も湿布薬を持って来てくれた。薬局かどこかで買って来てくれたこともあれば、自宅にあったものですがと言ってそれを持って来てくれたこともある。気持ちはあってもなかなか行動に移せないのが最近の若者たちだ。

 Yさんを含めて、そんな優しい心遣いをしてくれる多くの学生に恵まれた私は本当に幸せ者だと思う。私はと言えば、大学院時代の恩師・大和資雄先生からいただいた、「自分が勉強して、まずしくとも手本を示さなければ、教える資格はない」というお言葉を、私の「座右の銘」としているだけだ。教師として、家庭人として、夫として、父として、私は一生懸命に生きて来たつもりだ。Yさんを初め、多くの学生たちはそうした私の「一生懸命さ」を見てくれているのだろう。教師冥利に尽きるとはこのことだ。Yさん、ありがとう。

【追記】上記の記事を書いた直後、立て続けに、何人もの学生が来室し、同じように、喉に良いと思われる心尽くしを手渡してくれた。ただただありがたかった。

弔事の挨拶の難しさ

funeral哀悼の意を表するのは難しい。迂闊なことは言えないし、忌み言葉への配慮もしなければならない。
 弔事に当たって挨拶をする人の中には、遺族に対して、「どうかお力落しのないように」と声を掛ける人がいる。しかし、これはちょっと考えればあまり良い表現でないことがわかる。最愛の家族の一員を亡くして、「力を落としている」ことが分かっているのだから、別の言い方を選ぶべきだろう。たとえば、はっきりと、「お力落としのことでしょう」と言うほうが良いように思う。「お辛いでしょうが、どうぞお体をおいとい下さって、お元気をお出し下さい…」のような言い方も良いだろう。
 また、人によっては、「このたびはとんだことで…」と挨拶する人がいる。だが、これは予期せぬ災害とか不慮の事故とかで亡くなった人には適当な表現だろうが、余命宣告を受け、残された時間を大切に使っていた人が亡くなった場合にその遺族に対して掛けるものとしては、あまり良い表現だとは言えないだろう。むしろ、「ご心中いかばかりかとお察し致します」、「まことに残念でございます」などと言うほうが無難だろう。
 さらに、「何と言って良いか、言葉も浮かびません」という人もいる。だが、遺族に対して、「浮かびません」と言うのは「魂が浮かばれない」という言い方が連想されて具合が悪いだろう。「まことに突然のことで、言葉もありません」なら容認されると思う。
 慶事よりも弔事における言葉づかいのほうがいっそう神経を使うはずだ。前者の場合なら、事の性質上、多少の言葉の誤りも大目に見て貰えるだろうが、後者の場合は、遺族も神経質になっているだろうから、それだけに自分たちに向けられた言葉の1つ1つに過敏に反応する可能性がある。しかし、言葉はひとたび口を突いて出てしまえば、取り返しのつかない結果を生むこともある。それだけに、気をつけなければならない。

また妻の夢を見た。

ranた妻の夢を見た。私が溜めに溜めておいた洗濯物(ただし、ワイシャツ・Tシャツの類)を妻がすっかりと洗って、アイロンを掛け、きれいに折り畳んでくれていた。背後から、「あなた、洗濯物を洗っておきましたよ。」という声がした。「それはどうもありがとう。助かったよ。何しろ、山のような洗濯物だったからね。」 私はその礼にと、近所の花屋さんに行き、妻の好きだった胡蝶蘭を買って帰った。「おーい、綺麗な花を買って来たよ。」 大声で妻を呼んだが、返事はなかった。妻はうちにはいなかった。私は自分の声で目を覚ました。言い知れぬ寂寥感に襲われた。時計を見ると、午前4時だった。外は白みかけていた。私は愛犬を連れて早朝の散歩に出掛けた。ひんやりとした外気が肌に気持ち良かった。4時半頃、ひと組、ご夫婦と思しき初老の男女が仲良く、私の前を歩いていた。羨ましかった…。

 

 確定申告の時もそうだった。妻は私の夢の中に出て来て、先回りして、私のことを気遣ってくれた。今度は、私が洗濯物を溜め過ぎたから哀れに思って、それを洗っておいてくれたのだろうが、あくまでも夢の中のことだ。洗濯物はそのまま山を成している。注意喚起のつもりだったのだろう。何とかしなくては…。結婚以来、そんなことを心配したことは一度もなかった。そんなに私のことが心配なら、もっともっと私の傍にいてくれたらよかったのに…。これから、ようやく「女房孝行」ができると思った矢先に、私のもとからひとり去って行ってしまった…。世皆無常、会者定離…。

