2011年04月

今日はプリルの9歳の誕生日です。

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 【我が家に来た頃】               【母になった頃】                  【今朝のプリル】

平成14年(2002年)4月29日、プリルは生まれた。今日で満9歳になる。生まれて1カ月半の時に我が家の一員となり、1年
7カ月後、 先に我が家の一員になっていたハッピー(平成13「2001]年7月27日生まれ)と“結ばれて”、マロンとネロ(平成
15年[2003]11月14日生まれ)の母となった。それからのプリルは“妻”として“母”として、貫禄が増し、その“座”は不動の
ものになった。子供たちは母親であるプリルには一目も二目も置いている。偉いものだ。 

 人間と同じく、生まれた時からの性格がある。プリルはこれまでに、一度も“問題”を起こしたことがない。いつも穏やかで、
心優しく、文句の付けようがなかったし、今もない。私たち家族の者はプリルにどれだけ和まされ、励まされて来たことだろう。

 今夜はプリルの9歳の誕生日を祝って、プリルの好きな肉をたっぷりと用意してやろうと思う。プリル、病気1つしないで今
日まで来られたね。9歳の誕生日、おめでとう。

他人の申し出を辞退するのは難しい…

v東日本の某県の防災担当者が、今朝の某テレビ番組で、「ボランティアの方たちの多くがクルマで来られるのですが、その駐車スペースの確保が難しく、したがって、現時点では、そういう方たちのボランティア活動の申し出は受け付けておりません。」 と言っていた。

 個人的趣味から言うと、この「(…の申し出は受け付けておりません」という表現には少々抵抗を覚える。“お役所的”と言うか、“上から目線”と言うか、どうにも冷たい感じする。もっとはっきり言うなら、《無償の奉仕活動》など、他人の申し出》を辞退するときの言葉としては適当ではないように思う。「受け付けかねます」のような言い方も同様だ。

 そういう場合、私ならどう言うだろうかと考えてみた。たぶん、同じ断定的にものを言うにしても、私なら、「…のような事情で、まことに申し訳ありませんがボランティアの皆さまの折角のご芳志 [ご厚志] をお断りしております。」と言うだろう。「お断りしております」の部分は、昨今はやりの言い方をすれば「お断りさせていただいております」となるだろう…。

 相手の善意に対して応答の仕方を間違えると、相手を落胆させたり、不快にしたりするだろう。場合によっては、相手の反発を招くかも知れない。付言しておくが、上記のような言い方を全面否定しているわけではない。あくまでも、個人的には、それに対して少々抵抗を覚えるというだけのことである。

「YESTERDAY【昨日】」の定義

次に、Y項のYESTERDAY【昨日】 」の冒頭の訳文が気になった。

青春の幼年期、青年の青春期、老年の過去の全期間。

 「青春の幼年期」? 「青年の青春期」? まずこの日本語に引っ掛かった。原文は、

The infancy of youth, the youth of manhood, the entire past of age.

となっている。日本語の問題だが、訳者(たち)のものでは何のことか分からない。

またまた妻の夢を見た。

f三日前と今朝と、妻の夢を見た。三日前の夢に現れた妻は、結婚後間もない頃の妻で、ラメ加工を施したベルベットのワンピースを着ていた。妻愛用の紅赤のものだった。短い夢だったらしく、その姿はすぐに消えた。最後まで無言だった。

 今朝見た夢には、妻と妻の母とが出て来た。妻の母はまだ40代半ばに思えた。着物姿だった。妻は中学生か高校生で、病身をベッドに横たえて、母親から髪を三つ編に結ってもらっていた(妻が病気で長期入院したのは、実際には小学生の頃)。どんな会話をしていたのだろう、小さな声で何かを話していた。夢はそれで終わった。  

 以前にも書いたことだが、私は就寝時には必ず、妻の遺影に向かって、「夢でまた会おうね。」と言い、その実現を強く念じる。一種の自己暗示と言えるだろうが、思い通りのことが起きてくれている点では、効果的だと言ってよいだろう。

