2011年10月

この日本語、変ですか?

私のゼミに所属する女子学生の一人が、ゼミ専用掲示板に次のように書いた。福島県にいる伯母さんの所に遊びに行った別の女子学生(仮名・明海さん)が書いた文章に対する感想の一部だ。

明海さんが書いてくださった No.6の文章を読みました。返信が遅くなり申し訳ありませんでした。明海さんお帰りなさい。わたしの親戚や知り合いには福島県に住んでいる人がいません。その為地震の被害がどの程度のものかを、テレビのニュースで報道されている事しか知りませんでした。これほど被害にあっても前向きな生きようとする人達を尊敬します。

 上記の文章に対して、当該学生が次のような疑問を発した。

>これほど被害にあっても前向きな生きようとする人達を尊敬します。
 上記の文についてなのですが、わたしはこの文を読んだり聞いたりした際にマイナスイメージに捉える人もいるのではないかと思いました。理由は、「尊敬します。」という表現は、場合によっては軽蔑の意味にも捉えられるのではないかと思ったからです。しかしながら、自分自身の考えに自信がありませんので、皆さんの意見を聞きたいと思いました。上記の表現について、皆さんの考えを聞かせてもらえれば幸いです。

 私のゼミでは、英語の勉強と同時に、母語としての日本語についても勉強する。したがって、こういう素朴な疑問とそれに対する感想・返事がゼミ生たちの「母語の見直し」に大いに役立つことになる。まだ、その疑問に対する他のゼミ生諸君の反応が示されていないので、ここでは私の答えは出さないでおく。学生諸君の反応の出具合によっては、後日、私見を書こうと思う。(なお、「前向きな生きようとする人達」という日本語はない。)

日本人英語の“強い響き”

いつだったか、某高校に模擬授業に行った同僚のカナダ人が、「同校の若い英語の先生から “I need you to...”、“You're expected to...”と言われた。日本人英語(Japanese English)には慣れているつもりなのだが、やはり少々ドキッとした」と言っていた。たぶん、英語母語話者である同氏は “Would [Could, Will] you.(please)...?”、“I wonder if you would [could]...”などと言って欲しかったのかも知れない。日本人には、こちらの欲求を相手に伝えようとして“I need [want] you to...”、“You're expected to...”というような言い方をする人が少なくないが、これらが持つ「強要しているような響き」、「横柄な響き」には気付いていないのだろう。
 また、かつて、別の高校に行ったアメリカ人の話だが、その高校の先生の一人から“It is impossible for you to...”と言われた時の驚きも聞いた。この構文の持つ「人に制限を加えるような、冷たい、非友好的な響き」が同氏のネイティブ・スピーカとしての癇に障ったのかも知れない。こちらについては、どのように換言したらよいか、各人で考えていただきたい。

病院で偶然耳にした言葉

bed20日の木曜日と27日の木曜日の二度、神奈川県立の某病院に行って来た。今月初旬(6日)に勤務校で受けた健康診断の結果が思わしくなく、大きな病院で精密検査を受けるようにと、校医から勧告を受けたためだった。深刻な結果も予想されたが、検査の結果、今すぐ命に関わるようなことはないということが判明した。もっとも、さらに検査の精度を上げるために、来月もう一度検査を受けなければならない。体の一部に異常があることだけは確かになった。

 二度目の時だった。私が病院のお手洗いから出てしばらく廊下を行った時、私よりも2、3歳年上と思しき男性が、背を通路側に向けて、何やら書類を食い入るように見つめていた。気のせいか、肩が小刻みに震えているようだった。あるいは声を押し殺して泣いていたのかも知れない。そっとその後ろを通った時、私の耳に、「どうか妻の具合がこれ以上、悪くなりませんように…」というその男性の祈りの言葉が聞こえてきた。2年前に妻を亡くした私としては、その男性の切ない気持ちが痛いほど分かった。私もその見知らぬ男性とそのお連れ合いのために真剣に祈った。

 建造物としての病院は、昔と比べれば、明るく、気持ちの良いところとなった。だが、そこに入院している人、通院している人の顔や体を見ると、正直なところ、やはり今でも陰鬱さが漂う。だから、上記したような言葉をそういうところでじかに耳にすると、本当に辛い思いをする。人はみな、愛する人といつかは別れて行かなければならない。だが、愛する人と、少しでも長くいたいというのが、人情というものだろう。どうか、その男性のお連れ合いが少しでも快復に向かいますように…。もう一度心からそう祈りながら、私は病院をあとにした。