風邪引きと「療養」

ここ数週間、咳に悩まされ、のどの調子が悪い。風邪が原因かも知れないが、寝込むほどではない。じつは、そのことを心配してくれた学生諸君のうちの何人かが、「ご無理をなさらずに療養ください」、「喉の回復までゆっくりと療養してください」、「ご多忙と存じますが、どうか療養をお取り下さい」などと、「療養」という語を使ったメールをくれたのだ。もちろん、どの学生のメールも善意から出たものだ。だが、風邪をこじらせた程度のことに「療養」などという大仰な言葉を用いられると、治る風邪も治らないで、肺炎かなにかに悪化し、その結果、ほんとうに「療養」が必要となるような気がする(もちろん、冗談)。

 若者たちは、どこかで覚えた「療養」という語を辞書で引き、「病気を治すこと」だから、「風邪」も病気だと考えて、この語を使うのかも知れないが、私にとっては、この語をふつうの風邪や喉の痛み程度のものに使うのは不自然に響く。つまり、「療養」と聞くと、「病気を治すために、(長期間)治療に専念し、十分に養生すること」という意味を思い出すし、しかもその病気は「(かなり)深刻なもの」のように思えるのだ。たとえば、「祖父は昔、肺結核を患い、神奈川県の長浜療養所(現・神奈川県立循環器呼吸器センター)で療養生活を送ったことがあると言っていた」の場合のように…。

 個人差はあるだろうが、私の語感では、普通の風邪で、多少の咳込みがある程度の年長者には、たとえば、「ご無理をなさらずに、ゆっくりとご休息ください」とか「じゅうぶんなご休養をお取りになり、ご無理をなさいませんように」などと表現するほうがよいように思われる。少し古風な言い方だが、「どうぞ、たまには骨休をなさってください」も捨てがたい表現だ。

妻を膵臓癌で亡くしたA氏のこと

roseA氏は30代後半から40代前半の男性である。私と同じで、昨年、最愛の人を膵臓癌で亡くした。結婚生活、わずか3年後のことだったという。違いはお互いの年齢と結婚年月と子供の有無だった。職業は似ている。A氏は妻に先立たれた喪失感が余りにも大きく、それからというもの、鬱病になり、酒量も増え、しばらくしてアルコール依存症と診断されたそうだ。聞くところでは、今は精神科に入院中らしい。私はA氏の病状がまだ軽い頃、ある人を介してA氏を食事に誘った。同じ悲しみと苦しみとを経験した男同士として、分かち合う感情も言葉も持ち合せていると思ったからだ。だが、A氏からは返事はなかった。その後、緊急入院したという話だけを人づてに聞いた。

 私にはA氏の気持ちが痛いほどよく分かる。だが、その喪失感、寂寥感、孤独感を埋めるために酒に溺れ、自分の殻の中に深く強く籠ることで、いちばん悲しむのは誰だろう? ほかならぬ最愛の人だ。それでは、その人の魂は永遠に安らげないだろう。

 一人の男が、鬱になり、精神に異常を来すまでにその愛が深かったのなら、自分が元気なうちに気力を振り絞って、その人の《絶対的賛美者》になればよかったのだ。最愛の人を無くした人にとって、そういう新しい愛の形、「愛の第二章」があって良いのではないか。否むしろあるべきではないか。私は妻が逝ってからというもの、そういう考え方で毎日を過ごしている。二度とその肌に触れることも、その優しい声を聞くこともできないが、さまざまな場面で私は毎日のように妻の魂を感じることができる。

 ドイツの神秘思想家・哲学者ヤコブ・ベーメ(Jacob Boehme;1575-1624)は言った。「ある種の愛は神よりも大なり」と。ベーメのこの言葉は、ベーメの時代よりもむしろ現代にこそよく当てはまると思う。少なくとも、妻と私とが40年をかけて育んだ愛は、ベーメの言うとおりのものだと私は信じている。だから、私は「神よりも大なる存在」である亡き妻のことを吹聴し、自慢する(もっとも、私には「唯一絶対の神」は存在しないが)。それが私が亡き妻の《絶対的賛美者》になった理由だ。パスカルに言及して付言すれば、「愛は年齢を有せず。そは常にそれ自身を更新しつつあればなり」だ。確かに、愛はいっさいのことを可能にする。
 