クルマのタイヤがパンクした…

tire今朝、7時半頃、クルマを磨いておこうと思い立ち、表に出て、右後ろのタイヤがペチャンコになっているのを発見した。明日(25日)も通勤に使わなければならないので、今日中に何とかしなければならない。そこでJAFに電話を掛けて応急処置を頼んだところ、1時間ほどして若い、感じのいい男性が一人来てくれ、パンクしたタイヤに手際良く応急処置を施してくれた。直径2.5センチほどのドリルの先のような金属片が刺さっていた。多分、液状化現状の激しかった浦安市内を走った時か、首都高湾岸線を走った時に“拾ったもの”だろう。

 10時頃、応急処置で“自走”が可能になったので、近所のオートバックスに出向いたのだが、私のクルマに合うタイヤの在庫がないということで、関連会社から取り寄せてもらわなければならなかった。クルマの駆動バランスを保つために、後輪2本を一時に交換することにした(前回は前輪、後輪の4本を一昨年の暮れに交換した)。

 近所のファミリーレストランで昼食を済ませた頃には、作業は終了していたので、その足で、再びオートバックスへ行き、クルマを取って来た。今のクルマに乗り換えて、6年近く経つが、この種のパンクは初めてのことだった。

 日常的に高速道路を走っていると、ほんの時たまだが、“バースト”を起こしたクルマを見掛けることがある。そういう現場を見ると、“ゾッとする”のはもちろんだが、タイヤへの普段からの気遣いも大切だと痛感させられる。走行中のパンクでなかったのが不幸中の幸いだ…。

人間が出来ていないなぁ〜。

最近、NHKを含め、テレビ・ラジオ番組に出る若手のアナウンサーたちの日本語に違和感を抱くことが多くなった(もちろん、皆が皆そうだと言うつもりはない)。
 たとえばスタジオでのインタビューの際に、ゲストに向かって発する彼らの日本語の末尾に少なからず、そうした感じを抱く。以下のような言い方だ。

1.お便りをいただいたんですよぉ
2.それがなかなかできないんですよぉ
3.前々からお聞きしてみたかったんですよぉ

4.それじゃあ、ダメなんですかねぇ
5.みなさん、どう言っているんですかねぇ
6.じゃあ、そういう場合、どうすりゃあいいんですかねぇ

7.みなさん、困っているんですよねーぇ
8.そんなことはあり得ないですよねーぇ
9.そういう場合も考えられるんですよねーぇ

10.ああ、そうなんですかぁ
11.それで、どうなんですかぁ
12.こんなんじゃあだめなんですかぁ

 観察していr3ると、こうした言い方をするアナウンサーのほとんどは20代から30代の若手だ。相手の職業・社会的地位など、いっさいお構いなしに、そうした表現でインタビューをしている姿に、私など、何とも言えない居心地の悪さを覚え、時には消え入りたくなる。特に、1.〜6.のような言い方にそう思うことが多い。「親しさ」と「馴れ馴れしさ」との区別が付かない人たちが少なくないようだ。

 “偉いなあ!”といつも感心させられるのは、私と同世代の著名なゲスト諸氏が、そうした若手のアナウンサーたちのインタビューに、顔色一つ変えないで、冷静に対応しておられることだ。私など、それを見ていて、いつも“心穏やかならざるもの”を感じてしまう。“冷や冷や”させられることもある。たぶん“(いい年をして人間ができていない”証拠なのだろう…。

【付記】上記のような言い方が悪いと言っているのではなく、誰彼かまわずにそういう言い方をすること、換言すれば、「言葉のTPO」を弁えていない(らしい)ことに違和感を覚えると言っているのだ。

「うち」ほど危険な場所はない…?