「説明責任」という日本語

大王製紙の井川意高(もとたか)・前会長(47歳)が百億円を優に超える会社の金を私物化し、巷間伝えられるところではカジノ代などに費やしていたらしい。会社も会社で、創業家・井川一族のすることには誰も逆らえなかったという。ありがちなことだ。
 その井川氏の弁護士が記者会見で、「借入金の使途についても『何らかの説明責任を果たしたい』と語っていた」そうだ(朝日新聞、10月29日)。私の目を引いたのは、その「説明責任」という語だ。この言葉が広く使われるようになって久しい。英語からの「アカウンタビリティー」がそのまま使われる事も多い。
 問題は、政治家・マスコミを含めて、多くの日本人に、これらの語の元になった“accaountability”の本当の意味が、もう1つよく分かっていないらしいということだ。上記の弁護士が「何らかの(説明責任を果たしたい)」とサラッと言っているあたりにも、同氏がその語の(英語的に言う)重大さを認識できていないらしいことが読み取れる。
 詳細は『アンカーコズミカ英和辞典』(学研)の同項で私が書いた説明を読んでいただきたいが、日本人の言っている「説明責任」、「アカウンタビリティー」は大いに“日本的”なのだ。
 私の印象では、日本人は日常生活に英語の単語を採り入れるのは巧みなようだが、その“精神”まで採り入れるのは不得手なようだ。逆に言えば、だから、英語の本当の姿が分からない…。

ある国語辞典の定義のこと

書棚を片付けていたら、今から40年以上も前、私が大学院生だった頃に常用していた某社の国語辞典が出て来た。パラパラと頁をめくると、あちこちに、「この定義不十分!」という鉛筆書きがある。そのうちの4例を挙げてみる。

1.「黒鯛」―たい科の魚。マダイに似て、黒い。食用。かいず。関西では「チヌ」と言う。
    ●この定義不十分! これではマダイも色が黒いと解釈される恐れがある。また、「かいず」は「黒鯛」になる前の名称。 「黒鯛」の別名が「かいず」なのではない。

2.「獅子奮迅」―ししが荒れ狂ったように、すばらしい勢いで奮闘する様子。
    ●この定義不十分! ししが荒れ狂っているわけではない。人が激しい勢いで物事に取り組んでいる様子を「奮い立っている獅子」に譬えたもの。

3.「試し切り」―刀剣の切れ味をためすため、犬・ネコや人を切ってみること。
    ●この定義、時代錯誤的で不十分!

4.「母乳」―生母の乳のしる。
    ●
この定義不十分! 母乳は必ずしも「生母」(生みの母、実母)のものと定義する必要無し。

 これを見ると、この頃から、国語辞典の定義にも興味を持っていたことが伺える。他人の努力に不足や欠落を見つけることは、そう難しいことではない。いざ自分が辞書を作ってみて、その難しさがしみじみと分かった。「井戸の水を飲むものは、その井戸を掘った人々の苦労を思え」という言葉の重みを実感し続けるその後である。 

再び「暴走自転車に思う」

b4年前に、本ブログに「暴走自転車に思う」と題する記事を書いたことがある(こちら)。あれからそうした自転車は減ったか? どうもそうではないようだ。何十年もクルマ通勤をしている私だが、毎日のように路上でヒヤッとさせられることがある。信号無視で突っ込んで来る、一方通行の道を逆走して来る、それも携帯電話をいじりながらである。近所の某高校の生徒など、横並びで走行するのは当たり前、ひどい時には、傘をさしたまま、狭い道路を真ん中まで出て並走している。クルマが来ていることが分かっていながら、同じく自転車に乗った学校友達とおしゃべりに興じつつ走る(もちろん、全ての高校生がそうだと言うわけではない)。
    酒に酔ってフラフラしながら自転車をこいでいる者(特に男性)にも何度か出合ったことがある。そんな無法者をクルマ運転のこちらが万一にでも引っ掛けてしまったら、それこそこちらの不運であり不幸だ。先日も、渋滞でスピードを落としかけていたオ―トバイに激しく接触し、自らが転倒し、大怪我をしてしまった自転車運転者を見た。とにかく自転車運転者のマナーの悪さが昨今ますます目立つようになっていることだけは確かである。

 昨夕の朝日新聞にも「危ない自転車『警告カード』―警視庁、対策に本腰」と題した記事が出ていた。対応が遅すぎるのだ。自転車運転にも違反者に対しては罰則・違反が用意されている。具体的には次のようなものだ。

●制動装置不要(5万円以下の罰金)
●運転中の携帯電話使用(同)
●傘さし運転(同)
●飲酒運転(5年以下の懲役または100万円以下の罰金)
●信号無視(3カ月以下の懲役または5万円以下の罰金)
●一時停止義務違反(同)
●2人乗り(2万円以下の罰金または科料)
●並進=複数の自転車による横並び運転(同)

 誤解されそうなことをはっきり書くが、私は悪質自転車運転者に対しては、 「指導」、「警告カード」などは不要だと思っている。なぜなら、違反者のほとんどは「確信犯」としか考えられないからだ。どう見ても、違反の事実を分かってやっている。そうした「確信犯」たちの暴走運転・乱暴運転に巻き込まれて大怪我をする人たちこそ不運であり不幸である。中には、そうした暴走運転・乱暴運転に巻き込まれて命を落とす人もいる。

