2012年01月

「かたつむり」、「たなばたさま」の2曲を英訳した。

i今朝は童謡「かたつむり」と「たなばたさま」の英訳をいつ1もように私のホームページ上に掲載した。幼い時から聞き慣れているこうした童謡も、改めて英訳しようとすると、その意味するところ、単複の概念など、いろいろと考え込むような点が出て来る。だが、それとの“格闘”がこれまた大いに楽しい。この際、“季節”は無視して、日本語でのそうした童謡と共に、その英訳も口ずさんでみていただきたい。

「学生様」という言い方

学生某君が応募したという会社、2、3社の募集要項を見ていたら「学生様」、「学生さま」という表記が目に留まった。「学生様[さま]」? そう言えば、いつの頃からか、学生諸君が「[さま]」付けで呼ばれるようになった。いつものようにGoogleで検索すると、「学生様」は約  840,000 件、「学生さま」は約58,900 件のヒットだった。それぞれ、2例ずつ挙げておく学生諸君が応募した会社とは無関係の例を拾った

1.ご契約者様名義は、学生様ご本人ではなく親御さんになるパターンが殆どとなります。
2.本日は、先日弊社の会社説明会に参加した学生様の感想を掲載したいと思います!
3.国試対策. netからのお知らせ。大阪歯科大学の学生さまが登録いたしました。
4.一つの学校・企業の中で、学生さま社員さまがSuica・PASMOのいずれかをそれぞれ自由に選択できる仕組みです。

 と、偶然拾った4例だったが、これが、眠っていた“ひねくれ虫”をまたまた起こしてしまったn。以下はその”ぶつくさ”…。

 1.の場合、「ご契約者様」、「学生様ご本人」と馬鹿丁寧に言っておいて、そのあとで「親御さん」と書くのは、モーニング着用にスニーカー履きというところで不自然…。
 2.の場合も、「学生様」と馬鹿丁寧に言ったのに、「参加した」だの「感想を」だのと言うのは、これもちぐはぐで、たとえてみれば、リクルートスーツにサンダル履きの学生様」ってところ…。
 3.「学生さまが登録いたしました」の「いたしました」は変…。なぜなら、「いたす(致す)」は、普通、自分側の動作を低めて言ったり、改まった気持ちで言ったりする時に用いる謙譲語”なのだから、自分側の人間ではない「学生さま」に関連付けるのは不自然。 もしかしたら、これを書いた人は、ある状態・現象が生じる時に用いる「する」の丁寧語「いたす」(例:「いい香りがする」→「いい香りがいたします」)と混同したのかも…。
 4.ここも「学生さま」、「社員さま」と馬鹿丁寧に言っているのに、「自由に選択できる」と続けるのは、リクルートスーツにサンダル履きという「学生さま」、背広姿にズック靴履きという「社員さま」の姿を想像させる…。

 “ひねくれ虫” 今日はここで退場…。

童謡「うさぎとかめ」を英訳した。

uここのところ、学期末試験の採点とその提出、相変わらずの辞書の仕事等で多忙だが、その合間を縫っては、60年(以上)も前の“童心”に返って童謡を歌っている。と言っても、日本の童謡を英訳して歌うことだ。これが、難しくもあるが、なかなか楽しい。今日、掲載したのは「もしもしかめよ かめさんよ」で始まる、例の「うさぎとかめ」の英訳である。是非、曲に乗せて歌ってみていただきたい。

「さくら」と「雪」の2曲を英訳した。

s1先日の「うさぎ」、「茶摘み」に続いて、「さくら」と「」を英訳し、同じく私のホームページにアップした。英訳は難しいところもあるが、同時にこれがけっこう楽しい。曲に合わせて歌えるように作ってあるので、是非歌ってみていただきたい。

誰かしら心を寄せて

fl 一昨日の昼、好天の中をいつものように散歩に出掛けた。某大規模病院前の上り坂まで来た時、歩道脇のコンクリート壁の土の部分に赤い花が咲いているのに気付いた。写真からも分かるとおり、アロエの花だった。誰かが植えたのだろう。あるいは自分のうちにあったものをここに移植したのかも知れない。

 ふと、その茎に目が行った。するとそこが割り箸状の木片を支柱にして細い紐で縛ってあるのが目にとまった。通りがかりの誰かがわざと折ったかのかも知れない。それを見た別の誰かが、アロエが可哀相だからといういうことでそういう処置を施してやったのかも知れない。あるいは、それを誤って折った誰かが、済まないと思う気持ちから、そうしたのかも知れない(故意にそれを折った者がそんなことをするとは考えにくい)。

  いずれにせよ、いま咲き誇るアロエの花に誰かが心を寄せて、その命を永らえさせる工夫をしたことだけは確かだ。病院の近くでのそうした光景だっただけに、私はちょっと嬉しい気がした。英国詩人Alexander Pope (1688-1744)はかつて言った。Do good by stealth.善は人知れず行え)と。この1本の花に注がれた誰かの思いもやはり「人知れず行われた善」だったのだと思う…。

「天使の声」のこと

先の東日本大震災の際、宮城県南三陸町にある防災対策庁舎から、防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、自らは津波の犠牲になった町職員・遠藤未希(みき)さん=当時(24)=が、埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることになったそうだ(該当記事)。結果的に命がけの避難放送になった遠藤さんのご冥福を祈ることはもちろんだが、1つだけ気になったことがある。その教材に付けられた題名の「天使の声」のことだ。
 
 どうも私と言う人間は“天の邪鬼”と言うか、生れついての“ひねくれ者”らしい。この題名を見て、すぐに「またか!」と思ってしまった。その職責を全うした責任感には最大級の敬意を払うし、その尊い命が犠牲になったことに対しても、深く哀悼の意を表し、ご両親を初め、お身内の方々にも心からの弔意を表する。愛する者を失うことの喪失感・寂寥感は私にもよく分かる。
 
 だが、こういうことがあって、それが“若い女”だと、すぐに「天使」だと形容する人たちの物事の捉え方には大いなる違和感を覚える(「白衣の天使」も同類だ)。遠藤さんが「天使」のような人どんな人?だったのか、命がけの放送をしたから「天使」に列せられたのかは知らない。だが、これが男性だったなら、「天使」と形容するだろうか。そんなことはあり得ないだろう。

