2011年09月

リーナ・ザヴァローニ(Lena Zavaroni)のこと(続)

f昨日言及したリーナ・ザヴァローニ(Lena Zavaroni)のことだが、あのあとすぐに、熱心なリーナファンがリーナに捧げるHPを作成していることを知った(こちら)。一日としてリーナの歌を聴かない日はないという熱心はファンたちも混じる見事なHPだ。リーナの歌手活動のほとんどはそこに収められているようだ。

 リーナの死を悼む詩 (Farewell Dear Lena; A Poem by Nick) が感動的だ。A beautiful island maiden, so gentle, so pure / An angel like voice, in life's tuneful refrain という個所に深くうなづく。そんな天使のようなリーナを産んだ、スコットランド・ビュート島に機会があったら行ってみたいと思う。カテゴリー"Photo - Lena & The Family"には、幸せだった頃の家族写真が収められている。カテゴリー"Video - The Real Lena Zavaroni"には、リーナの父親・妹・いとこなどが、リーナの想い出と実像とを語っていて貴重だ。

 また、カテゴリー"Video - Various"には10歳の頃からのリーナを撮った動画が収められていて、これまた貴重だ。特に(上から3番目の動画)、来日した際、沢田研二と共演した時のものは“お宝”だ。同じく(上から4番目の動画)、渡米した際、著名なアメリカのテレビ番組Tonight Showに出演して、司会者(でコメディアンの) Johnny Carson と言葉を交わしている、スコットランド訛りのリーナも本当に可愛い。まさに天性の可愛さだ。また、カテゴリ"John Hannam Radio Interview"では、スコットランド訛りの英語を話す24歳の時のリーナの肉声が聞ける。その早世が惜しまれてならない。今は、ここ(St Peter Churchyard , Pipe and Lyde, Herefordshire, England.)に眠るそうだ。いつか訪れてみたい。

【後日記】こちらにLenaが最後に出た番組がある。また、こちらにMy Tribute to Ms Lena Zavaroniと題した頁がある。

リーナ・ザヴァローニ(Lena Zavaroni)のこと

車に乗っている時は、たいてい古き良き時代の曲や歌をUSBで流している。当然、カレン・カーペンターKaren Carpenter;1950 -83のもの多い。摂食障害(拒食症)が引き金となって、33歳に1か月足りない若さで亡くなったことは周知のとおり。彼女ほど、聞き取りやすい、明瞭な発音で歌を歌う、美しい声の女性歌手は少なかっただろう。

 摂食障害で死亡した女性歌手と言えば、私はカレン・カーペンター以外には、リーナ・ザヴァローニ(Lena Zavaroni; 1963-99)をすぐに思い出す(画像2枚目、3枚目に摂食障害に悩まされている頃のリーナが写っている)。リーナはスコットランドのビュート島生まれの歌手だった。ギターやアコーディオンを弾く父親、歌を歌う母親、両者の影響を受けて、2歳の頃から歌を歌ったと言われる。1974年、リーナが10歳5か月の時、有名なタレント・ショーのOpportunity Knocksに出演して、5週連続の優勝を果たし、一躍有名になった英国のアルバムチャートトップテン、BBCのTop of the Pops、両方でリーナの最年少記録はまだ塗り替えられていない。同年、リーナはハリウッドでFrank Sinatra や Lucille Ball ("I Love Lucy"で知られる)と共演し、後者に"You're special. Very special and very, very good." と言わせ、感嘆させている(これは前者が言った言葉だという人もいる)。

 その声、その歌い方、その身振り手振りは、やはり天才
のそれである例:The End of the World 10歳の頃; Ma, he's making eyes at me! 11歳の頃、その日本語版はこちらWhat a Wonderful World 12歳の頃;Smile 12,3歳の頃)If They Could See Me Nowを歌い踊るリーナを見ると、彼女が如何に才能豊かな少女だったかということを実感する。ちなみに、彼女はデビュー後、間もない頃だと思うが、来日して、沢田研二と共演したこともあった(沢田研二のそばで「この世の果てまで」を歌うリーナは本当に愛くるしい)。
  なお、リーナが尊敬し、憧れていたのは、ジェームズ・ボンドの007シリーズの主題歌(Goldfinger, Diamonds are forever, Moonraker)で有名なShirley Basseyだったようだ。

 だが、有名になり始めて間もなく、摂食障害(拒食症)と鬱病とに悩まされ始めた。周囲の世界が作る彼女のイメージに彼女自身を合わせなくてはならないという強迫観念にひどく苦しんだようだ。父母の離婚、母親の自殺等、天才歌手リーナ―には大きな不幸が続いた。1989年にコンピュータ関連会社で働く男性と結婚したが1年半で離婚。病状はますます悪化し、かつてのミリオネア―が、後年は生活保護を受けるほどになっていたという。体重は25キロまで落ちていたそうだ。しかも、ゼリー菓子わずか1袋を万引きした容疑で警察に捕まっている(後日、店側の告訴は取り下げられたようだ)。心の病いの為せる業だったのだろう。

 自分の病気は自分の脳の病気が原因で、これさえ良くなれば、また音楽の世界でも活躍できると信じたようだ(摂食障害は精神疾患の1つ)。
実際、ウエールズ大学附属病院で脳の手術もしてもらっている。だが結果的には、それは彼女の命を縮めただけだったようだ。享年36歳。動画IfThey Could See Me Nowの下に書き込まれたI think she was one of the greatest talents ever produced in the UK. I find it hard to believe no one could help her, what a waste of a young life!!というコメントに同感だ。

 人の人生とは分からない。カレン、リーナ、二人の歌手のように余りある才能を持ちながら、他人にはうかがい知ることのできない病いに悩まされ続け、まだまだこれからという時に、人生を終えなくてはならない人もいる。何とも痛ましい話だ。

【付記】こちらにもLena Zavaroniに関する動画や解説などがある。

「…ばと考えています[思います]」という言い方(2)

さらに、「…ばいいかなと考えています」というように、「」を挿入する場合もある。

※最初のうちから早産で・・・という話はしたくないので、親しくなった方には後から言えばいいかなと考えています

※注文するか、適当に近所でお惣菜でも買って来て、そのまま懇親会になだれ込めばいい かなと考えています

※皆さんの在宅ワークの経験を教えて下さい。どんな仕事や収入面についても、出来る限り知りたいです。私は月に2,3万円くらい稼げればいいかなと考えています ...

 ●「いいかなと考えています」ではなく「いいかなと思っています」とする場合も多い。例:同時に、公社の駐車場の空き待ち予約もしているので、いずれもう少し近くの駐車場になればいいかな思っています

 《天の邪鬼的印象論》 終助詞の「かな」を付けることで、不確かに思うことや願望を表していることは分かるが、及び腰、逃げ腰といった、「(話者・書き手の)消極性」を感じてしまう(あくまでも私見)。

  

 あるいは、「…ばいいかなあと考えています」というように、「かな」を「かなあ」とする場合もある。

※研究室で脳科学を勉強したので仕事にちょっとでも活かせばいいかなあと考えています

前のハムちゃんはこれで冬を越していたので、少々うるさいですが私たちの寝室に移動させばいいかなあと考えています

※スタイルとしては社内版のMoongiftSourceForgeを組み合わせたようなサービスになばいいかなあと考えています

 ●「いいかなあと考えています」ではなく「いいかなあと思っています」とする場合も多い。例:少しずつですがゆっくり身につけばいいかなあと思っています

 《天の邪鬼的印象論》 上記の「…ばいいかなと考えています」に感じられる「(話し手・書き手の)意志の弱さ」をさらに強く感じてしまう。最近では、政治家がしばしばこの言い方を用いるが、その意志の弱さ、責任回避的姿勢等を感じてしまう(あくまでも私見)。

 

 さらにまた、「…ばいいのかなあと考えています」というように、「かなあ」を「のかなあ」とする例も多い。

※昼間ぐずぐずの時は牛乳などでごまかしています。 今後どうしていけいいのかなあと考えています

みなさまどうもありがとうございました。もりだくさんで、この学びをどんな風に言葉で表現すれいいのかなあと考えています
職員と入院している患者さんは、やはり立場が逆で、応えたいのに応じられないことがあったりもしますが、人として大事に接するという基本を忘れなけれいいのかなあと考えています
 ●いいのかなあと考えています」ではなく「いいのかなあと思っています」とする場合も多い。例:いつまでこの体制で仕事に悪影響を与えない範囲で節電ができるかわかりませんが、もう半月くらいはこんな感じで暑さを凌いでいけばいいのかなあと思っています
 
《天の邪鬼的印象論》 上記の「…ばいいかなあと考えています」の場合よりもさらに、「(話し手・書き手の)消極性」を強く感じてしまう。これも最近の政治家がしばしば用いるが、その意志の弱さ、責任回避的姿勢等を強く感じてしまう(あくまでも私見)。ちなみに、NHKテレビの某日本語解説者がある時、この用法で話をしていた…。