 自動車運転の場合、速度超過、酔っ払い運転、酒気帯び運転、無免許運転、信号無視、優先道路通行車妨害、駐停車違反、整備不良、携帯電話使用、歩行者用道路徐行違反等々、事細かく違反・罰則が定められており、それが厳密に守られている。自動車運転の場合、携帯電話を耳に当てている現場を見つかっただけでも罰則を適用される。
 それに対して、自転車運転の場合、上記のような違反・罰則が法律で定められていながら、それらはほとんど形骸化している。私が観察した限りで言えば、警察官もそうした無法者を見て見ぬ振りをしている。いちいち取り締まっていては、時間ばかり取られて、他のもっと重要な仕事ができないということなのかも知れない。だが、これは明らかに不公平である。先の東日本大地震以来、自転車保有者数は増大しているらしい。そうであるなら、余計、厳しい取り締まりを行うべきだ。法治国家である以上、法は遵守され、運用されなければならない。

Bonae leges malis ex moribus procreantur. ― Macrobius
  良き法律は悪しき行いより生ず―マクロビウス

富士山は男性か女性か

Fuji先日、ある翻訳クラスで、富士山の話が出た。私は、「富士山を英語の人称代名詞で言及するとしたら、he になるかな、それともshe になるかな?」と受講生たちに尋ねた。受講生20名たらずの小さなクラスだが、その全員が“she”だと答えた。つまり、富士山は“女性”という認識だ。

 答えは“he”。つまり、富士山は“男性”である。その“謂れ”は、「富士の三足(三脚)」にある。

  太平洋に向かって、富士山にはその右後ろに足和田山(山梨県)、右前に足高山(現・愛鷹山;静岡県)、左前には足柄山(別名・金時山;神奈川県と静岡県の県境)が控えており、その三山を「富士の三足(三脚)」と呼ぶ。そこから、いつの頃からか“真ん中の足”すなわち足高山(愛鷹山)が
男性のシンボル”と見做されるようになり、「富士山=“男性”」という考え方が出来上がった。“こじつけ”の感、無きにしもあらずだが、なかなか面白い解釈だろう。

 だが、富士山・浅間(せんげん)神社に伝わる伝説では富士山は大昔から“女性”だ。具体的には木花開那姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)ということになっている。神話では木花開那姫は大山祗神(オオヤマズノカミ)の第4女であり、すぐ上の姉が大宝山・浅間神社の祭神・磐長姫命(イワナガヒメノミコト)になっている。伊豆・大宝山は山焼きとリフトでよく知られるが、そちらに登って、富士山を褒めるのはタブーだという言い伝えがあるから面白い(姉の磐長姫命が嫉妬をするからだそうだ)。

第14回明海大学大学院応用言語学セミナー開催のお知らせ

明海大学大学院応用言語学研究科では、恒例の「応用言語学セミナー」を以下の日程で開催致します。多くの方々のご参加をお待ちしております。
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明海大学大学院応用言語学研究科主催
浦安市教育委員会後援
第14回 応用言語学セミナー
日時:2011年 12月17日(土)
場所:明海大学浦安キャンパス/講義棟2階 2201教室
テーマ 「言語の多様性と普遍性」

詳細はこちら

「心を保つお稽古」し〜ましょ(続)

昨日、「『心を保つお稽古』し〜ましょ」と題した一文を書いた。興味深かったのは、昨日言及した某住職の記事のすぐ左隣りに、歴史研究家・河合敦氏による「儒者招き藩士・農民を教育」と題した文章が掲載されていたことだ。九州・秋月家から10歳で米沢藩主の嗣子となり、17歳で藩主になった上杉鷹山(1751〜1822)についての記事だ。その中で、次の個所が特に私の注意を引いた。

家臣らの抵抗に遭いながらも長年にわたって改革を続け、膨大な借金を抱えていた藩財政を健全化させた、そんな名君が改革にあたって重視したのは教育政策だった。鷹山は改革を担う優秀な人材を育てる必要があると考えて、途絶していた藩校を再興、興譲館を創設した。この折、千人の弟子を持つ有名な儒者細井平州に支援を求めた。彼は鷹山の師でもあった。(中略)平州は当初、要請を固辞したが、鷹山がわざわざ大行列を組んで師の屋敷を訪れ、1年でよいからと厚遇をもって懇請したため、熱意に折れ、米沢行きを承諾した。(中略) 藩士に熱心に講義し、精力的に農村を回り、藩主に服すべきことや人のあり方を説いた。領民はその話を聞いて感激のあまりむせび泣き、平州が帰るときには7、800人が平伏しながら号泣したという。(後略)

 昨今、マスコミでもてはやされる人たちの文章を読んでいると、その“けばけばしさ”にうんざりさせられることが少なくないのだが、某住職のものにまさにそれを感じた。と同時に、隣り合わせて掲載された河合氏の文章に落ち着きを感じて、少々ホッとした。「文は人なり」とはよく言ったものだ。

