2012年03月

今年も“原石”に出会えたようだ。

l昨日は新2年生のためのオリエンテーションがあった。学部長の挨拶があり、昨年度のGPAに基づいて成績優秀者2名が「優等生」として表彰された(後日、新3年生、新4年生の表彰も行われる)。自讃になるが、この顕彰制度は5、6年前に私が当時の学部長にお願いして設けていただいたものだ。私自身が大学2年生になった春に、優等生2名の内の1名に選ばれ、副賞として研究社の『英和大辞典』をもらったことがその後の私の人生に大きく影響したことから、地道に努力した学生たちに同じような喜びを味わってもらいたいと思ったからだ今は、受賞者諸君が自分の履歴書に記載できる立派な賞に育っている。ちなみに、優等生の一人K君私は1年生の授業は担当していないので、同君を教えたことはなかったはTOEICの高得点取得者2名の内の1名として、ダブル受賞した。

 オリエンテーションの後、私は廊下でそのK君に、「おめでとう。昨年はよく頑張ったね。今年も期待しているよ。」と声を掛けた。すると、同君は、「ありがとうございます。僕は高校時代から山岸先生が憧れの先生でした。頑張ります。」と予想もしていなかった嬉しい言葉を口にしてくれた。私が書いたものも多く読んでくれていたそうだ。こういう“原石”と形容できる学生に出会うたびに、教師冥利に尽きると実感すると共に、その期待を裏切らないように、実(じつ)のある授業を心がけねばならないと強く思う。

【後刻記】あとで分かったことだが、K君は昨年(1年次)、通訳ガイドの国家試験に合格したそうだ。まさに“トリプル受賞”と呼べる快挙だ。

日本人英語学習者と“etc.”

m学生たちは教室内の英会話でしばしば“etc.”を使う。日本語に「エトセトラ」(時に「エト・セトラ」)の形で入っていて、日常的に馴染みになっているからだろう。だが、英語の“etc.”はどちらかと言えば、商業文や専門論文で用いられることが多く、日本の英語学習者が日常会話で用いるのは避けたほうが無難だ。人によっては、その語法から、「偉そうな誇張した言い方をしている」という印象を受けるかも知れない。

 たとえば、昨年の学生たちが口頭で使った英語に、Last summer my friend and I visited Washington, New York, etc. や I bought maple wine, maple syrup, maple butter, etc. in Canada. のような例があった。
 だが、日常口語としては、この“etc.”はあまり推奨できない言い方だ。私なら上例の場合、たとえば、Last summer my friend and I visited Washington, New York, and other (American) cities.とか、 I bought maple wine, maple syrup, maple butter and other (maple) products in Canada. とかのような言い方をするだろう。あるいは、Last summer my friend and I visited (various) cities such as Washington and New York.とか、I bought (various) maple products such as maple wine, maple syrup and maple butter in Canada.とかのような言い方をする可能性もある。

「首を取れ」―比喩の下手な政治家たち

k民主党税調などの合同総会は昨日未明、拍手と怒号が飛び交う中で打ち切られた。約200人の議員が集まって行われたその総会で、石井一参院予算委員長が言ったそうだ。「3〜4時間話して何も決まらなかったら、世間にどう思われるかわかってるか。増税に反対なら、9月の代表選で野田佳彦首相の首を取れ」と(朝日新聞、28日夕刊)。
 私は石井氏の発言を実際に耳にしたわけではないので、新聞報道を信じるほかないが、それを信じた上で言うなら、「野田佳彦首相の首を取れ」という発言には“またか!”の思いを強くした。
  本ブログで、我が国の政治家たちの時代錯誤的な発言例にいったい何度[何例]言及しただろう(例、例、例)。 いやしくも国会議員たる石井氏には、現代社会において、「首を取る」という表現が、たとえ一部の人たちであっても、人を戦慄させる、生々しい表現であることを意識していて欲しかった。戦国時代ならいざ知らず、現代社会に必要な表現だとは思わない。一日も早く死語になることを願う。

【付記】野田佳彦首相が出て来たので、ついでに言えば、首相が最近、TPP(環太平洋経済連携協定)をビートルズ、日本をポール・マッカートニーと喩えて、「ポールのいないビートルズはあり得ない」と言ったが、これなども言ってみれば、一種の時代錯誤的発言。我が国の政治家たちは、本当に“比喩下手”だなと思う。

「アップトーク」(uptalk)という話し方

平叙文でありながら、それを発話する時、いちいち文末[言葉尻]を上昇調で発音する日本人が少なくない。若い人たちに多い音声的現象のようだが、かなりの高齢者にも聞かれる。たとえば、「高校を出た それから大学に行った いい就職口をみつけた⤴ 人並みに結婚をした⤴ 子供もできた」のような尻上がりの口調だ。個人的趣味から言えば、そうした話し方はあまり好きではないのだが、言語(語義・発音・語法など)は時代と共に変化するものだという真実を否定するわけにはいかないから、いつも黙って聞いている。

 類似の言語現象は英語圏の人びと、とりわけ若い人たちの話し方周囲を観察した限りの印象では男性よりも女性に観察される。英語では普通は“uptalk” “upspeak”などと呼び、専門的には“high-rising terminal”(略してHRT)あるいは“high-rising intonation”(略して“HRI”)と呼んでいる。こういう言語現象が生じる背景については個人的にはまだ調べていないが、ひょっとすると、若者たちの自信のなさの表れかも知れないし、大人たちとは違った話し方をしているという仲間意識の表れかも知れない。あるいは、文末[言葉尻]を上昇調で発音する傾向のあるValleyspeakLos Angeles郊外San Fernando Valleyの高級住宅街に住む流行の先端をいく若い女性たちの話し方の影響があるかも知れないし、類似の傾向を持つアジア系移民(インド系、パキスタン系など)の話し方が影響しているのかも知れない。

 いずれにせよ、カナダ英語、ニュージーランド英語など、世界中の英語変種に観察される傾向のようだから、特定の理由に絞り込むことは不可能だろうが、この音声的現象の実態を調査・分析すれば、一大論文となるだろう。ちなみに、上のYouTubeの動画で、その1例をはっきりと聞くことが出来る。