house災害対策基本法とやらに基づいて一方的に「警戒区域」に設定された区域内のある男性が言っていた。「ある日、突然、自分のうちに行く道を封鎖され、自分のうちに近付いたり、そこに入ったり、物を持ち出したりすることを禁じられるなんて、どう考えても理不尽だ。」と。全く、その通りだ。一時帰宅さえ認められない、福島第一原発から3キロ圏内に住む人たちは、なお更、やるせ無い思いや、やり場のない怒りに苛まれていることだろう。

 ところで、その「うち」で思い出したのだが、英語には“as safe as houses”という慣用句がある。文字どおりには「うちのように安全な」ということで、普通は「この上なく安全な」(completely safe)という意味で使われる。その場合のhouseは「(自然の力、特に暴風雨からの避難所(shelter)」という意味だと思われる。だが、福島第一原発の大事故以来、その周辺住民にとって、「うち」は「この上なく危険な」場所となってしまった。まさに、“as unsafe as houses”というところだ。

付記:ここや、ここ、それにここらあたりの記事を読むと、今回の大事故の責任の所在がよく分かるだろう。

「だなたか」(=どなたか)のこと

ある人のブログを読んでいた時、「だなたかご存じの方」という表現が目についた。「だなた」は「どなたか」の誤記だろうと思ったが、ちょっと興味をひかれて、Google検索に掛けてみた。あるある! けっこうな数がヒットする。10例だけ挙げておく。

1.だなたかご存じないですか?
2.だなたかご存じないでしょうか?
3.だなたかご存じ のかたは教えてください。 
4.だなたかご存じのかたいましたら、教えてください。 お願いいたします。 ...
5.現実的に、植えるのは多分無理だろうと思いますが、 どういった品種のものがいいのかだなたかご存じないでしょうか・・・?
6.どこのだなたか知らないけれど・・・ありがとう
7.不動産の事での質問です。 だなたか助けて下さい。
8.ニノは芝居してる感じがないと だなたかに褒められてました。 ホント
9.上記URLのHID(8000ケルビン)(HI/LO)対応を格安にてだなたかにお譲りします。
10.今後の希望としては、だなたかに、関西のダムにて手ほどきを受けさせてもらい、 ダムの1枚を、尺三のたもですくってみたいです。

 これが単なるタイプミスによるものか、それとも「どなたか」を「だなたか」と誤解して“真面目に”使っているのか分からないが、同じ人の書いた文章の中に、「だなたか」と「どなたか」が共存する場合は前者である可能性が高い。それに対して、同じ文章の中に「だなたか」が複数回出て来る場合は後者の可能性も否定できない。だなたか(もとい、どなたか)この語法の実態をご存じないだろうか。

TIさんからの手紙

fl昨夕、帰宅すると、テーブルの上に私宛の封書が一通置いてあった。差出人の名前の隣に「小夜子さん同級生」と書いてあった。中を読んで、高校時代の3年間、妻がJRC(青少年赤十字活動)でご一緒したTIさんだと分かった。

 高校時代のTIさんと妻とが写った写真が1葉、同封してあった。そこには溌剌とした、若き日の妻がいた。たまたまつけてあったテレビ(「被災地に届けたい今聴きたい曲」)の画面には、カッチーニの「アヴェ・マリア」を弾くヴァイオリニスト・寺井尚子さんの姿が映っていた。美しいその曲を聴きながら、写真の中の笑顔の妻を見ているうちに、私は不覚にも落涙してしまった。無性に妻が恋しかった。

 KIさん(同じく妻が親しくしていただいていた人で、TIさんとは幼馴染み)からは、「小夜子さんのことはご主人が、ブログに詳しく書いていらっしゃるから、読んでみて。」と、一読を勧められた由。TIさんはご子息に頼んでパソコン画面に私のこのブログを映し出してもらわれたそうだ。「感動で胸を熱い思いが続きました。」と書いてあった。青春の日々を共に過ごした人だけに分かる「熱い思い」だと思う。


 お手紙には、また、高校時代の妻の様子・人柄、英語の授業では妻の発音が美しかったことなどが書かれてあった。来年の同期会では、私のこと、このブログに書いた妻のことを同期生に話しますとも言っておられた。手紙は「小夜子さんの分までがんばって生きて行きたいと思います。」と結んであった。妻も、仲良しだったTIさんが、自分の分まで長生きをなさり、買い物や旅行を楽しまれることを願っているだろう。