「心を保つお稽古」し〜ましょ!

p今日の朝日新聞夕刊に、某氏(住職)が「心を保つお稽古」と題した記事を書いていた。内容は、「子どものためと思って『あなたのためだよ』と注意しているのに、反発して言うことを聞いてくれない」と悩む親を援護するための“処方箋”だ。自分の子供を思う気持ちの裏に隠された親の身勝手・支配欲、「子どものため」と称して子育てをしているが、実は自分のため、子どもは親のそういった嘘を本能的に見抜いて反発してしまう、云々と指摘している。結論は「そう、『いい人』をやめて、『あなたが片付けないとイライラしてしまうから、私のために片付けてくれない?』と正直に伝えるところから、信頼関係が生まれるかも知れません」というものだ。執筆者には悪いが、私はこの“処方箋”を読んで思わず失笑した。

 記事を読み進めても、そのほとんどどこにも宗教臭を感じられなかった。「煩悩」という語が二度出て来るが、文脈的にはそれにも宗教臭は無かった。執筆者紹介および本人の顔写真がなければ、私はこの記事は今時のタレント教育評論家の誰かが書いたものだと思っただろう。それほど“俗臭”の強い文章なのだ。Wikipediaで調べてみて、納得がいった。「お経を唱えない、葬儀・法要にかかわらない異色の僧侶」なのだそうだ。また、自著には、自分の「奇行癖、複数の女性との同時交際、妻や母親への暴力、恋人の自殺未遂を告白している」とあるらしい。なるほど、なるほど。

 私には、「そう、『いい人』をやめて、『あなたが片付けないとイライラしてしまうから、私のために片付けてくれない?』と正直に伝えるところから、信頼関係が生まれる」かどうかについては疑義が残る。それは結局は我利我利亡者の親が我利我利坊主[娘]を育てることに繋がるのではないかと思うからだ。僧侶らしからぬ僧侶に期待しても仕方がないだろうが、仏法には、親が自分自身のイライラの原因を内省し、心の平静を保てるだけの精神的余裕を持つにはどうすればよいのか、慈愛・慈悲に満ちた親になるためには具体的方策としてどんなものがあるのか、そういったことを知るのに、良い道標となる教えが少なからず遺されているのではなかったか。

 卑近な例で付言しておこう。私が大学の教室で、私語を止めない学生たちに、「諸君が私語を止めないと僕がイライラしてしまうから、僕のために静かにしてくれない?」と正直に伝えることが、学生たちと私との信頼関係を築くのに有効だろうか。私にはそうは思えない。私なら、まず次のような点を内省するだろう。

〇篌身の授業内容、板書の仕方、話す時の発声法・声の高低等、一義的な問題。
教室の広さと学生数、温度・日差しなどの室内環境等、私語に繋がる二義的な問題。

 こういうことを考えて、それから、

私語をすることが他人にどういう迷惑を掛けるのかを具体的に指摘する。たとえば、私語をする学生たちは、真剣に授業を聞こうとする他の学生たちの受講の権利を奪うことに繋がるのだから、それを止めなさい(自分が他人から奪われたくないものを持っているなら、他人のそれも奪ってはならない)。

 と、こういうふうに、まず“自己反省”を試みる。「諸君が私語を止めないと僕がイライラしてしまうから、僕のために静かにしてくれない?と正直に伝えることは、むしろ、教壇に立つ者の身勝手な自慰的発言に過ぎないように思えるのだ…。

【後日記】別の所で、同氏が、「ロリコンの息子」のことで悩む母親からの相談に、「子は子、親は親。『子がロリコンなのではと、心配で…』ということ自体、親の干渉、支配すべきものでもありません。」と答えていることを知った。確かに、今時の考えでは「子は子、親は親」だろう。しかし、仏陀は「親・子それぞれの義務」をきちんと説いておられる。したがって、そうした回答にはならないはずなのだが…。同氏も“僧侶”であるからには、そんなことは「百も承知」で書いているのかも知れない。そうであるなら、氏の回答は極めてミスリーディンだ。

相変わらずの“英語もどき”

我が家の郵便ポストに1枚のチラシが入っていた。近所の某造園業者のものだ。曰く、

Please enjoy Gardenlife! 心地よく安らぎのある空間を届けます
Green          ......   緑のある空間
Accordance ......   調和する空間
Regale    ......  もてなす空間
Desirable  ......   魅力ある空間
Enjoy     ......   楽しむ空間
Nature    ......  自然な空間