 以上のような言い方は個人的には好まないし、日常的には意識的に避けているのだが、他人がそれらを用いることに反対するつもりは毛頭ない。上記のことはあくまでも私見であり、私の印象論である。

 

追記】その他、政治家たちや社会的に認知度の高い人たちが頻用する曖昧表現は数多い。数例だけ拾ってみよう。
 例1:それが無理であれば、もうしようがないので3次になってしまうのかなと思っています。(某財務副大臣)
 例2:逆に言いますと、その限られた財源の有効活用でありますとか、そういったようなところを、しっかりと、国会、市町村と相談しながらしっかりやっていければいいなというふうに、こう思っております。(
某大臣政務官)
 例3:そんなことで、外部から専門の研究の委員が新たにその研究会のために、専門部会のために入っていただいてもいいのかなあというふうに考えています。(某県次世代育成支援行動計画評価・策定作業部会委員)

「…ばと考えています[思います]」という言い方(1)

いつの頃からか、多くの日本人の言葉尻が「曖昧になった」。多少辛辣に言えば、「曖昧で、真意を推し量りにくくなった」。それに言及すると、「他人の言葉尻を捉えて」云々と言われてしまいそうだが、Google検索による具体例(各3例)と共に、《天の邪鬼的印象論》を簡単に述べておく。

 

 まず、非常に多くの人達が、文の最後を「…ればと考えています」という言い方で終える。実例を挙げる。

 

※世の中暗い話題が多いので、少しでも明るくなる話題を提供できればと考えています

※今回は滞在が短いこともあって、のんびりリフレッシュ出来る旅行になればと考えています

※また、被災地の大学生にもNGA主催する会に参加してもらえるように調整を行い、現地への貢献も行えればと考えています

 ●「考えています」ではなく「思っています」とする場合も多い。例:「一服のお茶と、お菓子を振る舞う気持ちで、ブログを書いて行ければと思っています。」

 《天の邪鬼的印象論》「…できれば何なの?」、「…なればどうなの?」、「…行なえればどうなるの?」というような疑問を発したくなる[文句を付けたくなる?]言い方だ。聞き手・読み手に判断を委ねるための、曖昧で他力本願的な言い方のような感じがする(あくまでも私見)。

 

 これが「…ればいいなと考えています」というように、「いいな」が挿入される場合もある。

※微力でも、ちからになればいいなと考えています

※移動は電車・バスで。東照宮と華厳の滝と温泉に入れればいいなと考えています

※そうしたコミュニティーツールの末端として、【TRYCOS】が皆さんのお役に立てればいいなと考えています

※今は大変な思いをしている子も多いと思いますが、バスケットを通して元気を出してくれればいいな、と考えています

 ●「いいなと考えています」ではなく「いいなと思っています」とする場合も多い。例:曽我村長はあいさつの最後で「ジプトに負けずに日本中に広がればいいなと思っています」とさらっと言っています。

 《天の邪鬼的印象論》 上の「…ばと考えています」を「…ばいいなと考えています」とすることで、「…できれば何なの?」、「…なればどうなの?」、「…行なえればどうなるの?」と反発されない言い方にはなっているが、願望を表す終助詞の「な」から、幼稚で未成熟な感じを受ける(あくまでも私見)。 

Kennedy 大統領が Jacqueline さん に求めたこと

今朝、カーラジオでNHKの朝の放送を聴きながら車で登校していたのだが、その中で、平野次郎さん(元NHK解説委員、現学習院女子大学特別専任教授)が、第35代アメリカ大統領J.F. Kennedyの妻であったJacquelineさんの肉声を吹き込んだテープが、最近、文字に起こされて、CD付で書籍化されたことを紹介していた。
 それによると、ケネディー大統領は、ジャクリーヌさんに、(古い時代のイメージになってしまったが)「日本の妻」のような、役割分担による、家庭をしっかりと守るタイプの妻を望んでいたそうだ。それはそれでいいと思う。問題は、そのあとだ。それを知ったアメリカのマスメディアの一部が、「ケネディー大統領は、ジャクリーヌさんに“geisha girlであることを求めた」と書き立てたらしい。

 同書の詳細についてはまだ分からない。これからそこらあたりのことを調べてみたいと思っているが、「日本の妻」を“geisha girl”に置き換えるあたり、いかにも無責任な、あるいは不勉強なアメリカのマスメディアだと言えなくもない。要するに、日本をよく理解し(ようとし)ていないのだ。その責任の一端はもちろん、当の日本(人)にもある。

「ご被害者のみなさまへ」という醜い語

ORC福島第一原発事故被害者への賠償金請求書類が、請求書60ページ、説明書156ページと、信じがたいほど分厚いものだったことは周知の通りだ。ただ、私は、その書類の冒頭に「ご被害者のみなさまへ」とあったことを、今日の朝日新聞朝刊「声」欄に掲載された福島市飯館村出身の男性(76)の投書を見るまで知らなかった。そして、それを見て、正直なところ、大いに驚いた。「ご被害者のみなさまへ」 何とも醜い日本語ではないか。
 
 「被害者へ」などという無礼な書き方はないし、「被害者のみなさまへ」でもまだ失礼だということで、「ご被害者のみなさまへ」としたのだろうが、東京電力には「ご被害者」などという言い方を“醜い日本語”だと感じられる“常識的語感”を持った社員はいなかったのだろうか。

 それではどんなふうに表現すれば良かったのか。それを反省するのは東京電力の仕事だ。私なら、別の言い方を2、3例、すぐに思い付く。1つだけ、ヒントを言っておけば、今回の場合、その「被害者」を生み出したのは(すなわち、加害者は)、ほかならぬ東京電力だ。その電力会社が、自分たちの生み出した「被害者」を「ご被害者」と形容するから、余計におかしな響きを持つのだ。そうしたマイナス要因の大きな特殊な語に、いくら丁寧さを表す接頭辞「」を付けても、結局は無駄なのだ。むしろ滑稽な響きを持つか、反発を招く言い方になるか、そのいずれかなのだ…。

Be discreet in all things, and so render it unnecessary to be mysterious about any. ― Duke of Wellington
     万事によく配慮して何事にも不審の必要なきよう調べおくべし ― ウェリントン公爵

「三日にあげず」「三日とあけず」などの語法

いつだったか、あるテレビ番組を見ていたら、中年の男性タレントが、「三日をあけず、そこに通ってました」と言っていた。「三日をあけず」という言い方は、よく見聞きするものだが、正用法とは呼べないものだ。当人はたぶん、「三日の間を開けず」と考えていたのかも知れない。だが、慣用的には「三日にあげず」だ。この「三日」はむしろ「非常に短い期間」と解釈できるものだし、「げず」は「短期間では仕上げず」、「(間を置かず」という意味に解釈すべきだろう。
 そのほか、折りあるごとにメモした言い方に、「三日とあけず」、「三日にあけず」、「三日をあげず」、「三日もあけず」、「三日もあげず」があった。Google検索の結果を下に記載しておく。◎印が正解で、×印は非正用法。

三日にあげず
  
約 48,000 件
    例:三日にあげず(=ほとんど毎日のように)、彼女の店に通った。

×三日とあけず
   約 17,500 件

×三日をあけず
    約 13,200 件

×三日にあけず
    約 6,730 件

×三日をあげず
     9 件

×三日もあけず
     3 件

×三日もあげず
   3 件

 ちなみに、二番目の「三日とあけず」は正用法に続いて頻度が高いが、これはひょっとすると、かつて植木等(故人)が歌って流行らせたハイそれまでヨ」(青島幸男作詞)の中の文句「あなただけが 生きがいなの/お願い お願い 捨てないで/テナコト言われて その気になって/三日とあけずに キャバレーへが影響を及ぼしているのかも知れない(たぶんそうだろう)。いずれにせよ、慣用的には「三日にあげず」ということになる。

亡妻が億万長者に?!

fr1亡妻のところに、「親展 支払管理局正式発行書類」、「権利保持者専用」、「重要通知」、「※10日以内に返信必須※」などと印字された封書が北京発で送られてきた。以前はオーストラリアの同じ発信元から類似のものが届いた。今回のはそれを“無視”したことに対する追伸のようだ。中を開けてみると、何と、「現在獲得請求権認定済みの賞金総額 \139,471,200」と書いてあって、次のような“警告”も付されていた。

これはあなたの賞金獲得請求権の失効に関する最終警告です。どうか、慎重に対応してください。賞金獲得資格失効の事態を避けるため、必ず、本書受領の10日以内に、「賞金獲得請求権実行承諾書fr2」の返信が必要です。(云々)