 A氏も、私がそうしているように、亡き人のことを言葉をきわめて吹聴し、自慢すればよかったのだ。そうすることで、涙はいつもとめどなく溢れるだろうけれども、自分がどれだけ素晴らしい人と一緒に居られたか、どれだけ幸せな人生だったかを実感することができただろう。それを実感出来る、それを可能にしてくれた亡き人の《絶対的賛美者》に誰がならないでいられようか。そうなったA氏を見て、亡き人は、多少照れながらも、きっと喜び、安堵することだろう。今の廃人同様の姿を見て、亡き人は深く大きく悲しむに違いない。A氏が健康を取り戻した頃に一度面会し、叶うことなら、食事を共にしてみたいと思っている。

 Down, thou climbing sorrow; / Thy element's below. 
    這いのぼる悲しみよ、さがれ、汝は元来、下に居るものなり。
                       ―W. Shakespeare : King Lear (2.4)

【付記】昨日、6月20日(日)は「父の日」だった。妻が生きている時にはいつも妻が気遣っていてくれた身の回りの品(シャツ・下着類)を、我が子たちがケース一杯にしてプレゼントしてくれた。ただただ嬉しかった。「いい子に育ててくれてありがとう。」 昨夜、妻の遺影に向かってそう言った。妻が入院中に、私にくれたメールの文句は、「いい子を授けてくださってありがとう。」だった。
【付記2】今日の昼前、大学の私の研究室に、ゼミ特修生のT君が来た。「いつもお父さんのように接して下さるから。」と言って、可愛いブーケを贈ってくれた。ありがたくいただいた。しかもそのあとすぐに、女子学生Aさんが、「先生の咳が少しでも取れますように。」と言って、喉飴を持って来てくれた。持つべきものは良き教え子たちだ…。

怪しい英会話の本が多くなった…

あやしい英会話の本が多くなった。今、私の手元に、その類いの本が何点かある。いずれも、“ネイティブスピーカー”を共著者に挙げているだけに、始末が悪い。
 その1点は、「あなたの英語はこんなに恐ろしい響きでネイティブに聞こえているのですよ」というような内容を書名にしたものだ。それによれば、英語で"Where are you from?"と聞くのは、日本語で「国はどこ?」と聞くのと同じで失礼になるそうだ。それではどういう聞き方がよいか。著者によれば“Where would you be from?"だそうだ。これなら日本語の「お国はどちらですか?」に相当し、丁寧に響くという。

 長年、英語を研究し、辞書編纂に関わって来たが、こんな指摘は初めて見た[聞いた]。仮に"Where are you from?"が「国はどこ?」という感じで失礼に響くとすれば、それはTPOや発音の仕方によるものと考えて差支えない。つまり、"Where are you from?"それ自体に常に失礼な響きが伴っているわけではない。
 それよりも何よりも、“Where would you be from?"という言い方が、「お国はどちらですか」に相当する標準的で丁寧な言い方だという事実を私は寡聞にして知らない。

 私の語感で言えば、これをネイティブスピーカーが使ったとしたら、私はたぶんその人を“地方出身者”だと思うだろう。日本で言うなら、「ああ、この人は…地方の出身者だな」というふうに…。つまり、方言の丁寧表現としてなら在り得る形式だろうが、標準英語としては一般的ではないはずだ。そういう特殊なものを定型表現として推薦する“ネイティブスピーカー”を有り難がっている日本人共著者の英語力もまた怪しいということになる。
 
 とここまで書いて来て、かつて日本人某氏が、かなり怪しい英語力の“ネイティブスピーカー”を共著者に迎えて、日本の某英和辞典を間違いだらけと誹謗中傷したことがあったことを思い出した。某氏はそうした“ネイティブスピーカー”を無条件で有り難がったようだが、彼らから仕入れた(はずの)根拠たるや欠陥だらけのものだった…。

菅首相、やはりあなたも…

菅首相は16日の党参院議員総会で、「参院選でしっかり勝利を挙げることが、鳩山前首相、『一兵卒になったというありがたい言葉をいただいた小沢前幹事長の辞任に報い、安定的政権を実現することになる」と語ったそうだ(17日「朝日新聞」朝刊)。「一兵卒になった」を「ありがたい言葉」だと評する菅さんに、少々失望…。菅さんには「綸言(りんげん)汗のごとし」という言葉を肝に銘じた発言をしてもらいたいものだが、たぶん無理だろう…。
参照:「一兵卒」と政治家・小沢一郎氏