 そのTIさんには、今朝、ご返事を差し上げた。偶然だが、TIさんに私のブログを読めるようにセッティングなさったご子息は、私が勤務する大学の卒業生だそうだ。妻に関わってくださったお一人お一人がいつまでもお幸せでありますようにと心から祈らずにはいられなかった。

「WAR【戦争】」の定義

続いて、「WAR【戦争】」の定義の冒頭にある次の訳文が気になった。

平和という作為の副産物。

 「平和という作為」の原文は?

A by-product of the arts of peace.

 である。この場合の artsは「作為」という訳語では不十分だろう。

ドナルド・キーンさんのこと

f8日本文学者でコロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさん(Donald Lawrence Keene; 1922- ) が日本国籍を取得した上で、日本に永住なさるそうだ。キーンさんは、「私は、『日本』という女性と結婚した。今回の震災で日本の誰もが犠牲者だと思うが、日本人は、大変優秀な国民だ。今は大きな打撃を受けているが、未来は、以前よりも立派になると信じている。」と、この上ないエールを日本と日本人に送ってくださっている。東日本大震災を機に、日本を退去する外国人が多い中で、キーンさんの決意は“希少価値”と形容できるものだろう。

 キーンさんには、1991年、 『ニューアンカー和英辞典』(学習研究社)を刊行した際、同書への推薦の辞をいただいた。私の和英辞典編纂論の核心を理解し、その例として「いじらしい」の解説を挙げてくださったことが、まことに嬉しかった。あれからちょうど20年、もうすぐ卒寿を迎えられるキーンさんのご健康とご多幸とをお祈りすると共に、今後も日本文学・文化の海外への良き紹介者・解説者としてご活躍くださることをお願いする。

【追記】同和英辞典に推薦の辞を寄せて下さったほかの御二方(小川邦彦・山梨大学教授、三宅鴻・法政大学教授)はすでに鬼籍に入っておられる。まるで昨日のことのようだ。合掌。

「レシート、ご利用しますか」という日本語

cashierコンビニやスーパーのレジで、最近、よく聞くようになった日本語表現、「レシート、ご利用しますか。」…。 つい先日も近所のスーパーのレジでそれを耳にした。何が言いたいのかは分かるが、私には不自然な日本語に感じられる。「ご〜する」は他人の行為ではなく、自分の行為について言う時の形式だ(例:「ご案内する」、「ご一緒する」)という点は、今は脇に置いておくとして、“天の邪鬼”としては、「レシートをもらったら、何に利用できるの? 折り紙にするには形が悪いし、鼻紙にするには小さ過ぎるし…」と、ちょっと意地悪を言ってみたくなる…。
 
 レジでの精算が済めば、レジ係は客に向かって、「ありがとうございました。」と言いながら、レシートをその客に渡せばよいだけだが、どうしても何かを言うというのであれば、私なら、「レシートはお持ちになりますか。」と言うだろう。またもし、不自然を承知で「利用」という語を使うとすれば、「レシートはご利用なさいますか。」あるいは「レシートはご利用になりますか。」と言うだろう。

【後刻記】過去に類似の指摘をしていた。(こちら

妻宛ての死亡通知はがき

fある方から、私の“妻宛て”に死亡通知はがきが届いた。それを下さった方の御母上が、私の妻の高校時代の恩師(O先生)で、卒業後も暑中見舞いや年賀状を通じて、近況報告をさせていただいていたようだった。妻が他界した際、O先生にもその旨をお知らせしたような気もするが、あるいはそれは私の記憶違いかも知れない。