「弁解、言い訳」の意のalibi"という語

アメリカのスポーツ作家 Ring lardnerの作品の1つにAlibi Ike (『弁解屋のアイク』)がある。これは最初はSaturday Evening Post誌(1915年7月31日)に掲載された作品で、投手としての自分の失敗に、いちいち「弁解、言い訳」(excuse)をする主人公 F. X. Farrel(ミドルネームのXはexcuseに掛けたもの)が中心の野球物語だ。

 その題名からも推測できるように、alibi″(アリバイ)がexcuse″(弁解、言い訳)の意味で使われている。具体的には "I've knew lots o' guys that had an alibi for every mistake they made. ″(自分の失敗にいちいち弁解をするやつらをいっぱい見て来たよ)のように使われている。

 OED The Oxford English Dict.) はその意味での初出例として1912年のものを挙げているから、この語はその頃から一般化し始めたものと考えられる。今では、He always has an alibi for every mistake. (自分の失敗にいつも弁解をする)のように用いるが、「弁解、言い訳」の意味でのこの語法好まない人も少なくないようだ。

 ちなみに、Alibi Ike は、その作品以来、「弁解屋、言い訳屋」(a person who habitually offers excuses and plausible explanations for dubious actions―Dict. of American Slang) の代名詞になっている。

【付記】Ring Lardnerというアメリカ人作家とその作品は細入藤太郎先生の影響で馴染みとなったもの(こちらを参照)。

涙が出るほど尊い、遠い日の想い出。

c昨日の朝、亡妻の高校時代からの友人、ITさんからお電話をいただいた。時々、その後の私のことを案じて電話を下さる。いつものように、妻の想い出話に花が咲いた。たぶん、そのためだろう、深夜、妻の夢を見た。妻が姉妹校である私の高校の文化祭にクラブ(JRC)の友人たちとやって来て、フォークダンスを踊っている夢だった。腰まで伸びた髪を三つ編みのお下げにしていた。私がその姿を私の目に焼き付けたのは、私が高校3年生の秋だった。妻は高校1年生だった。近付きがたいほどの“高貴”な雰囲気を漂わせたその女子高生に私の胸は高鳴った。「高嶺の花」と諦めてから4年ほど経ち、妻が大学2年生、私が大学4年生の春、大学のゼミナール室で“再会”した。もちろん、相手がそれを“再会”だなどと思うはずはなかった。それからは何やかやと理由を探しては、ゼミナール室で勉学中の妻に近付いて行き、結局は人生の同行者になってもらった。皇居のお濠近くの桜の木の下で、意を決して「僕と付き合って下さい。」と言ったあの日のことはv1、今の私にとって、涙が出るほど尊い、遠い日の想い出だ。もう45年以上も昔のことになる。

 今日、これから妻との想い出に浸れる、いつもの城ケ島温泉ホテルに行って来るつもりだ。娘は風邪を引いているので、大事を取ってうちにいる。だから息子と二人きりでそこに行き、のんびりと温泉につかって、“マグロ尽くし”でも食べて来ようと思っている。当然、いつもの干物屋Yさんの所にも立ち寄って、いろいろと好きな干物を買うつもりだ。

後刻記】今日は城ヶv3島のあと、南仏プロヴァンス地方の景観をモチーフにして造ったという、広大な「ソレイユの丘」(横須賀市)に立ち寄った。観光と体験型の公園というコンセプトらしい。園内は「村のエリア」、「街のエリア」、「水のエリア」、「まきばのエリア」などと区別化されていて、大人も子供も一日中楽しく過ごせる公園のようだった。「村のエリア」の一角に菜の花が咲き乱れていて、周囲に独特の香りを漂わせていた。童心にかえって過ごした午後のひと時だった。

「なる=become」と覚えること。

t学生諸君に「私は昨年、浦安市の中学校の英語教員になりました」という日本文を英訳してもらうと、ほとんどの諸君が I became an English teacher at a junior high school in Urayasu (City) last year.と訳す。言いたいことは伝わるが、英語としては少々不自然だ。一番の問題点は、become の用い方が英語的でないということだ。それでは、その日本文を適切に英訳するとすれば、全体的にはどうなるだろう。いつものように、我がゼミ生・院生(および読者諸氏)への宿題としておこう。

「すみません」の効用

s今日の朝日新聞朝刊に「『すみません』の効力、脳波で裏付け』と題された面白い記事が出ていた。科学技術振興機構(JST)と名古屋大のチームが、男女48人の大学生に飲酒年齢引き下げなど、社会的な問題に関する意見を書いてもらい、書いてくれた半数の学生には、「大学生が書いた文章とは思えない」などと、侮辱するコメント付きの評価書を返し、残りの学生には、「こんなコメントをしてすみません」という謝罪文も付けるという脳波分析のための実験を行ったそうだ。
 その結果によると、謝罪を受けなかったグループでは、心拍数や手のひらの汗が増加し、脳波検査では、攻撃性が高まっていることを示す左右の脳の活動の差が観られたそうだ。一方で、謝罪のコメントを貰ったグループでは左右の脳の活動に差がなく、汗は増加したが、心拍数の変化もなかったそうだ。また、心理テストでは攻撃性は変わらなかったが、不快感は高まっていたそうだ。研究チームの研究員の話では、「謝っても怒りの全ては抑えられないが、攻撃されることはなくなり、和解への第一歩となる」ということだ。この結果は23日付米科学誌プロスワンに発表されたそうだ。

 これで、「すみません」という謝罪の言葉が、事態収拾への大事な一歩であることが科学的に証明されたことになるが、「すみません」という“小さな言葉”の“大きな効用”は、日本人は昔から“文化のDNA”の中に組み込んで体で理解して来たはずだ。ただし、昨今、日本人も「すみません」、「ごめんなさい」という“人間関係潤滑油”の1種をあまり有効に使わなくなったようにも思う。

平成23[2011年]年度学位記授与式の朝

fl今日は我が明海大学・同大学院の平成23[2011年]年度学位記授与式が挙行される日だ。午後から雨になるとの予報だが、卒業生・修了生の晴れ姿が映えるように、式典終了後しばらくは降らないでほしいと願っている。

 言い古された言葉だが、まさに「光陰矢の如し」だ。ついこのあいだ入学したと思った諸君がもう卒業・修了だ。

 仏陀は言っておられる。「己をともしびとせよ」(自燈明)と。他をよりどころとするのではなく、自らをともしびとして、卒業生・修了生諸君には人生を充実したものにしてほしい。
 卒業生諸君、修了生諸君、卒業・修了おめでとう。