 日本語が添えてあるから何が言いたいのかは分かるが、統一性を欠いた英語の用い方である。和英辞典か何かで、適当に探して来て、無理やり当てはめたものだろう。この手の“英語もどき”は、戦後の我が国には、それこそもう手のつけられないほど“繁殖””増殖”している。

a cup of hot coffee とa hot cup of coffeeのこと

coffee某塾で高校生に英語を教えているという大学院生の一人から、面白い質問を受けた。

教えている高校生から、「『ホットコーヒー一杯』というのは、a cup of hot coffee だと思うのですが、a hot cup of coffee では間違いですか」と聞かれたので、「hot はcoffee を修飾するのだから a cup of hot coffee が正しい。a hot cup of coffee だと熱いのは容器のcup になるから英語としては不自然だね。」と答えたのですが、それで良かったでしょうか。

 「それで良かったでしょうか」という言葉は、同君が自分の発言にもう一つ自信を持てないでいることの証拠だろう。しばらく考えて私が出した答えは、次のようなものだった。

普通、英語の先生はそういう応え方をするでしょう。しかし、その場合のcup を、容器としてのカップではなく、『カップ1杯の量』という意味だと解釈して、(たとえばLet's have a cup of coffee. と言うような場合)そのを念頭に置けば a hot cup of coffee という言い方は十分に成り立ちますから、その言い方を“間違い”と決めつけるわけにはいきません。しかも、とりわけイギリス口語英語ではa hot cuppa coffee (cuppa=cup of) という言い方をしますから、日常的にそう言っている人にとっては、a hot cup of coffee という英語は通用するものになるでしょうね。その意味でも、それを“不自然だ”と決めつけるわけにはいかないでしょうね。

 同院生の言葉、「そんなふうに考えたことはありませんでした。いやあ〜、英語って奥が深いですね…。」  別に英語だけが奥が深いわけではない。言語現象と真剣に向き合おうとすれば、どこの国の言葉も、それぞれに奥は深いのだ…。

日本人は言語に対する感度が低いか

昨日、何気なくテレビのチャンネルを切り換えていたら、某大学教授が自校の学生たちを相手に、日本とアングロ・サクソン社会との考え方の違いや行動様式の違いを、彼らの反応を巧みに取り入れながら説明しているところに出くわした。ハーバード大学のM.サンデル教授の「白熱授業」を模した形態の授業のようだった。その“日本人らしからぬ授業の進め方”に興味を引かれて、とうとう最後まで見てしまった。初めて見る人たっだが、私の第一印象は、「この人はまず間違いなく、アメリカで経営学か経済学を勉強し、学位を取り、外資系の会社で働いた経験を持つ人だろう。」といったものだった。話し方(特に言葉遣い)を初め、教室内での立ち居振る舞い全体がそれを強く感じさせた。あとでインターネットで調べて見て、私の予測が的中していたことが判明した。

 異見を差し挟みたい箇所が何箇所かあった。たとえば、氏は、「アングロ・サクソン社会で重要なこと」として、Be fair (公平である)、Be patient (我慢強い)、Be calm Do not panic〉(落ち着いている)の3点を挙げ、これらは「日本社会では馴染まない」と言った。確かに、英語的、アングロ・サクソン的意味でのそうした概念は日本社会には馴染まない。だが、氏の指摘の仕方だと、日本社会には「公平」、「我慢強さ」、「落ち着き」が欠損しているかのような印象を受ける。つまり、きわめてミスリーディングな説明の仕方、テロップの使い方なのだ。彼我において、どのような場合・状況を「公平である」、「我慢強い」、「落ち着いている」と感じるかという点での実態の違い、実状の間の乖離の問題であって、日本人社会にそれらが無いわけでは決してない。氏が、「そんなことは百も承知」と言われるなら、「百も承」をしているまさにそのことを彼我に偏ることなく説明しておくべきだろう。少なくとも、氏の昨日の講義からは、そういった点はまるで感じられなかった。

 もう1点、大きな違和感を覚えたのは、同氏が最後のあたりで、「日本人は言語に対する感度がきわめて低い」と言ったことだ。それに関しても、私は異見を持っている…。Et tu, Brute?

Every man should let alone others' prejudices and examine his own. ― J. Locke 
   他人の先入観は先入観として、人はまず己の先入観を考覈(こうかく)せざるべからず―J.ロック

小さなお握り屋さんのこと

b私の近所に小さな「お握り屋さん」がある。30代半ばの女性一人がやっている店だ。開店してから、4年近く経つだろう。店は清潔な上、各所の色使いが良く、客への応対とお握りの味とが第一級だ。じつに感じの良い店なのだ。お握りの種類は、たぶん15種類ほどだろう。もちろん単品でも買えるのだが、折詰弁当にもしてもらえる。近所にある高校の生徒たちが登校の途中に、また、朝、勤め先に向かう男女が、昼の弁当用にと、その店であれこれとお握りを買って行く。

  評判が評判を呼び、注文が絶えない。運動会の時、町内会の役員の集まりや旅行の時、趣味を通じての同好会がある時などには、昼前にはもう「本日は閉店致しました」の看板が出る。そんな時には、店主の母親らしい女性や親戚の人たちが、応援のためにやって来ているようだ。