 要するに、亡妻に1億3,947万1,200円を請求する権利があるのだそうだ。宛先はなぜかCanadaになっている。
 よく見ると、「賞金獲得請求権実行依頼書」なる1枚の紙が同封されていて、そこに、「実行手数料 8,000円(特別措置適用につき減額2,000円)の支払い方法を選択してください」と書かれており、しかもご丁寧に支払い方法も、「郵便為替同封」、「ビザカード」、「マスターカード」などと指示してある。手数料を狙った詐欺かも知れない
 世の中には、こんな詐欺に引っ掛かる人がいるのだろうか。被害者が出ないことを祈るばかりだ。それにしても、得体の知れないこんなものが“故人”宛てに届くとは…。

67歳の誕生日の新たなる決意

day昨日の台風の猛威は形容しがたいほどだった。人間にはどうしようもない大自然の営みである。我が家周辺でも、その爪痕はあちこちに残った。ところが、今朝はまさに「台風一過」、早朝に見た東の空の美しいこと、じつに感動的だった。人の人生にも相通じるところがある。
 
 きょうは私の誕生日だ。67歳になった。昔なら“おじいちゃん”もおじいちゃん、紛れもなく年寄り、老人の部類だ。ところが、始末の悪いことに、私にはその“自覚”がない。時たま、どこかで、誰かに“老害”などと悪口を言われたり、書かれたりするのだが、私自身はそういう“差別用語”をまったく気に掛けない(第一、そんなことを気に掛けている暇もない)。寿命のある限り、「つとめて精進せよ」をモットーにしているからだろう。仏陀もそれを命じておられる。

 成し遂げたいことは山積みだが、差し当たり、私が尽力したいことは、この国の英語の辞書をより良くすることだ。現行の諸辞典もずいぶん良くなった。その点は十分に認める。だが、多角的に見れば、改良すべき点はまだまだ山のようにある。だから、私はそういうことを指摘する人間の一人として、まず自らがそれを実行して見せなければならない。誤解のないように言っておきたいが、私は私が関係する辞書が最良なものだなどとは微塵も思っていない。私は「こうすれば辞書はより良くなる」という点を改訂のたびに実行に移しているに過ぎない。だから、私は自分が主幹を務めた辞書の「はしがき」には必ず、「さらなる理想の英和 [和英] 辞典をめざして」と書いている。

 人は自分の寿命など知る由もない。私はそのことを最愛の妻を先立たせたことで身にしみて感じている。それはまた、私にとっては、「千載の痛恨事」だった。だからこそ、「覿面(てきめん)の今」を最大限に活かしたいと願う。今日、67歳になった日の新たなる決意として、その点を明確にしておきたい。

Animus homini, quicquid sibi imperat, obtinet.
 人の精神は決心したる事は何事も成し得る―ローマの諺
 

「危機一髪」と「危機一発」

「ひとつ間違えば重大危険に陥るようなきわどい状態」に言及して用いられる慣用句に「危機一髪(ききいっぱつ) 」がある。「一髪」とは、「髪の毛一筋」という意味であり、全体的には、「危険が髪の毛一筋の所まで迫って来ている」ということだ。ところが、昨今、これを「一発」と書く人が非常に多くなった。Google検索に掛ければ、「危機一髪」は約3,560,000 件だが、「危機一発」も何と、約 801,000 件がヒットする。

 ひょっとすると、「危機一発」という表記の一般化は、イアン・フレミング の小説『ロシアより愛を込めて』(From Russia with Love)が、映画化され、日本で初公開された時(1964)に「007 危機一発」と題されたことと関係があるかも知れない。確かに、小説・映画の内容からすると、「一発」という表記は視覚的効果を上げていると言えなくもない。だが、意味的にはやはり不自然だ…。

I Will Always Love You の日本語訳のこと

いつだったか、教え子の結婚披露宴に招待されて行った際、ピアニスト(女性)が、Dolly PartonI Will Always Love You を演奏していたのに少々戸惑ったことがある。この曲に付された元々の詞は、内容的には、男女の別れを歌ったものだから、結婚披露宴には不向きだ。この点は、日本人の多くが好んで歌う The Amazing Grace にも言える。こちらも日本人が考えるほどロマンチックな内容ではない(cf. 拙稿)。

 そのI Will Always Love You.についてだが、その歌に付されたインターネット上の日本語訳を見ていて、あまりの玉石混交ぶりに驚かされた。次に、そのうちの10例を、1番の歌詞だけに限って引用してみる(Whitney Houston 版は、Parton 版でeach step of the way となっているところが、every step of the wayとなっている)。

原文:
If I should stay
I would only be in your way.
So I'll go but I know
I'll think of you every step of the way.

訳例1:
もしいなくてはならないのなら
あなたのやり方に従うまでよ
私は行くわ
だけど分かっているわ
どんな場合でもあなたのことを思うだろうってことを

訳例2:
もし私がとどまれば
私はあなたの道のりにただいるだけになるでしょう
そう、私は行ってしまうけれどあなたを思ってしまうのはわかってる
道のり全ての一歩一歩に

訳例3:
もしも このまま 留まったとしても・・
ただ いるだけの存在なんだと思う。
だから オレは行くことにしたよ。
だけど・・自分で分かっている。
どんな時でもずっと おまえのことを思いつづけるだろうって。

訳例4:
もしも 本当にもしもよ
私があなた生きてゆく人生の中にいられたら
もちろん 一緒に 生きて行きたいわ
私、あなたが生きててゆく中での全ての乗り越える苦しみを考えているわ

訳例5:
このまま続けていくとしたら
あなたについていくしか道はない
だから、私は行くわ
でも いつだってあなたのことを考えているわ

訳例6:
このままでいたって、
私はあなたの邪魔にしかならないから。
だから、じゃあね、
でも、どの道を選んだって、いつもあなたのことを考えているから。

訳例7:
もし、私 留まったとしても
あなたの道の妨げになるだけだし
だから私は行くの
でも分かってるの
あなたの事を考えるでしょう 道を一歩、歩くたびに

訳例8:
もし私がここに残ったら
あなたの邪魔になるだけ
だから私は行くわ でも分っているの
これからもあなたのことを想い続けることを

訳例9:
このままぼくが一緒にいると
きっとあなたの重荷になる
だから もう逢わない方がいい
でもあなたのことはいつまでも忘れない

訳例10:
もし私が残るとしたら、
あなたの邪魔になるだけだわ
だから私は行く でも知ってるの
その一歩、一歩であなたを思いだすの

 さて、上の10例のうち、いずれが原文の意味に近いだろう? インターネット上の情報は、この例からも分かるように、まさに玉石混交だ。だから、“石”の中から“玉”を見つけ出せる自分の目の確かさを養わなければならない。そうでないと、他人の“誤訳”を次々と“拡散”させる加害者になっていってしまう…。本記事での質問は私のゼミ生への宿題でもあるので、正解は敢えて書かない。

【付記】フィリピン生まれのCharice Pempengco が歌うI Will Always Love You.にも感動させられる。彼女の小柄な体のどこから、あの大声量・大迫力が生み出されるのだろうか。世界のCeline Dionと共演しても、少しも見劣りがしない。やはり天才だ。

和英辞典に収録された不自然な日本語

暇つぶしに手元の和英辞典を覗いていて、馴染みのない日本語や用例に出くわすことが時々ある。たとえば、某和英辞典の「さすが」の項には、「彼はさすがは父の子だ He is a son worthy of his father.」という用例が挙がっている。英語を見れば、その意味は分かるが、「彼はさすがは父の子だ」という日本語は私の耳目にはきわめて不自然なものだ。他人の子を評価するのに、このような“バタ臭い”言い方をする場面がすぐには思い付かない。憶測するに、「英文、先にありき」で、まず、He is a son worthy of his father.という英文があって、それを“翻訳”して利用したのが下手な“翻訳”だがその日本文なのではないか。

その他、
 ● 「君がびっくりすることがある I have a surprise for you.」(「びっくり」の項)、
 ● 「私の息子は苦痛の種 My son is a real pain.」(「苦痛」の項)、
 ● 「まことに残念ですがご招待には応じかねます I very much regret to say that [Much to my regret, To my deep regret], I can't accept your invitation.」(「残念」の項)、
 ● 「差支えなければ教えてほしいのですが、お仕事は何をなさっているのですか If you don't mind my asking, what do you do?」(「差し支えない」の項)
 など、少なくとも私には馴染みのない、あるいは馴染めない日本語が続出する。おそらく、上記したように、「英文、先にありき」だったのだろう…。

少し早い誕生日を祝ってもらった。

f今年のゼミは小人数である関係で、私の研究室で行っている。今朝(敬老の日で休日なのだが)、後期最初のゼミ授業が2時限目にあった。研究室でゼミ生諸君を待っていると、就職説明会で欠席した学生1名を除き、全員が揃って入って来た。入室早々、私の誕生日会を開きたいという提案がなされた。ハッピー・バースデーの歌を歌ってもらい、茶菓の時間となった。花束や贈り物(立派な万年筆)まで貰った。