 むしろ「無題」にして、その内容を読んだ子供たちに題名を考えさせるほうがよほど“教育的”だと私は思う。それが「道徳」の教材なら尚更だ。今の題名は上位者からの“押し付け”としか思えないもっとも、教育には“押し付け的側面”は付き物だが。「忘れまい、遠藤美希さんのこと」とでもするほうがよほど良いだろうと思う。合掌。

a【後記1】私はその教材を手に取って見たわけではない。だから、上記のことは個人的印象論の謗りを免れないかも知れない。仮に、その教材を書いた人(たち)が、George Eliot (1819-1880) のAngels come to visit us, and we only know them when they are gone.天使らは我らを訪ね来るも我らの知るは彼らの去りしあとのみなり)という言葉に触発されて、それで「天使」という語を選んだのであれば、それはそれで良しとしたい。そんなことはまずないだろうが…。
【後記2】英語には“clairaudienceという語がある。普通の人間の聴力では聞き取れない音を聞き取る能力のことをいい、しばしば「天使の声」を聞く力に言及して用いられる。だが、今回の「天使の声」はそれとは無関係のはずだ。

童謡「うさぎ」と唱歌「茶摘み」を英訳した。

rabit時季外れだが、童謡の「うさぎ」と唱歌の「茶摘み」を英訳し、私のホームページにアップした(同僚J. Glass教授のお連れ合いのお友だち・神谷亜紀子さんにお手伝いいただいた)。

 前者は、「うさぎ うさぎ なに見て はねる 十五夜 お月さん 見て はねる」という、それだけの単純な歌だ。英訳した理由の1つは、インターネット上に出回っているその英訳に不満を感じたからだ。もちろん、誰がどのように訳してもよい。だが、見た限り、童謡の“意味するところ”をきちんと理解した上で英訳したものが少ないようだ。たとえば、「なに見て はねる」の「はねる」を、いずれも、ただjump とだけ訳していた。だが、うさぎならjumpするのは当たり前だ。それを「なに見て はねる」と歌う以上、そこにこれを作詞した人(不詳)のうさぎへの特別な思いがあったはずだ。その解釈に個人差はあっても、ただ単に「はねる」でないことを読み取る必要があるだろう。

c また、後者は「夏も近づく 八十八夜 野にも山にも 若葉が茂る」で始まる、かつての文部省唱歌だ。インターネット上で見られるこの歌の英訳の場合、「八十八夜」をthe 88th Day of Springと訳しているが、これだと外国人には漠然としか理解されないだろう。英語として通じさせるためには、それをもっと分かりやすく換言する必要があるように思う。

 そんな思いで、「うさぎ」「茶摘み」を歌えるように訳してみた。本ブログの読者諸氏に是非、歌ってみていただきたい。(英訳はこちらこちら

He preached against sin.を何と訳す?

p某英和辞典の“sin”の用例の1つとして、He preached against sin.という例が挙がっており、それに「彼は罪悪を犯してはならないと説教した」という日本語訳が添えられている。だが、これはきわめて“ミスリーディング”な訳だ。誤訳の部類に入るだろう。なぜか。私のゼミ生・院生(および読者諸氏)への宿題としたい。(即座正訳が示せる人は「英語文化の真髄」を十分に理解できている人か、それに肉薄している人だと言っても過言ではないだろう。

A Pittance of Time という歌のこと

昨日、イギリスのRemembrance Day戦没者記念日)のことに少しだけ触れたが、それに関連したことで思い出したことがある。そのことを書いておく。

 1999年、11月11日、アメリカ人singer-songwriter、テリー・ケリー(Terry Kelly)はノバスコシア州ダートマスにあるドラッグストア・Shoppers Drug Martにいた。午前10時55分、店内スピーカーから、「ご来店の皆さま、お早うございます。本日11月11日、午前11時になりましたら、店内のお客様には、退役軍人の方々に敬意を表し、2分間の沈黙をお願い致します」という放送が流れた。当日は、アメリカの「退役軍人[勇士]の日」(Veterans Day) だった。
 テリー・ケリーは、退役軍人への同店が示した配慮に痛く感動した。子供連れの男性1人を除いて、全ての客が11時の時報を合図にその場に立ち止まり、瞑目した。テリー・ケリーは、その男性に怒りを覚え、その子への示しもつかないではないかと感じた。これが動機になり、彼はA Pittance of Time という歌を作った。「ほんのわずかな時間」という意味である(Remembrance Day Song 「戦没者記念日の歌」としても知られているようだ;昨日の記事でRememberance の綴りの誤りに触れたが、本記事に添えた動画のタイトルでもその語が誤って綴られている!

 内容の大筋は、「祖国のために戦って死んだ人たちのために、2分というわずかな時間、沈黙しませんか。そうした人たちの魂が安らぐように、何のために彼らが命を落としたかを私たちが忘れないように。」 という彼からのメッセージだ。 Take two minutes, would you mind? It's a pittance of time.(2分間だけ、いいですか? ほんのわずかな時間ですから)という言葉の響きが美しい。

 国の歴史や国民性が違うとは言え、ドラッグストアがこういう呼び掛けを客に対して行い、それにヒントを得た歌が作られ、堂々と歌われる。その点では、アメリカという国が羨ましくもある。祖国のために戦って死んだ人々なら、我が国にも数え切れないほどいる。だが、現在の我が国でこういうことが望めるだろうか。答えはまず間違いなく否であろう。残念だが、これが我が国の現実なのだ…。
 いずれにせよ、テリー・ケリーの素晴らしさは、自分の怒りを曲を作ることに向け、その曲を通じて、世界の人たちに自分の主張を伝えようとしたことだ。

ネイティブスピーカーと綴りの間違い

日本人が誤字を書くことがあるように、英語を母語とする人たちも誤字を書くことがある。昨日は、イギリスのRemembrance Day(戦没者記念日)のことをウェブ上で調べていたら、あちこちのサイトにrememberanceeが挿入されている例が目にとまった(例、例)。「覚えている、思い出す」などの意味の remember に、「すること」の意味の接尾辞 -anceをそのまま付けて覚えた人が書いたものだろう。