【後刻記】外国語学部(3学科)、ホスピタリティーツーリズム学部(1学科)、経済学部(1学科)、不動産学部(1学科)、歯学部(1学科)の総代計7名全員が女子学生だったのが印象的だった。

「ひとしきり」、「一仕切(しき)り」、「一頻(しき)り」

4一仕切り」という表記は、家畜小屋などを1頭用に区切った場所を指したり、製品の抜き取り検査を行うような場合にほぼ同一条件で製造された品物のまとまりを指したりするのに用いる。もちろん、オフィスなどを衝立・パティションなどで仕切ったり、仕事などに一段落を付けるような場合に(「一区切り」と同義で)も使える。つまり、これは「境を付けて他と分け隔てる」場合に用いるものだ。品詞は名詞だ。

 ところが、この表記(と其の意味)を、本来なら「頻り」と書くべき意味と混同して用いている人が少なくない。しかもそちらの語は副詞として用いるのが普通だ。先にGoogle検索によって拾った実例を5例だけ見てみよう。

※ 雨が一仕切り降った後、ひーちゃんと戯れながら見上げた空に発見。
※バスに乗っていたら、通路を挟んで私の斜め後ろに座ったおじさんが一仕切り咳をした後、「くぁーっ」っと喉を鳴らしました。
※結局チョコレート菓子も作る羽目になって、チーズケーキは俺が一人で全部食べたんだよなぁ。一仕切り物思いに耽った後、溜息を吐いてふと猫を見やった。
※当然の如く起伏に富むべきポイントを外すことなく、コンサート自体も盛り上がりを欠くことなく終了した。しかし何故か筆者は一仕切りの虚しさを覚える。
※積もった雪を目の前にして、何を作ろうかと思案顔の子供が一人。 一仕切り悩んだ後作りはじめたのは →雪ウサギ →雪の城 →3段雪ダルマ →2段雪ダルマ ...

r 上例の場合、「ひとしきり」を漢字交じりに書けば、そのいずれも「一頻り」となる。つまり、「分け隔てた1つ」という意味の「仕切り」ではなく、たとえば「降りしきる」、「しきりに粉雪が舞う」という場合に用いる「しき」「しきりに」の「しきり」と同類だ。要するに、「一頻り」(という副詞)は「しばらくの間、物事が盛んに続く様子」に言及して用いる語だ。たとえば、「一頻り雨が降ったが、その後、太陽が顔を見せた」、「そのドキュメンタリー番組は一頻り話題になったことがある」などのように用いる。

 この意味の「頻り」は今では「ひとしきり」と平仮名で書かれることが多いためか、「一仕切り」と混同する人が多くなっているようだ。

人を育てる喜び―Nさんのこと。

c三年次終了までに卒業要件単位を全て取り終え、故郷の札幌ですでに社会人として働いているNさんは、明後日(3月23日)に執り行われる学位授与式で、英米語学科総代として、我が大学最高の栄誉である宮田賞を授与される。2年生の時から私の授業を受け続けてくれ、3年次にはゼミ長を務めてくれた。3、4年生の2年間を優等生に輝いた(→こちらも参照)。

 今日未明、そのNさんからメールをもらった(「夜分」と書きながら、今日の日付になっているから、おそらく深夜に帰宅したのだろう)。加除修正を施したい個所は残るが、最初の頃の日本語に比べると、ずいぶんしっかりとした日本語が書けるようになった。現代の若者でこれだけの日本語が書ければ、もう社会で恥を掻くことはないだろう。最初の頃、「磨けば光る人材だ」と思った私の推測は、やはり正しかった。

 

山岸勝榮先生
   
夜分に失礼いたします。先ほど、勤務先より帰宅いたしました。お忙しい中を、ご返信くださいましてまことにありがとうございます。
 また何かわたくしにお手伝い出来ることがありましたら、何なりとお申し付けください。
 
宮田賞を頂けますことをとても嬉しく思っております。また、卒業式でお久しぶりに山岸先生とお会い出来ますことが今から楽しみです。
 社会人となり、日々の業務や上司との連絡・報告などにおきまして、先生よりお教え頂いてきたことの大切さを感じる機会がさらに増えて参りました。今後覚えていかなければならない仕事がたくさんあり、まだ分からないことばかりでございますが、成長していけますように自分自身を磨いて参ります。
 先生もどうかお体をお大切になさって、いつまでもお元気でいてくださいませ。
3月21日()
       N. A.

 

  私のささやかな誇りは、これまで、私のゼミから何人もの宮田賞受賞者が出ていることだ。私の努力ではなく、受賞者各人の「自助心」の成せる業だが、「英才を得て、之を教育」し得たことは、私にとっては、孟子の言われた三楽の1つだったように思える。明後日、Nさんに会えるのを私も楽しみにしている。

「産後の肥立ち」と「産後の日立ち」

p最近ではあまり耳にしなくなった表現の1つに「産後の肥立(ひだ)ちが良い悪い]」がある。「肥立ち」には、「日と共に成長すること」という意味と「産婦の産後の回復」という意味とがあるが、私は常に「産後の肥立ちが良い悪い]」という慣用句的な言い方でそれを見聞きして来た。「肥立ち」の「」は文字通り、出産した後の女性の体が「肥えていく」「肥えて元通りになる」ということを意味している。
 医学が発達した上、妊婦の栄養状態も良くなった今日、「産後の肥立ちが良い」例が普通になり、「産後の肥立ちが悪い」例のほうが少なくなっているように思うが、ここらあたりは責任のあることは書けない(もっとも、肉体的な「肥立ち」の悪さよりも、産婦の精神的「肥立ち」の悪さのほうが現代病として挙げられるかも知れない)。

 ところで、話は表記法のことになるが、「肥立ち」と書くべきところを「日立ち」と表記する人がいる。「産後の日立ち」をGoogle検索に掛けると約5,150 件がヒットする。以下に5例だけ挙げておく。

※千代のお母さんは産後の日立ちが悪く亡くなった。
※父方のおばあさんという人は産後の日立ちが悪く死期を早めてしまったそうです。
産後の日立ちは帝王切開の割には順調だと思っていたら、今になって予想に反して色々なハプニングが。
※めちゃくちゃ元気な赤ちゃんなら17日でも、産後の日立ちがよければ17日でも良いだろうけど、やっぱり赤ちゃんとお母さんの体調を優先させるべきなのではないのでしょうか。
※しかしそんな楽しい旅も、下田に着き踊り子一行の宿甲州屋で学生が踊り子達を活動に誘うが兄嫁の千代子は産後の日立ちが悪くぐったしとしていて断った。