 じつは、今朝も弁当を求めて同店へ立ち寄った。午前10時頃だったが、もうその看板が出ていた。もしや余分な弁当がないだろうかと思って、中に声を掛けてみたが、残念ながらそれは無理なようだった。店内では4、5人の人たちが忙しく立ち働いており、出来あがったばかりの弁当がうず高く積まれていた。活気があった。この店で断られても、私はいつも気持ちよく帰ることができる。なぜだろう。

 それはたぶん、店主であるその女性の“たおやめぶり”(今や“死語”か)のせいだろう。「お握り屋さん」らしく、髪の乱れを防ぐための“頭巾”を着用した和服姿なのだが、それが言葉遣いの適切さに輪をかけて彼女を魅力的に見せる。開店したばかりの頃、近所には、「あんなお店、すぐにつぶれるんじゃないの」などと陰口を叩く人もあったようだが、どうしてどうして、その逆である。それもこれも皆、たった一人の店主の力である。 

【付記】こちらに書いた記事の若い女性のことを思い出した。

「いとこ」と漢字

私のゼミに所属する女子学生の一人が、ゼミ専用掲示板に、福島県の親戚に行った時の感想を書いていた。その中に、次の一文があった。

家具や食器も必要最低限の物しかなく、私服や高校3年生の従兄弟の部活の道具も物資で頂いたものが多いと言っていました。

 問題は「高校3年生の従兄弟」と言う個所の「従兄弟」の表記だ。それを書いた本人に確認したところ、高校3年生の「いとこ」は一人だけだそうだ。そうであるなら、「男の年下のいとこ」のことだから、「従弟」と表記する方が誤解が無くてよい。自分よりも年上であれば「従兄」と表記し、それが女性なら、年下の場合は「従妹」、年上の場合は「従姉」と表記するほうが視覚的にも分かりやすい。一番便利な漢字は(最近ではほとんど見掛けなくなったが)「従子」だろう。これなら上記4種類の表記を1つで済ませることができる。ただし、現代のほとんどの若者たちには読めない漢字だろうから、平仮名で「いとこ」と書くほうが無難な気がする(同い年のいとこの場合は「同じ年のいとこ」とその通りに書けばよいだろう)。

【付記】本人は、私からの指摘を受けて「いとこ」に関係した漢字を調べ、その結果を次のようにまとめて、ゼミ専用掲示板に書いた。

 
山岸先生よりご指摘をいただいて、「いとこ」の漢字表記について調べました。

年長の男性→従兄
年長の女性→従姉
年少の男性→従弟
年少の女性→従妹
男同士→従兄弟
女同士→従姉妹
男女同士→従姉弟、従兄妹
総括して→従兄弟姉妹
父方のいとこ→従兄弟堂兄弟、堂姉妹
母方のいとこ→表兄弟、表姉妹

 このように多くの表現があることを、まことに恥ずかしながらわたくしは知らずにおりました。このたびわたくしが滞在いたしました叔母の家には、わたくしの2人のいとこがおります。(中略)「高校3年生の従兄弟」というのはそのうちの1人のことを表した文ですので「高校3年生の従弟」と訂正いたします。

【後刻記】ゼミ生たちが一様に掲示板に書いていること。「恥ずかしながら、『いとこ』にこれだけの書き分けがあることを知りませんでした。」 さもありなん…。

宮沢賢治の『注文の多い料理店』の英訳

昨日、同僚のX氏と話をしていて、宮沢賢治の『注文の多い料理店』が話題に上った。知る人も多いように、「注文の多い」という個所が二様に解釈できるところが同短編の面白いところである。1つは「客に人気があって、注文数が多い」という意味であり、もう1つは「店側が客に対してあれこれと要求する」という意味である。これの英語訳は公刊されているものを見るとThe Restaurant of Many Orders となっている。インターネット上には、ほかにこの題名を次のように訳してあるものある。

   1. The Restaurant That Has Many Orders 
   2. The Restaurant with Many Orders
   3. The Many-Order Restaurant

  上掲のThe Restaurant of Many Ordersを除いて、この3つの中で英語として通用するのは2だろう。

I'm worn out. と I'm wore out.

英語では、「疲れきっている」ことをI'm worn out.と言うが(個人的にはI'm tired.という言い方が好きだが)、このworn(wearの過去分詞)をworeと言ったり書いたりする人がいる。Google検索に掛けると約13,000件がヒットする。3例だけ挙げておこう。

例1:"I'm tired. I'm wore out," T.I., whose real name is Clifford Harris, told CNN's Don Lemon.
例2:I'm wore out. Good night, everybody!
例3:Whew...it's done & I'm wore out!