 そのご子息が、先々月初旬、電話への応答がないことを不審に思われ、実家を訪れて、すでに息を引き取っておられたO先生を発見なさったそうだ(享年78歳)。O先生は一昨年、お連れ合いを亡くされたとのことで、いただいたおはがきには、「父と母は連れ添って51年、本当に仲の良い夫婦でした。今となっては、父が寂しがって母を呼び寄せたように思えてならないのです。」と書かれてあった。仲の良い夫婦の場合、どちらかが亡くなると、あとを追うように、もう片方が亡くなるとはよく聞く話だ。“仲の良い夫婦”という点では、私たち夫婦は人後に落ちないつもりだが、私には今のところ、まだ“お迎え”はない…。

 「いつも私が訪ねてくるのを楽しみにしてくれ、泊りに行けば、昔のままに甘えさせてもらい、心からくつろがせてくれました。こんなに近くに住んでいながら、もっと頻繁に顔を見せていれば、こんなことにはならなかったかと思うと、誠に残念でなりません。」 そう書かれたご子息のお気持ちが、今の私には痛いほどよく分かる。

 今朝、ご返事を差し上げ、心からのお悔やみを申し上げると共に、O先生の教え子であった妻が、恩師よりも先に他界したことをお伝えした。もしかしたら、“あの世”とやらで、先に逝った私の妻と再会を果たしておられ、昔話に花を咲かせておられるかも知れない。まことに、諸行無常、会者定離を思わずにはいられない。合掌。

横浜・三渓園の桜 (Cherry Blossoms in Sankei-En)

Sakura3

いざや
いざや

Now's the time.
Now's the time.


sakua

見にゆかん
Let's gaze on them.

Sakura2

2011 [平成23] 年4月8日撮影(曇り)

“a bastard from a basket”のこと

今日の昼、テレビで「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」と題したアメリカ映画を放映していた。あとで調べたところでは、原題はThere Will Be Blood.だった。最近は原題をそのままカタカナ書きにしたものが多くなったが、いかにも“芸”のないやり方に思える。

 観始めて間もなく映画が終わったところから推して、私が観たのは、ほぼ最後の部分だろう。主人公が、自分の意に反した行動をとる息子に向かい、You're a bastard from a basket!”と叫ぶ。その時の字幕は「(お前はかごに入れられていた)ろくでなしだ!」となっていた(カッコ内の日本語訳は正確には覚えていないので、その内容だけを書いておく)。

 結論から言うと、この場合の bastard を「ろくでなし」と訳すのは不正確だろう。なぜなら、この場合のbastard は、映画の時代背景(20世紀初頭)からして明らかに「私生児[私生子]」(法律上の婚姻関係にない男女間に生まれた子)の意で用いられており、“孤児”や“養子”などを侮って言う時の語だ。したがって、単なる「ろくでなし」ではないはずだ。

【後刻記】インターネットで検索を試みると、“a bastard from a basket”の部分に相当する日本語として、「かごの中のロクデナシ」、「(カゴに入ってた)孤児のロクデナシ」が挙がり、その数は前者のほうが多く、後者は見たところ1例だけだが、字幕の訳語が後者だったなら、翻訳としては一応意味を成す。後日、機会を見つけて、その箇所を確認してみよう(正確なところをご存じの方は、教えてくださらないだろうか)。

ルーマニアの友人へのメッセージ (God bless Romania.)


以下の文章は、東日本大震災の被災者支援のために、ルーマニアのメゾソプラノ歌手 ラヴィニア・ボクゥ (Lavinia Bocu)さんが、近々予定しておられる音楽イヴェントに対して、4月4日付けで私が寄せたメッセージです。
山岸勝榮

                        
Towards Stronger Friendship between Romania and Japan
                         
 ―And Praying for the people in the Eastern Part of Japan
                                                                                                                                                         4 April, 2011 
                                                                                                                                               

On 11 March 2011, a 9.0 magnitude earthquake, the strongest earthquake ever recorded in Japan, struck and rocked the eastern part of the country and the earthquake-triggered tsunami devastated the whole district. Tens of thousands of people were killed, and tens of thousands of houses were washed away. To make matters worse, the Fukushima No. 1 Nuclear Power Plant suffered major damage from the earthquake and subsequent tsunami. It is a terrible tragedy that an entire community has to evacuate in the wake of the world's largest nuclear disaster since the Chernobyl nuclear accident.