「顔見知り」と「人見知り」

imageうちの近所に、愛犬を散歩させながら、途中でいつも一休みする小さな公園がある。土曜日の朝のことだ。そこにある砂場で、小さな子供たちが4、5人、砂遊びに興じていた。そばでそれを見ていた若いお母さん(20代半ば)の一人が、隣にいた同じく若いお母さんに、「うちの子は顔見知りをするんで困っちゃうんですよ」と言った。言われた方は、「あ、そう。うちの子もそうね、ちょっとそんなとこがあるみたい」と応えた。二人の意思疎通はちゃんと出来ているようだった。揚げ足取りの私は、心の中で、「若いお母さん、それを言うなら『人見知り』でしょう?」と言いながら、その公園をあとにした。数はそう多くはないが、この誤用例をGoogleに拾うことができる。

顔みしりをするようになったのは、子どもが成長した証拠ですね。
●極度な顔みしりをする松野隆二くん。無口でボソボソとものを言うひと。
●興味がある方は・・遠慮なく・・お申し出くださ〜〜い でも・・顔みしりをするらしいので・・ゆっくり近寄らないと・・魚が・・大暴れするんですって・
●小さな子供って話しかけたりしても顔みしりする子だったら親の影に隠れたり 目線はこっちを向いていても何も返事しないでじ〜っと見ている事ってありますよね

昨年の今日、妻は歩けなくなった。

rose red昨年の今日6月12日は、私にとっては忘れられない日だ。その日から1週間前に、我が子たちに連れられて小田原・熱海方面に旅行に出かけていた妻は、帰宅した翌日から高熱を発し、大量の汗をかき、胸の痛みを訴え出した。
 夕方、妻は左側の股関節が痛み出し、歩けないほどになった。本人は、ちょっと無理をした動きをした際に股関節を痛めたのだと思うと言った。私もそう信じたかった。トイレには息子が背負って行ってくれたが、相当な痛みで、見ていてほんとうに可哀想だった。

 その日から妻は坂道を下るように体調が悪くなり、股関節の激しい痛みに襲われ続けた。車椅子、介護ベッドの世話になるようになった。間違いなく「癌の転移」だった。不安が現実になることの恐怖を妻も家族の者も肌身で感じた。ただおろおろするばかりの私は何度我が子たちに叱咤されたことだろう。

 「車椅子生活になったお母さんを外に連れ出してくれて、恥ずかしくない?」 妻は娘にそう訊いたそうだ。「全然!」 そう明るく言いながら妻を八景島シーパラダイス、本牧三渓園等に連れ出してくれる娘や息子たちを見ていて、私は妻の子育ては最高のものだったと改めて誇りに思った。その後の妻の体調は悪化の一途を辿った。

 八景島シーパラダイス、本牧三渓園等で子供たちと撮った写真の中の妻を見ていると、私は妻が今にも私たちの元に帰って来てくれるような、そんな錯覚に陥る。「ただ今、遅くなりました。これから急いで夕食の支度をしますね。」「お帰り、どう、今日は楽しかった?」、「うん、とっても。
 そんな何気ない会話がどれほど有り難く、尊いものか、人はそれを永遠に失わない限り、本当には分からないのかも知れない。

 妻が逝ってから9カ月、私の喪失感や寂寥感は全く癒えないのだが、同僚の某教授は、「それは山岸さんが恵まれ過ぎた結婚生活を送っていたからだよ。」と評した。私自身、強くそう思っている。

「できなくなること」と「できなること」

私の担当学生の一人、某君は、…に参加ができなることを」、「…の利用ができなることを」、「…に書き込みができなること」というように、「…ができなることを」という言い方を愛用する。最初わたしは、それを、「…ができなくなることを」と書こうとして、「なく」を落としたものだと思っていた。ところが、その後も、この語法を使い続けている。


 こういう時は玉石混交の文章をいつでも参照できるGoogleに掛けてみるのが一番だ。そこで、早速、「ができなることを」を例に検索に掛けてみた。ヒット数何と123,000件!(末尾の「を」をはずすと約145,000件!) 第1例は知的財産権に関する文章、第2例は給水装置工事申込書という正式文書の中に、それぞれ出てくる(下記第1、第2例)。
 私にとっていちばん馴染みのある「ができなくなることを」で検索すると、ヒット数は522,000件(末尾の「を」をはずすと約664,000件)と、「ができなることを」の4倍以上になるが、「ができなることを」の多さにはいささか驚いた。
 

馴染みのない「…ができなることを」の実例

●権利が「消尽する」とは、正当権利者が第三者に対する権利行使をすることができなることをいいます。

●直結増圧式給水は、受水槽と異なり貯水機能がないため、排水支管の断水、緊急時等において水の使用ができなることを承知します。

●立派な治療薬があることを多くの愛犬家が知ると、いわゆる予防薬(ほんとは駆虫剤)が売れなくなって儲けることができなることを恐れているからですよ。 ...