 この例は、名詞形を作る時には削除するはずの字をそのままにしたものと考えられるが、反対に、字としてはあるのだが、発音上は無音であるために、それにつられてその字を削除したと思われる語もある。たとえば、「禁じる」の意味のprohibitは、名詞のprohibitionにすると、動詞の時に発音されていたh の音が発音されないのが普通だ(発音しても間違いではない)。そのために、その語はproibiton と綴られることが少なくない(例、例)。「禁酒法賛成論者」の意味のprohibitionistproibitionistと綴られることがある(例、例)。

    「政府、行政部」などの意味で用いるgovernmentgoverment n 無しで誤って綴られることがある(例、例)。ちなみに、中国のもの(こちら)も、バーレーンのもの(こちら)も綴りが間違っている。こういう例は枚挙にいとまがない。

「お求めやすい」という表現

m今どき、「お求めやすい」という日本語表現を“正しくない言い方だ”などと言うつもりはない。Google検索に掛ければ 16,200,000 件 ものヒット数がある言い方だ。いかに日常的な表現になっているかがよくわかる。誤情報も百回聞けば本当のこと(のよう)に思えて来るが、「お求めやすい」のような、すでに日常表現として定着したものを云々するのは、正直なところ気が引ける。

 それでも、個人的には、この表現はやはり好きになれない。その理由は簡単だ。私の馴染みがあるのは、「お求めになりやすい」のほうだからだ。なぜ、そちらに親近感を抱くのだろう。少々内省してみて、次のような答えを導き出した。

 「求めやすい」は、動詞「求める」の連用形に接尾辞「やすい易い)」が付いて出来た形容詞であるが、形容詞に接頭辞の「」が付くのは、たとえば、「お美しい」、「お優しい」、「お珍しい」などのように、いずれも“相手”の有り様・状態に言及しているものである。ところが、「求めやすい」はそうではない。
 「お求めやすい」を認めるなら、「買いやすい」、「呑みやすい」、「食べやすい」、「乗りやすい」などにも「」を付けることが可能になっても良いだろう。しかし、我々は日常的には、「お買いやすい」、「お呑みやすい」、「お食べやすい」、「お乗りやすい」などとは言わない。それと同じで、「求めやすい」を「お求めやすい」というのは本来は不自然なのだ。

 【後刻記】あとでウェブ上の「お求めやすい」に関する記事を何点か読んでみたが、これを正用法だという“専門家”の意見もあった。個人的には、その言い方を「正しいか、正しくないか」ではなく、「好むか、好まないか」の視点で捉えておきたい。

オンライン英会話講師の英語のこと

g最近、インターネットを利用した“(日本人向け)オンライン英会話”なるものを提供する学校が多くなった。つい先日、某英会話学校の多数の講師が、1人30秒ほどの簡単な自己紹介をしているサイトに出くわし、興味本位に10数人の講師の動画を見てみた。一画面に掲載されている講師全員が、その外貌・発音などから推して、英語を準公用語(associate official language) あるいは第二公用語(second official language) とする人たちのようだった。

 中には、日本人としての私が“学校文法”として学んだ英語の規則から逸脱した英語を話している人もいた。例えば、“look forward to”のあとには動名詞を含めた名詞が続くのだが、to不定詞を後続させている人や、“share ... with”と言うところを“share...to”と前置詞にtoを使っている人がいた。また、冠詞を落としている人もいた。だが、そうした人たちの英語は、流暢さ、自然さという点では申し分のないものであり、日本人が自分の英語を磨く手伝いをしてもらうには全く問題のないものだ。
 
 こうした動画を見ながら改めて実感することは、
英語という言語の“株” (stocks) を持っているのは、もはや英米人を初め、英語圏人だけではないということだ。世界の多数の国民がとっくに“株主”になっている。だから、「アジア英語」(Asian Englishes) が立派な英語変種の地位を築いているのであり、従って、また、その英語変種の文法性・正確性を英米の文法・慣用法に瑣末的に準拠する必要はなくなっているのだ。大切なことは「通用性、伝達可能性」(communicability) ということだ。

"standpoint of view”という混成語

b先日、あるアメリカ人から貰ったメールの中に、"standpoint of view”という言い方があった。「観点、見地」の意味だということはすぐに分かるが、その表現法に少々違和感を抱いた。これは間違いなく“point of view”と“standpoint”の混成だが、Google検索では約156,000 件もの例がヒットする。ということは、かなりの人たちがこの語を用いていることになる。以下に3例だけ挙げておく。

※This makes this report far from unbiased from political standpoint of view.
※From a geological standpoint of view the Liechtenstein region is very diverse: The Western and Eastern Alps collide in the middle of Liechtenstein.
※When looking at ourselves from the inside standpoint-of-view, some may say we begin to resemble, on the outside, a rather inferior and insignificant mere outer ...

 いずれにせよ、「観点、見地」の意味では、日本人英語学習者は“point of view”を第一に、“viewpoint”、“standpoint”を、それに次ぐものとして覚えておくと良いだろう。因みに、最後の“standpoint”はドイツ語の“Standpunkt”に由来する語だろうと思う。

「頬杖(ほおづえ)」と「顎杖(あごづえ)」

h2h肘を立てて、手のひらで頬を支えることを「頬杖ほおづえ」と言い、多くは「頬杖を突(つ)」の形で用いられるが、ウェブ上には「顎杖あごづえを突く」のような表現も見受ける。確かに、2枚の写真のうち、の写真の例を見れば、「頬杖」という感じがするが、右の写真の例は「頬杖」よりも「顎杖」と形容したほうが良いような気もする。だが、Google 検索では、「頬杖」が約 1,310,000 件もヒットするのに対して、「顎杖」のそれはわずか753件で、「あごづえ」」は163件だけである。「あご杖」の表記もあるが、そのヒット数はさらに少なく、180 件 のみである。この数字では、「顎杖あごづえ) という言い方を慣用的・一般的表現だとは言えないだろう。
 

「真摯に受け止める」という表現

昨日のYahooニュースによると、NHKの金田新・放送総局長が、先に同局の大河ドラマ「平清盛」の画面にクレーム(?)をつけた兵庫県の井戸敏三知事の発言について、知事からの改善の申し入れはなかったことを明らかにし、「視聴者の方がそういうご意見を持っているということで真摯(しんし)に受け止め、参考にしたい」と述べたそうだ。