 本当の誕生日は22日(木)なのだが、その日は皆が揃うことができないので、今日となった次第。3年間で卒業要件単位の全てを取得したので、4年次は故郷の北海道に帰って、教職のアルバイトをしているNAさんからも祝意を表すメールをもらった。また、夏休み中、カンタベリーに研修に行っていた学生は、その研修の内容を、就職先が内定した学生はその会社の仕事内容を、それぞれ話してくれた。

 毎年思うことだが、こうして学生諸君の優しさに具体的に触れると、私は私が諸君に施して来た人間教育もまんざらではなかったようだ。「思いを形にする」ことは大事なことだ。嬉しいひとときだった。  
 
  

「テーブルに着く」と「テーブルに乗る」

table1今朝のNHKテレビニュースを見ていたら、民主党政策調査会長・前原誠司氏が、本格的な復興に向けた今年度第3次補正予算案早期成立のために、3党(民主・自民・公明)協議を呼び掛けたことが報じられていた。

    その前原氏が、記者に向かって言った、「復興に向けては、補正予算をできるだけ早く成立させ、執行することが大事であり、誠心誠意、協議のテーブルに乗ってもらえるよう お願いしていきたい。」という日本語が、天の邪鬼の私の耳に障った。誰が、あるいは何が「テーブルに乗る」のか?

 「協議のテーブルに着く」という言い方には馴染みはあるが、「協議のテーブルに乗る」という言い方は寡聞にして知らなかった。そこでいつものようにGoogle検索に掛けてみて驚いた。「協議のテーブルに乗る」が約 30,500 件もヒットした。

 みんなの党の江田憲司氏が 2010年12月07日に行なった記者会見でも、一人の記者が「(関連で)参院で協議のテーブルに乗ることは」と言っていた(こちらにその時のYouTubeの動画がある;4分20秒あたり)。

 その他、実例は多数あるが、以下に3例だけ挙げておく。

table2※樽床氏は会談後、記者団に対し「まず、野党で統一した見解をまとめていただくのを待つ。協議のテーブルに乗るのはやぶさかではない」と述べた。
※岸本さんは政府との協議のテーブルに乗るというような姿勢ですが。 知事 これは私と島袋さんとのお話ですから、これからどういうことになるか分かりませんが、一緒にスクラムを組んで行きましょうという基本線だけは一致しています。
※この問題では、田島副大臣が10月31日に水俣市を訪問した際、水俣病不知火患者会の大石利生会長が「全面解決には国が裁判上の協議のテーブルに乗ることがカギだ」と要請したのを受ける形で、田島副大臣が事前協議の場を設けることを約束した。

 以上の例は、私ならいずれも「協議のテーブルに着く」と言う。もっとも、次の用例は、少々様子が異なる。

※これを受け、県は沿線自治体などを含めた協議会を設置したい意向で、行政支援の是非がいよいよ協議のテーブルに乗る
※岩国市や山口県が長年、防衛施設庁などへ要望してきた滑走路沖合移設後の民間空港再開が、ようやく政府間の公式協議のテーブルに乗る
※2020年までの廃絶への道筋を描く平和市長会議の「ヒロシマ・ナガサキ議定書」が、今回の協議のテーブルに乗るかどうかが気掛かりだ。

 上記の例の場合、「協議のテーブルに乗る」の主語は“人”や“(人が構成する)組織”ではなく、“議題”や“(協議の)対象”だ。だから、読んでいても抵抗感がない。前原氏ほかによる、“人”や“(人が構成する)組織”を主語とした協議のテーブルに乗る」はやはり不自然な語法と言いたいが、多くの政治家たちが用いているところを見ても、すでに彼らにとっては普通の言い方なのかも知れない(あとは沈黙…)。

It is no shame for a man to learn that which he knowth not, whatever be his age.―Isocrates
      年齢の如何を問はず、自ら知らざることを学ぶに恥なし―イソクラテス

「死のまち」発言のこと。

bell今日の朝日新聞朝刊(「声の欄」)に「『死のまち』と宣言してほしい」と題した、福島県二本松在住の男性(68)の投書があり、次のように書いてあった(要所のみ引用)。

私の自宅は福島第一原発から5キロ以内の福島県双葉町にあり、警戒区域にある。(中略)その私も鉢呂氏の認識鉢呂吉雄前経済産業相による「死のまち」発言のこと;山岸注は正しいと思う。私はむしろ、政府に「死のまち」を宣言していただきたい。除染して放射線量の低減する所はいいだろうが、菅直人前首相が発言したとおり、除染しても「福島第一原発周辺で長期間住めない地域が生じる」のは明白な事実だ。まさに双葉町、大熊町などがこの地域にあたるだろう。だから一日も早く、国に「死のまち」宣言をしていただき、地域の家屋敷を借り上げるなどして補償してもらった方が、新しい住宅を求めるにしろ借りるにしろ、将来の生活設計を立てやすいのである。野党には、閣僚の言葉尻をとらえたり、野田佳彦首相の閣僚任命責任を追及したりしている場合ではない、といいたい。

 同投書者の言いたいことも、その気持ちも分からぬではない。だが、私はこの意見には反対だ。投書者の意見によれば、国(政府)が「死のまち」を宣言すれば、事態が好転するような印象を受けるが、そうした宣言は、私には《人間さまのご都合》だけを考えての事態対処にしか思えない。

 同紙、同頁の「記者有論」欄に福島総局記者・小寺陽一郎氏による「『死のまち』騒動 福島語るタブー化懸念」と題した記事も掲載されていたが、そこには次のようにあった(要所のみ引用)。

「死のまち」 鉢呂吉雄・前経済産業相がそう表現した東京電力福島第一原発から約2キロの所まで先日、取材に入った。震災前、名物「なみえ焼きそば」を食べた福島県浪江町。小学校のジャングルジムは草で覆われ、梨畑には通常の半分の大きさの梨がブドウのように鈴なりになっていた。それでも、「死」という言葉を私は一度も連想しなかった。原発の復旧に向かう車列、空き巣を警戒する警察官、放射性物質が付着していないかを検査し「お疲れさまでしたぁ」と福島なまりで声をかけた県の女性職員。そこには、いつか帰れる人ために懸命に働く人達の姿があった。町はけっして死んでいない。(中略)配慮を欠いた言葉が引き起こした今回の辞任劇を、福島県民は比較的冷静に、むしろしらけ気味に見ていたと思う。私も同じだった。

 同頁に掲載された対照的な記事だが、そこに、「『死』という言葉を一度も連想しなかった。」とあるのを見て、少しだけほっとした(ただし、文末の「辞任劇」という言葉はいただけない。この種のことを“劇仕立て”にしているように響くからだ)。

 「死のまgar2ち」とはどんな「まち」だろう。私にとっての、「死のまち」は、《生きとし生けるもの》全てが消滅したまちだ。間違いなく、福島第一原発のせいで、その周辺に“人間さま”は住めなくなった。だが、そこにはまだ数多くの“命”が息づいている。見放され、見捨てられた多くの動物たち、何も知らずにひたすら息吹く多種の樹木・草花、その上を這う虫たち、小川や小池に遊ぶ小魚たち、これらは確かに放射線の大きな被害には遭っている。だが、みな“命”を持って生きている!
 
 原発周辺ではないにせよ、福島県には津波被害で、今もって行方不明の人達もおおぜいいる。その人達の“命”はまだ存在すると考えるべきだろう。仮に、不幸にもすでに亡くなっているとすれば、その人達のもう“一つの命”、すなわち我々が“魂”と呼んでいるものは、懐かしい故郷の地に留まっているかも知れない。だから、あとに残った人達は、その屍(しかばね)の上に、今を生きている可能性もある。
あとに残った“人間さま”たちは、そういうことを忘れてはならないと私は思う。

  「言葉尻をとらえるな」と言うが、時代は大きく変わったにせよ、わが国には未だに、「言霊の幸 ( さき ) はふ国」の伝統が確かに残っている。その現実を無視して、不用意な発言をする大臣なら、それは非難されて仕方がないのではないか。本ブログでは、しつこいほど書いて来たことだが、仏陀の言われたごとく、「一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし」なのだ。現代日本人の精神的不幸は、この点を忘れたことと深い関係があると私は考えている。
 不治の病に侵された“人間さま”が、一木(いちぼく)の生命力に勇気づけられ、涙して、そこから自分の限りある命の本当の意味を知ったという例も多数存在する。だから、「死のまち」発言はやはり、軽々に為されてはならないのだ。

「これでほっとなさったでしょう。」という挨拶。

h先日、テレビで古い映画を見ていた時、結婚披露宴の場面が出て来た。それで思い出したことなのだが、以前、ある人の結婚披露宴に招かれて行った時、招待客の一人が、新婦のご両親に向かって「本日はまことにおめでとうございます。ご両親もこれでほっとなさったでしょう。」と言って挨拶をしたことがある。新婦の父上の顔がやや曇った。私はそばにいてそれに気付いたのだが、そう挨拶したご当人は何も気に掛けていない様子だった。

 推測を交えて言えば、多分、その父上の耳には、その挨拶が、「ようやくご縁がありましたね。(これでほっとなさったでしょう。」「これまでの気苦労が報われましたね。(これでほっとなさったでしょう)。」などと言っているかのように響いたのではないかと思う。もちろん、「それは考え過ぎだ」、「そんなことは全く気にしない」という人も多いだろう。

 だが、私の推測が当たっているなら、そういう、聞く人の“癇に障る”ような恐れのある挨拶は、おめでたい席では避けた方が無難だと思う。やはり、誰にも受け入れられるものを考えるべきだろう。たとえば、私なら「本日はまことにおめでとうございます。お二人のいく久しいお幸せと、ご両家のますますのご繁栄をお祈り致します。」と言うだろう。

大学のパソコンがウイルスにやられた!