ちなみに、I'm wore outを検索に掛けると、Did you mean to search for: "I'm worn out " と出て来る。「もしかして、I'm worn out.のことではありませんか…」ということだ。

【追記】woreを過去分詞に用いるのは、英国海事用語としてのwear((船を)下手回しにする;(船が)下手回しになる)のそれである。米国海事用語としての過去分詞はworn。過去形は共にwore。

「舌の根の乾かぬうちに」と「舌の先の乾かぬうちに」

t何かを言い終わったばかりなのに、すぐに前言に反するようなことを言うことを形容して、「舌の根の乾かぬうちにと言うが、この「舌の根」を「舌の先」と言う人がいる。

 いつものようにGoogleで検索すると、「舌の先も乾かぬうちに」が約 5,700 件、「舌の先も乾かないうちに」が約 3,200 件ヒットする。ちなみに、「舌の先が乾かぬうちに」が約 2,700 件、「舌の先が乾かないうちに」は約 2,130 件ヒットする。単純に計算すれば、「舌の先」の使用例は約13,730件もあるということだ。

 慣用表現は勝手に変えられないのだが、多くの人がそれを普通に用いるようになれば、その用法も普通語法になる。言葉とはそういうものだ。今のところ、「舌の先」はそう多用されていないようだ。

revelant vs. relevant

先日、アメリカ人のA氏と雑談をしていた時のことである。A氏が"It contains a lot of revelant, no, relevant information. "と、revelantrelevantに言い換えたのが興味深かった。「関連性のある」の意のrelevant revelant と言い間違えるのは、ネイティブスピーカーでも時々観察される古典的なものである。正確に言えば、これは言語現象としてはrelevant の「音位転換(metathesis)」と呼ぶものだ。"ask"を"aks (ax)”と言う類いのものだ。昔、イギリスに留学していた時にも、“我が家”に出入りしていたペンキ屋さんが"revelant"を何度か用いたのを覚えている。口癖になっていたようだった。日本語の「したつづみ(舌鼓)を打つ」を「したづつみを打つ」と言うのも同類だ。

 この間違いは話し言葉に多いが、書き言葉にも散見される。次に、ネット上で見つけた誤用例を6例挙げておく。

Revelant Questions ONLY
※Information provided at the Proposer's day conference and revelant questions and answers are available at:
※Join us Sunday mornings as we explore the Word of God, seeking answers to revelant questions we face every day, spend time worshipping God, and building community with eachother.
※Please provide all revelant information.
※Free Essays on Revelant Information for students.
※Use the links below to find out other revelant information on your Pacific Highway trip.

「旨み調味料」と「旨味調味料」

新聞・雑誌・広告などでしばしば「調味料」という字を見掛ける。もちろん今は普通の表記法になっている。だが、厳密に言えば、「調味料」のほうが正統派だ。なぜなら、「うまみ」の「」は「(水の)深」、「悲し」、「高(の見物)」、「赤[、白」などの「」であり、文法的には、名詞を作る接尾辞だからだ。要するに、「」を「」と書くのは"当て字"に過ぎない。

 ところが、Googleで「調味料」」を検索すると、何と約 77,000 件 がヒットする。これに対して、「調味料」のヒット数は約 50,700 件にとどまる。つまり、正当派の表記法がそうでない表記法に席を譲っていることになる。

 「旨み」が「(あじ)」に関わることだから、「旨味」と書く人たちは、その表記法に違和感を抱かないのかも知れない。ちょうど、「の見物」(Googleヒット数約 411,000 件)が、「高い場所から見物すること」と解釈されがちなところから、「の見物」(Googleヒット数約292,000 件)と書く人が多いように…(「高見の見物」に関してはこちらも参照)。

 ちなみに、「おもしろみ」も「面白」と表記するのが正統派だが、これを「面白」と表記する人も多い。後者の場合、Googleヒット数は何と約 1,190,000 件である。いっぽう、「面白」は約 3,330,000 件と一応健闘している。

フカヒレの販売・所有を禁止する州法成立!

全米のフカヒレの約85%が中国系住民が最も多いカリフォルニア州で消費されているそうだ。そのカリフォルニア州で、今後、フカヒレの販売・所有が禁止される。今月7日、ブラウン州知事が州議会で可決された法案に署名したからだ。在庫の販売は2年後の2013年7月1日まで認められるが、それ以降は医療・研究用などを除いて、販売も所有も禁止されるとのこと。
 以前一度、どこか外国のテレビ番組で、サメを捕獲し、ヒレの部分だけを切り取りこれをshark finningと呼ぶ、あとは生きたまま海中に放棄するという残酷なやり方をしているところを見たことがあるが、私はそれにひどいショックを受けた。海底に沈んだサメは泳げずに、1〜2日の間、もがき苦しみ死んで行くそうだ。左の動画の最後の部分にも類似の場面が出て来る。やはり人間の残酷さ・傲慢さ・身勝手さの1例である。ブラウン州知事は、「残酷なだけでなく、海の衛生にも悪い」と言ったそうだが、当然である。
 この法案は、もともと、同州の中国系議員が中心となって提出され、俳優のレオナルド・ディカプリオ氏や英ヴァージングループ創業者リチャード・ブランソン氏らが後押して成立したものだが、中華食材を扱う業者や一部の中国系議員らは「アジアの食文化への攻撃」と反発しているそうだ。ちなみに、日本では宮城県気仙沼市がフカヒレの産地としてよく知られている以前、同市のフカヒレ漁が英紙ガーディアンから「種の大量殺戮」として非難されたことがある