 それを読んだ時にも、私の体内の“懐疑”が頭をもたげた。どうもこの虫は、「真摯に受け止める」とか「参考にする」という言葉を聞くと落ち着かなくなるようだ。「真摯に受け止める」と言われただけで、「ホントかな?」とモゾモゾと動き出す。「参考にする」という言い方にしても、添え物程度に受け止めているような“軽さ”を感じる。あくまでも“参考”であって、無視される可能性も大だからだ。
s
 私にとっての「真摯」とは、「何かを(両手で)しっかりと受け止めて、心をこめてそれに取り組む」という“ひたむきさ”を思わせる語だ。その意味で、『新明解国語辞典』(三省堂)が載せている「他事を顧みず、一生懸命やる様子」という定義がいちばん私の肌に合う [“”が好く]。

 「真摯に受け止める」を昨今のように、かくも“軽々しい響きの言葉”にしたのは、少なからぬ不誠実な政治家たちや社会的重要ポストに就いている人たちであったことは間違いないだろう。どんなに優良な意味を持った語句であっても、それを用いる者の心中に優良な思いが宿っておらず、行動力・実行力を伴っていなければ、その語句は早晩、“軽々しい響きの言葉”になるだろう。「真摯に受け止める」はその最たる例(の1つ)かも知れない。

【追記】こちら (「政治家たちの謝罪の仕方」) も参照。

「わたくし」という語

私のゼミに所属する諸君は、男女の区別なく、ゼミ専用掲示板に文章を掲載して自分自身に言及する場合、「わたくし」と表記することにしている。tだし、わたし・山岸は「」と表記し、「わたし」でも「わたくし」でも、どちらで読んでもらっても構わないという立場を採っている伝統的な訓読みは「わたくし 

 その方針を採るようになったきっかけは、かつてNHKアナウンサーとして活躍した鈴木健二(→画像の「『わたくしの下には悪い言葉は来ない」という指摘に首肯するところがあったからだ。どこで聞いたのか見たのかは失念したが、氏がまだNHKに在職しておられた頃の発言だったと記憶する(今から30年位前のことだろう)。氏はNHKに入って以来、最も“ため”になったのは、この「『わたくし』が普通に使えるようになったことだった。」とも言って[書いて]おられた。

 

 たしかに、「わたくし」で始めた文章を、「そう考えてんだ」、「行こうと思ってたんだよ」などで終えることは、冗談を除いて、あり得ない。「わたくしはそのように考えております」、わたtsくしは行こう(か)と[参ろう(か)と] 思っておりました」などとなる。逆に、「そう考えてんだ」、「行こうと思ってんだ」に先立つ主語はと言えば、「」「」「わたし」「あたし」のようなものだろう。

 文を「わたくし」で始めれば、その文末は自ずと丁寧なものになるし、文末を丁寧なものにしようと思えば、文頭は自ずと「わたくし」と丁寧な言い方になるというのが鈴木さんの主張だった。同感だった。

 それ以来、私は“今どきの若者”にも、この「わたくし」を使わせて文章を書かせている。その結果、1年後には、最初の頃とは違って、かなりしっかりとした文章を書くようになる。これは私の“愛の鞭”に耐えた諸君が実践して見せてくれていることからもわかるたとえば、昨日言及した女子学生Nさんの日本語にもそれが当てはまる

値段が「高い」と値段が「張る」(続)

f昨日の記事に早速、4年生の女子学生Nさんが、ゼミ専用掲示板に感想を寄せてくれた。Nさんは次のように書いている。

 お恥ずかしいことですが、わたくしは「値が張る」という日本語を初めて知りました。二十歳を過ぎておりますのに、「張る」に「値段が高くなる」という意味があることを知らず、情けなく思います。「高いんですが、大丈夫ですか」の「高い」を他の言葉に言い換えられず、わたくしはそれを省いて「こちらの商品でよろしいですか。」といたしました。しかしながら、この表現では商品が良くないものであるかのように聞こえてしまうと思いました。母語を磨くことは、正しい日本語表現を身に付けることに加えて、どの言葉を選び、どのように表現すると良いかを学んでいくことでもあるのだと存じます。

 
優秀な学生であるNさんにして、「値が張る」という日本語を初めて知ったと言うのだ。他の諸君もたぶん、この表現には馴染みがないだろう。言葉は、日常的に耳目にしたり、実用に供したりしていなければ、使えるようになるはずがない。こういう「ひとに優しい」言葉をもっと日常化していき、おかしな“マニュアル言葉”に頼らなくても良いようにしたいものだ。
 

値段が「高い」と値段が「張る」

money先日、卒業生の一人からメールを貰った。同君は某アクセサリー店で働いている。ある日、初老の紳士に、「こちらの品は高いんですが、大丈夫ですか。」と言ったら、その紳士から、「客に向かってその言い方は失礼じゃあないか!」とかなりの大声で叱られたとのこと。自分の言葉遣いが悪かったからだとは思うが、どこがどう悪く、どう言えば良かったのかがもう1つよく分からないので、先生に教えていただきたいと書いて来た(同君は今の若者が使いがちな「“いまいち”よく分かりません」を使った)。

 客が怒った理由はかなりはっきりしている。「こちらの品は高いんですが、大丈夫ですか。」と言われたから、「こちらの品は高価高いですよ。お客さんに買えますか?」とでも言われたと感じたに違いない。

 最近、あらゆるところで、この「大丈夫ですか。」が聞かれる。本来的な用法(「危険・失敗など悪いことが起こらない」)に慣れている者にとって、「こちらの品は高いんですが、大丈夫ですか。」などと言われれば、立腹しないまでも、愉快であろうはずがない。「こちらの品は高価ですけど、支払いは大丈夫ですか?(=払えますか?)」とでも言われているようであり、店員に見くびられたと感じる客も少なくないだろう。

 それでは同君は客に対して何と言えば良かったのか。その点を私のゼミに所属する諸君に聞いてみた。同君とさほど年齢差のない諸君だから、出て来る答えの見当はついたが、以下にその内の興味深いものを紹介する。