 最後の例は、川端康成の『伊豆の踊子』のことを紹介したサイトからのものだが、原本の表記もそうなっているのかどうかは未確認。意味的には、やはり「肥立ち」と表記すべきだろう。

 「肥立ち」を「日立ち」と表記するのは、あるいは、「日が経つ」の「たつ」を頭の中で「立つ」と置き換えたり、「立春」「立夏」「風立ちぬ」などという語句の中にある「」だと思ったりした結果かも知れない。

「口さがない」、「口さない」、「口さがのない」(続)

昨日、表題に関する一文を書いたが、そのあとで、「もしや『口さがない』を『口差がない』と表記するような珍しい人もいるのではないか?」と思って、Googleに掛けてみた。私の推測は的中していた。“口差がない”の形が215例ヒットした。以下にそのうちの5例だけを挙げておく。

こんな綺麗な人が相手じゃいくら何もないといっても口差がない人はくだらないことを言ってきそうでしょ。
それを邪魔したのは、人間である。 彼女が私の足下から消えて、むなしい日々が過ぎた。 季節は一巡し、私の体は少し大きくなった。 それを見て、栄養が良かったのだ。と、口差がない連中は言う。
もちろん、左海騎手と言えども凡走もある、これは同じ船橋の石崎隆之騎手とて同じ事地方競馬の心ない(口差がないと言うべきか)ファンの罵声は大変なものである。
離れて座っていた三人組が、場違いな喧嘩を始めると、さしもの統率者も黙っていなかった。「口差がない人達ばかりですみません」 ……そういう人こそ、人の良さそうな感じだが、腹に一物あり ...
もっとも、金持ち商人ならいざ知らず、彼のような権勢家がそういうこっぱずかしい事をおおっぴらに行うと、口差がない人々が『あの世で閻魔様に言い訳する為の心理的保険だ』と騒ぐ事が目に見えているので、公子Sはある商人に私塾を開かせて、そこに母子家庭の子供が無償で行けるように影から手配している。

 人間の“思い込み”とは本当に怖いものだと思う。

「口さがない」、「口さない」、「口さがのない」

g今では古語と認識されるだろうが、「口さがなし」、「口さがなき」のような形容詞がある。共に、「口汚ない」、「口やかましい」という意味だ。宇治拾遺物語(巻第十三)には「さらずば口さがなき君達は、永く笑ひなんものをや」と出て来る。「さがなし」「さがなき」とは「たちが悪い」「意地が悪い」という意味で、「さが」は「性質」「性分」という意味の「」に由来すると考えてよいだろう。

 現代日本語では、上記の意味を表す形容詞は「口さがない」だ。「他人の噂や批判を無責任・無思慮にするさま」をいう場合に用いる。Googleで検索すると約 361,000 件がヒットする。

 ところがこれを「口さのない」と誤って覚えている(らしい)例も多い。その場合、約 60,800件がヒットする。かなりの数だ。それぞれの例を5例ずつ挙げておく。

慣用的な「口さがない
※善人きどりの口さがない人達
口さがない年代の辛らつ座談会トーク
※ドゥルーズ「口さがない批評家への手紙」
※それゆえに、有名な人には口さがない批判が浴びせられる。
※うちの両親に何を口さがないことを言ったのか知らないが、自分の目に入ったもので見えない部分を勝手に想像し ...

非慣用的な「口さのない
※マスコミや口さのない輩の恰好のえじきになることは明らかです。
※原発事故が起きた直後、口さのない後輩*1が僕に言っていたことが現実となったのだ。
※こう言うと、口さのない同僚は、「何バカ言ってんの、歳を考えろ、孫がキャッチボールできる歳には、お前は寝たきり老人だぁ」と抜かす。
※しかし「酒癖が悪い」なんて言うのは口さのない同僚どもや家内であって紳士的なおつき合いのある方々は私のことを「陽気で楽しい酒ですねぇ」と言ってくれる。
口さのない連中であれば、『彼等夫婦の上司でもある副司令加持ミサト以上に怠け者の彼女の守護天使が気紛れを起こしたのかも知れない。』と評価するかも知れない。

 中には、「口さがのない」という言い方をする人もいて、そちらのヒット数は約  4,910件と少ない。以下に5例だけ引用しておく。

非慣用的な「口さがのない
口さがのないやつ〜という感じだが、肝心の英雄は憂鬱さが漂っている。
口さがのない連中は、「野球を諦めた」「再起不能」と言いまわっている。
※確かにメールなり、コメント欄なりから評価するより口さがのない コメントもつけやすいですよね(笑).
※を片っ端から払拭しつつ、この曲はあらゆる類の口さがのない連中に狙いを定め、 とどめのサビで黙り込ませる。
※マーケターたちは彼女たちの時には口さがのない本音を聞きたいと思うだろうが、 こうした情報にはアクセスできないことが多い。

 いつも書くように、多くの人々が非慣用的な表現を用いるようになれば、その用法はやがて普通の言い方になる。言語とはそういうものだ。その典型例の1つが、「押しも押されもせぬ」(こちらが伝統的・慣用的な言い方だったはずだ;約386,000件)と「押しも押されぬ」(こちらは非伝統的なものと解釈されて来たはずだ;約 460,000件)との拮抗状態、というよりも逆転状態だ。

「おこがましい」と「おこまがしい」

cさしでがましい」「みっともない」の意味に近い言い方に「おこがましい」がある。「私が皆さんに教えるなんておこがましいのですが…」、「問われて名乗るもおこがましいが…」などと使っている。この「おこがましい」を「おこまがしい」と覚えているらしい例に時々ぶつかる。Google検索だと約 9,700 件がヒットする。たとえば、次のようなものだ。

※自分での言うのもおこまがしいが 素晴らしい出来上がりだ。
※セカイ中をシアワセにしたいなんておこまがしいコトは言えないけれど
※セミナーなんておこまがしいですが、少し出来ましたので覗いてみてください.
※私が漱石先生を 評するのもおこまがしいが、 この出だしの文章は言いえて妙だ。
※自分でエンジニアって名乗るのがおこまがしいので、なんか、もうちょっと緩い肩書が欲しい。
※自分なんかが言うのがおこまがしいが、羽海野チカ先生がたまにネタで書くおむすびの友に魚肉ソーセージ。

「酔いしれる」の「しれる」を漢字交じりで書くと?