「惜別」欄の人たち

今日の朝日新聞夕刊の「惜別」欄で、ジョー山中さん(64)、藤井繁克さん(85)、杉村太郎さん(47)の3名が紹介されていた。
 ジョー山中さんは、Mama, do you remember...?で始まる「人間の証明のテーマ」の主題歌で有名な歌手だ。7人兄弟で一人だけ肌の色が違ったそうだ。3オクターブの声域はずっと健在だったらしい。

 藤井さんは釣好きなら誰でも知っている釣り具メーカー「がまかつ」の会長だ。ばら売りだった糸付き針を、もつれずに仕掛けごと抜けるパッケージにしたことでも知られる。これがどれほど便利なものかは、釣り好きならよく分かることだろう。私自身、釣りを趣味とするからその点を実感している。中国産の類似品を使ってみて、私はその不便さ・面倒くささに辟易としたことがある。糸どうしがもつれて、結局は使い物になる無くなることも少なくなかった。とにかく、「がまかつ」のパッケージ針は便利で、親切な作りなのだ。ある時、藤井さん自身が新製品を試しに使ってみて、思わしくない釣果に落胆し、それを「出荷停止」としたというから、釣り具へのこだわりは常人のそれではない。「事業欲よりも、釣り人に喜ばれるためにこだわる人」だったそうだ。

 杉村太郎さんは過日言及した「我究館」、『絶対内定』で知られた人である。「癌は死ぬまでの時間でやりたいことができる。ありがたい。」と言っていたそうだ。常人にはこうはなかなか明言できないだろう。お三方のご冥福をお祈りする。

「主人」という語の用法

smile先日、某所で、30歳前後の男性が、自分の上司らしき50代後半の男性に、同伴していた妻を紹介しているところに出くわした。その男性が、「妻の**です。」 と言うと、そばにいたその女性は、「**です。いつも主人がお世話になっています。」と挨拶した。人によっては、「いつもがお世話になっています。」というような言い方をする人もいるだろう。
 
 私が若かった頃、若い人たちが自分の指導教授や上司など、年長者に向かって、「(うちの主人が…」と挨拶をするのはタブーだった。そういう場合、普通は、「いつも○○(夫の苗字)がお世話になっております。」というように応えることが期待されていたからだ。時代は変化しているものの、今でもそういうことを気にする人たちが世の中には大勢いる(だろう)ということを若い人たちは承知しおいたほうが良いかも知れない。

自己破産した狭山茶の橋本園

埼玉県入間市宮寺の製茶販売業「橋本園」が、さいたま地裁川越支部に自己破産を申請したそうだ。負債総額は約5億円とのこと。小人数で営む販売店のようだが、狭山茶の取扱量は全国トップクラスだという。個人消費の不振で売り上げが低調だったところに、例の東電福島第一原発事故による茶葉への放射能汚染の風評被害が追い打ちをかけたと言われている。東電の罪と責任は計り知れないほど大きい。好きな狭山茶がこれからも飲めることを私は願っている。

「無駄足を食う」という言い方

o留学カウンセラーの某氏が書いたある本に次のような1文があった。

それなのに、「付属の英語学校に通い、TOEFL500点以上が取れたら大学に入学してもよい」という学校だと、とんだ無駄足を食うはめになってしまいます。

 私の場合、「無駄足を食う」という言い方には馴染みが無い(下記の「無駄足を食らう」も同様)。そう言われると、なぜか、自分の足を食っているタコあるいはイカを連想してしまうのだ。だが、Googleに掛けると約33,500件もヒットする(下記)。その他、「無駄足」から連想される言い方を挙げ、それをいつものようにGoogle検索に掛けてみた(個人的には、最初の三つの言い方を好む)。

「無駄足になる」     約334 ,000件
「無駄足に終わる」   約30 ,500件
「無駄足を踏む」    約42,500件
「無駄足を運ぶ」    約66,900件
「無駄足をする」    約252,000件
「無駄足を食う」      約33,500件
「無駄足を食らう」   約10,400件
「無駄足を使う」      約152,000件

 語法というものは、使用頻度が上がれば上がるほど、一般化していくものだから、そのうち「無駄足を食う」人も、「無駄足を食らう」人もさらに多くなるかも知れない。さて、読者諸氏の場合、いずれが日常的なものだろうか…。
 なお、個人的には、「無駄足」という語を、自分よりも年長者・上位者にご足労願った場合には使わないようにしており、別の表現を用いるように努めている。

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