,錣燭しは以下の文を考えました。「こちらの品物は高価でございますがお買い上げになりますか。
△錣燭しは、「こちらの商品は値段がお高めなのですが、よろしいでしょうか」や「こちらの商品は値段がお高めなのですが、お客様のご予算はいくらほどとお考えでしょうか」という言葉遣いが良いのではないかと考えました。
こちらの品、高価でございますが、お買い求めいただけますでしょうか」「こちらの品物、他の品物より高価でございますが、よろしいでしょうか」という伺い方がよろしいのではないかと考えます。
こちらの品は〜円でございます。」や、「こちらの品は、あちらの品よりは値段が高く(安く)なっております。」などの表現をして、お客がどの品でも選びやすい状況にするのが良いのではないかと考えました。

 そのほか、いろいろな応対表現を考え出してくれたが、どれも上掲のものと五十歩百歩と思われるものだった。つまり、上掲の「高価」、「お高め」、「安い」はいずれも使わないほうが良いというのが私の考えだ。客の中には「高価」だと言われることを喜ぶ者もいるかも知れないが、店員教育では「高価」(高い)、「安価」(安い)というような言い方は、「大丈夫ですか」ともども、避ける方が無難だろう。私が同君なら、たぶん次のように言っただろう。

◎「こちらは少々お値段は張りますが、(品質はさらに良くなっております。) いかがでございましょう。
 
 つまり、「値(段)が張る」という言い方を選ぶだろう。これなら、言われた方もおそらく抵抗を感じないはずだ。
 と言うことで、質問のメールをくれた卒業生には、以上のことを簡単にまとめて回答とした。

「あふらせる」「あふれさせる」「あふらす」

柴田錬三郎著『英雄三国志 六 夢の終焉』には、「たくましく若々しい気力をあふらせた態度で」という表現が出て来る。いつだったか、初めてこれを読んだ時、「あふらせた」という言い方に少々違和感を覚えた。その時はそれで終わった。最近、ウェブ上で、“淀川長治「胸せまる愛あふらせた名作『街の灯』」”という表現に出くわして、久し振りにその頃のことを思い出した。『日本国語大辞典』には

2. あふら・せる【溢】
      
〔他サ下一〕あふら・す〔他サ下二〕こぼれるほどいっぱいにする。

 と出て来るから、そういう語が存在することだけは確かだ。しかし、Google検索では「あふらせる」はわずか94 件、「あふらせた」は更に少なく、61件のみがヒットした。柴田錬三郎のものも出て来る。

以下に「あふらせた」の例を3例だけ挙げておく。

※驚愕をあふらせた顔を見返して、高耶は大きな溜め息をついた。
※少女は口をわなわなさせて目からは悲痛の涙をあふらせた
※七輪も無料で貸してもらえて、肉もそこで買える訳ですから、持って行くものは、お金と空腹で満ちあふらせたお腹だけ!
        (第3例の「空腹で満ちあふらせたお腹」は珍しい発想であるが…)

 私にとっては、「あふれさせる」が日常的だ。Google検索では約 82,500 件がヒットした。「あふれさす」も、個人的には使用しないが、日常的に私の耳目に触れることはある。Google検索では約 5,740 件がヒットした。それぞれの例を3例ずつ挙げておく。

「あふれさせる」
※最後の一滴がコップをあふれさせる
※わくわく合格請負人のブログ、勉強しないお子様を、「勉強のやる気」に満ちあふれさせる ワクワク学習法の秘密。
※部下を成長させたいなら、「程よい仕事量」なんかじゃダメよ! とりあえず、部下が思っている自分の許容以上の仕事量を与えて、あふれさせてみなさい。

「あふれさす」
※目薬をさして春野をあふれさす
※お湯をざばっとあふれさすのは快感です。
※ これ以上電車の周辺に音をあふれさすのやめて欲しい。

「布陣をつくる」という野田首相の言葉

c内閣の改造を終えた野田佳彦首相が、昨夕行った会見の中に、次のような1文があった。

あるいは経済の再生を図るといった、野田内閣の当初からの命題のほかに、行政改革、政治改革、そして社会保障と税の一体改革という、やらなければならない、逃げることのできない、先送りをすることのできない課題を、着実に推進をするための、最善かつ最強の布陣をつくるための今回は改造でございました。

 人の言葉尻を捕えることになって心苦しいが、首相が文末辺りで言っている「布陣をつくる」という言葉にちょっと“弱々しさ”を感じる。「布陣をつくる」と言われると何だか、「この内閣は大して強くなさそうだな」と思えてくるのだ。その前に「最強の」とあるから余計そう感じるのかも知れない。もっとも、「布陣本来は「戦の陣を敷くことという語自体に、「人員配置などの態勢を整えること」の意味があるから、「布陣をつくる」という言い方は重複的表現だと呼べなくもない。
 
いずれにせよ、私が野田さんなら、「布陣を構える」、「布陣を固める」あたりを用いただろう。言い方を変えて、「最善・最強の陣構え陣立てにする」などと表現するのも“強そうで”いいかも知れない。野田さんの言った「布陣をつくる」が“ドジョウ”なら、私が示したものは“ナマズ”ぐらいには思えるかも…。

【後記】ただし、「布陣」はもともと戦の陣との関連で出来た語であるから、不戦宣言をしている国の首相としては、何か別の言い方を考え出すほうが良かっただろう。

「思い出せてくる」と「思い出されてくる」

学生のレポートを読んでいたら、「そのうちにだんだん思い出せてくると思います。」という1文が目に留まった。「思い出せてくる」という言い方はよく見聞きするが、個人的には、少々引っ掛かる言い方である。そのどこに引っ掛かるのか。上手く説明できないが、私なら、「思い出されてくる」、あるいはもっと簡明に「思い出せる」と言ったり書いたりするだろう。

 日本語母語話者としての長年の“経験的語感”(怪しい時もあるが)に基づいて言えば、「思い出せてくる」の場合、「思い出せる」が“可能動詞”と考えられるから、「思い出せてくる」では、「思い出される」に含まれるような“自発”の意味が表せないからではないかと思う。

 そこで、“思い出せてくる”をGoogleに掛けてみると、何と約 666,000 件ものヒットがあった。以下に6例だけ挙げておく。

※それでもゆゆさんのことは色々思い出せてくるほど、お世話になった気がする。
※しかし、話をしていくうちに何となく思い出せてくる
※今まで思い出せなかったのに、だんだん思い出せてくると、その人の事好きじゃなくなってるのかと不安になる。
※深呼吸して状況把握に努めれば、自分の服が無い理由もだんだん思い出せてくる
※次第に思い出せてくる現実から逃げるように、さくらは目をつぶった。
※おとぎの国のアルバム、切り取られた素敵なシーンを何枚も見ていると、あの時の会話の断片まで思い出せてくるよ\(*^_^*)/