今日、早朝、大学に来て、メールをチェックしようとした。その1通に、学部・大学院修士課程と教えた、ラオスからの留学生S.D.さんの名が付されたものがあった。よく知っている名だし、大学院では私が論文審査の副査でもあったから、つい安心してそれをクリックした。とたんに“ウイルス”にやられてしまった! それに次いで、どこかで見たことのあるような名のウイルス・セキュリティ・ソフトの会社名が出て、「これを使うとウイルスを駆除できる」と宣伝が始まった。「仕掛けられたか!?」と、一瞬、悪意にとってしまった(意外と本当かも…)。

 悪質度が非常に高いウイルスのようだった。私の手には負えなかったので、すぐに大学のメディアセンターの専門家にその除去をお願いした。除去作業をしてもらっている間に、S.D.さんの修士論文の主査だったH教授にも、学内電話でその事を告げた。あるいは、私同様、H教授も類似の被害に遭う恐れがあると思ったからだ。たぶん、S.D.さん本人は、自分の名が自分の大学・大学院の教授である私のところに、こともあろうに“ウイルス”の運び屋として使われたとは思いもしないだろう。嫌な経験だったが、また一つ賢くなった。

【付記1】私の大学のパソコンはたまたま、ウイルス・セキュリティ・ソフトの契約期間が切れていた。早速、大学が使用しているソフトを導入してもらった。
【付記2】あとで分かったことだが、
H教授のところにも同じ名前でメールが届いていた。

佐島、鎌倉に行って来た。

sj2昨日、暑い中を、三浦半島、逗子・葉山の南に位置するマリーンリゾート「佐島マリーナ」に行って来た。妻が生きていた頃、時々そこのレストランで食事をした、私にとっては想い出の場所だ。相模湾が一望でき、晴天の時には、遠方に、息を飲むほど美しい富士山が見える。

 朝起きると、無性にそのレストランに行きたくなった。ここのところ、立て続けに妻の夢を見ていたからだ。息子が私のために時間を作ってくれたので、横浜横須賀道路を利用して、そこへ向かった。昼前に着いた。テーブルに案内された途端、もう胸が一杯になった。妻との最後の食事風景が思い出されたからだ。相模湾を一望しながら飲むビールはなぜか思いのほか苦かった。もっとも、そのあとの食事は格別に美味しかった(ここは場所柄、新鮮な魚を使った料理が美味しい)。
 
 レストランを出て、私が会計を済ませている間に、息子が同マリーナのホテル部門のフロントで、顔見知りの若い女性が働いているのを見つけた。以前、私が住む近くの某マリーナで働いている頃、私たち親子が何かと世話になった女性だ。
sj
 そこで彼女としばらくおしゃべりをしてから、今度は葉山御用邸前、葉山海岸、逗子海岸を通って、鎌倉に向かった。息子が、“お母さん”とよく行った“かき氷屋さん”に連れて行ってくれると言う。徳冨蘆花の小説「不如帰」で思い出される不如帰の碑、ヨットマンとしての石原裕次郎を記念して建造された、通称“裕次郎灯台”を左手に見ながら、海岸線を進んだ。

 鎌倉は相変わらず混んでいた。向かった甘み処は20人ほどの客で万席と思えるほど小さな店だったが、活気に溢れていた。私は氷あずきを、息子は氷抹茶を注文した。妻が好んで立ち寄りそうな店だった。在りし日の妻の姿を追憶しながら口にする氷の味もまた格別だった。

 そのあと、やはり妻が鎌倉に出掛けた時には立ち寄っていたという魚屋に立ち寄り、ホタテ貝、鮭の切り身、ウナギの蒲焼、シラスなど、息子と私の好物を買った。さらにそのあと、鳩サブレーで有名な豊島屋に寄った。この店にも活気があった。修学旅行生だろう、高校生男女が多数、土産物を買っていた。

 何をするにも、どこに行くのも、今の私にとっては亡き妻との想い出に結び付く。そして、そのことを限りなく、懐かしく、嬉しく、有難く思う。そんな私のことをいつも気遣ってくれ、無理をしてでも時間を作ってくれる我が息子には感謝あるのみだ。楽しい半日だった。

「2回忌」ではなく、「3回忌」

fl3最近、ある所で、ある若い人から、「今年は奥さんの2回忌ですか?」と言われて驚いた。確かに、去る9月3日が妻の2回目の命日祥月命日しょうつきめいにち)だった。だが、「回忌」という言い方は慣用的には存在しない。つまり、葬儀を行った年の翌年(昨年)が「1回忌」または「1周忌」、その翌年(今年)が「3回忌」または「3周忌」だ。そのあとの「年忌法要(ねんきほうよう)」は、宗派・地方差もあるだろうが、一般的には7、13、17、33と続く(7回忌死後6年目で、以後、同様の数え方をするから注意)。
 若い人たちの多くにとって、こうした年忌法要は非日常的なものになっており、普段これを気にすることはあまりないだろうが、意識的にでも多少の勉強をしておかないと、自分の知らないところで、とんでもない恥をかいているかも知れない…。

【付記】妻の場合、本人の遺志により、死後はほとんど宗教色を出さない追悼の仕方を採用している。

「いとも簡単に」、「意図も簡単に」、「糸も簡単に」

 「じつに簡単に」「きわめて容易に」という意味で、「いとも簡単に」と言うことがある。この「いとも」は文語の副詞「いと」(例:いとおかしいとやすし)に強意の係助詞「」が付いたもので、漢字交じりに書くとすれば、「最も簡単に」となる(今なら、「もっとも簡単に」読まれてしまうだろう;「甚も」という表記もあったようだ)。

 インターネットに書かれた記事をあちこち見ていると、この「いとも」を「意図も」と表記している人がきわめて多いことに気付く。Google検索では、「意図も簡単に」のヒット数は何と約 561,000 件にものぼる。以下に5例だけを引いてみる。

*国境の柵を意図も簡単に登る2人の女性
*楽天が意図も簡単にノムさんを切る訳とは?
*スバムとは意図も簡単に成り立つものですか
意図も簡単に炭が熾せるアイテム!… (生活・インテリア)楽天ブログ
*2011年7月17日 – ビッグママの100.8舛らの脱出!!(80疎羹侈瓩ww)の記事、意図も簡単に…です。

 これをこう書く人の頭には、あるいは「意図したとおりに簡単に」という思いがあるのだろうか。

 また、中には、「いとも簡単に」を「糸も簡単に」と表記する人もいる。こちらは約 166,000 件 のヒット数となる(「細い糸も太い糸も、簡単に作れる割に」のような例も交じるが、「糸も簡単に」の概数を知ることはできるだろう)。こちらの例も5例だけ挙げておく。

*いつもの日々が糸も簡単に崩れ去った日.
*君は糸も簡単に僕の心を奪ってくです。
*どうやったら周りの女の子同様、糸も簡単に男の子と付き合えるのですか?
*ここさえマスターしてしまえば、 茶碗蒸しは糸も簡単にできる料理なのだ。
*それがTwitterやtumblrが micro blogging service と言われるゆえんで、糸も簡単に micro blogを続けることのできるキーファクターだと思います。

 「糸も簡単に」と書く人達は、頭の中で、「糸も他の細いもの同様、簡単に」、「簡単に切れる糸のように」などと考えているのだろうか。

 いずれにせよ、表記としては「いとも簡単に」とするのがよいだろう。
【付記】ちなみに、「意図もたやすく」のヒット数は約 18,300 件だった。

「大なたを振って」?、「大なたを振る」?