●コメント欄で、青色申告控除65万円を受けることができなることを知り、税務署で確認。 

 

馴染みのある「…ができなくなることを」の実例

SBI証券ログインNGタイムリーに株取引ができなくなることを憂慮して投稿いたしました。

●あらかじめ通信ができなくなることを知らせてからファームウェアのアップデートを実行してください。 ...

配偶者の同意なく新たな借り入れができなくなることを知っていますか?

●金融市場では、企業や国などが、債務を返済することができなくなることをデフォルト・リスクといいます。

「一兵卒」と政治家・小沢一郎氏

今朝の朝日新聞の記事によると、小沢一郎・前民主党幹事長は、「私自身は一兵卒として微力を尽くしたい」と言ったそうだ。「一兵卒」…。何度も書くのは気が引けるが、どうしてこうも我が国の政治家たちは、自分に言及するのに、時代錯誤的な軍隊用語を好んで使用するのだろう。確かに小沢氏は、「影の将軍」と表現されたり、(中国の後漢末の武将で政治家の)曹操になぞらえられたりするが、だからと言って、いまどき「一兵卒」もないものだ。本ブログで多くの実例を挙げて来たが、現代の我が国の政治家の頭の中は戦国時代から第二次大戦あたりのそれではないのかと皮肉りたくなる。

 

 「そう目くじらを立てなくとも…」という声もあろうかと思うが、良い政治の一大条件は、政治家たちが、国民の「腑に落ちる」明瞭・明確な言葉を駆使することだと信じる者として、私はこうした時代錯誤的な軍隊用語は厳に慎むべきだと思っている。第一、わが国は戦争を放棄している国であり、そのことを憲法に明記しているのだ。そうである以上、「一兵卒」という語を使用してよいという積極的理由は見当たらないだろう。

 「幹事長を辞任した今、私は民主党員の一人として、国民の幸せのために、また、党の更なる発展のために、微力の限りを尽くしたい」と言うのであればよく腑に落ちる…。

  

 そう言えば、菅新総理は幕末の尊王攘夷志士として活躍し、奇兵隊を創設した高杉晋作(長州・山口県)を尊敬しているらしく、菅内閣を「奇兵隊内閣と呼んでいただきたい」と言った。私としては、あまり巧みはなぞらえ方だとは思わないが…。

【後刻記】いつも不思議に思うのだ、我が国の政治家たちがこうした時代錯誤的な言葉を用いることに、左翼系新聞はなぜ言及しないのだろう…。小沢氏に言及した朝日新聞の記事の中に、「辞任を主導したのは小沢氏自身であることを示唆した」と書いてあるが、こういうことを「〜」と表現することにも、わたしは違和感を覚える。

政治家の日本語に思う…

imageその後も新閣僚諸氏の日本語に耳を傾けている。やはり、気になる…。いわく、「…をお示しさせていただきたいと思います」、いわく、「…をお約束させていただきたいと思いますが、よろしいでしょうか」、いわく、「…にできるだけ多く回らせていただきたいと思います」…  こんな回りくどい言い方をする必要がどこにあるのか。国民の負託に応えることを責務とする政治家であれば、…させていただきたいと思いますなどといった、どこか国民に媚びているような感じのする言い方をしなくてよい。

  「…をお見せします」、「…をお約束します」、「…にできるだけ多く回ります」と言うか、さらに簡潔に「…を見て下さい」、「…を約束します」、「…に必ず回ります」と歯切れよく言ってもらいたい。そのほうが信頼に値すると思うし安心もできる信念と実行力に裏打ちされた政治家だと自認できるのなら、もっと明瞭、明確な物言いをすべきだ歯切れ悪く「…と思います」を愛用していた元首相は早々と退場したではないか。新首相には同じ轍を踏まないでもらいたい…。政治家の言葉は政治家の思想の表れである。書きながら、Boytzwnburg 伯爵の次の言葉を思い出した。