 約 666,000 件もの多くの実例を前にして、それを否定することは避けるが、やはり個人的には、あまり好きになれない言い方だ。

「呼ばわりする」と「よわばりする」

相手を蔑(さげす)む意味の言葉に付けて、いかにもそうだと決めつけるような場合に用いる語に「(よ)ばわり」がある。動詞「呼ばわる」の連用形の名詞用法だ。たとえば、「盗っ人呼ばわり」、「馬鹿呼ばわり」などと言った具合だ。多くは、「盗っ人呼ばわりする」、「馬鹿呼ばわりする」のように、「〜する」と言う。ところがこれを「よわばり(する)」という人がいる。

 つい先日のことだ。散歩の途中に一休みすることにしている某喫茶店で、30代後半とおぼしき男性が、同席していた女性に、「あいつは俺を犯人よわばりするんだよ。」と言っているのが漏れ聞こえて来た。それが、「犯人呼ばわりする」のことであることは文脈からすぐに分かったが、珍しい言い方をする人もいるものだと思った次第。
 あとでGoogle検索に掛けてみて驚いた。「よわばりする」が約 36,100 件、「よわばりされた」が約 31,900 件、「よわばりして」が約 22,800 件もヒットした。中には「よわ張りして」と表記したものが約109 件あった。それぞれ2例を挙げておく。

「よわばりする」約 36,100 件
※カルト信者?自国の総理をクソよわばりするクソアナウンサー
※キャラを俺の嫁よわばりするのが理解できないという人は結構いるが、そんな事より俺は男の同人作家がネタとはいえ同性の作家やレイヤーを嫁よわばりする方がもっと理解できない。

「よわばりされた」約 31,900 件
※変態よわばりされた!友達の服を嗅いでただけじゃないか(線香の臭い)懐かしい感じがしますた!
※まあ、一番最初に本気で描いたマンガをみんなにギャグよわばりされたし、今自分が見てもどう見たってタイトルからもうシリアスに見えませんしね。

「よわばりして」約 22,800 件
※まみちゃん のんちゃん、 小さいよわばりしてごめんね。) (あきちゃん でいだらぼっち よわばりしてごめんね。)
※ rintiaのmintiaづくしのオリジナルベーシックブログの記事、うそつきよわばりしてしまった(笑) です。

「よわ張りして」約 109 件
※被災地よわ張りして「支援」をなんども繰り返していたら 東北に失礼ではないか。
※ 新潮を何か悪者よわ張りしている、ソエジマしは、 ○会応援しているわけ

 人間の思い込みとは恐ろしいものだ。早い機会に、「呼ばわり」を「よわばり」と覚えてしまい、それが身に付いてしまったものだろう。

「見ただけでおいしそう!」という言い方

d表題の「見ただけでおいしそう!」は、先日、私が近所のファミリーレストランに食事に行った際に、近くの席にいた中年の女性が、娘さんらしき若い女性に先に配膳された料理を見て発した言葉だ。この表現が私の耳に入った瞬間、「おやっ?」と思った。間違いだとは思わなかったが、私の“語感”には、どこか、なぜか馴染まなかったのだ。

 あとで少々考えてみた。巧みな説明はできないが、私にとって、「ただけで」というのは、すでに“判断を下した”言い方だ。何かに“限定した”言い方と表現してもいいだろう。それに「おいしそう」という「外見・様態からそうだと認められる」という未確認の部分を残す語を付けているからだろうかと考えてみた。私なら、ああいう場合は「見るからにおいしそううまそう」と言っただろうなと思った次第…。

 参考までに「見ただけでおいしそう!」をGoogle検索に掛けるてみると、約 84,900 件もの用例がヒットした。ふむふむ、「見ただけで使われて(い)そう! 

【付記】「見ただけで」は、私は、たとえば、「見ただけで、誰がそれを盗んだかわかった」のような使い方をする。

あなたの「怒り」はどこから来るの?(続)

a怒り」をキーワードに、ウェブ上に書かれたあちこちの文章を見ていると、本当に面白い。「怒り」の“発生場所”は、人によって微妙に異なることが分かるからだ。こうした“面白さ”はウェブ上の文章だからこそ体験できる。これが、私が普段、辞書作り(とりわけ和英)に使用している日本語コーパスだと、改まって書かれた文章が多いので、これだけの“表現変種”を探すことは難しい。
 そこで、もう少し、別の表現を探してみた。すると次のようなものがヒットした。

「胸の底から怒りが」 約 23,900 件
※ほんとうに、胸の底から怒りが込み上げてきます。
※呆然のあとは胸の底から怒りがふつふつと湧きあげ、猛然と掃除を始めたものの、半端にかたづいたころに慶太が泣き出し、抱き上げてあやしては授乳を始める。

「胸の奥から怒りが」 約 15,500 件
※一部始終を見ていたのだろう、午後に授業をしたクラスでは、女生徒たちの忍び笑いが絶えなかった。 思い出すとそれだけで、胸の奥から怒りが込み上げてくる
※大人になって、車を運転中に無謀な運転をしたり、違反運転をしたりしている車を見ると、 胸の奥から怒りが込み上げてきて、気持ちにおさまりが付かなくなります。

「心の奥から怒りが」 約 3,580 件
※何故か心の奥から怒りが沸々と込み上げてきたからだ。 「きっ・・・貴様!! 今すぐここを昇るから待てろ!! 絶対に逃げるなよ!!」
※悠真は心の奥から怒りが湧き上がってくるのを感じた。なぜ、このようなことが生じるのか。

「腹の奥から怒りが」 約 10,600 件
※もう、腹の奥から怒りがこみ上げてくるーーーっ ムカ.
※その手紙を読んで、直義はほっと一安心した。 と同時に、じわじわと、腹 の奥から怒りがたぎってくるのを感じた。

「体中から怒りが」 約 25,800 件
※義鎮の体中から怒りが込み上げて来た。
※けど、電話を切った後も体中 から怒りがこみ上げてきて本気で人を殴りたいと初めて思いました。