 
Japanese Government and Japanese people who suffered no damage from the mega-quake and tsunami are doing their best to help the people in the disaster areas. Also many thousands of Japanese citizens are working as volunteers, and many people are collecting relief supplies for and sending them to the victims.

 Many emergency rescue teams from countries near and far have come to rescue or help the victimized people and innumerable people from the rest of the world are sending Japan their messages of sympathy and support. As a Japanese person, I thank them all from the bottom of my heart.

    I live in Yokohama City, which is far enough away from the quake-stricken district and so I suffered no particular damage. However, Urayasu City, where my university is located, was badly damaged by the soil liquefaction since the area was developed on  reclaimed land. Inside of my university office was a terrible scene! 

 
Lavinia Bocu, my best Romanian friend, e-mailed me recently and told me that she was going to have an event for deepening friendship between Romania and Japan and helping Japan's victimized people. I'm very glad to learn of this and am very much honored to write this letter to all of you who are concerned about Japan.

 
The Bible says: "
The godly may trip seven times, but they will get up again. But one disaster is enough to overthrow the wicked."(Proverbs 24:16)  All the victimized people in eastern Japan were and are righteous people, so I firmly believe that the district will surely rise again from zero like a phoenix, no matter how long it will take.
 Thank you very much again for your friendship and thoughtfulness.                                                          
God bless Romania.

Prof. Dr. Katsuei Yamagishi
Department of Foreign Languages, Meikai University 
Meikai Graduate School of Applied Linguistics                                                                                                               

世が世なら、時代が時代なら…

昨日、「講書始」の場での仙谷由人・元官房長官(現・官房副長官)の居眠りに言及したが、それで思い出したことがある。1934年(昭和 9年)11月 16 日、群馬県桐生市への天皇行幸の際に起きた群馬県警察部・本田重平警部による「御料車誤導事件」だ。詳細はこちらを読んでいただくとして、実害は無かったにも拘わらず、御料車を誤導したというだけで、担当警部が自決をもって(幸いなことに未遂で終わりはしたが)責任を取るというようなことが当り前に思われていた時代もあったのだ。
  仙石という御仁の行為など、そんな時代なら「万死に値する」ものだと言えるだろう。最低でも、“暫く恐懼すべし”の沙汰が下るはずだ(御仁には馴染みのない表現だろう…)
 いくら時代が変わり、天皇が“人間宣言”をなさったとは言え、天皇は憲法に記されているように、我が国の「象徴」であり「主権の存する日本国民の総意に基く」ものだ。だから、その象徴に対して、仙石氏は官房長官(当時)として、しかるべき態度でのぞまねばならなかったのだ。そんなことも理解できず、実行できないような御仁を要職に就けたのはいったい誰かと言っても、任命権者も五十歩百歩の御仁だったが…。

【付記1】計画停電が病院や交通機関に与える影響について、この御仁、東京電力に問い合わせた際、自分への対応が悪いということで、「どういうことだ。俺を誰だと思っているんだ。」と息巻いたそうだ(こちら参照)。「俺を誰だと思っているんだ」などという前時代的な言葉を口にする時点で、この御仁は“社会の鑑”としては失格だろう。本当に立派な人はそんなことを口にはしない…。

【付記2】今朝の朝日新聞の広告に、「週刊新潮」誌(4月14日号)のものがあって、その主要記事の1つの文句が私の注意を引いた。曰く、「両陛下『お見舞い』に胡座で応じた避難者に誰か礼儀を」…。「胡座」(こざ)とは、要するに“あぐら”のことだ。嗚呼!

道を憂ひて貧を憂ひず。― 孔子

休眠中の怒りが目を覚ました!