ある県民報を読んでいた時、「いまこそ大なたを振って、明るい未来の夜明けを作っていただきたい」という一文に出合った。ときどき、この「大なたを振って」という表記を目にするが、これは「大なた[大鉈]を振るって」とするほうが好ましいだろう。「振って」と表記して「振るって」と読むのだ言えなくもないが、送り仮名としては後者のようにするほうが誤解がなくてよい。もしかしたら、書いた人は、本当に、「大なたをふって」と言っているのかも知れない。私は「振って」は、普通、「ふって」と読む。Googleで「大なたを振って」を検索してみると約 8,050件がヒットする。3例だけを挙げておく。

*四大国有銀行は上場を目標に、大なたを振って改革を行っているが、このことは業界の注意力を少なからず集めている。
*そういう面では、議会の議員の皆さんも大なたを振って、そして改革をするというよう なことを御協力をいただければ、幸いかなと思います。
*今大阪府は、橋下新知事が、財政支出に大なたを振っている。この展覧会も今年限りになるかもしれない。

 ちなみに、「大なたを振るう」を「大なたを振(ふ)」というのは非慣用的である。3例だけ挙げておく。

大なたを振るつもりでこの耐震補強計画を進めるということが必要だと思うんですが。 
*やはり、やるべきことをやってからでも遅くはないのではないか? そのためには、大ナタ を振る覚悟がいる。
 *自分で仕出かした不始末は自分で処理させる、自業自得です。自己処理をさせる、大鉈を振る覚悟無しでは同じ穴に狢で一生借金地獄から抜ける事は不可能です。【注(山岸):「同じ穴狢」は「同じ穴(むじな)」と言うのが普通だろう。】

鉢呂経産相よ、今度はあなたか!

今度は鉢呂吉雄経済産業相の舌禍に言及しなければならない。同相は昨日の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の周辺市町村のことを「死のまち」と形容詞した。あとでそれを撤回し、陳謝したが、その前夜には記者団に対して、「放射能をつけちゃうぞ」というようなことを発言し、実際、氏を取り囲んだ記者の一人に対し、着ていた防災服をなすり付けるような仕草をしたらしい。

  これが、「東日本大震災の復旧・復興と福島第1原発の早期収束を最優先の課題」と位置付けて来た野田政権下、経産相の“実体”だと思うと、あまりにも情けない。

 昨夕の記者会見では、同相は、「被災者の皆さんに誤解を与える表現で、真摯に反省する。表現を撤回させていただき、深く陳謝申し上げる」と言ったそうだが、「真摯に」などという“他人事”に言及する場合に用いるような言葉を使うところに、私などは、すでに“真摯さ”を感じない。

 くどいほど書いて来たことだが、「言葉はその発言者の思想」なのだ。「心にないこと」は“お世辞”や“恣意的(虚偽)発言”を抜きにすれば、普通、口から出て来ないだろう。だから、同相の心の中では、福島原発事故は、こんな言葉が平気で出て来る程度の認識でしか捉えられていないのではないかと推測される。

 民主党政権になってから、いったいどれだけの数の舌禍事件があっただろう(例:こちら)。私は本ブログのあちこちで、そうした実例に触れて来た。困ったものだ…。

【付記1】鉢呂氏の公式HPには、「生活が苦しいのは、将来が不安なのは、そういう時代だからではなく、そういう政治だから。」と大そう“立派なこと”が書いてあるが、「そういう政治から」の部分が、「そういう政治家が居から」と書いてあったら更に面白かっただろう。同HPには、「未来に希望を持つことができる」、「弱い人を守る民間出身の政治家」などとも書いてある。そんなことを書いた人が、福島第一原発の周辺市町村のことを「死のまち」と形容して良いはずがなかろう。100歩譲って、その表現を受け入れたとしよう。では、その周辺一帯を「死のまち」にしたのはだれか?! 
【付記2】山口和之衆院議員(比例東北)は「言葉だけでは判断できない。今、福島は復興に向けて全力で戦わなくてはならない時。揚げ足取りで国会がストップするようなことになってほしくない」と言ったそうだ(出典こちら)。山口氏は福島出身だそうだが、氏が言ったとされる「揚げ足取りで」という表現の意味と真意とを知りたいものだ。これだけの文脈で推測するのに気が引けるが、ちょっと言葉の選び方が違うのではないか。

【後記】10日夜、鉢呂氏は引責辞任した。至極当然のことだが、これでまた、民主党の閣僚のレベルが暴露された。

Facebookの友達リクエストの英語

学生の一人から、Facebook に関連して、次のような質問のメールをもらった。

1.英語で、「あなたの友達の一人に加えてください」はAdd me your friend.でいいですか。

2.英語で、「友達に加えてくれてありがとう」はThank you for adding me your friend.でいいですか。

 

 その程度のことは辞書で確かめるか、英語圏の人たちが利用しているFacebook の英語を見て探すかすればどうですか?…と突き放すことも出来たが、私の担当学生であるから、“教育的サービス”の一環として、一応、次のように答えておいた。

 ***************

 1.    に関しては、Add me as a friend [your friend].がいいでしょう。た、2.についてはThank you for adding me as a friend [your friend] .ようにas 必要。1.に関しては、ほかに、

●Thank you for accepting [adding] me as a friend [your friend].

●Thank you for adding me in your friend list.

●Just a thank-you note to my request and accepting [adding] me as a friend.

●Thank you for accepting my friend request.

 など、いろいろあります。
***************

 ちなみに、私も友人に誘われて Facebook を始めてみたが、1か月ほどでやめてしまった。私向きではないということが分かったからだ。 

一頭の迷い犬のこと。

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dog2

今日、昼前、ちょっと近所のスーパーまで買い物に行こうと、我が家の門扉を開けた。すぐ近くに、その子はいた。首輪も何も着けていなかったが、私を犬好きだと分かってくれたのか、私の誘いに,逃げる様子も見せなかった。すぐに私のほうに近寄ってくれた。何犬だろう? 柴犬と洋犬が交じっているような気もした。

  「どうしたの? おうちの人は? 迷子になっちゃったの? それとも捨てられちゃったの?」 そんなことを言いながら、私はその子の頭を何度か撫でた。私に擦り寄って来た。照り付ける太陽の下で、喉が渇いているようだった。まず、水を与えた。それを喜んで飲んだ。次に、我が家にふんだんに用意してあるドッグフードを与えてみた。それを大喜びで食べた。【この事からも分かるように、犬は人間 ― ただし、犬好きかどうかは本能的に知るようだが ― を全面的に信じる。だから、もし人間が毒物を混入させた餌を与えれば、犬は当人を信じてそれを食するだろう。人間は、そういう信頼は決して裏切ってはならないのだ。】

 私は我が家のハッピーが居なくなった時の事を思い出した。もし、飼い主がいるのなら、きっとこの子を探しているだろう。ただ、首輪を着けていないのが気になる。いずれにせよ、このまま放置しておくわけにはいかない。大人しい子だから、よほどの事を人間からされない限り、人間に噛みつくことはないだろうが、一番心配なのはクルマやオートバイだ。

 そんなことを思いながら私は、私の飼い犬たちが長年お世話になっている、近所の獣医・Y先生に相談してみることにした。リードをして、そこへその子を連れて行った。とても大人しい可愛い性格の子だった。写真はY先生の所に連れて行く時に、ケータイで撮ったものだが、ご覧のように優しい目をしている。

 獣医のY先生は区内の保健所に連絡して下さったが、まだそれらしい届は出ていないようだった。Y先生のところのケージ(檻)も入院中その他の犬たちで一杯だったが、何とかスペースを作ってくださった。保健所からすぐに係りの職員が来院するとのことだった。私は、保健所と聞いて、すぐに“(数日以内の)殺処分”を連想した。ところが、Y先生は言われた。

 「この子はまず間違いなく、横浜市動物愛護センターに送られるでしょう、たとえ飼い主などの引き取り手が現われない場合でも、ボランティアの人達に引き取られたり、そこは、人と動物が共に快適に暮らせる環境作りを目指している所で、新しい飼い主に貰われて行ったりする可能性も十二分にありますし、快復の望めない病気や怪我をしているような動物でない限り、即、殺処分ということにはならないセンターです。そこで一生生活する可能性もあります。」

 私はそれを聞いて、本当にほっとした。犬や猫がいなくなった場合、区の福祉保健センター、保健所、動物愛護センター、最寄りの警察・動物病院に問い合わせてみるとよいそうだ。私のところの犬(ハッピー)の場合は、1回目は最寄りの警察に、2回目は上記Y獣医さんの所で保護されていた。