「腹の中から怒りが」 約 692 件
※あっきっとお祝いはわざと中身をいれなかったんだと私は確信しましたが腹の中から怒り が爆発しそうで主人だけには伝えました。
※今までの疑問が全て、その事実で腑に落ちると同時に俺の腹の中から怒りが狂ったように噴き出す

あなたの「怒り」はどこから来るの?

angerある人のブログ記事を読んでいた時、「体の底から怒りがこみ上げてきた」という表現にぶつかった。「体の底から怒りがこみ上げてくる」? 「体の底」ってどこだろう? 足の(かかとの)あたり? 足指の先のあたり? そんなことはないから、「腹の底」あたりで落ち着くかな? 「怒り心頭に発す)」という慣用句もあるから、「心の底」あたりも悪くはないか? ということで、いつものようにGoogle検索に掛けてみた。

「体の底から怒りが」 約 37,000 件
※菅直人、おまえは恥を知らないのかと、体の底 から怒りが込み上げてきた。
※何よ。 私が全部悪いみたいに。 そう思うと、体の底から怒りがこみ上げてきた。 ...
※お前の顔を見るだけで体の底から怒りが込み上げて、 発狂しそうになって眠れなくて・・・
   【注】「体」を「身体」と表記した例もある。例: 年の最後に、本気で身体の奥から怒りが湧き上がって来る。

「腹の底から怒りが」 約 54,800 件
※にゃるぐのだめ人間前進ものがたりの記事、久々に腹の底から怒りが湧いた話。です。
腹の底から怒りがこみ上げてくる。何かしなくてはと、頭に血が登った状況の中で考えるが、何の策も浮かばない。ましてや、「戦友」の軍歌にみられるようなゆとりは全くない。
※民主党の売国政治屋の層の厚さには驚嘆の声すら漏れそうだ。 特にこの長官の面構を見るたび、 笑えない脅威を覚えるとともに、 腹の底から怒りが込み上げてきて体調がおかしくなり ...

「お腹の底から怒りが」 約 11,200 件
※「何で?何で助けられへんかったん?」と本当にお腹の底から怒りが突き上げて来ます。
※【ズキッ】って来た。なんか今猛烈にムカツイタ。お腹の底から怒りがこみ上げてくる感じ。
※ 本当にお腹の底から怒りが沸きあがってくる。 あなたに何の権利があって、そんな事をするの?

「心の底から怒りが」 約 73,100 件
※ハクサンチドリのサヤ取り考察ブログの記事、心の底から怒りが込み上げて来たです。
※第三国定住プログラムで来日したビルマ人をいじめ抜く外務省に心の底から怒りがわき起こる。
心の底から 怒りがこみ上げてきます。 線量だって、高いのに。数値でちゃんと出でているのに。

  ご覧の通り、Google検索によれば、「心の底から」が1位、「腹の底から」が2位、「体の底から」が3位、「お腹の底から」が4位ということになる。あくまでも推測の域を出ないが、「心の底から」と「体の底から」は男女共通用法、「腹の底から」は(どちらかと言えば)男性用法、「お腹の底から」は(どちらかと言えば)女性用法のような気がする。その点を詳細に調べてみると面白いだろうし、1つの論文にさえなるだろう。

「生贄」は「いけにえ」か「いきにえ」か。

f大学院生の一人から質問を受けた。「『生贄]の読み方は『にえ』と『にえ』のどちらでしょうか。」というものだ。当人に言わせると、国語辞典には「にえ」は出ているが、「にえ」は出ていない。インターネットで調べたところ、「にえ」が圧倒的に多いが、「にえ」の例もあり、『生き贄』という単行本まであるそうだ。[あとで調べて見て、立松弘著『生き贄』(近代文藝社、1994)という本が出版されていることが分かった。]
 国語学の専門家に確認して貰うことを条件に、私がその時、同君に出した答えは以下の通り。

^貳姪には「にえ」だと思う。(「贄(にえ)」は「神へのささげ物」)
にえ」は「きた」の意味で、「生きる」という自動詞と密接な関係があるだろう。
にえ」は「けた」の意味で、「」、「(獲った魚を一定期間飼っておく)(す)」などという時の「いけ」だと思われる。

 この回答が専門的に見て、正解かどうか、私には確信はない。ただ、本ブログで採り上げる全ての話題への回答は、日本人としての私個人が養った“語感”に基づくものである。上手く説明できない場合も少なくないが、そう頓珍漢な事は言ったり、書いたりはしていないだろうと思っているそういうものがあれば、ご教示を乞う

「食い付くような目」という言い方。

eye男子学生の一人が授業中に、“He stared into my face.”を「彼は私の顔を食い付くような目で見た。」と訳した。日本語表現としては、「食い付くような目」ではなく、「食い入(い)るような目で見た」か「食い入るように見た」かのどちらかでしょう?と聞くと、「僕はこれまでずっと“食い付くような目”と言って来ました。」と応えた。

 「食い付くような目」??? 「に食い付かれてはたまらないね…」と冗談を言うと、同君は持っていた電子辞書を引いてから、「『食い入るように見つめた』という用例が載っています。」と言った。Google 検索だと、「食い付くような目」が約 15,500 件、「食いつくような目」の表記が約55,600 件もヒットする。数は少ないが、「食い付く目」、「食いつく目」といった言い方・表記法も見つかる。

食い付くような目」の例だけを3例挙げておく。

※負けじと食い付くような目で睨み返している。
食い付くような目をして、全員が荒井に詰め寄った。
※演奏中、小学生の子達が食い付くような目で私達を見ていたのはとても印象的で、嬉しくもありました。

「降り出し始める」という重複表現

学生の一人から貰った新年の挨拶メールの中に、「こちらでは雪が降り出し始めました」という1文があった。語感の鋭い人なら、すぐに、「おやっ?」と思い、それに気付くかも知れない。「降り出す」の「出す」にすでに「始まる」という意味が含まれているからだ。つまり、その表現は、「馬から落ちて落馬して」式の重複表現ということになる。「こちらでは雪が降り出しました」か「こちらでは雪が降り始めました」かのいずれかでよい。
 いつものように、Google検索に掛けると、「降り出し始める」が約 347 件、「降り出し始めた」が約 7,980 件 、「降り出し始めました」が約 6,120 件、それぞれヒットした。各3例ずつ挙げておく。

※ 府道20を星田駅方面へ走ると、小雨が降り出し始める
※一番要注意なのは天気が下り坂に向かい雨が降り出し始める時間。
※風が強くなり、雨も降り出し始める中、 長次、仙蔵、小平太、食満の四人は学園へ向かって走り出した。 ...