The government must always be a step ahead of the popular movement.
    (政府は民間の機運より一歩を進んでおらざるべからず) 

まさに名言だ。

時代錯誤的比喩で未来を語ることなかれ…

菅直人氏が予想どおり新首相に選ばれた。氏は私と同じ山口県宇部市の生まれで、私より2歳年下だから、同じ頃、宇部の空気を吸っていたことになる。これで山口県出身の首相は9人だ(伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤榮作、安倍普三、菅直人)。
 今日の朝日新聞の「天声人語」欄は、その菅氏に言及して、「深手を負う民主党の浮沈が双肩にかかる」と書いていた。それはそれでよい。問題は、同欄の末尾だ。そこには次のようにある。

言葉を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと徳富蘆花(ろか)は言った。火薬がなければ弾は通らない、つまり相手に届かないと。「国民が聞く耳を持たなくなった」と嘆いた鳩山首相には火薬は尽きていた。有言実行で言葉の重みを取りもどすことが、まず船出の仕事になる。

 この文章を読んで、「何と時代錯誤的な比喩を…」と思った。私が天の邪鬼的人間だからか、そういう事が大いに気になる。火薬と弾丸の存在理由は何か。それが相手に「届く」とはどんな意味か。鳩山“元”首相には「弾丸が尽きていた」と形容しなくてはならない理由は何か。一方でそういう比喩を用いていながら、他方で「言葉の重みを取り戻すことが」云々と書いているところが何とも皮肉だ…。

 ついでに言えば、鳩山退陣かという声が聞こえて来始めてから、意識的に政治家やメスメディアの発言に耳をそばだててきたが、相も変わらず「首にする」、「首を切る」、「首をはねる」、「腹切り[切腹]もの」などと大時代的なことを言っている。そういう時代錯誤的を表現を交えながら「未来」を語るのはもう止しにすべきだ。いつも言うように、「言葉とは心が衣装をまとったもの」なのだから…。

「カード、お渡しましたか?」

card今朝はまたまた(「たまたま」ではない)、興味深い日本語表現を聞いた。いつも利用している浦安のガソリンスタンドまで行くには残量があやしかったので、うちの近所のガソリンスタンドに立ち寄った。帰り際、二十歳前後の若い男子店員が、「カード、お渡しましたか?」と言った。「えっ…?」「お客さんのカードです。」

「ああ、カードね。返してもらいましたよ。どうもありがとう。」

お渡しましたか?」とは珍しい言い方だ。多分、その店員は「渡しましたか?」と考えて、それに接頭辞の「」を付けて、丁寧に言ったつもりなのだろう。「お渡しましたか?」なら受容度は上がるが、個人的には、「カードをお返しましたか?」(「お返しましたか」ではない…)という言い方のほうが好きだ。何だか日本語の将来が心配になってきた……。

磨かねばダイヤモンドも光なし

すでに本ブログで何度も書いたように、私は私のゼミに所属する学生諸君の英語と日本語の面倒をみている。前者の場合はその大部分を教室で行うのだが、後者の場合はそのほとんどを山岸ゼミ専用掲示板で行っている。そこでは20数名のゼミ生・特修生諸君が「切磋琢磨」と「自己研鑽」に励んでいる。だが、毎日毎日、不思議な日本語が続出する。最近の例を挙げる。どこがどう問題になるのか、私の解答を示さないので、読者諸氏で指摘してみていただきたい。

 

就職先がお決まりしたことをお知らせくださり、ありがとうございます。そして、まことにおめでとうございます。


特修生からのご返信を待っているだけではなく、他のゼミ生のスレッドにも気を配り、指示を待っているだけの人間になりませんように思惟したのち、積極的に行動して参ります。 

 

>わたくしは、「思惟」・「生兵法は怪我のもと」という言葉を存じておりませんでした。なので、自分自身でも辞書で調べてノートに書き留めておきました。

 

>わたくしは追記にお書き込みくださった「克己心」という言葉を存じ上げておりませんでした。


 こうした不思議な日本語を、その問題点と共に指摘し、改良案を示す。私は英語教師であるから、ここまでやる必要はないのかも知れないが、こういう日本語を書く諸君(日本人)が「翻訳・通訳コース」にいる以上、まず諸君の足元を照らしてやらねばならない。結構疲れる作業だ…。

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