  私が今日、縁があって保護した子が、願わくは“飼い主”の元に帰れますように、それが叶わないならば、“心ある人”に新たな飼い主になってもらえますように、最低でも、愛護センターで余生を送れますように…。 そう心から祈りながら、Y先生のところをあとにした。最後に、その子と目が合った時、私は不覚にも涙を流してしまった。私のところにもう1頭飼えるだけの空間的・人的余裕があれば、場合によっては私がその子を引き取ってやってもよかった。しかし、妻亡き今、5頭の柴犬を飼うだけで手一杯なのだ。Y先生もその点はよく承知しておられた。

 犬も猫も、命あるもの全てが、その命を全うできる世の中になりますように…、そう祈りながら帰宅すると、いつものように我が家の5頭の愛犬たちが、「どこに行ってたの、遅いじゃない!」とでも言わんばかりに、皆で私に飛びついてきた…。

********************
 かのマハトマ・ガンディー (Mahatma Gandhi) は言っている。The greatness of a nation and its moral progress can be judged by the way its animals are treated.(一cat6dog国の偉大さと道徳的進歩は、その国の動物たちの扱われ方で判断できる。)と。この言葉を尺度に測るならば、我が国はまず間違いなく“三流国”だ。そういう国 ― つまり人々が“命”に軽重や順位を付けるような国 ― では、国民は本当には幸せではないと思う。それは現在の我が国のあちこちに表れている病的・末期的社会状況を見ればよく分かるだろう(こんな記事もある;これ、及びこの記事などを読むと、人間が持つ醜悪さ・残酷さ・身勝手さ・あさましさがよくわかる)

 一切の生きとし生けるものよ、幸せであれ。
 一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみの心を起こすべし。

 
共に仏陀のお言葉だ。ゆめゆめ忘れまい。
********************

【後日記】今朝(9月8日)、NHKテレビで、福島県で被災し、大怪我をしているところを心ある人たちによって保護され、その後、信州の某牧場で他の元気な馬たちと共同生活をするようになった1頭の馬のことを紹介していた。体にも心にも大きな傷を負っていることがよく分かった(被災したのは何も人間だけではないのだ)。被災地と信州とを結ぶ架け橋となるようにと“ホープライン”と名付けられたそうだ。牧場関係者を背に乗せて、ずいぶん元気になって、草原を走るホープラインを見ながら、動物たちに対する人間の責任の重さを改めて痛感した。

防災ヘルメットを貸与された!

helmet昨日の教授会が終了した際3、大学側から防災用ヘルメット(写真左)が各教員に貸与された。先の東日本大震災の際には、大事には至らなかったものの、私の研究室の内部も惨状を呈したので(右写真)、大学側のこの対応はありがたい。勿論、使わないで済ませられれば、それに越したことはない。

 大学教員になって40年以上が経過するが、その長い教員生活の中で、こうして、防災用ヘルメットを貸与されたのは初めてだ。じつは、最近、自宅でもヘルメットを1つ購入し、毎夜、私の枕元に置くことにした。生きるも死ぬも運命だという気持ちがないと言えば嘘になるが、まだまだ私にはこの世でやっておかなければならない仕事、やりたい仕事が山ほどある。だから、避けられる危険はできるだけ避けて身を守りたいと思っている。

 この記事は大学の私の研究室で書いているのだが、もしも今、大きな地震に見舞われた場合、頭上からは多くの書籍が落下する危険性がある。もちろん、先の地震以上の巨大地震が来た場合は、この程度のもので頭部を保護することにどれだけの意味があるか分からないだろうが、これまで経験した規模の地震であれば、この防災ヘルメットは大いに有用だろうと思う。

賃貸住宅での自殺と損害賠償

昨夕の朝日新聞に、「賃貸住宅で自殺『家賃下がった』遺族へ賠償請求相次ぐ」と題した記事が出ていた。要するに、賃貸住宅での自殺をめぐり、遺族が貸主側から、「自殺があったことで嫌悪感を抱かれ、欠陥物件となった」、「自殺があった物件として、家賃を値下げしても、借り手がつかなくなった」等の理由で賠償請求されることが多くなったのだ。訴訟の結果、減額分や原状回復費用として高額が遺族側に命じられる判決が相次いでいるようだ。同紙は次のような事例を紹介している。

アパートで息子が自殺:補修費や周囲の住民への慰謝料、おはらい代などを請求され、支払う。さらに、築27年のアパートの立て替え費用として12千万円を請求され、裁判に。その後に和解。
一戸建てて妻が自殺:家の解体費用など800万円を請求された。裁判で争ったが、判決で訳200万円の支払い命令。
アパートで娘が自殺:5年分の家賃600万円と改修費200万円を請求され、支払う。
アパートで同居している女性が自殺:借り主の男性が立ち退きと家賃減額分など360万円を請求され、裁判中。


 「自殺されて気持ちが悪い」「家主だけが損害を受けるのはおかしい」という家主側の気持ちも分かるし、「何だか犯罪者扱いされているようだ」という遺族の気持ちも分かる。ただ、現実的には、それが正当な請求・要求かどうかということが十分に考えられないまま、「迷惑を掛けた」という遺族側の加害者意識から、家主側の請求どおりに支払っている遺族が多いらしい。その点が、今後、きちんと議論されて行かなければならないところだろう。

 

 私の子供の頃、家作(かさく)に関連して「損害賠償」という語が使われることは非日常的だった。それは多分、「大家(おおや)と言えば親も同然、店子(たなこ)と言えば子も同然」という考え方が人々の間にまだ生きていたからだと思う。戦後、日本人の心から急速に宗教心が無くなったこともこういう傾向に拍車を掛けているのではないかと思う。胸を締め付けられるような記事だった

娘の誕生日のこと

f今日は娘の*歳の誕生日だ。結婚して6年目にやっと恵まれた子だった。妻には最初の子を流産させるという辛い目に遭わせたために、二度目は本当に気を使った。日を追って大きくなる妻のお腹を毎日のように優しく撫でては、「落ちないで、お母さんにしっかりと掴まっているんだよ。」と繰り返し言っていたのが、まるで昨日のようだ。

 娘が誕生した日の朝、徹夜仕事を終えた私は、当時住んでいた東京・東中野から、妻が入院していた鎌倉市内の某産婦人科に横須賀線を利用して直行した。快晴でさわやかな朝だった。我が娘との初めての対面の瞬間を私は今でも忘れない。「生まれてくれてありがとう。」 それが私が娘に掛けた最初の言葉だった。もちろん、妻にも、心からのねぎらいの言葉を掛け、感謝の気持ちを伝えた。

 それからの娘は、私たち夫婦の祈りと願いの通りに、成長してくれた。今は私と同じ道を歩いている。

 そのほとんど全てを妻に任せ切りだった私が言うのは気が引けるが、子育ては本当に楽しかった。私の独占的任務と言えば、娘(そしてその2年後に生まれた息子)を毎夕、風呂に入れることだった。父であること、親であることを実感させてくれ、そうであることの責任感と充実感とを持たせてくれたのは、他ならぬ我が子たちだった。

 娘との想い出を書き出せば、それこそ1冊の本になる。そうした楽しい想い出を作ってくれた娘も、何年も前に、私たちのもとを去って行った。妻と私がかつてそうであったように、娘も別の家庭を築いている。嬉しいことだ。そして、正直に言えば、“寂しく”もある。今朝一番でインターネットを利用して誕生日カードを送っておいた。

【後刻記】報道によれば、今回の台風12号で、和歌山県那智勝浦町長・寺本真一氏(58)のお嬢さん(24)が、那智川の氾濫で命を落とされたそうだ。亡くなった日(昨日)が結納の当日だったらしい。しかも、お連れ合い(51)は行方不明のままだそうだ。寺本町長の被害に遭ったのはうちだけでない。全ての災害状況を把握し、早急に復旧に向けた対策、対応を考える。という気丈な言葉が、娘を持ち、妻を亡くした私の胸を突く。合掌。

「以降」と「以前」の用法

Wikipediaで「博士(応用言語学)」を引いていた時、そこに次のようにあるのを見つけた。

応用言語学に関する専攻分野を修めることによって、1991年以降に日本の大学で授与されるものである。1991年以前の日本では授与されておらず(「応用言語学博士」という学位の種類は日本では規定されていない)、応用言語学を修めた者には文学博士等が授与されていた。(中略)2010年現在で、明海大学のみが『博士(応用言語学)』を授与している。

 これを読んでいて、「1991年以降と「1991年以前」の書き方が気になった。これでは1991年には、「博士(応用言語学)」の学位は授与されていたのか、されていなかったのかが分からない。なぜなら、「以降」、「以前」とは、言及されている数字を含むからだ。もし1991年から同学位が授与され始めていたのら、そこにあるように、「1991年以降」で良いが、その年にはまだそれが授与されておらず、翌年の1992年からというのであれば、表記は「1992年以降」とならなければならない。したがって、仮に「1992年から」というのであれば、上掲の文は「1992年以降に日本の大学で授与されるものである。1991年以前の日本では授与されておらず…」とならなければならない。