酒に酩酊(めいてい)して正体をなくす」ことを「酔いしれる」と言う。また、「陶酔(とうすい)する、うっとりして良い気分にひたる」の意味でも用いる。「美酒に酔いしれる」、「勝利の喜びに酔いしれる」などと使う。
 ところで、その「酔いしれる」の「しれる」を漢字交じりに書くとどういう漢字を使うだろう。「(酔い痴れる」という字になる。これを「知れる」と書く人が少なくない。同じ「しれる」でも「酔いしれる」のほうは病垂(やまいだれ)が付き、意味も異なる(「痴れる」は「心を奪われる」の意)。
 
 いつものようにGoogle検索を利用して、酔い知れる″を検索すると約6,080 件 がヒットする。酔い知れ”だけだと約 16,000 件 になる。両者を3例ずつ挙げておく。

※まばゆい「光の彫刻」に酔い知れる
※美酒鍋に酔い知れることができます。
※約250種類ものランに触れ、美しさに酔い知れる.
※秋田・角館に酔い知れ
※そして、人々はクラシックとは異なる音楽の魅力に酔い知れ
※シェフの技と会話をつまみに、目の前で焼き上げる料理の美味しさに酔い知れください。

「買い込む」の意味

c先日、男子学生の一人が私の研究室にやって来て、「先生、アンカーコズミカを買い込んで来たのでサインして貰えますか?」と言った。私は即座に、「ええっ! それはどうもありがとう。で、何冊買ってくれたの?」と聞いた。当人はきょとんとした顔で、「1冊です。」と応えた。
 どうも当人と私との間に“誤解”があったようだ。なぜなら、私にとって「買い込む」という日本語は、「(さしあたっての必要量以上に物をたくさん買い入れる」(『学研現代新国語辞典』改訂第4版)という意味だからだ。たとえば、「地震その他、万一のことを考えて、食料・飲料などを買い込む」、「今日は給料日なので普段読みたいと思っていた小説を十数冊買い込んだ」などのように用いる。

 したがって、「アンカー・コズミカをい込んで来た」と言われると、同じものを品薄になるおそれがあるので;友人や家族へのプレゼントにするために;自宅や学校などに別々に置いておくためになどの理由で)“何冊も買った”というふうに感じてしまうのだ。

 もちろん、ちょっと考えれば常識的に判断できることだが、やはり「買い込む」という語の含みは「多数、多量」だから、文脈によっては誤解を招き兼ねない言い方だ。たぶんその学生は、「難しい本を読み始めると、間もなく眠り込むがある」、「この辞書を使い込むつもりだ」などの言い方に見るような、動詞を強める「込む」の意味で「買い込んで来た」と言ったのだろう。

 「買い込む」の例を7例だけ、Google検索で拾っておく(アンカーコズミカの名が出た例があったのには少々驚いた;第2例がそれ)。

※そしてついでにもう1冊買い込んできたのは・・・
※昨年末に出たアンカーコズミカを買いこんできました
※さっそくワインを1本買い込んできたのえまろです。ムフッ ( ̄m ̄*).
※ラオラオを1本買い込んだ者がいたが、甘くてあまりうまくないらしい。
※今晩はあまり呑み過ぎないようにしようとまた、ビールを1本買い込んできた
※盛岡での1夜が明け、二日酔いもなく「今日も元気に遊ぶぞ〜!」と思ったものの曇り空の上にメチャ寒い〜 友人は洋服を1枚買い込んだくらいですから・・・
※その気になる作品がポスターとして売られているのを見て、やはりそれなりに人気のある作品なんだと思い、ユング君もそのポスターを買い込んできました

 いずれにせよ、その学生には、「アンカーコズミカを買ってくれてありがとう」と一言添えながら、同辞典にサインをして返した。
 読者のみなさん、どうか『アンカーコズミカ英和辞典』を“買い込んで”、しっかりと“使い込んで”ください!

梅の香りで思い出すひと

u2朝早く、愛犬と共に我が家の近所を散歩していると、ぷーんと梅の香りが漂って来た。これを嗅ぐと、必ず思い出すひとがいる。私が最も尊敬するひとの一人だ。もう亡くなって30年近くになる。戦後、裸一貫から始めて、400人近くの従業員を擁する重機の会社を経営するほどにまでなったひとだが、戦友の“最後の頼み”にしたがって、その遺児たちに、経済的・精神的援助を続けて、大学まで出した“誠のひと”でもあった。戦友の“最後の頼み”とは、「俺の妻子を頼むぞ」だった。その戦友のお連れ合いにも、その子たちが独立するまで、毎月、経済的援助を続けていた。もちろん、“下心”など無縁のひとだった。

 その人は酒が入るとよく「梅と兵隊」(南条歌美作詞、倉若晴生作曲、昭和16年)を歌った。そのたびに、目は潤(うる)んでいた。

1 春まだ浅き 戦線 (せんせん) u
  古城にかおる 梅の花
  せめて一輪 (いちりん) 母上に
  便りに秘めて 送ろじゃないか

2 覚悟を決めた 吾が身でも
  梅が香(か)むせぶ 春の夜は
  戦 (いくさ) 忘れて ひとときを
  語れば戦友(とも)よ 愉快じゃないか

3 明日(あした)出てゆく 前線で
  何 (いず)れが華 (はな) と 散ろうとて
  武士の誉 (ほまれ) じゃ 白梅を
  戦闘帽(ぼうし)にさして ゆこうじゃないか
 

 戦後の日本にはまだ、こういうひとがいくらでもいた(←こちらも参照)。優秀だが貧しさ故に進学できないというような子がいれば、その子がいる村で、地域で金を出し合って、その子を進学させ、その子の将来を築き上げる手伝いをする、そういう“美風”さえあった。

 私は戦争を賛美しているのでは決してない。「殺し、殺され」する行為の中に正当性などあり得ない。私が賛美しているのは、友情の有り難さ友情という絆の強だ。この世の中、他人の足を引っ張る人間もいるが、他人が足場を固めるのを手伝う人間もいる。そんなことを、朝、梅の香りを嗅ぎながら思い出し、考えていた。