本ブログで以前、「菅政権は悪夢か…」と題した記事を何回か書き()、仙谷由人・元官房長官にも触れた。先ほど、大学の研究室で、暇に飽かせて、ネットサーフインをしながら、この御仁に関する記事をあれこれ読んでいた。この御仁が、場所柄も弁えず、本年正月の「講書始の儀」の際に居眠りをしていたことは、某週刊誌を通じて知ってはいたが、その時の様子を物語る何枚もの写真をこちらのブログで見せてもらって、正直なところ、“休眠”していた「怒り」が再び頭をもたげて来た。こんな非礼・不敬な行為が何の“お咎めもなく”葬られ、忘れられていく、今日の異常な日本に、言い知れぬ悲憤を覚える。

 同ブログの主宰者の言われるとおり、「これが自民党議員だったら、ボコボコに叩かれて、既に議員辞職の表明にまで至ってる気がしないでもない。マスゴミは、本当に民主党に優しいなぁ。。。。」である。

 私は菅内閣ができた時から言い続けている。こんな御仁たちが我が国の舵取りに関係している間は、我が国は健全な国家とは言い難い。「不敬罪」がないのが、せめてもの救いである。いや、ひょっとすると、御仁の一連の非礼・不敬な言動は“意図的”なものかも知れない。そうであれば、民主党(政権)議員たちの“異常な言動”が全て腑に落ちる…。

いい話、嫌な話

昨夕の朝日新聞に、「持ち主待つ金庫の山 岩手の警察署に持ち込み続々」と出した記事が掲載されていた(こちらAsahi.comでも読める)。岩手県の海沿いの警察署に持ち込まれた金庫が、大小合わせて約200個もあるという。大半は救援活動を行っている自衛隊が持ち込んだものだそうだが、個人が運び込む場合もある。41日には瓦礫の中から見つけた金庫を一人の男性(会社社長、54歳)が自分のワゴン車で運んで来た。「なくした人がかわいそうだと思って。」という同氏の言葉がいい。所有者の無事が確認され、1つでも多くの金庫がその人(たち)の元に戻ることを願わずにはいられない。

 いい話と言えば、こんな話もある。日本人男性と結婚した某国出身の女性、お姑さんが、「あんただけでも国に帰りなさい」と言ったところ、「おばあちゃんや家族を置いてなんか帰れない。みんなといっしょにいます。」と応えたという。お姑さんにはさぞや嬉しい応えだっただろう。

反対に嫌な話もある。たとえば、永住権を獲得したはずの某国出身の女性たちが、福島第一原発の影響が怖いと、日本人男性との間に生まれた子供たちを置き去りにして、自分だけ帰国しまっているそうだ。私の身近でも、日本人の妻を置き去りにして、自分だけ母国へ帰ってしまった外国人男性がいる。

 

いずれにせよ、今回の大地震はあまりにも大きな被害を、物心両面で、東日本の人々に残した。

2011年度入学式の朝、研究室にて

sakura今日は私が勤務する明海大学の入学式の日だ。東日本大震災の影響で、大学のある浦安市はとりわけ液状化現象に見舞われ、市内の至る所にその大きな爪痕が残っている。幸いなことに、我が大学は予定通り、式典を催すことが出来る。

 だが、今回の大震災で尊い命をなくした多くの方たち、一瞬にして全ての財産をなくした多くの方たち、着の身着のままで避難生活を余儀なくされている多くの方たちのことを思うと、自分の大学の晴れやかな式典とは言え、正直なところ、気分まで晴れやかとは言えない。

 例年なら、それなりの服装をして式典に臨むのだが、今年ばかりは、私の今の気分を反映する“平服”で出席することにした。そうした被災者の方たちの気持ちにほんの少しでも寄り添うことができれば…それが今の私の偽らざる微意である。