※空から、雪がちらちらと降り出し始めた
※雨は途切れる事無く万遍なく強弱で降り出し始めた
※しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃんと降り出し始めたではないですか(((( ;゚д゚)))・・

※さっきから雨が降り出し始めました・・
※試合直前には、3月にかかわらず雪が降り出し始めました
※プラットフォームへと続く坂道の下まで来たとき、急に雨が降り出し始めました

「切れ長い目」?

ある人のブログを覗いていたら、「切れ長」という表現が出て来た。私には、「切れ長」(画像はこちら)あるいは「切れ長い目」は普通であるが、「切れ長」は耳目に馴染まない。実際はどうなのだろうかと思って、いつものようにGoogle検索に掛けてみると、約4,910例がヒットした。そう多いとは思わないが、実際に使用されていることだけは確かだ。ちなみに、「切れ長」は約 501,000 件がヒットした。次に、「切れ長」を5例だけ挙げておく。

※ …… 貴公ほどの者がか」 謙信は頷く。切れ長い目は僅かに細められて、束の間表情を失った ...
※具象と抽象の調和、合理性を超越した心憎いばかりの表現です。 切れ長い目、遠慮がちな小さな鼻、耳のピアス、あどけなく開けられた口がなんとも愛らしい。
切れ長い目とスーッキレイな鼻のライン、セクシーな唇。 女の子よりキレイなんじゃないかと思うほどの肌。 背も高くて、足も長い。
※そういえばアキラくんってガンツの西くんに似てますよね。 切れ長い目の平凡そうな子ってなるとあんな顔になっちゃうのかな。 ...
※ 「TKに目があったのが衝撃でした←(死因の中に目が関係してたのかとか予想してたので・・・) どっちにしろ想像してた目ではなかったです。クールな切れ長い目か、実は人懐っこい可愛い目を想像してましたが、両方」

「最近は後ろからも弾が…」

s野田佳彦首相は昨日、千葉県船橋市内の某ホテルで開かれた母校・県立船橋高校の同期会に出席し、消費税増税をめぐる民主党内の意見集約を振り返り、「四方八方から弾が飛んでくるが、最近は後ろの方からも飛んでくる。まず民主党内をまとめなければいけなかった。非常に骨が折れた。」と語ったそうだ。“天の邪鬼”を自認する私としては、憲法で戦争を放棄している国の首相が、四方八方からが飛んでくるが、最近は後ろからもが飛んでくるなどと、連想が戦争と銃弾とに直結するような表現を用いるのは少々大いに?不謹慎ではないかと思わざるを得なかった。だが、本ブログのあちこちで書いてきたように、我が国の政治家たちには過去に学んでいないひとたちが少なくない事実を彼らの言葉の中に辿ることも、あながち間違ってはいないとも思う。「言葉は思想が衣を纏ったもの」なのだから…。

正月三が日とゼミ生たちの母語学習

私のゼミには1年を通じて休暇がない。4月の新学年の始まりまでは、新ゼミ生諸君は母語である日本語の学習に忙しいと言っても、途中で脱落する諸君も少なくないが。1年先輩になるだけで、後輩たち新ゼミ生諸君の面倒がだいぶみられるようになる。昨日も現ゼミ生の一人が、私が立てた「謹賀新年」と題したスレッドに書き込みを行った新ゼミ生の二人に対して、次のような指摘を行った(名前はイニシャルに変えた)。

***************
Nさん Sさん

 二人が書いてくれた文章を読みました。
以下に問題点を掲載するので目を通してください。

>新年明けましておめでとうございます
「明ける」には「時間が経過して新年が始まる」という意味があります。従って、「新年」と「明けまして」は重複表現ということになります。「明けましておめでとうございます。」か「新年おめでとうございます。」に訂正しましょう。

NM(今年度ゼミ生)
***************
 
 新ゼミ生はこうして、自分たちが日常的に使っている日本語にも不自然な箇所が少なくないことに気付いて行く。この“気付き”こそ、学生たちが母語に対する“語感”を磨く第一歩となるものなのだ。やはり「磨かなければ光らない」…。

「習い性になる」をどう読む?

教え子の一人(大学4年生)から、新年の挨拶を兼ねた質問メールをもらった。曰く、

先生の元旦のブログ記事にありました「習い、性(せい)」という表現を初めてみました。それまでは聞いたことも見たこともありませんでした。電子辞書で「ならいせい」を引きましたら、「ならい性(せい)となる」とあって、「習慣もたび重なると、ついには生まれながらの性質のようになってしまうということ」とありました。両親に尋ねましたら、二人とも習い性(しょう)になるって言うんじゃないの? 『習い、性(せい)になる』って、聞いたことが無いと言っておりました。そこで「ならいしょう」で引き直すと、国語辞典にはそれが出ておらずに、大和英辞典に出ていました。どういうことでしょうか。

 確かに、現代国語辞典でも、辞典によっては「習い性(しょう)」を収録していないものもある。これは『書経』にある「習与性成」に由来するもので、本来は「習い、性(せい)となる」と区切って読むものである。それを「ならいしょうになる)」と読む人たちが多く出て来たのも事実だ。現代的には「習い性(しょう)になる」と一気に言う人が多いかも知れない。そんな中で、伝統的な言い方である「習い、性(せい)になる」を文字化した私のほうがかえって少数派に属するのかも知れない。

●区切り読みに関しては、こちらの「魚心あれば水心」の記事を参照。

今年が佳い年になりますように。

今年が佳い年になりますように

         平成24年[2012年]元旦

day

 

 

 

 

 


   大晦日は辞書の仕事で暮れて行きました。一杯飲みながら、ゆっくりテレビでも見ながら…そんなのんびりとした大晦日はもう20年以上も経験していません。それが私の「習い、性(せい)」となってしまったようです。

  辞書は慈書(=言葉を慈しむことを学ぶ書物)たれ。

  辞書は滋書(=言語中枢に滋養を与える書物)たれ。

 
この二つの願いの実現に一歩でも二歩でも近づくことを、毎年、元旦の計としています。

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