梅が香を 袖に移して とどめてば
 春は過ぐとも 形見ならまし ― 古今集(読人不知)

梅の花 夢に語らく みやびたる
  花とあれ思ふ 酒に浮かべこそ ― 大伴旅人

英語の慣用句と英語熟語集

雑本を整理していたら、今から二昔以上も前に、我が息子が大学受験期に使っていた『合格英熟語300』なる某社の熟語集が出て来た。副題に「東大合格者も、これだけしか覚えなかった」とあった。あちこちに息子がチェックした赤鉛筆の跡が残る。

 パラパラとめくって、「日常的にはこんな言い方は好まれない」と思うような慣用句が次々と出て来た。次にその中の3例だけを挙げてみる。最初の2例は、同書の中に上下して出て来る。

■彼は学生のあいだで評判が悪い。
He is (     )(     )(     ) by his students.
 ●カッコの中に入れる語はspoken ill of だ。つまり、speak ill of 覚えることがポイントだ。その句には「〜のことを悪く言う」という日本語が当てられている。

■彼女は音楽の勉強をするためにオーストリアへ行った。
She went to Austria (     )(     )(     )(     ) studying music.
  ●カッコの中に入れる語はfor the purpose of だ。つまり、for the purpose of 〜ing を覚えることがポイントだ。その句には「〜するために」という日本語が与えられている。

●釣りということになると、彼は専門家だ。
When (     )(     )(     ) fishing, he is an expert.
 ●カッコの中に入れる語はit comes to だ。つまり、When it comes to〜
を覚えることがポイントだ。その句には「〜ということになると」という日本語が与えられている。 

 この3例はいずれも受験英語″ではよく見掛ける形だが、前記したように、現代の日常会話では好まれないものだ。それでは現代日常英語(つまり日本の高校生・大学生の日常的日本語に相当するレベルの英語)で言えば、どんな言い方にるだろう。いつものように、我がゼミ生・院生(および本ブログ読者)への宿題としておく。

【注記】私はあくまでも牘儻″に関する問題に言及しているのであって、上掲の熟語集およびその著者に批判的言及をしているのではないので念のため。

Many many thanks for the support and encouragement!

Fuji
Here are four videos from YouTube
I saw again yesterday (March 11)
On the First Anniverssary of
The Great East Japan Earthquake and Tsunami.


Many many thanks for the support and encouragement
Given by all to the disaster-stricken areas in East Japan.



Many many thanks for the encouraging words and prayers
From around the world.



Many many thanks for the encouraging messages 
From New York.




Many many thanks for your "R-E-S-P-E-C-T", lingosteve!



Where there is no sympathy with the spirit of man,
there can be no sympathy with any higher spirit.― J. Ruskin

Quemcuque miserum videri hominem scias.―L.A. Ceneca

Bist du ein Mensche? so fűhle meine Noth.―”Faust”

***********************


My Old Country Home
The English Translation of "Furusato"
By K. YAMAGISHI ©    

 1.  
I hunted rabbits on that mountain.
     I fished for minnows in that stream.
     I still dream about those days I spent when a child.
     How I miss and long for my old country home.

 2.  
Mother and father―are they doing well?
     Is everything all right with my old friends?
     When the rain falls, when the wind blows, I recall
     My happy childhood and my old country home.

  3. 
 Some day when I have done what I set out to do,
     I will return to where I used to have my home.
     Lush and green are the mountains of my homeland.
     Pure and clear is the water of my old country home.

If there is any material ...

If there is any material ―espcially YouTube videos―
on my site that the authors / uploaders object to
my using, I will remove the material immediately
upon notification by them.
Anonymous enquiries and e-mails will not be replied to.
Thank you.
Prof. Dr. K. Yamagishi
http://jiten.cside3.jp/mail.htm

東日本大震災から1年 ―悲嘆、忘るまい

f

昨年
平成23 [2011] 年3月11日(金)
午後2時46分

東日本大震災で亡くなった多くの皆様に対し
謹んで哀悼の意を表し ご冥福をお祈り申し上げます
またご遺族の皆様に対し
衷心よりお悔やみ申し上げます

いまだ行方不明のご家族をお持ちの皆様に対し
皆様のご無念と皆様の深いお悲しみを
衷心よりお察し致します

行方不明の皆様に神仏のご加護がありますように
ご家族の皆様に安らぎが訪れますように
衷心よりお祈り致します

今もご不自由な避難生活を余儀なくされておられる皆様
皆様に一日も早く平穏な日常が戻りますように
衷心よりお祈り致します

**********************

 この震災と津波で犠牲となった
人間以外の生きとし生けるものたちよ
   その魂の安らかならんことを 
残ったものたちの日々の平穏ならんことを

MaronNeroBlog

ブログ「山岸教授の日英語サロン」
山岸勝榮

学生・院生諸君からのメールで思うこと。

ゼミ関連の連絡でゼミ生諸君にメールを送ると、「名無し」「件名無し」(あるいはRe:の形式)で返信して来る諸君が少なくない。先日もあることでゼミ生・特修生諸君20名近くにメールを送った。さすがに特修生は既習のことだからそういう返信の仕方はしないのだが、新年度生の半数近くは「名無し」「件名無し」(あるいはRe:の形式のまま)で返って来る。
 自分では分かっているつもりなのだろうが、用件に対する返信の本文を書いても、自分の名前がなければ、私はその「名無し」さんをアドレスブックで探し当ててからでないと、返信の本文の理解も十分にはできないのだ。
 若い人たちは親しい友人たちや家族とのメールのやり取りに慣れているために、他人にメールを出す時も、意図することもなく、「送信者名」や「件名」を省くのだろう。それがそういった親しい間柄の人なら全く問題はないだろう。だが、私と新ゼミ生のような、まだ付き合いの(ほとんど)ない間柄では、やはり「送信者名」や「件名」を明記すべきだろう。それが相手に余計な手間を掛けない点kで、親切な書き方だと思う。 

 もう1点、学生や院生とメールのやり取りをしていると、メールの末尾に自分の苗字だけを書いて来る諸君が少なくない。それを非難するつもりで書くのではないが、そういうメールを貰うと、正直なところ、戸惑ってしまう。同姓がいる場合には、それがどちらのものなのか迷ってしまうということもあるのだが、私のより大きな戸惑いの原因は別のところにある。私が大学・大学院の頃にお世話になったO教授(明治30年代生まれ)はよく言っておられた。先生曰く、