2011年度入学式の朝、研究室にて

 【後刻記】式典は黙祷で始まり、終始、穏やかなものだった。入学者数は1466名。

ルーマニアからの友情

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亡き妻の月命日である今日、ルーマニアのメゾソプラノ歌手ラヴィニア・ボクゥ(Lavinia Bocu)さんからメールが届いた。今回の東日本大震災で被害に遭われた多くの方々のために、少しでも役立ちたいと考え、近いうちに募金のためのイベントを催す予定、ついてはあなた(私)にルーマニアの人々に向けて何かメッセージを寄せてくれないだろうかと言って来た。クルージュ=ナポカ(Cluj-Napoca)にあるラジオ・テレビ局のコンサートホールが会場の予定だそうだ。著名人も賛助の予定だという。

 遠くルーマニアから寄せてくださる友情に感謝しつつ、私で良ければということで、近日中にメッセージを書いて送ることにした(私が英文で書いたものを、彼女がルーマニア語に翻訳して、聴衆に披露して下さるようだ;こちらの英文がそれ)。同時に、私から彼女に歌って欲しい日本の歌の1曲として「故郷(ふるさと)」を挙げておいた。その楽譜も同封するつもりだ。妻が生前、よく口ずさんでいた曲でもある。

Friendship is the greatest bond in the world. ― Jeremy Taylor
   友情は現世における最大の結紐なり―J. テイラー 

「起こるべくして起きた」福島第一原発事故

福島第一原発の事故は「起こるべくして起きた」ものだと、同原発6号機の建設や他の原子炉の改修などに関わった元技術者の宮地洋一さん(69)が、同原発の配管工事などの一部が杜撰な施工管理下で建設されていたことを明らかにして言った(詳しくはこちら)。

 「当時は、社内で原発の危険性を指摘しても聞き入れられず、会社を辞めて国に訴えても通じなかった。」、「原発は政治家や官僚、電力会社などによって推進され、国民は蚊帳の外。」と言う宮地さんは、79年に米・スリーマイル島の原発事故が起きたこともあって、80年に退社し、50歳を過ぎたころから反原発運動に取り組むようになったそうだ。いつの時代もバカを見、損をするのは一般庶民や、何も知らずに精一杯会社のために働いている社員たちや作業員たちなのだ。

 兎にも角にも、東電関係者のメディアでの説明ぶりや態度は納得のいかないものだった。勝俣恒久会長が先月30日に行った会見も、テレビ画面を見ている(少なくとも)私にはほとんど何も伝わって来なかった、まるで、他人が書いた作文を読み上げているような印象さえ抱いた。氏のように、精神的動揺を微塵も表に出さず、徹底的に“冷静に”対応できる人物でなければ、東電会長などという要職は務まらないのだろう。

 東電の幹部たちの“冷静”ぶりを見るにつけ、私が思い出すのは最後の山一証券社長・野澤正平氏のことだ。氏は97年に東京証券取引所で廃業のために記者会見を行なった。その時、氏は男泣きに泣きながら言った。「みんな私ら(経営陣)が悪いんであって、社員は悪くありませんから! どうか社員に応援をしてやってください。優秀な社員がたくさんいます、よろしくお願い申し上げます、私達が悪いんです。社員は悪くございません。」 そう言いながら、会社と社員たちをかばった。“日本的だ”と言われるかも知れないが、私が念頭に置く謝罪の一大形体はあのようなものだ。福島第一原発の事故現場でも、原子炉の安定のために被曝しながら作業を続けているのは、本来なら守られてしかるべき、名も無き作業員たちだ。勝俣氏が言った、「社会皆さまに大変なご不安、ご心配とご迷惑をおかけしておりますことに対し、心から深くお詫び申し上げます。」など、私には“謝罪もどき”の言葉にしか響かない。“ご迷惑”?? そんな程度のものではないだろう…。

 山一証券の直接的被害者と、福島第一原発の被害者とを比較して見た場合、問題の質、被害者数、被害地域、復旧に要する年月等の点で、両者はまるで比較にならない。そうである以上、東電幹部たちの謝罪会見はもっと異質のものになって当然だろう。“ご迷惑”な話などではないのだから…。

Cada uno es hijo de sus obras.―Cervantes
  各人みな己が業績の子なり―セルバンテス

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