 ちなみに、我が国で「博士(応用言語学)」の学位を授与している唯一の大学・明海大学では、課程博士としての「博士(応用言語学)」第1号は2003年(平成15年)3月に出ている(詳細はこちら)。

妻の命日―あれから2年が経過した。

                          s                           妻にこの世での永の別れを告げてから、今日で丸2年が経過した。時の流れの如何に早いことか。この2年、730日の間、一日たりとも妻のことを忘れたことは無かった。ただただ、寂寞とした、遣る瀬無いo1毎日だった。至らなかった一人の男の反省の日々でもあった。その間、妻の霊前に、妻が生前最も愛した胡蝶蘭を欠かさなかったのは、いささかの贖罪のつもりからだった。

 結婚以来、仕事上のどんな苦労にも、困難にも、歯を食いしばって耐え抜いて来た私だが、妻との永訣だけは、如何ともし難かった。この思いは、同じ経験をした人には、きっと、よく理解してもらえるものと思う。

 恥ずかしい話だが、妻が私たちと共に在ったことが《日常の中の非日常》であったことを、私は妻を亡くして初めて実感した。朝起きれば、妻はそこにいた。私が糖尿病を患った時など、妻は食餌療法に関する本を2点も買い込んで来て、それを参考に、私のために、毎朝、特製の弁当を作ってくれた。そのお陰で、病状もずいぶん改善した。帰宅後、「美味しいお弁当だったよ。ありがとう。」と言うと、必ず、「そう、それは良かったわ。明日もまた美味しいお弁当を作りますね。」と応えてくれた。そんな《日常性》が、どれほど有難い《非日常性》であったか、私は本当には理解出来ていなかった。まことに愚かなことだった。

 妻がいた時には、茶菓を前に、おしゃべりをしながら二人で見ていたあちこちのテレビ番組orx0茶の間ドラマは、妻がいなくなってからはほとんど見ない。独りで見るものと言えば、たいていはニュース番組とドキュメンタリー番組だ。それでも、時々、映画専門チャンネルで、妻と共有した時代の日本映画や外国映画を見る事実、名画も多い
 sf
 この2年間で、炊事・洗濯等の家事も、ご近所付き合いも 、けっこうこなせるようになった。不器用ながら、何とか毎日を大過なく過ごしている。だが、正直に言えば、二度と妻に会えないのだという、不変の現実を直視することが、未練がましくも、まだ十分には出来ていない。 いつかそのうち、「ただいま〜、遅くなりました〜。」、そんなことを言いながら、華道教室や書道教室から妻が戻って来るのではないかという気持ちが心の片隅に潜んでいるからだ。おそらく、そうした、妻を想い、妻を慕う私の気持ちは、私の命の続く限り、萎えることはないだろう。

 夕方には、小さな家族が揃って、妻の霊を交えて食事をするつもりだ。子供たちに頼んで、妻が好きだった“なだ万”の弁当を買って来てもらおうと思う。 

Nemo sibi nascitur.
  誰一人として己の為に生れし者無し ― ローマの諺

妻を恋うる詩(うた)

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 恋しくて 恋しくて  
                                勝 榮

       恋しくて 恋しくて                   
 そっと開いてみる 妻の古いアルバム 

        切なくて 切なくて                     
 そっと頬を押し当ててみる 妻のスカーフ 

       愛しくて 愛しくて                
 そっと撫でてみる 妻のポシェット       
 
              寂しくて 寂しくて                
そっと語りかけてみる 妻の遺影   
     
            会いたくて 会いたくて            
          そっと呼んでみる 妻の名        

                苦しくて 苦しくて                
   そっと抱いてみる 妻のハンドバッグ

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嬉しい多忙な1日だった

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SA1去る8月19日、私は「私が胡蝶蘭にこだわるわけ」と題した一文を書いた。それが直接的・間接的に影響したのだろう(か)、今日の妻の命日には多くの方達から豪華な胡蝶蘭を次々とお供えいただいた。妻の霊前は胡蝶蘭で埋め尽くされた。

  胡蝶蘭を扱ったことのある人なら分かるだろうが、箱から出して、飾ったり、供えたりするのに大いに神経を使う。花弁SA一つでも落とそうものなら、それこそその美しさ、豪華さが台無しになる。今朝は早くから、汗をかき、嬉しい悲鳴を上げながら、しかも慎重に慎重に、1つ1つの箱を開けさせていただいた。そうしながら、私は、妻と言う女性が、一人の人間として、如何に立派だったかということを実感した私のような蛇蝎の心を持った者ではこうは行かない

 カードを添えて下さった送り主のどなたも、妻の「笑顔」の美しさを褒めて下さっていた。以前、別の所にも書いたことだが、妻はまさに「和顔施(わがんせ)」の人だった。高校時代3年間を同じクラブで過ごしてくださった I さんからは、「本当に優しい女性でした。」と妻のことを褒めていただいた。私も全くその通りだと思う。 

 また、何人もの教え子たちが、妻に供え物をしてくれたり、カードや電報を送ってくれたりした。ありがたいことだった。妻もさぞや喜んでいることだろう。

「血眼」「血まなこ」「血なまこ」

eye授業中に配布したプリントの中にあった「血眼(なこ)」を「ちなまこ」と読んだ学生がいた。「まなこ」→「なまこ」という音変化の一種だ。そこでいつものようにGoogel検索に掛けてみた。「血なまこ」が約 517 件ヒットした。以下に、そのうちの7例を引用する。

血なまこでイベント参加中
血なまこで格安航空券の結末
※「お前を捜してんだよ。奴ら、夕べから血なまこでな。」
血なまこで友達や親戚をあたった結果、叔父から 「ランディー」というスクーターをもらえることになった。
※そうやって、俺の揚げ足を取ることに血なまこになってるから、そうやって肝心なことがおろそかになるんや!
血なまこ で最後までたどり着いたと思ったら、間髪いれずに「じゃ、次の曲もやってみましょうか」と(笑).
※両ちゃんの目つきは必死の血なまこで、 それは中学生たちの声が遠のき、 あたりの景色が自分の見慣れた近所の場所になるまで続きました。

 「新(あらた)しい」が、いつの間にか「あたらしい」となったり、「さんさか」と読んだ「山茶花」が、いつの間にか「さざんか」と音変化したように、ひょっとすると「血まなこも血なまこ」と音変化するかも(?!)。

偏屈者の弁 ― 新首相に思う…

新内閣人事関連のテレビ番組を見ていて、またもや“文句”をつけたくなった。私の悪い癖だ。とりわけ、彼らの比喩表現の使い方に私の注意が向く。「どじょうが金魚の真似してもしょうがねえじゃん。」と、相田みつをの「どじょう」を引用して、「どじょうにはどじょうの持ち味がある。金魚にはなれない。」と言った野田佳彦・新首相。
  偏屈者の私としては、この詩句の引用には違和感を抱く。自らを「どじょう」にしかなぞらえられない人物が日本国の総理大臣で、本当に良いのか…。(相田みつをの詩を批判しているのではないので念のため。) 

 ちなみに、藤村修・新官房長官は、組閣について、「野田首相が考えたことなので、私が申し上げるのは僭越だが、適材適所だと思う。本当にドジョウ、泥にまみれて汗をかいて仕事をし、政治を前進させていくとそういう観点だと思う。」と述べた。「本当にドジョウ、泥にまみれて汗をかいて仕事をし、政治を前進させていく」と言うあたりの比喩が“下手だな”と思う。その点は、頭脳明晰な小学生にでも分かる“下手さ加減”だろう。

 新首相はまた、「夜の冷たい暗さを経験したものだけが、翌朝にアサガオが咲いたときにその美しさを完全に理解し愛でることができる。」という内容のことも言った。正直に言って、私にはその比喩的表現の意味も価値もよくは分からない。「夜の冷たい暗さを経験したものだけが」というあたりに、“苦労人”にありがちな“独りよがり”さえ感じてしまう。為政者のトップにある人たちとして、もっと“格調の高い”言い方、あるいは平たく言ってもっと“カッコイイ”言い方はできないものだろうか。これでは、自民党にありがちだった“浪花節的自己表現”と大差ない。

 それではどう言えばよいか。そんなことは一国の“舵取り”を任されている彼ら自身が考えることだ。ただ、いつも言うように、「言葉は思想の着衣姿」だから、思想が“どじょう”や“アサガオ”に親近感を求めて、それで満足するような類いのものなら、その程度の比喩表現しか生まれて来ないだろう。自戒を込めて、そう思う…。下に、かのバイロンの言葉を添えておこう。

Constant thought will overflow in words unconsciously. ― Byron
   (不断の思いは無意識に言葉となりて溢れ出づ―バイロン)

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