他人に出す手紙やハガキに苗字だけというのは、自分の苗字だけで十分に通用するような立場や間柄の人間が採用するものだ。親しくなったとは言え、学生や院生が教授や年長者に手紙やハガキを出す場合は、立場の違いを考慮して、きちんと自分の姓・名、両方を書いたほうがよい。苗字だけというのはいかにも“不遜”な感じを受ける。

 今どきこういう考え方がどこまで通用するか、私には不明だが、我がゼミ生・院生には是非心に留めておいて欲しい。社会に出た時、それを守って、得をすることはあっても、損をすることはあり得ないはずだから。

「金の成る木」、健在!

k今年も我が家の「金の成る木」が満開だ。左の写真は今朝、小雨の中を爛院璽織″で撮ったものだ。

 年明け頃から咲き初め、今も咲き誇っている。開花期間がかなり長い。この木に関しては、これまでにも何度か言及した(こちら→)が、年を追うごとに大きくなっている。犲擽發泙澆″の我が家には皮肉なことだが、大いに嬉しくもある。

 鉢植えの小さなものだったこの木は、今や1メートルを優に超えたものに成長している。これと言った肥料をやるでもなく、特別な世話をしてやっているわけでもない。小鉢から玄関の近くの大きなプランターに移してやったら、そこが気に入ったのか、すくすく成長して行った。命の不思議を思わざるを得ない。

 こちらに多くの「金の成る木」の画像があるが、我が家のものは、それらに比して遜色はないだろう。これからも健在でいて欲しい。願わくは、我が家も「金の成る犁″」に恵まれんことを…。

Nature admits no lie.―T. Carlyle (1795-1881)
   自然は虚偽を許さず―T.カーライル

Eveything in nature goes by law and not by luck.―R.W. Emerson (1803-82)
   自然界の万物はみな法則に依って運行し、僥倖に頼らず―R.W.エマーソン

「お高くとまる」 の英訳は?

和英辞典の中には「お高くとまる」の訳語として、put on airsbe haughtybe stuck-upを挙げているものがある。だが、この並べ方は、学習者・利用者には不親切だ。まず、put on airsはさほど会話的な句ではない。したがって、たとえば、「お高くとまるなよ!」というような砕けた口語では使えないのが普通だ(個人差はあるだろうが)。そういう場合は、3番目に挙げてあるbe stuck-upを利用して、Don't be stuck up!のように言うのが良いだろう。また、2番目のbe haughtyは「高慢な」に近いものだから、「お高くとまる」とはスピーチレベルがずれる。
 

ordinanceとordnanceのこと

先日、アメリカのある地方条例に関する記事をウェブ上で読んでいて、ordinance(条例)を、「兵器、軍需品」の意のordnance と間違えて綴っている例に出くわした。両者の発音が同じであることが原因かも知れない。以下に誤った綴りの例を4例だけ挙げておく。

*Department members investigate crimes, accidents, and city ordnance code violations.
*So I'm looking through st. louis city public ordnance on the library's website but I haven't found where open carry is prohibited.
*The state law supersedes the county ordnance.
*When he thought all hope was lost, he found a county ordnance about unfit dwellings,  dangerous structures or nuisances.

 と、犖渋絮儻″の観点から両語の綴りの違いに言及したが、じつは両語はかつては区別なく用いられていた。意味による分化が起こったのは遠く17世紀。しかし、現代英語の辞書や語法を扱う辞書では両語は別語、別義として取り扱われている。

院生Yさんのこと。

来週の土曜日(17日)我が大学院の応用言語学会が開催される。その準備のために、院生数名が係となって、さまざまな仕事を分担して頑張ってくれている。外部からお二方をお招きして講演をしていただくことになった。そのお二方には、博士前期課程のYさんが連絡係となって手筈を整えてくれている。ほとんど全てを院生に任せてあるのは、院生たちが将来、研究者になった場合に必ずやその経験がさまざまな面で役立つだろうという狄匿″からである。

 かく言う私は教員側の係である。そこで、そのお二方に一言、きちんとご挨拶を申し上げるべきだと考えて、昨夕、メールをさせていただいた。講師のお一人からはすぐにご返事をいただき、連絡係のYさん(女性)に関して、「大学院生のYさんからは、気持ちの良い連絡を数度受けました。」と言っていただいた。

 実は(自賛になるが)Yさんは学部時代、私の英米語学科ゼミに所属し、ゼミ専用掲示板等で日本語を鍛えられた一人である。私にくれるメールの文章はいつもほとんど申し分のないものを書く。現在は(英語教師ではなく)日本語教師として働きながら、大学院でも研究に励んでいる。今そのころの犇賚″が実り、今回のように、外部の教授にメールを差し上げても、「気持ちの良い連絡」と評していただける。YさんにCruel to be kind”(将来を思って厳しくする)の接し方をして来た者として、今、それが間違っていなかったと実感できて嬉しい。

【後記】Yさんに関しては、もうお一方からも、後刻、「これまで、Yさんからご連絡をいただいておりましたが、しっかりされた方との印象です。」と言っていただいた。

今年も確定申告を済ませて来た。

t昨年度分(平成23年度分)所得税の確定申告に行って来た。朝からあいにくの雨模様だったが、月間スケジュールとの関係で提出日を今日と決めていたから、防寒に気を配って、午前9時50分に家を出た。税務署は我が家から片道4、50分の道のりだが、自分のクルマやタクシーを使う気にはならなかった。その道程に亡き妻との大切な想い出があるからだ。好天の日には好天の日の、雨の日には雨の日の、風の日には風の日の懐かしい想い出があれこれと蘇る道だ。

 私自身の手で申告書を書き、それを提出するようになってから、今回で3度目だ。一昨年昨年は、妻が残した“マニュアル”を参考にしながらの作業だったから、見慣れた妻の字体を見ては、時々懐かしさが込み上げて来て、書く手がふと止まることがあった。今回はそんなことはないだろうという“予測”だったのだが、いざ作成作業を始めてみると、やはり妻の労を偲んでいる自分がいた。

t2 税務署に着いたのは10時半頃だった。冷たい雨の中を40分近く歩いたあとだったから、両手もかじかんでいて、もどかしい思いをしながらバッグから申告書を取り出した。今回も問題なく係員から収受印を押してもらった。

 税務署を出て、雨の中を、いつもの喫茶店に立ち寄り、ホットコーヒーとフレンチトーストを注文した。店内の暖房とコーヒーの温かさとで、冷え切った私の体は少しずつ温まった。そこに40分ほど居てから、表に出た。小雨は続いていた。妻とよく散歩をした道を通って自宅に向かった。数年前、満開の桜を見ながら妻と歩いた懐かしい日の想い出が蘇って来た。確定申告書を提出した日に、世の中には「金で買えない大切なもの」があることを改めて実感した。

Memory, of all things good remind us still;
Forgetfulness, obliterate all that's !ll. - Macedonius.
  記憶よ、全て善きものをなお我らに思い起させしめよ;
  忘却よ、全て悪しきものを忘れしめよ―マセドニアス

「同綴異音異義語」のこと

日本人英語学習者にとって、いまやanimation(アニメーション)という語は馴染みのあるものになっている。これを知らない学習者はいないだろう。また、その形容詞形もしくは動詞としてのanimateという語に馴染みがある学習者も多いと思う。だが、形容詞形としてのanimateと、動詞としてのanimateとは発音が異なることを知っている学習者となると、その人数は極端に少なくなるようだ。形容詞としてのanimate/ǽmət/ と発音するし、動詞としてのanimate/ǽmeıt/と発音する。したがって、the animate world(生物界、動植物界)という時のanimateは、animate one’s classroom (教室を活気づける)という時のanimateと同じように発音するわけにはいかない。

 
 昨今、こうした音声上の基本的知識を欠く大学生・大学院生が多くなっているような気がする。過日も4名の学生たちと話をしていて、話題が
articulation(発音、調音)に及んだ時、その形容詞と動詞のことに触れた。学生たちはその二者がarticulateであることは知っていたが、形容詞と動詞とでは発音が異なることを詳しく知っている学生は、残念なことに、1名しかいなかった。形容詞は/ɑrtíkjələt/であり、動詞は:rtíkjəleıt/である。したがって、articulate speech(明瞭な話し方)と、articulate a word(ある単語を明瞭に発音する)の場合、articulate の発音は同じではない。

 このような、綴りは同じだが、発音と意味とが異なる語は、専門的には「同綴異音異義語」(heteronym)と呼ばれる。

 その他、たとえば、以下のような語は名詞(語によっては形容詞)として用いた場合と、動詞として用いた場合とでは、上掲の語同様、発音が意味が異なる例だ。

 1. alternate (形容詞と動詞)
 2. desolate (形容詞と動詞)
 3. deliberate (形容詞と動詞)
 4. elaborate (形容詞と動詞)
 5. estimate (名詞と動詞)
 6. graduate (名詞と動詞)
 7. learned (形容詞と動詞(過去形・過去分詞形))
 8. moderate (形容詞と動詞)
 9. perfect (形容詞と動詞)
10. present (名詞と動詞)
11. rebel (名詞と動詞)
12. separate (形容詞と動詞)
13. subject (名詞と動詞)
14. suspect (名詞と動詞)
15. transport (名詞と動詞)

「下品」な英語(?)のこと

以前なら、「下品だ」、「お里″が知れる」などと非難を受けた日常表現の中に、今では普通に用いられるようになっているものも多い。“ヤバイ[ヤベエ]よ〜!”や“マジかよ)”などはその部類に入るだろう。個人的には、過去も現在も(たぶん未来も)無縁の表現だが、日常的には、特に若い世代では男女に関係なく普通に使われている。

 英語でもそうだ。昔(1981年5月か6月の頃)、イギリスのロンドンにあるグロヴナー・ホテル (Grosvenor Hotel)で、元シェイクスピア劇女優のM.F.さんから聞いた話だが、彼女は親からYou know.”とかYou don't say!″といった言い方はVulgar″(下品)だから使ってはいけないと言われたそうだ「でも、女優になってから、いろいろな人たちと付き合って、けっこうそういう言い方を口にしましたけど…」と笑っていたYou know.は念を押したり、次の言葉を考えたりする際の埋め草的に使われる表現で、日本語で言えば、「ほら;ねえ;あのさあ…;〜だもんね」などに当たり、現代英語ではごく普通の口語表現になっているただし、今でも、“耳障りだ”とこれを嫌う人も多いようだ。また、You don't say.は「本当かね;へ〜え、そう」に近いもので、今、これを下品だ″と言う人はほとんどいないだろう。言葉とはそうしたものだ。つまり、語法は変化するのだ。

【後日記】後日、「『下品』な英語(?)のこと(続)」を書いた。

形容詞 lastの曖昧性―in the last chapterの場合

b英語で書かれた論文などを読んでいて、時々、「どちらの意味?」と思わせられる語法に出合うことがある。執筆者の国籍を問わない。in the last chapter”はその1例だ。この場合の形容詞last”は、「(時間的に)すぐ前の、この前の」という意味にも、「(順序が)最後の、終わりの」という意味にも解釈できるから、読者は、一瞬、どちらの意味か迷わされるかも知れない。前者の意味なら、「前章で」となるし、後者の意味なら「最終章で」となる。

 こういう場合、私なら、前者の意味であればpreceding”を用いてin the preceding chapter”(前章で)とし、後者の意味であればfinal”を用いてin the final chapter”(最終章で)とするだろう。そうすれば、問題は解決するはずだ。

 なお、the last two [three, etc.] chapters”のように、複数形になっても、問題の本質は変わらない。

「なぜ(Why)?」と聞くことで磨く英語の語感

w英単語の語源や意味(およびその広がり)をより良く、より広く知るようになりたければ、普段から、「なぜ(Why)」と自問し、それに答えを出す習慣を身に付けることだと思う。たとえば、私は学生時代、できるだけ頻繁に次のような疑問を自らに発し、それに対する答えを探すようにしていた。

1.自宅に招待した客をguest と言うのに、ホテルやレストランでは金を支払ってくれる客もguest と呼ぶのはなぜ?

2.必ずしも町や都会に建てられているわけでもないのに、 長屋式のテラスハウスのことをtown-house と呼ぶのはなぜ?

3.urban person は「都会人」の意味なのに、urban にe″を付けてurbane person とすると「(都会的に)洗練された人」の意味になるのはなぜ?

 上記3問の「なぜ?」に関しては、いつものように、我がゼミ生・院生(および本ブログ読者諸氏)への宿題としておこう。

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